民意に基づく政治6(リーダーと世話役の違い2)

欧米の民主主義というのは、その他大勢と一緒にリーダーを誰にするかの投票する選任権を何年に1回の大統領選等で行使出来るだけで、個別の政治に口出しする権利ではありません。
議会制民主主義も、その根っこには国民が直接意見を言うのではなく選良に一任する・・その数を多くしているに過ぎません。
アメリカでは、州ごとの選挙人というものが間にあって、大統領を国民全員が直接選挙出来ません。
日本以外の国では、事案ごとに民意を聞くような民度・・経験がないないから、こう言う制度でお茶を濁すくらいしか想定出来ないのでしょう。
言わば、人民には判断能力がないから、独裁者を選んでその命令一下盲目的に行動するのを当然の前提とする社会です。
欧米基準の指導者とは、人間の場合、古くは出エジプト記のように長期的気候変動によって(どこへ行くかを含めて)従来の定住地を棄てる決断をするとき・・現在でも登山中の急激な気象変動からの緊急避難の決断・・など全て緊急避難的行動に必要(・議論しているヒマがないので・・)な資質です。
一定の方向へ向かって移動を始めた途中で指導者が変わったことによって、行く方向が変わる・・右往左往するのでは、その集団は遭難してしまいます。
この種集団の指導者は、一定期間の任期と途中の絶対服従(「船頭多くして船山にのぼる」と我が国でも言います・・・・構成員は意見を言わないし、言ってはいけない)が必須です。
強力な指導者が活躍する社会は、発展段階で言えば危険に満ちた古代社会に必要な智恵であり資質だったことになります。
(気象変動・気候不順を含めた)外敵に緊急対応するような必要がない安定社会では、社会をよりよくするための工夫が社会の進歩に繋がります。
安定社会では果断な命令に従ってその他大勢を盲目的に行動させるよりは、衆知を集め、時間をかけて納得してやる方がより良い結果が出るように思えます。
「3人よれば文殊の知恵」ということわざが尊ばれる社会です。
エリートを集めた最先端研究所の成果を何万という工場労働者に画一的命令で生産させるよりも、現場、現場の工夫の積み上げを大事にするのが我が国のやり方です。
我が国では衆議が重んじられるようになったのは、古代から安定社会が続いたことによるでしょう。
勿論古代から戦乱がありましたが、武士同士の戦いを農民はおにぎりを食べながら見物していたのが普通ですから、(09/26/04「江戸の治安対策3(軍縮と軍拡)木曾殿最後」で書いたことがあります)民族が移動しなければならないような危難にあったことがないからです。
安定社会と言えば、西洋でもアジアでもどこでも、見たことも聞いたとこともないような遠くの世界へ民族ごと移動しなければならないような大事件は、千年に一回くらいの頻度でしかない筈ですし、実際中世西洋は千年単位で安定した停滞社会でした。
中国の地でも王朝の興亡はありましたが一旦成立すると300年単位で安定する社会でした。
日本以外では、何故強力なリーダーシップを求められる社会のまま・・裏から言えば意見を言える庶民が育たなかったのかが不思議です。
日本の場合、社会が安定していただけではなく古代からいつも諸豪族の連合体であっていつも諸豪族の意見を聞かないと何も出来ない社会組織であったことが大きかったのでしょうか?
本来軍事政権=独裁制が本質であるのに、鎌倉〜室町時代とおして将軍家あるいは執権家は有力諸候との合議でないと重要な決定は出来ませんでした。
西洋その他の行動様式では、幕末危急時にこそ独裁権力で果敢な政治を実行すべきとなるのですが、井伊大老に独裁的全権を任せた結果却って諸候の反発を食ってしまい、(桜田門外の事件の結果)徳川家はガタガタになってしまいます。
結局は古来からの伝統に従って有力諸大名の意見を求めるしかなくなって、権威失墜の結果瓦解してしまいました。
古代〜未成熟国では昨日書いたようにそもそも議論すべき情報不足ですから、神の啓示などによるリーダー一任もやむを得ないですが、成熟国では困難なときにこそ衆議を集める必要があった歴史の教訓です。
歴史に「イフ」は禁句ですが、井伊大老の強引政治がなければ徳川家はもっと長く続いたかも知れません。

