地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)

昨日与那国島の例を紹介しました。
自治制の弊害を最大限悪用しているように見えますが、この悪用のために今でもいわゆるプロ市民(もしかして日本人だけではないのか?)が沖縄に住民票を移して基地反対運動に励んでいると言われています。
憲法の勉強をしていると地方自治の重要性の記述が多いのですが、どの論文にも民主制の基礎と言うばかりで何故重要かの具体的説明がありません。
日本が将来国力回復しても一枚岩で行動出来ないための妨害装置としての遺産・・アメリカの重要な置き土産だから非武装主義同様に論理的議論を許さない・・宗教のようにあがめるしかないと言うことでしょうか?
全国に波及する基準は全国統一の方が良い・自治体ごとに自主性がある・・基準が違う必要がないばかりか自治体ごとに基準が違うのでは有害です。
TPPの基本は加盟国では1つのルールにしましょうと言う精神の国際版です。
全国統一基準必要な分野で地方自主性があると却って混乱します。
電化製品やクルマの部品が地方ごとに違う基準では、全国的サプライチェーンでの製造が出来ません。
客観的な物品規格統一だけではなく、人間交流や物流の発展によって、国内では価値観均一化も進んでいます。
私の高校時代には、あちこち一人で旅行すると地域ごとに違う家の形や風景の違いを見るのが楽しみでしたが、今ではどこへ行っても似たような家の建て方ばかり・着ているものも職業生活も食べ物(千葉で九州の野菜など普通に食べているように)まで皆同じです。
ホテルも全国似たようななサービスがあり事前予測可能・もしもホテルごとに歯ブラシやタオル持参などの必要性が違うと準備するのに困ります。
こう言う時代になると自治体行政は身近な(全国共通基準が望ましいが経済力に応じた)サービスをやれば良いのであって,国家戦略的分野について特定地域だけが特別な権利を持つ理由がありません。
ヤマ1つ越えると何もかも言葉まで違う・・いろんな生活習慣の違う時代に出来上がった自治体ごとの基準の違い・・・「これを尊重しましょう」と言う価値観を今でも強調するのは何百年も使っていない死法をイキナリ持ち出して処罰するようなものです。
アメリカは今、沖縄基地反対運動に困っていますが、元はと言えば将来日本が国力回復したときに統一国家としての行動が出来ないように、妨害するために無茶な自治制度を作っておいたことが自分に跳ね返ってきたのです。
中国の反米・反基地闘争に利用されて基地利用に困っているのは、アメリカが遺産として残した平和憲法に縛られて日本に軍事協力させる足かせになっているのと同じ構図です。
大きな河川や海岸は本来国家管理が原則ですが、埋め立て等の現状変更には、地元漁民等の利害があるので、これに精通している自治体の許認可にかからしめている程度のことであって、(道路交通法規は全戸国一律ですが、追い越し禁止や徐行区域などの設定はカーブその他の状況を良く知っている地方に任せた方が良いと言うだけのことです)その決定基準自体が国家基準と違って良いと言うものではありません。
現憲法家では、何かちょっとした国家的政策を実現しようとするとほぼ100%地元同意が必要ですが、こんな無茶な制度を持っている「統一国家」があるでしょうか?
