府県単位の時代不適合

県単位の衆議院や参議院の選挙区割が今になって問題になっているように、当時合理的であった区割りが人口動態の変化や交通通信機能の飛躍的発展の結果、実態に合わなくなって来た点では似ています。
日本は連邦制のアメリカの州のように、県そのものに歴史的意味・・利害同質性がありません。
中央集権下の統治に便利なように町村制の上に設定した行政区域の枠組みでしかありませんから、規模等が時代に合わなくなり都合が悪くなれば合体・変更してもいいことです。
中央の威令が届くように・・行政単位として使い勝手の良い規模にしていた設定目的自体から、弁護士会や選挙区などいろんな基礎単位とするのに便利・合理性があったと言えます。
明治以降の地方制度の連載で紹介したように、藩政の基礎的地域にそのままダブルのは西国の大大名家の領域くらいで、その他は小刻みな大名領地でしたので、今の県単位は行政の都合で切り分けたに過ぎず、歴史的共有価値観がありません。
廃藩置県と学校で習うので、如何にもそのときに今の都道府県になったかのような印象ですが、明治初めの廃藩置県は、07/24/05「明治4年ころからの地方組織3(群馬県の場合)」前後で連載しましたが、旧大名家領地をそのまま県と言い換えただけでした。
ですから、(千葉県の場合・大名家領がほとんどなかったので)廃藩置県で24県にもなったようです。)飛び地だらけであったこともそのころの連載で紹介しました。
これらの飛び地を切り離したりして、何回も改編を繰り返して今の都道府県の形になっただけですから、歴史的にもそれほど長い利害共有・一体感の経験がありません。
明治以降の地方制度の歴史は町村単位・・これは千年単位の人的つながりがありますので、(大区小区制がうまく行かないなど)編成替えやムラ役人利用など試行錯誤の繰り返しでしたが、県に付いては市町村を監督し政府命令を行き渡らせための地方出先機関的性格だったので、殆ど地域性がなく、中央政府の一方的な決定で行なわれて来た状態だったと言う私の理解です。
(今でも、市長村の政治は身近で分りよいですが、県議会って何をしているのか(・・広域調整・政府の出先機関向きのが仕事かな?)良く分らない印象になっている原因です)
この結果、長野県のように北信(信越線沿線)と南信(中央線沿線)地域の気質の違いなどの例があちこちにあります。
千葉県の地形で見ると昔は水運が物流の基礎でしたから、川の両側が共通文化圏でしたので江戸川の両端が葛飾でしたし、利根川の両岸・・今で言えば銚子とその対岸は1つの文化圏でした。
道路で言えば、水戸街道(常磐線)沿いと下総街道(総武線)沿いでは文化圏が違いますが、1つの千葉県です。
現在の地方制度確立期に中央から派遣した役人の管轄行政区域明瞭化のためには河川で仕切った方が簡単なので、今では江戸川を挟んで東京都葛西地区と千葉の葛飾郡に分かれ、利根川を挟んで茨城県(神津町)と千葉県銚子市に分かれています。
多摩川が県境になっているのも同様ですし、この種の意見を以前書きました。
今、中東やアフリカで問題になっている国境線と民族分布が合っていないのも宗主国の支配管轄区域で決めたことによる問題の日本版ですが、日本の場合、民族分布ほどの違いがないのと、物流等が水運から鉄道や車社会になって来ると川を隔てた交流が減って来たので、明治までの文化圏の同質性や違いを殆どのひとが気にしていません。
現在の地方制度が確立し始めた頃には、既に鉄道網の発達が始まっていて中央集権化の進行の過程でもあったので、ちょっとした才能のある人は皆中央に出て行く時代が始まっていました。
以後県単位の閉鎖経済・・融合同質化よりは、全国画一化・中央への進出過程であったので、県独自の個性・気質がそれほど進んだ訳ではありません。
06/08/07「個人の解放8(道州制と能力別社会1)」で引用した「「近来世界各国通信之時勢ニ相成候テハ専ラ全国之力ヲ平均シ 皇国御保護之目途不被為立候テハ不相叶」あい叶わずというところから、「専ラ全国之力ヲ平均シ」ようと言う目的で、これまで国土の均衡ある発展を目ざしてきたのです。
それどころか、優秀な順に中央に出て行ってしまうことから、地方の疲弊・画一化が進んでしまったことを、0/02/03「地方自治と人材3(憲法38)」で連載しました。
日本の場合、県単位の独自性はそれほどないので、今になると県単位の国政代表選出にこだわる必要性がありません。
県単位の地域利害代表が必要なのではありませんが、代議士がみんな東京にいるのでは全国に目配りが出来ない・・全国の実態が分らないでしょうから、ある程度地域選出が必要と言う程度の意味ではないでしょうか?
道州制は大き過ぎますが、紀伊半島全域・四国全域とか、近畿圏とか、関東地域・東海地域、北陸とか、いわゆる◯◯地方単位程度の代表でいいような感じです。

