指導力と事前準備

今回の大震災事故に関して、総理や政府の指導力不足を議論する人がいますが、我が国は古来から、合議のまとめ役・世話役がオサの仕事ですから、これに軍隊の指揮者のような指揮力を求めるのは無い物ねだりです。
ただし前回書いたように、政権が安泰な時には事実上の指導力があり、閣僚も従いますが、指導力の実態は、その下の実務官僚が動くか否か、動く気になっても事前の準備があるか否かにかかっています。
むしろ我が国では上からの号令ではなく、司ツカサに任せればその司ツカサで最大限の臨機応変の工夫・能力を発揮する社会ですから、(工場の生産性も研究者・研究所長が決めるよりは現場の工夫によるところが大きいのが我が国の特徴です)この伝統の上に(大統領制ではなく)内閣制度があるのですから、合議のチェアーマンの役割に慣れていない・・あるいはそのような資質の菅総理がいろいろと口出しして却って現場が混乱した結果が出ているのは、我が国歴史経緯に照らして当然です。
原発の海水注入中止問題も管総理があまり細かく口出しするので、東電としては総理の指示あるまでうっかり何も出来ないと感じた・・不快感を持ったことが騒動の原因です。
むしろ避難行動その他を見ていると事前指示・計画に頼らず、現場の判断で予定避難地より遠くへ避難させて多くの児童が助かったりしていますし、避難所でも現場での自然発生的助け合い役割分担が出来ているようです。
また2011、5、27日午後10時前の北海道占冠村でのトンネル内でのJR特急火災事故でも、車掌の指示は「電車から勝手に出ないで下さい・そのまま待機していて下さい」と言うものでしたが、もしもそのまま指示に従っていたら全員蒸し焼きになるところでしたが乗客の機転で全員が車内に逃げ出して、トンネル内を走って逃げたので奇跡的に全員無事に逃げられたことが報道されています。
被災地付近の病院の例でも、余震がある都度役割分担を決めなくともある人は直ぐにエレベーターに走って閉じ込められた人がいないかの確認に行くなど、それぞれがいつの間にか自分で走って行って自分なりの役割を果たすようになっているようです。
現場任せ体質社会ではその場限りの応急措置には間に合いますので、イザと言う時には現場の実情が分らない中央からの指令が必要がない・・あると逆に混乱する感じです。
幕末に来日した欧米人の誰かが書いた文書では、日本人は使いにくいが任せると頼んだ以上のことをしてくれるすごく良い関係になると言うくだりがありました。
その代わり現場力頼みでは、大きな構想力・・未曾有の大事故に対する予めの備えにはなりませんから、我が国で政府に求められているのは、大きな構想を立てることと現場が臨機応変に動き易いような資材その他の設備の備えをすることでしょう。
事前の避難地域の指定・・これが頭に入っているとこの予備知識の上に更に遠くへ逃げるべきかどうかの次の判断に繋がりますが、何の想定もなしにいきなり現場の判断となると現場に事前情報がない中で判断するのですから、混乱してしまいます。
今回の津波被害では、殆どの学校では全員無事に逃げているのに対して、石巻市の大川小学校では事前に避難場所すら決めていなかったために当日混乱してしまい、津波の来るまでの50分間のうち避難場所決定まで40分もかかってしまい、避難途中で津波に巻き込まれて児童の7割も死亡した大惨事になってしまったことに対する学校による報告集会が開かれたことが、6月5日の日経朝刊に掲載されています。
予想外であろうとなかろうと普段からの準備があればその先の対応を現場で応用出来るのですが、想定訓練・予備知識がないと現場付近の地図やその他の情報が頭にしみ込んでいないので、イザとなったらどこに行くにはどう言う道筋が良いかも分らず現場力も発揮出来なかったのです。
例えば避難先に関して言えば、事前計画があれば、避難先の選定に際してどこが良いかの複数以上の候補地があって、そこまで逃げなくても大丈夫かどうかの議論の過程で、一定の場所が決まるいきさつがあるので、(危険・安全な順の①・②・③の候補地から中をとって②に決まったような場合)会議に参加したり関心のある人は、そのときの咄嗟の感覚で今回はこの辺で様子を見て・・とある程度の見当がつきます。
危険感の強そうな時にはもっと安全な候補地③まで逃げようかと、現場対応が即決し易くなります。