民意に基づく政治5(リーダーと世話役の違い1)

日本の場合は、幕末から維新期にかけて日本に駐在した欧米の高官の多くが驚いて記述しているように、駐在員の雇用した女中に至るまでいろんなことに口出しして来て、逆に筋の通らない命令や指示には女中といえども従わないかわりに、任せると驚くほどいろんな知恵を出して良く働くと記録されています。
古代社会の昔から、最底辺層の下々でさえも主人や上司の命令に盲目的に従う社会ではありませんでした。
エリートが研究所で研究した成果を何千人という労働者に新方針を指導するよりも、各現場現場ごとの改善・工夫活動が重視される社会です。
日本の労働者は職能別組合ではないし、就職活動はその企業で何をしたいと言うのではなく、企業の方でも採用すると順次いろんな部署に回して従業員にいろんな経験させて行くのはこうした伝統があるからでしょう。
民主主義の原理として政治学原論で習ったのは、「庶民はどうして良いか分らないが、政策を決める人・リーダーを選ぶ程度の能力はあるから・・」ということでした。
アメリカその他の民主主義国と言っても、その程度のレベル・・・何年に1回の投票権を与えるに過ぎません。
課長や部長、社長あるいは大統領になれば、決断することについて関係者の意見を聞く必要のない社会ですし、してはいけない(指導力を疑われる)社会です。
ブッシュ前大統領は敬虔なキリスト教徒でいつも一人籠っていたと書いてあるのを読んだことがあります。
トップは孤独だとマスコミが折に触れて宣伝しますが、これも欧米の受け売りであって、日本の場合ひっきりなしに各方面の人に会って(企業の場合、各工場をくまなく回って現場の意見を聞き)いろんな意見の擦り合わせで決めて行く社会ですからトップは超多忙です。
「神の啓示を受けたから」「座禅を組んで決めたから、これに従え」と言ったら、誰もついて来ないでしょう。
日本以外の社会では、部下は納得しない限り従わないのではなく、命令を忠実に実行するだけ・・部品社会と言うか、一定方向に導かれる羊や牛の群れのような家畜社会です。
出エジプト記もそうですが、リーダーの指し示す方向に理由を聞かずに、ただ黙々と従うのが日本以外の国での基本的な生き方です。
実際誰も見たことも聞いたこともない何百〜千km彼方にイキナリ移住するというときに、右に行ったら良いか左に行ったら良いかについて誰も知らないのですから、議論する余地がありません。
今なら気象状況天気図や地図を片手に議論可能ですが・・昔は議論の材料がないので神の啓示と言うくらいしかなかったでしょう。
猛禽に襲われた小鳥の群れやライオンに襲われた馬の群れは、議論するヒマもなくリーダーの行く方向に走るしかないでしょう。
中央アジアの荒野を行き交う隊商の場合で言えば、砂嵐の中でどちらに向かうかによってその集団の生死を分けることが多いので、優れた指導者の瞬時の判断による命令一下、その集団が一定の方向へ走ることが古代から行なわれて来たのです。
野生で集団生活している動物や鳥が外敵から瞬時に逃げる(あるいは季節による渡り鳥やフン族→ゲルマン民族大移動)ときにはいつもこのような指導者が必須です。
こう言う繰り返しの社会では、リーダー以外は考える必要もないし、議論する経験がなく身に付かない社会になります。
これまでこのコラムでは、中国人民が古代からおかれて来た状態を指して、家畜社会という表現を何回かして来ましたが、西洋も指導者以外は羊の群れと同じです。
だからこそ、地主=貴族の都合次第で簡単に農民の追い出し・・エンクロージャが出来たのです。

