格差とは?1

「格差反対」と言うスローガンを掲げてデモをしているだけでは何も解決出来ません。
解決出来ない不満を移民反対論にすり替えていると思わます。
その意味では私の言う移民増加反対論とは目的が違います。
私の移民反対論はクルマの自動運転化その他ロボット化進展によって、単純労働人口が過剰になる一方だから国民レベル底上げが必要・これに苦労する筈なのにあえて移民・底辺労働中心の移民を積極的(受入れ用に税を使ってまで実習)に入れるのは間違い(自然に来るのを排斥しろと言うのではありません)と言うに過ぎません。
これまで何回も書いていますが、格差反対論を唱えるならば巨大な比率を占める格差反対論の中核である「元」中間層の雇用をどうやって創出するかの提案が必要です。
移民排斥は一見労働者が減る方法→単純労働の低賃金化防止になりそうですが、経済原理に反した高賃金政策(中国が強制的に最低賃金引き上げた結果、工場が東南アジアに逃げて行ったのと同じです)は企業が国外に逃げてしまうので結局雇用が守れなくなります。
上記の結果、仮に移民排除してもアメリカやイギリス白人の賃金が上がるとは思えませんが・・。
賃金増狙いではなく職を奪われていると言うならば、移民同様の低賃金でもあるいはきつい職場でも働く意欲があるかどうかにかかってきます・・同等の条件で働く意欲があるならば、企業は言葉も習慣も通じる元々の地元民を優先的に雇うでしょう。
従って「職を奪う」と言うスローガンは自分達の労働意欲が低いことを自己証明していることになります。
わが国の場合介護士でなんであれ鳴り物入りで外国人労働者を受けれいても日本人労働意欲の高さが・・介護士不足が喧伝されていますが実際には、なる人が増えて来たので外国人労働力定着の事実上の排除原因になっています。
補助金を使って誘致しているのに?外国人が定着しないのは受けれ体制の不備だとマスコミが主張していますが、競争力がない以上は定着出来ないのは当たり前です。
この辺は外資が日本に定着し難いのと根は同じです。
先進国では移民に対する差別賃金が許されませんので、他所から来て言語その他職場習慣に慣れていない・総合競争力で不利な外国人の方が、同一賃金を払っても元々の地元民よりも良い労働力になること自体・・余程地元民のレベルが低い・能力以上の賃金を払って来たことの証明です。
西欧では実力上の賃金を得て来た・植民地時代の遺産でやって来たからこそ同一賃金でも移民に負けてしまうのです。
ハンデイのある外資や外国人労働者に負けること自体が自国民との、能力格差が半端でないことが証明されます。
西欧の問題点は何回か書いていると思いますが,労働=奴隷と言う観念が強く出来るだけ遊んで暮らしたい・・日本人のように「元気なうちは死ぬまで働きたい」のとは違い、「早く年金生活に入り遊んで暮らしたい」と言う【日本人からミレバ)倒錯した願望が強く、植民地支配時代に中流層まで貴族のような生活をしてしまった点にあります。
このような価値観の違いがあるののに、マスコミが頻りに欧米基準の「65歳以上人口何人」の高齢化率を繰り返すのは日本には当てはまらないと言う意見を繰り返し書いてきました。
世の中は比喩的に言えば、能力90〜100点クラスと80点台クラス、70〜60〜50点と段階的能力に応じた居場所・職業や収入が決まっているものでしたが、大量生産社会が始まったことから、様相が変わってきました。
事務系で言えば、新人→主事→主任→係長課長補佐など、現場系でも、職長その他古参順に尊敬される社会ですが、大量生産現場で何千人と並んで働くようになるとそこで働く限り基礎能力差に関係なく収入は労働時間に比例しみんな同じ(平等の理想郷出現?)になります。
50年ほど前に私が若い頃に「大衆社会状況」「自己疎外」社会になると言う社会分析が流行しましたが、これが今になって「格差社会」の現実になって来たのです。
等しく貧しく疎外されるのが大衆社会化の想定でしたが、中には健闘して一定数の巨額収入を得る成功者が出て来たので「一握りの大もうけする人とその他大勢」の「格差社会」になったのです。
ベルトコンベア−式組み立て工程の場合、未熟練労働者の役割増加・・熟練度に応じた仕事がなくなって行く・流通系では間で口銭をとる問屋系が姿を消し、パソコン等の発達によって事務系でも何もかもフラット化して来て,中間管理職不要・・あらゆる分野で、言わば30点〜70点あたりまでの才能の人も10〜25点の人と同じ仕事しかなくなって来ました。
先進国は長年の蓄積があったり、産業革命の恩恵を受けない地域に対する搾取?によって、単純労働(2〜30点の人ができる仕事を5〜60点の人にさせていてもなお従来どおり5〜60点の人に払っていた給与をそのまま払えていました。
これが中国の改革開放によって極端に人件費の安い(約20〜30分の1)新興国の参入が始まるとどこで作っても同じような汎用品については国際競争力がなくなり、先進国も25点の人ができる仕事をしてる元60点の人に従来どおり60点の高収入を払えなくなりました。
この結果目に見える形で中間層の没落が始まり一方で孫正義のような成功者・・1強(と言うのは極端ですが上記例で言えば7〜80点以上の強者)の外は皆敗者・底辺労働者になるしかない社会到来です。
フラット社会の到来が明白になったことを格差社会と言っているに過ぎません。
元々10〜20点レベルで低迷していた底辺層や身障者や高齢者にとっては、格差を感じるのは元々であって、怒ることすら出来ない状態・収入が少なくて生活保護などみんなの世話になっていると言う負い目の方を多く感じる関係で不満を言いませんでした。
汎用品製造工程・・大量生産現場と能力格差の関係で比喩的に言えば、25点以上の能力さえあれば、30点も40〜45〜50点の人も皆同じ仕事しか出来ない・・給与も同じ社会・言わば労働の場での格差をなくす平等化の試みと言えます。
上記フラット化の結果、給与が平均の35点になってしまうと元々20点の人には朗報ですが、45点の人似とっては地位の低下ですし、25点の人と同じ仕事しか出来ない・給与も下がる不満を格差社会と言っているに過ぎません。
45点の能力があっても25点の仕事しかない場合本来仕事以上10ポイントも余計給与をもらって得している筈ですが、元の給与から比較すると10ポイント給与が下がったのが不満なのですが、別の角度から言えば能力発揮出来る場がないことを言っているに過ぎません。
そろばんのプロが計算機の発達で一般事務員と同じ仕事しか出来なくなったやり場のない不満のようなものです。
足の強い人も足の弱い人も同じエレベーターに乗れば同時に10階に着くのが不公平と怒っているようなものです。
足が自慢ならばエレベータに乗らないで歩いて上がったら良いでしょうし、流れ作業がイヤなら自分一人で全部完成したら!と言われるのと同じです。
流れ作業よりも良い製品を完成出来るならば、(エレベーターより自分の足で速く登れるならばエレベーターを使わないなど)それをやれば良いのですが、そう言う能力もないからやり場のない不満を持っているのです。

