最先端社会に生きる3

日本列島では千年単位で真に階級差別のない平等意識(幼い子供どころか一緒にいる動物すらも我が子と同じ目線で慈しむ基本的意識の社会)同胞意識が定着しているのでいつもみんなで力を合わせてやって来ました。
士農工商の枠組みを欧米基準で日本にも階級社会があったとして学校で習いますが、実際に内実を見ると一応の区分があっただけで西洋の階級制度とはまるで違いました。
武士をやめる人もいましたし、才能があると士分に取り立てられることもあり、あるいは家の格によって就任出来ない職務には猶子制度によって自由に身分を上下出来ましたし、(像でさえ位を貰って参内したくらいです)士農工商の枠組みを越えた養子縁組でさえ自由でしたから、西洋の階級制度とはまるで違います。
大老の家柄の大名の次男であった酒井抱一が武士をやめて浮世絵師になり、松尾芭蕉も武士から俳人になっています。
幕末で言えば勝海舟は旗本でさえない御家人・・これも所謂金上サムライ・・親の代で御家人株を金で買ってサムライになったに過ぎません。
吉田松陰も、伯父の養子になって出仕したものですし、桂小五郎も養子で格を上げたものでした。
目の前の子育てすら、鞭で打って脅かすなど優しく育てられない欧米人が頭でっかちに口先だけで児童保護や人権や動物愛護を叫ぶ欧米のレベルとは、何周回も(千年万年単位で)先を行っているのが我が国社会です。
(最近まで犬や猫を食べていた中国や韓国に比べれば進んでいたでしょうが・・・)
わが国は愛情意識に始まって千年万年単位で欧米や中国の先を進んでいると何回も書いて来た所以です。
日本人社会では、犬まで子供同様に可愛がるような世界最先端社会が縄文の昔・・何千年も前から出来上がっているのですから、19世紀になって始めて啓蒙思想家が口先で平等や博愛を主張し始めたに過ぎない社会とは根底・意識水準が違います。
欧米から先行事例を見いだすことが価値基準になっている学者・知識人のレベル(こんな時代はとうの昔に終わっていることを何回も書いてきました・・若手が留学したがらなくなった基礎です)では、欧米に先行事例がないのでどうして良いか分らずに、欧米の基準を持って来て「失われた20年」などと言って政治家を批判して自慢しているのでは、困ったものです。
欧米はタマタマ産業革命成功によって一時期進んだ科学技術を利用して生活様式・・これに関連した価値観の転換で先頭を走っていたに過ぎません。
タマタマ産業革命で取得した科学技術分野で世界最先端になったのでこの技術を利用した生活スタイルと、これによる生き方・考え方の変化に限って、世界の指導的役割を果たすことが出来たのです。
たとえば、個人主義に基づくいろんな思潮も、村落共同体での共同作業〜大家族の集団的労働(・・一族意識の重要性)から工場労働の発達によって、大家族どころか夫婦でさえ個々人が別々に働くようになったことによる結果に負うところが大きいことを07/09/03「婚姻制度 (皇室典範7)21(実質的意味の憲法)」その他で書いたことがあります。
もともと相互助け合い精神その他のモラル・社会意識・レベルでは、日本とは千年万年単位で遅れていたのが、産業革命に伴う生活様式の変化に関してのみ一日の長を獲得していたに過ぎません。
欧米がせっかく優位性を獲得した科学技術分野で日本が追いつき追い越した結果、産業革命と関係のなかった社会意識の差・・レベル差(清潔好きや道徳心の高さなど・・)が表面に出るようになって来ました。
繰り返しこのコラムで書いていますが、日本は今や世界最上の生活水準を確保しているのであって、それ以上に高度成長を必要とはしていません。

最先端社会に生きる2

アメリカ流単細胞的政治学・経済学で単純運営すればどうなるか・・今のメキシコの例を見ても分ります。
経済成長の数値だけは目覚ましいものの、警察そのものが犯罪組織に狙われるような・・いくら命があっても足りないような最低治安生活に陥っているのがメキシコです。
アメリカ流儀の政治経済運営が戦後中南米諸国を最貧国・・何回もデフォルトして治安最低国に陥れて来たのですが、これをアジアにも及ぼした結果が今の韓国経済・社会になります。
韓国もサムスンなどの大手財閥系企業だけがうまい汁を吸っている一方で、国民は疲弊の一途・・犯罪率も半端ではありません。
