大統領令5(民主主義制度と民度)

トランプ大統領の課税アップ宣言・その実行するための大統領令の国内法的側面に戻ります。
幾多の革命が課税を巡って起きたことで知られるとおり欧米では,課税権は議会の絶対に譲れない専権事項・・正義とおしえられて来ました。
我が国でも租税法律主義と言って行政府には課税権がありません。
フランス革命以降、法がない限り人権制約出来ない仕組みを持つことが近代国家と言えるための基本とおしえられて来ました・・これも先進国の共通価値観です。
憲法
十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
関税引き上げによる究極の影響を受けるのは外国の輸出業者,・・例えばメキシコや中国ですので、国民相手ではなく対外行為だから国民の人権に関係ないからトランプ氏がイキナリ無茶出来るのだと思っている方が多いと思われますが,実は関税を納税するのはアメリカ国内輸入(業)者です。
以下のとおり,日本法で言えば関税納付義務者は輸入者・国民ないし内国企業ですし、この原理はどこのクニでも同じでしょう。
※消費税で考えれば分りますが、消費者が納めるべきと言ってもパンや牛乳を買った個々の消費者から具体的に徴収する方法がないので、業者が代わって納付義務を負うのが法の原則です。
輸出した外国人相手に「払え」と言っても(トヨタなどアメリカに進出している大手は別として外国に住んでいる個人的輸出業者相手に)取りようがありません。
輸入者に負担があると、喩えば国内企業からの仕入れ商品より1割安いから輸入している場合,関税で2割取られると仕入れが割高になるので結果的に輸入が減る結果、実質的輸出が減る・・対外標的の政治問題になっているのですが,法的には国民に対する課税強化です。
国民に対する課税強化が国会無視・・大統領令だけで決められるとすれば・課税法律主義の原理に正面から反します。
関税法(昭和二十九年四月二日法律第六十一号)
(納税義務者)
第六条  関税は、この法律又は関税定率法 その他関税に関する法律に別段の規定がある場合を除く外、貨物を輸入する者が、これを納める義務がある。」
実際の被害を受けるのは外国ですから、国民の反対がないと見込んでいる・・国内多数であれば何をして良いかの議論の一場面です。
july 16, 2013「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」前後で大統領制は選任手続を世襲から選挙にしただけでその後は一任支配を前提にした社会・・個々の政治テーマで民意を聞くとまとまらない社会に妥当する制度だと言うことを連載したことがあります。
日本では、法や憲法がないときから・・古代から何事もムラ社会では寄り合いで納得の上で決めて行く社会ですが,PC(きれいごととして)だけで民意重視必要と習っただけの社会・・実際の納得を前提にしていない社会では、合意形成が形式に流れ勝ちです。
投票箱民主義と揶揄される所以です。
民族共同体意識の確立されていない社会で・・PC(きれいごと)流行批判を2月4日に紹介しましたが、形式的人権擁護論だけでは解決で来ません。
合意で政治をする・本当の意味の民主主義社会になり切れていない・投票箱民主主義社会の底の浅さが大統領令の乱用・・亡霊が出て来ることによって露呈します。
現在社会でしかも世界の指導国を任じていたアメリカで,こう言う専制的命令が(トランプ氏個人資質の問題ではなく,クリントン政権もそうでしたし)過去の積み上げた法令無視で自由自在・・専制君主並みに大統領令が出て来て・・しかもPC・偽善的表現を棄てて猛威を振るい始めた・・アメリカ社会の本音が出て来たことに驚いているのが世界の現状です。
本音と言うより、これが本当のレベルだったのです。
どんな立派な制度があってもそれを運用する能力・・構成員の多くが心の底からみんなの意見や気持を尊重するかどうかは民度次第と言うことでしょう。
「仏作って魂入れず」の状況です。
ナチスも、民主主義・ワイマール憲法下で委任立法制度の悪用で猛威を振るったものでしたし、ソ連のスターリンの独裁・恐怖政治も下部組織から順に持ち上がる形式主義を悪用したものでした。
大学自治会やその他組織で意見集約行為が形式に堕して一握りの活動家が私物化してしまったのは、構成員の未熟性に帰すると思われます。
大学生程度では、まだ自主運営するには十分成熟していないから「形式論・・多数決さえ取れば良い」だろうと反対論を無視することの繰り返しで誰も参加しなくなる・・反対者が減る一方でドンドン尖鋭化します。
