原理主義の本籍(社会不満)3

一神教を前提にする欧米マスコミに毒されている・・受け売り体質の日本マスコミは、ずっと前から、頻りにスンニ派とシーア派の対立を前提に図式化して解説しています。
これに洗脳されて私もそう思ってきましたが、今回テーマに取り上げた機会に考えてみると宗教的な不満をかりに主張しているとしても言ってるだけではないかと思うようになりました。
これまでのイラン・イラク戦争や今回のイスラム国にしても、石油利権等に絡む紛争が中心であって、部族や居住区域や国境線で言えばどちらか問と言えば宗派の違いがあったでしょうが、モロに宗派の価値観対立に基づく戦争ではありませんでした。
アフガン内で長期化している権力闘争・・ゲリラ勢力間の主導権争いを宗派の対立に図式化しても意味がない筈です。
信玄と謙信の繰り返された合戦を、それぞれが信仰して来た宗派戦争と図式化するのが間違いであるのは誰も分るでしょう。
上杉謙信や武田信玄は領民の支持を引きつけるために毘沙門を信じたりして、宗教心を利用して来ただけです。
信長だって、乾坤一擲の桶狭間の決戦に向かうに際して、部下の勇気を鼓舞するために熱田神宮で祈願するそ振り?をしています。
1昨日、叡山と園城寺の山門と寺門の長期紛争を書きましたが、これは世俗の利権争いでしかなかったのと同様で、イスラム教国や部族同士の紛争を何でも、欧米式宗教戦争の経験に結びつけるのは誤りです。
欧米の宗教戦争は宗派の争いに領国支配権争いが加わったものですが、アラブの紛争は利権争いに団結するために宗派の違いを利用しているだけでしょう。
今回のイスラム国は、国や部族単位の争いでなく、イラク国内とシリアにまたがって領域支配を始めたので、如何にも宗派の違いのように見えますが、西欧による侵蝕に対する危機感を持った人が徒党を組む名分として宗教を利用しているだけのように見えます。
中国歴史で見ても社会に対する不満分子が中国清朝末期に太平天国の乱を起こしたりしていますが、彼らはキリスト教徒が不満を持つようになったのではなくキリスト教が当時の世相に対する不満分子の凝集剤になったに過ぎないと見るべきでしょう。
白蓮教の場合、白蓮教徒として元を追い出した明の朱元璋は政権奪取に成功すると危険思想として白蓮教を禁圧しています。
戦後、西洋の歴史図式を無理に日本の経験に結びつける歴史教育がはやっていたことをこのコラムのあちこちで批判してきましたが、アラブ諸国のテロその他で西欧的(進んだ)価値観に反抗する傾向を、極右とか、原理主義と表現して如何にも遅れた宗教意識によるかのような図式化は問題です。
仮にイスラム教内で宗派間戦争をしたがっていると言う西欧の理解が正しいならば、1度はイスラム教同士の宗派戦争をやりたいだけやり抜いて痛い目にあわないと分らないのではないでしょうか?
(もしも本当に宗派間闘争の原理主義闘争ならば、余計な介入しないで、やれるところまで(お互い疲れるまで)ヤラした方が結局は近道です。
最近原理主義運動やテロ活動が激しくなる原因に戻ります。
昨日から書いているように本当は宗教戦争ではなく正しいことかも知れませんが、価値観の押しつけが過ぎていることに対する単純な反発・あるいは世俗的不満の蓄積・・鬱憤晴らし行為に対して、どうやって大義名分・自己表現して良いか分らないことから、宗教の名を借りて騒いでいるように見えます。
テロ組織・「イスラム国」に参加しようとする日本人や欧米人が続出していますが、(4〜5日前に韓国人がイスラム国兵士になったと言う韓国政府発表があったようです)彼らは、元々のイスラム教徒ではありません。
要は強力な宗教意識による不満ではなく、その前にあちこちの社会に不満が内向している人がいて、不満を吸収する・・あるいは暴発するべき強力な磁場を求めてイスラム教徒に改宗して参加して行く状況になっていると言うべきでしょう。
(仮にイスラムの教義を守れと標榜していても宗教不満から始まっているのではなく、順序が逆です)

