原発のコスト16(問答無用2)

日本人は愛国心・公徳心が強いので、日本経済がどうなっても良いと思ってる人は滅多になく、コストが本当はどうなるのかを知りたがっているのですが、伝統的支配勢力はコスト計算を公開したオープンな議論をしないまま、「早く再開しないと電気料金が上がって国際競争力がなくなる」と意味不明の主張が充満しているのは不思議です。
本当にコストアップ社会になって大変だと自信を持って言えるなら、気前良く各種データを公開し・・あるいはいろんな人に資金を出してデータ収集させたりして、コストに関する活発な議論をさせれば良い筈です。
元々今回の事故前から、我が国の電力料金が諸外国よりも高いと言われていますが、そこからメスを入れて行く必要があるでしょう。
以前からバカ高いのに、これ以上値上がりすると企業が海外に逃げざるを得ないという論理ですが、その前提として何故我が国はそんなに他国よりも高いのかの議論が必要です。
常識的に考えて我が国は、人口密集地が多いので送電距離も短くて済み、本来有利な筈ですが・・・。
現在のマスコミ論調を見ていると、コスト関連のデータを公開しないまま時間が経過して値上げだけして行けば、結果としてみんな困るから原発再開の方へ傾くだろう式のやり方です。
イキナリ計画停電で脅かしたのを手始めに、原発反対しているとこんな目に遭うぞとばかりにパンチを食らわしてきましたが、あまりにも見え透いていたので、却って東電が怨嗟の的になってこのやり方は直ぐに引っ込めました。
批判が強すぎてその後は節電に切り替えましたが、東電の供給源の1つである福島第一原発が停まっているので電力不足になったという構図で計画停電の後は節電要請でした。
これでうまく行きかけてところで、福島原発の停止に関係のない東北電力の方が先に(豪雨の影響で)電力不足になって東電から大規模な電力融通が行われる結果になりました。
実は発電能力は余っていることは業界内では常識だったの(でしょう)で、「足りないとキャンペインしている最中なので融通する訳に行かない」とも言い切れなかったのでしょう。
この結果、東電の電力不足のキャンペインは何だったのかまるで根拠不明となっていますが、これに関してマスコミでは何の説明もなくうやむやです。
原発停止で供給電力が足りなくなるというキャンペインで東北電力や中部電力から、融通を受ける計画が出ていた筈の東京電力が、最大ピーク時である筈の真夏に逆に大規模に東北電力に融通出来たのですから、「何のために(需要ピーク時でもない)事故直後に計画停電したの?」「話が違うんじゃない?」「な〜んだ余ってたの?」と言う素朴な疑問が起きているのですが、これらに対して、マスコミは全く応えようとも検証しようともしないままです。
また、コスト・データを開示しないままでも、今直ぐに火力発電に切り替えるとコストが上がるので、従来の電気料金の引き上げは不可避でしょうから、その事実・・先ず値上げをして国民を威嚇しようとしているとも見えます。
この戦法は、悪質なすり替えです。
いま火力に切り替えるとさしあたり従来よりもコストが上がることは当然ですが、だからと言って原発よりも火力発電コストが高いことの証明にはなりません。
今までの原発による電気料金は、損害賠償や事故処理コスト・廃炉費用をコスト計算に加えていなかったのですから、安かったのは当たり前です。
今後これらのコストを加えて行った場合の原発コストと火力発電のコストを比べるべきだ・・その結果どちらがどれだけ安いのかを知りたい国民の関心に応えず、先ず値上げから入って行こうとする現下の動きは、国民の正当な疑問・関心から意図的に目をそらそうとするものです。

原発のコスト15(問答無用1)