学生自治会の場合参加しなければ良いのですが、逃げることが出来ない国民・・・これを国家規模で貫徹し収容所列島にしてしまったのがソ連の民主主義でした。
人民みんなが声を上げてデモ出来るわけではない・・政治に携わる人は、文字どおり声なき声を十分斟酌・忖度しながら政治をする度量が必要です。
アメリカで、歴代大統領が自制して来た大統領令の濫発をトランプ氏が始めた・・しかも過去に蓄積して来た人類の智恵・・各種国際合意全部について「ちゃぶ台返し」のように全面否定する選挙スローガンを掲げ、政権につくとそのまま実行し始めた・・しかも法的にこれにブレーキをかけるのは司法権しかないのでは驚きです。
司法権による救済は国内人権侵害対応しかしない・・国際合意・・国際的正義の破棄には何ら権限もないので、被害国としては押し止める力があるかどうかだけで、相手に抵抗する力がない場合、暴走しっぱなしになります。
これではまさに中国やロシアのやりたい放題の仲間入りです。
トランプ氏は、今後世界の指導国の地位・国際的に歴史上形成されて来た正義・・格好付けを放棄して横暴・・やりたい放題やると言う主義主張のようにみえますが・・。
これはアメリカ人(ピープル)レベル低く、いわゆるPC(政治禁句・きれいごと)政治について行けない・・疲れたことによります。
成金が上流社会に参加してみて複雑な礼儀作法に疲れ切った状態に似ています。
自由主義の本家グローバリズム・・金融等業務では成功している・・尤も恩恵を受けているアメリカとイギリスがそろって移民反対に転じた理由は、グローバル化成功しているからこそ早過ぎる進行速度について行けない一般国民の不満が大きくなったと見るべきです。
急激な高度成長する新興国で、ついて行けない階層とのギャップが大きくなるのが普通ですが、新興国では底辺層の工員等現場系の仕事から増える関係で恩恵を受ける層が厚く大きな社会問題になりません。
格差といっても農村に残っていて都市労働者になり損ねる不満とこれまで得ていた地位喪失の不満とは質が違います。
高度成長期に農村に取り残されて成長の恩恵にあずかれない不満に比べれば、既存の地位喪失・・失業や降格倒産の方がダメージの方が圧倒的に大きくなります。

民度6(イギリスの経験論)

観念論体系にこだわる場合に社会が変化して行くときの現実との矛盾相克に戻ります。
日本では江戸時代に儒学採用後半世紀ほどですぐに矛盾が出たのすが,中国で言えば前漢時代から約2000年以上も延々と採用していたのに,西暦2000年頃まで社会矛盾が出なかった・・余程変化しない・・停滞社会であったことが分ります。
実際には、いろんな矛盾が起きていたのにエリートの教養優位を維持するために,強権で押さえつけて来た結果停滞していた相互作用でしょう。
専制支配社会では処罰の合理的根拠不要なので、赤穂浪士処分のような矛盾相克が起きないということでしょう。
韓国も「反日無罪」の論理で国内的には一貫できる点は専制支配の現在版ですが、安倍氏に国際合意にされてしまった結果(慰安婦像設置と国際合意の相克)国際ルールとの関係をどうするの?と言う矛盾に今頃になって初めて気が付いている状態です。
韓国では民主国家になったと言っても精神レベル、民度が専制支配状態のままですから、君主専政の代わりに人民が激昂すれば論理・正義無視でなんでも出来る社会意識でやって来ました。
何かある都度興奮して大集会を開いては特定人物を糾弾する・・・大統領を失墜させるなどを繰り返して来た精神風土です。
専制君主一人の無茶苦茶から、飛行機を止めたピーナッツ事件で分かるように財閥親族の横暴や個々人では弱い人民でも大集会開催まで成功すると同じく論理無視の無茶が通る社会に変わった・・マスコミの応援があれば無茶をみんなが言えるようになっただけです。
民主主義社会には一定の民度がない社会ではタガが外れると衆愚政治→大混乱になりかねないと書いて来ましたが、個人の弱い社会では被害者と(マスコミに)公認されるとイキナリ怖いものなしのモンスターに変身する・・集会激昂主義もその一態様でしょう。
国内的には無茶苦茶でもその都度興奮してちゃぶ台がえしをするのも民族の勝手でしょうが、対外約束をしてしまった慰安婦合意も国内集会さえ派手にやれば反故にできると誤解した結果が表面化したチャンスを逃さずに安倍政権がスワップ交渉中断等を発表したので、韓国は国際社会で一人前に生きて行ける民度レベルに達していないことが国際社会に露呈してしまいました。