原理主義の本籍(1神教)2

西洋では長い宗教戦争の時代を経て漸く理性の力で信教の自由を相互に認めあって、殺し合いをやめることにしましたが、これは理性の力によるものであって、1つの価値観だけが正しいと言う基礎精神・心情はそう簡単に変わりません。
日本では権利だの革命だのと言う前の古代からお互いいろんな考え方があると言う意識でやって来た・・心底相手の違う考えを認める社会です。
私の場合、好き勝手な意見をこのコラムで書いている代わりに、読者が賛成してくれても、賛成してくれなくとも、私は気にしません・・好きなように読んでくれたら良いし、勿論読まなくとも良いのです。
2月17日に午前中の東京高裁事件を終えて、日比谷松本楼で妻と食事してから日生劇場で同性愛カップルをテーマにした(80年代にブロードウエー初演大ヒットしたとのことですが)・・のミュージカル「ラ・カージュ・オ・フォール」を見てきましたが、「何で関係ない他人が他人の同性愛に反対するのか、アメリカ社会は窮屈な社会だなあ」と思いながら見てきました。
勿論ミュージカル自体は男性中心スタッフで、ダンスには「切れ」があって、楽しかったですよ!
「アメリカの思想は窮屈」と言えば、アメリカが自分が良いと思っている民主主義とか人権など、一定の価値観が良いとなればこれを世界に押し付けたがる点も、余計なお世話ではないでしょうか?
欧米では宗教戦争を漸くやめて〜市民革命を経て違った価値観を認めることにしたとは言え、考え方の基礎に一神教の価値観が残っているから今度は「民主的でないと行けない」と世界中に強制しようとしています。
他方、ソ連は共産主義が良いとなればこれを世界に広めようとしてコミンテルンを結成して布教?に努めた結果、いわゆる米ソ冷戦が起きました。
要は一神教の原理から逃れられず、どちらの生き方が良いかの決着を付けるためには戦争まであり得る前提でしたから、一種の第二次宗教戦争の意識で双方で頑張って来たことになります。
アラブ諸国では、1神教のままで、西洋のように宗派の違いによる宗教戦争の時代すらまだ経験していません。
ところで、イスラムの教えはダウ船の発達による商業活動の広がりにあわせて広がって行ったことを以前書いたことがありますが、(アラブの本拠地に比べてインドや湿潤な東南アジア諸国とは、気候風土が全く違いますので、硬直した教えでは広がらなかったと思われます)キリスト教のように異教徒に対してさえ排他性が少なく、寛容な宗教なので、ましてや宗派間のちょっとした違い程度で殺しあいの紛争が起きなかったのではないかと思われます。
この辺は日本人が宗派の論争にあまり価値を置かない・・一見無宗教のように見えるのと根が同じ・・通じ合えるのではないでしょうか?
日本人の場合、「郷に入りては郷に従え」と言うように「所変われば品変わる」と思うのが普通で、他所の国に行けば「へえーそんなこともあるの!」と違いに驚いて面白がるくらいが関の山で、気候風土の違う行った先で日本の価値観を押し付けたいと思う人はあまりいないのではないでしょうか?
日本列島は南北東西に長いので、行く場所ごとに気候が違えば同じ作も持つで作る時期順序も違うし、違った産業(山村から海岸に出れば漁業があるなど)作物があるので場所が違えば生き方が違うことが古代から自然に身に付いています。
行った先の気候にあった生活をするしかないのは当たり前のことで、現地社会に溶け込むように努力している・・目立たないことが生きる智恵ですから、移民先で日本人街を作りません。
このように考えるとイスラム教徒は意外に日本的価値観に近いかも知れません。
今原理主義が勢いを持って来たのは、あまりもキリスト教的価値観による侵蝕・押し付けに危機感を持った若者が出て来たことによるのでしょう。
日本であまりにも韓国・中国による激しい日本に対する攻撃に対して、一部日本人に嫌韓・嫌中感情が芽生えて来たのと同じ構図です。
これをマスコミは日本や先進国では極右とか極左と言い、アラブでは原理主義とレッテル貼りしているだけのように見えます。
アラブ諸国の騒乱をイスラム原理主義勢力によるとマスコミが定義付けしていますので、皆さんもそのように理解していると思いますが(私もこのテーマで書き始めるではマスコミの言うとおりに誤解していました)が、まだ内部宗派間対立による激しい戦争まではやっていません。
原理主義だとか極右・極左と相手を貶めるレッテル張りだけでは、モノゴトの本質が見えないことが分ってきました。

