協力要請の日本文化と強制力前提の米国方式1

「日本人は要請に応じる率が高いが外国人は応じない率が高いから」という理由で外国人だけ特別不利な法律を作って強制するようなことは許されません。
公式意見として外国人の協力度が低いからとは言えないのでこの種の合意は暗黙の了解・前提ということだったでしょう。
日本はもともと納得さえすれば協力する社会なので、欧米のような戒厳令その他の強制装置を必要とせず、緊急事態を理由にする強制装置をあらかじめ用意すること自体に国民が簡単に応じない社会です。
これに対して入国前の防疫上の検疫は国際法上の権利ですので、入国前に検査すること自体どこの國も文句言えません。
入国検査の結果法定の指定伝染病であれば国内法に従って隔離、治療強制できます。
以上を比較すれば、船内での検査ならば隔離が難しい上に検査前の隔離期間中は感染者と未感染者の隔離は(検査前なので)論理的に不可能な上に、設備の整った病院とも違う問題があり検査完了までに感染が一定数広がる可能性がある点はほぼ同じです。
日本が潜伏期間の2週間観察するために同一船内に留置したことが感染拡大したと批判されていましたが、どこかホテルを借り切った場合でも、検査完了プラス2週間の待機期間中は誰が感染者か不明のまま同じホテルに同宿(夫婦の場合同室が原則・・しかも豪華客船の客の場合高齢夫婦が主流です)しているリスクは50歩100歩です。
クルーズ船の部屋別隔離ではホテルより隔離成功率が低いという批判でしょうが、こういう批判に対して、米国派遣チャーター機での帰国便利用者は豪華客に比べて何十分の1もないほどの狭い空間で座席一つ間隔くらいでどうやって隔離していたんだ?という批判が日本のネットに出ていました。
仮に陰性になっても(検査の正確性が低いこともあって、2週間経過しないと潜伏期間中か検査の正確性が低い結果か?不明というのが当時(今も)の常識で、日本でのクルーズ船下船許可後米国帰還者は帰国後そのまま2週間隔離されたということでした。
米国その他どこの国だって、検査前に発症者か否かの区分けしかできない点は同じで未発症者同士を隔離する基準がないので、日本社会での外出自粛要請程度・船内パーテイをやめてもらいできるだけ室内にいてもらう程度しかないのは同じです。
船内隔離不合理を指摘し非難していた米国が自国民を帰国させるのに、個室のない狭いチャーター機で10数時間も大勢同じ空気を吸わせたのか?というツッコミです。
米国で一ヶ月後に発生したグランドプリンセス号事件でも、バスに詰め込んで軍事基地、ホテルへの移送をしていましたが、狭いバスにどんどん乗せて行くなどその間の隔離など問題にしない姿勢でした。
パーテイといえば、今回船内感染が拡大したのは、何日もかけて船内検査していたことよるというより、横浜入港前夜船会社主催のサヨナラパーテイみたいなものが、催されていたことが大規模クラスター発生につながった・・検査初日分は10名前後しか陽性がなかったのに1週間ほどで尻上がりに増えたのはその可能性が指摘されています。
緊急事態になっているにも関わらず船会社側の危機意識が低かった・自粛要請では効果のない(英国主権下にある船なので日本政府の要請に応じる必要がないという法律論でしょう)気質がここにも現れています。
政府間交渉で入港を認める代わりに入港後は日本政府の船内管理を認める合意ができたのでしょうか?
明日から日本政府管理になるので、最後の息抜きパーテイを盛大にしましょうということだったのかな?
日本場合、船内検査する代わりに全員検査できる→検査結果陽性反応がでればすぐ入国を認めて指定病院へ直送することが法律上可能です。
横浜市内指定病院への直送用バスをクルーズ船に横付けしていて、そういう運用を実際にしていました。
船内検査の場合、陽性反応の人に対してすぐ入国を認めても即強制隔離が法律上可能で陽性反応者が一人も国内で野放しにならない(拡散防止可能)のに対し、無検査下船=入国後検査を求める方式では外国人から承諾書を得ていてもそれを守ってくれるか・結果は外国人の気持ち次第になるリスクがありました。
外国人観光客がそもそもせっかく観光地に上陸してどこも行かずに観光地の安ホテルで2週間も時間を潰すのに協力するのでは何のために日本にきたのか不明ですし、武漢から帰国者以上の拒否者が出るリスクがあると想定するのが合理的判断でしょう。
国費で救出された人たちでさえ検査拒否者が出たのですから、外国人主体の外航船の場合、一旦入国を認めてしまえば、任意協力する比率が大幅低下することは容易に想像できます。
入港を認めるにあたっての事前交渉で英国政府が非協力で困ったという噂が流れていますが、入国後の任意協力に対する英国政府の協力を求めても相手にされなかったということかもしれません。
3000人を超える人員収容可能なホテルを数日間で手当てするのは物理的に不可能な時間ですので、これも船内検査に決定した大きな理由でしょう。
豪華客船の贅沢な客をビジネスホテルに長期間閉じ込められるか、食事レベル言語その他大きな問題ですが、同じ船内場合、相応の厨房その他外人対応人員も揃っているので過ごしやすいことは確かです・・・。
やはりここは入国前の検疫検査権に頼るしかなかったと見るのが常識的です。
入国前であれば、入国手続きのために2列に並ばせようと3列に並ばせようと1時間かかろうとその国の裁量権の範囲内(英国の出方が国際法を縦に協力しない・・横柄だったのでこういう方向に進むエネルギーになったかな?)です。
検疫検査拒否者(物品輸入を含め)には入国(輸入手続き)拒否する権利があるのも国際公法上の常識です。
日本人として考えれば、船内検査=環境劣悪→検査中の同室者感染が仮に5〜10〜50人増えても陽性と決まれば全員入院させることの可能な仕組みの方が良いと考えるべきか、(5〜10人が検査や自粛に応じないリスク)どうかや英国の出方に業を煮やして入港拒否するかの判断は感染症専門家の専門外の分野です。
感染症専門家・どういう場所ごとに手洗い設備がいるか、防護服体制の準備・一般病棟との出入りの基準、防護製品供給体制を含め・防護品着脱ルールなど手順に詳しい人が、国際法の判断や一定数国内野放しにしても良いか、入国前の検疫をした方が良いかを判断する専門家ではなくこれは高度な政治判断の分野です。