自国が侵略されて国民が虐殺されても抵抗する権利・・自営する権利もない憲法って、国民主権原理からして無効じゃないかと書いてきましたが、現行の地方自治制度・・地方の同意がないと国家が出来ないシステム自体が、国家権力そのものの否定・・日本を1つの統一体として認めない意味での国家権力の否定です。
昨日与那国島の住民同意の例や裁判例を紹介しましたが、国境に所在する軍事基地が戦闘の危険が迫ると撤去を求められる・・存在してはいけないかのような裁判所の判断が普通に出て来るのをみれば、国家のあり方に対する思考までも狂ってしまっているとしか良いようがありません。
統一体・・クルマで言えば、バンパーがあって本体の安全性を高めますが、ぶつかる危険を引き受けるばかりでは不公平だ、そんな部品をなくせと言うのは矛盾です。
国境地域だけが防衛負担するのはイヤだとい出して、国境から100kmまで守備隊下げておくと、その防御地点が最初の被攻撃地点になるのでその周辺が不満を言い、200k地点に下げると今度は200k地点が最初に攻撃されるのは不公平と言い出します。
これを繰り返して行くと最後は首都で最初に引き受けろとなりますが、そうなると首都住民外の国民を見捨てるしかなくなります。
辺境の地が国家全体のために防衛を引き受ける義務がないと言えるのだったら、国家防衛は成り立ちません。
アメリカが占領支配下の日本民族に対して自前の軍隊保持を禁じただけではなく、国家意思よりも地方の意思・・決定が結果的に優先するシステムを憲法に組み込んだのはは、仮に将来再軍備したとしても国家防衛のための基地を政府が思うように作れないシステムを残して行ったことが分ります。
国土内に国家意思の貫徹出来ない場所を憲法で設置した結果、日本列島を都道府県数だけの小国に分解することを米軍が強制したことになります。
まして我が国は異民族が連合して作った国家ではありません。
連邦性国家でも(ロシアやアメリカで)国家防衛のための軍事基地の設置に地元市町村の同意が要るとは考えられません。
護憲論者は現実無視・空理空論の集まりと言われるのは、独立国家としてありえない制度を議論抜きにして憲法を守れと後生大事にするところにあります。
国家意思が貫徹出来ない制度は統一国家として自己矛盾ですから、戦後日本は法的には分裂状態に置かれて来たことになります。
自治体の無茶な主張を引き出そうとする勢力は、この法的分裂状態を強化し保持しようとする勢力です。
法制度論は別としても、上記のとおり地域独自性がなくなって行く一方なのにこれを強調するのは無理がある実態を無視出来ないからか、翁長知事はこの無理(全国利害のテーマを地元の同意にかからしめる主張)を通すために「沖縄の人は日本の先住民族?少数民族なのに民族自決権が侵害されている」と言う趣旨の翁長知事の国連やアメリカでの演説になって来るのでしょう。
日本全体の支持を受けるための政治活動をするのが本来国内政治家の仕事ですが、海外発信に努力するのは、いわゆる文化人同様に国内支持の足りない分を国連などの介入・・例の国連報告書や対日勧告を取り付けるための行動でしょうか?
翁長氏が国連で演説してもアメリカ軍基地妨害目的が見え見えですので慰安婦問題のようにアメリカが応援する筈がないですから、翁長知事としては、中国の支持だけでもうけた方が良いと言う立場に切り替えたのでしょうか?
日本から沖縄切り離しを狙っている・・と言うよりは尖閣を譲らないと沖縄まで狙うぞ!と言う脅しでしょう・・・中国のあと押しを期待しているのでしょうか?
中国としては、着々と布石を打っているつもりでしょうが、逆効果のように思えます。

