民度3(朝鮮民族)

韓国は李氏朝鮮以来の伝統に復帰して,庶民無視・・戦後約70年に及ぶ人民(ピープル)に対する愚昧化政策+反日教育の成果が出て来て収拾のつかない状態を招いていると思われます。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張同様に韓国野党は日韓合意破棄など国際常識無視の無茶な主張をしてますが,政権を取ったらどうするつもりなのでしょうか?
現政権は国際合意の重みをある程度理解しているようですが,次の政権に変わったら前政権の約束を守る必要がない」と言うような思い込みで野党候補が運動してるようです。
幼稚な政治レベルで国際社会で一人前にやって行けると思っているのが不思議です。
(事実上次期大統領選に出馬予定と言われる)前国連事務総長の潘基文が,「先ず10億円を返そう」と言う意見を述べている様子です。
国連事務総長を務めていた彼が,「貰ったお金さえ返せば」国際合意を反古に出来るかのような発言をするとは驚きです。
潘基文氏の公式発言は以下のとおりです。
http://www.sankei.com/world/news/170113/wor1701130027-n1.html
【ソウル=桜井紀雄】韓国メディアは13日、次期大統領選への出馬に意欲を示す潘基文(パンギムン)前国連事務総長が、慰安婦問題に関する日韓合意について、日本政府による10億円の拠出がソウルや釜山(プサン)の公館前に設置された慰安婦像の撤去が条件なら「金を返すべきだ」と発言したと報じた。」
こういう国・・対価を貰うだけもらった後は約束を守る気がない・・これが「詐欺みたいだ」と批判されることがやっと分ると「じゃ返せば良いだろう」と言う次の段階に気づいた・・少し進歩した程度のことです。
先取りしたお金を返せば良いのではなく,「合意や約束を守るべき」と言う大前提が理解出来ていない点では、前国連事務総長すらも同じですから驚きです。
こう言うレベルの相手に何百億ドルと言うスワップ(相保障)の約束を出来るわけがないと言うのが国際常識ではないでしょうか?
このテーマで今後交渉を進めるように持ち込んだ安倍外交は成功と評価すべきか、感情的対応と言うべきかは短期間に結果が出るように思われます。
1月12日のコラム冒頭で,中韓も民度レベルが低いだけで士大夫層・エリートは相応の政治経験がある(筈)と書きましたが,韓国の場合クニのエースとして国連に送った人材でさえもその程度のようです。
朝鮮族は朝鮮通信使の時代から,儒教を早くから信奉していたので?日本より一日の長があると自慢しますが,ヤンパン層の政治経験レベルはそんな程度・・彼らは長い間何を学び・考えていたのでしょうか?
儒教は専制支配秩序に便利なので,(日本の封建制・・利害調整必須社会とは違う)漢王朝が支配道具としたのですが,李氏朝鮮も「これは便利だ」として専制支配に利用して来ただけ(その分思考回路が硬直していただけのように見えますが)ではないでしょうか?
専制支配・強い者が論理の正当性無視で決める社会しか知らないので,合意の重要性を理解出来ないまま現在まで来た様子です。
社会生活の基礎・・「合意を守る」と言う基本原理が理解出来ない・朱子学には深遠な哲理?があっても、社会あるところに必要な「合意重視」ルールの教えがなかったのでしょうか?