新型インフルエンザ等対策特措法と休校協力要請

コロナ騒動開始以来色めき立ったメデイアの安倍政権批判に踊らされた人が多かった?(メデイアでそういう人を大きく取り上げていただけで、多くの国民は外出自粛が正しいと思っていたらしく)約1ヶ月半経過・・結果から見ればこの種批判論は完敗でした。
休業すれば失業や倒産の危機に直面する個人事業の多い飲食サービス業でさえ、ほぼ自粛要請に従って休業しているのが現下の社会情勢・国民意識です。
要請に従う義務がないと営業継続する事業を英雄扱いする論調が皆無どころか、埼玉アリーナだったかでイベント強行した事業体が凄まじいパッシングを受け、最近では休業しない一部パチンコ屋が批判されている実態から見れば、周囲の反対を押し切って早めに公立学校だけでも休業要請したのは安倍総理の英断であり、(メデイア批判は空ぶりになり)迅速でよかったという評価に変わっているでしょう。
休校要請の結果感染数が下がり気味になり、3月20日ころの3連連休で花見客が増えるほどの「気の緩み」になったと報道されていましたが、その結果3連休後の感染急拡大で4月に入ってからの緊急事態宣言になった流れを見れば、2月末からの休校要請の効果が大きかったことがわかります。
メデイア界は2月29日の総理独断の?休業要請をあれだけ批判していたのに、その総括をしません。
4月に入って政府から公式緊急事態宣言が出た後でも新潟県では以下のような報道です。
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20200415537754.html

小中学校、28市町村休校せず 2020/04/15 11:02
新潟県内 村上市は16日から休校
自主性があっても良い・だからこそ特措法では都道府県知事が率先して動く仕組みになっているのですから、要は、具体的にその地域の実情にあっているか?でしょう。
そもそも今度の武漢発のウイルスは子供がかかりにくいと言われている(今はそうでもないですが、この原稿を書いていた3月10日前後にはそういう意見が流布していました)のに、なぜ学校にだけいきなり休校要請したのか・保育園や学童保護施設が休まなくて良いのか?不思議に思っていましたが、条文をみると学校が書いてあるがその他の保育施設等は条文に書いていないから要請するのはハードルが高いことわかりました。

