原理主義と利害調整4(未成熟社会1)

大統領制といってもドイツやインドのように首相が全権を握っているお飾り的な大統領制から、ある程度議会が機能しているアメリカ、韓国、フィリッピンやインドネシア方式から、独裁制に近いロシアの大統領制まで多段階です。
お飾り的な大統領を除けば、議院内閣制の国に比べて大統領の権限が強力・・原則として行政執行に議会の同意が要らない点が共通→その分複雑な調整過程が不要・・しかも任期の長い点(韓国では1期5年です)が共通です。
軍事独裁政権・または旧ソ連や中国の共産党政権は、大統領制に移行するまでの過渡的社会形態ですから、社会の発展段階・・能力に応じて利害調整努力している点では、軍事政権・独裁政権と言ってもいろいろなニュアンスがあります。
調整能力のない民族が社会状況を無視して、民主主義を導入して、民意をまともに聞いていると国民は勝手な主張ばかりで妥協を知らない以上は、混乱し、内部紛争が激しくなるばかりです。
これが独立後のアフリカ諸国で発生した内戦・・部族紛争多発の原因でしょう。
未成熟社会では、アメリカや韓国のあるいはロシアのような大統領制にして任期中民意を直接問題にしない強権発動形式(国情によってニュアンスの段階がありますが・・・)にするか、そこまで行かない社会では専制的な軍事独裁体制(選任が民意によらないだけで日常業務が直接民意に縛られない点では大統領制と運営方法は同じです)が似合いです。
これが新興国で言われる開発独裁が賞讃される所以ですが、調整能力のない民度の社会では、民意を一々聞いていたら何事も進まない点では、開発に限りません。
開発独裁がうまく行くのは、タマタマキャッチアップは簡単で成功率が高く、開発→急成長があるので民意無視の強権政策のマイナス点・不満が陰に隠れているだけあって、成長が止まると矛盾が吹き出して(民意無視で我慢させられていた不満が吹き出して来て)独裁政が行き詰まります。
日本で言えば成長さえすれば、財政赤字や自殺問題が解決しそうになるのと同じで、成長が全ての解決策の底上げ材ですし、逆から言えばマイナス成長は全て不満・矛盾拡大の根源になります。
この危機感に揺れているのが、中国の成長鈍化リスク→習近平政権による内部引き締め策・・その次に用意されるのは粛清に継ぐ粛清をして来たスターリンのような恐怖政治でしょうか?
勿論軍事政権も民意を全く無視して良い訳がない・・国民の支持があった方が良いに決まっていますから、国民に支持して欲しい点では民主国家と本質は変わりません・・ここでは、法形式の違いと強権政治を受入れる国民意識の違いを書いています。
原理主義勢力とは、軍事・または独裁政権が、国民支持を求めるために徐々に進めている近代化・(トルコやサウジで言えば世俗化の進行))妥協を許せない、超保守・反革命勢力(例として言えば、中国の文化大革命・・アラブの女性にスカーフ着用を強制しろと言う原理主義)ですから、アラブ諸国での原理主義による反政府運動=民主勢力とするかのような歓迎論調のマスコミ報道姿勢は間違っています。
アラブの春で勢いを持っている原理主義グループは、(世俗に汚れた?)軍事政権よりもモット純粋に信教の自由を許さない・その教義もイスラム教徒内での偏狭な強硬一筋の宗派の意向の独裁体制の復活を求めているグループのようです。
(アメリカでもキリスト教の一派で特定教義にこだわる宗派があると言われますが、その宗派を過激運動体にしたようなものか?)
アメリカの茶会党も、利害調整を拒否する=他者の主張との妥協・利害調整を一切認めない傾向が強い点では、宗教に本籍を持っていないとは言え、アラブの原理主義者と傾向・本質は同じです。
アメリカは中東アラブ諸国での軍事政権打倒運動勢力を、反政府=民主主義議勢力であるかのように(マスコミ同様に誤解していて)応援するか、応援しないまでも民主勢力に軍事政権が妥協すべきだと言うスタンスが多い・・エジプト軍事政権に非協力になっているのがその結果ですので、中東・アラブの混乱が却って広がっている感じです。