原理主義の本籍(1神教)1

原理主義者の支配する「イスラム国」と言っても彼らのモットーは原理主義ですから、少しでも違う意見を全く認めない・・一切妥協出来ない以上は、内部対立の激化→引き締めは恐怖政治しかあり得ないので、長期的な統治は無理があって、(スターリンのような特殊人材が出るかどうか次第です)一定期間経過で内部からどうにもならなくなって行くのが目に見えています。
古来ジャコバンであれ、なんであれ恐怖政治が長く続いた例はありませんので、放っておけば自滅することをいじりまわして問題を大きくしているのが欧米の介入政策です。
ただし規模程度やタマタマ内部人材次第でスターリンのように長く続きますが、それでも放っておけばソ連のようにいつかは自壊します。
ソ連の恐怖政治はすごく長くて永久化したように見えましたが、結果から見ると革命後でも6〜70年しかなかったのですから、私のような高齢者になってみると「たったの70年もなかったのか!と言う感じになってきました。
我が国がアメリカに支配されている戦後の欺瞞秩序だって、いつの間にか70年もたつと無理(噓のほころびが目立つようになります)が出て来たので、安倍総理の70年談話内容がどうなるかを世界が固唾をのんでみているところです。
恐怖政治の寿命に戻しますと、もしも放っておいて長く続くものならば、ロシア革命後の白色テロや赤色テロに対する列強の介入・・シベリヤ出兵のように外野から介入してもどうなるものでもありません。
ロシア革命後のソ連の恐怖政治はスターリン死後急速に内部崩壊が始まって行ったのであり、介入によるものではありません。
(フランス革命に対する周辺国の介入も、何の効果もなく、却ってナポレオンが誕生しました)
北朝鮮はアメリカを中心とする敵視政策によってハリネズミのようになっているので、却って無茶な独裁体制が存続出来ていると見るのが普通でしょう。
ところで、世界中で左右を問わずに過激思想・・原理主義的主張や行動が増えて来た・・あるいは目立つようになって来たのは、イスラムで言えば世俗化の進行に不満を持つ少数者を生み出したことに原因があります。
詳しくは知りませんが、キリスト教の一派◯◯教徒のように自分たちだけで特定教義を信じて山奥で生活している分には無害ですから、偏狭な意見でも何でも放っておけば良いことです。
ベジタリアンであれ、◯◯愛好家であれそのグループが勝手に愛好してる分には何の害もありません。
(犬好きも猫好きもそれぞれが大会を開いて満足していれば良いことですが、喧嘩までする必要がありません)。
自分の考えや好みを他人に押しつけたがるおせっかいな人やグループが厄介です。
「山登りやスキーが楽しい」からと登山したくない人に、強制したり登山出来ない人を貶めたり迫害するようになると迷惑でしょう。
西洋系宗教関係者(日本の場合日蓮系・・折伏と言うおどろおどろしい用語を使います)は布教と称して、特定思想や行動様式を「これは良いぞ!」と押し付けたい傾向の人が多いからトラブルになります。
それだけならまだ良いのですが、考えや行動様式が違うからと他者に強制したくなるだけではなく、意見が違うことを理由に殺し合いまでしたくなる点が一神教徒の異常性です。
我が国で◯◯宗と言っても、佛教典の中のどのお経を中心に考えるか(華厳宗・法相蹴・真言宗・法華宗・・)と言う一種の学問系列的要素が濃厚です。
佛教は知識や文化の導入便宜として利用して来たことを書いてきましたが、宗派と言っても法学部、経済学部程度の違いでしかないことになります。
昔から高僧はいろんな宗派の寺院を渡り歩いていろんな勉強をして来たのは、(この勉強はこの寺院で・・)学問の場所と言う意識によります。
宗派対立で、人殺しまでしなくてはならないような意識はありません。
三井寺と叡山の「寺門山門」の争いは、宗教の争いと言うよりは世俗的利権争いと見るべきでしょう。
そもそも異教徒なる日本語は昔から存在しなくて、西洋語の翻訳として入って来たものではないでしょうか?