新型インフルエンザ等対策特別措置法

(平成二十四年法律第三十一号)
施行日: 令和二年三月十四日
(感染を防止するための協力要請等)
第四十五条
1 略
2 特定都道府県知事は、新型インフルエンザ等緊急事態において、新型インフルエンザ等のまん延を防止し、国民の生命及び健康を保護し、並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間を考慮して当該特定都道府県知事が定める期間において、学校、社会福祉施設(通所又は短期間の入所により利用されるものに限る。)、興行場(興行場法(昭和二十三年法律第百三十七号)第一条第一項に規定する興行場をいう。)その他の政令で定める多数の者が利用する施設を管理する者又は当該施設を使用して催物を開催する者(次項において「施設管理者等」という。)に対し、当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。

条文に明記されるには国会審議・・どの業界が休業した場合の国民経済への波及効果とクラスターになる業界との兼ね合い・利害調整が国会の機能です。
法になるということは各種業界ごとの休業による影響度合いや波及効果を見極めて慎重な審議・・国民合意形成があったことが前提です。
・・産業界の場合業務停止の場合経済影響が大きくその補償・関係者の倒産・失業その他経済効果も直接的でしかも甚大ですので、公立学校(先生の失業や倒産はありません)からから始めて様子を見るのが妥当となったのでしょう。
何れにせよ事実上の要請をするにしても、国会審議で決まった職種順に従ってお願いするのが筋という判断だったのでしょう。

休校要請と教育の中立性侵害(米山意見4)

強制力のない要請に対して自主的に応じるかどうかは、各地教育委員会の総合能力次第です。
要請があれば自治体が事実上行政府の意向に支配される→(自主性がない実態によれば?)結果的に中立性は侵害されるという論法のようですが、明日紹介するように特措法自体に休業等の要請先に公立学校が明記されているのを見れば、休校要請は教育内容に対する行政府の介入とは関係ないという国家意思があったと見るきでしょう。
米山氏は、特措法による緊急事態宣言の後に要請するのは介入にならないが、緊急事態宣言前にお願いするのは教育内容に対する介入になると言うのでしょうか?
時間の先後によって、教育内容への口出し当たるかどうかが変わるというのはどういう論理によるのか不明です。
米山氏意見は「教育の中立侵害を許すな!」と言うスローガン的運動・主張で満足している疑いがあると思うのは私だけでしょうか?
弁護士は、理念の優劣で勝敗を競うのではなく、具体的利害調整が本業ですが、上記意見を発表している人が弁護士でありこれを朝日新聞が報道しているので私の目に止まったのですが、本当に弁護士実務をやったことがあるのか?とウイキペデイアで経歴を見ると以下の経歴のようです。

東京大学医学部医学科卒業。1992年5月、医師免許を取得した。在学中より、東大病院の放射線科で研修をし、その後、放射線医学総合研究所に就職し3年間を過ごした[5]。
1997年10月に、司法試験に合格した[5]。「東大の寮にいたとき法学部のやつがすごく威張っていた」ため、むかっ腹を立てたことが動機とされる[6]。1998年に東京大学大学院経済学研究科を、2000年に東京大学大学院医学系研究科をそれぞれ単位取得退学。放射線医学総合研究所、ハーバード大学附属マサチューセッツ総合病院を経て、2003年に東京大学より博士号(医学)を取得[7]。2005年より東京大学先端科学技術研究センター医療政策人材養成講座特任講師。医師としては約14年間働いた[5
2005年、第44回衆議院議員総選挙に自由民主党(以下、自民党)公認で新潟5区から立候補した。全国的には与党に強い追い風が吹いたものの、無所属の田中眞紀子に敗れ、比例復活も果たせなかった。2009年の第45回衆議院議員総選挙に再び自民党公認で新潟5区から立候補。前回に比べて得票数を伸ばしたものの、総選挙の直前に民主党に入党した田中に大敗を喫した。ただし、尊敬する政治家は田中の父親である田中角栄だと公表している[6]。
2011年より、弁護士として活動し、医療訴訟や医療過誤などを主に担当した[5]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、自民党から日本維新の会に移って新潟5区から立候補したが、比例北陸信越ブロックから国替えした自民党前職で元山古志村長の長島忠美、民主党前職で当時の文部科学大臣だった田中眞紀子の後塵を拝し、落選。2013年の第23回参議院議員通常選挙にも日本維新の会公認で新潟県選挙区(定数2)から立候補したが、得票数4位で落選した。2016年に維新の党が民主党と合流したことで民進党籍になった。その後、新潟県知事選挙への立候補に伴い、離党。
2018年4月16日、出会い系サイトで知り合った20代の女子大学生に金品を渡して交際していた(買春行為)事が週刊文春に報じられる予定であることを受け[23]、支援者らと対応を協議した結果、18日の記者会見において知事を辞職する意向を表明[24]、同日、県議会議長に辞職願を提出した[25]。27日に開かれた新潟県議会の臨時議会において全会一致で辞職が同意され、同日付で知事を辞職した[26]。約1年半の在職期間は歴代新潟県知事で最短となった[27]。
Twitterで新潟県政に関わることよりも、自身の思想、国政や日本社会の風潮などへの懸念に関する発言が多く、県政と関係のない投稿で軋轢を招くような事態をたびたび起こしていることが報じられている。これに関して自民党の県議会議員からも「県益を損なう」「場外乱闘」などといった批判がなされている[32]。

