個人金融資産3(海外保有資産はあてになるか?1)

国債の危機に際しては、トヨタなど日本企業の場合、株主構成として2〜3割外国人株主がいてもその意向によらずに日本国益を守る方向に動く傾向がありますので、個人資産に限らず企業保有も含めて対外債権はある程度・・ないよりは意味があります。
日本は2012年1月末現在で財務省の発表によると外貨準備だけで1兆3066億ドルも持っています。(3月末では1,288.70ドルで少し減っています。)
 
 とは言え、これを円に換算すると僅か82兆円前後にしかなりませんから、分り易い数字で考えると国債残高が1000兆円あまりになると、わずかに8%の外国人保有でトントンになってしまいます。
個人金融資産を基準にすると日本の発行残高が個人金融資産1400〜1500兆円(負債を控除すると1000兆円前後?)を越えない限り、外国人が国債の半分あるいは9割を保有しても日本人がその同額分の外債を購入していれば問題がないのでしょうか?
国が持とうが国民が持とうが同じ効果があると言えるのでしょうか?
外国人に売り浴びせを受けて日本国債相場が下落すれば、日本人もその国の国債を売って値下がりした日本国債を買えばいい点は国が外債を持っている場合と変わりません。
個人で言えば、手元資金がなくなれば定期預金を取り崩すように、日本人は困れば外貨準備の一部を売れば良いだけのことです。
そのときのためにこそ、上記のようにお互い外貨・外債を持ち合っているのですから当然かも知れません。
しかし、個人は国がいくら困っても対抗的に外債を売りかける必要がない点・・逆に外国へ資本逃避する人がいてもおかしくない点が大きな違いになります。
何ら危機でもない今でさえも個人で外債投資する人が多い・・・・国内と外債に分散投資している人が殆どでしょう。
国債が暴落して、これを大量保有している銀行その他の金融機関が倒産すると自分の国内金融機関向け資産(保険や年金資産)が暴落して大損してしまいます。
ある企業に大量に貸し込んでいるときに倒産されると大変なので追い貸しすることが多いものです。
自己資産防衛のためにもある程度日本国債が下がったところで、値上がりした外債・外国証券を売って値下がりした国内債や株を買い支えるのは、合理的な投資活動と言えないこともありません。
たとえば、国内金融資産5000万円、対外金融資産5000万円の人は、日本国債が暴落して国内金融資産評価が4000万円に下がったときに、(対照的に上がった)外債評価6000万円のうち5000万円分の国債・株式・社債のナンピンをかければ良いことになります。
個人・民間保有の場合、4000万円が底値かどうか見極めのために様子見になるので買い支えに入るタイミングが難しいので、様子見をしているうちにギリシャ国債や過去の中南米諸国のようにデフォルトになってしまうリスクがあります。
ギリシャ危機に当てはめると、我が国のように国民平均に豊かあるいは貧しいのではなく、国平均では貧しくとも(オナシスのような)ギリシャ人大富豪も一杯いるのでしょうが、危機発生時にはこういう人たちは逆に率先して外国へ資本逃避する人が多くて買い支えるどころか、逆に売り浴びせ側に回っていたのではないかと思われます。

目の前で債券や株式の値下がりが始まっていると防衛のために早めに自分の保有株等を一日も早く売って損を少なくしたくなるのは本能と言うか合理的行動であって、非難することは出来ません。

東京電力の原子力事故の場合、あっという間に東電の株式が大暴落しました。

日本国債暴落の場合、預金等を解約して円紙幣に代えても円自体の値下がりが連動してるのが普通ですので、さらに外貨に替える手間がありますが、ギリシャの場合、独自通貨・ギリシャ通貨がないのでギリシャ人は自国通貨の値下がりリスクを心配する必要がないので株や預金・債券を現金化(タンス預金)さえすればリスク回避できるので簡単です。

この結果、肝腎の国民が逸早く自己防衛のための解約や処分売りを加速・・外から見れば売り浴びせ攻勢をかけて自国国債の下落を加速し、ドイツやその他の欧州諸国がその買い支えのための資金を拠出・・欧州中央銀行がギリシャに資金を投入して買い支えに回るという不思議な構図が現在のギリシャ・スペイン等の危機ではないでしょうか?

日本人は愛国心が強いとしても、合理的に行動する経済分野で心情だけを当てにすることが出来るのでしょうか?

国債残高の危機水準3(個人金融資産1)