政府と国民の違い(中国人との付き合い方)5

ロシア政府もソ連崩壊によって成立したばかりでまだ約二十年の歴史ですから、やることが中韓同様に直接的です。
ただし、ロシア共和国自体は(帝政崩壊後から)ソ連時代にもありましたので、約100年の歴史があります。
資源高で調子が良くなり同時に日本が震災で弱っていたときには、何の必要性もないのに(長期的には懸案事項ですがその頃具体的に係争にもなっていなかったのに・・)北方領土を現職首相がわざわざ訪問するなど実力を誇示して喜んでいました。
子どもっぽいことで喜びを見いだす国です。
子どもっぽく自慢したい気持ちが分らないでもないですが、日本の価値観ではこういう自然災害にあったときにはお見舞いするべきであって、攻勢を予定していても手控えるのが戦の流儀です。
宿敵信玄に塩を送った謙信が未だに尊敬されているのはこうした配慮によります。
・・・わが国の基準で言えば、他人の困ったときにつけ込むようなことをすると、自分を悪く思われるだけで損ですから自制するのですが、ロシアや韓国、中国にはこの程度の洞察力すらないのです。
しかし建国後僅かに約20年の国・・日本の歴史から見ればせいぜい乳児段階みたいな国だと見れば、乳幼児が歩けるようになれば誇らしいのと同様で、わざわざ子供じみたデモンストレーションをして見たかったに過ぎなかったのだと理解すれば合点が行きます。
稚気の赴くままに・・やらなくても良いことをしていた結果、シェールガス等の大量採掘が可能になって、ロシア産資源の売り先に困って来ると弱気になったらしく大地震後まだ2年足らずで、日本相手に親日ムード演出に必死になっているのは、歴史の古い日本から見ればコロコロ態度が変わって滑稽です。
同じ日本人同士でも、組織の古い所と出来たての集団とでは対応能力にかなりの差・・大人と子供のような差が生じます。
当選歴が同じ約8〜10回でも民主党と自民党とでは、組織運営の成熟度に大きな差があることを国民は身を以て知ったばかりです。
このように組織はそれ自体で1つの生き物のような所がありますので、組織=政府の歴史差による運営能力と構成員個々人の経験・民度とは違った面があることに注意を向ける必要があります。
October 19, 2012「中国に歴史があるか1」前後で書いて来ましたが、いまの中国政府はまだ成立してから約60年しか経過していません。
ロシアは建国後約100年(ソ連邦内の自治共和国でしかなかったので外交経験はありません)、ソ連邦崩壊後(対外的独立外交を始めてから)まだ約20年です。
この意味では、中国(中華人民共和国)政府は何千年の歴史があると根拠なく自慢していますが、とんでもないことで、一定規模の政府としては世界で1〜2位を争う新しい国・・未成熟国です。
図体だけは大きいので・・人間の体重を追い越している象の赤ちゃんが歩き始めたので(訳もなく威張り始めたので、)回りは気を付けないと危ない状態になったと言えるでしょうか?
日本のように官僚機構の同一・継続性があると徳川〜明治に政権が変わってもまだ少しは良いのですが、中共政府にはこれすらも(前身の中華民国とも、清朝とも)全く継続性がありません。
(ロシア政府は、ソ連政府の官僚機構を引き継いでいるので中共政府とはかなり違います)
政府の能力は幼稚としてもそこにいる人々は、日本人と同じように何万年も連続して来た人々ですから、支配下にある人民と中国政府とはまるで違うしたたかさ・意識があり得ることに注意する必要があります。
中国人の場合、異民族支配の時代の方が長かっただけではなく、今の中国人自身異民族のルツボでしかないので、(本来の漢民族なんてどこにいつころにいた種族を言うのかはっきりしませんが仮にどこかの種族としても、実はとっくに周辺種族と混交して消滅している筈です。)民族の一体感がないどころか目先、安定しない政情の結果、コスカラク生き抜くことが全てのような価値観で染まっています。
今の中国政府統治下の人民は反日教育によって、反日復讐というテーマを繰り返すことによってのみ辛うじてまとまり・一体感をもっているくらいでしょう。
日本の場合、政府や集落の連続性があるので政府とそこに住む人々とは昔から一体感で来ましたので、政府=そこの国民と、つい考えがちですが、世界中ではそんなことはない・・政府と被支配者とは全く別物・むしろ対抗関係にあるという認識を持つ必要があります。
政府は稚拙でも国民はしたたかです。