11年に弁護士資格取得し医療訴訟を主に担当したと書いていますが、弁護士というものは登録さえすればすぐに客がくるものでないだけでなく試験合格し司法修習を終えればすぐに中堅並みの実務能力があるわけでもありません。
この辺は医師でも公認会計士でも資格試験というものは皆同じでしょう。
警察官も銀行マンも営業マンでも初任者研修を終えればすぐ1人前でないのはどんな職業でも同じです。
仮に登録と同時にどこにも所属していないで、登録の翌12年に総選挙立候補したとすれば現実の弁護士業務をどれだけできたのか疑問です。
立候補するには前年から地元で小まめな活動が必要です。
2004年と9年と二回新潟で立候補している流れを踏まえて弁護士登録後翌年には3回目の衆議院立候補ですから、この間立候補予定の選挙区での地盤培養活動をしていたとすれば、政治活動に軸足を置いていたと推測されます。
ネットで米山氏の事務所を見ると現在東京新宿にあるようですが、仮に弁護士登録最初からとすれば、新宿で弁護士業務をしながら新潟での地盤培養・維持活動と両立できたとは到底想像できないパターンです。
その後新潟県知事ですので、弁護士活動のノウハウをどうやって修得していたのか疑問です

自治体の拒否権11(自衛隊出動要請2)