そして大手企業の大株主は主に欧米資本になっていて、実質は19世紀型の植民地支配を受けているのと殆ど変わりません。
世界中で日本だけがアメリカ流儀の経済運営に従わないばかりか、この流儀の輸出を東南アジア諸国にしているので、東南アジアの民生は豊かになっています。
米英系マスコミの息のかかった学者が、日本は外資に魅力がないのは問題だと言って必死になって外資導入の必要性を宣伝しています。
如何に日本経済は外資に魅力がないか・・国債・日本企業の買収・・その他をもっと外資に買って貰った方が良いということの繰り返しです。
しかし国民の福利・・最大多数の最大幸福を目指すのが政治の目標であって、外見的なGDPばかりカサ上げしても国外に利益が流出する仕組みでは、何のために政治があるのかと言う根本からの問い直しが必要です。
アメリカの言いなりで、欧米資本の支配下で国内企業を大きくして行っても・・まさに植民地支配下の現地王族が豪華な屋敷を建てて贅沢しているのと同じで国民には関係がありません。
欧米資本企業がいくら繁盛していても植民支配当時の現地の王族が宗主国・アメリカ政府や学者の受けは良かった・・・みたいな役割に堕してしまいます。
民主政治を主張するミャンマーのスーチー氏は欧米の信頼が極めて厚いですが、実質的植民地的支配復活を目指す欧米の息がかかっているように見えるところに、せっかく独立を果たしたばかりの政権にとっては民族的に大きなリスクを感じたことは周知のとおりです。
欧米の言うままに政権運営して来た結果が、戦後何十年に亘る中南米諸国の疲弊進行の根源です。
ところで我が国庶民レベルが何故高いのかということですが、世界で日本が最初に庶民文化・・大衆文化が花開いていたことに先ず着目すべき(庶民レベルが高いから開いたとも言えますし・・)です。
西洋文化は19世紀に至っても王侯貴族やその周辺で彼らに奉仕するべき文化でしかありませんでしたが、我が国では、既に江戸時代初期ころから浄瑠璃や歌舞伎が発達し中期以降浮世絵・錦絵あるいは音楽(都々逸・三味線・端唄小唄・踊り等々)、俳句などの文芸も庶民が楽しむ大衆相手のものでした。
中世(鎌倉〜室町)以降発達した田楽や薪能その他神社仏閣で催すものには、庶民も人だかりして楽しんでいました。
もっと古代には、万葉集にも地方庶民の歌がいくらも取り上げられています。
ねぶた絵の例で分るように、我が国では江戸時代以前から文芸・絵を描くことは宮廷と結びついた特定芸術家の独占物ではなく、地方でも誰でも参加出来る性質のものでした。
ジョン万次郎のように普通の漁師の子供が、漂流してアメリカに渡ると直ぐにその社会の制度文物を理解したように、庶民レベルの識字率・理解度は他所の国に比べて半端なものではありません。
ロシアに渡ってエカテリーナ女帝に謁見した大黒屋光太夫(松平定信の時代に帰ってきました)もいます。
庶民レベルが高いからこそ、世界中でも稀なように政権が天皇家から大貴族(蘇我氏物部の争い〜摂関家)〜高級武家(源平政権)〜中級武家(織豊〜徳川)〜最下層武士(薩長土肥下級武士)による明治維新へと順序よく行われて来ました。

最先端社会に生きる1

この辺から正月元旦〜2日のコラム続きに戻ります。
日本はキャッチアップ社会ではないので、他所の技術を導入して簡単に成長して行く過去の成功モデルは最早通用しません。
「輝かしい未来」が待っているような正月元旦の目出たいイメージ新聞がなくなって久しいですが、これからも最先端で苦闘しながら(外形上モタモタするしかない)やって行くのは(他所の技術導入で高成長するよりは)日本にとって名誉なことです。
円高・・ハンデイが大きくなればなるほど国際競争は苦しいですが、ハンデイが高いのは本来名誉なことです。
数日前に置き碁の例を書きましたが、置き石をドンドン減らして勝っていても実質的実力が下がっているのに、表面上勝っていて、景気が良さそうに見えるので気がつかないだけです。
円安で楽をしようとするのでは、企業体力がなまってしまいます。
円安時に甘やかされて基礎的競争力が弱っているところで、投機筋の標的になって円高になると日本経済がひとたまりもなく参ってしまいます。
ここ4〜5年破格のウオン安で良い思いをして来た韓国経済が、今回は投機筋の標的になってウオン高になって来るとひとたまりもない状態が懸念されているのが参考になるでしょう。
