「軍国主義破壊2」とユダヤの陰謀1

最高権力者アメリカの都合が変わるとアメリカの後押しで再軍備が始まり、これに反対の旧ソ連系左翼の憲法違反論・・軍国主義復活反対が盛んになって安保騒動が起きました。
(占領政治は左翼系思想育成と民族精神破壊目的の双子・・共存共栄関係でしたが、朝鮮戦争によってアメリカに反抗しない程度の再軍備容認方針に変わった結果、ねじれ現象になって現在に至っていることをこの後で書いて行きます)
軍国主義か否かの基準による占領支配の恣意性に戻しますと「軍国主義」かどうかの判定権をアメリカが今も事実上握っている関係で、65年安保騒動以来「軍国主義復活反対論」による政権攻撃は徐々に下火になっています。
今でも何かコトが起きる都度中韓が「軍国主義復活への懸念を抱く」とマスコミが宣伝しますが殆どの国民はそう言うレッテル張りに反応しなくなっています。
これらをみれば軍国主義破壊まで占領支配を続けるとするポツダム宣言は、気に入らない行動や考えがあれば何でも軍国主義者、偏狭なナショナリズムだと断定する運用が続いて来た惰性が分かり、こういう習慣がマスコミに残っていることから見ても、占領支配が恣意的に行なわれていたことを表しています。
・・いつでもどこの国でも、思想統制を始めるとトキの権力者の意向次第で決まる危険があることが明らかで、このために民主国家では司法権の独立が要請されているし思想表現の自由があるのです・・ポツダム宣言の占領基準は自由な言論を国是とするアメリカの基本政策に反した要求です。
これまで書いているように「異教徒には人権など認められない」と言うアメリカの基本姿勢がルーズベルトにあり、一般国民意識にもあったからでしょうか?
アメリカは、自国内で黒人差別をやっていて黒人に法的公民権が認められたのは漸く1964年のことで、以後法的差別が許されなくなっただけです。
法で黒人も学校やレストランに平等に行けるようになっても実際の差別がなくなる訳でないので、20世紀一杯掛けて徐々に平等化が進んで行ったに過ぎません。
法律でやっと平等になっても、人権の最大発言場面での犯罪対応・・犯罪検挙現場では、黒人ばかり焼けに射殺される事例が多く、この不満による黒人の抗議・暴動が毎月のように報道されていることからも欧米の人権思想の欺瞞性・・二重基準性が明らかです。
いずれにせよ、個人レベルを超えた国家の方針としてアメリカの気に入った思想になるまで異教徒の国である日本を占領し支配する宣言が歴史に残っている点が重要です。
ヒットラーの日本とユダヤの関係に関する意見を借りれば、恣意的基準による日本占領目的は、ユダヤの進出に唯一応じないニッポン民族精神の根本を崩壊させる目的だったとみれば整合的に理解出来ます。
アメリカの大統領や支配層が、何故ニッポン民族根絶やしに燃えていたのかについて、1つの手がかりとして以下ヒットラーが生前残していた発言記録等を参考に紹介します。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha506.html
『ヒトラーのテーブル・トーク』(三交社)には、次のようなヒトラーの言葉が記されている。
「『ユダヤ菌』の発見は世界の一大革命だ。今日我々が戦っている戦争は、実は前世紀のパスツールやコッホの闘いと同種のものなのだ。いったいどれほ どの病気が『ユダヤ菌』によって引き起こされていることやら。日本はユダヤ人を受け入れなかったので、菌に汚染されずにすんだのだ。ユダヤ人を排除すれば、我々は健康を取り戻せる。すべての病気には原因がある。偶然などない。」