これまでいつも日本が折れてやって尻拭い的にカモフラージュしてやっていたからこそ,一人前であるかのような顔を出来ていたに過ぎないコトが露呈しました。
日本では、綱吉から家宣父子の時代・・10数年を経て、吉宗の御定書シリーズで紹介したとおり、観念的儒学では実務処理出来ないコトを理解し・実生活に即した判例集の編纂・・判例主義・・薬学その他実用学問奨励へ傾斜して行きます。
そして儒学は朱子学の高尚な哲学から・実践倫理である陽明学の「知行合一」(幕末の大塩平八郎の乱で知られるとおり現実重視)に移って行きますが、朝鮮半島にも陽明学が先に入ったのにその後朱子学中心になってしまい,衰退して行く点では日本と進行が逆です。
(ローマ帝国が一神教のキリスト教を国教化してからダメになって行ったのと似ています)
朱子学オンリーに固定化したから・・社会が停滞したと言うよりは,硬直化する下地があった・・日本では約50~100年経過で重視されなくなったのと比較すると社会構造・・実態社会が日本と違っていたからでしょう。
実学中心に日本人の知的営みを変えて行った吉宗は,(旧思想界からは「御文盲に御座なされ・・」と室鳩巣に書かれるほど伝統文化・・和歌などを軽視していましたが)日本の知識・思想界主流を実学的・近代合理主義社会へ変えて行った大功労者ですし、古来から連綿として変化し続ける社会の要請があったからと言えます。
ウイキペデイアの引用です。
「室鳩巣が、吉宗の教養について「御文盲に御座なされ候」といい、6代家宣の正室天英院の父・近衛基煕も「和歌については尤も無骨なり。わらふべし〃」と酷評しています。」
文化発展に戻しますと,立派な観念論体系が完成した社会または先進社会から導入した社会では・・有り難いものの解釈学中心人材・・老舗大企業で言えば新規事業や・製品開発能力よりは,有能な秘書向き能力ですが・・こう言う能力ばかり重視する社会では,別の観念体系・・枠を越えた自由な発想が育ち難くなり、企業で言えばジリ貧になりますしクニも同じです。
現在でも,後進国が先進国の知財輸入または剽窃利用する社会では,導入技術の解読が中心作業になります。
既存観念の解釈学が幅を利かす社会では,専制・絶対支配に馴染み易い・・これが中国朝鮮の歴史であり現在の状況であるのに対して,日英のような経験論・実務に即して工夫して行く社会は無理な論理一貫性を強制しない分,大陸の観念体系が入っても参考にする程度で発想の自由性があります。
日英でも既存枠内の整合性を追及する解釈学も当然必要ですが,それ程重視されない程度差がありますが,社会内には観念にこだわる・原理主義者も一定数いても,主流にはなり得ません。
イギリスがローマから見て辺境の地にあったことが幸いして,ローマ法やキリスト教ドグマの浸透が緩かったことを書いて来ました。
勿論これに加えて海洋民族性が,大陸的強固な神学大系に違和感があった面が大きかったでしょう。
ローマとの関係が緩かった・これが絶大なキリスト神学の権威を低めて自民族意識・習慣にあったコンモンローの発達促進に効果があったと思われます。
コンモンロー裁判制度はノルマンコンクエラーで知られる異民族支配の結果,却って同族による裁判の要請・陪審制が発達したと言われています。
陪審制とは庶民による裁判保障・・あるいはいわゆる人民裁判・吊るし上げ制度ではなく、異民族による裁判拒否、自民族による有罪の支持がないと処罰出来ないとする制度です。
ローマから遠かった結果、成分法体系(ローマ法の解釈ではなく)よりは実情に応じた解決・・漸進的判例法の発達を促し、更に法解釈ではどうにもならないようなときのために別途「衡平法裁判所」と言うものが生まれて来ました。
このように独自の法制度が成立する土壌があってこそ,ヘンリイ8世のわがまま・無茶苦茶?に端を発したとは言え,ローマンカソリックからの国教会独立を容易にした原因でもあり,(異民族王朝・・抑制が必要な歴史があったのにイキナリ王権神授説で権力を振るったので反発を招き易かった)絶対王政を倒し,自由な発想が保障されていた英国で先ず産業革命が始まった基礎でしょう。
英国は大陸との関係では,我が国と地理的条件が似ていますが,我が国の場合思想統一になる科挙制度を古代から意識的に除外して来た点が英国と一歩どころか何歩も違っています・・念のため・・。
英国はEUに一旦参加していましたが、ついに気が合わずに離脱方針を決めましたが、日本人にとっては一旦でも中国と合併したいと思う国民は100人に1人もいない・・その違いです。
この違いの基礎は、日英の海洋民族性に関する濃度の違いではないでしょうか?