赤穂浪士処分に際して「忠孝重視」の教えと「社会秩序維持」の相克について荻生徂徠以下儒者が困った原因です。
日本の場合,遣隋使以来中国大陸の学問や芸術の優れたものは概ね取り入れて来ましたが,朱子学までの儒学は学問的価値を左程見いだせなかったので軽視されて来たに過ぎません。
朱子学になって初めて理論哲学として優れたモノがあったので,徳川幕府がこの時点で漸く取り入れたのは理にかなっています。
ただし中国や朝鮮では,朱子学以外の学問が科挙試験から切り離された結果、事実上その他学問が窒息して行った・・これが明清時代や李氏朝鮮社会停滞の原因になったと言われています。
儒学思想が停滞の原因と言うより,「科挙」と言う国家試験が強力過ぎて,学問を志すほどものにとって,科挙試験合格が登竜門・・科挙試験で採用されないと誰も勉強しない・・私塾や出版が成り立ちません。
朱子学以外には学問として生き残れない・・その解釈学に特化して行くと全く発想の違う視点の自由な学問が生まれる素地をなくしてしまった・・学問が朱子学を中心とする訓古学になってしまった原因です。
文芸も社会制度も何もかも,過去の解釈が優れているかどうかだけで,新たなものを考える力をなくしてしまったのです。
焼きもの・・天目茶碗で言えば,トッピン級の画期的なものが出来ると・・清朝国内では異端扱いで見向きもされないので、良いものが出来ると直ぐに日本へ輸出する習慣があったと言われるのはこの所為です。
漢民族の逸品(書画骨董)の多くが日本に集まっている原因です。
現在日本で言えば科挙制度再来と言われる司法試験制度の弊害がここにあります・・異端学説では合格出来ない?・・一旦主流になった学説が幅を利かす弊害・占領期にアメリカの正当性を主張するために確立された憲法学説・歴史観を勉強しないと一流校→1流大学に合格出来ない→司法試験合格に不利となる現象です。
平和憲法の実質を議論するより先に問答無用式に「これを守れ」と言う論調がはびこる原因です。
ただし、司法試験は論理が優れていれば反主流の学説でも合格出来る点で,中国ではびこった学閥形成の弊害(漢時代に始まる党錮の禁その他面接官との個人的関係・・繰り返し弊害が起きています。)のない公正な制度ですが,それでも先ずは主流派の学説をマスターしておかないとマトモな論文を書けないので,主流派学者の方(ホンが売れます)があちこちで引っ張りだこ・・有利(事大主義意識が自然に刷り込まれる仕組み)です。
中国や朝鮮では,当時民間需要が発達していない・・官僚にならないと食えないし、政府買い上げでないと芸術品も売れない・・相手にされない時代ですから,その弊害の大きさが分るでしょう。
ちなみに現在日本では司法試験に合格しなくても民間でいくらでも実力発揮出来ますし、江戸時代にも将軍家お抱え絵師でなくとも民間でいくらでも活躍出来たし新たな浮世絵その他が輩出しましたし、芸大を出たからと言って芸術家と言えない社会でしたが,実は学歴社会の場合,その弊害が大きくなります。
これを利用したのが米軍支配制度で大学その他マスコミ等を占領政策貫徹目的の置き土産にした弊害が今になって目について来た状態です。
韓国では日本の何倍もの学歴重視社会ですから,一流大学やマスコミを内部侵蝕した方がた方が世論動向支配に有利・・・マスコミの多くは北朝鮮の工作成功の結果、事実上の支配に入っていると言われています。
最近の日本での法律家の政治運動・主張を見ると,(私もその一因ですが関与していませんので,運動を推進しているグル−プト言うべきかな?)どこか硬直した印象を受けます。
「秀才とは馬鹿の一つ覚えに特化した人材だ」と言うのが私の持論ですが)司法試験を頂点にする準科挙制の弊害・・主流学説=アメリカの占領政治の置き土産重視・事大主義の弊害を引きずっている結果かも知れません。

シチズンからシビリアンへ1

日本では千年単位で武士は一族を守るためにあると思って来た民族ですから,軍や警察が悪くて国民に罪がないと言う欧米価値観による戦犯論・・使い分けには国民の多くは納得していません。
軍人はみんな国民のために戦ったと多くの国民は心から信じています。