「1925年、『我が闘争』(それに他の未発表の論文)に書いたのだが、ユダヤ人は日本人こそが彼らの手の届かない敵だと見ている。日本人には鋭い 直感が備わっており、さすがのユダヤ人も内から日本を攻撃できないということは分かっているのだ。となると外から叩くしかない。本来、イギリスとアメリカ にとっては日本との和解は多大な利益を意味する。その和解を必死に阻止しているのがユダヤ人なのだ。私は警告を発したが、誰も聞く耳を持たなかった。」
ヒットラーの対日観に関する別の記事です。https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
「ユダヤ人は、アメリカ連邦の株式勢力を支配している。毎年、アメリカは1億2千万国民の労働力を監督するために人員を増やし続けている。ごく僅かな人間だけが、今日もなお、ユダヤ人たちの怒りを買いながらも、完全に不屈不撓の立場を貫いている。
狡猾な手練主管を用いて細工して、その細工した世論からユダヤ人たちは、自分たちの将来のための闘いに必要な手段を創り出している。既にユダヤ人世界の最大の大物たちは、彼らの経典にある諸民族大相克のスローガンが実現するときが近付いていることを信じている。
国としての主体性を失った植民地地域に住む諸民族のこの 家畜的集団の内部では、唯一個の独立国家の力によって最後の瞬間に全ての事業が瓦解する結果になるかも知れない。何故ならば、ボルシェヴィキ化した世界 は、全てのものを包括した場合にのみ、存立することが可能だからである.
したがって、たとえ唯一国でも、その国家としての力と偉大さを失うことが無ければ、ユダヤ人執政官によって支配された世界は、この世界における全ての暴虐な支配者と同じ様に、必然的に国家主義思想の前に屈服せざるを得ないだろう。
ところでユダヤ人は、自分達の千年間にわたるその同化の 努力の中で、ヨーロッパの諸民族を骨抜きにし、性別も不明な混血児に教育することには成功するかも知れない。しかしながら、日本のようなアジアの民族主義 国家に対して、この同じ運命を押し付けることはまず不可能であろう。このことを、ユダヤ人はよく知り尽くしている。
 今日ユダヤ人は、ドイツ人、イギリス人、アメリカ人やフランス人らしく振舞うことはできるであろう。しかし、この黄色のアジア人に 関しては、ユダヤ人を結び付ける掛け橋はどこにもない。そこでユダヤ人は、民族主義国家日本を、今日存在している似たような国の力を使って殲滅してしまおうとしている。すなわち、ユダヤ人の手の中でこの最後の敵が無抵抗の国々に対する暴力的支配者に変貌する前に、この危険な敵を片付けてしまうために。
ユダヤ人は、千年の歴史を持つユダヤ人国家において、日本のような民族主義国家を恐れている。したがってユダヤ人による世界支配体制が完成する前に日本を滅亡させたいと願っている。
そこで、今日ユダヤ人は、かつてドイツに対してやったように、諸国民を日本に対して扇動している。したがって、イギリスの国策がまだ日本との同盟関係を頼り にしようしているときに、早くもイギリスのユダヤ系新聞は同盟国日本に対する宣戦を要求し、民主主義の宣言の下に、そして「日本の軍国主義と天皇制を打倒せよ!」という雄叫びの下に、日本を殲滅するための戦争を準備していることは別に不思議ではない(「我が闘争」下巻第13章)。  
「ユダヤ人たちは、アメリカ合衆国の金融力の支配者である。一年一年彼らはますます1億2千万民衆の労働力の監督者の地位に上っていくのである。 ユダヤ人は自分たちの至福千年王国のなかに日本のような国家主義国家が残っているのをはばかり、それ故自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである」。