日本人のルーツは南洋諸島や東南アジアの諸島からはるばる流れ?て来た海の民が祖先の大多数でしょうが,(DNA研究によれば大陸からの移住者はごく少数らしいですから気が合わないのです)英国の場合,周辺・・南方にこのような人口供給源になるような諸島がありませんし、海の幅・対馬海峡とトーバー海峡の差もあります。
結局は大陸からの移住者中心社会である以上は,大陸の人と元は人種的には同じになります。
長年、英国人は島で暮らしていた結果徐々に生活習慣の違いが出て来た程度に過ぎないのですが、日本の場合大陸の人たちとは,ルーツからして違っている点が大きな差です。
話題がそれましたが,ついでに韓国で文学芸術系で何かあるかを念のために調べてみると以下のとおりです。
ウイキペデア(対して信用性がないとしても・・)で「朝鮮文学」で検索すると,いろんな物語があったらしいと言う想像的書き方ばかりで、具体名があるのをクリックしても多くは「編集中」で全く具体性・根拠がありません。
最も古そうな人名でさえ下記のとおりです。
『春香伝』『沈清伝』ともにその発祥は定かではないが、申在孝(1812年‐1884年)が『春香伝』『沈清伝』を基にパンソリの台本として『春香歌』『沈清歌』を作ったとされること、様々な文献に『春香伝』『沈清伝』の原型が見られることから、古くから伝えられている説話である//」
以上のとおりで1884年までの作家の名が初めて出て来ますが、それさえも,「・・が作ったとされる」と言う程度で伝説的噂の域を出ていません。
19世紀中期〜末頃でこれですから、源氏物語などのある日本に比べて上流階級は何をしてたの?と言うレベル(文化を楽しむ・顧客層が一定数が育たないと文化人が育たないでしょう)・・清や明から来た外交文書を理解出来,返書を何とか書ける程度で満足するエリ−トだったのかも知れません。
ただし朝鮮人の名誉のためにちょっと書いておくと、李氏朝鮮での朱子学の解釈学はそれなりに進んでいたようですが,繰り返し書くように解釈だけいくら掘り下げてもその先がありません。
比喩的に言えば「韓国人は日本人より何故優れているか?」「歴史が日本より古い」「日本技術の解読」と言う予め決めたテーマの研究中心社会では,発展性がありません。

観念論の弊2(神学論争)

大陸諸国とイギリスの国民性の違いは、大陸の観念論に対してイギリスの経験論として比較されるのが普通ですが,観念論は体系的一貫性を重んじる傾向があります。
先進社会から優れた観念が先に入って来た文化格差の大きい社会や気候変動の画一的な大陸に多い現象だと思われます。
一度圧倒的に進んだ文化の体系が樹立されると、現に起きた事象をその体系内で矛盾なく処理出来るような解釈論の工夫(これを「新説」と言う程度)に傾注するのが普通・矛盾なく説明出来る論理を発明考案?するのが優秀な学者になります。
先進社会から遅れたゲルマン・ガリアの大地に入って来た場合のキリスト教神学もその一種だったでしょうが、十字軍遠征の結果タマタマ、プラトン系(イデア重視)か、アリストテレス系(形相・質量)かの大きな争点が提起されたことが言論活発化の端緒となり救いだったことになります。
(ただし私には文字どおり高邁過ぎる「神学論争」でよく分りません)
ところでプラトン、アリストテレスの議論が入って来たのは(十字軍の結果)アラブ言語で書かれたプラトン等の思想が入って来て、これをラテン語に翻訳したことによって漸く始まったのですから,西欧のギリシャ文化と言っても実は(見落とし勝ちですが)アラブ経由のしかも十字軍以降の理解であったことが重要です。
我々は学校で「ギリシャ・ローマの文化」と習いますので,ローマ滅亡後に同時的に西欧に入ったかのように誤解していますが,ギリシャ文明は十字軍の後に別ルート、アラブルートで入って来たものです。
ギリシャ文明の流入があってこそ多様な価値観の存在を知り、その刺激でルネッサンスが始りひいては新教発生の土壌となり宗教戦争を経て,信教の自由になって行ったことになります。
プラトン哲学などが「アラブ語をラテン語に翻訳することによって広がった」と言う意見をどこで読んだか根拠を探せませんが,ウイキペデイアでトマスの記事を見ると以下のとおりです。
「トマスの生きた時代は、十字軍をきっかけに、アラブ世界との文物を問わない広汎な交流が始まったことにより、東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌスの異教活動禁止のため、一度は途絶したギリシア哲学の伝統がアラブ世界から西欧に莫大な勢いで流入し、度重なる禁止令にもかかわず、これをとどめることはできなくなっていた。また、同様に、商業がめざましい勢いで発展し、都市の繁栄による豊かさの中で、イスラム教徒であるとユダヤ教徒であるとキリスト教徒であるとを問わず、大衆が堕落していくという風潮と、これに対する反感が渦巻いていた。」
上記ウイキペディアの通り唯一神のキリスト教の立場では多様な哲学思考に発展しかねない多島海文明のギリシャい思想流入に反対の立場であったことが分かります。
上記のとおり、アラブ世界からそのころにギリシャ哲学が入ってその刺激で神学が飛躍的に?(その前から修道院中心にキリスト教の儀式その他こまごまとした研究発表がありました・・哲学分野で)発達したことになります。
逆から言えば、形而上の論理に関心を持つ人材が漸く育って来たから、需要があって翻訳流入も始まったと言うことでしょうか?
