発明等対価算定2

そこで一審判決では全額認めず2分の一にして相当性検討したかのように装っている(通説の相当因果関係論)のですが、寄与分が半分という結論づけは結果ありきで粗雑すぎるでしょう。
ネット報道と違い判決書自体には、相当性を担保すべき相応の説明をしているのでしょうが、膨大な関係者の工夫次第でその後の発展が変わるのを「神ならぬ身」でこれを発明時に将来を見通してどうやって合理的評価できたと認定したのか不明です。
報道関係者の理解を超えているから、合理的説明報道できず?「この発明なければ日亜がこれだけの利益を上げられなかったから「寄与分半分」と決めたような解説が流布しているのでしょう。
しかし、「これがなければ現在の結果がなかった」という論理は、条件的因果関係があったことを示すにすぎず、寄与分算定に使う論理ではありません。
親が産まなければ、彼はこの世にいなかった=この発明もなかったとなるのですが、途中挫けそうになったときに妻の支えがなかった場合続かなかった・これも半分?何かの病気で一命をとりとめた・・このとき手術してくれた医師がいなかったら・・これも半分?社長が研究をさせてくれなかったら・・これも「半分」と言い出したら半分の権利を持つ人がいっぱいになってキリがありません。
このように条件的因果関係と発明の寄与分判定とは関係がないことは誰でもわかることです。
こういう関係は個人が感謝の念を説明するレトリックであって、合理的分配の論理ではありません。
野球試合で言えば、試合に勝つには多くの関係者の功労の積み重ねで勝てるのです。
5対5の同点延長回に代打起用した選手のヒットで1点とって勝利した場合、その選手のヒットがなければ勝てなかったのでその代打選手功労が半分、その前に2塁あたりまで出塁していた選手の功労が半分(2人で1点得点なので2人で半分の功労?)、代打起用した監督の采配成功が半分の功労、その前に5対5=延長試合に持ち込んだ選手の功労(ホームランばかりではないので 1点取るには出塁者が最低2人以上とすれば最低10人の功労が一つでも欠ければ最終回4点で延長にならなかったので約10人がそれぞれ半分の功労です。
10人に一人一人に半分功労を認めると合計でどうなるのかな?
そもそも芸術分野と違い現在の発明発見といっても、常温超電導技術の開発競争に関して01/11/03「文化発信国家へ(教育改革の方向)1」その他で何回か書きましたが、
理化学系の研究はすでテーマが決まっていて、いかに他社に先駆けて成功できるかの先頭競争が原則化しています。
最近では、京大山中教授のIPS細胞の研究成功も、数年前にデータ偽装で話題をさらった理化学研究所の小保方氏の研究発表もおなじですが、研究テーマ・方向性がある程度決まっている先陣競争です。
細かく言えば、山中氏も中村氏も開発手法が独創的だったからノーベル賞受賞になったのでしょうが、ここでは大きな最終目標を書いています。
発光ダイオードも成功すれば夢の商品になるということはすでに決まっていて、その開発成功の一番乗り競争(ガリーム系のコースを突き詰めたのが当時の主流と違うというだけ?)をしていただけですから、もしも彼が成功しなくとも後1年〜2〜5年後に誰かが成功していたかもしれません。
そういう場合、実用化が1〜2〜5年遅れただけのことで受けた人類のメリットもそれだけの時間差でしかなかったのです。
この辺が葛飾北斎の絵は彼がいなくとも10〜100年後に同じ絵を描けたか?との違いです。
発光ダイオードの場合、電飾や家庭内の日常的照明器具に広げるにはデザイナーの能力とそれに適応する製品工夫等の総合作用ですから、分野分野の工夫等の功績を差し引いていく必要があります。
発明時点で発展性があるとわかるだけであって、その時点で上記各分野の工夫がどういうものかどういうコストになりどういう儲けにつながるのか不明なので、科学的に算定することは不可能です。
いわゆる「神のみぞ知る分野」ですので、開かれた市場がある限り市場評価に委ねるのが合理的です。
そして高裁判断は当時の市場評価を分析した結果だったので市場・投資業界を含む評価を得たのでしょう。
これを受け入れるしかなかった中村教授の自己評価および周辺関係者の評価が市場相場に比べて大きすぎたことを自ら認めたことになります。
特許対価とは言えないかもしれませんが、画期的成功と囃し立てられた新事業の4〜5年の後の結果事例として以下の記事を引用します。
19年9月18日の日経新聞朝刊1pには、