各団体の長(総理・内閣法3)

われわれ弁護士会のような組織でも会長が選出されることになっていますが、実態は世話役です。
(ここ20年ほどは行動力が求められるようになったので、ある程度のリーダーシップが求められるようになっていますが・・・。)
自治会や町内会長を見れば分るように本来は世話役に過ぎません。
「◯◯の長」とは、明治以降指揮命令する意味で使われて来た漢字の意味からすれば、会社を除く多くの組織での実体は違うので、国民は混乱します。
明治以来の運用と諸外国の物まねでムード的に社長に限らず、総理までが指揮権・能力が必要な印象になっていますが、縄文以来の気の遠くなるほど長い間の我が国の歴史から見れば、いきなり総理に軍隊の指揮者のような指導力を求めるのは無理があります。
合議を取りまとめる歴史を前提に我が国では明治維新の結果、憲法を造った時に大統領制を採用せずに議院内閣制を採用し、しかも総理は閣僚に対しては同輩の上席に過ぎない仕組みにしたのです。
(明治憲法では、天皇の大権を輔弼するだけの建前でしたから、維新以来の二官八省・・太政官制度は言うまでもなく、平安時代の朝廷での合議制度の歴史・・思想的にも一貫していました。
戦後の総理は単なる首班ではなくなったことが明らかですが、総理の指導力はそこまでに過ぎず、個別の閣僚・各省大臣に対する個別問題に関して指揮命令権はありません。
(意に反する閣僚の罷免権がありますが、実際に閣僚の造反に直面するときは内閣の危機状態に陥ったときですから、普通は政権が持ちません・・裏返せば政権が安泰の時には、閣僚は総理の指導力に従うことになるでしょう)
総理は国務大臣を罷免権で脅せるだけであって、閣僚は閣議決定に従う義務はありますが、担当省庁の個別問題について総理からの(閣議決定ではない)直接指揮を受ける関係ではありません。
行政権が総理にあるのではなく「内閣」にあることになっていますので、総理が行政を行うには閣議を経なければならないのです。
以下に憲法と内閣法を紹介しますが、内閣法8条によれば、総理は(各省大臣の担当職務行為について気に入らないことを)中止させることが出来ますが、具体的な内容指示は閣議で決めなければならないことが分ります。
内閣制度については、06/03/05「唯一神信仰と独裁2・・・・多神教の国と合議制2(内閣法1)」07/07/06「戦後の内閣制度13(憲法174)内閣法2」まで連載したことがありますので、関心のある方はそちらも参照して下さい。

  日本国憲法

第六十五条  行政権は、内閣に属する。
第六十六条  内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
○2  内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
○3  内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
第六十八条  内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
○2  内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
 第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指 揮監督する。
第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二  外交関係を処理すること。
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五  予算を作成して国会に提出すること。
六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
第七十四条  法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

  内閣法(昭和二十二年一月十六日法律第五号)

四条  内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
○2  閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
第八条  内閣総理大臣は、行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる。

取締役の責任2(第3者に対する責任)

 

取締役の権限とその責任に関する会社法の条文を紹介しておきましょう。
以下のように取締役会には、2項1号で業務執行の決定権があるので、業務執行の当不当(違法でなくとも)の結果責任がすべて取締役会に帰するのは当然です。
ついで、2号で取締役の職務執行の監督権もあり、監督に従わない時には3号で代表取締役の解職権もあります。
ここで解任と言わずに解職と言うのは、取締役の選任と解任は株主総会の専権事項ですから、取締役互選による代表取締役の職務を解くだけだからです。
この監督・解職権限を適切に行使しないまま放置しておいて代表者の取引行為等で第三者に損害を与えると、429条で職務懈怠として損害賠償責任を負うことになっています。