農協法3(農業停滞の原因2)

戦後70年経過してみると農協は農業発展のための組織だったと言うよりは、発展阻害するための組織・・そのガン細胞みたいになって来たのは、長年政治集団化して来た全国的な農協組織の存在・・独占支配的組織制度にあったのではないか?と実感している国民が多いのではないでしょうか?
政治運動団体みたいになって来たのは、本来農協組織が率先して農業改革をするべきところ、その発案・改革能力がないことから、開き直って政治団体化してしまったようにみえます。
商品や技術に自信があれば、政治力などいらない・・せいぜい政治に妨害されないようにすれば良いのですが、商品や能力に自信がないと積極的に政治力でうまいことをしようとする方向に智恵を使うようになります。
勉強のできない子が勉強を諦めてカンニング方法の研究?や先生に付け届けするのに精出しているようなものです。
本来のエネルギーを商品開発やお勉強に使わなくなるので、商品開発・技術錬磨に注力している企業・他産業・勉強している子に比べて、いよいよジリ貧になります。
農業のジリ貧傾向は、政治力に頼って自己改革努力をおざなりにして来た結果の悪循環によるように思われます。
中韓両国が巨額資金を使って、日本批判のロビー活動や宣伝(国内反日教育活動を含め)に精出していますが、仮にその効果があったとしてもそこに資金や人材を投じた分だけ国内で前向き投資出来なかったマイナス効果が生じる筈です。
食糧自給の必要性もあって、已むなく税金を使って政府が考えて(やっている)のに、結果的に何を改革するにも農業団体に反対されてしまい前に進めようがない状態・・農家保障を追加するばかりの状態が続いています。
自分でやるから余計な口出しするなと言うならば、先ず自分で改革して行くべきでしょうが、戦後70年間も何らの目に見える改革もせずにいて、時代変化に遅れる一方になって来た結果責任をとるべき時期が来ています。
ここ数日のコラムは、そもそも協同組合方式自体に発展阻害の芽がある・・問題があるような直感的印象で書いています。
いわゆる業界団体はそれなりに意味がありますが、組合方式では、個性的な独創や発展性追求とコンセプトが両立しないような印象です。