日弁連と政治8(弁護士自治破壊リスク5)

弁護士会執行部の行動があまり行き過ぎると(今行き過ぎていると言う意見を書いているのではなく徐々に行き過ぎるようになると・・と言う仮定の議論です・)・・独占のない健全な市場競争下では、不買・客離れに発展するのと同様に、多数派の横暴に対して脱退気運が盛り上がって来るので、脱退を防ぐために相応の抑制機能が働きますが、(弁護士である限り)脱退が法的に禁止されていると、この最後のブレーキが利きません。
言わば、1党独裁体制下に国民を縛り付けている国家の国民同様になります。
権力規制=裁判では政治活動の是非が不問にされるとしても、政治活動が活発になり過ぎると世間からの批判も起きて来るでしょうし、こういうことが続くと会の公式意見と合わないグループが、会・組織とは別の独自組織・・「◯◯を考える会、◯◯を実現する会」を作る動きが出てくるのが普通です。
この辺が第二組合が出来難い・・いやなら脱退すれば良いし、新規加入が減って行く一般の労働組合や同好会とは違う点でしょう。
少数意見者がグループ結成をするようになると、会の政治運動を牛耳っているグループが強制的に徴収した会費を利用して政治運動しているのに対して、少数意見グループは自費で運動しなければならない・コスト負担の不利益がある上に、自分たちの思想に合わないどころか、自分の意見に対する反対運動のために自分の納付したお金を使われることに納得出来なくなりますので、会費納入に抵抗するようになります。
会費納入に抵抗して会費を払わないと懲戒処分を受けることから、反対運動するしか方法がありません。
強制加入団体とは、会費強制徴収権・・国の場合税金徴収権・・があることと同義であることが分ります。
租税滞納程度では国外追放されませんが・・弁護士の場合、会員資格=弁護士資格がなくなる点で大きな違いがあります。
・・いくら反対運動しても少数派である限り否決されますが、その運動の広がりに反応して多数派が政治活動を自制するようになれば大人の関係です。
「いくら反対しても否決すれば良いのだ」と言う強硬な姿勢を多数派が貫くと、少数派は我慢出来なくなって、外部勢力に頼ることになって来る→外部政治勢力を巻き込んで強制加入方式の否定論=法改正論の盛り上がりへつながり、弁護士自治弱体化に繋がる危険があります。
これが諸外国で国外勢力の応援を得て頻発する反政府運動・内戦やゲリラ・テロ活動の図式です。
政権が強行策をとれば取るほどテロが激化するのはこのためですが、我が国では、古代から敗者の言い分を良く聞く社会ですからこんな大人げないことになったことはありませんし、(明治維新も外国勢力の介入を防いで解決しました)まして弁護士会は大人の集まりの筈です。
ただ、モノゴトには作用反作用の関係があって、世論が特定思考様式を受入れなくなるとこの支持者が世論に歩み寄れば良いのですが、危機感から従来より一層主張が先鋭化し、活発化して行く傾向がありますから要注意です。
(妥協しない人材だけ残って柔軟タイプが脱落して行くのかな?)
政治活動が許されるかの議論の1つとして、政治活動の程度問題があります。
会費を使い、会の名で行動する程度であって、「集会や街頭行動等への参加強制しないのだから・受忍限度じゃないか」と言うのも、程度問題の一種でしょう。
ただ弁護士大量増員によって収入レベルが下がって来て、高齢者会員その他会費負担のウエートが上って来る時代には、参加強制しないで「会費を使うくらい良いじゃないか」とは言えない時代が近いうちに来ると思います。
大きく分類すれば、執行部意見に賛成するグループと反対するグループが両端にあって、意見は是是非で右でも左でも、どちらに使おうとも構わない人から、政治運動するための会費を払うのはイヤだと言うグループ(会費値下げ要求)の4つに分かれるのでしょうか?
この先弁護士の収入減少が続き、世知辛くなる一方とすれば、「会費の使い方などどうでもいいや」と言う中間層が減って行くように思われます。
他方で世論の傾向に反発する最後のよりどころとして政治運動を活発化して行くと中間層の反発も大きくなります。
行き着くところ「強制加入制を撤廃すべきだ」と言う意見、またはどこかの会に加入するべきだと言う強制加入制を残すならば、府県ごとに1つしかないのではなく、「一定数が集まればいくつでも府県内に自由に設立出来るようにしろ」と言う政治家を巻き込んだ運動が出て来るでしょう。
あるいは「関東のどこの会に入っても良いようにしてくれ」と言う案も選択肢になります。
国政選挙では今の県単位選挙区割りが合理性を失っているように、都道府県別に1つの単位会を強制するのは実態に合わなくなって来たように思われます。
私が弁護士になったときに千葉県弁護士会の会員数は90人台から漸く100人突破したものですが、今では750人弱になっています。
もっと地方の県では当時数十人規模が普通でしたし、今でも100人前後から未満の県がいくつもあります。
まして弁護士法が出来た戦後直後には千葉県全部で数十人いたかいないかだった時代でしょうから、こう言う時代には、自治と言っても一定規模がないと自治能力に疑問符が付くし、5〜6人規模の会が乱立すると発言力がなくなる心配があったでしょう。
何人規模以上が必要かの議論よりは、県単位と言う切り方が問題解決に合理的だったと思われます。

