国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)1

野党(立憲民主党は森かけ等の一連疑惑追及の急先鋒ですが・・)は、次官が懲戒を受ければ大臣の任命責任という順序の主張であり、メデイアはそれとなく国民理解が得られないと(5月2日紹介記事のように)主張して次官や大臣の辞任要求に徹しています。
最重要閣僚の解任になれば、総理の任命責任という図式を描いているイメージです。
これまで戦前の総辞職の事例を書いてきたように、内容の真偽や是非ではなく、「これだけの騒ぎになった以上内閣が責任を取るべき」と言う戦前の悪しき習慣の再現を野党とメデイアは共同して狙っているように見えます。
反論さえさせない・事実不明にしたままで「ともかく責任を取れ」という強引な態度を国民がどう見るかです。
野党やメデイア界全般の強引な対応を見ると、事実の有無を明らかにしない・他の審議を一切止める・・こういうことが国政上どういう意味があるかの議論よりも、政局に持ち込みたい?野党とメデイアの変な意図に対する憶測をたくましくする意見も一応の説得力があります。
この辺で自民党側から解散説が出てきたので、メデイアや野党の意向が民意の支持を受けているかの関心が高まってきました。
民主国家における「民意は何か」となると、戦後民主主義国家においてはメデイアの偏った?世論調査結果よりは選挙結果が文字通りの民意です。
昨年の解散直前の世論調査と選挙結果がまるで違っていた事実があります。
ここにきて野党は内閣総辞職に追い込んで選挙に勝てる自信があるか・本当に国民支持を受けて騒いでいるかの問題であることが、次第にはっきりしてきました。
戦前の天皇大権下のエセ民主主義時代・繰り返し書いてきたように、政治テーマの是非に関わらず騒動がおきると野党に政権交代させる西園寺ルール・・悪しき慣習によりかかっている野党やメデイアが困ってきたようです。
戦後は枢密院が次の政権を指名する時代ではなくなっている・・民意=選挙結果で政権交代交代する時代になっているのに、騒ぎさえすれば政権交代になる戦前からノスタルジアに浸っているメデイア・野党の限界が見えてきました。
戦後60年安保当時は戦前政権交代のルールに親しんでいる国民が多かったのでまだ内閣総辞職で対応しましたが、当たり前のことですが(国民の多くがソ連と仲良くするよりは日米友好基軸体制・・安保条約を支持していたので?)政権交代にならなかったので騒動を起こした支持者が失望しました。
その後国民に民主主義の意識が浸透するに比例して内容の是非に関わらず「騒動さえ起こせばいい」という運動に対する疑問が起きてきて、一般学生運動というよりは、原理主義というか過激運動家中心・ともかく「暴れることに意味がある」暴発運動に変わってきました。
この開き直りを正当化しようとしたのが?毛沢東語録「造反有理」のスローガンでしたし、政党的にはなんでも反対の社会党への変質であったと思われます。
このように戦前政治回帰は不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
造反有理は文化大革命の悲惨な実態が伝わるにつれて、なんでも反対で騒動を起こす政治運動が無理になったので、さらに開き直って、国民支持を気にしない一種のテロ活動(三菱重工爆破事件や連合赤軍によるあさま山荘事件)に変わって行き.ついには一般学生も国民の共感も得られなくなったのがその後の経過です。
メデイアが軍部(戦後は中ソの応援・ソ連崩壊後ソ連から、社会党に資金が流れていたことが明らかになった記事を紹介しました・・)等を背景に騒動を煽りさえすれば政権交代があった・戦前政治風土への回帰は民主化が本物になった戦後は、不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
ここ数十年では単なる反対では国民が相手にしなくなったので「護憲」「民主主義」「平和主義」というスローガンによっていますが、具体的処理の必要な政治決断を何でも「護憲」「平和」と言う原理さえ言えば解決できるはずがありません。
今の時代内乱は滅多にないので平和主義とは国際紛争解決をどうするかが中心テーマですが、中東の戦乱・イスラエルとアラブ諸国との紛争、サウジを中心とする湾岸諸国とイランを中心とするシーア派の抗争・イエメンでの内乱、シリア内戦に関するトルコやイランの立場の違いとクルド族の独立問題、シーア派とスンニ派の宗教対立とイランの浸透などなど・・・これを平和主義という一言で解決ができるでしょうか?
高校の頃だったか?現実理解がなかったのでソクラテス・プラトンの授業だったかで哲人政治という言葉に惹かれましたが、大人になると世の中具体的事象に応じた例外の例外の例外の応用・TPOが必要で原則論さえ知っていれば物事が解決できるものでない・哲学者や憲法学者に政治ができるものではないことが分かりました。
ノーベル賞物理学者が、車や電気釜、自転車一つまともに作れないのと同じです。
原理論しか言えない人は、(そんなことは中学生でも知っているレベルです)政治家あるいはまともな政党・・実務家とは言えないでしょう。
「花の都パリ」というだけで、文明開花の匂いを嗅いだ気になっていたのですが、みんなが海外旅行出来るようになると「憧れ」の時代が終わり具体的運用が重要になる・・民主主義や平和主義という原理論のスローガンだけで酔い痴れるレベルの人は、具体的な民主主義の運用など知らなかった時代の人のことです。
・・April 7, 2018のコラムにに新宿駅前の反〇〇集会写真を紹介しましたが、参集しているのはほぼ旧時代の人・・夢多き時代の生き残り・・高齢者中心です。
戦後いきなり始まった民主主義の言葉に酔いしれた高齢者がまだ(現実をみようとしないで)夢を追い続けていることがわかります。
現在の国会審議拒否状態を国民がどう見ているか?については以下の記事を引用しておきましょう。
undgarge.com/20180313a-nikkei-early-bird