自衛隊が自発出動権限内行為としてで折角伊丹駅まで出動しても、その先で燃え盛る火の手・・大量の倒壊家屋が見えていても?動けなかった現実をどう評価するかです。
単に当時の社会党政権非難で終わらせず、(社会党がなくなっても)制度をそのままにしておいて良いのかの議論が必要です。
「10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)」とあるように結果から現場係長の一存(自己責任覚悟・・国士)で、知事の名を偽って?出動要請したので、待ちかねていた自衛隊が動き出せたと言う顛末らしいです。
知事の依頼はその9時間以上も遅くなっていますが、知事が故意に遅らせたのではなく情報寸断の事態下で正確な情報が入らなかったことが原因らしいですが、手続を踏んだ報告がなくとも知事本人が震災現場にいる以上は、登庁途上の目撃・・目の前の倒壊家屋などの惨状を体験している筈です。
(この数日書いているように現場尊重の制度は自治権や主権重視・・政府施策に楯突くためにあるのではなく、現場直感・緊急事態把握の重要性を基礎にするものですから、緊急時に官邸の意向を窺っているのでは、本末転倒・自治の名が泣きます。)
民間のダイエー社長や外国政府の方が早く動いているのと比較しても、当時の社会党内閣の動きが遅過ぎる点が異常です。
そこには自衛隊アレルギー・・余程のことがないと依頼したくない」と言う骨の髄までしみ込んだ思想的影響があったからではないか?と疑われても仕方がないでしょう。
社会党やこの流れを汲む民主党が、大災害対応が粗末過ぎて両党とも消滅(民主党は改名?)してしまいましたが、自衛隊敵視体質がしみ込んだ世代が、非武装平和・安保反対論を基礎にして、国防・自衛隊関連全てに情緒的に反対している印象です。
今年の熊本地震でミノモンタ氏が、(未だにマスコミ内ではこの情緒共有が地位維持の基礎になっている印象)何の根拠もなく情緒だけで自衛隊をツイッターで非難して、総スカンを食ったのもこの延長上で理解すべきです。
もともと政府や知事の依頼不要の制度設計であれば、知事や官邸の動きが遅過ぎる批判がかなり緩和されていたでしょう。
行政府のやるべき災害対応は、行政対応中心・・どの程度の緊急食糧や災害住宅を用意するか災害指定をどうするかなどですから、実は寸秒を争うことではありません。
このときの社会党政権のお粗末対応批判で政権寿命を縮めたことから、2011年大震災時の民主党菅政権は、迅速対応し過ぎて?官邸が現場に口出し過ぎたことが逆に問題になっています。
社会党に限らず左翼系は共産圏型を理想としている関係で、政権批判目的では、公害とか情報公開などを主張していますが、本音・体質は下部に権限を委ねる経験が乏しい体質が露呈された印象です。
このときもニッポン民族の危機を救ったのは、現場判断・現地工場長が官邸の命令?(東電幹部がそのときの官邸のやり取りをソンタクして注水をやめるように連絡)注水中止命令に表向き応じておいて、実際には(自己責任を覚悟して)注水継続したことによって、大事に至るのを防げたことが分っています。
このように日本の現場はしっかりしているのです。
現在の政治テーマは菅総理が直截注水中止を命じなかったとしても、そのときの総理の剣幕・・雰囲気で同席していた東電派遣幹部は中止をソンタクするしかなかったのかと言う程度のことです。
(以下の06:35 伊丹駅への出動は近傍条件で6時35分には自発出動出来ているのに正式依頼が「19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請」ですからこの間13時間以上もその他部隊は指をくわえて待機しているしかなかったことになりますが、現場係長の機転による(県知事名の)出動要請でその9時間前に実際には出動開始していたので実害がなかったことになります)
時系列データが出ていますので(勿論私にはこのデータが正確かどうかまでは分りませんのでそのつもりでお読み下さい)以下引用しておきます。
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1209.html阪神大震災の時系列
(引用元 )}
1995年(平成7年)1月17日
05:46 地震発生
05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。
05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始
06:00 CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。神戸で大地震」と報道。
06:00 村山起床。テレビで震災を知る。
06:20 テレビで急報を知ったダイエー中内功社長出社
06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。
06:30 中部方面総監部非常勤務体制
06:30 村山、園田源三秘書官に、電話で、状況把握を指示(園田本人は「そのような事実は無かった」と否定)。
06:30 警察庁が地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す
06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動
06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集
07:00 スイス災害救助隊、在京スイス大使館へ、日本政府への援助申し入れを指示
07:00 金重凱之秘書が国土庁防災局に電話で状況確認し、村山に「特にこれといった情報は入っていない」と報告。
07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。
07:30 村山総理に一報