日弁連と政治7(弁護士自治破壊リスク4)

日弁連や単位会が裁判所(権力)の自己抑制を良いことにして、政府のお墨付きがあるかのように振る舞うのは間違いです。
政府権力は弁護士会に自治権があるから何をしても良いと言うのではなく、自治権がなくてもマスコミにむやみに干渉しません・家庭に法律は滅多に入りませんし・いろんな場面で謙抑的行動するのが権力と言うものです。
これを逆用して際限なく・自制心なく特定勢力に偏った政治活動をするようになって来ると、少数意見弁護士には不満がたまってきます。
少数意見だから無視すれば良いと言うスタンスで、しかも強制加入のために脱退する自由がない・・一種の独裁政権にとらわれている国民のような関係です。
独裁政治がイヤなら国民は国外逃亡すれば良いと言われても、仕事を棄てて海外逃亡すれば生活苦が待っているので、国外逃亡出来る人は滅多にいませんし、弁護士も弁護士会の政治意見とあわないならばやめたら良いだろうと言われても、イキナリ別の仕事で食って行ける人は滅多にいません。
独裁政権が専断政治を続けると、海外逃亡よりは政権打倒運動が起きて来るように、弁護士内部から弁護士自治はいらないとは言わないまでも・・分派活動が出て来るリスクがないかの心配をしています。
町内会で言えば、会長や役員が暴走すれば会費を払わなくなるでしょうが、会費の強制徴収方式はこのような暴走を阻止し難い性質を持っている点が、制度的弱点です。
2015-2-6「マスコミの役割・・情報紹介業3」で民放と違いNHKの場合、強制徴収権があるのでブレーキが利き難いと書いたのと同じ現象です。
そもそも強制徴収制度・強制加入制度が何故あるかと言えば、戦後イキナリ弁護士自治制度・・権力の干渉を許さない制度を創設しても強制加入性にしないと分裂を繰り返して組織を維持出来なくなる可能性がある・・一種の補助的制度だったと思われます。
アラブの春以降書いてきましたが、民主主義と言い、言論の自由があればうまく行くとは限らない・・新興国では国民レベル・能力に応じて民主化して行く必要があると何回も書いてきました。
チトーやリークアンユーその他大政治家があってまとまって来た国々がいくらもあるのです。
自治を守るための会費強制徴収権が、(不満な人が会費を払わない・・抵抗する権利を封じていることから・・脱退による対外的分派行動を起こせない面では、組織維持にはいいことですが・)逆に会内民主主義・一体感を阻害してしまうリスクになりかねません。
民主主義とは多数決で良いのだから多数派が何に金を使おうと勝手だと言う意見もあるでしょうが、究極の自由な意見開陳権はイザとなれば脱退の自由があってこそ保障されるものです。 
どんな組織でも、あまり脱退が簡単ですと離合集散ばかりではやって行けないので一定の絞りが必要ですが、要はどの程度の絞りが妥当かと言う問題になってきます。
(世の中の組織で・・夫婦でさえ離婚権があります・・完全否定は弁護士会くらいではないでしょうか?)
政党の場合、脱退は法的には自由としても、選挙資金上の不利を乗り越えなければならない・・(政党交付金の比重が上がっているので基準日をにらんだ年末の分裂・新党結成が普通になっています・・外に、国民の支持を受けない脱退は次の選挙で落ちてしまう洗礼が待っているので簡単には脱退・分派行動が出来ません。
この点株式会社の場合、お金目的で集まっただけの組織ですから、企業経営方針が気に入らなければ、上場企業の場合、自己保有株式を市場で売り払えば良いし、譲渡禁止会社の場合でも、会社に対して適正価格での買い取り請求を出来ます。

