日弁連と政治7(弁護士自治破壊リスク4)

日弁連や単位会が裁判所(権力)の自己抑制を良いことにして、政府のお墨付きがあるかのように振る舞うのは間違いです。
政府権力は弁護士会に自治権があるから何をしても良いと言うのではなく、自治権がなくてもマスコミにむやみに干渉しません・家庭に法律は滅多に入りませんし・いろんな場面で謙抑的行動するのが権力と言うものです。
これを逆用して際限なく・自制心なく特定勢力に偏った政治活動をするようになって来ると、少数意見弁護士には不満がたまってきます。
少数意見だから無視すれば良いと言うスタンスで、しかも強制加入のために脱退する自由がない・・一種の独裁政権にとらわれている国民のような関係です。
独裁政治がイヤなら国民は国外逃亡すれば良いと言われても、仕事を棄てて海外逃亡すれば生活苦が待っているので、国外逃亡出来る人は滅多にいませんし、弁護士も弁護士会の政治意見とあわないならばやめたら良いだろうと言われても、イキナリ別の仕事で食って行ける人は滅多にいません。
独裁政権が専断政治を続けると、海外逃亡よりは政権打倒運動が起きて来るように、弁護士内部から弁護士自治はいらないとは言わないまでも・・分派活動が出て来るリスクがないかの心配をしています。
町内会で言えば、会長や役員が暴走すれば会費を払わなくなるでしょうが、会費の強制徴収方式はこのような暴走を阻止し難い性質を持っている点が、制度的弱点です。
2015-2-6「マスコミの役割・・情報紹介業3」で民放と違いNHKの場合、強制徴収権があるのでブレーキが利き難いと書いたのと同じ現象です。
そもそも強制徴収制度・強制加入制度が何故あるかと言えば、戦後イキナリ弁護士自治制度・・権力の干渉を許さない制度を創設しても強制加入性にしないと分裂を繰り返して組織を維持出来なくなる可能性がある・・一種の補助的制度だったと思われます。
アラブの春以降書いてきましたが、民主主義と言い、言論の自由があればうまく行くとは限らない・・新興国では国民レベル・能力に応じて民主化して行く必要があると何回も書いてきました。
チトーやリークアンユーその他大政治家があってまとまって来た国々がいくらもあるのです。
自治を守るための会費強制徴収権が、(不満な人が会費を払わない・・抵抗する権利を封じていることから・・脱退による対外的分派行動を起こせない面では、組織維持にはいいことですが・)逆に会内民主主義・一体感を阻害してしまうリスクになりかねません。
民主主義とは多数決で良いのだから多数派が何に金を使おうと勝手だと言う意見もあるでしょうが、究極の自由な意見開陳権はイザとなれば脱退の自由があってこそ保障されるものです。 
どんな組織でも、あまり脱退が簡単ですと離合集散ばかりではやって行けないので一定の絞りが必要ですが、要はどの程度の絞りが妥当かと言う問題になってきます。
(世の中の組織で・・夫婦でさえ離婚権があります・・完全否定は弁護士会くらいではないでしょうか?)
政党の場合、脱退は法的には自由としても、選挙資金上の不利を乗り越えなければならない・・(政党交付金の比重が上がっているので基準日をにらんだ年末の分裂・新党結成が普通になっています・・外に、国民の支持を受けない脱退は次の選挙で落ちてしまう洗礼が待っているので簡単には脱退・分派行動が出来ません。
この点株式会社の場合、お金目的で集まっただけの組織ですから、企業経営方針が気に入らなければ、上場企業の場合、自己保有株式を市場で売り払えば良いし、譲渡禁止会社の場合でも、会社に対して適正価格での買い取り請求を出来ます。

会社法(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(反対株主の株式買取請求)
第116条 次の各号に掲げる場合には、反対株主は、株式会社に対し、自己の有する当該各号に定める株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一 その発行する全部の株式の内容として第107条第1項第1号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 全部の株式
二 ある種類の株式の内容として第108条第1項第4号又は第7号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 第111条第2項各号に規定する株式
三 以下省略

日弁連と政治6(弁護士自治破壊リスク3)

、加入脱退自由でも労組を例にして硬直すると問題があることを書いてきましたが、強制加入団体の弁護士会が、特定思想に基づく運動するようになると脱退・逃げる自由すらもないのでさらに弊害が大きくなります。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
教師や医師は教組や医師会に加入しなくとも教師や医師を続けられますが、弁護士にはその自由すらないのです。
退会して弁護士業をすると刑事処罰されます。

弁護士法
昭和24・6・10・法律205号  

弁護士の登録)
第8条 弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。
非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条  弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
(非弁護士との提携等の罪)
第七十七条  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
一  第二十七条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二  第二十八条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三  第七十二条の規定に違反した者
四  第七十三条の規定に違反した者