07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進
07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援
07:50 石原信雄官房副長官、川崎市の自宅を出発。
07:58 阪急伊丹駅救助活動48人
08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
08:00 ダイエーが地震対策会議。中内社長、販売統括本部長にヘリコプターで神戸へ飛ぶよう指示。おにぎり、弁当など1,000食分と簡易衛星通信装置を搭載。
08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。
08:20 西宮市民家出動206人
08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず
08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
08:30 セブンイレブン災害対策本部、被災地店舗へおにぎりをヘリ空輸開始。
08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。
08:50 韓国政府、「日本関西地域非常対策本部」(本部長・金勝英=キム・スンヨン=在外国民領事局長)設置
08:50 石原信雄官房副長官到着。「現地は相当酷い」とコメント。
08:53 五十嵐広三官房長官「非常災害対策本部を設置し小沢潔国土庁長官を現地に派遣する」と発表。
09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。
09:05 国土庁が県に派遣要請促す
09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。
09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し
09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港
09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。
10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。
10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。
10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)
10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)
10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリコプターで県庁に到着、県災害対策本部の会議に参加
11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、「状況見て、必要があればね」。「総理は行く用意はありますか?」、「そうそう、状況を見て、必要があればね」。
11:00 村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」と発言。
11:00 京都機動部隊が兵庫入り。
11:15 村山、廊下で記者に、山花貞夫前社会党委員長の新党結成問題に関して、「山花氏は自制してもう少し話し合いをして欲しい」とコメント。
11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)
11:30 非常対策本部第1回会議
11:34 五十嵐官房長官、記者に社会党分裂問題を聞かれ、「それどころじゃない」と発言し首相執務室入り。現地で被災した新党さきがけ高見裕一からの電話情報を元に、村山に事態の重大さを力説。
12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑
12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。
12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。
13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。
13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念
13:30 大阪消防局隊応援部隊到着
13:50 社会党臨時中央執行委員会が「党内事情より災害復旧を優先すべき」として、山花氏の離党届を保留。
14:07 村山総理、定例勉強会出席
14:30 小沢国土庁長官、現地空中視察へ
15:36 河野洋平外相「総理は人命救助と消火に力を入れるようにといっていた。総理が現地に行くのは国土庁長官からの報告があってからのようだ」とコメント。
15:58 村山、廊下で記者の「改めて聞くが、総理が現地に行く可能性は?」との質問に「明日、国土庁長官から現地の状態を聞いてな」とコメント。
16:00 村山総理、地震後初の記者会見。「関東大震災以来、最大の都市型災害だ。人命救助、救援の万全を期したい」、「近く現地入りする」(初めて現地入りを明言)。5分で終了。
18:00 補給艦「ゆら」が姫路港に入港。緊急物資を積載し、神戸に向かう。
19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
21:00 兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請