2013年当時東大助教の中西雄飛氏が、アップル上級副社長アンデイルービン氏から「20年かけてでも大きな夢を実現しようと声をかけられて二足歩行ロボット開発ベンチャーをシャフトを売却するきっかけだった。ところがルービン氏が退社すると18年にシャフトを解散5年で見切りをつけた。」

とあります。
5年後に同副社長が退任すると解散になった・・これ以上開発努力してもモノになりそうもない・アップルが見切りをつけた事例紹介です。
画期的発明発見の報があると世界企業による「種や芽のうちに早く仕入れて大きな果実を得ようと買収競争・・青田買い?が盛んですが、そのうちどれだけ芽が出て果実をとれるかのリスク次第ですので、そのヨミ次第でタネや芽の評価・相場が決まるようです。
テスラがメデイアの寵児となり、時流に乗り遅れまいとトヨタやパナソニックなど日系企業が連携を深めましたが、いつまでたってもテスラの生産が軌道に乗らないのでトヨタは早期に縁を切りましたが、パナソニックはなお電池共同開発を続けるようです。
部品製造業としてパナソニックは、テスラの将来性は別として今のところ採算ライン(赤字でさえなければ)で買ってくれればいいという気楽な面もあるのでしょうか?

発明等対価と顕彰(ノーベル賞)1

中村教授のノーベル賞受賞と、司法判断との関係を考えていきます。
ノーベル賞の存在意義をこの機会に考えてみると、画期的発明発見あるいは業績が人類の生活向上や文化・文明発達にいかに役立つものであっても、すぐに経済利益に結びつかないことを前提に、後世の人類の利益?福利に貢献すると認められる成果に対するご褒美(副賞としての賞金額は微々たるものでしょう)として存在意義があるのではないでしょうか?
この辺は人間国宝とか各地の顕彰碑等々も同じ思想によっているように思われます。
将来は平和貢献・・例えばある戦争を終結に導いた功績・・戦争勃発直前の緊張を平和裡に解決した経済価値が何兆円と算出できる時代が来るかもしれませんし、ある詩文が、人類の癒しに与える功績を現在価値に換算する公式が発明されるかもしれませんが、当面は経済価値を算出できないのが現実です。
対外戦での功績・領土拡張の功績やため池を作った場合など、今すぐに地域利益に貢献しないが、将来の年金的なプラス功績がある場合に年毎の地域収入増加に報いるために一定領地を分封して将来の褒賞を年金的に支払う仕組みに一定の合理性があったことを「中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1」Sep 15, 2019 12:00 amに書いたことがありますが、今は世襲制がタブーになっているので名誉を称えるしかないのが現状でしょう。
ノーベル賞や文化勲章受章は作家の場合、作品が受賞によって爆発的に売れて作家に大金が転がり込む副次効果程度でしょうか?
作家でない場合には一時的に、講演会のお呼びが増えるのかな?
ノーベル賞は経済的対価を得にくい業績に対する顕彰目的に存在意義がるとすれば、ノーベル賞受賞で中村教授が見返したつもりとすれば、筋違いであったことがわかります。
画期的商法で大儲けできた人はそれで十分であって、それ以上に顕彰する必要はないでしょう。
儲けられないから顕彰するのです。
人間国宝等の芸術面ではなく経済的発明の場合でも、古くはアダムスミスの国富論に始まり〜リカードやケインズ理論など経済学等の新理論亜g出ると世界経済運営に与える影響も大きいですが、これに対する価値の算定方法がない・大学教授職や名声程度しか対価がありません。
産業に直結しそうな化学発明も元はこのような対応だったのでしょうが、今は先物取引市場が発達していて目に見える商品先物(コメの先物取引は、すでに江戸時代に堂島で始まっています)だけでなく、発明や特殊新規商法があたった場合の新興企業の買収・・創業価値も一種の先物取引的直感力の値決めで上場する時代です。
これにファンドなど投資家(金を出すとなればシビアーです)が呼応するか横を向くかによって市場価値が決まっていくものです。
発明と関係ないかもしれませんが、いわゆるIPO?目的でソフトバンクGが今年1月に買収したばかりのウイーワークが上場延期に追い込まれたのは公開前の事前購入打診で思うような反応がなかったことによるものでしょう。
詳細不明ですが、プロの買収でも大勢の市場参加者(資金を実際に出す者)の評価と大幅な乖離があったことを示しています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49608050Q9A910C1000000/?n_cid=SPTMG002