会社法(平成十七年七月二十六日法律第八十六号)

(反対株主の株式買取請求)
第116条 次の各号に掲げる場合には、反対株主は、株式会社に対し、自己の有する当該各号に定める株式を公正な価格で買い取ることを請求することができる。
一 その発行する全部の株式の内容として第107条第1項第1号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 全部の株式
二 ある種類の株式の内容として第108条第1項第4号又は第7号に掲げる事項についての定めを設ける定款の変更をする場合 第111条第2項各号に規定する株式
三 以下省略

日弁連と政治6(弁護士自治破壊リスク3)

、加入脱退自由でも労組を例にして硬直すると問題があることを書いてきましたが、強制加入団体の弁護士会が、特定思想に基づく運動するようになると脱退・逃げる自由すらもないのでさらに弊害が大きくなります。
弁護士会は強制加入団体と言って、弁護士をやるからには道府県ごとに1つしかない(東京に限り3つの会がありますが・・)会に加入しないと弁護士の仕事を出来ないのですから、思想や心情・意見が違うからと言って、弁護士をやめない限り脱退の自由がありません。
教師や医師は教組や医師会に加入しなくとも教師や医師を続けられますが、弁護士にはその自由すらないのです。
退会して弁護士業をすると刑事処罰されます。

弁護士法
昭和24・6・10・法律205号  

弁護士の登録)
第8条 弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。
非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止)
第七十二条  弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。
(非弁護士との提携等の罪)
第七十七条  次の各号のいずれかに該当する者は、二年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
一  第二十七条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
二  第二十八条(第三十条の二十一において準用する場合を含む。)の規定に違反した者
三  第七十二条の規定に違反した者
四  第七十三条の規定に違反した者

弁護士会の組織活動が自分の意見にあわないときには、弁護士会の活動に参加しなければ良いのだからそれでいいじゃないかと言う人もいるでしょう。
大学自治会が革マル派・中核派などに占拠されていても、イヤならば自治会活動に無縁でいれば良いと言う消極的抵抗と同じやり方の推奨でしょうか?
親としては息子がまじめに勉強してれば良いのと同じで、弁護士会活動しなくとも受任事件さえまじめにこなしていれば良いじゃないかと言う動きです。
弁護士会と政治運動に関する高裁判例を2014-10-30「弁護士会の政治活動4」で紹介しました。
日弁連が自治権の濫用またはすれすれの行為をしても、裁判例としては大幅な逸脱がない限り自治権に介入出来ないと言う抑制的判断が続くと思われます。
「非政治組織(日弁連)と政治6」Mar 28, 2015で書いたとおり、弁護士会に自治権があろうとなかろうと日本の政府はもともとそう言うものです。
日本の歴史と西洋や中国の歴史とは違いますので、西洋や中国の歴史を持って来てすぐに弾圧がどうのと言う左翼文化人的議論は、日本の歴史実態とはあっていません。
こう言う日本の政府の成り立ちを考えると、どこまで許されるかを(本来内部自治で決めるべきことですから)裁判(国家権力)で白黒つけるのは無理と思われれます。
取材に応じた台湾原住民の意向とは違った形で放映されたというNHK相手の裁判に関連して少し書きましたが、何でも裁判に持ち込んでそこで白黒を付けようとするのは、無理があります。
2月21日に書いたように、その限界は自分達で決めて行くべきであって、裁判所が原則として口出しするべきことではありません。