政府と国民3(2項対立1)

日本列島では縄文の昔から上下の一体感・・犬まで一緒に葬る同胞意識が強い社会ですし、西洋の革命によって生まれた民主主義・人道主義以前から日本では民意重視・・すべての生き物・環境重視社会です。
西洋の学問を学んだ文化人は飽くまで政府と国民の対立図式・・地主と農奴・労働者と資本家・男性と女性・敵か味方か白か黒か人とそれ以外と言う2項対立図式を有り難がる傾向があります。
世の中「晴か雨、暑い寒い・・」ばかりではなくいろんな天候があるし白黒の外にいろんな色合いがあります。
キリスト教・イスラム教的善悪二元論は数千年〜万年単位で遅れた社会で通用する・・人間の一生で言えば小中学生レベルの単純価値観ではないでしょうか?
自我に目覚めて何でも口に出して主張するのが進んだ人間と賞讃される価値観も、小中学生レベルを前提にすれば、自分の意見を持てるようになって良かったと言うオヤの目から見れば賞讃すべきことですし、子供から言えば誇りでしょう。
近代西洋で発達した2項対立図式(この程度までが理解能力の限度)によれば、犯罪摘発・・秩序確立は政府を利するだけのことだし、国民を監視するための情報収集に協力するのは、まっぴら御免・・通信の秘密・プライバシーその他表現の自由など人権重視となると嬉しくなってそのサジ加減の必要性が分らないし、「生き物を大切にしなければならない」と習ったことを自慢したくなって「捕鯨反対」と短絡化して行くのは民度レベルから当然です。  
フランス革命で権力と人権の二項対立を習うと、この基準でしか考える能力がない人は日本人レベルで言えば、小学高学年レベルの人と言えるでしょう。
日本は繰り返すように縄文の昔から・・複雑多様な自然の移ろいを肌で感じて表現して来たように、(「春か夏か!と言う観念で決めるのではなく、その日の風情で微妙に着るものや床の間に活けるハナや掛け軸を変えて行く社会です)いろんな価値観を総合判断して行く社会でしたから、2項対立→「今日は春か夏か」の区別程度しか分らない人はムラの寄り合いでマトモな意見を言えずに黙っているしかない人材でした。
万年単位で人智が遅れているアメリカ人が乱暴な(言わば原始社会基準の)二択基準を持ち込んで強制したために、この70年間世間を2項対立でしか判断出来ない低レベル人材がアメリカと言うトラの威を借りてエリートとしてのさばっていたに過ぎません。
今日の空模様で何を着ていこうか、どのような色柄が良いか迷っているときに「今日は春か夏かどちらかだ!」「晴れるか雨か」と言う基準を出されると黙ってしまうしかありません・・。
黙っている人はモノゴトの基準が分らないのではなく、大雑把な基準しか分らない設問者をバカにしているだけです。
多くの女性は出掛けるのを急かす男性に対して「はいはい」と答えていますが、「どうせ男性には分りはしない」と言う気持ちであって男性が優れていると思う女性は皆無でしょう。
子育ても「厳しいか寛容か」などの単純価値観ではうまく行きません・・母親の重層的価値観でこそ学業や友人関係について行けない子供が何とか育つのです。
単純化に適している戦後エリートを基礎的人材源とする革新系・・民主党政権時代にいわゆる二者択一的判断・・微妙な反論を許さない「事業仕分け」が同政権の目玉だったことがその本質を如実に物語っています。
菅直人氏が総理現役時に自衛隊を「暴力装置」と表明したのも、人命救助側面を見たくない・・抑圧組織としか見られない限界を示しています。
2項対立的仕分けによれば、政府が何のためにあるのか・・・国民のためか搾取するための道具としてあるのか?
社会秩序は国民のためにあるのか?犯罪摘発は政府に抑圧・搾取されている国民反抗抑圧のための「摘発組織」としてあるかがテーマとなります。
そして革新系文化人にとっては、日本政府を「自分たちの政府」ではなく、フランス革命前の人民抑圧組織として理解し敵視していることになります。
公害・環境問題や核実験反対も、抑圧組織と決めている日米政府や企業に反対するが、解放組織である中ソの実験や公害出しっ放しには全く問題にしない矛盾行為に平気な理由です。
敵か味方かを基準に「戦略的に?』判断するのではなく、人類全体のために環境をどうするかの高度な視点にまで脳構造が追いついていないのでしょうか。

政府と国民(信用破壊工作)2

彼ら人民と対立する日本政府を想定し外国勢力占領を渇望する立場からすれば、時代に応じて政府が新たな情報活用すること・・防犯カメラ、マイナンバー・統計処理その他政府が正確な情報を得ること全てイヤ・・秩序が乱れている方が政府による国民抑圧効率が悪くなるのは良いことですし、抑圧されている人民を助けるために外国が攻めて来易いから政府のためになりそうなことは全て反対と言う気持ちも分ります。
しかし、今のシリアのようにあまりにも内部が乱れてしまうと占領政治も出来なくなるので、もしかして・・無政府主義者になるのでしょうか?
犯罪=政府秩序破壊行為ですから、反政府組織(無政府主義者)にとっては、泥棒であれ何であれ、秩序破壊に役立つ行為・・データを不明瞭にすることを奨励する立場になるのでしょう。
英国流の汚いやり方(海賊行為でスペインを挑発して遂に覇権を握ったのは周知のとおり)を学んだサツマ藩は、幕末江戸の秩序撹乱を狙って、テロ行為を実行しました。
幕末薩摩藩は正規職員を撤退させて、その空き屋敷に得体の知れない素浪人を引き入れて押し込み強盗その他犯罪者の巣窟になっていた・・幕府支配下の治安破壊を目的にしていた小説を子供の頃に読んだ記憶です。
追っ手に追われた強盗集団(子供の頃に読んだ物語では益満休之助がサツマ藩のテロ組織の親玉だったように記憶していますし、人斬り以蔵はサツマ藩出身ではありませんが、殺し屋として知られています)が・・治外法権を利用して薩摩屋敷に逃げ込むと追っ手は、手も足も出なかったことを想起しても良いでしょう。
(桂小五郎も京の薩摩屋敷に逃げ込んで難を逃れた逸話があります)
うろ覚えですので、念のため・・以下は益満休之助に関するウイキペデイアの記載です。