政府と国民の違い(中国人との付き合い方)4

変な教育(こういうのは人を育てるべき教育ではなく、教育に名を借りた政府の宣伝・洗脳政策に過ぎないでしょう)が中国で必要となっているのは、内政の行き詰まり・野放図な汚職の横行などで中国共産党の信任が揺らいでいて政権維持が危機状態になっているので、共産党が如何に国民のために貢献したかの必死・なりふり構わぬ宣伝工作が必要になっているからでしょう。
最近では戦時中に日本軍相手に大活躍する共産党の八路軍の活躍を描く映画が大量に流布されているらしいですが、それだけ切羽詰まって来たからです。
韓国も大統領の内政失敗があると必ず反日運動が激化するのと同じパターンです。
中韓政府関係者は自分の地位・私益を守るためにならば、どんなことでもする・・後世の国民に対して取り返しのつかない負の遺産を残すことに何のためらいもない、浅はかな集団です。
離婚事件で言えば、相手を心底憎んでいても子供に対しては決して相手(子どもにとっては大切な父であり母ですから子どものために良くないことです)の悪口を言わない親が多いですが、中韓政府はこの逆をやっています。
構成員の歴史経験・意識と離れた政府の能力に戻りますと、尖閣諸島問題では日本を困らせるつもりでレアアースの禁輸や大暴動をやったことが原因で自分の方が首が絞まって来たらしく、数ヶ月経過した昨年11月ころになって政治と経済や文化は別でないかという論説が中国要人から出始めました。
中国政府の言うことやなすことはその場限りで定見がない・・目先の利にさといだけですので、大人の智恵のある我が国がこれに一喜一憂あるいはまともに相手にする必要はありません。
国・政府樹立の歴史時間で言えば乳幼児期にあるとすれば、やることなすこと見え透いていても仕方がないことですから、幼稚園児相手に喧嘩しているつもりで相手にするしかありません。
ただし相手の図体が大きいので、軍事力で膨張して来るのを放置していると危険ですから、気を付けないと危険です。
日本は自分を相手のレベルに落として言い合いをするのではなく、自分の価値観で風格のある大人として対処して行くべきでしょう。
政府と国民は本来別ものであるという話に戻ります。
私自身職務上中国人の通訳その他とつき合いますが、個人的に見てそんなに道徳的に低レベルな人と出会った印象はありません。
(日本にいるから便宜・利害打算上で日本的に振る舞っているのかどうかまでは知りません。)
通訳は大学院生などエリート中心なので・・と言う面があるかも知れませんが、末端労働者の場合もそれほど変わらない感じです・・。
ただし、日本人でも都会で普通に話していると都会の人と変わらない人でも、内面に入るともの凄く古い田舎の意識を根に持ってる人がいるのに驚くことがありますが、これと同じで実際には分りません。
グローバル化時代においては、マスコミの加工した報道に惑わされずに直に多くの外国人と知り合いになり、具体的な人間を知ることが出来ます。
ただし、彼らは反日教育を受け、反日映画をいやっと言うほど見て日本人憎しの感情を植え付けられて育っている点を忘れない必要があることは2月15日に書いたとおりです。
中国人個々人は、出来たばかりの政府よりしたたか・・異民族支配を繰り返し受けて来た経験からこすからい点に違いがありますが、(対日復讐心を煽る教育が終わってから60年間くらいは)日本人に対しては根深い復讐心をもっている点を忘れていると危険です。
中国人に対しては日本や日本人・日本企業の利用価値がある限度で愛想がいいに過ぎないと覚悟してつき合っておけば「あれだけ世話をしてやったのに・・」と腹を立てる必要がなくなります。
アメリカも国家が出来てからまだ数百年しか経てないので、政府(組織対応)言動はレベルが低いし稚拙ですので、(その割に腕力があるので・・今の中国同様に迷惑な行為が多く)アメリカ政府はかなりの国から嫌われていますが、個々のアメリカ人の善良さは良く知られています。
ただし、アメリカ人は世界中から愛されていると宣伝されて私たち世代は育ちましたが、マスコミの威力がなくなった今では???らしいですが、アメリカの歴史経験から想像するに中国人ほど・・スレッカラシになっていないでしょう。