地方自治制度の悪用1(僻地・末端の重要性2)

昨日から地震災害で紹介したように、地方の決定・自然災害がサプライチェーンを通じて全国波及する時代です。
原発稼働の可否は立地する市町村・・僻地だけに利害のあることではなく、経済合理性や環境破壊の有無は言うに及ばず、国防政策や日本の将来の産業構造を規定する全国的関心のある事柄です。
学問的も、全国原発停止以降原子力関係学科の志望者が激減しています。
1地域住民の賛否や・・(ドサ廻りになっている)数人の末端裁判官の意見で国家の枢要事を決めて直ぐに国家意思として強制力が出る仕組みがあるのは制度的に無理があります。
この辺は沖縄の基地問題の議論も同様で、国防に関する決定を地元沖縄の意見で決めようとする運動自体おかしな議論です。
裁判官で言えば、地方小単位の社会に関係のある決定権者として、地方に赴任しているに過ぎないのにタマタマ全国的テーマが地方の管轄になると、俄然(上級審の結論が出るまで原則として効力が出ない本案訴訟手続があるのに、これをしないで即時効のある仮処分決定するのは)全国民に影響のある決定権を行使するのは権限乱用です。
内乱罪等国家的影響のある事件は高裁から始める特別規定がありますが、原発や軍事基地のあり方など1つの裁判結果が全国に影響を及ぼすことが明らかな事件は、高裁ではなくとも大規模庁に専属する仕組みにする・・あるいは原則として仮処分を許さないなどの配慮をすべきでしょう。
世界中どこの国で、国家的関心事である軍事基地の設置に関して地元自治体の同意を必要とする→地元裁判所で一次的な決着がついてしまう国があるでしょうか?
軍事基地や原発は、国全体のためにあるものですから、その基地や施設が国全体のためにある・・その地域だけのものではないのは当然です。
実際原発規制委は全国を管轄にして審査しています。
沖縄の基地移転については海面の埋め立てが必要なために県知事の許可や承認にかかっているので、国が県知事の承認がないと埋め立て出来ないと言う変な法制度がガンになっているようです。
ソモソモ民間が公有水面を埋め立てるには、(勝手に出来るでは困るので)許可がいるのは当然としても、地方で許可しても国家の大局からみて不都合なときには、国が取り消せる制度設計が本来です。
地方自治制度と国のあり方の基本問題ですが、国の決定の可否を自治体が最終判断出来る・・逆の制度設計は無理があります。
いわゆる「法の間違い・・不備」を衝いているのがこの種事件一般のあり方です。
民間または同格の公共団体(喩えば隣の県が隣の県内の海を埋め立てるのは埋め立て地の県の同意が要るなど)が行なうときだけの制度であるべきでした。
国が決める場合地方の意見を聞かねばならないと言うのは分りますが、地方が国策の最終決定権を持つのは統一国家の制度としては無理があります。
地方自治は、戦後憲法(アメリカの押し付け)で出来た制度で、その前には官選知事制度でしたから、知事の許可の権限=国にの命令次第だったので矛盾がなかったのです。
地元民の民選になる都知事が最終決定権を持ったままにしておくのは、国家意思の一体性からして無理があります。
アメリカは、将来日本が言うこと聞かなくなれば、政府と地元の対立さえ起こせばにっちもさっちも行かなくなるように、(武力不保持条項同様に)時限爆弾のようにアメリカが置き土産として残した仕掛けだったかも知れません。
何しろ尖閣諸島情勢緊迫により、自衛隊が遠くから駆けつけるのでは・・時間的に不利なので最寄りの島に駐留するにも地元民(大人だけで言えば千人前後?))の賛否をとっていましたから、(公明党の言うように外国人にも地方自治体への参政権を与えると・・実際以下に紹介するとおり基地賛否の住民投票には外国人にまで投票権を与えています。)イザとなれば中国系の勢力浸透は簡単です。
ウイキペディアによると以下のとおりです。
  与那国島
人口1,745人、年平均気温23.6℃、年間降水量2,363.5mm。石垣島からは124kmの国境の島で、台湾宜蘭蘇澳港までは111km

以下は与那国島と防衛問題に関するウイキペデイアです

2014年3月31日、国と与那国町との間で町有地を貸す契約が正式に結ばれた[25]。2014年4月19日、小野寺五典防衛大臣出席のもと、沿岸監視部隊配備のための着工式典が開かれた[26]。2016年には、200名弱の自衛隊関係者が与那国町に駐屯すると見られる。
2014年9月7日投票の与那国町議会選挙で、町議会は誘致派が3人、反対派らが3人となった。誘致派が議長となったため、議長を除く議席構成では、反対派が多数となった。反対派らの賛成多数で、自衛隊誘致の賛否を島民に問う反対派が主導する住民投票条例が可決され[27][28]、2015年2月22日に陸上自衛隊沿岸監視部隊配備の是非を問う住民投票が実施された。
この住民投票に法的拘束力は無いものの、与那国町の住民投票条例は町長と町議会に対して「投票結果を尊重」するよう求めている[29]。誘致反対派の要求により、この住民投票での投票権は中学生以上の未成年者や永住外国人にも与えられた[30]。この住民投票には、有権者1276人のうち1094人が投票し投票率は85.74%。開票結果は、賛成632票、反対445票で、賛成派が多数を占めた[31]。しかしながら反対派は納得せず、工事差し止めを求める裁判を起こすことを検討している[30]。
反対派住民30名は武力衝突による平和的生存権の侵害や電磁波による健康被害の恐れを根拠に駐屯地の工事差し止めの仮処分命令申し立てを行ったが、那覇地方裁判所は2015年12月24日付けで却下した。決定理由として、武力衝突に至る恐れがあることを認める資料がないことや、電磁波の強度が法律の基準値を下回ることを挙げた[32]。住民3名はこれを不服として即時抗告したが、福岡高等裁判所那覇支部は2016年2月19日付けで却下した

※上記決定によれば「武力衝突のおそれがないこと」を理由の1にしているのですから驚きです。
武力衝突のおそれがあれば自衛隊基地の存在が許されないと言うならば、まんがではないでしょうか?