農業協同組合法
(昭和二十二年十一月十九日法律第百三十二号)
 第二節 事業

第十条  組合は、次の事業の全部又は一部を行うことができる。
一  組合員(農業協同組合連合会にあつては、その農業協同組合連合会を直接又は間接に構成する者。次項及び第四項並びに第十一条の三十一第三項及び第九項を除き、以下この節において同じ。)のためにする農業の経営及び技術の向上に関する指導
二  組合員の事業又は生活に必要な資金の貸付け
三  組合員の貯金又は定期積金の受入れ
四  組合員の事業又は生活に必要な物資の供給
五  組合員の事業又は生活に必要な共同利用施設(医療又は老人の福祉に関するものを除く。)の設置
六  農作業の共同化その他農業労働の効率の増進に関する施設
七  農業の目的に供される土地の造成、改良若しくは管理、農業の目的に供するための土地の売渡し、貸付け若しくは交換又は農業水利施設の設置若しくは管理
八  組合員の生産する物資の運搬、加工、貯蔵又は販売
九  農村工業に関する施設
十  共済に関する施設
十一  医療に関する施設
十二  老人の福祉に関する施設
十三  農村の生活及び文化の改善に関する施設
十四  組合員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結
十五  前各号の事業に附帯する事業

上記事業内容を見れば分るように、農業社会で生きて行くものにとって共同作業や共同施設の利用などに留まらず医療から資金貸し付けまで生活全般の営みを農協が提供して(資金面倒を見る・・農機具や肥料等を農協を通して購入したり)する仕組みになっています。
その他に稲作から果樹園に転換するなどの情報提供・・指導・・そのための資金貸し付けなども農協が丸抱えで行なう仕組みでした。
これでは、構成員の自主性が認められる程度の違いがあっても、(稲刈りの時期を明日にするか消毒をするかしないかは個人の勝手で、ある程度の按配は個人が自由に出来る点は集団農場とは違いますが、その程度です)伝え聞く共産主義ソ連や中国の集団農場経営に発想・根幹が酷似しているのに驚きます。

自創法と農協法2(農業停滞の原因)

農業再生の必要性が言われるようになって久しいですが、農業分野では、自発的な発展・工夫力を失い、再生に向けた動きが業界内から生まれない・政治力に頼って保護政策の強化要求ばかりが報道される現状では国民はイヤになっています。
その遠因は、占領後すぐに始まった農地細分化政策と同時に始まった農協制度にあったと言うべきではないでしょうか。
日本人は戦後廃墟の中から立ち上がり、商工業全般で世界に冠たる成功を納めてきました。
同じ能力のある日本人でありながら、農民に限って創意工夫能力が発揮出来ず、世界の農業に比べて見劣りしているのはおかしい・・制度設計に発展阻害する仕組みが内蔵されていたからではないか?と言う疑問によります。
農地解放(農地の細分化)を法制度化したのが、以下のとおり昭和21年です。

  自作農創設特別措置法(昭和21年法律第43号)

第一条 この法律は、耕作者の地位を安定し、その労働の成果を公正に享受させるため自作農を急速且つ広汎に創設し、又、土地の農業上の利用を増進し、以て農業生産力の発展と農村における民主的傾向の促進を図ることを目的とする。

制作者注この法律は、昭和21年10月21日に公布され、同12月29日より施行された。
農地法施行法(昭和27年法律第230号)により、本法は昭和27年10月21日をもって廃止された。