日本も囲碁の例で言えば、置き石を4個から3に減らす程度で良いのに調子に乗って5から1に減らすと実力以上の円安ですから、企業は楽して儲けられますが、その代わり筋肉質でなくなったころに投機の対象になって急激な円高(本来の実力相応レベル)に戻るとメタメタになってしまいます。
相撲で言えば大関がまだ関脇の実力があるのに、あえて幕尻〜十両に下がって相撲を取れば(大関の待遇を受けられない代わりに)連続勝ち星を挙げられて景気の良い話になりますが、弱いものばかり相手では実力が却って下がってまうでしょう。
苦闘の将来が待っているのは誰のせいでもない・・課長〜部長〜役員と昇進すればランクアップに応じて大変なのは当然ですが、そのうちに新たな地位に適応出来るのが普通です。
円高=ランクアップに応じてその直後は適応に苦しむのは当たり前で(政治家の責任にしても始まりません)最先端水準に到達した日本民族みんなの試練・宿命です。
前を行く選手を追うのは楽ですが、先頭ランナーが辛いのはどこの世界・分野でも同じです。
日本は栄誉ある地位を得た以上は、その苦労を苦労と思わずに輝かしい1歩の始まりと思って民族みんなで背負って新たな地位に挑戦して行くべきです。
他人の後を追って高度成長したい人が今でもいますが、そう言う人は新興国に引っ越せば(高速道や鉄道も港湾も何もかもそろっていない社会では、毎日のようにインフラの充足劇を見られて)高度成長が実感出来ます。
円安期待とは、せっかく部長に昇進したのに「課長に戻れば楽で良いなあ!と言っている負け組の発想です。
(課長の実力しかないのに官打ちにあったと言うなら別です・・安倍政権の円安政策は日本の実力はもっと低い・・荷が勝ち過ぎるという意思表示になります)
我が国は経済だけではなく道徳的にも最先端社会を構築した以上は、簡単に先が見えないのは当然ですから、成長率だけを基準にこれを「失われた20年」などと閉塞感を強調して批判するのは誤りです。
前人未到の領域に入った以上は、傑出した指導者など滅多に出る訳がないので何をするにも暗中模索・モタモタするしかないのは当然です。
モタモタが20年続いているのは誰の責任でもない・・政治家の責任ではないので、政治家を非難しても始まりません。
政治家や誰かに安直に解決してもらおうとしても、誰も経験のないことですから日本の歩む方向は試行錯誤しかないのは当然です。
これを従来の高度成長期のように、どこか先進国の経験の真似をしたら良いとい安直な期待で政治家に期待すると、どこにも真似をする事例がないのでどの政党が政権をとっても国民が期待したようにはうまく行かず、政権が安定しないことになります。
日本の政権が短期で交代する・・国民の期待はずれに終わるのは、過去の高成長期待を煽るマスコミ(ネットを含めた)・学者の姿勢に問題があります。
欧米の過去の事例を学ぶのに秀でた学者の意見で政治をすれば楽ですが、そんな社会・・低レベルな二番手〜三番手社会にわざわざ落伍して生活する必要はありません。
前向きに一歩でも二歩でも進もうとすれば、モタモタするしかないのですから、これまでの日本の愚直とも言える歩み方は正しい選択であったように思います。
マスコミの煽動に応じる・・ポピュリズム的政治を志すには一旦大関・関脇クラスから、幕尻クラスにランクを落とすのが早道です。
安倍政権は円安にする=一旦ランクを落として高度成長のような気分に国民を踊らせようとしていますが(ランクを落とすのは誰でも出来るし実現可能です)、長期的な体力・国力を弱めることにならないかを心配しています。
アニメの普及を通して日本庶民の生き方が世界に浸透し始めていることをDecember 20, 2012「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」のコラムで書いたことがありますが、我が国の国民生活レベル全般(信義を守るなど道徳意識を含めて)が今や世界の模範になりつつあります。
鼓腹撃壌の故事を持ち出すまでもなく、政治の要諦・・目標は国民の福利にあります。
世界で一番犯罪率が低い・財布など落とし物をすれば直ぐに交番に届けられている・・こんな理想社会が日本以外にありますか?
