社会保障や国債と世代間損得論3

国債の日銀引き受けは、満期が来ても日銀がまた引き受ければ良い・・永久に返済不用の国債ですから、債権の株式化の一歩です。
実は・・企業の社債も満期借換債発行の繰り返しで、事実上元本返済をし予定していない点は同じ・・国家破綻しない限り過去の旧発国債保有者は無期限保有出来るようになったと見るべきではないでしょうか?
日銀引き受けは事実上無期限国債と同じですから、政府にとって将来何のリスクもありません。
私の上記理解が正しいと断定する自信がありませんが、今の学問では分らないからと言って何でも反対するのって、責任がある立場の人としては仕方がない(何とかなるのじゃないの!とは言えない)とは言え、発展性がない印象です。
日本の消費税論議の1つの論点でもありますが、景気に硬直的な消費税が占める比重が上がると、景気変動に税収が左右されない・・税収弾性値が低いので財政の安定性を求める財務省が、景気変動に関係の少ない消費税にこだわる傾向があります。
逆から言えば不景気で国民・経済界の所得が減っても、税だけ多く取られるシステムはおかしい・・不景気で収入の減ったときには消費材の価格も下げて欲しいのが普通の景気対策ですが、付加される税率がそのままと言うのは納得出来ないと言う反論も然りです。
財政の立場から言えば不景気のときこそ財政出動のために財源が必要・税収を上げねばならないと言うことでしょうが、民間からすれば不景気で収入減でも税が変わらないのでは変な気持ちがします。
トランプ氏の法人税減税や大規模インフラ投資の選挙公約の財源をどうするのかと言う説明がない点で、実現性が危ぶまれているのも同じ原理です。
財源手当てないまま減税すれば、政府機関の支払不能・政府機関の閉鎖になり兼ねません。
この辺は、消費税でない所得税や法人税でも同じ・・財政政策の財源を税収に基礎を置く限り、景気が良くなれば税収が上がるから消費増税する必要がないと言う意見でも無理がある点は同じです。
不景気が永久に来ないと言う前提ならば分りますが、「景気を良くすれば税収が上がるから消費税を上げる必要がない」と言う意見によれば不景気が来たときに(不景気で税収が下がるから元々の固定経費にも足りなくなる外に不景気対策の財政投入資金が必要でダブルで資金不足になってこの穴埋めのために)大幅増税するのか?と言う矛盾があります。
「消費税を上げて景気を失速させて税収を減らしたら元も子もない」・・「角を矯めて牛を殺すな」と言う程度の意味では正しい意見ですが、いつかは不景気が来るのですから、それに対する備えとしては論理が破綻します。
ここでは、政府対国民の被害者意識で書いているのではなく、経済原理から言っても多分この素人的感覚・・「税金で何もかも賄う発想」そのものに無理があると言う感覚が重要でしょう。
この隘路を打開するために不景気のときに経済にカツを入れるための出費は、税で市場から資金を吸い上げるのでは余計不景気になるので、赤字国債で賄うという現実的発想が生まれて来たのです。
そして好景気のときのその穴埋めをしないなままにすると国債残高が膨らむ一方になります。
学校秀才・既存学習論理から言えば政府財政赤字=大変なことになると言う赤字国債・紙幣大量発行は鬼っ子ですから、経済官僚とその意を受けたエコノミスト総出で「異次元緩和」を批判している構図です。
アメリカ連銀もこの妥協を迫られて一刻も早い異次元緩和の脱却に追われています。
ベネズエラ危機が起きたのは、政府の負債が大きいからではなく、ベネズエラの国家・社会の購買力を負債が超過した・・購買力がなくなったことによります。
現在のハイパーインフレとは、購買力がないから他国が売ってくれない・その国の通貨ではどこも両替してくれない・取引してくれない・・物資不足でいくら国内紙幣を印刷してもその紙幣の国際的信用がなく・・ドルや円などの国際通貨でないと売ってくれないのですが、その外貨を手当てする資金がない・・国内紙幣を印刷しても食料品を生み出すわけではない状態を言います。