以上は中野文庫からの引用です。
占領軍が求めていた民主化変更の目玉である新憲法でさえ、昭和21年11月の公布で施行が翌22年5月3日です。
民主化の基礎として占領軍の重視していた、家の制度廃止を法的に実現した民法親族相続編の改正でさえも昭和22年12月→施行23年1月です。
こうした時間軸を見ると、農地解放・細分化実施は、占領と同時に条文記載のとおり最優先事項として「急速」に進めていたことが分ります。
そして、農協法は戦後直ぐ(昭和22年11月)に制定されているのが不思議です。
と言うのは、民法改正・・男女同権の定めや相続分の変更などは、施行の日付を期して相続割合の計算すれば良いので簡単ですが、農地買収の法律が出来ても、実際に買収するには単価の決め方範囲その他容易ではありません。
(場所によって価値が違うので、全国画一的に買収金額を決める訳に行きませんし、現地調査など複雑です)
買収する範囲もいろいろで、地主ごとに残すべき農地との区別作業、それも全国的な認定作業です。
このように法律が出来たからと言ってすぐに自作農が出来たのではなく、法律制定後長期間を要していたのです。
私の実務経験による記憶・・登記簿等を見て来た経験・・では昭和27〜8年ころの売り渡しを原因とする移転登記が大多数です。
先ず、買収から始めて、次に売り渡しと言う順序・・当然不服申し立てもあります・・を践むので、実際にはかなりの年月がかかります。
上記中野文庫の注のとおり、自作農創設措置法が廃止されてこれを引き継ぐ施行法が制定されたのが昭和27年ですから、私の記憶どおりそのころまで買収売り渡し作業に年月がかかっていたことが分ります。
上記のとおり、法律が出来てもたった1年では、小規模自作農がまだ殆ど生まれてもいないのに、細分化した農地を所有する零細農民向けに昭和22年には農協法が成立しています。
占領軍は農地改革と言うより、農協による、農民支配制度確立を余程(前のめりに)急いでいたことが分ります。
農協法を見ると中央からの指導・監督を柱にして一方的に末端農民を指導するコンセプトです。
ロシアの無知蒙昧な農奴や西洋のやる気のない小作人あるいはアメリカの黒人奴隷らにイキナリ農地を与えたようなコンセプトです。
我が国は、庶民末端まで民度が高く、自発的行動を基本とする国民性を全く無視している仕組み制度設計には驚きます。
人をバカにしたこの制度設計のために、折角有能な農民がやる気をなくしてしまった結果、農業の衰退が始まったと見るべきではないでしょうか?
以下農協法を見て行きましょう。

労働収入の減少3(若者が苦しい原因)

ところで、次世代の労働収入が少なくなっている・甲斐性がないのは、次世代だけの責任でしょうか?
労働需要が一定のときに、定年延長をすればその分若者の職場が奪われる関係にあることを、0/01/03「ゆとり生活2」や01/07/10「終身雇用制2→若者就職難2」その他で連載したことがあります。
ただし、定年延長により不当に職場を奪われているのは、従来の定年時期の55歳から65歳前後までの人が働くようになった約10年分だけになります。
ちなみに、日本全体で労働力不足ならば、外国人を入れたり高齢者や女性をもっと働かせれば、国力増進ですが、労働需要減退の結果、失業率の上昇に困っている現状で、労働力の増加・・高齢者の隠退を1年送らせれば、その分だけ若者の職場を奪うことになるだけです。
同じ率の失業者ならば若者を失業させるよりは高齢者を遊ばせておく方が日本のためになるという意見を01/07/10「終身雇用制2→若者就職難2」のコラムで書きました。
・・アルバイト等の非正規雇用世代を養っている60代後半から70代前後の多くの親世代の収入は、過去の蓄積(年金を含めた)で生活しているのであって、(最早働いていないので)次世代の仕事を奪って生活しているのではありません。
次世代の苦境は、日本から労働需要自体が大幅に縮小し始めたことによるところが大きいでしょう。
労働需要縮小は、日本が先に発展したことによる高賃金化の結果、労働市場での国際競争力を失った結果であり、親世代の責任でもなければ次世代だけの責任でもないことです。
これは世界の発展段階のなせるワザであって、次世代にも適応能力として労働需要縮小を緩和するために努力・寄与すべき分がいくらかあるとしても、現在の苦境は次世代の適応能力不足が100%とは言い切れないでしょう。
このシリーズでテーマにしている労働収益から資本収益への変化を見ると、次世代の責任というよりは世界の構造変化によるところが大です。
労働需要縮小がどちらの世代責任かはさておいても結果としてみれば、今の若者は親世代に比べて親世代の恩・扶養を歴史上最大に受けている関係で子世代が損をしている関係ではありません。
世代間対立を煽っても前向きの解決にはなりません。
親世代が高度成長期に儲けた利益を海外投資していることによって、その収益で現在日本の次世代生活費の多くを賄っている・補助しているのであって若者の職を奪う関係にはなっていません。
非正規雇用等で月額15万円前後の収入で40万円前後の水準で生活が出来ているのは、親世代から現金の援助がなくとも親の家に同居して家賃が不要になっている・・親の資産収入によるものです。
もっと言えば、本来中国の労働者と同じような単純作業でありながら中国人労働者の約10倍の賃金を得ているのは、その差額・・9割分は海外からの資本収益=先人の蓄積による援助・・食いつぶしによるものです。
エルピーダメモリがついに倒産しましたが、ここに至るまでにはそれぞれの親企業の過去の儲け・蓄積を投入し続けこれも限界になって・・09年には公的資金が300億円つぎ込まれたものの、ついに支え切れなくなったものです。
この間の従業員は結果から見れば長い間に先人の蓄積した企業利益や国費としてつぎ込まれた資金と同額だけ、自分の働き以上の収入を得て来たことになります。

