衰退産業保護2(官と臣1)

時事問題から離れて産業助成・振興策に戻します。
太陽光発電も元は日本が先発組だったはずだったのに、いつの間にか中国メーカーに負けるようになっていたのには驚きましたが、衰退が始まる・・負け組になってから巨額補助金政策を行なっても中国企業がそれで大儲けする結果で終わったようです。
表向き国内メーカーのシェアー9割?といっても海外生産品を国内企業のOEM生産や膨大な部品組立なので、最後の部品だけ国内生産で、国内企業製という名称になっているようです。
詳細は以下の解説データをお読み下さいhttp://standard-project.net/solar/maker/country.html

生産工程のすべてを国内の工場で行っているメーカー/ブランドの一覧です。国産にこだわる傾向が強い日本の太陽光発電市場ですが、中国メーカーの安価なパネルが流通する中でもシリコン系パネルでいうとセルの生産から国内工場で一貫して行うメーカーは減ってきている状況です。

https://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/NEWS/20140904/374263/

太陽光パネルの世界出荷、中国系メーカーが上位20社を独占する勢い、シャープは大幅減、米調査会社が公表

上記は14年のデータですが、世界規模で見れば中国企業の生産が独占状態になっているのに、国産といっても最後の組み立て設置をするのみ?という詐欺まがい・(農産物で言えば最後の袋詰めだけ日本でやれば国産?というのと同じ)の商法の実態が上記データから見えます。
中国が先進国から輸入する部品組立で輸出するので中国の輸出が急激に伸びた逆バージョンです。
中国韓国や後進国の場合、これを繰り返すうちに国内製造できる部品レベルが徐々にアップしていくメリットがあるのですが、先進国が自国生産がコスト競争力を失って国外生産移転する場合、自国内部品製造が減る一方で最後は受託生産・一括丸投げになります。
この状態で購入者に補助金を出して高額購入をさせれば、その資金は実際の生産国が対日高値輸出できるようになるだけです。
太陽光発電s東夷設置者に対する多額補助金の大部分が中国企業に実質流れていたように見えます。
民主党政権が始めたことなので安倍政権になって補助金を急激に絞り始めましたが・・・.。
ところで官と臣はほぼ語源が同根ではないでしょうか?
官の漢字源(藤堂明保ほか編集)をみると官とは宀=家の中に大勢の人が集まったサマを表すとあり、「垣根で囲まれた家屋に集まった役人のこと」とも書いてあり、元は宦とも書いたが、その後「宦官」の特殊用例が一般化した以降は、官と宦官の間とは別の役目になったと書いています。
宦官の「宦」のほうが、家にある臣・後世の家臣・直臣の意味に合って用法にぴったりの感じですが、王家に仕える役人(宦官・官)が増えてくると側近が幅を利かすようになります。
側近の私欲に繋がりやすい世襲性を防げば政権壟断がなくなるとの思惑から断種した官僚・元は宦官のみを側近に登用するようになり、以降は断種した男性官僚のみを側近中の側近の資格にしたので、これだけを宦官というようになったために、宦官と区別するためにその他役人を官というようになったのでしょうか?
臣民であろうと官民であろうと、皇族以外は全員「民」である上に、明治政府による四民平等政策以降は臣と民を分類する意味がなくなっていたはずです。
言葉の意味では単純な「たみ」でいいのですが、日本人は漢字にした時に二字熟語にしないと落ち着かない国民性ですので「民」に何をくっつけるかの違いでしょう。
皇族以外は臣民というのは一応当たり前過ぎですが、臣民を合わせた二字熟語をなんというかの問題で抵抗権に魅力を感じるグループは人民といい、その他の人は「日本国の民なのだから国民」千葉県の人は千葉県民というようにこれが普通になってきたのでしょう。
県民の中で、県の役人・公務員とその他職業をあえて分ける必要を感じない・単なる職業の一つでしかないのが現実社会です。
明治以降の一君万民思想で天皇(皇族)以外は全部平等な民になった以上は、公務員も多種多様な職業の一つにすぎなくなったのですから、公務員とそれ以外2種類に分類する必要性がなくなったはずです。
単に日本国の民=日本国民とすれば単純だったと思いますし、明治憲法で「臣民の権利義務」などと書く必要がなかったのです。
民の中には大工も官僚も商人も漁民もいますが、あらゆる職種を憲法に羅列する必要がなくまとめて「民の権利義務」で良かったのです。
臣民・天皇直属の役人とその他の権利義務と書いても、臣と民で権利義務が変わるものではない・・どちらも日本国民であり同一の刑法民法税法等の適用があります。
高級官僚も庶民も皆家族法の対象ですし、買い物代金を支払う義務=民法の適用があり、殺人傷害等すれば同じく刑法対象です。
臣民を今風の言語で言えば、国家公務員も総理大臣も皆国民であり、国民(国内に居住する人全員?形式的には国籍取得者)の中から、国家公務員や民間人に分かれるなど「国民」は大元の上位概念です。
明治憲法下においても国家公務員・官僚を辞職すれば在野ですし、在野から官僚にもなれる、「臣と在野」は互換性をもっていました。
法の適用は国民に対する法の下の平等であって、官僚と一般国民との違いによって適用される刑法や民法に違いがありません。
明治憲法下でも高級官僚も一般の人も(家族法分野で言えば、婚姻や親子関係など)皆同じ法の適用がありましたので、明治憲法で臣民の権利義務とわざわざ分類したのは無用な分類だったと12月29日に書きましたが、明治憲法は「臣民」と表示することによって臣と民を分けたのではなく一体化を図った・・領民全員が権力機構の一員・手先になるべきであり「権力対象になる民は存在しない」とのフィクションを構成したのでしょうか?