日弁連と政治8(弁護士自治破壊リスク5)

弁護士会執行部の行動があまり行き過ぎると(今行き過ぎていると言う意見を書いているのではなく徐々に行き過ぎるようになると・・と言う仮定の議論です・)・・独占のない健全な市場競争下では、不買・客離れに発展するのと同様に、多数派の横暴に対して脱退気運が盛り上がって来るので、脱退を防ぐために相応の抑制機能が働きますが、(弁護士である限り)脱退が法的に禁止されていると、この最後のブレーキが利きません。
言わば、1党独裁体制下に国民を縛り付けている国家の国民同様になります。
権力規制=裁判では政治活動の是非が不問にされるとしても、政治活動が活発になり過ぎると世間からの批判も起きて来るでしょうし、こういうことが続くと会の公式意見と合わないグループが、会・組織とは別の独自組織・・「◯◯を考える会、◯◯を実現する会」を作る動きが出てくるのが普通です。
この辺が第二組合が出来難い・・いやなら脱退すれば良いし、新規加入が減って行く一般の労働組合や同好会とは違う点でしょう。
少数意見者がグループ結成をするようになると、会の政治運動を牛耳っているグループが強制的に徴収した会費を利用して政治運動しているのに対して、少数意見グループは自費で運動しなければならない・コスト負担の不利益がある上に、自分たちの思想に合わないどころか、自分の意見に対する反対運動のために自分の納付したお金を使われることに納得出来なくなりますので、会費納入に抵抗するようになります。
会費納入に抵抗して会費を払わないと懲戒処分を受けることから、反対運動するしか方法がありません。
強制加入団体とは、会費強制徴収権・・国の場合税金徴収権・・があることと同義であることが分ります。
租税滞納程度では国外追放されませんが・・弁護士の場合、会員資格=弁護士資格がなくなる点で大きな違いがあります。
・・いくら反対運動しても少数派である限り否決されますが、その運動の広がりに反応して多数派が政治活動を自制するようになれば大人の関係です。
「いくら反対しても否決すれば良いのだ」と言う強硬な姿勢を多数派が貫くと、少数派は我慢出来なくなって、外部勢力に頼ることになって来る→外部政治勢力を巻き込んで強制加入方式の否定論=法改正論の盛り上がりへつながり、弁護士自治弱体化に繋がる危険があります。
これが諸外国で国外勢力の応援を得て頻発する反政府運動・内戦やゲリラ・テロ活動の図式です。
政権が強行策をとれば取るほどテロが激化するのはこのためですが、我が国では、古代から敗者の言い分を良く聞く社会ですからこんな大人げないことになったことはありませんし、(明治維新も外国勢力の介入を防いで解決しました)まして弁護士会は大人の集まりの筈です。
ただ、モノゴトには作用反作用の関係があって、世論が特定思考様式を受入れなくなるとこの支持者が世論に歩み寄れば良いのですが、危機感から従来より一層主張が先鋭化し、活発化して行く傾向がありますから要注意です。
(妥協しない人材だけ残って柔軟タイプが脱落して行くのかな?)
政治活動が許されるかの議論の1つとして、政治活動の程度問題があります。
会費を使い、会の名で行動する程度であって、「集会や街頭行動等への参加強制しないのだから・受忍限度じゃないか」と言うのも、程度問題の一種でしょう。
ただ弁護士大量増員によって収入レベルが下がって来て、高齢者会員その他会費負担のウエートが上って来る時代には、参加強制しないで「会費を使うくらい良いじゃないか」とは言えない時代が近いうちに来ると思います。
大きく分類すれば、執行部意見に賛成するグループと反対するグループが両端にあって、意見は是是非で右でも左でも、どちらに使おうとも構わない人から、政治運動するための会費を払うのはイヤだと言うグループ(会費値下げ要求)の4つに分かれるのでしょうか?
この先弁護士の収入減少が続き、世知辛くなる一方とすれば、「会費の使い方などどうでもいいや」と言う中間層が減って行くように思われます。
他方で世論の傾向に反発する最後のよりどころとして政治運動を活発化して行くと中間層の反発も大きくなります。
行き着くところ「強制加入制を撤廃すべきだ」と言う意見、またはどこかの会に加入するべきだと言う強制加入制を残すならば、府県ごとに1つしかないのではなく、「一定数が集まればいくつでも府県内に自由に設立出来るようにしろ」と言う政治家を巻き込んだ運動が出て来るでしょう。
あるいは「関東のどこの会に入っても良いようにしてくれ」と言う案も選択肢になります。
国政選挙では今の県単位選挙区割りが合理性を失っているように、都道府県別に1つの単位会を強制するのは実態に合わなくなって来たように思われます。
私が弁護士になったときに千葉県弁護士会の会員数は90人台から漸く100人突破したものですが、今では750人弱になっています。
もっと地方の県では当時数十人規模が普通でしたし、今でも100人前後から未満の県がいくつもあります。
まして弁護士法が出来た戦後直後には千葉県全部で数十人いたかいないかだった時代でしょうから、こう言う時代には、自治と言っても一定規模がないと自治能力に疑問符が付くし、5〜6人規模の会が乱立すると発言力がなくなる心配があったでしょう。
何人規模以上が必要かの議論よりは、県単位と言う切り方が問題解決に合理的だったと思われます。