街にゴミが散らかっておらず隅々まで清潔・・町並みも綺麗な状態で騒音も少ない・川には澄み切った水が流れている・・子供や動物など弱者に対するまなざしが暖かいし、みんなお互いにいがみ合っていない・・信頼性の高い理想郷を実現しているのが現在日本社会です。
スラム街がないのも日本の特徴です。
日本にも一見貧しそうな木密住宅街がありますが、そこでも路地の隅々まで綺麗に掃除が行き届き、狭い空間に草花を育てるなど暖かい風情があって、諸外国の荒れ果て・荒んだスラム街とは全く違います。

公約から実務能力へ4

話が為替政策にずれてしまったので、公約の意義に戻ります。
安倍自民党の円安政策発言がそのまま実現しているように見えるのは、わが国にとって不幸なことに貿易収支赤字の定着傾向とタマタマタイミングがあったに過ぎません。
まさか安倍氏が我が国の貿易赤字を実現した・・安倍氏の功績だとその取り巻きも言うつもりはないでしょう。
とすれば公約とは関係なく、大震災以降我が国のファンダメンタルズが悪化して来た結果・・その効果・・貿易赤字恒常化の傾向が統計上も出て来て・・「さすがに日本も参って来たか!」という国際認識の結果、円が安くなったことを誰もが認めるしかない筈です。
円安とは、国力低下に応じて市場がハンデイを下げてくれたに過ぎず、決して目出たいことではありません。
1月10日に書いたように為替介入は短期的には行き過ぎた相場の是正作用はありますが、その程度の効果では、企業が海外進出するか、国内で増産するかどうかの長期判断には関係しません。
長期的な為替相場は貿易の長期的トレンド・国力評価によるものですから、政治家が公約として円安にするとか円高にすると主張するのは太陽の運行を早くする・あるいは来年は猛暑にするというのと同じで政治で決められることではないので公約には馴染みません。
安倍自民党は本来公約になり得ないものを掲げてあたかも自分の手柄のようにしていますが、貿易赤字が定着しつつある昨年秋ころからは、赤字傾向になって来たので円が安くなるしかない地合でこれを先取りしたに過ぎません。
公約の意義に戻りますが、国民政党時代に社会が来ている以上は、結果的に矛盾した国民の要望をどのように取り込んで決断し、実現して行くかしかありません。
本来的意味での公約が無理だとすれば、公約としては「貿易立国」や「国民の生活第一」みたいに抽象的にしておくと政党を選ぶ基準がなくなります。
結局は人格者に委ねる・・あるいは実務能力が必要になったと時代と言えるのかも知れません。
公約があまりにも総花的になって意味をなさなくなったので、人格+実務能力時代に戻ったのでしょうか?