アラブを通じてしかもアラブ語をラテン語に翻訳しないと入らなかった・・ラテン語文献がなかったと言うことは,ローマ帝国ではギリシャ哲学が全く顧みられていなかった・・・・ラテン語への翻訳がない=需要がなかった・・程度のレベルであったことが分ります。
あるいはキリスト教が国教化した結果多様な意見が死滅してしまったのかも知れません。
ちなみに、神学大全と言うとトマス・アクィナスが有名ですが,ウイキペデアによると、彼は途中死亡して,弟子達がその後に完成したものと紹介しています。
完成時期不明ですが1300年以降でしょうか?
「1274年3月7日にトマスが世を去ると、残された弟子たちが師の構想を引き継いで第三部の残りの部分(秘跡と終末)を完成させた。」
『神学大全』(しんがくたいぜん、羅: Summa Theologiae, Summa Theologica, Summa)は、「神学の要綱」「神学の集大成」という意味の題を持つ中世ヨーロッパの神学書。13世紀に中世的なキリスト教神学が体系化されると共に出現した。一般的にはトマス・アクィナスの『神学大全』が最もよく知られているが、他にもヘールズのアレクサンデルやアルベルトゥス・マグヌスの手による『神学大全』も存在する。」
神学論争と言ってもせいぜい13世紀中頃からの始まりでしかない・・西欧社会の形而上の思弁能力発達の遅さが目立ちます。
我が国の発達をウイキペデイアでみると
古くは,空海・弘法大師には多様な著書がありますが,佛教理論書については,「天長7年(830年)、淳和天皇の勅に答え『秘密曼荼羅十住心論』十巻(天長六本宗書の一)を著し、後に本書を要約した『秘蔵宝鑰』三巻を著した。」とあり、
法然の著書『選択本願念仏集』は(『選択集』)建久9年(1198年)で、かなり遅いと思われる『立正安国論』でさえも1260年ですから有名なトマス・アクィナスより早いことが分ります。
その他に最澄や親鸞、栄西、道元等々有名人が一杯いますので,日本社会の思想活動の早さが分ります。
西欧の神学論争に戻りますと,折角ギリシャの有り難い哲学思想が輸入されたのですが,プラトン、アリストテレスの違い(中国で言えば孔孟の教え)だけでは中世終わり頃に実際社会の説明がつかなくなって来た(中国では朱子学による再構成による)ことが,キリスト神学の権威喪失→新教発生→キリスト教の信用低下の原因になっていったと思えます。
中国の場合,儒教にももいろんな学派があったのですが,中世以降朱子学一辺倒になって以降細かな解釈(訓詁)学になってしまい,思想界の停滞を招いたと言えます。
逆から言えば,紀元前の孔孟の教えを中世に朱子学による再構成しただけで社会が20世紀まで間に合っていたのが中国・朝鮮社会であった・・停滞したままであったとも言えます。
・十字軍遠征→イスラムの影響があった・・海で繋がる西欧とは違い,中国は広大な砂漠の西域からの文物流入が基本でササン朝ペルシャ以降外部刺激が少なかったので(眠れる獅子?)居眠りしていて20世紀まで間に合ったのかも知れません。
体系的一貫論に戻りますと,忠臣蔵の事件処理で言えば,儒学が重視する「忠」の理念だけでは社会秩序維持との矛盾相克を処理出来ず儒者の信用が失墜したコトを紹介したことがあります。
綱吉の動物愛護精神もそれ自体立派な考えですが,社会生活との折り合い必要だったのにこれに気がまわらなかったので悪政になったものですし,観念論で貫徹するのは強力な専制支配以外には実務上必ず無理が出て来ます。
忠孝最重視の価値観と社会秩序の相克が綱吉以降の我が国で直面した問題であった・・貨幣改鋳を悪政として批判した新井白石も同じです。
金含有量を減らして改鋳するのは伝統的儒学的価値観からすれば,(「悪貨良貨」の熟語があるほど古くからの基本です)悪政と言えば悪政です。
しかし、悪貨の概念は,金を商品としてとり帰する前提から始まった歴史を見れば含有率を偽るのは、言わば詐欺行為です。
商品・品質を偽ることに非難基礎があるのであって、貨幣経済を前提に社会全体を見る意識のなかった古代の観念を,経済政策の是非の判断に流用するのは間違いです。
新井白石によるい閉会中に対する批判は、今のゼロ金利政策や日銀国債購入性悪説同様に、貨幣改鋳がタマタマ過去の(古代の貨幣経済未発達時代の)価値観にあわなかっただけのことでした。

民度4(朝鮮族2・観念論の弊1)

古代日本は律令制その他多くの制度を導入しながら,思想の均一化をもたらす「科挙制」を頭から採用しなかったのは,やおよろず・多様な意見を尊重し硬直した主張を嫌う民族性→科挙制度の危険な本質を当時から見抜いた先人の優れた智恵です。
日本は徳川家が佛教に代わる学問として儒学を重視したのは,佛教経由の学問では近世社会に適合出来なくなっていたからですが,(04/13/08「佛教から儒教へ1」以下に連載しましたが,儒学も赤穂浪士の処断に当たって限界を露呈したことも紹介しました)家宣父子の中継ぎを経た吉宗が儒学者新井白石を失脚させて以降,自由な学問が花開いたのは古代に科挙制度を採用しなかった賢明な選択に負うところが大きいと思われます。