弁護士会の組織活動が自分の意見にあわないときには、弁護士会の活動に参加しなければ良いのだからそれでいいじゃないかと言う人もいるでしょう。
大学自治会が革マル派・中核派などに占拠されていても、イヤならば自治会活動に無縁でいれば良いと言う消極的抵抗と同じやり方の推奨でしょうか?
親としては息子がまじめに勉強してれば良いのと同じで、弁護士会活動しなくとも受任事件さえまじめにこなしていれば良いじゃないかと言う動きです。
弁護士会と政治運動に関する高裁判例を2014-10-30「弁護士会の政治活動4」で紹介しました。
日弁連が自治権の濫用またはすれすれの行為をしても、裁判例としては大幅な逸脱がない限り自治権に介入出来ないと言う抑制的判断が続くと思われます。
「非政治組織(日弁連)と政治6」Mar 28, 2015で書いたとおり、弁護士会に自治権があろうとなかろうと日本の政府はもともとそう言うものです。
日本の歴史と西洋や中国の歴史とは違いますので、西洋や中国の歴史を持って来てすぐに弾圧がどうのと言う左翼文化人的議論は、日本の歴史実態とはあっていません。
こう言う日本の政府の成り立ちを考えると、どこまで許されるかを(本来内部自治で決めるべきことですから)裁判(国家権力)で白黒つけるのは無理と思われれます。
取材に応じた台湾原住民の意向とは違った形で放映されたというNHK相手の裁判に関連して少し書きましたが、何でも裁判に持ち込んでそこで白黒を付けようとするのは、無理があります。
2月21日に書いたように、その限界は自分達で決めて行くべきであって、裁判所が原則として口出しするべきことではありません。

 日弁連と政治5(弁護士自治破壊リスク2)

ここから、2015/02/21「日弁連と政治4(弁護士自治破壊リスク1)」の続きになります。
個人の業務としては、世界の進運に連動して切磋琢磨している場合、一方で特定グループあるいは会の名で仮に過激な政治活動をしていても、個々の弁護士業務自体の信用とは関連しません。
日本医師会が政治力を発揮していたときには、医師会が信用を失って「医は仁術から算術へ」と言われても、個々の医師の技術力を疑うようにはなっていません。
弁護士会が組織としてどんな政治運動をしていても、関係ない弁護士は自分の法的テクニック・人格を磨いていれば・・個々の弁護士の信用に関係がないから、放っておけば良いのでしょうか?
弁護士全般のイメージダウン・・弁護士に対する尊敬の気持ち(仮にあるとすればの話です・・)が、バカの集まりか?と言われるようになる程度・・社会的地位の低下と言う程度の抽象的なことで収まるだけかも知れません。
弁護士会が間違ったメッセージを国内で拡散しても、農協組織と違って実務を規定する能力・権限がないので、間違っていればこれを信用する人が少なくなるだけで、何の害もないようです。
医療と違い弁護士業務は、ある意味全人格的能力の信頼で成り立っているので基礎的な地盤沈下が進みかねませんが・・その辺はすぐには見え難いところです。
日教組の問題点は何も分らない子供が、マトモニ洗脳されてしまう点・・事実上の強制力を持っている点です。
これまで、弁護士会は中立的と信用している人が多かったから、会の声明等に政治的影響力がありましたが、偏った意見を繰り返しているうちに日弁連が偏っていると言うイメージが定着して行けば、短期間で影響力がなくなって行きますから、社会に害を及ぼすこともありません。
この辺は朝日新聞批判にも当てはまりますので、右翼が「朝日をぶっつぶせ」と息巻く必要がないのと同じです。
本当にいい加減な新聞であれば、読者が見放すし、信用しないので心配がいりません。
社会党が2大政党当時には、党首発言が大きな影響があって注目されましたが、今では現実離れしている?社民党党首の声明や動静は大した関心を引きません。
鳩山元総理のように奇抜な?国益に反する疑いのあるような行動をしなければニュースにならないでしょう。
弁護士会の発言力低下事そのものの心配ではなく、信用喪失の流れを契機にして、会内対立が激化して、自治権喪失または弱体化して行かないかの心配をしています。
しかし、これは私が弁護士だから心配しているに過ぎない・・個人的関心の問題であって、誰も関心を持たなくなった弁護士会がどんな声明を出しても、何をしていても、自治権を失なっても日本社会のために何の関係もないとすれば、このコラムで書く必要がないのかも知れません。
元々特定党派に偏った政治意見を言うために弁護士会が自治権が認められているのではありません。
元はと言えば、一般刑事事件で権力による犯罪でっち上げ・・韓国で進行中の産經新聞支局長名誉毀損事件のような事件があった場合、権力の意向に反して正義に基づく果敢な戦い・弁護が出来るように自治権が必要とされて来たのです。
人権を守るための周辺行為・・おまけの政治活動も一定程度必要ですが、やり過ぎによって、肝腎の刑事事件弁護のために必須とされて来た自治権本体を失うようになれば、やはり国民の損失でしょう。
教職員組合が教育の仕方を1から10まで政府に縛られるのでは創意工夫が生まれずに子供の成育にマイナスですから、過剰な政治介入を拒否するの必要がありますが、だからと言って政治的になり過ぎて具体的教育論から離れて国旗掲揚反対等にエスカレートして行くと、その反動で本来必要な教育の自由が抑制されてしまわないかの問題があるのと同じです。
労働運動も同じで、やり過ぎは結局自分たちの正当な権利まで失うリスクがあります。
tだし日本では、政府も賢明ですから相手が遣り過ぎたことに乗じて、政府も規制を遣り過ぎない・・自己抑制的なので、助かっています。
今回の竹島・慰安婦騒動もやり過ぎてしまったので、日本人が目覚めてしまったことが韓国の誤算でした。
相手が遣り過ぎて困っていることに乗じて、日本は、「韓国がヒラ謝りしないと首脳会談をしない」とまでは言いません・・これが大人の対応と言うことでしょう。
韓国も中国も日本の左翼もいくら遣り過ぎてもその反動で「元も子もなくすようなことを日本政府がする訳がない」と言う安心感が、無茶をやれるだけやって損はないと言う行動に走らせているのかも知れません。