政府は社会構成の1主体に過ぎませんから、政府発行の国債残高の絶対額やGDP比には意味がなく、デフォルト危機・ハイパーインフレリスクは、民族国家全体の経済力・・国際収支上の対外債務が支払えないときに起こるもので国債の発行残高とは何の関係もありません。
我が国は世界1の純債権大国です。
ネット空間でも既存論理を前提に現状批判している評論が多いのですが、国債悪玉論だけはなく対中、対韓批判であれ何であれ既存論理煮しがみついている限り無理っぽい印象です。
旧来理論・スキームによる理解では中国の国有企業への財政投入の仕方では、・その内破綻すると言う論調が多いのですが、世の中はいつも動いてるのですから、新しいスキームで考えてどうなるかのかの検証・・意見が必要です。
中国が、赤字輸出の継続や無駄な投資が続く・・続けられているのは、中国大企業の多くが国有企業なので豊富な外貨準備の取り崩しによる下支え効果・ゾンビ企業温存策の結果と一般的に見られています。
ゾンビ企業温存・倒産先送りだからその内行き詰まると言っても、そのような先送りは先進国でもしょっ中やってきたことです。
好不況の波があるので、不況時に公共工事等に財政投資して需要の下支えをして倒産を防いでいるうちに次の好景気が来るのを待つ方式です。
いわゆるケインズ式需要喚起策と金融緩和の組み合わせで世界中がこれの採用で大規模不況や長期化を防いで来ました。
構造不況・・その業界の競争力がない場合には、一時的に輸入制限などで保護している間に構造改革しない限り破綻の先送りでしかなく税金の無駄遣いで意味がありません。
・これこそがゾンビ企業温存策で、アメリカの電気・鉄鋼業などが日本企業叩きで輸入制限してもその間に構造改革努力をしなかったので結局どうにもならなかった例です。
中国の場合、下支えているうちに構造改革に成功する努力があるか否かの検証をしてから未来があるかどうかの議論すべきです。
この努力をしないで「下支えだから直ぐに行き詰まる」とは言い切れません。
中国の将来は出血輸出その他死に物狂いで倒産先送りしている間に(低賃金に頼るこ企業モデルを中進国並みの高賃金?に耐えられるように)構造改革が出来るかによるのですが、日本からロボット購入額がうなぎ上りなっているのを見ると輸入制限で安心してしまったアメリカと違い意外に健闘している様子です。
数日前に中国資本が買収した「ボルボ」の例を紹介しましたが、したたかに高度技術吸収にどん欲な様子が見て取れます。
高度技術が身に付くまでの資金繰りのためには赤字輸出しかないなど・・無茶な行動が世界に迷惑を及ぼしていることは確かです。
中国に取って必要なこととしても、鉄鋼に限らず色んな分野で不当廉売輩出源となって、世界の経済を蝕むマイナス面も考慮すべきです。
中国は、世界に迷惑をかけないで構造改革をする大人の対応が求められていますが、中国は地域大国の歴史しかないので、国内政治の経験しかありません。
まだ世界でスマートな振る舞いをすることに慣れていない・・その結果として出血輸出が目立ちましたが、排出源と言えば、公害出し放題で金儲けさえすれば良いと言う態度とも共通しますが、近隣国は迷惑です。

社会保障や国債と世代間損得論2

話題が国債日銀引き受けからハイパーインフレの原因・金利競走に飛びましたが、国債に戻ります。
内部的リスク・・喩えば、国債に頼るとデフォルトの危険・収入以上に無駄遣いしてしまう・・債務膨張するかのような議論もあります。
これもベネズエラの例を見れば分るように債務超過国の例を超優良資産家・・喩えば、百億前後の資産家が、5〜10万円程度の日用生活品をカードで購入すると知らず知らずの間に無駄な買い物をして借金が膨らんで危険だと議論しているようなもので・・当面と言うか中期的には全く意味のない議論です。
今のところ、赤字国債発行が危険だと大騒ぎすること自体が何とかして日本の内政混乱させたいと言う?「ためにする議論の疑い・・」ではないかの疑いがあります。
官僚の立場を勘ぐれば、古代から続く徴税仕組みを守りたいと言う郷愁が、官僚を奮い立たせているだけではないでしょうか?