薩摩国鹿児島高麗町生まれ。薩摩藩の尊王攘夷派として、江戸で活動する。万延元年(1860年)には清河八郎が結成した虎尾の会に名を連ねる。慶応3年(1867年)末、西郷隆盛の密命を帯びて伊牟田尚平らとともに江戸へ赴き、江戸薩摩藩邸を本拠として約500名の浪人を集め、江戸市内を意図的に混乱させる工作をした(江戸薩摩藩邸の焼討事件)。その狙いは、幕府の施政を妨害し、挙兵させ、それによって江戸を中心とした関東地区を撹乱することで、民衆の不満を煽り、尊皇攘夷の大義名分を得て、新政府実現へのきっかけとすることにあった。
果たして、狙い通りに江戸取締役を務めていた庄内藩軍を主力とする幕府軍が江戸薩摩藩邸を襲撃、この知らせが大坂城に至り、会津藩及び桑名藩を刺激し、鳥羽・伏見の戦いが勃発した。のち、幕府方により逮捕され処刑される直前に勝海舟によって身請け・幽閉された[1]。

岡田以蔵に関するウイキペデイアの記述は以下のとおりです。

土佐勤王党が王政復古運動に尽力する傍ら、平井収二郎ら勤王党同志と共に土佐藩下目付の井上佐市郎の暗殺に参加。 また薩長他藩の同志たちと共に、安政の大獄で尊王攘夷派の弾圧に関与した者達などに、天誅と称して集団制裁を加える。 越後出身の本間精一郎、森孫六・大川原重蔵・渡辺金三・上田助之丞などの京都町奉行の役人や与力、長野主膳(安政の大獄を指揮した)の愛人・村山加寿江の子・多田帯刀などがこの標的にされた(村山加寿江は橋に縛りつけられ生き晒しにされた)。 このため後世「人斬り以蔵」と称され、薩摩藩の田中新兵衛と共に恐れられ、同時代の史料では同志から「天誅の名人」と呼ばれていた。なお一般的に「幕末の四大人斬り」と呼ばれる者達はみな、後年の創作物によって「人斬り」の名が定着したものである。

鳥羽伏見の役は薩摩屋敷を基地とするテロ挑発に我慢し切れなくなった庄内藩兵が治外法権の薩摩屋敷を襲撃するに至り、小御所会議のクーデターで京を退かされた無念の会桑+新撰組連合軍が・・俺たちも・・と兵を挙げてしまったことに始まります。
言わばイギリスの海賊行為に業を煮やして無敵艦隊を派遣したスペイン同様の経緯です。
薩長を中心とする勤王派(今で言えば、2世紀前の近代法の原理を掲げる時代錯誤)によるテロ行為・・秩序破壊行為が目に余って来て、奉行所制度・・みんなが権威に従っていてタマに間違った人しか事件を起こさない前提)では手に余って来たので、江戸市中警備のために庄内藩が警備役に就任して兵力を駐留する事態になっていました。
一般には京の治安維持には所司代だけでは間に合わなくなって来て会津藩の軍隊が駐留したことが知られていますが、徳川お膝元の江戸市中でさえ治安警察が必要になっていたのです。
会津藩軍兵への進駐でも、テロには正規軍や対応不向きなので非正規組織である新撰組が組織されました。
明治政府成立によって新撰組が悪役化されて描かれていますが、先に治安悪化を狙った暗殺組織や強盗集団を組織して挑発したのは薩長の方であり、新撰組や見回り組はその防衛組織として始まったものです。
現在は、東京時代・・まだ明治時代の延長ですが、その影響がなくなると新撰組や会津藩に光が当たる時期が来ると2004年09/09「勝てば官軍」1(薩長閥と戦後政治家の変遷)」に書いたことがあります。