会社法
(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(取締役会の権限等)
第三百六十二条  取締役会は、すべての取締役で組織する。
2  取締役会は、次に掲げる職務を行う。
一  取締役会設置会社の業務執行の決定
二  取締役の職務の執行の監督
三  代表取締役の選定及び解職
3  取締役会は、取締役の中から代表取締役を選定しなければならない。

(役員等の株式会社に対する損害賠償責任)

第四百二十九条  役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。
2  次の各号に掲げる者が、当該各号に定める行為をしたときも、前項と同様とする。ただし、その者が当該行為をすることについて注意を怠らなかったことを証明したときは、この限りでない。
一  取締役及び執行役 次に掲げる行為
イ 株式、新株予約権、社債若しくは新株予約権付社債を引き受ける者の募集をする際に通知しなければならない重要な事項についての虚偽の通知又は当該募集のための当該株式会社の事業その他の事項に関する説明に用いた資料についての虚偽の記載若しくは記録
ロ 計算書類及び事業報告並びにこれらの附属明細書並びに臨時計算書類に記載し、又は記録すべき重要な事項についての虚偽の記載又は記録
ハ 虚偽の登記
ニ 虚偽の公告(第四百四十条第三項に規定する措置を含む。)
以下省略

上記のように取締役の責任は重大ですが、よほどの背任的行為がないと社長の暴走を実質的には部下に過ぎない取締役が止めるのは難しいことです。
取締役には、社長に対する監視責任ではなく、執行部の一員として一心同体で事業をして来た以上は代表者に過失があって第三者に迷惑をかけたとすれば個々の取締役に過失がなくとも無過失の連帯責任とする条文にして、代表取締役や取締役会を監視するには取締役制度をいじるよりは別の監督機関設置・・例えば監査役の強化を図る方が合理的な感じです。
ここ数十年かけて監査役制度の充実強化が図られてきました。
監査役も、選出母体が同じでは結局大した監督が出来ないことは外部取締役と似ていますので、選出母体の工夫が重要です。
株主総会での対立グループが選出出来るような工夫があればいいと思いますが如何でしょうか?
以下現行の監査制度の条文を紹介しておきます。

 第七節 監査役
(監査役の権限)
第三百八十一条  監査役は、取締役(会計参与設置会社にあっては、取締役及び会計参与)の職務の執行を監査する。この場合において、監査役は、法務省令で定めるところにより、監査報告を作成しなければならない。
2  監査役は、いつでも、取締役及び会計参与並びに支配人その他の使用人に対して事業の報告を求め、又は監査役設置会社の業務及び財産の状況の調査をすることができる。
3  監査役は、その職務を行うため必要があるときは、監査役設置会社の子会社に対して事業の報告を求め、又はその子会社の業務及び財産の状況の調査をすることができる。
4  前項の子会社は、正当な理由があるときは、同項の報告又は調査を拒むことができる。