強制徴収の税の比率をドンドン下げて税の比重を最低限にして行き、何かのプロジェクトごと・・補助金ごとに国債で賄う比率を上げて行く・・特定目的の国債発行で信を問う方が納税者の意見反映が容易で合理的ではないかの意識でこのシリーズを書いています。
プロジェクトごとの国債が各分野に広がると社会保障税も出来るだけ民営化して行く・・民間保険に委ねる方向に繋がるでしょう。
飛行機にエコノミーからビジネス、ファーストクラスがあるように、保険加入レベルに応じたサービスがあってもいいように思えます。
強制徴収による公営保険は最低限の医療や介護を保障するもので良い・・最高レベルの医療まで含めるのは社会保障の枠組みを越えています。
国債の場合、払いたい人に払ってもらう・・その代わりいつでも返す・・市中売却による回収仕組み・・評判が悪いと市中売却値が下がる・この評価システムが何故悪いのか不思議です。
官僚や為政者にとっては税の強制徴収・税率さえ決めてしまえば、税の場合何に使おうと事実上勝手です。
(国会審議が間接的にあるだけ・保険で言えば、給与天引きの保険料率さえ決めればその先何を保険適用にするかは審議会で決める・・国民の直接意見は無視出来ます)
強制出来る税や保険方式の場合、個別政策に対する市場評価を無視出来る便利な点が好ましいのでしょうか?
5月4日の日経新聞5p「中外時報」で地方自治70年のテーマの記載を読むと、大規模施設建設などの場合に住民投票制度創設案を総務省が作ったが自治体首長の反対で立ち消えになっている例が出ています。
(博物館・美術館学校設備ではリターンは無理がありますので、十字軍遠征のファンドやスエズ運河開設のように目的別国債と言うわけにはいかないでしょうが、非営利分野は神社仏閣の新造営のために行なわれてきた「勧進」のように篤志家の寄付で良いのではないでしょうか?
寄付や国債の任意購入に頼るには、所得税を安くして寄付出来る程度の資金余力を国民が持てるようにする必要があります。
町内会館の建設資金や、近所の私鉄駅の改造請願のために私も微力ながら応分の寄付をしましたが、全て税で賄うよりは出したい人が出す・・合理的です。
株式や社債を買いたい人に買って貰う・・途中換金したければ市場で売って回収出来る・・政府の国債も企業同様に政策に信用があれば優良株式同様に買って貰えるし、売買の対象になるべきでしょう。
社債発行するとその企業に借金が残り将来が危険と言う人がいないのに、(社債集めた資金で何に投資するかが重要であって社債の規模そのもを「悪」とは言いません)国債を社債と何故違った目で見るのかの問題です。
市場評価を経ていない税よりは・・将来の心配・・社債・国債のリスクは買った人の自己責任の問題です。
まして全量日銀引き受けになって行けば、民間の購入者がいないので暴落による損が起きません・・結局は日本の円通貨の信用性問題に帰して行くでしょう。
通貨の信用性は国際収支の長期的結果によるのであって、国債発行残額によるものではありません。
財務官僚が将来が心配・・と必死になるのは、税で取る方が便利で民間に頭を下げる必要がない・・と言うに帰するように見えます。
税金の場合には、過去にいくら多額納税していても何の実績にもならない・コマたっときにその一割も還付してくれるわけではありませんが、軍功があれば子孫まで領地保障してもらえたようなギブアンドテイクがありません。
国債購入で貢献しておけば豊かなときにはそのまま保有していて、イザとなれば子孫の代でも売却回収して生かせるメリットがあります。
寄付した人には応分の名誉が刻まれる・その程度で良いのです。
良い政治をしていれば、投資した国債をお金にして欲しいと言う人もいても、もっと買いたいと言う人の方が増える・・株式相場と同じで何の心配もない筈です。
政治に緊張感を持たせるには国債相場で使い道を監視するのが合理的です。