日弁連と政治7(弁護士自治破壊リスク4)

日弁連や単位会が裁判所(権力)の自己抑制を良いことにして、政府のお墨付きがあるかのように振る舞うのは間違いです。
政府権力は弁護士会に自治権があるから何をしても良いと言うのではなく、自治権がなくてもマスコミにむやみに干渉しません・家庭に法律は滅多に入りませんし・いろんな場面で謙抑的行動するのが権力と言うものです。
これを逆用して際限なく・自制心なく特定勢力に偏った政治活動をするようになって来ると、少数意見弁護士には不満がたまってきます。
少数意見だから無視すれば良いと言うスタンスで、しかも強制加入のために脱退する自由がない・・一種の独裁政権にとらわれている国民のような関係です。
独裁政治がイヤなら国民は国外逃亡すれば良いと言われても、仕事を棄てて海外逃亡すれば生活苦が待っているので、国外逃亡出来る人は滅多にいませんし、弁護士も弁護士会の政治意見とあわないならばやめたら良いだろうと言われても、イキナリ別の仕事で食って行ける人は滅多にいません。
独裁政権が専断政治を続けると、海外逃亡よりは政権打倒運動が起きて来るように、弁護士内部から弁護士自治はいらないとは言わないまでも・・分派活動が出て来るリスクがないかの心配をしています。
町内会で言えば、会長や役員が暴走すれば会費を払わなくなるでしょうが、会費の強制徴収方式はこのような暴走を阻止し難い性質を持っている点が、制度的弱点です。
2015-2-6「マスコミの役割・・情報紹介業3」で民放と違いNHKの場合、強制徴収権があるのでブレーキが利き難いと書いたのと同じ現象です。
そもそも強制徴収制度・強制加入制度が何故あるかと言えば、戦後イキナリ弁護士自治制度・・権力の干渉を許さない制度を創設しても強制加入性にしないと分裂を繰り返して組織を維持出来なくなる可能性がある・・一種の補助的制度だったと思われます。
アラブの春以降書いてきましたが、民主主義と言い、言論の自由があればうまく行くとは限らない・・新興国では国民レベル・能力に応じて民主化して行く必要があると何回も書いてきました。
チトーやリークアンユーその他大政治家があってまとまって来た国々がいくらもあるのです。
自治を守るための会費強制徴収権が、(不満な人が会費を払わない・・抵抗する権利を封じていることから・・脱退による対外的分派行動を起こせない面では、組織維持にはいいことですが・)逆に会内民主主義・一体感を阻害してしまうリスクになりかねません。
民主主義とは多数決で良いのだから多数派が何に金を使おうと勝手だと言う意見もあるでしょうが、究極の自由な意見開陳権はイザとなれば脱退の自由があってこそ保障されるものです。 
どんな組織でも、あまり脱退が簡単ですと離合集散ばかりではやって行けないので一定の絞りが必要ですが、要はどの程度の絞りが妥当かと言う問題になってきます。
(世の中の組織で・・夫婦でさえ離婚権があります・・完全否定は弁護士会くらいではないでしょうか?)
政党の場合、脱退は法的には自由としても、選挙資金上の不利を乗り越えなければならない・・(政党交付金の比重が上がっているので基準日をにらんだ年末の分裂・新党結成が普通になっています・・外に、国民の支持を受けない脱退は次の選挙で落ちてしまう洗礼が待っているので簡単には脱退・分派行動が出来ません。
この点株式会社の場合、お金目的で集まっただけの組織ですから、企業経営方針が気に入らなければ、上場企業の場合、自己保有株式を市場で売り払えば良いし、譲渡禁止会社の場合でも、会社に対して適正価格での買い取り請求を出来ます。

