社会党の教条主義化4(日常活動軽視)

昨日紹介した論考に関する感想の続きですが、社会党凋落が決定的になった69年総選挙敗因を読むと日常活動による個人後援会が育っていなかったことが一因であるようにも読めます。
日常活動が充実していれば、これに比例して社会変化への適応力がつき、世話になった庶民の感謝の気持ちから活動資金も集まりやすいのですが、日常世話活動がほとんどなく観念論の演説に酔い痴れている状態では支持率低下に比例して資金源も細ります。
庶民との接点を重視しないメデイアの振り付けに頼る・・西洋的愚民思想・・庶民は愚かなので宣伝対象に過ぎないと思い込んでいる政党が庶民の代弁者を名乗る資格があるのでしょうか?
社会党がもう一歩で政権交代可能か?というチャンスに中ソの支援に頼るようになっていった結果日常感覚で遅れをとったのに対して共産党は逆に中ソからの独立路線に転じた点が大きな違いになりました。
(児童売買春に関して世間を騒がせたNGO関連で少し書きましたが、この数十年でいえば国内支持不足を国連等の応援?国際社会はこうだ!というグローバル論法にたよって国内批判をする現在のNGOの先駆者?になるのかな?)
共産主義政治の優位性を語る主義主張では国民支持を受けていませんが、外国の手先でないかという疑念を抱かれない点が独立路線に転じた共産党の強み・一定の岩盤支持が残っている違いではないでしょうか。
共産党が独自路線選択の結果、中ソの支援が期待できなくなったので国内での地盤が必要になってある程度日常活動が必須となり、生活者の基礎能力の高さを否定できなくなった結果、次第に庶民意思を汲み取る能力がついてきたと言えるのでしょうか?
日本社会の大変変革期が到来した鎌倉末期にこれを精神面で体系化するのに必須の新宗教が興った・・・浄土信仰と禅宗・日蓮の3宗教でした。
このうち他力本願系と自力系に分けると自力系では内向して行く禅宗系と外的行動を求める→過激主張・過激行動の日蓮宗の2系統に分かれましたが、ボトムアップ型民族の日本では生活人がじっくりした話し合いで決めて行けば良いという知恵・・過激主張と過激行動は好かれない民族性が明らかになったように思われます。
共産党が独自路線採用の結果、価値基準も日本回帰して見ると、ソ連流の「暴力革命」の標榜は社会内孤立するという見通しを持ち、価値観でも国内回帰・大転換したように見えます。
この頃大学内のいわゆるブントに対して「学生は街頭活動や闘争するものではなく、より一層勉学に励むべし」という中央指令を発したので全学連が混乱に陥る、党中央に従うものと、あくまで武闘路線に突っ走るグループ等に四分五裂していくようですが党は動揺せずに安保騒動やその後の全共闘運動等に対して一貫して「跳ねっかえり行動が権力による取締体制強化を誘発するマイナス行動」として厳しい批判を繰り返してきました。
学生の過激運動禁止で共産党の影響力低下の穴を埋めるチャンスとばかりに学生運動連携を強めた社会党は60年安保直前の砂川基地闘争、三池闘争等の学生運動と連携して以来、過激化する一方の学生運動と運命を共にする方向になっていったように見えます。
共産党は独自路線の結果、行き詰まりの反動で人民弾圧を始めたソ連や中国批判を遠慮なくやれたことも時宜にかなっていた面があります。
革新系野党が今でも指導層を高学歴者に頼り、運動方法としては学者声明にこだわる体質が変わらないのは、党は人民を教化する前衛・エリート集団であるという価値観・・DNAによるのでしょう。
韓国では名門大卒かどうか・・最近では超一流企業となったサムスン社員かどうかは昔のヤンパン階層かどうかによるとてつもない格差を示す道具になっているのと同じで思考法です。
共産党や公明党なども代議士、地方議員等は、党が指名して立候補できる仕組みのようなので、社会党の党員の強さに似ているように見えますが、地元民と接触する日常活動の活発さに比例して党員の現実感覚が磨かれるので社会党ほど教条主義者がはびこり難い・・日常サービス活動が残る限度で一定の支持を得て生き残れているのでしょう。
社会党の弱点は官公労等の巨大組織に頼り地元密着の日常活動をほとんどしてこなかったことだと思います。
もともと共産党の方が、共産主義革命そのものをめざす理想主義者?の集まりであり社会党の方が現実的政治センスある集団だったはずです。
昨日紹介した社会党研究論文の前提事実でも、元は現実政党であったのに次第に左傾化して行ったという意見です。
上記によれば、これは結果であって原因ではないという説明になるようです。
現実政党で政権交代可能性が予定されていた社会党が、何故観念論集団に堕して行ったのか?
私の素人意見ですが、選挙民の要望にこまめに対応する日常活動に力を入れたかどうかの差ではないでしょうか?
共産党は自民党顔負けのドブ板選挙に励んでいたので、中国の文化大革命の失政やソ連によるハンガリー動乱やプラハの春やポーランドに対する戦車蹂躙があり、ソ連崩壊等によって共産主義の輝きを失っても日常活動による下支えが現在も効いているように見えます。
社会党が足場を失っていった原因は日常活動ほぼ皆無でメデイア界や文化人等の支持・実態に合わないメデイアのヨイショ記事?あるいはメデイアが掘り起こした政権要路者批判先行によるムード盛り上げに便乗して国会で追及する・タレントが振り付けどおりにテレビで振る舞うような行動に頼ってきた点にあったと言えそうです。