律令制を取り入れても「(事実上骨抜きにしましたが)、科挙制を当初から採用しなかった点については2005年・・11/26/05「日本に科挙が導入されなかった理由1(地方分権社会1)」その他でいろんな角度から書いています。
ソモソモ,李氏朝鮮の長い統治期間中にこれと言った学問業績の有無については(寡聞にして)聞きませんが,その原因は朱子学採用以降、明朝、清朝及びこれを宗主国とする李氏朝鮮では,明清朝以上にその解釈学に特化してしまったことによると思われます。
解釈ばかりしていると学問研究とは言えない・・思考の範囲が既存権威内での応用に限定され,幅広く思考を巡らせるべき知能も発達しません・・。
まして自民族発祥思想ではなく,宗主国の明や清朝でどのような解釈が主流か?の早耳を競う程度が重視されるようになるとなおさらです。
私の司法試験受験勉強当時には,「今ドイツではこのような考え方が新しい流れだ」とか一方で戦後はアメリカ支配でしたから「アメリカの判例動向がどうの」とか・・アメリカに留学して来たばかりの新進気鋭?学者の意見が注目を集めていました。
憲法や刑事証拠法など人権保障関連は米国発の法理でしたから,米国の判例の動きや解釈論などが幅を利かしますが、ワイマール憲法同様に日本国憲法が理想的理念で作られたことが欠点です。
良く知られているように日本語通訳だった20代女性が抜擢されてイキナリ短期間に空想論で作ったことが,大きな原因になっていると思われます。
法や憲法は政治利害を前提にした妥協で出来上がって行く結果、実態に応じたものに練り上げられますが(綱吉の生類憐みの令は独裁権力の欠点が出た・社会生活者との妥協をしなかった点が問題でした),社会経験もない一介の通訳がイキナリ憲法草案を密室で書き上げた・占領軍独裁制の欠陥がモロに出たもので,ほんとに「交戦権がない」と言うことで良いのかなど無理・・稚拙過ぎる条文・・これが未だに平和憲法論争の原因になっているのです。
ソモソモアメリカ憲法は(判例法主義の伝統を受けて)修正第何条と言う表現が有名なようにしょっ中書き直されて来たもので、運用して都合が悪ければ修正して行く仕組みで「不磨の大典」ではありません。
素人が思いつき的に「戦争のない社会が良いなあ!と言う程度で現実国際社会との折り合いなど考えずに書いた条文・・いつでも修正出来る前提で気楽に書いた条文をその背景を考えずに絶対修正出来ない「平和主義」の理念を守れなどと言う壮大な観念論の柱・金科玉条にしてしまうのは一種のすり替え・詐欺みたいな主張です。
以下は諸外国の憲法改正の回数に関する国会図書館による調査研究からです。
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8624126_po_0824.pdf?contentNo=1第824号 国立国会図書館
諸外国における戦後の憲法改正【第4版】調査と情報―ISSUE BRIEF― NUMBER 824(2014. 4.24.)
国立国会図書館 調査及び立法考査局憲法課(山岡やまおか規雄のりお・元尾もとお一りゅういち)
●1945年の第二次世界大戦終結から2014年3月に至るまで、アメリカは6回、カナダは1867年憲法法が17回、1982年憲法法が2回、フランスは27回(新憲法制定を含む。)、ドイツは59回、イタリアは15回、オーストラリアは5回、中国は9回(新憲法制定を含む。)、韓国は9回(新憲法制定を含む。)の憲法改正をそれぞれ行った。」
平和憲法その他の信奉者は,アメリカにもその実例がないのでアメリカの判例(解釈)を錦の御旗として利用出来ないので,「近代法の法理を守れ」「憲法違反」などどこの国にも実際にない空理空論・法理を主張するしかない状態のように見えます。
思想家ではなく法律家である以上は、観念的反対ではなく,諸外国・・共謀罪や秘密保護法や憲法停止の非常事態制度(・・フランスが昨年のテロ以来執行中)のある国で、どう言う人権侵害事件が起きているかの例を出して議論すべきだとこのコラムで繰り返し書いていますが,そのような事例を出す気配がなく相変わらず抽象的反対を繰り替えしているだけです。
スパイ防止関連法や個人識別情報制度を人権侵害と騒いでいる先進国がないので,「近代法の法理に反する」と意味不明の原理を持ち出すしかないのでしょう。
現在は近代社会のままではない・・法理も時代に合わせて変わると言う意見をどこかに書きました。(貨幣の正邪も時代によって変わることを明日書きます)
日本の法学者の多くは,近代までの中朝民族の頑迷固陋な観念論の信奉者よりもずっと上を行く、特殊精神傾向の集団ではないでしょうか?、
ついでに書いておきますと,アメリカ式勉強法の導入は我が国発展に大きな意味があったと思われます・・たとえば、勉強の仕方まで変わる・・アメリカではケースメソッド・・事例研究中心であることも知りました。