非政治組織(日弁連)と政治6

ただし、日本政府の対応は大人のやり方ですから、相手のやり過ぎに乗じて突っ込むようなことはしません。
弱みを見せたら、すかさず弱みにつけ込む諸外国とは違います。
慰安婦問題で日本が謝らない限り首脳会談しないと言うのなら、日本政府は「不当な要求さえ取り下げてくれたらまた付き合いますよ」それで結構と言うだけのスタンスです。
相手が遣り過ぎて困っていることに乗じて、日本は、「韓国がヒラ謝りしないと首脳会談をしない」とまでは言いません。
中国の南京虐殺主張や歴史認識の要求に対しても、同じで、中国の言うとおり認めないと首脳会談しないと言うなら、「結構です」と言うだけであって、相手がその条件さえ取り下げれば良い・・反日教育をやめないと付き合わないとまでは言いません。
ヤクザに散々嫌がらせされたりすごまれた場合、ヤクザが強迫行為等をやめるからこれから仲良くしましょうと言われても、「もう2度と付き合いたくない」と思うのが普通ですが、(隣近所の場合は上辺だけ「今後よろしくね」くらいは言うしかないとしても、内心では警戒したまま心を許しません)政府となれば、そうも行かないと言う大人の対応になるようです。
個人間であれば、日本には1億以上の人がいるのでイヤな人と付き合わなくとも(近所の場合朝晩の挨拶程度で)生きて行けますが、中韓が隣にあって挨拶程度では済まない現実があります。
この辺は感情とは違った判断があって良いでしょうから、日本人の多くが個人的に腹が立っていること・・例えば国民の9割が腹立っていることが分ったとしても、そのとおり政府がストレートに動くべきではなく、政府がどこまで大人の対応をするのが良いかは別問題です。
韓国も中国も日本の労働組合もいくら遣り過ぎてもその反動で「元も子もなくすようなこと・・仕返しを日本政府がする訳がない」と言う安心感が、無茶な主張や行動をやれるだけやって損はないと言う行動に走らせているのかも知れません。
ヤクザの行動原理と似ています。
上記のとおり日本政府はやり過ぎに乗じて必要以上に締め付けや仕返しまではしませんが、組合や中韓政府がやり過ぎる都度、着実に日本国民の信頼感を損なって来たことは確かです。
日弁連がやり過ぎても、政府は干渉出来ないし、会員が目的外行動だと裁判しても政府・裁判所は謙抑的判断しかしません。
直接的判断がないとしても、(ヤクザの嫌がらせが刑事事件にならないとしても嫌われてしまうように)いつの間にか、国民の信頼度が下がってしまうリスクを書いています。
外からの弾圧がない代わりに自己抑制が必要です。
私がいろんな意見を書くように、弁護士会はいろんな意見の集合体であって、特定思想で一致共鳴したことによって集まった結社ではありません。
テニスが好きで同好会に入ったらその会費の大部分を使って親睦と称して皆で映画やスキー旅行や登山に行くようになったり、自分の意見とは違う政治活動を始めた場合、テニス同好会の会費を払うのが、イヤになってやめる人が出るでしょう。
弁護士がある事務所に所属したら、その事務所の扱っている事件と自分がやりたい事件が違っていたり、事務所がある政党関連の政治活動を熱心にやっている場合、政治信条があわないときには、その事務所をやめて他所の思想信条のあう事務所へ転籍する選択肢があります。
ですから、個々の事務所が好きな政党を支持し、その運動をするのは勝手です。
日教組も労働組合も思想活動に明け暮れていると、内部で反対するだけではなく、若手は新規加入をしなくなったり加入していても活動方針に納得しない組合員は脱退する自由があります。
政治活動の活発な組合で組織率がドンドン低下して来たのは、加入脱退の自由があったからです。
加入脱退の自由があると政府が権力的に介入しなくとも、不健全な組合は自然に淘汰されて行きます。
以下は日教組組織率に関する本日現在のデータです。
以下に入って行くとグラフも付いていますので、グラフで見たい方はどうぞ。
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文部科学省の調査によると、平成22年の日教組(日本教職員組合)の加入者数は27万4800人、加入率は26.6%。昭和33年の調査開始以降、過去最低となった。

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