近代社会と親族の制度化1

近代社会化の進行は地域共同体が崩壊して行く過程でしたから、子育ての社会化が準備されるまでの受け皿として親族のあり方が重要視され、その親族は血縁の親疎によって構成される原理となっているのは、前回書いた社会インフラの不備を親族・家族の協力責任に求めたからです。
民法は本来市民の民事取引に関する法であるのに親族相続編がほぼ同時に施行され、結果的に一体化されているのは、今の価値観から言えば社会で責任を持つべき分野を(国家に経済力が伴わないために)私人に委ねざるを得なくなり、私人とその周辺・・親族の責任とした結果、民法の一部にするしかなくなったと思われます。
民法は大きく分けると財産編と親族相続編の二種類からなっていて、しかも国会でも別の法律として成立しているのですが、結果的に一つの法律として合体して運用されているのは、こうした歴史経過に由来するのではないでしょうか?
何回も民法の冒頭部分を紹介していますが、法典の成り立ちを見直していただくために現行民法の冒頭部分をもう一度紹介しておきましょう。

民法
  明治29・4・27・法律 89号(第1編 第2編 第3編)
民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ日ヨリ廃止ス
  (別冊)
  
明治31・6・21・法律  9号(第4編 第5編)

上記のとおり財産法に関する第1〜3編は明治29年に成立しており、その際の上記文言からも明らかなようにこれに先立つ明治23年の民法(財産関係法・・ボワソナード民法)があって、これの改正版であったのです。
この辺のいきさつについては、これまで06/04/03「民法制定当時の事情(民法典論争1」や民法制定の歴史で詳しく紹介して来ました。
これに対して、親族相続に関する第4編5編は2年遅れの明治31年に別の独立の法律として成立しており、これを後から先行する財産法に合併させたもので、元々一体ではなかったのです。
ナポレオン法典もボワソナード民法も原典を見たことがないので自信がないのですが、明治23年の民法(すなわちナポレオン法典を基礎にしたボワソナードの起草になるものです)に、親族相続編がなかったとすれば、親族相続関係の強化は、まさに産業革命の進行によってナポレオン時代の後に必要になった制度であったことが分ります。

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