憲法学とは?2

日本の国防力弱体運動家でも「平和を守ろう」といえば誰も反対しにくいからこういう運動をしているのでしょうが、自衛の軍隊でさえ持てない非武装平和主義・従来思想を前提とするのか、「自衛権を認める平和主義」かをはっきりさせる必要があります。
正当防衛になるかどうかは、公判前整理手続きの紹介で具体的に判断するしかないと書いてきましたが、具体論がない平和を守れというスローガンを訴える運動はインチキっぽい政治活動です。
国民が知りたいのはどうやって平和を守るかの具体論です。
国民の多く(97〜98%)が考えている平和希望(自衛隊がきちっと国や民族を守ってくれる)とは違った意味・取り違えを期待していることになります。
改憲容認の希望の党へうやむやで合流しておいて、選挙が終われば民進党系議員多数なので、憲法改正反対を言い出すのではないか?と選挙の頃に書きましたが、選挙後の代表選の時にすぐに改憲反対の主張が出てきたことを以下のコラムで書いています。
「希望の党の体質・代表選候補者の主張3(羊頭狗肉)November 16, 2017,
このような私を含めた批判があったので、小池代表が民進党からの移籍者には誓約書を書かすとか、排除論理を発表するしかなくなったのですが、1週間ほど前に民進出身議員多数の力で幹部間で民進党との統一会派結成基本合意を発表し、統一会派に反対(保守系の人は)は分党したらどうかと言い出しています。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

産経新聞
“排除”したはずが…今度は蚊帳の外-「希望」なき野党再編、立憲民主中心に進展か/ar-AAuXzMZ#page=2
希望の党の岸本周平幹事長代理は21日のNHK番組で、民進党系3野党結集に重ねて意欲をにじませた。
希望の党の玉木雄一郎代表は、安全保障法制を容認しない姿勢を鮮明にした党見解を近く発表する。玉木氏に近い中堅議員は党見解の方向性をこう明かした。
「安保法制には『反対』。憲法9条改正は『優先順は高くない』。無所属の会が納得する内容にしないといけない」
置き去りにされた希望の党は、恭順の道をひた走っているように映る。(松本学)