民主主義と利害調整力不全4

メデイア界では識見を有するかの根拠もない若手タレントがズバリ歯切れよくいう事(多くはメデイアの振り付けに従って)そのものを目的にしたバラエテイ番組などが数10年前からかな?はやるようになっています。
メデイア界では「たかじんのそこまで言って委員会」「〇〇ズバっ!」という番組が続いていましたが、論旨明快を通り越してさらに露骨に一歩踏み出すのが喜ばれる時代がきていたのです。
いずれも内容のない思いつき的意見をテレビ局の振り付けどおりに話すパターンですが、こんな底の浅い番組のどこが面白いのか不思議ですが、この程度のことですごい頭の良い人と感心する人が多いからでしょうか?
今朝7月2日の日経新聞5p下欄の週刊誌広告・週刊文春には木村花さんテラスハウス、母が衝撃の告白「スタッフの指示通りにしただけなのになぜ娘がパッシングを受け死ななければならなかったのでしょうか?」という文字ですが、こんなことを文春が取り上げなくとも常識ではないでしょうか?
文春のインパクト・成功の秘訣はほぼ常識となっている虚構を何かのきっかけをつかんで衝撃的に暴くことかもしれませんが・・。
ネット発達によって特定問題について大手メデイアの選別を経ないで一定専門家が自分の考えや言葉できっちり解説するユーチューバーが出てきましたが、これはこれで偏りがあるというか一人で最後まで話す以上は一定の偏りがあるのは当然ですし、それが面白いのですからテレビのように一方的垂れ流しで選択権のない報道と違いネットの場合、自分で多様なユーチューバーを選んで聞き比べれば良いことです。
近代社会が理想とする積極的発言する社会は教養のある市民社会(相応の識見)を前提に、言いたい意見をモゴモゴ言わないではっきり主張することを前提にしていたと思われます。
大衆社会化が進み、冷静な議論より感情的反応によって即時⭕️❌反応するのに長けた人が発言力を持つようになると論理的裏付けに基づく冷静な議論が不可能になってきます。
ネット・スマホというツールによって思ったままアケスケにいう社会になった・底辺にまで表現拡散権を広げた結果、ネット炎上が多発するようになったのがその象徴でしょう。
市民革命によって生まれた落ち着いた議論のできる「市民」(新興産業の経営者・ブルジョワジー)による合理的な討論によってより良い意見を生み出していくことを前提にした19世紀社会の理想である憲法・・近代法の原理で行なっている矛盾が今回のコロナ禍で先送り仕切れない巨大な矛盾として立ち上がってきたと見るべきでしょう。
先進国では、何ごとも我慢する必要がないとして権利として主張し論争の種にすることが進んだ姿(意識高い系?)として褒めそやし持ち上げすぎたことによる弊害ではないでしょうか?
何となくモヤモヤしたさ社会に対する不満のはけ口を求める空気があって、それに迎合して根拠なく単純言語で言い切ってしまう。
生活保護基準を月額20万円に引き上げる!最低賃金を二千円に引き上げる、奨学金の支払い義務を全部チャラにするなど言い切ったが方が勝ちみたいな風潮が広がります。
いわゆるバラマキ型ですが、あらゆる分野に都合の良いことを言っても具体的対立関係がないので対象になったグループは喜ぶだけです。
高校大学保育園無償も出産者に一律50万円支給も芸術家支援「アパート家賃半額支給、消費税ゼロにします」「障害者支援」もお互い二択・・対立関係ではありません。
良いことづくめでトータル国家運営では矛盾ですが、個々の受益者にとっては(高校性の親と大学生の親の対立もなく、目先敵対関係が起きないので、自分の子どもの学費を無料にしてくれるなら投票しようかとなります。
対外政策その他従来型争点で公約をすると不利益を受ける対立が必ずある関係→対立グループの離反を招きますが、上記のような消費者向け口当たりの良いバラマキ主張は敵がありませんし、バラマキの言いたい放題です。
大規模政党になるには国家経営ビジョンを示す必要がありますが、さしあたり2〜4人程度の当選を目指すなら国家ビジョンまで必要がないでしょう。
良識のある人に限らず納税している人から見れば、その資金は誰が負担するの?という疑問に行き着きますが、非課税層を増やすとポピュリストの宣伝にまともに乗る人が増える関係になりそうです。
いわゆるポピュリストが登場し易い社会になってきたのが、大手メデイアやネット発達による結果です。
小泉元総理の次男?小泉進次郎氏が、デビュー直後から気の利いた発言でメデイア界の寵児になっていましたが、環境大臣に就任して責任ある立場になると、これまで連発していた気の利いた発言が内容実質に基づかないものだった(当たり前?)・メッキが剥がれてしまったイメージになりました。
メデイア受けのする発言は、バラエテイー番組のタレント的素養・・・振り付けどおり発言する能力があればできることが判明したことになります。
メデイアというのはそういう視聴者(底辺層は富士の裾野のように最大多数です)をターゲットにして情感に訴える報道をしてきたということです。
政治家もこの巨大層を重要票田とみなし始めたのです。
戦後からネット開始まではこの巨大層の支持を得るのは大手メデイアの誘導が威力を発揮していましたが、ネットの威力が高まると大手メデイアが意図する方向ばかりに政治誘導できなくなりました。
そのエポックになったのが朝日毎日を中心とする慰安婦報道に対する反撃だったでしょうか?