IPOに向けて最大の懸案は公開価格だ。ウィーの主幹事が投資家への聞き取りをもとに条件決定時の想定時価総額を算定したところ、200億ドル程度にとどまる見通しとなった。ソフトバンクGが1月に出資した際に見積もった評価額は470億ドルだった。わずか8カ月で価値が半減したことになる。
市場では「ソフトバンクGが出資時に高い価格を払いすぎた」との見方もあった。

もっと言えば株式市場の相場自体が数ヶ月先あるいは数年〜10年先の企業業績見通しでその日の相場が決まっていく点で先物市場の一種と言えるでしょう。
古代の熟語「奇貨おくべし」も始皇帝の親「子楚」(のちの荘襄王)の将来性に目をつけた商人=のちの呂氏春秋で知られる呂不韋が言ったか思った気持ちの表現として残っています。
農家の青田買い同様でいつも先に先に目をつけた方が、うまく行けば利幅も大きい代わりにリスクも大きくなるものです。
絵描き等の人物評価はその道のプロであれば、その子や若者が将来ものになるかどうかすぐわかるでしょうが、化学・科学発明がどういう商品の基幹技術になり、それがどのような商品開発に繋がり大化けするかは、その他の分野別発明家の関わり方次第・・不確定要素が膨大です。
将来を現在価値に落とし込むのが市場評価とすれば、将来それを商品化しいろんな分野に使えるように工夫する人たちの功績も加わってのことです。
ノーベル賞の場合には、この不確定要素を捨象したうえで大元の原因になったことを高評価顕彰しているに過ぎません。
トランジスタの発明はソニーの商品化成功によって大化けしたのですが、その売り上げの大半は商品開発販売(そのためには膨大な工場や店舗投資や販売人員や広告宣伝費(商品デザインや広告宣伝の出来不出来によるのでデザイナーに帰する部分があるなど)に成功したソニーに帰するし、ソニー開発技術を踏み台にさらに新たな商品開発に成功した場合もその新商品開発者に売り上げの大半が帰するべきです。
発光ダイオード訴訟の一審判決は、こうした膨大な経路の寄与者の必須性を簡略化?して、現在結果は中村教授の発明がなければ存在しなかったことを理由に少なくとも二分の1の報酬を払うべきという論理だったようですが、これがなければ結果がなかったから2分の1という論理はどこかおかしいでしょう。
これがなければ結果がないというのは法学では、因果関係論では条件説と習いますが、落語のテーマだったか?「風が吹けば桶屋が儲かる」とかネズミの嫁入りの話に似て、一見論理的なようでいて、結論に無理のあるお話です。