テロリスト1と原理主義6

どこの国・社会にも、少数ではあるものの社会に対する不満の結果、一定数の過激思想の持ち主がいます。
社会に不満な人は一定数いるもので、その比率を下げることは可能でも、皆無にすることは困難ですが、昔は少数者や精神障害者が暴発してもすぐに取り押さえられて大した結果になりませんでした。
※最底辺の人だけが鬱屈しているのではなく、東大受験に落ちた人・・東大や一流企業に行ってもそこで落ちこぼれた人など各階層ごとに鬱屈した人は一定数います・・これがオーム真理教事件グループ内に一定のエリートがいた原因です。
要は個々人の精神の持ちようの問題が基本ですから、政治がうまく行っていれば鬱屈した人が減るものではありません。
アラブ諸国で過激思想の持ち主が仮に数%しかいなくとも、これが武装して過激行動に出ると厄介です。
先進国でアラブ原理主義に共鳴する人がかりに0、00何%しかいなくても、この僅かな人がイキナリ銃乱射事件や爆破を起こすと大変なことになります。
テロの脅威が高まったのは、始皇帝を狙った刺客列伝に出て来るような刀槍の時代に比べて、極端な少人数(100万対一人の戦いでも死を覚悟しての不意打ちの場合)でも火力が大きくなっていて大変な威力を発揮出来るようになったことに原因があります。
物理的威力・結果としては昔と大して変わらなくとも、平和社会になった反動で、1〜2人の殺傷でも、安心社会に対しては大きな衝撃を与えられるようになっています。
日本は平和な社会に慣れ切っているので、比例してテロに対する抵抗力が精神的に弱くなっています。
イスラム国のテロ組織に殺された日本人は2人しかいませんでしたし、しかも遠くの危険地域へ自分でへでかけて行った人でしたが、日本社会に与えた衝撃が甚大だったのです。
しょっ中あちこちの殺人事件や交通事故が報道されるので、「最近は物騒な世の中で困りましたね」と言う人がいますが、刑事事件統計では凶悪犯や交通事故死はもの凄く減っていることを大分前に統計表をコピーして紹介したことがあります。
昔は問題にならなかった北海道や九州のちょっとした事件や交通事故まで、東京で繰り返し報道するから、しょっ中事件があるような印象を受けるだけです。
「物騒になった」とか、「うっかり子供を遊ばせられなくなった」と言う人は、客観的事実を言っているのではなく、最近の「安全安心社会」を前提にちょっとした危害にも敏感になり耐力がなくなっているから、不安感を強調していることになります。
人間は暖かくなれば、たまにちょっと寒いと厳冬期より暖かくっても寒いと感じますし、その置かれた環境を基準に生きているものです。
しょっ中目の前で人殺しや強盗に遭っている社会では、ちょっとやそっとの犯罪に遭遇した程度で驚きません。
報道写真家の行動を見ていつも疑問に思うのですが、アフリカで裸足で歩いている子供は生まれつきそうした環境で育っているので、こちらの基準で可哀相と言って報道したり、クツや衣類を持って行って配る必要があるでしょうか?
現地の産業興隆の底上げに協力するならば意味がありますが・・衣類や食糧を配ることほど意味のないことはありません。
暑い国の人は可哀相だ、寒い国の人は可哀相だと言うのと本質は同じで、それぞれその環境が慣れていていいから極寒・炎熱の地で生きているのです。
紛争地域の子供は貧しいだけのアフリカの子供よりも悲惨なようですが、彼らも長年続く紛争やテロの現場を見聞きする環境で育っているのであって、日本の環境と比較して可哀相だと言って写真を撮りまくっているのって、上から目線っぽい感じがしますが、そう思うのは私だけでしょうか?
命をかけてテロの現場に入り組んで報道する人がいないと彼らの悲惨な現状が世界に伝わらない・・立派な行動をしていると賛美する印象のマスコミ報道が一般的です。
昨日書いたようにテロリストは一種の愉快犯ですから、世界に大々的発信してもらう方がやりがいがあるので、耳目を引くやり方をとっています。
彼らは政治支配する目的がない・多数の支持を必要としていないのですから、あっと驚くような残酷さなど大げさにアッピールすることが楽しみであり、目的でしょう。
こう言う手合いは、実は彼らの要望に応じて大々的な報道しないで放っておけば(政府・国際機関としては情報収集するのは必要ですが・・)自然消滅してしまうしかない運動体です。