原理主義と利害調整3(成熟社会1)

成熟した社会とは、具体的利害調整能力に長けた社会と同義ですから、高度な調整能力のある社会だけが本来の民主政体の成果を享受出来ます。
どんなに気のあった同志で結成した政党も、いろんな問題が生起する都度、完全に意見が一致する訳がないので、意見があわないからと言ってその都度分裂したり・・これが部族間の利害対立の場合、何かある都度意見相違の調整能力欠如のために毎回殺しあいの対決をしていたのでは、社会が安定しません。
幼児に自分たちで自主的に運営しなさいと言っていろんな行事の進行運営を丸投げすればどうにもならなくなるのと同じです。
新進党から始まる野党の歴史をみると、意見がちょっとあわないと言っては、分裂・合流を繰り返していますが、こんな未成熟な人の集まる政党では国政を任せられないと思う人が多いでしょう。
現在野党の構成員を日本社会の縮図の反映としてみれば、妥協・利害調整能力のない・・または調整したくない原理主義的グループ代表のようです。
世界で複雑な利害調整能力のある民族・社会は、英仏独伊を中心とする西欧諸国と日本・カナダくらいでしょう。
それ以外の世界ではアメリカ以下いろんなランクがありますが、100%民意に任せていると無茶苦茶になってしまいます。
これがアラブの春以降のアラブ諸国で起きている大混乱の原因です。
日本は古代から庶民レベルが高く元々ボトムアップ社会です・・多様な意見を併存させて行く社会(八百万の神)ですから、これが排他的な一神教を嫌う基礎的原因です。
・・このために排他的宗教活動に邁進している日蓮が鎌倉・北条政権から弾圧を受け、江戸時代に入ってもこれの原理主義的行動をやめない不受不施派が江戸時代に禁圧されると同時に、キリスト教が弾圧された真の原因です。
占領軍の思想支配下で、戦後教育が始まりましたので、頻りに江戸時代には厳格な階級社会であったと教えられますが、そんなことはありません。
幕末動乱で活躍した下級武士を如何にも例外のように教えられますが、約200年前に天下の政治を動かした新井白石はただの浪人上がりでした。
薩長に限らず幕末に幕府代表として活躍した勝海舟は下級ご家人上がりですし、武士が町人になったり(芭蕉や平賀源内など)いろいろ入れ替わりの激しい社会でした。
「平等を説くキリスト教が弾圧された」と学校で教えますが、日本は万葉の昔から、元々庶民力の強い・・能力さえあれば天下人にもなれる平等に近い社会でした。
まさに・・庶民から出た秀吉が天下をとったばかりのときに切支丹禁止が発令されているのですから、日本の身分社会に合わなかったと言う説明の虚偽性が明らかです。
このころのキリスト教社会は日本と違って強固な身分社会でしたし・・今でも階級制が強固に残っていることをココ・シャネルの映画を見た感想としてコラムで書いたことがあります。
戦後の教科書説明では占領軍=キリスト教にオモネて虚偽説明を始めたまま、今も改めない・・教育界がアメリカによる日本支配思想にどっぷりと浸かったまであることと、もしも改めようとするとこの支持者がアメリカに御注進に及ぶことが目に見えています・・戦後秩序挑戦とアメリカに警戒され・・お決まりの世界で孤立すると言う論争になるのでしょう。
上記のように西洋社会では多様な価値観を否定して来たキリスト教支配から始まっているので、多様な価値を認める社会を知りませんでした。
ちなみに多神教のギリシャ・キリスト教国教化前のローマと西洋社会は連続性がなく、別物です・・念のため。
宗教改革を経て漸く縛りが緩み、いろんな価値観を認める社会基盤が出来て来たことから、フランス革命(言論・思想信条・信教の自由)に繋がり、(その後もナポレオン〜第二帝政など行きつ戻りつしましたが・・ド・ゴールの第五共和制で漸く安定したことを以前書きました)以降約200年経過で徐々に民意・・各種利害調整能力がついて来た状況です。
それ以外の社会では当面、民主化したと言っても選任するときだけ民意を反映して、後の具体的政治決定はリーダーにお任せの大統領制にしてお茶を濁しているのが実情です。
(大統領制も独裁に近いロシア型からアメリカ型までいろいろあります)
この辺は、「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」Published July 16, 2013前後で連載しました。