科学者の政治活動

職人も政治論を主張する自由がありますが、個人的に友人知人間で言うのと違いメデイアを通じて大々的主張展開すれば、当然意見の違う人がいる→激しい批判をすればそれに比例して・意見相違を超えた政敵とも言うべき敵対集団も生じますのでその間の軋轢が起きます。
弁護士であれ科学者であれ一種の職人が、本業でない政争に参加すると敵が増えるので反作用として味方を増やしたくなるなどに時間をとられ職人としての本業への専念不能・雑念を抱えながら職人をやれるかの問題ですが、個人の選択の問題です。
弁護士の場合、政治運動的訴訟をしていること自体、プロとしての腕を磨く側面もあるので両立し易いようですが・・。
しかも左翼であれば左翼系の、右翼系であれば右翼系等々で相応の支持基盤が確立されているので、その世界で生きているかぎり精神的孤立もなく気楽です。
だからこそ弁護士が政治活動する人が多いし、政治家に転ずる人が多くなるのでしょう。
中村教授に戻しますと、本業は産業技術の研究開発ですから企業系と疎遠では研究活動自体が成り立ち難い関係です。
文化人やメデイアが日本批判を喜んでいくら応援して著名になっても、新たな研究テーマに対するスポンサーになってくれる企業がいなくなると新たな研究活動に支障が出ます。
彼は日本批判を繰り返してメデイアの寵児になっても訴訟で得られた金額は微々たるものでしかなかったようですが、ちょっと何かの研究をしようとすれば、数億や10億の自己資金ではなにもできないでしょう。
彼は当初自分の給与しか頭になかったかもしれませんが、企業協賛なく研究所を維持するには助手その他の人員の給与や各種実験設備の導入経費、家賃等の支払いで億単位の費用がどんどん消えて消えていきます。
この費用に追われて?米軍関係の下請け的研究を受注するには米国籍が必要だったような言い訳?をしているようですが、飛び出して見て却って世の中の厳しさを知ったのでしょう。
日本企業界と円満にしていた方がお金の心配がなく研究専念(したいならば)するには理想的環境だった可能性があります。
発明対価払えという訴訟は表向き経済闘争だったと思いますが・・それならば経済問題・・発明対価が低すぎる主張立証に精出せばよかったのに関係ない政治活動になぜ注力したか不明です。
政治力で司法決定に影響を与えられると思ったのでしょうか?
近代法の法理を守れと日常的に主張している法律家がなぜか、司法闘争と称して政治運動の一環とする場合が多いように思いますが、誤解でしょうか?
中村教授がその勢いで日本文化や業界批判までしてしまったので司法の結果にかかわらず却って日本での活躍の場を失い「おまんまの食い上げ」になったように見えます。
外国人でも優秀ならば日本企業は付き合うのですが・・ノーベル賞受賞者となって優秀な学者の折り紙つきになっても、中村教授に限って付き合えないように見えるのはなぜでしょうか?
日本教・集団倫理を積極的に裏切った男としてのわだかまり・・軋轢があるのでしょうか。
その当時の中村教授がどのような批判を展開していたのか知りませんが、中村教授からの修復提案に対して日亜化学が拒否の対応文書を見るとよほどのことがあったのな?という印象を受けます。
日本社会を裏切ったのか、日本を良い方向へ変化させるためには正しい主張だったのに頑迷固陋な日本社会が今後の日本のあり方として、中村氏の主張した考えを受け入れられなかっただけなのか?
日本社会は漸進的社会ですので「考え方はその通り」としながらも、急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
結果から見ればこの事件を契機に国内各社の研究成果に対する褒賞制度の合理化の研究が進んだ・・功績があったと思います。
日本社会は漸進的社会・何事も事前に十分詰めてから行動する社会ですので、中村氏の主張に対し、「考え方はその通り」としながらも急激な変革は困るというのが大方の受容態度であった可能性があるでしょう。
例えば、地裁判決のインパクトのおかげで高裁和解までの間には企業内研究業績に対する評価方法に対する意見発表が相次いで思考方法の整理も進んだらしく(具体的には不明ですが各方面からネット発信を含めて多様な意見が公表されたようです)、高裁和解案はこれを取り込んだらしく関連評論家研究者、市場評価(ファンド)関係などネットで見る限り概ね好評だったようです。
9月20日に紹介した記事では、「司法は腐っている」という中村氏の意見がありましたが、これに同調する評価メデイアは朝日新聞系だけだったようです。
一種の捨て台詞?的発言とみなされてしまったのでしょうか?
高裁の和解案では中村氏の主張はほぼ全面否定・・中村氏は勝てばその論理利用で次の訴訟も続けてやれるように温存して訴えていなかった分まで、まとめて元本6億の和解勧告だったらしいですから、(判決は請求金額以上に出ない仕組みですから、地裁で200億認定されたということは数百億以上の請求だったのか?)何百億の請求事件でまだ請求してしていない別件発明対価(いくらの請求予定だったかによりますが)を含めて6億というのであれば、請求予定額を含めても額の数%しか認められなかった?これではほぼ全面敗訴に近い結果です。
一般の個人事件に置き換えれば100万円の請求訴訟で2〜3万しか認められなかったようなみっともない比率です。
日亜化学とすれば五月雨式に訴訟を起こされると長期間訴訟を抱える社会的ダメージや訴訟経費がバカにならないので、訴訟テーマになってない分までまとめた解決案なら飲めるという条件提示でこうなった・・堂々たる無条件降伏を迫ったとみるのが普通です。
訴訟外のテーマまで解決の条件にされても応諾せざるを得なかった→全面敗訴に近い文字通り屈辱的和解だったのでしょう。
訴訟専門家が受諾を勧告するしかなかったということは、緻密な市場評価事例等と成功にいたるまでに企業の負担したコストその他資料や計算式が裁判所から提示され、相当の検討期間を経て、反論するに足る合理的資料等を提示できなかったことを示しています。