豪華クルーズ船対応批判10(米国の対応4)

岩田氏らが賞賛していたであろうお手本の米国でも、下船決定後寄港先を決めるだけのためにその後さらに4日かかり、3月4日から数えて「10日時点ではまだ1000人以上が船内に取り残されていた。」という状態が記載されています。
また上記を見ると一部検査しただけで検査中止しているのも不思議です。
下船後検査のルール違反を理由に検査を中止したのでしょうか?
なんとなくルール死守が最優先のようで目の前の患者を救い、蔓延を防ぐ検査本来の目的を忘れているのではないでしょうか?
ルールあっても患者を救うという心がないのでしょうか?
これ一つが原因はないでしょうが、米国で感染者や死者が増え続けている原因の一つと言えないことがありません。
ところで3500人以上のほんの一部の検査で終わっている→その他は未検査下船なので、どうやって客を分類したかです。
症状によって、入院組と基地やホテル組みに分離したようですが、外見症状で足りれば、検査不要ですから検査自体はふり向け先についてからそれぞれ検査したように読めます。
そうすると基地やホテルへの移動は症状別に一台または数台のバスに同乗していたとすれば、個室原則の船内隔離と違い狭いバスに数十人乗車させて移動させれば(外見症状が軽い人も検査結果、陽性になった人が一定数いたでしょう)その間に感染するリスクをどう考えていたのか疑問です。
日本の場合全員検査と検査による陰性判定後2週間船内隔離後の下船でしたので、下船後のバス移動は、陰性判明(後2週間経過)者のみの同乗でした。
陰性・陽性の検査もしていないのに米国の場合、下船手続き自体劣悪で文春レポートによれば
「「乗客がまるで牛のように並んで降りる順番を待っていたわ。みな1カ所に集められ」
という状況で日本にくらべて1ヶ月後の事件なのにいざとなれば、入港反対等々総合的対応レベル(民度の低さ)に驚くばかりです。
今回のような未知の災禍に対しては、科学的知見のみでは解決しきれない民族の総合力が問われたように思われます。
特定のこの対応がよかったとか悪かったというような粗探しの逆張りみたいなチェックでは今の所誰も成功していないように見えるのは、民族全体を一つの生き物のように、危機対応の総合力が問われる事態だったからではないでしょうか?
日本の場合外国船なのに横浜寄港に地元が反対せず、すんなり受け入れたばかりか地元病院でコロナ陽性患者を(フィリッピン人か否かの区別せずに)引き受けていました。
日本の場合、自国船籍でないので入港拒否も当然選択肢だったようですが、それをするとその船をどこの国も受け入れないとどうなるかの人道問題の外に他国で受け入れた場合受け入れ拒否した日本は無責任だという批判もありうるし、そもそも乗客の多数が日本人である特性もあり、政治判断として受け入れるしかなかったようです。
文春引用に戻ります。

