公営住宅のミスマッチ2(都心集中時代)

急激に増えている単身者用生活インフラ不足のミスマッチを前回書きましたが、今回はファミリー向け公営住宅の立地に関するミスマッチのテーマです。
公営住宅は都市が郊外へ郊外へと拡大し続けていた今から4〜50年前の時代に公団や県営・都営住宅を計画してその後広大な土地買収を経て昭和40年代に多く造ったために、都市機能の拡大予想に基づいて不便な場所に立地しているミスマッチもあります。
巨大団地の構想を練った昭和30年代後半頃にはまだ高層マンションにファミリーで住むことなど想像もできなかったので、都市はだだっ広く広がるしかないと無意識に考えて郊外の団地造成用地の取得に励んで行ったのですが、今や、都中心部に高層マンションが林立する時代です。
多摩ニュータウンの例がよく出ますが、そこに住んでいる子育て中の主婦層が働きに出ようとすれば、近くには公団・居住用施設ばかりで、これといった職場がなく、大変らしいです。
域内でちょっとした現場系パートを募集したところそうそうたる国立大の大学院卒の主婦が応募して来たと驚いている事例がありますが、主婦が短時間で通える圏内にマトモな事業所が少ないのです。
公営住宅は商売とは違うとしても、価格補助が税で行われるだけであって、需要・市民のニーズを無視して良いものではありません。
需要・・必要があるのにマイホームを持てない人のために公的住宅制度があるとすれば、需要のあるところに準備するのが親切・責務と言うものです。
為政者が利用者の立場に立つべきとすれば、時代の要請に合わせて需要のあるところに立地すべきは当然です。
都市・都心集中を進めるべき時代に為政者はどんな見識によるのか、時流に棹さして拡散して住まわせようとする余計なお世話・・誤った考えを強制したいのかも知れません。
・・・その結果、低廉な住居を最も必要としている経済弱者が仕事のある市街地から遠すぎて応募出来ない事態が起きています。
言わば、通いきれない遠隔地に住居を用意しておいて応募者が少ないから、需要がない・・公営住宅供給の使命は終わったと言うのはマトモな神経ではありません。
サービス業従事者などが増えてくると男性でもあまり遠くからでは深夜早朝に通いきれないことと、最近は短時間労働も増えていて、掛け持ち勤務者が増えていますが、遠距離通勤では掛け持ちが困難で働ききれません。
パートなど弱者労働では交通費の出ないところが多い上に短時間労働も多くなっているので、遠すぎる郊外の団地では通勤時間と交通費の比重が大きすぎて大変です。
(中にはバス代を浮かせるために何キロも歩いている人もいます)
私の住んでいる千葉市の例でも、私が千葉に来て最初に住んでいた千城台と言うニュータウンやその周辺では、県住や市営住宅の募集があっても、パート等の女性には不便すぎて応募出来ないと言っています。
千葉駅まで片道約40分程度もバスに乗って出てきて、そこからまた別のバスに乗り換えるのでは、時間と交通費がかかり過ぎます。
自分一人ではなく子供の通学交通費もかかるし、何かとモノイリ過ぎるので2〜3万円家賃が高くても中心部に住んだ方が合理的らしいです。
中心部に住むと通勤時間にかかる分だけ多く働ける・・子供が夜遅くまで塾に通える・高校生になると子供もバイトしたり遊んだりしたいなどなど、メリットが大きいからです。
午前中(ビルの清掃など)と夕方(飲食系)は別のところに働きに出ている人が結構多いのですが、遠くから通っていると空きの時間が無駄になってしまうようです。
千葉県では千葉ニュータウン等郊外に大きく延びた沿線の分譲が盛んでしたが、ひとたび経済弱者の転落すると(そういう人が多く相談に来るのです)最近出来た線路(北総線や東葉高速線)のために馬鹿高い交通費がネックで、新京成沿線等の旧来型ごたごた住宅街の民間アパートに引っ越して行く例があります。
書けば切りがないですが、いろんな角度で需要動向が様変わりですから、公営だから不便でも仕方ないだろうと言う政策では弱者にかわいそうですし、何のための公営住宅か分りません。
エリート社員はバス交通費どころか新幹線通勤費まで出る人がいますし、こういう場合、奥さんは専業主婦層が殆どですし、子供の通学交通費も気にならないでしょうから不便でも空気の良いところとなるのでしょう。
バス代も出ない弱者向け労働に参入しなければならない階層向けの公営住宅こそ、都市中心部に立地すべきではないでしょうか?
言わば今の都市は、ここ20年ほど前から拡散から集中への切り替え時代を迎えている訳で、郊外の住宅団地は地方都市の人口減と同じ運命が待っていると覚悟しておく必要があります。
実際、千葉市周辺に多くある住宅団地では地方都市同様に高齢者が殆どになっています。
過疎地が高齢化・人口減に見舞われているのを押しとどめるために、そこに公団や公営住宅等を立地して誘導しても同じ地域内の人口移動があるだけで、大都市から移住する人が増える訳ではありません。
公営住宅が都心部や市中心部の便利なところに多く立地して、非正規雇用の独身者や新婚所帯が住めるようになれば、都市住民内格差の多くが是正されるでしょう。
都心集中が進めば郊外に広がり過ぎた公営住宅は廃棄・・損切りして廃棄処分して行くしかないのですが、地方自治体はこれに抵抗があって、あくまで郊外型住宅を推奨して行くつもりでしょう。
高齢化が進むと民間ならとっくに若者向け店舗閉鎖など対応している筈ですから、公営であろうとも需要あってのことですから、時代の変化にあわせて損切りして行くべきは当然です。
過去の政策を正しいとするメンツのために無理に郊外生活に誘導し、あるいは事実上強制するのは、経済原理に反していて国家全体にとってマイナスですし、思いきって都市集中型に政策を切り替えれば、自ずから都市が立体的にコンパクトになって行くし、インフラ整備が割安で熱効率その他が良くなる筈です。