政府と国民(信用破壊工作)1

革新系文化人・政党が新しい施策に全て反対してきたのは、日本国の発展しそうなことを妨害するのが目的ではなく、政府と国民が対立しているから搾取し抑圧する政府・資本家から国民防衛のために政府・資本家の施策に全て反対しているとすれば「外国の手先」と言う批判はあたりません。
左翼系は従来から自分たちを「国民」と言わずに人民と称していることをMay 1, 2013, 「中国共産党→中国政府→人民2」前後で紹介したことがあります。
国民と言わずに人民と言えば何が変わるのか分りませんが、中華人民共和国・朝鮮人民共和国の名称を有り難いと言う忠誠心の表明でしょうか。
人民解放軍が人民「解放」に来てくれるのを首を長くして待っている意思表示でしょうか?
ところで、人民解放軍とは国軍ではなく、中国共産党による武力支配を貫徹するための私兵です。
中国や韓国の主張は実際には真逆・・自分が酷いことをしている場合・・歴史改ざんであれほぼすべて・日本がやっているように表現することが多いので、中韓が主張すると自分がやっていることを言ってるのだな・・と理解するのが普通ですが、人民解放と言う名称こそ真逆の世界です。
このネット時代に膨大な人員を使って都合の悪い発信を片っ端から消して行くだけでなく、公安警察を使って国内でやり放題どころか、香港など域外にまで出張して気に入らない言論人を秘密裏に拉致して行く・・・この背後に控えている武力装置が「人民解放軍」です。
これ程、真逆の名称は珍しいし、虚偽で塗り固められた中国の本性・・象徴的表現です。
今朝の日経新聞朝刊10pには習近平氏が、遂に軍用迷彩服でテレビに出て来た背景を書いています。
「銃口から政権が生まれる」と言う毛沢東主席の意見・・中国共産党の党是ではあるものの、開放政策以来経済優先で来た・・対外的宥和・・平和的発展論を示すためにも、ここ何十年も軍服着用は長老の葬儀など内輪でしか着用しておらず最近では背広中心になっていた経緯を紹介して、今になって軍服・しかも現場向きの迷彩服まで着てテレビに出るのはどう言うデモンストレーションかの解説をしています。
経済政策で人民を引きつけるのは無理になったので軍事力で押さえ込む明白な意思表示ではないかと言うものですが、このように中国では人民を抑え込むための兵力であって国防軍ではありません。
菅直人氏が総理大臣のときに自衛隊を暴力装置と発言して物議をかもしましたが、中国の軍を理想とする革新系では当然の理解・・自衛隊も人民抑圧手段の理解なのでしょう。
まして中国の場合、警察は人民監視や抑圧の手先機関でしかないのですから、憲法9条に関する「戸締まりや警察が必要」と言う自衛必要論のたとえ話は、警察などは人民の敵と考えている左翼文化人とまるでかみ合っていません。
革新系文化人は、人民解放軍は人民抑圧のための軍であり警察は秘密警察・・国民の生活安全を守るためはなく政府の都合でいつしょっぴかれるか分らない怖い存在でしかないと良く知っているとすれば、中国人民解放軍が日本人民を救うためにやって来ると期待していると言うのは矛盾していませんか?
日本の軍は武士の系譜を引くものですが、日本の武士団が始まって以来約千年ですが、地元出身で構成される武士団が地元住民を敵に回して戦うことを誰が想定出来るでしょうか?
軍国主義日本を批判していますが、日本国民を弾圧したことがあったでしょうか?
秀才は日本の現実を見ないで西洋の歴史教育で習ったとおりを観念する習性です。
政府は国民の敵だから日本を攻めて来る国は救世主であると切り分けていたのが戦前ソ連崇拝者の行動原理でしたし、その系譜を引く革新系文化人は戦後はアメリカ占領軍崇拝し、今は中国による日本人民解放実現が夢とすれば非武装論は確かに有効です。