日銀の国債引き受けは相場の影響を受けない・・民意無視出来る点が、これまで書いて来た効用とは違って来ます。
日銀引き受けが常態化し、且つ新規発行国債だけはなく既発国債の市中売買にもアタマを突っ込むようになると、市場評価・市場性が完全になくなります。
満期が来てもその借換債を際限なく日銀が引き受けるようになると、政府としては有期限の国債を無期限化した・・政府が紙幣発行権を取得したのと同じです。
紙幣発行権を乱用することがあるとハイパーインフレになると言う心配が旧来理論ですが、私はそうは思っていません。
何回も書いて来ましたが、供給不足の場合に紙幣発行を2倍にすると価格が2倍になる論理ですが、供給過剰下では紙幣だけ増やしてもより多く買いたい人は滅多にいない・・どこの社会にも貧しい人がいますので、少しは購入量が増えますが、先進国ではその程度では工場増産+輸入の容易な現在では増産処理で間に合ってしまいます。
だからいくら紙幣発行しても豊かな社会では物価は上がらない・・その紙幣は円キャリー取引(日本は世界最低金利ですから日本で借りて海外運用したら利ざや分だけ簡単に儲けられる)によって、国外に流出して行きます。
これが資本収支上「円」の流出を通じて円独歩高を防いでいる仕組みですし、アメリカの貿易赤字によって流出したドルがアメリカ国債購入を通じて還流・ファイナンスされている関係です。
中国の場合、自国の経済力を反映して当然アメリカ国債より国内金利が高いのですから、アメリカ国債を買うのは逆ザヤですが政治力学上+人民元を割安にするために無理して買っていた損な関係になることも大分前に紹介しました.。
以下は16年10月までのデータですが、アメリカは0、5%中国は4、35%で約4%以上の逆ざやです。
国債や銀行金利と基準金利とは同じではありませんが、ほぼ比例して行くとすれば、仮にアメリカ国債を1兆ドル保有するだけでも年間400億ドルずつ利息で損をする関係です。
chuugokuhahttps://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
「アメリカの政策金利の推移(2010年~2019年)です。
1月   2月   3月    4月   5月   6月   7月   8月   9月   10月   11月   12月
2016年  0.5   0.5   0.5   0.5   0.5    0.5   0.5   0.5    0.5   0.5
2015年  0.25  0.25   0.25  0.25   0.25   0.25   0.25  0.25   0.25   0.25   0.25   0.5
2014年  0.25  0.25   0.25  0.25   0.25   0.25   0.25   0.25   0.25   0.25   0.25  0.25

中国の政策金利の推移


中国の政策金利の推移(2010年~2019年)です。
1月     2月   3月   4月   5月   6月   7月   8月   9月   10月
2016年  4.35    4.35   4.35   4.35   4.35   4.35   4.35   4.35  4.35   4.35
2015年  5.6     5.6   5.35   5.35   5.1   4.85   4.85   4.6  4.6    4.35   4.35  4.35
2014年  6     6     6    6     6    6    6    6    6    6   5.6   5.6

社会保障や国債と世代間損得論1

各種社会保障負担に関して「次世代が損をする」と言いますが、元々親のいなかった子供はいません。
社会保障制度がなくとも子は親の老後や最後を見るのが、人としての勤めではないでしょうか?