都市集中と地方出身者

いわゆるグローバリゼーションが明確になって来た平成(中国の改革開放とソ連の崩壊)以降首都圏や大阪圏、福岡、名古屋圈等の大都会周辺を除いては、今では大都市への脱出が農村の子弟だけではなくなり、地方中核都市・・県庁所在地でさえ人口減が始まりつつあります。
この結果大都市住民親世代の資力・遺産と人口減に向かい始めた地方(都市を含めて)住民の資力・遺産とでは、期待価値観に大きな格差が生じています。
都市住民二世三世(とりわけ非正規雇用等の弱者)では、高度成長期に蓄財をした親世代が生きているうちの資産効果・親からの援助(同居継続も援助の一種です)と死亡後の遺産価値の重要性が増して来ていますので、september 20, 2010「所得低下と在宅介護」のブログで書いたように江戸時代までの3世代共同生活の必要性が高まり、ひいては家族共同体意識の復活・・親孝行意識が再来しそうな雰囲気となって来ました。
これに対して低成長期に入ったことによる現在の都市住民の意識変化(親からの援助と死亡後の遺産期待価値上昇)は東京大阪その他大都会経済圏特有のもので、地方では県庁所在地の都市を含めて職場の減少→人口減少が続いているので、地方在住の親の資産価値は今でも下がる一方ですから、大都会とその他に二極分化しつつある時代です。
職業の大半がサービスその他都会的職業になって行く以上は、首都圏や大阪等の大都会に人口が集中して行くしかありませんし、公的負担面でも効率的です。
バカの一つ覚えのように(これといった根拠なく)東京1極集中是正が言われますが、集中することは生活が便利になるばかりですから、都市集中がア・プリオリに弊害があるかのようなマスコミの論調は、長かった農業社会への(合理的根拠ない)郷愁を前提にしているとしか考えられません。
大都会もだだっ広く広がるのではなく60〜100階建を原則に集中立地し、その他は緑したたる田園地帯にして行くようになるべきでしょう。
工場等生産設備・大学等は田園の中に所々にシャトウのように綺麗に立地して、中心部から通う仕組み・・今のように郊外から中心部に通うのではなく中心部から郊外へ放射状に通う仕組みにするのが私の描く社会・・都市計画像です。
地方出身者と大都会2〜3世との経済格差と非正規雇用の問題については次回・新春以降に書いて行きます。
明日から年末年始コラムになりますので、今年のレギュラーコラムはこれでおしまいですが、都市計画の点は別の機会に譲り、年末年始特別コラムに続いて出身地域格差と都市住民内の格差に関して引き続き書いて行く予定です。

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