絵に描いたようなずるい動きですが、流石に問題が大ききすぎてこの話はご破算になったようですが、飽くまで民進党の従来(改憲集団自衛権反対)主張に戻りたいらしく、今朝の日経新聞朝刊2pには、再び改憲支持の党創立メンバーに対して分党を画策してしていくと出ています。
選挙の時だけ改憲標榜の保守政党に合流を希望して殺到しておきながら、選挙が終わったらまた改憲反対とは驚いた政治家の集まりです。
もともと健全野党・保守2党論を期待させて旗揚げした政党なのに、そこに我も我もと参加しておきながら、選挙が終われば元のなんでも反対政党に逆戻りしそうです。
自衛隊違憲論の憲法学者(学説としてはその動機原因を言う必要がないので明言していないでしょうが、)その基本姿勢は「自衛のためでも軍隊を持つと平和を志向する国家ではなくなる」と言う決まり文句・・「合憲解釈で運用を監視すればいい」という説を取らないのは一旦権限を付与すると暴走する危険確率が高いという価値観を前提にしていると想定されます。
一般的に自分の行動原理を前提に物事を考えるものとすれば、上記希望の党への参集と選挙後の変節ぶりを見れば、「公務員を信用できない」という基本姿勢も理解可能です・・。
とすれば、中露韓に限って人格が信用できるとでも言わない限り近隣軍隊保有国の多くは侵略国家であるはずです。
世界中でバチカン等のごく例外的小国を除いて)軍備のない国はほぼないといっても過言ではないでしょうから、そんな意見が憲法学会の多数を占めているとすれば、世界でも日本だけではないでしょうか。
憲法学者の上記論理によれば世界中が軍隊を持っている現実・とりわけ日本周辺では、中露に始まって北朝鮮も韓国も強大な軍事力を維持していますので、日本は侵略国家に取り囲まれていることになりそうです。
いわば猛獣や山賊、海賊、追いはぎなどがウロウロしている危険な社会・・いつでも襲いたい国々に囲まれている環境下に日本があることになりますが、一方で日本だけが
「非武装の平和国家・(武力を持つと不必要に振り回すから棍棒一つ持ってもいけない)・・結果的に無抵抗で受け入れるのが良い・・戸締り不要で生活すべし」
とすれば、周辺国にとっては、空き巣や押し込み強盗・強姦等犯罪行為やり放題になります。
押し込み強盗は短時間で退散しますが、憲法学者の主張によれば自衛手段準備・訓練自体が違憲→抵抗することが憲法違反になりそうですから、強盗がそのまま居座り、家の主人になり、日本人は彼らの家畜のように扱われることになっても抵抗してはいけないとすれば悲惨です。
親兄弟・子供が理不尽に殺され、暴力を振るわれる・働いてもお金を払ってくれない・・お金を貯めても横取りされてしまう・殺され略奪され妻子が強姦されるがまま耐え忍ぶのが理想の社会というのでしょうか?
中韓やロシア政府は日本政府よりも信用できるという自信があるのでしょうか?
憲法学者がそこまでは明言しませんが、「もしも敵国の侵略があったらどうするんだ」という質問には、「粘り強く平和解決を求める」などのあやふやな回答ばかりで、まともに答えるのをきいたことがありません。
質問者は、平和交渉が行き詰まり相手が実力行使・・(南シナ海埋め立て軍事基地建設強行や尖閣諸島海域侵犯を現実に繰り返しています・・竹島占領や拉致被害も同じです・)武力行使してきた場合を念頭に聞いているのに、はぐらかしているだけです。
現実に日本が占領下に置かれれば「はぐらかし」で済むものではありません。
そこで勝手な想像・・侵略されれば「黙って殺されあるいは鞭打たれているしかないのだ」と考えているのかな?となります。
中国や韓国の占領支配に入るのを理想としている・中国等の支配下に入ったほうが日本人に取って幸福だという意見もあり得るので一概に非難できません。
日産やシャープが、外資傘下に入ってから業績が良くなった例もあって、M&Aで世界企業傘下に入った方が良いかどうかは一概に言えません。
企業買収は金儲けが目的なので、優良〜中堅従業員でも彼らを冷遇してやめられたのでは買収の意味がないので大事にしますが、他民族支配欲は合理的目的によらないので、企業の身売りとは次元・意味が違う点をどう見るかです。
とはいえ、せっかく占領した以上は、大なり小なり搾取目的を満足させるためには占領地経済を肥え太らせる必要がある点は同じです。
ソ連のように占領下のドイツから鉄道線路まで引き剥がして持ち去るやり方もありますが、そいう最低占領政策を繰り返すかは別問題です。
日本ではソ連軍侵攻による満州での地獄の経験がまだ生々しいので簡単には忘れられない上に、中国歴史を見ると中国も政治闘争に勝てば勝った方がどんな残虐なことでもしてきた歴史が知られています。
「無駄な抵抗をしないですぐに支配下にはいった方が幸福だ」と言われても・・・?と言う人が多いでしょう。

憲法学とは?1(国民意識との乖離)