会社法(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(反対株主の株式買取請求)
第116条 次の各号に掲げる場合には、反対株主は、株式会社に対し、自己の有する当該各号に定める株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一 その発行する全部の株式の内容として第107条第1項第1号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 全部の株式
二 ある種類の株式の内容として第108条第1項第4号又は第7号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 第111条第2項各号に規定する株式
三 以下省略

日弁連と政治6(弁護士自治破壊リスク3)

、加入脱退自由でも労組を例にして硬直すると問題があることを書いてきましたが、強制加入団体の弁護士会が、特定思想に基づく運動するようになると脱退・逃げる自由すらもないのでさらに弊害が大きくなります。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
教師や医師は教組や医師会に加入しなくとも教師や医師を続けられますが、弁護士にはその自由すらないのです。
退会して弁護士業をすると刑事処罰されます。

弁護士法
昭和24・6・10・法律205号  

弁護士の登録)
第8条 弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。
非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条  弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
(非弁護士との提携等の罪)
第七十七条  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
一  第二十七条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二  第二十八条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三  第七十二条の規定に違反した者
四  第七十三条の規定に違反した者

弁護士会の組織活動が自分の意見にあわないときには、弁護士会の活動に参加しなければ良いのだからそれでいいじゃないかと言う人もいるでしょう。
大学自治会が革マル派・中核派などに占拠されていても、イヤならば自治会活動に無縁でいれば良いと言う消極的抵抗と同じやり方の推奨でしょうか?
親としては息子がまじめに勉強してれば良いのと同じで、弁護士会活動しなくとも受任事件さえまじめにこなしていれば良いじゃないかと言う動きです。
弁護士会と政治運動に関する高裁判例を2014-10-30「弁護士会の政治活動4」で紹介しました。
日弁連が自治権の濫用またはすれすれの行為をしても、裁判例としては大幅な逸脱がない限り自治権に介入出来ないと言う抑制的判断が続くと思われます。
「非政治組織(日弁連)と政治6」Mar 28, 2015で書いたとおり、弁護士会に自治権があろうとなかろうと日本の政府はもともとそう言うものです。
日本の歴史と西洋や中国の歴史とは違いますので、西洋や中国の歴史を持って来てすぐに弾圧がどうのと言う左翼文化人的議論は、日本の歴史実態とはあっていません。
こう言う日本の政府の成り立ちを考えると、どこまで許されるかを(本来内部自治で決めるべきことですから)裁判(国家権力)で白黒つけるのは無理と思われれます。
取材に応じた台湾原住民の意向とは違った形で放映されたというNHK相手の裁判に関連して少し書きましたが、何でも裁判に持ち込んでそこで白黒を付けようとするのは、無理があります。
2月21日に書いたように、その限界は自分達で決めて行くべきであって、裁判所が原則として口出しするべきことではありません。

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