年金や高齢者医療制度は子のいない親はいても親のいない子はいない・・自分の親を見るべき分の一部を既に親が死んでしまい今は親のいない同世代に負担してもらっているだけのことです。
不公平と言えば若い頃に親が亡くなった人とまだ親が生きている人の間の不公平程度のことかも知れません。
現在の年金赤字や高齢者保険赤字は、個々人が自腹を切る分を減らして行き、高齢者保険や年金支給に切り替えて行く関係・個人・親子負担から社会負担に切り替えていることによっています。
お金持ちと貧乏人と差が最大化するのが老後生活ですが、この差を社会保障制度の普及でなくして行く・・最低保障して行くと、そのレベルをどこに置くかによって、制度赤字が起きて来ます。
僅か5〜10万円の手術費を出せなくて命を落としたり身障者になるのでは可哀相だと言うことから始まって、保険で無料の範囲が15〜20万・・50万円に広がり今では透析や1ヶ月300万円とも言われるオプジーボのように、自己負担を前提にすれば億万長者でも無理があるような高額治療まで、誰もがほぼ無償で受けられるようになると国民平等負担の限界が来ます。
メデイアは社会保障制度は痰述べ原因を高齢化に求めて世代間対立を煽っていますが、財政破綻の原因はどの程度まで社会保障すべきかの肝腎の議論をメデイアがきれいごとごとばかり(「お金のない人は死ねと言うのか」式のきれいごとばかり言っている・肝腎のテーマを避けるところに現因があると言う意見をオプジーボの高額性が問題になった2016/10/08「大義を滅ぼす小義の強調2」のテーマで書きました。
生活保護もその基準を高額所得者の基準にまで上げて行けば、財源が破綻します。
学校教育の無償化などは、どの段階までお金をかければ次世代の社会貢献力アップの期待によって別の基準・・どの程度の教育をすれば、どれだけの効果があるかの厳密な判断が別に必要です。
運動神経が鈍い私の例で言えば、無料化して際限なくスポーツや音楽の練習させられても意味がないと言う実体験があります。
その他の才能もそれぞれ向き不向きがあって似たようなものでしょう。
幼児期からの早期選別にお金を使うのは合理的ですが、これをしないで適性無視の大量訓練→大量養成・・大卒等高学歴者だけ増やす乱暴な政策では、人生を無駄にする人が増えるだけで財政的にも無駄な投資になってしまいます。
売れる商品を作る努力工夫をしないで、大量出店を先行してもその企業はつぶれてしまいます。
社会保障に関して世代間不公平を煽る意見は医療費から介護あるいは次世代教育費等の個人・一家負担から社会負担への切り替え反対論の言い換え主張ではないでしょうか?
個人負担と社会保障レベルの塩梅をどうするかに先決問題があるのに、これを避けて際限なくレベルを広げて行く無理が出て来ただけでしょう。
保育所充実や子育て支援あるいは教育費無償化推進は、子供のいない人にとっては損をする気分・・子供のいる人といない人の不公平感と同じ発想です。
しかし、子供のいない大人はいても親のいなかった人はいないので、世代間対立を煽る意見は無理があります。
国債であれ社会保障であれ全て不都合な事実があると「次世代が損する」と言う事実に反するキャンペインがはやっているのではないでしょうか?
「高齢者批判をしていれば安心」とばかりに馬鹿の一つ覚えのように今朝の日経新聞でも高齢者有利の政治がまかり通っていると言う意見が尤もらしく書かれていますが、親が自己利益のために子供に不利な選択をする親が何人いるか?・・自分の命を棄ててさえ子供を守りたいのが親の本能です・・社会実態無視・・原理原則無視の意見です・・。
生命保険で言えば、自分のために生命保険を掛ける人はいない・・(死亡後に受け取るものですから自分が受け取るメリットは皆無)死亡後に残った家族が生活に困らないように貧しい中から必死に掛けているのが普通です。
人の行動はすべからく死亡後の子孫のために考えて行きていると言っても過言ではありません・・愛国心・郷土愛全て子孫の生きて行く環境・共同体存続・連続を願う人の気持ちの表現です。
高齢者が死後の子孫の幸福を考えて生きているのが普通ですから、高齢者の投票率上昇と次世代が損をする意見と何故結びつくのか疑問です。
今流行の世代間対立論は、子供のいない高齢者が自己利益実現に動く可能性があると言う程度でしょうが、これは今後子のいない夫婦や生涯単身者が増えて来ると現実化する可能性があるでしょうが、今の75歳以上の世代で子供のいない高齢者はホンの一握りでしょうから、議論としては実態にあっていません。
子供のいない生涯単身者等が今後増えて来ると逆に「高齢化しても社会で面倒を見ます」と言う仕組みにしないと「子育て支援」教育その他の次世代投資型社会保障負担を嫌がるようになるので、このときになってかえって社会保障制度がどの世代のためにあるかの実態がはっきりする時代が来るでしょう。
次世代損得論で言えば、子供が一人前になるまでの親の負担+相続財産以上を子世代が親に返せている人が何人いるでしょうか?