財務省の問題と、内閣総辞職の必要性とは、全くリンクしない
今朝の日経朝刊(3/13)早読み。本稿を書こうと新聞を読んで、記事を選ぼうとして、一旦は止めました。あまりに下らない。税金を使って運営されている国会の実態が小学生の学級会以下だと思われてならないからだ。
なぜ、財務省の倫理、コンプライアンスの類の問題から一足飛びに「内閣総辞職」という言葉がチラつくまでにエスカレートするのだろうか?新聞記事の紙面も、経済新聞でありながら、殆どがこれ関連だけだ。
仮にもし、こうしたことで政治空白が生じ、市場や経済に影響が出たら、野党はどう責任を取るつもりなのだろう。
またそれを面白おかしくヒステリックに煽り立てるマスコミという存在は何なのだろうかと思ってしまう。
・・・公文書を行政の現場で書き換えたこと自体は非常に由々しき問題であるが「野党側は強く反発しており、安倍晋三首相は厳しい政権運営を迫られる」というのは、正直解せない。
何を誰に対して、どうして野党側は反発しているのか?国政を司る国会運営という原点に立ち戻った時、野党のすべきことは「反発」なのだろうか?
民主主義の中でのマイノリティが、何かと問題を見つけてはマジョリティの転覆を諮ることだけを大命題にしている気がしてならない。
事実首相は「「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、責任を痛感している。国民に深くおわびする」と謝罪した」とある。一方野党側は「組織的に行われ、極めて悪質だ。内閣全体の問題だ」(希望の党の玉木雄一郎代表)と指摘して組織的な隠蔽だと批判、内閣総辞職を求めた」とある。まるで指先の怪我とは言わないが、手首を挫いた程度で「死ぬ、死ぬ」と騒ぎ立てている子供のように思えてしまうのは私だけであろうか?

以上が常識的感想と言うべきでしょう。

集団自衛権関連法案審議2と国会議員の職責1

集団自衛権関連法案に対する賛否は、政治の専門家である政治家が、自分で良く吟味した上で、支持者に分り易く説明してそれでも理解し難いところは良く説明し、合理的疑問であれば、この意思を体して国会で質疑して修正を求めて行くべきです。
・・それでも与野党の意見の隔たりがあればその先は議決するしかないのが民主制=憲法の基本ルールです。
裁決を拒否すること自体が憲法違反行為です。
強行採決に対して野党が立憲主義違反とアッピールしているのは、裁決拒否して退場したこと・・自分のことを言っているのかな?と思った人が多いのではないでしょうか?
よく見ると与党が立憲主義違反と言うのですから、ややこしい話です。
「マスコミを支配して大量に言い募った方が勝ち・・シロを黒と言いくるめられる」と言う韓国流の主張が、これからも効果があると思っているように見えます。
(歴史を学ばないものは・・と言う韓国の主張に対して、どちらだよ〜と思っている人が多いと思いますが、韓国ではいつも自分のことを相手にすり替えて言う傾向・・韓国の主張を見ると自分のやっている狡いことを日本がやっていると主張する国だと理解している人が多いでしょう。
憲法を見ておきましょう。
日本国憲法
第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2  両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
憲法では最後は議決でケリを付けることになっていますから、議決拒否・・病欠等正当事由を除いて退場した方が職責=憲法違反行為です。
選挙制度さえあれば民主国家が完成するのではなく、冷静な議論をしたあとは議決に従うところで民主制が完成することを書いてきました。
自分の意見が通らないからと言って、韓国議会のように怒号やからだを張って議決妨害したりするのでは、民主国家のまねごと社会です。
日本も4〜50年前まで安保国会のようなことがありましたが、(政権側では、ハマコーが有名です)今はそんなことが出来なくなったので、場外乱闘・国民理解を得られないと言うマスコミ宣伝に変化したようですが、冷静な議論後の議決ルールの実質妨害を目的としている点では同じです。
まだ充分に民主制を理解しない勢力が、国会内乱闘の代わりにマスコミを利用して場外戦をしている状態と言うべきで、選挙で決めて行くべきことを選挙を経ないでマスコミの誘導によって「国民の声」を創出して国会議決の価値を減殺しようとするもので、これこそが憲法秩序の違反行為です。
政治主張は選挙で反映させるべきが憲政の基本です。
総選挙は昨年暮れにあったばかりですし、その時点ではすでに同年夏の集団自衛権の閣議決定は大政治問題になっていたし反対運動も激烈でしたから、選挙後半年程度しか経過していないときに選挙結果を無視して「国民の声」をマスコミが作り出す?こと自体おかしなことです。
選挙後約半年しか経過していないのに、国民の理解などと言い出したら選挙が何のためにあるのか理解不能・・マスコミによる選挙制度無視・・選挙制度・憲法自体の否定になってしまいます。
裁判で言えば正しい主張があるならば、裁判手続で主張すれば良いのであって、法廷外でわめいていて多くの人がうなづいていたと言うのはルール違反ですし、そんな主張自体恥ずかしくて弁護士は出来ません。
裁判の場合場外でいくら騒いでも判決には何の影響もありませんが、政治の場合、マスコミがそのように宣伝すると何となく国会が民意に反しているかのような印象を植え付けるので、次の選挙には影響するでしょう。
この影響を代議士が気にすると言う間接効果(与党内造反)を期待しているのでしょう。
また、世論調査ではマスコミの宣伝効果が大きいので、(昨日書いたように十分理解していますか?と問われれば、私だって・・細かいことはプロに任せれば良いと言う態度ですから「十分理解していない」と答えます)大きな影響があります。
十分審議と尽くすべきと思いますか?と聞かれればそのとおりと答えます。

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