  Mar 28, 2012以降国債増発から日銀引き受け・インフレ問題にずれてしまいましたので国債増発の限界問題に戻ります。
国債発行残高が年間GDPの何倍になったら危険であるとか、個人金融資産の範囲内なら大丈夫・・ひいては個人金融資産を越えたら危険という論法が近年盛んです。
本当にそうでしょうか?
たとえば、中国が外貨準備の分散のために日本の国債を50兆円買うとした場合、日本もアメリカ国債ばかり集中しないでおつきあいで中国国債を同じ額だけ買った場合を考えて見ましょう。
日本国債の保有者が仮に80%〜100%外国人投資家であったとしても、日本も同額以上の海外国債を持っていれば、安全性としては同じことになります。
日本の経済危機時には円相場が下落するので、仮に1割下がればそれまで5分5分で相互保有していたのが、為替相場の下落の結果、日本の外貨保有価値が6割に上がって相手国の日本国債保有価値が4割に下がるメリットがあります。
このときに外貨準備として保有している外国国債を売って日本国債を買い戻せば2割残って黒字になります。
相互持ち合いメリットについては、09/08/08「国債引き受け先の分散3」前後のコラムで書いたことがあります。
すなわち国債発行残高がどれだけあるかの議論よりは、日本の対外債権がどれだけあるかの関連で考える必要があることが分ります。
発行残高が仮に6000兆円になっても8000兆円になっても、外国の国債を7000〜9000兆円分持っていれば、何の問題もないことになるのですから、対外債権と切り離して独立に考えるのは意味がありません。
個人金融資産の範囲内ならば安全であることは間違いがいないのですが、これを越えたら危険とは言えません。
親子の貸し借りの例をこれまで書いていますが、親が子供から借りている限り夜逃げする心配はないのですが、他人から借りたら直ぐ行き詰まるとは限りません。
個人金融資産額を基準に考える最近の風潮は、個人で言えば年収の何倍の借金があるかよりは、持っている対内金融資産・・息子から借りている限り安全とする論理です。
年収が1000万円しかなくとも10億円の対外(個人で言えば銀行預金など家族以外という意味です)金融資産を持っていれば、数億円を他人から借金しても心配ありません。
そこで個人金融資産とは国内資産だけを意味するのか、対外資産も含めて意味するのかが重要となります。
世上言われている個人金融資産が国内だけでなく、対外債権を含むのか、あるいは海外に保有している分を計上していないのかの問題です。
日銀の個人金融資産のデータ(内訳)を見ると国内金融機関だけのようです(国内金融機関の海外出張所分を含むかどうかをどこかに書いてあったように記憶しています・・記憶によって書いていますので間違いもあるつもりでお読みください )ので、私の素人判断では国内金融機関等から集めた限度でのデータによっているものと思われます。
国内機関は日銀からデータ提出を命じれば応じるでしょうが、海外機関にはそのような義務があり得ません。
まして無限とも言える膨大な世界中の金融機関からデータを求めるなど不可能でしょう。
ですから、国内法の及ぶ国内機関からの報告だけで作っているとすれば、個人金融資産と言っても国民の保有している資産の一部でしかないことになります。

個人の自由と周辺援助

 

こうした考え方・・親や周辺は関係ないとする風潮に変化した結果、刑事事件はほぼ100%国選になり(窃盗や傷害事件を起こす本人に金がないのが普通ですから、自分で弁護士を依頼するお金はありません)離婚その他も(乳幼児を抱えた若年者の場合フローの収支にいっぱいで男女ともに資金力・蓄積がないのが普通です)から、お金のない若い人はどこに相談して良いのか困ってしまいます。
昭和年代までは子世代が困れば親が、親に資力のない場合叔父叔母が世話し、あるいは雇い主が弁護士のところに連れて来たのですが、こうした親族あるいは周辺助け合い風土が消滅してしまう社会はどんな風景でしょうか?
中高年者でも2〜30万円の一時的なお金を出さねばならない時に、これすら用意出来ない困窮者がいます。
これは言うならば人生競争の敗者に限定されるでしょうが、世代別に見ると若年層の場合、将来のエリートでもほとんどの場合まだまとまった資金の蓄積がないでしょうから、ちょっと困ると(将来のエリート候補生が傷害事件など不祥事を起こすことは滅多にないでしょうが・・・)
いろんなことに関して相談出来ない・・・例えばお金に困れば親や親戚に相談出来ず、サラ金に走るしかない時代が来たと言うことです。
昭和50年代から消費者金融が爆発的に広がった背景でもあるでしょう。
結婚相手も就職先も自分で探すしかないし・・・年齢に応じた智恵が必要な分野は今でも多くありますが、こうした年長者知恵者の協力を得難い時代です。
(その分、周りに聞かなくとも良いようにネット検索が発達しましたが・・・ネットだけでは、就職情報も結婚情報も上っ面しか分らないのが原則です)
若者全般及びその他世代の弱者が周辺から援助を受けにくくなって来る・・・・逆から言えば、若者の独立性が高まったと言うことですが、恋愛自由や思想表現の自由の恩恵を受けるのはそれを使いこなせる能力のある優秀な人だけだと繰り返しこのコラムで書いて来ました・・・。
みんながみんな自由にやれるだけの能力が高まっていれば良いのですが・・・自分で何もかもやれる能力のない人(これが大半でしょう)にとっては、「あんたの勝手だよ・・」と放り出されるのは不幸な話です・・法的あるいは各種サービスから取り残される時代が来たことになります。
若者が得た自由に対応する能力がないことが多いのに、親世代や成功者が「今の若い人には口出し出来ないから」と言う口実の元に若い人が困っていても周りで援助してやる習慣がなくなってしまい、放っておけば良いとする・・言わば中高年層が地位相応の社会的責務を果たしていない時代になった感じです。

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