原理主義と利害調整2

以下は当然のことながら、私個人意見ですが、平和の対極にある戦乱ほど人権侵害の大きなものがありませんから、人権保障のためには平和を守ることは重要です。
しかし、それと平和をどうやって守るかの具体論の相違(どの程度の軍備が必要か、どのような配置が良いか)・非武装のまま敵が攻めて来れば異民族支配下に入って屈従している方がより大きな人権侵害ならないか等の意見は、弁護士会が関心あるべき人権擁護から遠く離れた政治問題・政治で決めるべき問題です。
国民の人権を守るためには、国内治安維持が必要だと言えますが、その予算はどうあるべきか、誰を課長や主任にすべきかまで行くと人権擁護との関係が遠くなり過ぎて弁護士会として、意見を言うべき問題ではないことは誰も分るでしょう。
特定担当刑事等の人権侵害行為があったときに限って、個人資質を問題にするのが関の山でしょう。
自殺多発化すれば、人権上重要ですが、個別のイジメの結果については弁護士の出番ですが、総体として増えているのを減少させるには先ず経済の底上げが重要ではないか、どうすれば底上げ出来るか・高齢者の病苦を原因とする自殺増加は・・など論点がいくつもあります。
安倍政権になって経済活動が活発化した後の統計では、結果的に自殺数が顕著に減っています。
このように全ての問題は人権に関係があるとは言え、弁護士会の人権擁護運動は人権侵害に直接的関係のある範囲内にとどめるべきであって、その先は政治=国民が決めるべきことです。
生命は人権の基礎ですから死刑は人権侵害の究極ですが、それと重大犯罪を犯した場合死刑期制度を残すべきかどうかとは別の問題だと言うのも私の個人意見です。
通行の自由があっても信号・スピード規制や運転免許が必要ですし、表現の自由があっても名誉毀損や猥褻画像の禁止のように、いろんな人権は全て公共の福祉との兼ね合いで制限されて行くものですから、基本的人権を尊重しろと言えば何でも解決出来るものではありません。
特定秘密保護法も単に知る権利侵害と言う主張だけではなく、この秘密保持と対テロ対策としての安全性その他各種価値の調整が必要ですから、具体的議論が必要です。
特定秘密保護法のコラムで書きましたが、「知る権利」と言う抽象論ではなく、テロ対策や国際競争力の維持などの観点だけで言えば、(その他もっと多様な並列する利害がありますが・・)官邸や空港の設計図・警備計画や原子炉や宇宙ロケットの設計図など、5年や10年で公開して良いものではありません・・このように利害調整して決めて行くべきです。
イスラム原理主義に限らず、その他いろんな分野で原理主義者と言われるグループが最近目立ちますが、原理原則に固執し妥協しないグループと言えば格好良いし、分りよいようですが、社会運営には妥協と言うよりは、各種価値の競合があって、その調整を必要としています。
「妥協を排する」と言えば勇敢そうな印象ですが、はっきり言えば、各種利害調整の必要性を無視した単純な主張・蛮勇と言うべきでしょう。
共産党や旧社会党に対する国民の支持が一定に留まっていたのは、利害調整を無視して「ぶれない野党」を強調していたからです。
逆から言えば、利害調整のようなややこしいことは出来ないし、理解出来ない・・自分の要求だけ主張していれば良いと言う支持者がこの程度しかいない・・かなり進んだ社会をあらわしています。
現実社会は原理・原則の適用すべき限界・・応用分野で議論(・・いろんな施策に必要な他の予算を削る兼ね合いで今年度予算でどの程度の保育所や信号機を設置出来るかの議論)を必要としているのですから、他の必要性との兼ね合いを何も考えなくて良いから「原理どおりやれ」と言っても何の解決にもなりません。
安倍政権誕生時に少しこのコラムで書きましたが、一定の経済成長が必要と言う点は、長年歴代政権(民主党も含めて)がみんな言って来たことです。
どのような具体的政策を採用し縮小するかで、国民が支持、不支持を決めているし政権担当能力が決まります。
成熟した社会とは、具体的利害調整能力に長けた社会と同義ですから、高度な調整能力のある社会だけが本来の民主政体の成果を享受出来ます。
世界でこれが可能な民族・社会は、英仏独伊を中心とする西欧諸国と日本・カナダくらいでしょう。