100万ドル以上の訴訟を起こした夫婦の言い分は?
この夫婦によると、サンフランシスコで乗船する際、体調の良し悪しを確認するための書類に記入を求められただけで、スクリーニング検査は行われなかったという。
また、訴状には「同社はダイヤモンド・プリンセス号での経験を踏まえて、乗客を保護する対策を考案すべきだった」とある。つまりは、「ダイヤモンド・プリンセス号」での教訓が生かされていないことも問題視しているのだ。
下船後、乗客はどんな対応を受けたのか?
隔離中なのに「歩き回る自由」がある
・・・ダイヤモンド・プリンセス号」でも、乗客は、一定時間、デッキに出ることが許され、他の乗客と一定の間隔を開ければ良しとされたが、アメリカのメディアからは、乗客がみなそれを遵守していたかは疑問だという指摘があがっていたからだ。
カリフォルニア州のトラヴィス空軍基地内のアパートに隔離されている乗客は14日間の隔離に入ったが、「まだウイルス検査を受けることができていない」と不満を訴えている。
感染している”乗員19人も船内に留まっている
感染がわかった19人の乗員もまた、他の1000人を超える乗員(多くがフィリピン人だという)とともに、船内隔離されることになったのだ。

日本の場合船長に至るまで一人残らずきっちり面倒見ましたが、米国の場合フィリッピン人中心の乗組員のうち19人の陽性反応が最初から出ているのに船内隔離のままで船内に残っているようです。
引用続きです。

感染している乗員をホテルや基地に収容せず船内隔離する理由について、カーニバル社は「ウイルス検査で陽性だった19人の乗員は、無症状であるから」と話している。

無症状なら安全という論理が正しいのならば、米人客も船内隔離で14日間放置してれば良かったのではなかったのか?
19人の陽性者を船内に残していても、残りの乗員981人に感染が広がらないという論理が不思議です。
フィリッピン人に対してはホテル待遇はもったい プラス米国国費で医療提供したくないということでしょうか?
米国基準は文字には出ていないもののまず人種差別というか、格差待遇意識が基礎にあるような印象です。
これが米国での大規模感染拡大・死者激増や、ミネソタ州での警官による黒人殺害に対する異議申し立て・・全米的騒ぎにつながっているのでしょうか。