私自身高尚な議論は不向き・・実務家向き?ですので,事例演習形式の勉強の方が理解し易いので助かりましたが・・。
法科大学院制度創設後の新司法試験問題を見た印象では,徐々に事例を上げてその解決方法を問う事例設問形式中心に変わって行き,今ではこればかりのような印象です。
こうなると大学院での法律相談実習や模擬裁判など実技訓練が必須になって来るので、法科大学院へ行かない独学者には不利になっています。
アメリカ一辺倒の時代になっても英米法は判例法のクニ・・事例に合わせて融通ムゲな解決が出来る(ただしデュープロセス・・手続違背には厳しい判例が多い)ことから,学問の広がりが制約されないのが良いところです。
先に抽象概念があって、その適用を議論するのではなく、事例から思考が始まる良さです。
我が国憲法論者は折角英米法導入による良い側面(思考の柔軟性・・憲法を柔軟に変えて行く)を活かさずに肝腎のアメリカすらも求めていない「憲法を守れ」と言う観念論ばかりに執着しているのは残念です。
現在の天皇陛下生前退位・譲位論も同じで,出来る範囲で先ずお心に沿うように早く変えようとすると,先ず反対,完全・全面改正でないと行けないと言って,内容の議論よりは方法で反対する・・結局修正反対します。
日本独立時の平和条約も全面講和など出来るわけがないのが分っている・・今だにソ連・ロシアと平和条約を結べない状態を見れば分ります・・のに全面講和以外反対・日本独立を遅らせるために運動した社会党と同じです。
沖縄も不可能な無条件返還にこだわっていたし,(アメリカ基地存続反対では変換は無理でした)何事も完全主義?と言う名の反対主義です。
中韓に限らずどこのクニもいつの時代にも,物わかりの悪い原理主義者が一定数いますが,(幕末に国際情勢無視の「(鎖国)の祖法を守れ」と幕府を困らせるために騒いだ勢力もこの一種です)占領軍が実態に合わない憲法を押し付けたのでこれ(悪用するため)に飛びつく困った人材が大学機関の主流派になってしまった弊害です。
幕末に「祖法を守れ」と主張したのと同類の(内容の議論をしないで兎も角)「憲法を守れ」の主張を繰り返しています。

民度3(朝鮮民族)

韓国は李氏朝鮮以来の伝統に復帰して,庶民無視・・戦後約70年に及ぶ人民(ピープル)に対する愚昧化政策+反日教育の成果が出て来て収拾のつかない状態を招いていると思われます。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張同様に韓国野党は日韓合意破棄など国際常識無視の無茶な主張をしてますが,政権を取ったらどうするつもりなのでしょうか?
現政権は国際合意の重みをある程度理解しているようですが,次の政権に変わったら前政権の約束を守る必要がない」と言うような思い込みで野党候補が運動してるようです。
幼稚な政治レベルで国際社会で一人前にやって行けると思っているのが不思議です。
(事実上次期大統領選に出馬予定と言われる)前国連事務総長の潘基文が,「先ず10億円を返そう」と言う意見を述べている様子です。
国連事務総長を務めていた彼が,「貰ったお金さえ返せば」国際合意を反古に出来るかのような発言をするとは驚きです。
潘基文氏の公式発言は以下のとおりです。
http://www.sankei.com/world/news/170113/wor1701130027-n1.html
【ソウル=桜井紀雄】韓国メディアは13日、次期大統領選への出馬に意欲を示す潘基文(パンギムン)前国連事務総長が、慰安婦問題に関する日韓合意について、日本政府による10億円の拠出がソウルや釜山(プサン)の公館前に設置された慰安婦像の撤去が条件なら「金を返すべきだ」と発言したと報じた。」
こういう国・・対価を貰うだけもらった後は約束を守る気がない・・これが「詐欺みたいだ」と批判されることがやっと分ると「じゃ返せば良いだろう」と言う次の段階に気づいた・・少し進歩した程度のことです。
先取りしたお金を返せば良いのではなく,「合意や約束を守るべき」と言う大前提が理解出来ていない点では、前国連事務総長すらも同じですから驚きです。
こう言うレベルの相手に何百億ドルと言うスワップ(相保障)の約束を出来るわけがないと言うのが国際常識ではないでしょうか?
このテーマで今後交渉を進めるように持ち込んだ安倍外交は成功と評価すべきか、感情的対応と言うべきかは短期間に結果が出るように思われます。
1月12日のコラム冒頭で,中韓も民度レベルが低いだけで士大夫層・エリートは相応の政治経験がある(筈)と書きましたが,韓国の場合クニのエースとして国連に送った人材でさえもその程度のようです。
朝鮮族は朝鮮通信使の時代から,儒教を早くから信奉していたので?日本より一日の長があると自慢しますが,ヤンパン層の政治経験レベルはそんな程度・・彼らは長い間何を学び・考えていたのでしょうか?