英国EU離脱2

製造業の雄である日系企業は米国に無理難題を言われても、報復関税や農産物輸入規制の報復能力がない・この点は第二次世界前の大恐慌の時に報復関税を掛け合うのは米欧であって日本は一歩引いていましたし、繊維〜電気〜鉄鋼交渉等の挙句のプラザ合意以降貿易黒字拡大はまずいとなって相手の懐に飛び込む戦略に徹してきました。
この戦略のよって米国への工場進出で地盤を築いてきましたが、海洋民族そのものである日本人にとって大陸系移民中心の気質の合わない北部へは進出しないで、南部から中部程度しか行かない点が南北戦争時との違いでしょうか?
表向き労組が強すぎるなど合理化して説明されますが、実態は気質が合わないからです・・この辺は欧州進出の足がかりの工場として大陸へ直接進出しないで英国を選んでいるのも同じです。
この点でトランプ政策によって農業が大きな犠牲になっていても今回は南部諸州が日系工場進出で潤っているのでもう一度反乱(南北戦争)を起こす必要がないようです。
「夢よもう一度」といっても北部製造業の復活可能性がないのではないでしょうか?
トランプ政策にラストベルト地帯が反応してトランプ氏当選原動力になったようですが、約2年余り経過して(国内に製造業誘致しても中南部に行くので)期待外れに終わりラストベルト地帯では民主党の勢いが増しているような報道も散見されます。
異民族移住の簡略化の功罪に戻します。
友人に「今度お立ち寄り下さい」と日を決めて招待した友人が遊びにくるのは良いとしても、招待しないのに勝手にしょっちゅう遊びに来られると困ります。
シェンゲン協定だったかで、EU加盟国間で国境を超えて自由に移動できるし就業制限もないようですが、ポーランド等からイギリス国民の意向にお構い無しにどんどん労働者が入ってくるのが気に入らないようです。
観光客でも多すぎると観光公害と言われる時代ですが、自由に入ってきて自由に国内就業までできるのでは、個人間交際で言えば自由に他人の家にズカズカと入って勝手に寝ているようなイメージです。
英国民のEU離脱決定は劇的変化の多いフランスと違い、着実な前進を好むと言われてきたイギリス国民性からすれば思い切りすぎた点で世界を驚かせましたが、それほど異民族との共存に対する不満を我慢してきたということでしょうか?
漸進的改革か撃発的改革の違いは、国民の不満が爆発するまで我慢を強いるか否かで決まることで民族性によるものではないでしょう。
フランス革命もロシア革命も暴発的であった分に比例してその後の混乱は大きいものがありました。
EU離脱の国民投票後ブレグジットが一向に進まないのは、旧来型価値観の教養人集団である議会が、手順を決めない乱暴な離脱方向決定後どういう手順で離脱するかの議論に入っている・・手順が逆になっている咎めによるとも言えそうです。
結婚式場も決めないで結婚式の日程を発表したあとでドタバタしているようなものです。
離脱手順を決めるのに四苦八苦したメイ首相が辞任せざるを得なくなり、従来からの(手順などどうでもいい?)強硬離脱論者の代表的人物であるジョンソン氏が首相に就任しました。
軟着陸目指す・・詳細取り決めにこだわる議会の抵抗を封じ、ジョンソン首相はなんらの譲歩もせずに=無協定期限切れを狙う・ともかくまず離婚してからその後のことは考えるという乱暴な離脱?実現を目指しているように見えます。
そのために対EU交渉期間と重複する期間中の大幅な議会閉会を決定したのは、議会に縛られる度合いの少ないアメリカ大統領のような権限を行使するための奇策だったでしょうが、この奇策はうまくかわされて、議会閉会前に交渉期限延期要求を義務付ける法案が可決されてしまいました。
ジョンソン首相はこれにも屈せずに、彼は交渉期限が来るまで事実上なんの提案もせずに交渉期限が過ぎるのを待つ・・無秩序離脱強行戦略のようでしたが、ついに提案したようです。
報道によると関税同盟を残さない離脱と言うらしいですが、公表されたばかりで私には内容不明ですが、焦点の北アイルランド問題解決の具体論が見えない主張に留まるようです。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-49917979