昨日紹介したのは、平成26年の内閣府調査なので左翼系にとってが色眼鏡でみる余地があるとしても、自衛隊縮小論が国民の2、6%しかいない状態は実感にもあっているように見えます。
まして平成26年から約3年以上経過の間に北朝鮮による日本上空通過のミサイル実験や中国の挑発・つい先日も中国の攻撃型原子力潜水艦が尖閣諸島の接続水域を潜行のまま航行した事件がありました・・が厳しくなる一方ですから、迎撃ミサイルや、レーダー装置やスクランブル対応が増えるので人員増などの増強必要論がもっと増えているでしょう。
今でも憲法学者の7〜8割も自衛隊違憲論(縮小どころか廃止論でしょう)になっている・・国民・民族意識と全く逆方向の基本思想(実質的憲法観)を持っている憲法学者とは何者か?何を研究する学問か?となります。
数学や物理の場合には、100対1の少数意見でも正しい答えは正しいのですが、憲法・民族のあり方(年末から書いてきた「実質的意味の憲法」)がどうあるべきかのテーマについて、専門学者の7〜8割の意見が国民97%の意見と真逆の結果を示すとはどういうことでしょうか?
憲法学とは何を研究する学問でしょうか?
憲法条文の形式的意味の「国語?」研究者であって、あるべき民族精神・「実質的の憲法」の研究者ではないのでしょうか?
学問は「民意と関係がない・民意におもねないのが学問だ」この憲法が実態・民奥意識に合わないかどうかは民意で決めればいいことで、学者は現憲法の形式文言を理解し、その限界を言うだけだ」実態に合わないから「変更の必要があるかどうかは政治家の問題」という逃げの論理でしょうか?
法律や規則を最先端実態に合わせて作ってもすぐに時代遅れになる結果、現場で不都合だとしても、法がある限り「悪法も法なり」として公務員や産業界では仕方なしに従っていることがいっぱいあって、その不都合が実務官庁や関連業界が政治を動かし次の改革の原動力になります。
あるいはある規則などを制定運用して見て、数年後その結果を見て修正していくことを予定されている法令がいっぱいあります。
憲法学者も「国民には自分の生命や財産を守る権利があり、自衛権が必要と思っているが、今の憲法に書いている以上不都合としても学者としては正しいことを言うしかない・節を曲げるわけにいかないから違憲と言っている」だけという人もいるのでしょうか。
1月17日に書いたように解釈合憲という考え方がある・ABCDの解釈のなかで合憲になる説が一つでもあるならば、合憲になる説を取り、合憲になるような運用を求めていけば良い・他の説では違憲になるからと言って厳しく自説での運用を求めれば足りるのではないでしょうか?
法令でも担当者に裁量兼があるのが普通ですが、裁量範囲を逸脱すれば違法になるから、担当者は気を使って裁量権を謙抑的に行使しているのですが、違法な裁量権の行使自体を法は想定していません。
仮に裁量行為の違法(ミス)があれば、行政服審査請求→行政訴訟によって是正される仕組みです。
「違憲行為をできる恐れがある」という意見が正しければ、裁量権を逸脱した(違憲)行為の差し止め請求ができる理屈です。
物事は具体的状況によりますから「自衛のために必要か否か」その時の事案に応じて対処方法を判断する必要があるでしょう。
現在でも警官の発砲が妥当であったかが具体的事案に即して判断されるのと同じです。
上記の通り、裁量行為であっても行為によっては違法な裁量もありますが、そもそも法の解釈については、17日に見たとおり、ABCなどいろんな考え方・説があります。
合憲説根拠のあらましは、「国家存続のためにある憲法が国家存続の基礎である自衛行動できないとは考えられない」という一般論の外に、憲法自体に国民の生命維持・幸福追求権が明記されていることなどが挙げられていて、憲法全体を見た解釈として合理性があり、箸にも棒にもかからないような荒唐無稽な意見ではありません。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