非政治組織と政治4

特定利益目的活動の場合、その補助金をもらえない、あるいは規制緩和で優遇されない競合職種の反発があって、自然にある程度抑制されます。
日弁連あるいは新聞報道は、ズバリ特定業種の利益を目的にしない・・抽象化されていることが多いから、その主張に反発する勢力が発生し難い・・ひいては主張に抑制が働かない傾向があります。
現在のマスコミ会で言えば、ズバリ分るような反日報道が出来なくなったことから、格差社会反対とか生活保護需給基準を引き揚げよ!水際作戦批判と言うような主張が中心になっています。
生活保護費引き上げや水際作戦批判運動は、目先どこかの業界が損をする訳でもないし、自分が損する訳でもないので、署名を求められると反対することはないかと普通は署名に応じmすし、可哀相と言う情に訴える運動は同情を得やすいでしょう。
しかし、生活保護基準の決め方は絶対的基準がある筈がない・・単に可哀相だと言う基準ではなく、日本全体の生活水準を基準にして、どの程度の応援が妥当かと言う冷静な基準で判断すべきことであって、情緒に訴えて増額ばかりして行くのは間違いです。
一度保護所帯に転落すると労働意欲がなくなってしまう傾向が指摘されています。
格差社会になっていると言う強調意見を前提にすると、億万長者・千万円前後の高収入者を含めた平均生活費を基準にして、生活費を決めるのはおかしな基準・矛盾主張になりますが、こう言う時には、高収入者を含めた平均生活費を持ち出すのは論理が一貫しません。
その結果、まじめに働いている働き盛りの人の最低賃金よりも生活保護費の方が高くなっていると言う逆転現象が大分前から起きています。
これでは生活保護から脱却するために、新たに働き始める気持ちになり難い・・働くと損するような気持ちになり易いでしょう。
これを逆さに主張して「最低賃金が低過ぎるから引き上げろ」と言うようですが、こう言う論理では際限のない主張になって行く・・論理が倒錯していると言うべきでしょう。
最低生活費の基準は億万長者を含めた平均基準ではなく、庶民・最下位層の生活費水準の何割程度にすべきかを基準にすべきです。
「働いたら損だ」と言う人を増やすような政策主張は、働かない人を増やそうとする試みですから、長期的には日本の基礎体力や道徳心を蝕んで行きます。
何のためのこんな倒錯した主張を熱心にしているのか意味不明ですが、こうしたことを繰り返して行くと、反日宣伝集団ではないか?と言う主張にも一理ありそうな印象を受けてしまいます。
同業種または隣接業種への補助金支給や資格アップ報道ならば(例えば司法書士が、法律業務に進出許可するとなればすぐに弁護士会が反発します・・)すぐに被害を受ける業界が反応するので間違った報道は是正され易いのですが、生活保護という弱者救済論や・・海外の報道の仕方が偏っていても誰が得して誰が損することになるのかすぐには分りません。
すぐに反発する業界・対立関係者がないことに乗じて、マスコミ界はいろんな情報を長年親中韓・反日報道に加工して来たと言われていますが、被害を受けるのが国民一般と言う漠然としたものであったこと、目の前でストレートに得する(その逆に損する)業界がなかったことから、国民が気が付くのが遅くなってしまったことになります。
このために数十年以上にわたって、朝日新聞その他マスコミ界が中韓の利益にあうように中韓に都合の悪いことは一切報じないで持ち上げ報道ばかり、日本が将来困るようになることは針小棒大に報じる傾向が続いていました。
国民が被害に気付くのが遅れる分、被害が深く大きくなるので、国民が漸く気が付いたときには、その怒りをその分大きく受けます。
独裁政権が何かやると直ぐには反発を受けない代わりに、不満がダムのように溜まってから決壊・倒壊すると、民衆の怒りが取り返しのつかないほど溜まってしまっていることになります。
やはりちびちびと批判を受け安い仕組みにしておいて誤りを徐々に修正して行く方が傷が浅い・・これが民主主義の良さではないでしょうか?
日弁連や日教組・マスメデイアその他民意を直接反映する仕組みのない組織は、行き過ぎないように余程自戒し、心しておくべきことです。