解説】 ジョンソン英首相の新提案、バックストップとどう違う? ブレグジット情勢
2019年10月3日
イギリス政府は2日夜、欧州連合(EU)離脱に向けた新しい協定案を発表した。メイ前政権による協定で懸念材料となっていた、アイルランドと北アイルランドの国境に関わる「バックストップ条項」に代わる案も盛り込まれている。

離脱実現後の混乱を防ぐためにどういう戦略がジョンソン首相にあるのか不明ですが、いずれせよ激動の予兆があちこちで噴出してきました。
19世紀型政治原理を完成したのが20世紀とすれば、これを激変させる予兆があちこちで見られます。
これらを極右政党の台頭とか、異端行為の頻発などと否定的評価さえしてれば、済むものではありません。
こうした変化にどう対応していくべきかを個人もいつも考えておくべきことでしょうし、これに対する発言も自由ですが政治論は政治の場で、文化論は文化の場で決めるべきであって民意によって選ばれていないシステム・訴訟のテーマにすべきではありません。
司法機関は政治論争の結果政治の場で決まったことをきちっと守っているかの判定機関すぎません。
訴訟の場で政治、文化論を戦わせようとするのは場違いでしょう。
職人は黙々と自分が満足できるまで精魂詰めてモノを作る・.絵描きは描いた絵で勝負し、音楽家は音楽で、料理人は作った料理で勝負すべきです。
作品を社会あるいは後世評価されたら良いのであって、所属社会が認めてくれないからと所属社会と喧嘩し、これを世間に広げる運動を自分でする必要はありません。