衰退産業延命1(ゴーン逃亡)

官民ファンドなどと表現するのは臣民用語を焼き直したに過ぎず、メデイアがこのように表現するようになったのは、政府が経営内容にまで介入どころか決定権まで持つようになった事に対する「これでは第三セクターどころではない国営でないか?」という婉曲的、遠慮がち批判かもしれません。
戦後「臣民」表示が国民主権の精神に反するようになって都合悪いとなれば「臣民」意識そのままで言葉だけ「官民」にすり替えるなんておかしいと思っていましたが、この10年ほど政府介入が大きくなりすぎている点に対してメデイア界が、これでは戦前の国策事業とどこが違うの?という抵抗精神で官民協働・半官半民と揶揄する高度表現するようになったのでしょうか?
そもそも昨日書いたように、これから伸びるなら応援するのは意味がありますが、実力が落ちてきた事業の延命のために税を投入する発想自体がおかしいのです。
野球や相撲スケート等の名アスリート、企業の敏腕営業マン、社長その他全ての分野で現役としての実力低下が始まればコーチ〜監督〜営業現場から管理職へ、社長から会長、相談役〜業界活動等に転身を進めるべきです。
今世界を騒がせてレバノン政府等を困惑させているゴーン氏を例にすれば、日産立て直しに成功した数年で役目を終えたとして潔く転身していれば華麗な経歴だけ残ったのでしょう。
大改革に向いた才能と改革後の維持とは能力発揮場面が違うのに、(「創業と守成いずれが難きか?」の故事の通りで)地位にしがみつき金銭欲?にこだわったばかりか、恥の上塗り?的な国外逃亡という悪手に頼ったためみっともない連鎖になりました。
国外違法出国は関係者多数に違法行為による訴追される負担を負わせる外、関係政府等に困惑を引き起こすのは目に見えた筈です。
我々弁護士こういう相談を受ければ、自身が新たに違法行為を行うだけでなく、本来無関係な多くの人を違法行為に引きずり込み、迷惑をかけることが目に見えているのでこれをやると
「この人はもともとこういう他人を巻き込んでも違法行為を犯すことをものともしない人だという評価が定着してしまい総合的なマイナス効果の方が大きい」
ことを説明して同意せず実行を思いとどまらせる努力をする・説得に応じなければ辞任することになるのが基本セオリーです。
ゴーン氏は起訴事実の有無という客観的事実で争うより国際世論を味方につけたいという戦略とすれば、このような違法行為を行うことが、国際世論の支持につながると判断したのでしょうか?
国際世論は時間が経たないと結果が出ませんが、稀代の成功者イメージが違法行為の積み重ね・・周りを巻き添えにしてきた・汚れ役には相応の巨額対価を払ってきたので彼らは検挙されるのを覚悟の上だから迷惑をかけていない・・としても「闇の金によって何でもやる」イメージが出来上がっては逆効果でしょう。
国によって受け止め方が違うでしょうが、ゴーン氏が期待するはずのフランスやレバノンでは富裕層との格差に対する不満が盛り上がっている最中です。
こういう国では富裕層実力者が裏でゴーン氏に甘い約束をしたかもしれませんが、巨額資金で違法行為を実行するゴーン氏を英雄扱いどころか、表立って彼を擁護すれば政治リスクが大き過ぎます。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/11/post-13354_2.php