自治体の拒否権10(自衛隊出動要請1)

アメリカの大洪水被害などでは州兵が先ず出動しそれでも間に合わない場合、州知事の要請で連邦軍が出動する仕組みらしいですが、これはこれまで書いているように元々は独立主権国連合の本質・歴史を前提にしている制度です。
各州が自前の軍を保持している以上は当たり前のことで、県単位の軍隊などを有していない日本に当てはめて主張すること自体が非常識と言うか、牽強付会のそしりを免れないでしょう。
独立国同士では・・日米安保条約があっても目の前で攻撃されている緊急的応援を出来ても、大規模出動するには日本政府の応援依頼があってから出動する仕組みになっているのと同じです。
日本の都道府県は元々独立国が日本政府樹立に参加したのではなく、政府が統治の都合で各地を線引きしたものに過ぎませんから、これにアメリカの州の権限を当てはめるのは土台無理です。
学校で「廃藩置県」と習うので、藩がそのまま県になった印象を持っている人が多いと思いますが、例えば千葉県でも最初に小さな県がいくつも作られて、その後組わせを変えたりして、漸く今の県域が出来上がったことを明治の地方制度のテーマで紹介したことがあります。
アメリから日本独立回復後もアメリカ法の貫徹を目指す勢力が強かった結果、大災害が起きても県知事の要請がないと自衛隊が救援出動出来ない現行法が出来上がっているばかりか,法の運用においても出来るだけ自衛隊を出動させない思想が強固でした。
以下アメリカの州と県とが性質が違う矛盾が露呈した・・神戸大震災の経験を紹介して問題点を見て行きます。
神戸(阪神淡路)大震災では、兵庫県知事による自衛隊出動要請が遅過ぎた批判がありました。
自衛隊法では、以下のとおり知事要請が(原則として)必須要件になっています。
(要請による治安出動)
自衛隊法(昭和二十九年六月九日法律第百六十五号)
(災害派遣)
第八十三条  都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3  庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4  第一項の要請の手続は、政令で定める。
要請が遅かったか早いかの議論よりも、自治体の要請がないと自衛隊が自発的に動けないシステム・現行法制度や安易に?依頼すると政治責任追及を受ける雰囲気造りをして来たこと自体を問題にすべきです。
明日のコラムで当日の時系列(ネット引用ですので正確かどうか不明)を紹介しますが、これによると、「06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。」
上記は、特定立場の解説かも知れませんが、神戸震災当時の知事判断には、当時の社会党政権による自衛活用に対する抑制姿勢の影響があったように見えます。
ところで、自衛隊の自発的出動を認めるとどう言うマイナスがあるのかと言う点ですが、自衛隊が自発的に災害出動し、あるいは知事判断が過大過ぎて災害規模が想定よりも小さかったとしても、どのような社会的損害を心配して厳重な縛りを掛けているのかすら分りません。
火災事故で数台の消防車で足りそうな小さなボヤ・・路地周辺に10数台も集まっているような素人から見れば、無駄そうな事例が時おり見かけますが・・。
消防車が多過ぎてもコストの工夫論だけであって、政治責任まで起きそうもないように思えますが・・・。
民主的控制が必要としても、事後的検証システムを整えておく方が合理的です
災害救援のためでも他国軍が勝手に入って来るのは絶対に許されないのは分りますが、自国軍による救援活動まで何故厳重に縛り付ける必要があるのかの疑問ですが、・・自衛隊を敵視する基礎的思想が蔓延している中で法制度が出来上がってしまったのではないでしょうか?
政府や知事の危機管理能力をマスコミが批判する傾向がありますが、政治家は危機管理の専門家ではありませんし自治体職員も日常業務があって、危機管理のために常時情勢監視する仕組みではありません。
各企業の防災管理体制も同じで、支店長をトップに、(兼任)◯◯と言うシステムが普通で、専門職が常駐する仕組みではありません。
防災担当県職員も被災地域に居住している限り一般市民同様の被災者であって独自の情報源などありませんから、瞬時決断を要する危機発生時には彼らの登庁(登庁経路の多くが寸断されています)を待って,漸く一人二人登庁しても彼らが独自情報を持っていない(せいぜい登庁途上の被害目撃情報くらい)・緊急判断するコト自体無理があります。
緊急事態即応には、24時間態勢で寸秒の切れ目もなく危機管理情報を把握している危機管理の専門組織・・(即時に偵察機を飛ばすなどの即応体制のある)軍や警察の瞬発的決断に頼るしかないのではないでしょうか?
神戸の大震災では、地震発生後13時間以上も経過して漸く自衛隊出動依頼していますが、航空自衛隊出動依頼がさらに1時間以上遅れています。
家屋・電柱倒壊などで陸路からの救援が難しい状態が早くから報道動画等で判断出来た筈ですが、知事としては部局を経た報告を待っていたのかもしません。
(自衛隊が早くから偵察機を飛ばすなど情勢分析が進んでいたのに対して、(行政府・知事にはそう言う手段がないでしょう)
空からの救援としてどう言うことが出来るかなどの技術的判断まで、専門外の知事が何故判断する必要があるのかも疑問です。
他方自衛隊の緊急対応を見ると、神戸震災では、「06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動」とあるように「05:46 地震発生」発生後1時間以内に対応しています。
これは自衛隊法83条3項で駐屯地の近傍には自発的に出動出来る条項を利用したようです。
それ以上の大規模出動には知事の依頼がなくて出動が遅れてしまったと言う流れです。
上記のとおり、ソモソモ何のために自発的緊急出動が原則許されないのか?自民党との連立政権成立までの社会党が、自衛隊違憲論を強硬に主張していたことが原因になっていることが明らかです。
大震災連続の結果、この種ドグマは次第に勢いを失っています・・ドグマに固執する(確かな野党)社会党消滅→社民党支持層激減の背景です。
私たち世代にとっては戦後約50年間2大政党の1つであった社会党の党是は誰もが知っている常識ですが、次世代では最早歴史の一部になっていて知らない方もいると思いますので、念のため当時の社会党の憲法意識(非武装平和論・自衛隊は違憲存在と言うドグマ)を紹介しておきます。
以下によると連立参加まで社会党は安保廃止・自衛隊違憲論であったことが分るでしょう。
村山総理に関するウイキペデイアの記事の一部です。
日米安保の維持
1994年7月20日、第130回国会での所信表明演説にて「自衛隊合憲」、「日米安保堅持」と明言し、それまでの日本社会党の政策を転換し、日米安全保障条約体制を継続することを確認した。
この際、演説用原稿では「日米安全保障体制を維持」となっていたのを、所信表明演説では村山が「日米安全保障体制を堅持」[30][31][32]と読んだことが注目された。
これは村山の出身政党である社会党にとってはコペルニクス的転回であった。トップダウンで決定した背景から独断専行と批判も受けたが、党は追認している。」
政権参加のために社会党は村山総理の意見を仕方なく?追認しましたが、違憲論が党内でなお根強かったことから腫れ物に触るようにしていた最中・神戸地震発生は国会での所信表明後僅か半5ヶ月後のことですから、ためらいがあり出動決断が遅れた原因と見るべきでしょう。

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