豪華クルーズ船対応批判4

同様にクルーズ船入港前から受け入れ研究が進んでいたでしょうから、武漢からのチャーター機帰国者の行動が大きな先例であり検査拒否者をどうするかが重要テーマになっていたと想像するのは、外野の思い込みに過ぎないと言えるでしょうか?
自粛要請を無視して格闘技大会を強行すると巷では(経営者が日本人でないのでは?)というひそひそ話が出回るように、クルーズ船は英国船籍の船でもあり外国人観光客が多数を占める場合、何%の造反が出るか、その場合感染拡大に対する防御策があるか、あるとしても有効性がどうかなどが大きな議論になったと見るのが普通です。
武漢からの帰国者の場合検査拒否しても自宅に帰っただけですが、観光目的乗客が拒否して国内各地を移動しまくる場合の感染拡大リスクは桁違いです。
クルーズ船乗客の場合・例えば4〜5日〜1週間程度の旅行日程できた人が、上陸後2週間も船外のどこかのホテルにステイしてじっとしているのに協力しかねる気持ちになるのは当然・非難性が低い→拒否し易いでしょう。
往復船で来た人は帰りの船が2週間後まで待ってくれるか2週間後に自分で帰国用の飛行機予約できるかも不明です。
クルーズ船客が黙って2週間の滞在に応じる確率が低いし、それに日本がこだわると法的根拠があるのかなどの国際的紛争を引き起こしかねないリスクなどの総合判断が行われたと見るのが普通でしょう。
今は入国解除するにしても2週間待機を前提条件にするのが国際慣例(相互主義)なっていますが、当時まだ二週間待機要請が議論の初期段階で入国条件として一般化していない時期だった記憶です。
下船=入国許可後の検査と船内検査の利益衡量をすると、下船後検査の場合、外国人観光客に下船後検査を拒否されると手の打ちようがないのに対し、船内検査の場合検査拒否すれば入国拒否すれば良いだけで単純順明瞭です。
船内検査に時間が掛かる→その間感染者が増えるかもしれないが、陽性結果者には法律上全員強制入院させられる・どちらを選ぶかの政治判断による選択だった(設備優劣でなく)と見るのが素直でしょう。
国際法で考えると入国前の防疫審査で一定の時間がかかっても・・中国がフィリッピンに対する嫌がらせにバナナ検疫に時間をかけることなどがしょっちゅう行われていますが、ズバリWTO違反になりません・・妥当性の問題です。
入国審査(防疫検査)に2〜3時間並ばせようと結果が出るまで5時間〜翌日までかかろうと妥当性の問題ですが、入国条件に2週間の移動制限や検査協力を求めるのはこの情勢下では妥当性はクリアーできても、拒否された場合強制できる法が存在しない点が致命的です。
武漢帰国者検査拒否者の論理を法的に考えると検査承諾の誓約は民事契約に過ぎず、契約による身体に対する直接強制はできない・・契約違反の損害賠償請求されてもいいという程度の意味でしょうか?

民法
(履行の強制)
第四百十四条 債務者が任意に債務の履行をしないときは、債権者は、民事執行法その他強制執行の手続に関する法令の規定に従い、直接強制、代替執行、間接強制その他の方法による履行の強制を裁判所に請求することができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。
2 前項の規定は、損害賠償の請求を妨げない。