税で収めると親が巨額納税したのが法の義務を果たしただけであって、その実績を全く相続出来ませんが、自発的な国債購入で収めていた場合には親の保有していた国債を相続するので政府に大きな発言権を相続する外にいつでも換金・回収出来るので(値下がりしてもゼロになることは滅多にないでしょうから)殆ど損もありません・・。
このように次世代に債務を相続させるのかと言う意見は、任意納付しなかった人の次世代が大きな顔を出来ないと言う意味の格差が再生産されると言う点・・巨額納税者とそうでない子孫が差を受けることだけでしょう。
これは親の功績をどの程度まで次世代に及ぼすべきか・・相続税負担率をどうするかで解決すべきテーマであって、赤字国債の問題ではありません。
日本国債の外資保有額が5%前後でほぼ安定(日本との日々の為替決済上その程度持っていないと決済資金に不安があるから保有しているだけ)ですから、その5%さえ別の資金があれば問題がありません。
対外純資産がマイナスになるとそれ以上の赤字国債を発行しても信任を得られない・・満期決済のための買い換え債を発行しても買い手がつかない・・満期国債の償還資金手当が出来ない・・取り付け騒ぎになるリスクがあります・・。
ユーロ加盟国では通貨発行権がないので、日本のように日銀引き受けが出来ない・・無制限通貨発行出来ない結果、国外からファイナンス出来ない限り取り付け騒ぎになります。
このファイナンスに応じるかどうかがECBとIMFの議論ですが、一定の緊縮財政を条件にして短期救済の繰り返し・・揉みに揉んでいるのが現状です。
これがこの数年大騒ぎになっている南欧諸国の債務危機であり、中南米諸国の場合、通貨発行権があるので、いくらでも紙幣発行して国内的には救済出来ますが、その代わり国内的には何百%と言う大インフレになり、対外的には、通貨の信用が失われて対外債務を払うべき外貨両替が成立しくなります。
何をするにもアメリカドルや日本円など国際通貨を入手しない限り何一つ輸入出来なくなるので、国内経済は無茶苦茶・・・事実上急激な鎖国状態と同じ・・北朝鮮みたいになっているのが今のがベネズエラ経済です。

世代間扶養説の誤り2

年金赤字の主たる原因は制度設計のミスですが、これを隠すために世代間扶養であるから、次世代の人数が減ったので苦しい、次世代の給与が少なくて納付金が少ないなどと今になって言い出しました。
世代間扶養説のまやかしについては9月12日にも書きましたのでその再論・続きです。
世代間扶養の具体的場面ををちょっと考えれば分りますが、成長が永遠に続き人口が永久に増え続けない限り無理な制度ですから、こんなことは最初から誰も本気で考えていなかった筈です。
年金制度開始当初の中高齢者は積み立てが少ないから次世代が負担するしかないという説明が多いのですが、加入したばかりで積み立ての少ない人に対する救済は税や生活保護で見るべきであって、加入者間の助け合いを基本とする年金で見るべきではありません。
年金保険は各人自助努力で積み立てた仲間だけでその結果を分かち合い受給するべきものです。
自分が積み立てても積み立てなくとも老後は貧しいから受給権があるというのでは、誰も年金を掛ける気持ちにならないでしょうから、貧しい人に対しては税や国債を原資とする社会保障でやるべきものです。
障害者は年金を1銭も掛けてなくとも障害年金をもらえる・・サラリーマン主婦も同様で、こうした社会保障的給付制度が多いのですが、こうした社会保障給付を年金に紛れ込ませていて(1銭も払わない人も受給出来る)年金が赤字だと言われてもまじめに掛けている人は納得出来ないでしょう。
こうした点が、本来の年金制度をダメにしているという意見を05/03/05「年金未納問題8(一般免除者)国民年金法 5」前後で書いたことがあります。
世代間扶養説は、障害者年金等と同様に年金保険の本質・掛け金を掛けた人同士の助け合いの本質に反しています。
世代間扶養説によれば、ある国で年金制度が始まった瞬間に、そのときの高齢者が積み立て始めると同時に次世代の積立金で十分な年金を受けられることになります。
年金制度未熟国では世間扶養しかない・・世界中でそんな思想がもしも妥当しているならば、中国でも韓国でもフィリッピンでもまだ年金制度が始まって年数が浅いので蓄積が薄く、高齢者が大変で自殺が多いと一報道されていますが、世代間扶養を主張する報道と矛盾していることになります。
世代間扶養説によれば加入後10日でも数ヶ月でも支給年齢が来れば、全額給付されることになるべきですから、その国で制度が始まったばかりかどうかは問題になりません。
始まったばかりはまだ一定期間(我が国で言えば25年)かけてないから、25年間掛けたことによる受給開始年齢が来ないと言うならば、25年かける期間に足りない中高年者は誰も掛け金を払う気持ちにならないからだと言います。
しかし、彼らも掛け金を払うような気持ちにさせるためには、その差額を(社会保障として)税で見るべきであって、開始当時の若者の掛け金で使ってしまうのでは、次世代加入者の積み立て金の使い込み・詐欺みたいなやり方です。
サラリーマンが集金の使い込みを隠すために次の集金を穴埋めに使う・・自転車操業みたいにやって行く予定が、売上減→集金額の減少で(年金の場合次世代加入者や納付金が減って来たので)やりくりがつかなくなって悪事露見という事件が多いのですが、似たようなことではないでしょうか?