戦後70年、警察予備隊〜自衛隊発足後で約60年間で見たら、自衛隊が違憲になるような危ない運用をしていませんし国民の97%もそれを認めています。
警官が職務質問できるとむやみに検束され、拳銃を持つと国民がむやみに殺される心配が日本の国では実際的でないのと同じです。
憲法学者にとっては「公務員は権限を乱用するもの」という思い込みがあるのでしょうか?
そういえば最近激しくなってきた立憲主義運動では、権力監視が近代立憲思想のキモであるという主張が目立つようになりました。
専制支配の中国などでは必要な議論でしょうが、肝心の中国で主張しないで(私が弁護士になった昭和40年代でからずっと、中ソの原爆実験やひどい公害発生には何も言わず、日本産業発展の阻害になることには熱心でした)これを日本に持ってきてありがたそうに高説を垂れても、古来からお上を信用してきてひどい目にあったことのない日本国民にはしっくり来ないでしょう。
酷い政治をしてきた中国や朝鮮とでは歴史が違います。
上記の通り、合憲解釈が可能で・その枠内の運用が実際に長期間行われてきた実績があるのに、いまだに自衛隊の存在だけで違憲になる説を採用して、国民の生命財産を守ることも出来ない説を取る憲法学者が7割以上もいること自体が不思議です。
憲法学者の大方は、自衛隊の存在意義を97〜98%もの国民が認めている国民意識に反する価値観を持っているのでしょうか?
意識は国民と同じだが「不都合かどうかは、憲法改正するかどうかの政治問題だ」とするならば、不都合な実態に精通しているはずの専門家として、上記関連業界同様に不都合な憲法に対する改正運動に精出すはずですが、逆に憲法学者と護憲運動が大きく結びついているイメージがメデイアで流布しています。
ただし自衛隊違憲論者の中で改憲論必要と改憲反対がどういう比率になっているかの統計をみたことがない(弁護士会のチラシ等では改憲反対傾向の講演会ばかりなので、改憲賛成派学者がどのくらいいるのかすら分かりません)ので、実はメデイアのイメージ報道がフェイクの可能性があり、実態を知りません。
憲法学者多数か少数意見か不明ですが、一方で「憲法には人類普遍の原理」(・・多分「平和主義」を言いたいのでしょう)があるので、この原理は変えてはいけない」という主張も合わせています。
自衛隊合憲論が多数そうなので今度は、「平和憲法の思想」だけはは守ろうとする二段構えの主張のようです。
最近活発化してきた「近代立憲主義」の啓蒙活動?は、学問的主張のように見えて(高尚な理論の理解能力の低い私の場合)憲法改正反対意識をじわじわと浸透させる運動のような印象を受けます。
しかしか彼らが守ろうとする「平和の思想」自体がはっきりしない・彼ら独特の非武装思想のように見えます。
中国等日本隣国の重武装・核実験に反対運動どころか戦後ずっとノーコメントで、日本だけの非武装平和論ですから、公平な思想とは言えないでしょう。
思想ならば日本だけに適用があるのではなく、世界中に普遍的であるべきです。