特攻隊員も硫黄島で死力を尽くした兵士もみんな,背後のニッポン民族・同胞の破滅を1分1秒でも遅くするために頑張ったのであり、権力者が国民をいためるために頑張ったものではありません。
菅総理が,現職総理でありながら自衛隊を「暴力装置」と言う言葉を使って物議をかもしましたが,日本と西洋の歴史の違いを知らない暴論です。
あるいは沖縄戦をねじ曲げて日本軍人が沖縄人を無理に殺したかのように宣伝しているのは、南京虐殺同様に欧米型価値観を無理に植え付けようとするデマでしょう。
市民だけではなく,シビリアンと言う用語が近世になって何故重視されるようになったかに深入りしましたが,これは欧米では市民とピープルが何故厳然と別れた来たかの関心からです。
ギリシャローマの昔から市民だけが都市が攻められたときに軍人として戦いに参加して戦う権利と義務を有していたのは異民族の地に進出した先進部族の商人が橋頭堡として砦を構えた名残です。
この場合城外の原住民は夜襲して来る恐れのある仮想敵そのものであり,砦内に駐留している市民は皆武器を取って戦う義務と言うより生存がかかっている以上は戦う必要があったのです。
ジャングルで野営しているときに野獣の攻撃を防ぐために夜中じゅう焚き火の火を絶やさずに交代で見張りをしているような状態を大規模にしたイメージです。
今と違い商人と言っても戦闘力を兼ね備えたツワモノが出掛けて行く関係です。
現地駐在規模が大きくなって,都市国家と言えるほど安定すると分業的になるでしょうが,当初は少人数ですからマルチ人間から始まります。
市内居住の商人の世話をする原住民出身の各種サーバントが住み込みで働くようになっても、彼らは元々先進地域から出張して来た商人から見ればよそ者ですから、戦いに参加する権利も義務もなかったことになります。
当然のことながら城外の民衆・原住民は夜襲をかける方の同族ですから,救援に駆けつける義務も権利もありません。
この発祥の歴史が「市民」と市民以外(原住民)をはっきりと分ける原理であり、城内居住の「市民」は一丸となって外敵と戦うべき権利義務になったものと思われます。
地中海地域に商船隊を利用して点々と飛び地的に発達した都市国家と違い,ガリア〜ゲルマニア地域を発祥とする原住民は牧畜と農業主体民族であり,しかも陸路の場合,商人は隊商を組んで移動してもわずかな商品・人数しか移動出来ませんから,現地に排他的拠点を構えるのは不可能に近い・・どちらかと言うと現地人の助けを得て水を貰い食糧を得て交易しながら移動する遠慮ガチな存在ですから、排他的基地を構築するなどは考えられません。
地中海沿岸とは違って陸路経由の西洋の都市は、先進地域から先進製品・物売りに来た異民族の排他的居留地・砦から始まったものではなく,日本同様の自然発生的なものだったでしょう。
元々同族の集まりですから,都市・城を外から攻めて来る城外の原住民・異民族はいませんから市民が城外の民から自衛する必要性がありませんので武器を取って戦うことを想定していません。
西洋内の戦いは,敵対領主同士の領地獲得戦争が中心ですから、西世では砦・シャトーの多くが市街地から離れて市民と関係なく孤立して建っている所以です。
長年戦争は領主の個人事業で(スペインの王様は何回も破産しています)領民には関係がなかった(ナポレオン戦争で初めて民族意識が生まれたのです)し,領主同士の結婚でスペインの王様がオーストリアやネーデルランドの相続するような日本では想像もつかないような関係の基礎です。
大陸の原住民が,キリスト教受入れによって一定の資産(商人が始まりすから資産は絶対要件です)を有していてローマ文化を勉強したら市民にしてやると言われて第三身分に昇格して行くのですが,ソモソモ同じ民族の周辺農民が市の立つ町を襲うイメージがない・・市民になったからと言って郊外の農民と戦う必要性がありませんし、領主が勝手にやっている戦争に参加する必要性もありませんでした。
戦費調達の協力に反対する・利害対立・戦争反対の立場です。
イギリスであれ,フランスであれ,軍事費調達のための増税反対が革命に発展していることから見ても、ギリシャ・ローマの「市民」とは成り立ちの違いが分ります。

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