 円高の原因2

東京メトロ株売却の話題から、国有資産売却の功罪・増税のメリットに関するテーマにそれてしまいましたが、もう一度9月28日の円高の続きに戻ります。
アメリカは日本の逆で1986年から純債務国に転落しています・・蓄積がない国となれば、サラ金地獄同様で借金はフロー収入から返すしかないので年収・GDPが重要な基準になります。
日本は純債権国になって久しく・豊富な外貨準備があるので仮に日本を標的に売り浴びせをしても日本が「じゃあ、外貨準備を取り崩す」となれば、売り浴びせている方の国の外貨が暴落する・・日本の円が上がる結果になるので、どこの国もそんな攻撃は仕掛けられません。
これが現在のところ(日本も将来純債務国に転落すれば話は別ですが・・)究極の避難先として円が選択される・・円高の根源です。
ところで、単に避難先としての臨時的な円高だけではなく、実際には、日本の場合長く続いたデフレ状態で、国内物価が大きく下がっているのに対し、アメリカなどかなりの割合で物価上昇していましたから、(中国でも最近では生活必需品の豚肉の値上がり率が14〜5%にもなっていると報道されています)購買力平価(理論値)で見れば、5〜6年前よりは実質的な円相場水準はまだ円安状態らしいですから、安過ぎている円相場の実力相応への収束過程も加わっていると見るのが正しいような感じです。
何故実力以上に円が安かったかと言えば、08/07/08「国際資本市場の条件1」その他あちこちで円キャリー取引のテーマで書いておきましたが、我が国だけがバブル崩壊後の処方箋として超低金利政策を続けてきたことによって、円キャリー取引が進み、経常収支黒字相当分以上の円の流出が続き、その分黒字累積分に対応するべき円高が押さえられ、流出の方が多かったので円が下落していたのです。
リーマンショック以降アメリカも低金利政策を採用したことによって、投資家が日本から金利の安い円を借りて持ち出すメリットがなくなったことにより・・アメリカへの資金環流システムが崩壊したので、今になってその帳尻合わせ・・復元過程になっているに過ぎません。
ジリジリと続く円高は、結果的に輸入価格を押し下げて行き、国内企業の(たとえば鉄鉱石や原油・天然ガス・食料など)仕入れ価格の低下を通じて、国内物価の低下を進め、国内製造業の製品価格を下げて国際競争力がつくので、長期的にみれば悪でも善でもありません。
人件費だけ下方硬直性があるので、結果的に人件費が割高になる・・裏から言えば、個々人への所得分配率が上がりますから、経営者にとっては苦しい・・これが円高に対する悲鳴の基本でしょうが、これは経済というよりは分配率がどうあるべきかの政治の問題です。
上記に加えてアメリカや中国その他諸外国では上記の通りインフレが進んでいたので、年々ドルや元の購買力が実質低下していたので、そのバランス回復過程との複合過程が最近の円高基調と言えます。
投機筋の思惑で短期的に下がり過ぎたり、上がり過ぎたりしても長期的には、購買力平価に落ち着くのが為替相場ですから、大騒ぎする必要がありません。
乱高下があると短期的には調子が狂いますが、長期的に見れば国の評価が上がっていることですから目出たいことであって、これを悲観するのは異常です。
円がドンドン下がって行き底が見えなくなる方が怖いでしょう。

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