民意に基づく政治8(讒言社会1)

強権政治に親しんでいる中国では、仮定の話ですが、民族の半分ほどを丸ごと虐殺してその残りに対して民族丸ごとの集団移転を命じても、その部族は反抗する方法すらないのでどのような非人道的政策遂行でも可能です。
この後に国家的テロとの関連で書いて行きますが、ポルポト派による大虐殺、文化大革命その他非人道的政策が何ら大規模な抵抗もなくそのまま実行出来たのは、こうした政治力学によります。
習近平政権にとっては、暴動や人民の反抗が少ない方が良いに決まっていますが、それは政権維持にとって大したことではなく、政権内部の長老等との権力争いの方が心配になっている・・優先課題です。
安倍総理が自民党総裁からおろされると総理ではなくなるので、党内基盤を固めてこそ野党と渡り合えるし政策実現出来るのですから、日本でも政権内部の権力争いが優先課題であることは同じです。
日本の場合、古代から有力豪族の連合体であり現在も各地末端支持者の支持によって議員なっている政権内政治家が存在している関係が続いています。
日本の場合政権内抗争と言っても豪族自身が古代から庶民の支持基盤を反映していたし、今でも内閣構成員のほぼ全部が各地の支持基盤に頼っている政治家ですから、如何にトップの総理から指示されても支持母体の利害に反したことには、容易に賛同出来ません。
総理の指導力を法的に如何に高めようとも、内閣構成員・政治家がそれぞれの支持基盤から選出されている本質的側面を無視出来ません。
(大統領制とはそこが本質的に違うのです)
専制制の国や社会での政権内抗争は、末端国民の意見・利害によるのではなく、自己利害・・利権の損得を基準にしているに過ぎません。
この場合、正義の基準よりは情実や讒言が効果を発揮します。
ココから中国歴代王朝で盛んであった讒言社会が生まれたのです。
政権内抗争中心社会では、讒言ほど有効な武器はありませんので、中国歴代王朝では讒言による政敵失脚を狙う行動原理が最有効なものとして定着して行ったのです。
勿論李氏朝鮮でも同じです。
中国の薄煕来事件にまつわる政変やこれに関するネット意見など見ると、我々は何千年の政争をくぐり抜けて来た歴史経験があると自慢しているのを見かけることがありますが、この手の陰湿な政争には習熟しているという意味です。
韓国の世界に向けたプロパガンダの激しさも、権力者への讒言スタイルの現在型と見れば良いでしょう。
最高権力者がアメリカ世論〜議会であるとすれば、これにすり寄るためには色仕掛け、マネー仕掛け何でもする・・正義を度外視した抗争が得意です。
民意による政治に戻りますと、専制制の政権では、彼ら政権内権力者は国民の支持で存在しているのではなく、党内序列等(専制君主制のときは高位高官者)で発言力が決まって来るので、国民の意思をソンタクする必要も能力もありません。
大統領制の韓国では一見民主化されているようですが、以前から書いているように国民が支配者の選任権を獲得したことと、終身制を任期で区切っただけで(不都合があっても途中解任権がありませんので一旦就任すると大幅な権限があります)その間は白紙委任で政権内は官僚だけであることから、選挙の洗礼を受けた議員の意志をそのまま受入れる必要のない体制です。
大統領制でも議会による抑制があるとしても、新たなことをするには法=議会対策が必要ですが、そうでなければ議会の意向を気にする必要がありません。(抑制出来るだけです)
大統領制は一定の抑制が出来るとしても白紙委任を原則としていて、民主化したと言っても、選ぶ権利があることと任期制程度の意味に過ぎないことを、2013/07/16「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」のコラムまで連載しました。

女性天皇論1

小泉政権当時から女性天皇制の是非が議論されていますが、(秋篠宮家に男子出生によって今は下火ですが、将来の課題として残っています)
「古代に女帝が一杯あったじゃあないか」
という女帝容認論に対して、天皇になるべき子が幼なすぎるその他(蘇我氏が擁立した推古帝の外、中大兄の皇子がなかなか即位せずに一旦母親に2カ目の践祚をして貰い・女帝を建てたりしました)複雑な政治駆け引き上の繋ぎ目的であって、女帝に皇族以外の夫がいてその子が皇統を継ぐようなことが予定されていなかったと反論されています。
現在の女帝容認論は、他に皇嗣になるべき皇族男子がいないことを前提にしているのですから、その結果は全く皇統に関係のない系列に皇位が移って行くことを前提にしているので、古代に女帝がいたこととは本質がまるで違っています。
皇統がどうあるべきか・・皇統が連続するとは男系のみを言うのか等の本質論を避けた議論をしていては議論がかみ合いません。
イギリス王室の例で見れば分るようにイギリスでは、現エリザベス女王の子が次期王位継承者ですから、・・即ち夫は王室外ですから、男系にこだわっていないことが分ります。
日本の女帝は(次期皇位継承者がいることを前提にして権力均衡を計るためも含めて)次期本格政権への繋ぎ(当然皇位継承すべき皇族男子がその他大勢いて)目的が中心であったことは相違ないでしょう。
本論に戻りますと、このように我が国古代の女帝は政権の繋ぎ=皇位を一時預かりしているに過ぎない性質から政治は抑制的になり、中国で経験している前回紹介したような垂簾政治のように強力な独裁・恐怖政治を生み出さなかったのです。
漢の呂后、唐の則天武后、清末の西太后その他垂簾政治は政権簒奪している負い目もあって却って強権、恐怖政治になり勝ちです。
日本の場合、負い目があれば遠慮勝ちになるのですが、中韓両民族では逆にいきり立つと言うか強がり・強行策に終始する傾向があるのは、古代から現在に至る大きな違いです。
国民の支持を前提にする社会であれば、開き直りのような強行策・弾圧強化政策は却って人民の支持を失いますので、このような政策選択はあり得ないことになります。
開き直りこそが最有効とする価値観が盤石になっているのは、古代から強権政治に領民が反抗するすべを全く持たなかった・・人民はすごく弱い・・強権政治・恐怖政治に徹することこそが、却って政権安定の基礎であったと言う実績・経験があるからでしょう。
中国地域では、古代から政権は我が国のように昔から人民の支持によるのではなく、権力獲得競争は武力の優る方が勝ち、その後の政権維持に関しては政権内の反対勢力に関心がありますが、人民に対しては支持よりは弾圧能力にかかっているという単純社会を予定しています。
中朝両国有史以来続いた専制政治制とは本質的にこう言うものでしょう。
現在では重火器の発達で重火器を保有し得ない人民の暴動などとるに足りない・・いくらあっても政権が倒れる心配がないと言うのが中共政府の考え方でしょう。
外国の介入・・人民への外国からの兵器補給さえなければ、今の時代どこの国でも暴動弾圧には困らない時代であることを以前から書いています・・シリア反政府運動が長引いているのはこのせいです。
民主化が進んで人民意志を無視出来ないのではなく、刀や槍しかない時代と違って人民と政府間の武器力格差がもの凄く広がっているので、今は逆に現在中国のように人権など問題にしないで開き直って徹底弾圧すれば何の心配もない時代が来ています。
(刀や槍しかない時代には人民は竹槍で向かっても数が圧倒していれば正規軍に太刀打ち出来たことを以前書きました)
今もチベット族、ウイグル族あるいは(異民族対策とは関係がない)法輪功その他に対する中国政府の対応方法を見ると、強権・弾圧政治こそが全てを解決すると言う政策を実行している国柄です。

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