伝統的勢力・再開派は言論を封じてはいないというのでしょうが、これに関するマトモな学者の研究発表がないことや、マトモな議論がないまま結論を押し付けようとしていること自体が言論弾圧状態と言うべきです。
現在はカントやヘーゲル・ニーチェの時代のように書斎で思索すれば意見を書けるのではなく、データ収集その他巨額のコストがかるので自費での研究は不可能な時代ですから、研究費がどこかから出ない限り誰もマトモな研究発表が出来ない仕組みです。
ウェブに出てる情報をかき集めた意見・・私のこのコラムもそうですが、ムードの域を出ないので専門家の意見とまでは行きません。
言わば原書を読まないで、その翻訳文を読んだだけで研究発表しているような感じですから、プロの意見としては恥ずかしくって発表出来ないでしょう。
資本家からその方面への研究費が出ないこと自体で、気になっているが誰も研究をすることが出来ない・・一種の言論圧迫状態になっていて、伝統的支配勢力に都合の良い意見やデータしかマスコミに出て来ない状態になっています。
我が国では刑事処罰こそされませんが、・・思想表現の事実上の自由がなく政府のプロパガンダしか出て来ない可哀想な中国人民の思想状況と似ています。
現在の学問の自由・思想信条の自由と言ってもその程度のことに過ぎないことは、August 16, 2011「学問の自由と社会の利益」のコラムで書きました。
多くの国民は、原発の方が損害賠償やきちんとした安全対策をすれば総コストが高いのではないかと思っているのに、これにマトモに応えずに、問答無用式に運転停止中の原発再開反対者を非国民・小児病扱いする今のマスコミはどうかしています。
言論の自由があるとは言うものの、(山本太郎とか言う俳優がちょっとでも原発再開反対論をマスコミで口にすると直ぐ所属事務所から出されてテレビドラマからおろされたということですし)マトモな議論がマスコミに出て来られない現状は思想統制のある独裁国家と殆ど変わらないでしょう。
戦前の軍国主義化の流れを何故阻止出来なかったかと言うと、悪名高い治安維持法による直接弾圧によるばかりではなく、むしろ特高に睨まれている「危険人物を何故雇うんだ」という圧力に耐えかねて、どこの企業でも大学でも自主規制して行って、政府批判する人が職を奪われ黙ってしまわざるを得なくなって行ったことが大きな原因でした。
言論の自由は、刑罰による制裁がないだけでは不十分であって、支配勢力の意見に反する人でも要職に就ける・・あるいは辞職しなくても良い社会でこそ保障されるのです。

原発のコスト13(安全基準1)

原発の被害はひとたび起きれば天文学的被害・・少なくとも兆単位ですから、政治・法で決めるのではなく、よく分らないならば市場経済に委ねる・・・引当金が少なすぎれば株式市場の信任を受けられないので結果的に無制限保険方式採用しかないでしょうが、これを採用すれば保険業界・市場が決めてくれます。
市場に委ねずに政府が決めると安全基準自体が怪しくなります。
政治で決めると、原子力発電事業を増やして行くことを既定の路線とした上で、原子力事業が維持出来る範囲で損害引当金額を決めて行く・・被害総額予測によって決めるのではなく、経営が成り立つ限度で安全対策をして行くことになりがちです。
今回の事故後明るみに出たいろんな事実によると、経営が成り立つ限度で安全対策も講じるし、賠償引当金も考えて行くという本末転倒の議論が普通に行われていたことが分りましたが、これは関係者個々人の責任というよりは、原子力政策の根幹・・先ずやることが政治的に決まっていて、それに抵触しない限度で危険を考え・安全対策をして行く予定だったからでしょう。
いみじくも事故当初東電側では「政府の基準に従ってやっていたので、自分たちは文句言われる筋合いではない」という言い訳をしていましたが、(世論受けしないので直ぐにこの主張を引っ込めましたが、)元々自民党・原発族議員を中心とする政府の立場は、本気で危険度を検討するのではなく、先ず原子力発電をやることに主眼があったのです。
先ず第一に巨額交付金をバラまき、利益誘導型地元政治家を巻き込んで行き、土地買収で大金が入る人に始まり、原発関連の仕事に関係する地元民も賛成派に巻き込んで行きます。
こうして地元政治家や地元民の多くは目もくらむ巨額交付金や補償金欲しさに、建前上安全対策を求めながらも「形さえ付けてくれれば良い」というなれ合い的チェック体制が構築されて行きました。
今回の原発近辺からの避難民の多くの元勤務先が原発関連事業が多いとも言われています。
これが再開是非を問う公聴会でのやらせメール事件の背景でもあり、今回の大事故後でも、ともかく何らかのテストして格好が付き次第再開したいという伝統的支配勢力の立場に繋がっています。
ストレステストは再開の道具であり、再開することが目的のようなマスコミ報道で、テストしても反対するような輩は非国民と言わんばかりです。
しかし、事故処理費用や賠償金のコストを含めたら火力発電よりも何倍もの高額コストがかかるなら、何のために伝統的支配勢力がヤミクモに原発を再開したいのかの合理的理由が見えてきません。
コスト計算を公開しない・・合理的論争を封じられたままで根拠不明ですがともかく「大変なことになる」とヤミクモに再開を急かされると、巨額の利権が裏で動いているのかな?と勘ぐりたくなる人が増えるでしょう。
いまはやりの風評被害の一種です。
風評被害はキッチリしたデータを隠すから起きるのですが、原発再開も何故必要かの根拠を示さずに「大変なことになる」というばかりでその先の議論をさせない不思議な風潮ですから、裏で何かあるのかな?と痛くない腹を探られることになります。