19〜20世紀型価値観の揺らぎと英国EU離脱

19〜20世紀型価値観の揺らぎ・・パラダイム変更の動きに戻ります。
2016年アメリカ大統領選でトランプ旋風によりトランプ氏が当選して翌17年から大統領になると旧習・前例無視の政治が始まり、ほぼ同時に英国では国民投票でEU離脱方針が決まりました。
その後米中高関税課税競争など20世紀に確立した国際関係のあり方に対する異議申し立て・変化を求める動きがあちこちで表面化してきました。
イギリスのEU離脱協議がどうなるか不明ですが、トランプ氏の予測不可能性・・異例の行動は個別問題の単発的行動中心ですが、イギリスの場合は自国の国家体制自体の変革ではないものの、EU参加によって事実上主権の多くが制限されていた状態の回復を目指すものですから国のあり方・一種の国体変更を目指すものでしょう。
トランプ氏のように単体ごとの既存ルール無視の積み重ねではなく、EUとの間で築きあげた濃密な関係の同時瞬間的ぶち切りと再構築作業ですので、国家枠組み革命的変更に近いやり方です。
いわば夫婦関係をいきなり解体すればそれまでの多方面の関係がブチ切れるのと似ていますが、夫婦関係の場合、縁が切れればその後の生活に関係がなくなるので新たな交際方法を決める必要が滅多に(子供の養育関連を除けば)ないのが普通ですが、経済共同体の場合、いわゆるサプライチェーンが網の目(毛細血管)のように構築されているので、簡単にぶち切って再構築するのは容易ではありません。
英国民の意思表示は、特にどこかと喧嘩したわけでもないのに離婚で言えば「性格の不一致」をいうだけです。
20世紀価値観で作られたEUの枠組自体に拒否感を示したいと言う感情論?です。
深く複雑な関係解消による大混乱を予測しながらもEUから飛び出したいと言うのですから、半端でない不満・・合理的説明ができないだけで皮膚感覚的に何かが合わないのでしょう。離婚同様に嫌なものはイヤッ!と言うべき皮膚感の違い・・・我慢できなくなった・・不満がたまり過ぎて後先見ずに爆発したということでしょうか。
国家と国家の間に障壁のある近所付き合いをこえて障壁のない濃密な付き合いになると、まさ憶測でしかないですが、大陸系と海洋系の生活気質の本質的違いに我慢できなくなったのかもしれません。
米国でも大陸系気質のドイツ系移民と海洋系の英国系移民とではまるで気質が違う・・こういうことを論じるのはアメリカでは合衆国の一枚岩維持の理念に水を差すのでこの種の表面化はタブーらしく、そう言う意見は外国に出てきませんが、何かのテーマで南部系と北部系が議論するとすぐにつかみ合いの喧嘩でもしそうなくらいの険悪関係になりやすいようです。
故なくヒスパニック系を揶揄し蔑む傾向があるのは、南北戦争で英国系をうち負かしたものの本家英国系を侮蔑することができないし、これをすると南北分裂になるので、代償作用・ともかく海洋系をバカにしたい持ちの発露・印象を受けます。
国際的常識?一般的になっているドイツ人気質とフロリダ等の南部アメリカ人のヤンキーなイメージとを比較想像すれば、民族性気質の違いは明らかでしょう。
嗜好で言えばデズニーの分布で見れば、南部にあっても北部にはないのでないでしょうか?
これだけ民族性が違うのです。
こういうドイツ系(といってもいろんな民族を含むようですが要は大陸系)と海洋国英国やイタリア等の海岸線出身系との気質の違いを論じるのはアメリカ分裂につながるので大手メデイアや、正統教育では表面に出ていないようですが、民族別に見ると民族ヘゲモニー争いに決着をつけた内戦がアメリカの南北戦争の精神的側面であり、この内戦にドイツ系(大陸系移民)が全面勝利した側面がありそうです。
この戦争の結果、真の米国統一が完成したようです。
日本人にはピンときませんが、南北戦争はアメリカは対英独立戦争を戦いとったのちの国内統一戦争の掉尾を飾った聖戦?になるようです。
だから、南北戦争の背景にある民族対立を持ち出すと国家分裂につながるのでこの点はタブーになっているのでしょう。
南北戦争は、我が国で言えば古代の壬申の乱のようなエポックになる戦いだったようですが、我が国では壬申の乱の敗者と勝者の怨恨が地域の怨念として残っていない・文字通りの日本国が建国され、列島民の一体感が始まったのは、民族別に別れた戦いではなかったからでしょう。
南北戦争はアメリカとっては国家統一の重要な決戦でしたが、負けた方の南部諸州の住民はいつかはリベンジ戦をしたい屈辱として記憶し続けているようですが、今や南部の復権が囁かれているようです。
南部が経済的に自信を持つようになったので、昔の恨み・南部諸州と北部に住むドイツ系/大陸系とは気が合わないのだというような気分が表に出てくるようになったのではないでしょうか?
トランプ氏はドイツ系なのに一見ドイツに厳しいようなイメージですが、実は今回の貿易戦争では製造業の復活スローガン=北部工業地帯の復興=製造業の保護貿易主義であり、この点ではドイツを筆頭とする欧州や中国など工業製品輸出国と表面上対立しますが、その代償として農業系諸州→中南部諸州の農業輸出を犠牲にする構図です。
すでに中国からの報復関税で南部諸州の農業系が打撃を受けている構図が明白です。
エアバスの輸出で対立する欧州とも高関税競争に入りそうですが、欧州も農産物輸入規制の報復に動くでしょう。
南北戦争の経済利害の背景は独立後勃興したしたばかりの米国製造業がまだ欧州との競争では負けていたので、輸入制限して北米地域の工業製品市場を独占したい北部諸州の保護貿易政策と、奴隷労働による安価な綿花大量輸出で潤っていた南部が関税競争→欧州の報復関税→綿花輸出できなくなる危機感を背景にしていたのと経済関係は同じです。
日本では農業票=保護主義ですので、ついうっかりしますが、米国農業は初めから輸出産業・自由貿易主義であり今も同じです。
習近平氏の過去の栄華をもう一度という夢同様に、トランプ氏も(無意識かもしれませんが)南部経済を犠牲にして北部工業地帯(ラストベルトはドイツ系移民中心でしょうか?)が勃興して経済大国に踊り出た歴史を再現したいのでしょう。
今回は製造業勃興期ではなく衰退を止めるだけのステージですので、高関税やファーウエイ等中国製品に対する輸入禁止等の保護主義政策(過去の日本叩きの焼き直し)では北部諸州の製造等を守り、育てられません。

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