一般的に身体強制は上記間接強制しかできない解釈です。
間接強制は、「違反1日当たりX円を払え」という判決を求めるしかないことになっています。
弁護士に頼んで訴状を出し、それから1ヶ月後に裁判が始まり・・そんな悠長なことをしているうちにどんどん感染が広まったらどうするかが喫緊の課題でした。
こんな悠長な裁判を(国内移動目的の住居不定の外国人旅行客相手にそもそも訴状・呼び出し状送達をどうやってするのかの事実上の不可能性があります)しているうちにコロナが広がってしまうので上陸後検査拒否されれば政府としてはお手上げです。
そもそも一般的入国条件を満たしているのに外国人相手に2週間の移動制限や検査を受ける事前承諾を求めた場合、これが国際法上有効かすら俄かにわかりません。
違法の主張が起きて・・いうだけタダですので、承諾拒否された場合どうするかの問題が起きます。
これが国際報道され違法行為をしていると日本は国際非難を受けるリスクがあります。
当時は今のように2週間自粛要請がまだ一般的ではありませんでした。
さらに承諾しても、いざ下船後武漢からの帰国者のように検査に応じ、結果出るまで外出しない約束を守るかどうかすらわかりません。
船内検査した方がよいかどうの判断基準は、設備の優劣にあるのではなく、入国を認めても下船後外国人全員に検査強制できるか、一定期間待機強制できるかの問題があるのに対して、船内=今回のクルーズ船は英国船籍内にいる外国人=入国前の検疫であれば強制する必要すらない・検疫に応じなければ入国拒否できるのが国際法上の権利ですので、検疫検査結果が出るまで入国手続きに応じる義務がないという出方をすれば法的に単純明快です。
選択にあたって比較すべき項目は検査設備や受け入れ態勢の問題でなく(独りも逃さず)全員検査できるかのテーマ比較だったと想定されます。
以上は事実経過の公表がないので何が事実か不明ですが、結果から見ればそうなるということです。
岩田氏は持論の正当性を主張するならば、「最初のジレンマ」だけ出さないで当時議論された問題点を全部出すべきです。
彼は感染症の専門家の立場で、検査できる所与の環境下でどのような感染予防策がよいかの比較をした経験→関心が主だったでしょうし、厚労省役人は国際条約や国内法規の制約のもとで何ができるかできないかの前提条件のチェックがまず気になる点が大きな違いです。
医師の場合、患者が医師に見て欲しくて病院に来る前提・経験が多い・・見て欲しくない人のところへ押しかけて行く必要が滅多にないので、拒否されたらどうするかのテーマに関心が低かったのではないかの疑問を抱いています。
岩田氏の主張を見ると上陸させて分離管理して検査すれば良いのに・・設備不十分な船内検査を(厚労省役人が)選択した以上は、上陸後の検査以上に完璧であるべきとの主張になりそうです。

専門家の責任4

元のテーマ・精神障害者に対する強制隔離の問題点に戻ります。
精神医学の基礎的本(法律家が必要とする程度の基本書のレベルですが)を読むとエピソードと称していろんな病名診断の事例紹介が出てきます(素人には分かりよくてありがたいです)が、患者自身が語るのは一応の信用性のある病状説明でしょうが、患者自身が語ることの裏付けとして周辺が語るのを利用する場合は補強証拠としてならば有用です。
しかし、周辺の人が過去にこのような異常なことがあったと語るエピソードを患者が言わないか否定しているにもかかわらず本当にあったことと決めつけて・あるいは誘導的質問で迎合的同意を取り付けたり患者が自分のしたことを忘れている証拠に使えるかは慎重であるべきです。
経験による総合判断程度の精神病の診断では、周辺関係者の共謀による場合には口裏合わせのからくりを見破る能力にかかる率が高いので、隔離する判断の客観性担保は複数医師による診断に求めるだけでは、抜本的信用回復にはなりません。
宇都宮精神病院事件のウイキペデアイアを紹介しましたが、内科や産婦人科等の医師が一定の講習を受けさえすれば、ある日精神科医になれるのでは、複数の医師による診断制度といっても技術担保というより2人がそろって悪いことをしないだろうという程度の人格期待にしかなりません。
内科医から心臓外科や脳外科医になるのはちょっとした何時間の講習何回受講程度では無理があるのは明白ですが、内科医から精神科医になるのが簡単なのは、そもそも専門家と言えるスキルが必要とされていないからでないかとうがった見方もできます。
宇都宮病院事件に関するウイキペデイアの再引用です。

精神科医の人数は病床の増加に見合ったものではなく、実際のところ増加した精神科病院に勤務する医師の殆どは、内科医や産婦人科医からの転進であった。精神科病院は、内科や産婦人科よりも利益率のよい事業のため、医師たちは診療科を精神科に変更したのである。宇都宮病院もこの時期(1961年)に、内科から精神科へ事業を変更している[6]