取締役の責任1

 我が国の企業体では内部昇進(社長に抜擢されるの)が原則ですので、取締役は大名家の家老のような意識・存在で社長に忠誠を尽くすことが予定されている意識です。
取締役が会社に対する忠実義務に反して会社に損害を与えれば損害賠償責任があるのは理の当然で、誰もこれを怪しまないでしょう。
しかし、会社(社長独走)の不法行為で会社が第三者に損害を与えた時に、社長の暴走を止めなかった平取締役に対して取締役会の社長に対する監督責任を問える仕組みが商法時代(266条の3)→から現行の会社法(429条)に引き継がれています。
家老的立場に上り詰めた取締役としては忠誠心を試されるのは分りますが、社長に対する監視責任・・役割を法律で決めてあると言われてもピンと来ませんし、実際には機能しないのは当然です。
いくつかの取締役選出母体があってそれぞれの選出母体の利害に基づいて取締役会議で合議するのではなく、社長の一存(忠誠心と忠誠心発揮能力レベル)で取締役に抜擢される現状を前提にすると社長に対する監視・監督責任が法律に書いてあるからと言う理由が強調され、巨額賠償を請求されても、追求される取締役としては違和感があるでしょう。
ときに社長による企業の私物化・暴走が止められない事件(三越の岡田事件その他有名な事件も一杯あります)が起きるので、一罰百戒的に取締役の連帯責任が強調されているのでしょう。
責任を問われた多くの取締役は、自分の上司である(主君のような感覚の)社長に対する監視責任と言われても心からの納得をしていないものの、「一緒に一生懸命やったのだから、社長一人の責任ではなく自分もその結果責任を問われるのは仕方がない」と言う諦め方で受け入れているものと思われます。
選任経過やわが国の歴史を前提にすれば、監視責任を問うよりは上(主君・・今はトップと言う言い方がはやっています)を支えるために一心同体の行動をして来た共同行為責任を問う方が、責任を問われる方の気持ちにしっくりします。
内閣の連帯責任と似ていますが、内閣の場合政治責任の連帯・・総辞職があるだけで、損害賠償責任まではありません。
営利団体である会社の場合、ウマいことするだけ一緒にしていて辞職だけすれば良い・解任(政治責任)だけでは済まないので、経済上の責任を求める必要があるのでしょうか。
内部昇進の取締役に自分を抜擢してくれたトップを監視するのを期待するのは無理があるので、最近しきりに外部取締役の必要性が宣伝されています。
上下関係がない点はいいのですが、監査役同様に自分に声をかけてくれた現執行部に義理があるので意外に面と向かっての反対意見を言い難いのと、外部取締役は同業他社でない限りその業界の仕事に精通していないので(世界企業の場合)膨大な案件が上程される取締役会でマトモな意見を言えない・・反対の論陣を張れないところにあります。
ある事業案件に一緒に同意したから・・あるいは反対していなかったから、その失敗の責任があると言われるのでは、荷が重すぎます。
まじめに考えれば、社外取締役など滅多に引き受けられない筈ですが・・・。
次回紹介するように「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったとき」(会社法429条)だけですが、どんな場合に悪意重過失になるかについては平成17年に会社法制定される前の商法266条(条文の文言は同じです)の時代に膨大な判例の集積があります。
我々中小企業相手の市井の弁護士にとっては、商法266の3の旧条文は、個人事業主が倒産等で個人責任を追及したりされたりする時にいつも使われていた有名な条文でした。