政府と国民の違い(中国人との付き合い方)3

2月9日「政府と国民の違い(中国人との付き合い方)2」の続きに戻ります。
個人個人にはホモサピエンスとして千年万年の経験・DNAがある点が中国人や韓国人、日本人も同じでも、2月8日に書いたように民族の置かれた状況によって個人としても経験の質が違ってきます。
異民族支配が続いた国や専制君主制の歴史のある国では、国民と政府とは一種の対立・緊張関係でずっと来たので、政府権力とは別行動基準の別格の人格が長年にわたって形成されて来たことに気を付けねばなりません。
日本では会社その他組織では一体感が強いので法人と構成員総体との区別が分り難いので、法人擬制説が理解し易いのですが、日本以外の国では西洋も東洋も国家と国民は全く別の存在(法人実在説)という理解がし易いのでしょう。
我が国では、天皇を日本国と国民統合の両方の象徴と言われてみんな何となく納得しているのはこのせいです。
憲法
  昭和21・11・3・公布
  昭和22・5・3・施行
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

比喩的に言えば、中国政府にとっては自国支配地域内の人民は外国人・日本人より御し難いでしょうし、中国人民にとっても外国人である日本人よりは自国政府の方が怖いし遠い存在です。
(古代から圧政を受けた経験のない我が国では、上から下まで「お上が悪いようにする訳がない」と言う信頼感・同胞意識・政府と国民一体意識で成り立っているので、気がつき難い点です)
そもそも国民という言葉自体我が国特有の概念かも知れません。
中国ではご承知のように「人民」(中華人民共和国・朝鮮人民共和国)ですし、西洋諸国では国民以前に「市民」か否かが重要です。
日本国内の例で言えば、京の町は、支配者が入れ替わりに次々にやって来たので町衆は権力者と適当な距離を保ちつつ、したたかに生きて来た歴史があります。
今こそ戦後中国が我が国にしきりに言って来ていた「戦争をした政府と国民の責任は別」という意見は、彼らの国では当然の認識だったのだと噛み締め直して、中韓両国民と大人の関係としてつき合って行くべきかも知れないということです。
ただし中国の言う政府と国民分断作戦は、飽くまで自国の都合に良いときだけの主張であって、自分・中国政府の都合によっては昨夏の尖閣諸島問題で見れば分るようにいろんな民間や文化交流を中国からビザ発給をしないなどで、断って来たことでも明らかです。
中国の人民も日本人と同様に人類始まって以来の長い経験がある・・政府のお粗末な能力とは別であると書いてきましたが、現実の中国人が日本人をどのように思って生きているかは別問題です。
今のところ中国政府は言論統制が激しいだけではなく、日本人が如何に悪いかの宣伝に努めています。
いろんな記念館で日本が悪辣・暴虐・レイプなど悪逆非道の限りを尽くし、アワやという所で共産党の八路軍が救済に駆けつけるような事実無根の映画を一杯作っては、日本軍は如何に残虐であったかの虚偽教育を連日しています。
こう言う映画ばかり見せられて、しかも学校教育でもこればかり教えられて育っていれば、今の中国人の脳みそは日本人に対して何か報復しなければ気が済まないような気持ちになっている人が大半どころか99%でしょう。
ですから、国際紛争の解決としてはこう言う政治教育ばかりしている中国や韓国相手の場合、悪意に凝り固まっている面では政府と国民を一体視して行かなければ、ことを誤ります。
中韓の国民は、利にさといので都合によっては手のひらを返したような(見え透いた)行動に出ますが、表面上ニコニコしていてもその心底には日本に対するドス黒い感情/欲望があることを忘れてはなりません。
中国国民が目先の利にさといのは、政権が歴史上くるくると変わって来たことに対する処世術として身に付いたことでしょう。
中韓政府による対日虚偽悪質宣伝教育をやめてから、50〜60年間くらいは中韓の人間は心の奥底に反日感情を根深く持っているので、その効果が持続する間は国民も含めて信用出来ません。

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