証拠収集制限論とえん罪の増加1

共謀法が折角あるのにサリン事件のようなテロ行為や暴力団の集団犯罪計画を事前に阻止出来ない事件が頻発すると、「警察は何をしているのだ!」と言う批判・・証拠がある程度緩くとも早めに検挙すべきだと言う社会意識が強まってしまいます。
共謀罪が出来るまでは「計画が分っていても犯人が動き出すまで手を出せなかったから・・」と言い訳が出来ましたが、共謀で処罰出来る法律が出来た以上は、共謀段階で何故検挙しなかったか?と言う批判になります。
こうなると捜査機関も焦るので、十分な証拠もないのに「逮捕すれば何とかなるだろう」式の・・自白に頼る誤逮捕・ぬれぎぬ事件がいくつか発生するリスクが高まります。
すなわち人権侵害のリスクが高まりますので、これを人権派?弁護士や学者が心配している・・言わば、不幸な事態が起きるのを期待して「それ見ろ人権侵害が起きただろう」と活躍の場を求めているかのような変な状況です。
マイナンバー法や防犯カメラその他証拠の客観化に資するデータ化の動きがあるとその収集に何かと反対する勢力は、無理な逮捕が発生して人権侵害が多発する事態を待ち望んでいるのでしょうか?
共謀段階で犯罪化して、これを処罰するとえん罪多発するのが心配だと言いながら、客観証拠収集技術発展に反対するのは、どこか変です。
えん罪多発の不幸な事態にならないようにするためにも、共謀罪を作る以上は証拠の客観化を着実に(プライバシー保護等と勘案しながら十分な議論をして)押し進めるべきですし、科学技術進歩と応用に反対するのはおかしい動きです。
反対ばかりしていて議論の詰めに参画しないままですと、却って日弁連のチェック能力を発揮出来ないまま証拠法則の整備が進んでしまい、証拠収集が安易に進むのは国民の不幸です。
暴力団やテロ集団ではない、一般的な犯罪者までが「共謀した」だけで検挙されるのでは人権侵害にならないかと言う心配が普通の議論でしょう。
暴力団ではなくとも、一般人(日常的には善良な人に見える?)でも、ある日(本人はその前から内心悶々としていても外部には分らないだけですが・・)ストーカーに変身することがあり、しかもそれがイキナリ殺人等凶悪犯罪にまで発展してしまうのが現在社会です。
個人が内心悶々としている段階でも、近づいて来て何となくおかしいと思えば避けて通るようにしたり、個人的な付き合いであれば「何かあいつ最近おかしいから・・」と注意したり近づかないようにすることは出来ますが、検挙処罰までするのは無理があるのは明らかです。
ですから、個人がある日(外見上は)突然秋葉原事件みたいなものを起こすのを、予め公権力で制禦することが出来ないのはいまの科学技術では仕方がないことです。
何十年かすると個人行動が数十分前から、かなり予測出来るようになる時代が来るかも知れませんが、それだけで、刑事処分や拘束まで出来るかは別問題です。
しかし近代と違って現在では、科学技術進展の結果、例えば殺人行為実行の前々段階である共謀までするようになれば、場合によっては客観的に証拠把握出来て間違いのない段階まで来たのです。
共謀罪が出来ても、全ての共謀について証拠が把握出来る訳ではなく、一定の証拠がそろう事件だけですから、当面100%の共謀を検挙してくれるのかと国民が期待すると間違いの基です。
国民の期待が大き過ぎると不満が起きて警察が焦って不当逮捕になり兼ねません。
これを心配して日弁連が危険だと騒いでいるのでしょうが、そう言う方向ではなく、共謀罪が出来てもきちんとした証拠のある分だけに厳選して立件するように運動し・・客観証拠収集を妨害しない方が、人権擁護に結びつくのではないでしょうか?
科学技術の発展が殺人等の行動に出る前でも、共謀・自分で一人で考えているのではなく第三者と相談するようになると、客観証拠が集積出来る時代が目の前に来ています。
とは言え、期待は禁物です。