原理主義と利害調整5(未成熟社会2)

現政権打倒を叫ぶ原理主義勢力は、現政権に反対している点で一見民主主義勢力のように見えますが、目的とするところは逆です。
軍事政権が欧米価値観と妥協して少しずつ戒律を緩めて自由化していることを批判しているのですから、彼らが政権を取れば、正面から原理だけ・・即ち一党・1神教独裁(イスラム諸宗派内でも、より純粋?硬直的教義実行を主張しているのですから、一応西欧的信仰の自由などを認める妥協的軍事政権や王制よりも、もっと偏狭な政権となります。
「文句を一切言わせない・原理の修正を一切しない結果→強権政治を!」と言うのが、原理主義運動の本質でしょう。
イランのパーレビ国王の専制体制を転覆したのはアメリカのカーター大統領の人権外交の成果?でしたが、実際に政権を取った原理主義者は、政教一致の原理主義で厳格な戒律が復活して(女性は外に出られない・スカーフの着用強制など)却って国民は不自由になってしまいました。
原理主義のママでは現実政治を(紅衛兵運動みたいな吊るし上げ・・恐怖政治は長続きしません)長期的にやって行けないので、その後徐々に穏健派が勢力を増やしていますが、もとの王制で得ていた程度の自由を復活するには数十年〜50年単位の時間軸で、かかるかな?と言う程度です。
それでも欧米の強制・押しつけられた結果より、自分たちの実力で選んだ政体の方が幸せと言う価値観で国民の不満を慰めているのでしょう。
民族は、自分たちの能力に応じた政治しか出来ないと言うところに落ち着くしかないようです。
イラクのフセイン大統領の圧政から解放した筈のイラクでは、収拾がつかなくなっているし、アフガンでも同様です。
数年前のチュニュジア、リビアに続くエジプトの政変では、民主化?された結果、信教の自由をある程度守っていた政権の重しが取れたことから、キリスト教徒に対する差別や迫害が始まっていたようです。
4〜5日前に起きたリビアでの、テロリスト「イスラム国分派?」によるエジプト人のキリスト教徒大量処刑事件は、エジプト騒乱・・民主化デモ以来の迫害から逃れるためにキリスト教徒が隣国リビヤへ出稼ぎに出ていたことが、事件発生の背景のようです。
事件は単なる政治闘争である「イスラム国」の過激事件と言うよりは、元々宗教原理主義=異教徒に容赦ない本質があぶり出されたことになります。
世俗政権であるエジプト軍事政権は、欧米の支持が欲しい以上はこれに報復攻撃するしかないのですぐに空爆で報復したのはこのような背景があるようです。
関係のない日本人人質処刑などで「イスラム国」が敵をドンドン増やして行くのは、一見愚策のように見えますが、元々彼らは多数の支持を得ること・・正義を目的としてはいません。
テロリストはテロで騒ぎを起こすのが目的・・一種の愉快犯であって、恒久的政権・・国民支持が必要な領域確保まで望んでいないのですが、たまたまイラクの元フセイン政権の残党(元軍人)がこの主力となっていることからか、「イスラム国」として一定の支配地域を確保したことで事態対応がややこしくなっているだけです。
テロリストの本音から言えば、支配地確保・・自分でいろんな意見を吸収しながら政治することに関心がなく、テロリストはテロすることが自己目的です。
テロリストがての結果一定の地域を支配してしまうと、その地域でテロする訳に行きません・・精々イキオイに乗って残虐性政治しかないのですが、それでは続かないし支配下の弱い人間をいたぶるだけでは面白くないでしょう・・。
昔から山賊は気まぐれに出没している程度だからやって行けるのであって、その集落や地域支配者になってしまうと必要な政治能力がありません。
彼らの本質は支配地を持たずに、第三者の支配地で騒ぎが大きくすればなるほど・・権威に挑戦することが楽しいのであって、対キリスト教の宗教戦争に広げて行けば、当面アラブ全域で自分たちの影響力・騒ぎを広げて行けると読んでいるからでしょう。
この辺・・テロ組織イスラム国主力の元フセイン軍残党の方は領域支配に関心がありますから、騒ぎを世界に広げて行くと折角の支配地域維持確保が出来なくなるので、拡大策への不満が生じて来て・・意見が割れて行くと思われます。

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