これに加えて、こういう症状・・エピソードがあればという一般向け解説書が出回っていると、隔離を計画的に画策する方は、そういう口裏合わせをすることが容易です。
関係者の経過説明の信用性判断を基本としての診断が科学と言えるかどうか怪しい医学基礎知識の上に加味して決めるのであれば、こういう判断には医師以外の関与が必須でしょう。
しかし毎回の診断に第三者関与を求めるのは物理的に無理があるので、圧倒的多数の第一次診断は従来通りとなります。
宇都宮精神病院事件を契機に患者の外部への不服申し立て方法が整備され、不服があれば審査会が設置されるようになっていきましたが、精神医学自体がはっきりしないエピソードに頼る以上(素人の私に理解不能なだけかもしれませんが)問題が起きてから審査する制度に頼るしかないのが、現状というべきでしょう。
審査委員の構成も累次の改正によって、福祉に経験のある人が加わるなど多様化するようになっています。
とは言え、精神科医の多くは、この未知の領域で苦しむ患者を救うための崇高な理念で正解を目指して少しでも良いから徐々にわかる範囲を広げようと努力していること自体は非常に尊敬すべき立派なことです。
こういう医師が大多数であるものの、(私の知っている限りそれぞれ真摯に患者に向き合っている人ばかりでしたが)たまに宇都宮病院のように金儲け目的で始めると、匂いがするのか?そういう目的の邪悪な人が利用するようになる・・一般人に匂いがするようになっても監督機関に匂いがしないのか?
ある程度怪しい噂が監督官庁に入っても警察と違って内偵能力などないし、ブレーキが効きにくくなるのが困ったものです。
精神医学ではいまだに群盲象を撫でるような努力が続いている(素人には見える)のですが、それでも発達障害その他多くの分類ができるように発展してきただけでも大きな進歩のように見えます。
地震や火山噴火予知などもこれが学問と言えるかどうか不明と言えるほど未知の分野がほとんどのようですが、それでも地震予知学の救いは地震発生のメカニズムの全体が不明でも議論前提の各種データ自体は科学的数字のデータ中心なので、見るからに科学っぽい点がまるで訳のわからない精神障害の研究より、やっている学者にとっては救いがあるでしょう。
予測不能の変数が多すぎて、いつも予測を外す経済学者の論説も同じで結果だけ見ると無駄な議論だと乱暴に?切り捨てることも可能ですが、今は直ちに成果に結びつかなくとも地道に研究していくことがそれなりに有用です。
宇宙の神秘について、古代エジプトやギリシャ人が数学的に色々研究していたことがその当時の成果に直結しなかったにしても、その頃からの連続した研究成果(たとえば地動説や万有引力の法則→相対性理論・結局何もわからない=不可知主義の台頭?→「無知の知の自覚」がモテはやされたり)が現在のいろんな科学発展に資していることは明らかですし、人工衛星等の実用化の基礎になっていることでしょう。
米中対立が一時休戦で今年になれば中国経済が持ち直し世界経済も拡大という予測が一般的でしたが、今回の新型ウイルス事件で全部吹き飛びました・・結果だけ見れば学問と言っても皆そんな程度のものです。
結果がわからないといえば、新型コロナウイルスや精神病に限らず全ての学問は同じですが、地震学で言えば一応の論理があるので一歩一歩地球の仕組み解明に近づいていくように思えるのですが、精神病の場合まるで手がかりさえない・・素人にはそのように見える点で、学問というよりともかく困ったものに近づかない程度の社会合意しかないイメージです。
ただし、いろんな委員会で出会う精神科医あるいは一般医師と話していると頭が良い感じで、こう言う優秀そうな人たちが取り組んでいる以上は、(素人に理解困難なだけで)学問的にも科学的批判に耐える合理的な議論をし、研究してくれているのでしょう!と言う個人的信頼感を持ちたくなります。
要は地震等は一般人の関心が高いので新聞等の解説記事が多いので、まだ全体の仕組みが分からないなりに地道な研究が進んでいるのだ!という理解が進み易いのに対し、医療の方は庶民に身近になっているで分、逆に忙しすぎて丁寧な説明をする時間がない・・3分診療になってしまう関係でしょうか。
その結果、心療内科や精神科に関係すると「この頃眠れなくて」というと何か心配事ありますか?勤務先でこういうことがあってなどと、説明するとあんちょこに安定剤、睡眠導入剤等を処方されて終わりの印象です。
本当に眠れないのか眠れないように思っているだけか?勤務先で嫌な思いをしているというが本当かなどのチェックなど一切しないし、する方法もないでしょうから、信じて治療するしかないのでしょうが?
プロの目から見れば瞬時に信用性がわかるからでしょうか?
(ただし、私の少しの経験を一般化するのは間違いの元ですので、そのように理解してお読み下さい)

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