各団体の長の役割1

話題を各種団体のリーダーに戻しますと、佐倉義民伝の佐倉惣五郎だってそうですが、みんなの意見で代表・責任者に推されただけであって特に特定の意見を押し付けたりする指導者とか号令するような役割ではなく・・我が国のトップの実質は責任者に過ぎません。
明治までは組織の責任を取るだけで、いろんな団体や組織の責任者の名称として莊屋とか名主などがあっただけでした。
明治以降、区長や戸長、市町村長、校長・学長・塾長・寮長・級長すべての分野で指揮者の号令一下、動くような「長」と言う漢字を持って来た事自体、違和感があったでしょう。
元々「長」の語源は年長者や長老・・年功によって相応の智恵のあるものですから、組織や団体にはご意見番として知恵者が何人かいるのは当然ですが、近代軍隊制度が発達した以降、組織の長となると突撃隊長をイメージする指揮命令権者をイメージするように変化しています。
明治政府の指導に従っていろんな組織では、すべて責任者の名称に「長」をつけることになっていますが、(小は小さな家の「家長」に始まり町内会長、村長、町長、市長があり、対等な仲間で作る筈の各種協同組合まで、組合長や理事長があります。
しかし、長の名称ばかりが広がり過ぎて学校長、裁判所所長、工場長,営業所長などは,具体的に何をして良いのか分らない感じです。
校長はすることがないので朝礼で訓示したり草むしりをしていますし、平均以上の規模の裁判所所長はあちこちの会議に出て挨拶をする仕事が中心です。
営業所や店長も同じで毎朝ミーテイングと言う朝礼をして格好付けていますが,営業マンの先輩としてのアドバイスなどの仕事がたまにはあるでしょうが,それ以外に長として何を指揮命令するのかが見えません。
工場長だって同じで各部門は部門ごとで動いているので、工場長自身も職人や部門長を兼ねない限り自分で何かする仕事がありません。
私が修習生をしていた当時の宇都宮地裁では裁判官が所長を含めて全部で6人程度でしたので、所長も事件を担当して自分で裁判をしていましたし、それ以外の所長としての仕事は(何年に一回あるかないかの営繕関係を除いて)まるでありません。
刑務所所長も各部門別にやっていて、部門長の会議を所長が主催しているだけでしょうし、校長も職員会議の議長でしかなく、裁判所長も裁判官会議の議長に過ぎません。
このようにわが国の組織では必ず長を置くことになっていますが、実際には合議の議長役として機能しているのが普通です。
古代の国司の仕事は司会役・・議長役程度だったのではないかと May 6, 2011「州の刺使と国司」May 20, 2011「郡司6と国司」等で書いてきましたが、この習慣が今でもいろんな組織で続いているのです。
ただし、営利団体の会社の場合、平安中期以降勃興した武士団の「長」と同じで、社長はまさに陣頭指揮命令権者であって、社長を選任し監視すべき取締役は(以下に述べるように法的には違いますが実際上)指揮命令を受ける部下(部門長)に過ぎません。
この違いは何かと言うと,対外的に一団として行動することが日々求められる集団(会社や武士団)と存在そのものが安定していて内部処理だけの組織(国司は隣国との国対抗戦争をしません)の違いとも言えます。
会社の場合、戦国大名同様に日々食うか食われるかの競合他社との戦いの連続ですから、社長は各部門の報告を聞いたり、司会したり、訓示を垂れたりだけでその他の時間はのんびり草むしりしている訳には行きません。
日々指揮命令する会社では社「長」と言う名称はぴったりして来る反面、社長の指揮命令を受ける取締役が法律上社長の行動を監視する役目にあると言われても実態に合わずにピンと来ない人が多いでしょう。
会社制度はリーダーシップを求められる社会であるアメリカがリードして現在の法制度が造られているのですが、リーダーシップの強い筈のアメリカで逆に社長の権限牽制システムが理念とされているのに対し、合議制社会の我が国で逆に取締役の監督機能が弱いのは不思議です。
アメリカでは,大統領の権限が強い代わりに議会や裁判所がしっかり監視する仕組みになっているのと同じで、社長権限が強いからこそ監視機能が必要だと言う割り切り方(企業統治にも3権分立の精神が貫徹されています)があるからでしょうか?
わが国の場合、原則として合議制運用で来たのでトップは暴走出来ない前提があって、暴走に対する外部的歯止めが歴史的に用意されていないところに問題があるようです。
あまりにもひどい君主が出た場合に時々行われていた家臣団による君主押し込めのような、一種のクーデターに頼る形式と言えるでしょうか?
そういえば三越百貨店の岡田事件の決着も家臣団的な取締役によるクーデター形式でした。
わが国の会社の場合、実際に社長の権限は強化される一方ですから、我が国でも突発的なクーデター形式に頼る是正しかないのでは法的安定性が害されますので、今後は暴走を阻止するための担保制度が遅ればせながら必要になって来ています。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。