実務能力重視と言えば、地方首長が副知事や助役経験者ばかりだったころを思い出しますが、その頃の説明では、地方自治体では革新だ保守だと言ってもやれる範囲が狭いので関係がない、むしろ実務能力こそ重要だということでした。
言わば国政も冷戦構造が終わって、保守革新の区別が意味をなさなくなると、地方自治体のような関係になります。
今後は国際経済競争にどうやって勝ち抜いて行くか、どの辺で折り合いを付けて行くかの競争です。
保守革新の区別ではなく、予めどうすると公約していた事態ではなく、原発事故のような個別事案が起きるたびにその処理能力、官僚掌握術・結局は人格の高潔さ・懐の大きさが勝負になってきました。
アジア通貨危機やバブル処理でも実証されましたが、アメリカのエリート学者の集まりであるIMFの言うとおりしないで、一見もたもたしていた我が国のやり方が正解でした。
最先端・・世界でどこも経験のしたこともない難しいことは、じっくり時間をかけて日本流の総意・・ボトムアップ方式で進めて行くのが良い結果に繋がります。
指導者不足と嘆くマスコミ論調が多いのですが、日本人は一人一人のレベルが高いので、少数のエリートに一任する諸外国のやり方・アメリカの真似をしたがるのは却って危険です。
日本社会はこれからも前人未到の最先端社会を切り開いて行くしかないのですから、お勉強・・いつも書きますが過去の経験を学ぶのに秀でた人たち・・単純回路中心のハーバード流(プリンストン大学でも同じですが・・)学者の言うとおりしていてもうまく行きません。
誰もどこも経験したことのない最先端事象を解決して行くには、国民の総意を総合して行くしかない・・もたもたしているように見えても、これが1番副作用の少ない良い結果を生み出します。
幸い我が国の国民一人一人のレベルが高いので、一握りのエリートに委ねるのではなくみんなで智恵を出し合って行けば、必ず良い解決が生まれる筈です。
強力な指導者による号令一下突進するのではないので時間がかかりますが、愚直にモタモタしながら、国民みんなで努力し、もがきながら良い(GDPのことではなく国民生活の高レベル維持)結果を出せればいいのです。

公約3

個人の場合、映画が好き、本を読むのも好き、旅行も野球も好きというのは勝手ですが、二者択一の場合どうするかの質問・・あるいは優先順位付けこそ公約には重要です。
輸出産業の苦境打開、TPP、農家保護、増税反対、財政再建、福祉充実等々それぞれが矛盾している場合があるので、政党としての優先順位こそ公約で書くべきです。
例えば拉致被害者奪回、靖国参拝の実行・竹島記念日の国家行事化、慰安婦問題の政府意見の見直し、あるいは尖閣諸島に常駐するという自民党の公約でしたが、一見選挙運動段階ではこれによる不都合を全く無視して実行するかのような公約でした。
ところが政権を取ってみると「そんな子供みたいなことは出来ないでしょう・・」とばかりに竹島記念日の国家行事化実施をさっさと見送りを決めて、逆に中韓両国に対して真っ先に関係修復のための特使派遣発表となりました。
それならそうと公約段階で言うべきではないでしょうか?
公約を実行するかどうかは、「万般の諸要素次第であって、直ぐにやる訳ではない」ということですから、公約は何の意味もなかったことになります。
(予算が許せば、という条件付きで)政権を取れば生活保護費を10倍に引き上げます、大学まで授業料全額免除します。国民全員に世界旅行券を配ります、税を半減します。・・・と言う公約をしたとすれば、意味がないでしょう。
自民党の勇ましい公約と中韓両国との関係正常化とどのように折り合いを付けるのか、どのようなタイミングでやるのか、何を何に優先させるのかが政権獲得後の今でさえまるで分っていません。
政党や政治家の公約は(自民党に限らず)国民の多くが支持しそうな項目別に迎合して意見を言っているだけで各項目を同時に実施したら矛盾関係になることが多いのですが、最終的にその政治家や政党がどちらを選ぶのかはまるで分っていないのが現状です。
状況に応じていつかやりたいというだけならば、(個人の願望でしかなく)公約とは言えないでしょう。
安倍自民党は具体的な金融緩和・円安政策論を選挙で全面に押し出しましたが、これは現状・・貿易赤字定着によって円安に振れる状況下で、現状に併せて言ったに過ぎず、本来政治で決められる性質のものではありません。
為替相場や金利動向などは4年間の任期中に経済ファンダメンタルズ次第でくるくると変わるべきものですから、前もって政治で決めて行けません。
円相場に関して言えば、長期的には経常収支の赤字が続くか黒字が続くかによって決まって来るのであって、政治家の公約や決断だけでどうなるものでもありません。
やる気にさえなれば出来ることは、(ランクを上げるのではなく下げる・無駄遣いして赤字にするのは怠けて贅沢していれば良いので努力しなくとも誰でも出来ますから)、長期的に貿易赤字を続けることくらいです。
成績10番の生徒が来年4番に上げるというのは努力目標に過ぎず、実現出来るかどうかは分りませんが、10番の子が来年ビリになるのは怠けていれば良いので簡単に実現出来ます。
円安=貿易赤字の長期化政策は、国民が国際競争に邁進せずに怠けていてドンドン消費拡大していれば良いだけですから、簡単に実行出来ますから、本気で政治の力で長期的円安を実現しようとしているとしたら、国民に怠けてお金を使え言っているとしか考えられません。
実際無制限な財政出動や日銀紙幣増刷っぽいことも主張しているのですが、これは言い換えれば国民の働き以上の支出をするべしと言う主張ですから、働き以上の支出をすれば貿易赤字になるのは決まっていますし(家計でも企業でも収入以上の経費をかければ赤字になりますし、その企業の株式相場も下がります)、結果的に国力低下=円安になるのは必然ですから、この点は公約どおり実現可能なのでしょう。
国民の働き以上の生活をさせて貿易赤字が定着するのを政治目標・国家経営を主張するのって、正気の沙汰でしょうか?