儒教は専制支配秩序に便利なので,(日本の封建制・・利害調整必須社会とは違う)漢王朝が支配道具としたのですが,李氏朝鮮も「これは便利だ」として専制支配に利用して来ただけ(その分思考回路が硬直していただけのように見えますが)ではないでしょうか?
専制支配・強い者が論理の正当性無視で決める社会しか知らないので,合意の重要性を理解出来ないまま現在まで来た様子です。
社会生活の基礎・・「合意を守る」と言う基本原理が理解出来ない・朱子学には深遠な哲理?があっても、社会あるところに必要な「合意重視」ルールの教えがなかったのでしょうか?
赤穂浪士処分に際して「忠孝重視」の教えと「社会秩序維持」の相克について荻生徂徠以下儒者が困った原因です。
日本の場合,遣隋使以来中国大陸の学問や芸術の優れたものは概ね取り入れて来ましたが,朱子学までの儒学は学問的価値を左程見いだせなかったので軽視されて来たに過ぎません。
朱子学になって初めて理論哲学として優れたモノがあったので,徳川幕府がこの時点で漸く取り入れたのは理にかなっています。
ただし中国や朝鮮では,朱子学以外の学問が科挙試験から切り離された結果、事実上その他学問が窒息して行った・・これが明清時代や李氏朝鮮社会停滞の原因になったと言われています。
儒学思想が停滞の原因と言うより,「科挙」と言う国家試験が強力過ぎて,学問を志すほどものにとって,科挙試験合格が登竜門・・科挙試験で採用されないと誰も勉強しない・・私塾や出版が成り立ちません。
朱子学以外には学問として生き残れない・・その解釈学に特化して行くと全く発想の違う視点の自由な学問が生まれる素地をなくしてしまった・・学問が朱子学を中心とする訓古学になってしまった原因です。
文芸も社会制度も何もかも,過去の解釈が優れているかどうかだけで,新たなものを考える力をなくしてしまったのです。
焼きもの・・天目茶碗で言えば,トッピン級の画期的なものが出来ると・・清朝国内では異端扱いで見向きもされないので、良いものが出来ると直ぐに日本へ輸出する習慣があったと言われるのはこの所為です。
漢民族の逸品(書画骨董)の多くが日本に集まっている原因です。
現在日本で言えば科挙制度再来と言われる司法試験制度の弊害がここにあります・・異端学説では合格出来ない?・・一旦主流になった学説が幅を利かす弊害・占領期にアメリカの正当性を主張するために確立された憲法学説・歴史観を勉強しないと一流校→1流大学に合格出来ない→司法試験合格に不利となる現象です。
平和憲法の実質を議論するより先に問答無用式に「これを守れ」と言う論調がはびこる原因です。
ただし、司法試験は論理が優れていれば反主流の学説でも合格出来る点で,中国ではびこった学閥形成の弊害(漢時代に始まる党錮の禁その他面接官との個人的関係・・繰り返し弊害が起きています。)のない公正な制度ですが,それでも先ずは主流派の学説をマスターしておかないとマトモな論文を書けないので,主流派学者の方(ホンが売れます)があちこちで引っ張りだこ・・有利(事大主義意識が自然に刷り込まれる仕組み)です。
中国や朝鮮では,当時民間需要が発達していない・・官僚にならないと食えないし、政府買い上げでないと芸術品も売れない・・相手にされない時代ですから,その弊害の大きさが分るでしょう。
ちなみに現在日本では司法試験に合格しなくても民間でいくらでも実力発揮出来ますし、江戸時代にも将軍家お抱え絵師でなくとも民間でいくらでも活躍出来たし新たな浮世絵その他が輩出しましたし、芸大を出たからと言って芸術家と言えない社会でしたが,実は学歴社会の場合,その弊害が大きくなります。
これを利用したのが米軍支配制度で大学その他マスコミ等を占領政策貫徹目的の置き土産にした弊害が今になって目について来た状態です。
韓国では日本の何倍もの学歴重視社会ですから,一流大学やマスコミを内部侵蝕した方がた方が世論動向支配に有利・・・マスコミの多くは北朝鮮の工作成功の結果、事実上の支配に入っていると言われています。
最近の日本での法律家の政治運動・主張を見ると,(私もその一因ですが関与していませんので,運動を推進しているグル−プト言うべきかな?)どこか硬直した印象を受けます。
「秀才とは馬鹿の一つ覚えに特化した人材だ」と言うのが私の持論ですが)司法試験を頂点にする準科挙制の弊害・・主流学説=アメリカの占領政治の置き土産重視・事大主義の弊害を引きずっている結果かも知れません。

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