指標破壊→民意不明・信用破壊2

統計の正確性に戻りますが、統計とは国民の客観的な動きを把握=客観行動から民意を知る=民意に従う政策に活かすための制度です。
民意などどうでも良い中国の場合、国民の動き・民意を正確に知る必要がありません・・むしろ政府に都合の良いデータだけ公表する・・国民や外部に分っていない方が自由裁量性がありますから、各種データを混乱させる方が有利とする政策でしょう。
ただし、取り締まり対象としては正確なデータは欲しいでしょうし、その前提として不満蓄積前段階の経済の動き・倒産情報その前の不良債権率なども早めにキャッチしたい点は同じです。
政権の外にいる国民や外国に知られないで政権だけが知ることが出来る都合の良いデータはないので、個人企業で言えば脱税用あるいは燃費偽装など対外向けの二重帳簿を作るのが最も原始的で合理的です。
しかし国家全体の二重帳簿を誰にも知られずに作るの不可能ですから、結果的に政府権力者自体が自分の支配している国家の実態を知ることが出来なくなります。
ゴルバチョフの自伝だったかでは最後はどこへ行っても政府の実態不明で政治にならなくなっていたと書いているとおりです。
組織トップが不正をすると末端も不正をするようになるのが北海道警察事件その他で明らかになっていますが、トップだけが出来上がった数字をいじっていると、下位の地方政府もいじる→そのまた下部機関も順にいじるので、訳が分らなくなっているのが現在中国(旧ソ連組織同様)です。
ビッグデータ利用は、現在社会を効率よく運営するための必須作業である筈ですがこれの有用性を認めるものの、政府が収拾するのに反対と言うのは、政府は国民の敵対組織と位置づけているからでしょう。
防犯カメラに反対していた・・・犯罪があれば、犯人像や移動経路把握に反対するのは、国家秩序に反抗するものは全て保護すべきと言う思想によれば一貫しています。
犯罪・・国家秩序破壊から国民を守る国民の利益とスーパー店舗内や道路など公的空間でのプライバシー侵害との兼ね合いと言う視点が抜けているのです。
この立場からすれば、国民支配道具としての情報収集に反対・・収集目的が違うと言うことでしょうが、革新系文化人は中国基準(取締目的)でのデータの必要性を見るから政府のデータ収集をいやがるのでしょうか?
政府は国民の敵と言う意識が強いようですが、国民主権国家では国民のために政府が如何に働くかが重要です。
政府は国民のために働く下部機関ですが、企業で言えば部下にキチンと仕事をして貰うには、仕事の対象に関する正確な情報提供が必須です。
痛いところを治してもらうには出来るだけ多くの情報を医師に与える必要がありますが、会社に降格されたくない基準で言えば、会社には体調をあまり知られたくない方向に働きます。
「何でも反対」と言う革新系の意識に「政府は国民の敵」と言う前提があるのでは、国民国家の時代に前提が合っていないことになります。
国民主権社会では、日本社会のためになることを目指すのが政府の仕事=政府や野党政治家は国民のためになる政策提案を競うものですが、政府の政策は全て国民敵視政策と決めている立場からすれば、その政策が国民のために役に立つかどうかの検討よりも前に国家秩序に組み込まれるかどうかの視点・・組み込まれる恐れのあるものは全て反対となるのは仕方がないことです。
しかし統計や防犯カメラなどに協力すれば統治機構に組み込まれるかも知れませんが、安全社会や統計の正確さによる政治の効率化(ひいては国際競争に生き残る)の恩恵を国民が受けるのです。
革新系文化人は、社会の利便性や恩恵を無視して統治機構に組み込まれること自体が悪と言う19世紀の夜警国家の思想にこだわっているように見えます。
何かと言うと近代法の原理に反すると言うのが彼らの特徴ですが、思想の基礎が違って来ているのです。
現在中国ではまだ人権尊重が未発達・・国民主権国家ではないことから正に妥当する原理ですが、これを日本に持って来て教えてやると言うからおかしなことになるのです。
核実験であれ公害であれ、中国のやることには一切問題にしないで2世紀ほど先に走っている日本で19世紀型思想基準で問題にするのですから(幼稚園児に妥当する行動基準を大学生に強要しているようなもので)適用の場を間違えていないかの疑問です。

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