為替相場というものは市場の需給で決まるので、短期的には政治力・為替介入で行き過ぎ調整は出来ますが、(囲碁の例で言えば置き石の数が実力以上に多いとなれば市場反応を待たずに先取りでハンデイを下げる程度)経常的に赤字の垂れ流し国が一時的に為替市場で買い支えをしても長続きはしませんし、逆に長期的な黒字国でドンドン外貨が流入している国で、為替介入をしても一時的にはサヤ稼ぎのプロがこれに驚いて買い進みが一服する程度であって、長期的相場を押し下げることは出来ません。
貿易黒字のママで円が安くなればこんなうまい話はありませんが、それは一時的な介入効果にとどまり1〜2週間もすれば元に戻ってしまうのが普通です。
1〜2週間程度の短期的円安ですと、輸出業者にとっては今現在の取引の決済は何ヶ月か先の納品後が普通ですので、何の意味もないことです。
安倍政権の公約であった円安効果定着を本当に意のままに実現するには、貿易赤字にとどまらず経常収支でも長期的に赤字継続しなければならない・・ずっと怠けて贅沢しているしかない・・言わば亡国を期待する論理に外なりません。
インフレ・円安期待論は、亡国期待論に他ならないことについては、February 21, 2012「為替相場と物価変動2(金融政策の限界1)」前後とAugust 17, 2012「健全財政論11(貨幣価値の維持5)」で書きました。
しかも半年以上円安が続くと輸入物資・原材料費/コストが同じ比率で上昇する効果が出て来るので企業にとって差し引き貿易上の有利性は左程変わらなくなるので、結局は消費者物価の上昇分だけ国民生活を窮乏に陥れる結果になっておしまいです。
それでは困るので更なる円安を求めるとすれば、半年後には更なる消費者物価上昇になって国民生活の窮乏化が更に進みます。
韓国がウオン安策によって企業は儲かっているものの、韓国国民の窮乏化が進んでいるのはこの結果です。
このように自国通貨安は経済原理上自国の国力低下に比例して起きるものであることから、結果的に国民が窮乏化するのが一般的です。
こうした効果を期待するのって、一国の指導者のするべきことでしょうか?
どこの国でもその国の通貨価値の相場・トレンドはその国の国力の上下動に長期的には比例していますし、この経済原理から逃れることは出来ません。
長期的円安を期待するグループは、日本の長期的国力低下・国際的地位低下を期待しているとしか考えられません。
囲碁でも相手よりも強いから置き石で対戦し、将棋で言えば飛車角や桂馬落ちで勝負したりしますし、若者が入学試験の難しいところを受けたがるのは、より向上したい意欲があるからです。
置き石の数を5〜4〜3個と順次減らして、相手に勝ってみて・これが楽だと安住しているのでは実力が下がる一方です。
ただ実力以上の置き石で負け続けているならば実力相応に置き石を減らすことが臨時に必要ですが、それ以上の為替政策は論理的ではあり得ません。
入学試験のレベルの低い所に合格して楽勝だと威張っていても将来性が知れています。
出世したら大変だから昇進したくないと、グータラを決めているようでは将来が案じられます。
実力以上の円安誘導をして輸出競争に勝って貿易黒字が復活出来れば、その比率に応じて円が再び上がるしかないのですから、円安になって1年経っても2年経っても円安で楽だからと努力しないで更に競争で負け続けて貿易黒字転換を避け続ける=貿易赤字を期待しているのでは、最後は今のギリシャのようになるのを期待しているのと同じです。
レベルの低い学校に入ったらその分頑張って成績上位者になろう(貿易黒字を復活)とするのではなく、低位校にいれば勉強が楽だから、そこでもさぼって中位者のままの安住を夢見ているようなものです。

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