憲法学の有用性3

観念論の非妥当性・・たとえば、金利動向で・あるいは消費税率変更で誰が損をし得をするか・・法人税軽減や特定分野の補助金や税の減免は、法の下の平等に反するかなど全て憲法問題ですが、その実態把握と必要性判断には人がどのように行動するか・・経済全体に及ぼす影響の大きさを実務を知らない哲学者や憲法学者の意見を参考にしようと言う(バカな)人は今では皆無に近いでしょう。
経済その他分野ごとの実務家・業界団体や専門家の意見・・加工食品・外食を軽減率から除外すると、外食産業→サービス業の盛衰にも係わり、ひいてはサービス業従事者のの多い低所得層の職場がどうなるか・・消費経済で成り立っている先進国経済がどうなるかなど、モノゴトには具体的な意見が必要ですから、抽象論しか知らない憲法学者の出番がないと考えるのが常識です。
「弱者にしわ寄せするな」と言う単純スローガンだけで解決出来るものではありません。
観念論の意義に戻りますと、「殺生するな」と言う理念しか知らずに具体的政治をしようとすれば、実務との整合がとれなくて、その結果綱吉の「生類憐みの令」になってしまいました。
赤穂浪士の裁定で荻生徂徠が意見を述べたことが有名ですが、儒学者=哲学者が具体的事件の裁定にどう言う効能を発揮出来たのかと言うところです。
次に論客となった新井白石は、中国古典の原理論を展開し、「貨幣改鋳は悪」(今で言えば異次元金融緩和政策の効果を無視した「悪」と発想に繋がるでしょうう・・。)言う政策を展開し国民は困りました。
観念論は単純なので分りよい・・「駄目なものは駄目」と言う元社会党党首の土井たか子氏のスローガンが有名になりました・新井白石の政治に国民が困りましたし、国民は原理論者に懲り懲りした経験を経て、享保の改革・・吉宗の実務家重視政治に移行して現在に至っています。
最近では、沖縄の基地移転先を「少なくとも県外に!と言う実務無視の民主党の公約が有名です。
実現可能性のない公約に乗る県民のレベルもレベルです。
夫婦別姓問題や非嫡出子の相続権なども憲法学者が議論するよりは、非嫡出子の比率その他の統計的情報、家事問題の専門家や実務をやっている弁護士等の意見の方が合理的です。
尊厳死や臓器移植の問題もその道のプロの意見が合理的ですし、憲法学者だからと言って現場の実情を知らないで何を言えるのか理解不能です。
表現の自由で言えば、猥褻性が争われたチャタレー事件でも、憲法の勉強さえしていれば、文学作品の価値やどの程度の性描写を猥褻と言うべきかの基準が分るものではありません。
通信傍受も通信の秘密・・憲法学者よりは、通信の秘密を何故必要とするようになったかの歴史の造詣が重要ですし、現在の通信技術の専門家・・権力の暴走をどうやって防止出来るかなど・・やテロ対策の専門家の意見が有用でしょう。
秘密保護法も先進諸外国で制定されているのですから、諸外国でどう言う人権侵害が起きているのか、起きていないとした場合、どう言う歯止めがあるのかなどその道の専門家の報告等に基づく地道な議論が必須です。
観念的に近代法の原理違反と言うだけでは、意味不明であることを書いてきました。
共謀罪も刑事訴訟の専門家やテロ対策専門家の意見が必須です。
いろんな分野の議論の蓄積結果・分野ごとの法律が出来上がっているし、その集大成の社会総意の思想的宣言が憲法になっているのであって、各論を知らない総花的憲法学者ってどう言う存在意義があるのか不明です。
せいぜい過去のスローガンを知っていると言う歴史学者的意味しかない・・今後の日本はどうあるべきかの意見を述べる場合、(欧米ではこうだと言う留学経験を述べるだけで自慢になる時代なら意味があったでしょうが・・)世界最先端社会になっている我が国で実務をやっている人よりも(欧米に詳しい?と言うだけで)優れた意見があるとは思えません。
学生の頃にすごく気に入っていた言葉に「無用の用」言う熟語がありますが、今や我が国の憲法学は役に立たないだけではなく、社会に害を及ぼす傾向があることから、今や老害並みの学問分野ではないかと思われます。
ところで憲法内容が不都合ならば、「憲法改正をすれば良いじゃないか」と言う意見が最もらしく提唱されています。
憲法改正はそんなに簡単に出来るでしょうか?
憲法改正論が戦後レジームに対する挑戦として、メリカが反対していなくとも、・・例えば普通の国内問題・・夫婦別姓問題でも、誰かえらい人がこれが良いと言って、イキナリ変更するようなものではありません。
何十年もの議論の経過で社会意識=憲法意識が変化して行く・・これこそが、先進社会における憲法改正のありようです。