ちなみにどこかの報道で読んだことがありますが、現在の積み立て金残高は、給付額の6年分程度しか残っていないとのことです。
25〜30年間年金を払い続ける予定とすれば、同期間分積立金が残っていないと計算が合いません。
差額20〜25年間分を長い間に少しずつ食いつぶして(集金員で言えば、使いこんで)来たことになります。
現役世代の給付金をそのまま年金給付に当てるならば、給付金額は現役世代次第ですから固定額を予め約束出来ない筈ですし、毎年の入金額をその翌年に全部配れば言い訳ですから、1銭も積み立てて来る必要がなかったことになります。
「毒食らわば皿まで・・」と言う言葉がありますが、世代間扶養説に悪のりして、この積立金があるから、これを財政赤字補填に使えば良いという説まで現れています。
元々年金積み立て・・積んで残しておく意味なのに、各掛け金納付者の積立金を障害者給付その他次々名目を付けてはつまみ食いして来た結果6年分しか残らなくなったものですから、これを25年分充つるまで再補充すべきです。
「6年分しか残ってないなら、世代間扶養ということにして全部使ってしまおう」という無責任な意見が堂々と出て来るのは、世代間扶養などと誤摩化しの意見が流布しているから誤解して出て来た意見です。
世代間扶養のつもりではなかったからこそ、何十年も積み立てて来たのに案に相違して次第に減って来たので(これまで書いているように設計ミスです)危機感を持って騒ぎ出したが、何十年も経過しているうちに僅か6年分しか積立て(蓄え)がなくなってしまったということです。
一生面倒見ますと言って給与天引きして財産管理していた人が無駄遣いした挙げ句に65歳になった人に対して「老後資金が僅か6年分しかありません・次世代に扶養してもらって下さい」と告白している状態が現状です。
世代間扶養とは各人の掛け金に関係なく次世代が負担したお金で見るということですから、掛け金に関係なく支払うと言い出したらそもそも社会全体で見るべきこと、即ち税で賄うのが筋になって来て個人の自由意思による積み立て方式である年金制度と矛盾してきます。

マイナス利回り6(世代間扶養のまやかし1)

そもそも世代間扶養というマスコミ宣伝からすれば、自分の積み立てたお金をもらうのではないことになりますから、金利想定がマイナスならば納付する気持ちにならないという議論が起きて来ません。
私の年金記録が6ヶ月だけ消えていて、「当時の集金人に使い込まれたのではないか?」と06/24/07「年金分割と受給資格3( 年金の行方不明事件2)」前後のコラムで書いたことがあります。
裁判しているのも面倒なので、「そんな程度のお金なら払うよ」となったときに、30年ほど前の納付金だから、単純な6回分ではなくその間の利息相当分らしき金額を払わされました。
国家公務員共済年金を司法修習生終了時に一時金受領で終了していたことが分って、貰ったお金を返して復活手続きをしたのですが、このときも約30年分ほどのどう言う計算か知らないけれども、利息相当分らしいものを払わされました。
こうした実務から言えば、世代間扶養であるから少子化で赤字になったとマスコミが宣伝しながら、他方で後払いしようとするとその間の利息をとる仕組みになっていることが分ります。
昨日紹介した日経経済教室の続きが今日掲載されていますが、そこでも金利設定5、5%に無理がある・あるいは年金基金とその他の利回りの二重基準が問題とも書かれています。
世代間扶養ならば現役世代に対する金利約束とは自体矛盾してきます。
そもそも国民が自分の将来のために積み立てる意識が基本にあるから、マイナス金利だとイヤになるし、後で遅れた分を払おうとすれば利息をとられても当然だと思うのです。
払う方の意識として遅れた分の利息を払うのに抵抗がないのは、自分の積立金意識があるからではないですか?