共謀罪反対論が守ろうとしている利害集団1

日弁連が政治運動して良いかの議論を離れて、以下成立してしまった条約履行反対論の合理性を見ておきましょう。
反対論者は、日本をどう言う方向へ持って行きたいのでしょうか?
どう言う世界秩序を目指して・それが日本のためになると言う考えで国際条約を形骸化したいと思っているのか知りませんが、政治運動をする以上は一定の現世的利害のある効果を目指していると言うべきです。
政治運動する集団はすべからく、目指す世界観・・どう言う結果を期待しているのかを国民に提示すべきではないでしょうか?
イスラム国その他テロ組織には相応の正義があって、日本がこの取締りに協力すべきではないと言うのも1つの意見のあり方ですが、それならそれでそう言う主張をし、組織犯罪防止条約反対を訴えれば分りよいです。
(でもそう言う主張は政治目的団体がやるべきことであって、日弁連の仕事ではありません。)
日弁連意見書では、日本にはテロの現実的危険が日本には存在しない・・条約を履行するべき立法事実がないと言う主張ですが、(日本だけ必要性を感じないと言って国際協力しないことが国際政治として成り立つかは別問題ですが・・)北大生によるテロ組織「イスラム国」応募に驚いた人が多いとしても、まだ危険性が低いと同感する人が多いでしょう。
今の日本でこの法律が制定されると直ちに実際の効果を受けるのは、国際テロ組織よりはまさに国内組織暴力団のように思われます。
今あるのは銃刀法所持取締法や「凶器準備集合罪」ですから、凶器等準備した上で、しかも現実に集合しないと検挙出来ませんが、共謀罪の法律が出来ると1~2ヶ月先の何時集合するのかその他の情報が不明でも、「◯◯を暗殺するぞ!」いう命令等が分った(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ることになります。
集合計画がなくとも特定ヒットマンを決めてさえなくとも、敵対集団幹部暗殺を組織内で決めた(証拠をつかんだ)段階で検挙出来ます。
もちろん(凶器がなくとも良いのですから)事前に法で決めた特定凶器や毒物を使う予定の情報収集・・証拠集めをする必要もありません。
これが共謀罪があるかないかの大きな違いでしょう。
ただしこの後で書いて行きますが、「共謀した」と言う事実とその裏付けの証拠がいります・・念のため・・。
日弁連の反対意見は・事実と証拠があってもこの段階で検挙するのでは人権侵害になると言うことになるようですが、この論理立ては無理があるように思います。
逮捕の濫用や・・冤罪のリスクは、共謀概念の曖昧さや証拠がないのに検挙されてしまう証拠評価レベルの議論です。
これまでチラチラと書いて来ましたが、安易に共謀の事実認定されない(ジョークに相づちを打った程度で逮捕されるのでは困ります)ように日弁連が努力すべきは、共謀概念の客観化と証拠法則に関する緻密な意見提案ではないかという私の意見につながって行きます。
法律専門家によるすり合わせの結果・・日弁連が納得する共謀概念定義や証拠法則に従って共謀の事実が認定された場合にも、冤罪のリスクがあると主張するのは論理矛盾になります。
そこで近代刑法の精神に反すると言う意味不明のスローガンを表に出さざるを得ないのではないでしょうか?
共謀の事実と証拠だけで検挙されると困るのは今のところ、暴力団や違法なことを計画している集団だけでしょうが、そう言うグループを野放しにしておくために応援することが何故人権擁護になるのか分りません。
このあとで書くように共謀罪が出来ても「共謀」の概念構成と客観証拠がいるので、むやみに検挙される訳ではありません。
殺人行為等具体的被害行為が未だ存在しない共謀だけの証拠確保は、実際には難しいので簡単に検挙出来ません。
しかし偶然計画が分り、証拠までそろっていた場合でも、計画だけでは手も足も出ない・・実際に誘拐や殺人行為等に着手するまで検挙・抑止してはならないのでは、困りませんか?

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