憲法学の有用性?2

名誉革命や清教徒革命や産業革命で社会変化が先行していたイギリスでは、先頭走者として実践しながら考えて行くしなかったので法制度も実践によって不都合が起きる都度修正して行くしかないので、判例法の国と言われていました。
(現在のイギリス社会は、世界先端社会ではなく諸外国の事例を取り入れる方に回っているので、今や成文法中心になっています)
大陸諸国は最先頭のフランスでもイギリスより遅れて革命を起こし、産業革命も遅れて導入したことから分るように、思想家の観念構築が先行しての革命でしたので、「自由平等博愛」など華々しい標語等が歴史に残って有名ですが、要は遅れていたからに過ぎません。
ドイツにあってはフランスよりももっと遅れて参加した分、観念的思惟が更に深まった状態であった・・更に遅れて勉強を始めた日本人にとって、立派な観念体系の完成したドイツの観念論はもの凄く立派に見えたに過ぎません。
これを評してイギリス人は歩いてから考える、フランスは考えながら走る、ドイツ人は考えてから走る」と比喩的に言われていました。
哲学的基準では、「イギリスの経験論・判例法主義」に対して「大陸の観念論・(体系的)成文法主義」先行社会と未経験行為に一足飛びに挑戦する遅れた社会との対比で考えても分ります。
観念論や立派な観念体系の輸入が、役立つのは後進国社会であることが分ります。
佛教でもキリスト教でも、草創期には未完成で始まったに決まっていますし、遅れた社会が受け入れるときには、既に立派に教典になっているに過ぎません。
実際、観念論のドイツが今回の難民殺到に対して、無制限受け入れの原理原則(人道主義?)をメルケル首相が表明して、数日も持たないで、難民殺到に恐れをなして前言撤回するはめに陥っています。
良いことばかりではなく難民殺到と言うマイナス極面においても、最先端社会になれば観念論・原理原則論ではどうにもならないことが、今、正に証明されています。
日本社会は、江戸時代から庶民文化が花開いていたことから分るように、庶民レベルのもの凄く高い世界先進社会・ボトムアップ社会ですから、西欧にもアフリカにも良いところがあれば、部分的に摂取する程度が合理的であって、観念や制度の丸ごと導入・・「モンク言わずに従えば良い」と言うやり方は無理があります。
後進国が先進国の先端工場を丸ごと一足飛びに導入するだけではなく、最近では新幹線、原子力発電などその後の運営まで請け負うやり方と同じではありません。
日本が、古来から和魂洋才・・古代中国からでも良い部分だけ取り入れる・・律令制を丸ごと採用しなかったことを既に紹介してきました・・妥当であった根拠です。
幕末以来洋画の遠近法を取り入れても、日本画はなくなりません。
アメリカでは、ビル解体方法として大規模爆破するのが普通に見られますが、日本の場合時間がかかっても東京駅改造のように一日も運行を休まずに少しずつやって行く社会の違いです。
上海や香港・シンガポールのように高層ビルが良いとなれば、すぐに林立する社会とは、全く違います。
法制度も日本社会に適合する限度で徐々に良いところを日本社会に馴染むように変容させてから、採用して行けば良いのであって未消化状態でそのママ「ゴロッと」取り入れるとぎくしゃくして社会軋轢が生じるばかりです。
憲法解釈論に戻りますと、戦後アメリカによる憲法強制を例外(自主憲法を原則)としてみれば、憲法や社是等の基本精神は本来その社会の到達点の解釈であるべきです。
社是・社訓・憲法は各種分野・法律・実務到達点を制定当時に抽象化したものであるべきですから、法律の勉強で言えば憲法はスベテの法律(国民総意に基づく少しずつ修正の集大成))のまとめ・・法学概論にあたるもので、概論の専門家って必要なのか?ということになります。
フランス革命のように、「自由・平等・博愛」その他一人二人の思想家が何か言って、国民が反応する・・知識・技術を輸入に頼る後進国では、輸入思想の解釈論・・実務を知らない学者の出番ですが先進国社会には対応しません。
わが国の場合では、哲学者や宗教家の発言力の変遷を見ると、江戸時代初期の天海僧正などの宗教家から荻生徂徠や新井白石などの儒学者に移り、吉宗以降実務家に移って行った「御定書・先例集の編纂)経緯を紹介したことがあります。
我が国では、高名な思想家が立派な意見を発開陳して、大衆がこれに反応するような社会はフランス革命のずっと前に卒業しているのです・・。