原発のコスト12(備えなければ憂いあり2)

8月8日の日経新聞朝刊第5面「リーマンショック第2幕」と題する紙面に(根拠を書いていませんが、)今後「廃炉や放射性物質除染費用に数十兆円必要との見方もある」と書かれていました。
8月10日に紹介したように何しろ使用済み燃料棒のウラン235だけで約130トンもあり、上記のように今後の除染や廃炉費用だけで数十兆円必要の見方が出ているというのに、8月18日に紹介した原発賠償法第7条では1基当たり1200億円以内の供託で足りるようになっています。
これですべての被害を賄えるような印象・・・政府の政策・・法律がそうなっているのは、この法律を造った当時の政権の責任です。
これは一種の営業保証金であって総損害がこれで足りるという性質のものではなかったでしょうが、供託金がこのように低いと関係者は何となくこれさえ用意しておけばいいような気持ちになりがちですし、実際そのように運用して来たのでしょう。
この辺は、August 23, 2011「損害賠償金の引き当て1(保険1)」以下で賠償引当金を会計処理上要求していなかった監査法人・会計事務所にも責任があるのではないかと書きました。
民間の自主的な会計処理に委ねないで、(充分な引当金を会計上要求していたら、大赤字で経営が成り立たなかった筈ですから、そこまで会計士が要求しきれなかったのでしょう)今後は原子力施設一基当たり数十兆円の基金積み立てがなければ設置を認めないくらいの厳格な設置基準が必要です。
事故が起きたらその企業どころか業界全部束になっても損害を賄えない・・・・政府すら全部賄う資金がなくて国債に頼るしかない・・結局は国民の懐を当てにしているのでは、国民は安心していられません。
原子力発電に関しては、東電や原子力安全・保安院など多くの官僚や学者がチェックしているので、五重の安全網などと豪語していながら、もしも事故が起きたときに備えた手順をまるで用意していなかったことが明らかになっていますが、これと同じように、イザというときの避難マニュアルもなければ賠償システムもなかったし、賠償資金の準備も全くしていなかったことになります。
政府(これを決めたのは自民党政権時代ですが・・・)は何を根拠に1200億円以内で充分と考えていたのでしょうか?
原子力の安全基準・・その先は分らないから安全ということにしておこうとするのと同様に、1200億以上ではなく「1200億もあれば充分」というとんでもない基準で運用していたことが、この法律とこれを受けた業界の会計処理・・それ以上の引当金処理しなくとも適正だとする会計処理がまかり通っていたとすれば・・会計事務所の責任というよりは、原発推進派の政府関係者の暗黙の合意であったことが明らかになります。
事故がなくても、いつか莫大な廃炉費用は必要なことですが、これについても経理処理上どうなっていたのか心もとない感じです。
法律上全面的賠償責任が明記されている以上は、これに対応する適正な損害引当金が準備されていなければ法の要求するコスト計上不足なのに、(法律を無視しようとする暗黙の政治的合意が仮にあったとしても法律違反の談合に過ぎませんから、これに従って)法の要求を無視して適正意見を書いていたとすれば、会計監査法人の責任は免責される余地がありません。
とすれば、適正意見を信じて株式を保有していた株主から株暴落によって損を被ったことによる損害賠償請求の対象になる可能性は否定出来ません。
もしも適正な引当金処理をしていななかったにも拘らず会計士が適正意見を歴年書いて来たとすれば、(支配層の暗黙の合意があったとして)法を守るべき国の支配層が法律違反を推進していたことを明らかにするためにも、損害賠償請求を株主が提起すべきかも知れません。