世代間扶養でも早くからみんな負担しているのだから、遅れて納付する分得をしているという理由で利息をとるのは矛盾する訳ではありませんが・・。
ただし、この場合運用利益がプラスになることを基本とした考えになりますが、自分で貯めておけないので、母親や国、会社に預かってもらうようになったのが年金制度の基本思想だとすれば、預けるのが遅ければ遅いほど預かってもらう保管料が少なくて済むことになります。
もしも今後ゼロからマイナス金利が普通の時代が来れば、高利回り保障を期待する人が減って来ます。
元々年金制度というものは、老後資金を自分できちっと貯蓄出来ない人の方が多いからこそ、年金制度が構想されて来たのです。
自分で充分な老後資金を蓄えられず「宵越しの銭を持たない」人たちにとっては利息がつかずある程度管理費用が差し引かれても、天引きしてもらって何十年もちびちびと貯めておいて貰った方が老後に助かる人がかなりいる筈です。
子供が働き始めたときに稼いで来たお金をそのまま持たしておくと使ってしまうから、将来のために母親が管理してやるようなことが、私の若い頃には普通に言われていました。
(とは言うものの、当時のマスコミ報道とは違って私の身近で現実に見たことはありません・・現場労務者や、スポーツ芸人関係者だけのことかな?)
母親が息子の稼いで来たお金を管理してやっている代わりに、社内預金や厚生年金や社会保険が発達して母親の役割が減りました。
年金制度は預ける相手を個人(長期の場合、個人では継続性に無理があります)から国や企業(企業年金)に変更しただけのことですから、それで良いのです。
使い込みしない安全性・継続性という意味では、生保年金なども充分な資格がありますから、(資金管理に関する外部監査制度の整備)国民は民間と国営のどちらかを選択出来るようにしたら合理的です。
世代間扶養でない限り、(私は世代間扶養などというまやかし論は全く反対です・物事は自助努力が基本であるべきです)結果的に年金制度は公営である必要がないという意見になります。
この意見は大分前に書いていたのですが、間にいろいろに意見が挟まって今日になっていますが、偶然ですが、今朝の日経朝刊の経済教室にも、似たような意見が書かれています。
世代間扶養であるにもかかわらず、納付しなかった人には年金受給資格がないのもおかしなことです。
こじつければ、親世代の扶養に協力しなかった人は自分も次世代から養ってもらえないという理屈もあるでしょうが、あまりにもこじつけが過ぎます。
やはり自分で納めた人がその見返りを受ける・・納付期間に応じた年金・・納付額に応じた年金と言うことでしょう。
親世代により多く貢献した人だけが(何の血のつながりも生前交流もなかった)次世代から、より多く受けると言う説明はあまりも迂遠で技巧的過ぎます。
世代間扶養説を身近な関係に戻すと、子供のいない単身者でも自分の親に孝行を尽くした人に対しては、周りの人が孤独な老後の面倒を見るべきだと言う関係になりますが、あまりにも関係が遠過ぎておかしな感じがしませんか?
独身者は若い頃に子育ての苦労・巨額出費がなく旅行観劇その他青春を謳歌出来た分、老後は孤独になるのは仕方がない・・ある程度自己責任を覚悟してもらうしかないし彼らもその覚悟で生きています。
独身者は老後困らないように子育ての労力がない分を、友人関係などの他人間関係の構築に振り向ける時間があるし、老後の蓄えをしているのが普通です。
こうした自助努力しない人のために同胞としての助け合い精神として年金を支給するとしたら、それは社会保障の分野ではないでしょうか?