憲法学の有用性1

憲法学は独立の学問と言えるかどうかすら、(政治学の一分野?あるいは各法律の一分野?)怪しいと思う人が増えているでしょう。
戦後アメリカがアメリカ製の憲法を強制する必要から「憲法学者」と言うアメリカ思想の伝道師を養成してこれが戦後ハバを利かしていたに過ぎないように思えます。
アメリカとしては日本占領時にアメリカが意図するように日本の法制度を完成するのは無理があるので、社会価値の基本である民法改正や農地解放あるいは教育勅語など、大急ぎで旧価値観解体を急ぎましたが、これを国民一般に浸透させるためにてっぺんの憲法学者の養成・・非武装論者や教育界の改造に取り組んで来たように見えます。
この尖兵・伝道者・・宣教師としての憲法学者や教員が養成されたのです。
・・如何に日本民族が劣っているかの教育に精出していましたし、(日本人は中学生レベルと言う有名な宣伝がでたのもこのころです)体型まで日本人の醜さはホッテントット人並みと言うマスコミ報道が・・昭和30年代後半私の高校生だったか大学生だったかの頃にはやっていました。
兎も角てっぺんの憲法からアメリカ式価値観を植え付けて行く方法として先ずは、憲法学者と言う宣教師を養成したように見えます。
朝鮮戦争が始まり、米ソ冷戦が激化して日本を自分の軍事力に組み込む必要が出て来ると、アメリカの意向で?日本の再軍備が始まり、憲法9条との矛盾を解決するために「統治行為論」が必要になって来ると、純粋培養した憲法学者や日教組が非武装論・・憲法9条をたてに中国ソ連寄りの行動をするようになって来て(左派の砦になってしまった)アメリカにとっても邪魔になってきました。
この辺はソ連抵抗勢力としてアフガンで養成したテロ組織・アルカイダグループが、ソ連崩壊後アメリカでテロをするようになったのと同じで、アメリカが力を入れて養成していた日教組と憲法学者が反米組織として最後の砦になって、残ってしまった印象です。
民法その他実務に根ざした法学系は、殆ど英米法の影響を受けませんでした。
実際日本社会の方がアメリカよりも進んだ社会ですから、数千年単位で遅れているアメリカモデルが日本社会に浸透出来る筈がありません・・・次第に日本の実態に根ざした学問になって行ったのと比較すると観念論に終始出来る憲法論や社会から遊離した観念に固まっていても子供の教育と関係がない・・小中学生はモンク言えない・・強制ですから、私立に行かない限り父兄に教師の選択権がないことから、日教組に根強く残ったのは偶然ではありません。
この後で書くように最近相次いでいる家事関係の憲法違反の最高裁判決の内容を見ると・・社会実態の変動に基づく実質的な憲法改正ですが・・これを主導して来たのは、憲法学者ではなく実務家の社会実態変動を基礎にした粘り強い運動が実を結んでいるものです。
以下(長くなり過ぎるので引用は20日のコラムになります)で非嫡出子相続分差別に対する違憲判決の詳細を紹介します。
これによると戦後の長い間の社会実態の変化やこれに合わせた戸籍規定の変更・・政府による改正案作成の経過などによる緩慢な?周辺整備の進捗具合、あるいは、過去の合憲判決の中身の変遷等を丹念に跡づけた結果、遅くとも平成◯◯年ころには、(それまでは合憲であったが)非嫡出子差別が許容されない社会意識になったと言う認定・・これによるとその時期を期して憲法が変更されたことになる・・判決ですので、煩を厭わずにお読み下さい。
要は我が国は何事も丁寧に・・観念論だけ決めるようなイキナリ乱暴なことをしない・・社会実態変化に即して修正して行く社会であることを知るべきです。
韓国では、先進国で良いとなれば、国情を無視して大幅改正していく乱暴な社会ですが・・後進国は製造設備なども一足飛びに最新技術の向上を誘致出来ますが、・・法と言うものが国民意識の上に成立していると言う意識がまだ成立していない・・エリートと庶民の意識格差が激しい・・庶民は黙って従えば良いという意識社会だから出来ることです。
憲法は国民のための憲法であり、異民族が押し付けるべきものではないと言う原理論から言えば、社会実態が数十年単位で変わって行くのに合わせて憲法解釈も徐々に変わって行くべきです。
そうなると憲法はドラスチックな憲法改正によるのではなく、判例変更に委ねるのが、合理的で国民投票による憲法改正と言う荒療治をやるのは革命的動乱時に限る(・・アラブ諸国のように数十年単位で社会が大混乱しますので・・結果的に数十年かけて徐々に運用を変えて行く方が合理的)べきでしょう。

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