日弁連と政治4(弁護士自治破壊リスク1)

弁護士会が自由な政治運動・即ち特定勢力支援活動するために、国家の規制を受けない特権があるのではありません。
弁護士や弁護士会は、人権擁護活動するには国家権力と対峙する必要があるので、その限度で自治権が保障されているだけのことです。
個別の争訟事件を離れてでも、人権擁護するための刑事手続法や刑法の規定の仕方などで意見を言うのは合理的です。
このためは政権と距離を置いた自治権・・自由な観点からの主張や建言が必要なことも確かでしょう。
弁護士は、訴訟手続上、権力と正面から戦う職業であることから、(韓国の産経支局長名誉毀損事件では、韓国弁護士は大統領府の意向と正面から対決する役割になります)権力に刃向かうことを理由に懲戒されたのでは、裁判制度が成り立ちませんから、自治権・身分保障が必須であることは文字どおり近代法の原理ですしその限度で現在の原理でもあるでしょう。
このため、弁護士会に自治があって弁護士の懲戒手続は、全て弁護士会内部で行ない政府は口出し出来ない仕組みです。

   弁護士法(昭和二十四年六月十日法律第二百五号)

 第八章 懲戒

    第一節 懲戒事由及び懲戒権者等

(懲戒事由及び懲戒権者)
第五十六条  弁護士及び弁護士法人は、この法律又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行があつたときは、懲戒を受ける。
2  懲戒は、その弁護士又は弁護士法人の所属弁護士会が、これを行う。

ただし直接国民の信任を問うシステムがなく、しかも自治にあぐらをかいて社会意識に反する弁護士の懲戒をしないと、会自体の信用が低下するので、運営は却って難しいものです。
このため懲戒委員会は世間の良識を反映するために、弁護士だけで構成するのではなく、外部委員として学者や現職裁判官や検察官を選任していてその意見を反映する仕組みにしています。
ただし、綱紀・懲戒委員会は弁護士自治・弁護士の信用を守るために個人的な非行を処分するための組織であって、会の政治的意見・行為が会活動の目的から逸脱しているかの基準を判断する委員会ではありません。
ですから、当たり前のことですが、弁護士自治の限界は裁判や懲戒手続に頼るのでなく、政治活動をどこまでやるのが合理的かは、弁護士個々人が考えて行動し会内民主主義の結果意見を反映して正して行くしかない状態です。
「人権擁護と遠く離れた平和のあり方・軍備の程度や、戦わずして異民族支配に入った方が良いかどうかに関して意見を言い、行動するために自治権が保障されているのではない」と言うのも、私個人の意見に過ぎず、これが正しいかについても言論を通じて決めて行くしかないことになります。
何が、どこまでの政治活動が人権擁護と関係し、弁護士会が関与して行くべきかについての限界論は、会員相互の言論で決めて行くべきことであって、外部の裁判所に頼らないだけではなく、内部の懲戒委員会でも同じですが、権力的に決めるべきではありません。
いろんな立場の意見がありますが、どこか外部権威のお墨付きを求めるのではなく、全て会内民主主義によって会行動の限界を決めて行くべきことです。
ただし、これは弁護士会内部の自己満足の問題であって、会内民主主義を尽くした結果であれば、どんな結論を発表し、人権擁護と遠くはなれた行動をしていても国民が支持するかは別問題です。
弁護士会は選挙や市場行動による直接的国民支持のバロメーターがないために、政治家や商人よりも民意に敏感にしていないと、知らぬ間に独善に陥り、国民意思と遊離してしまって取り返しのつかないところまで突き進んでしまう危険があります。

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