原発のコスト11(備えなければ憂いあり!)

最近は原発のコストが安いと言う正面からの解説が減りましたが、その代わり、脱原発を言うとヒステリック・パニック的反応だとして議論をしないで問答無用的に切り捨てる論調が増えてきました。
論争に負けると、社会勢力の強い立場の勢力にとっては、いつもお決まりの方法ですが、戦前では非国民のレッテル、戦後から昭和年代末までは「あいつは赤だから・・」等の言論封殺方式がいつも出て来ます。
コスト論を言うならば、今回の大事故の損害を全部自己費用で賠償をしても(政府保障なしでも)東電は儲かっているという計算を示してからにすべきです。
電源喪失は想定外という言い訳自体が怪しいことが分ってきましたが、今になると「従来通りの安全基準でこれからも原発は絶対安全です」とはいくら厚顔な人でも言えなくなっていますが、コスト論だけはどうして従来コスト計算のままでで「安い」と言い張っているのでしょうか?
業界一丸になっても東電の一事業所に過ぎない福島原発の起こした損害賠償資金を準備していなかったし、賠償資金を市場で借りることすら出来ないほど賠償能力がない・・これをきちんとコストに含めていたら原発コストはいくらになったのかの計算を示してから安いか高いかの主張をすべきです。
日通でもヤマト運輸でも、日本航空でも一事業所で起きた事故の賠償金ぐらい現金または手元流動資金で用意して持っているのが普通の経営と言うものでしょう。
今回の大震災で言えば、千葉でも化学工場が爆発炎上して燃え尽きるまで燃え続けましたが、その爆発でその会社の経営がどうなったという話を聞きません。
あらゆる企業にとって、もしも事故があったらどうするかのマニュアルを用意しているのが普通です。
「当社は充分な安全対策を施しているので、保険も何も要りません・・まして爆発炎上などまるで予定していないので消防に連絡したり避難したり周辺住民への連絡体制もマニュアルにありません」という大手の会社はないでしょう。
万全の安全対策をしていても事故はあり得るのでもしも事故になった場合のために、それなりの備えをしておくべきことは産業人の常識ですが、東電にはその常識がなかったから、イザというときの資金備えもなければ対応マニュアル・・電源喪失時の手動マニュアルがなくて泥縄式に対処して時間を食ったなど・・もなくてオタオタしてしまったのです。
「安全です」の呪文に酔い痴れていて何も準備しておらず、結果が出てみると業界束になっても払えない・・事故が起きてから、賠償資金を捻出するために世間から借金するための社債発行の仕組みを漸く整えたところですから、(泥縄式どころの話ではありません・・)事前に賠償基金を東電だけではなく業界全体で合計しても充分に積み立てていなかったことが証明されました。
電源喪失自体については日本のような地震の心配のないアメリカでさえも、30年前から検討すべきテーマになっていてこれが日本でも指摘されていたのに、そんなことまで一々し心配してたらコストがいくらあっても足りない・・割り切るしかないという論法(班目原子力委員長の浜岡原発訴訟での証言です)で無視して来た結果がこれです。
電源喪失は想定外の津波よる被害だけではなく、その後の余震程度でさえも電源喪失があちこちの原発で起きてギリギリのところで回復した事故が起きているのですから、身近にいつでも起こりうる事故だったことが分っています。

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