激動のレバノン、大規模デモと経済危機の背景とは
2019年11月10日(日)13時22分
レバノンは10月半ばから、首都ベイルートその他の都市で反政府デモによる混乱が広がり、サード・ハリリ首相が辞意を表明する事態となった。既に危機に陥っていた経済への信頼感は揺らいでいる。
反政府デモの参加者らは、政治エリート層が商売と政治を結ぶ恩顧主義の網を通じ、国家資源を使って私腹を肥やしていると批判している。

私服を肥やしている政治家に対する不満が高じて政権崩壊・その後新政権構想がまとまらないまま漂流している政治状況下ノレバンで、私腹を肥やす象徴的事件のゴーン氏を政治家が公然と庇える状況ではなさそうです。
フランスも格差に不満を抱く反政府デモが昨年から下火にならず続いていることから、マクロン政権はゴーン氏逮捕当初同情的ニュアンスでしたが、国民反発が強かったのですぐに引っ込めて今やゴーン抜きのルノー日産関係再構築に必死です。
レバノンでもフランスでもゴーンが日本で検挙されて帰国できないことを理由に、事実上眠っていた彼に対する疑惑の捜査再開に動き出しそうな雰囲気です。
https://bunshun.jp/articles/-/23607

ゴーン被告、帰国後も雲隠れ 市民から怒りの声も―レバノン
ゴーン氏をめぐり、治安当局は「合法的に入国した」と見なし、法的措置を取らない姿勢。主に富裕層の間で歓迎ムードもあるようだ。しかし、日本で汚職の罪に問われ、司法手続きに従わずに国外逃亡したことについて、怒りの声も聞かれる。
自宅近くで商店を営むハリル・イシュライムさん(65)は「レバノンでは不正がはびこっていて、違法にお金を得た人間が戻ってくるのは当たり前のことだ」と現状を嘆いた。日本では難しくても「レバノンで法の裁きが必要だ」と訴えた。

フランスの状況は以下の通りですが長くなり過ぎるので一部しか引用しません・興味のある方はご自分でどうぞ。https://news.yahoo.co.jp/byline/puradonatsuki/20200102-00157408/

ルノー社労働組合、怒りのコミュニケ発表
フランスの庶民は?
昨晩、筆者はフランス人5人と食事をしたが、ゴーン氏逃亡の話を「おもしろい!やったね!」と言う人は一人だけだった。その他の5人は、「金にあかせてなんでもする人というイメージが再確認されただけじゃない?」と。
Twitter上でゴーン氏逃亡劇を面白がる人もいるが、どちらかと言うと「卑怯」というコメントが多いように感じた。左派「不服従のフランス党」マノン・オブリー氏は「税金逃れをしたあとは、日本の司法から逃れてレバノンへ。富裕層がいかに法から逃れ、国を分断していることか。
いったい彼らはいつまで罰を受けない状態がいつまで続くのだろうか?」と投稿。

フランスの庶民の意見は日本人の期待に合うような意見だけ拾ったかもしれませんが、常識的というか私の意見同様です。
フランスでもゴ-ン氏の旧悪に対する捜査が再開しそうな雰囲気です。
MSNニュース記事からです。

ゴーン被告は法の裁きを受けなければならない-ルメール仏財務相
Tara Patel 2020/01/06 17:48
(ブルームバーグ): 元日産自動車会長のカルロス・ゴーン被告は同様の状況にある他の人と同じように法の裁きを受けるべきだと、フランスのルメール経済・財務相が6日述べた。
ルノーは仏当局に情報を伝え、当局は同社の要請に基づき調査を開始したと同相がラジオ局フランス・アンテルの番組で明らかにした。
同相によれば、ルノーはアムステルダムに拠点を置くルノーと日産自動車の統括会社「ルノー日産BV(RNBV)」に関連する1100万ユーロ(約13億3000万円)についても調査を求める準備ができているという。

半官半民と第三セクター2

第三セクター・・・「官民挙げての〇〇事業」と銘打った大規模国策事業・・「官」という表現の強い順に事業体の行き詰まりが顕著・・例えばジャパンデイスプレーは惨憺たる状態です。
第三セクターというのかどうか不明ですが、官の色彩が強すぎた失敗例の代表として以下紹介するジャパンディスプレイの場合は株式会社に政府が大口出資した形態のようです。
本日現在のウイキペデイアの解説記事です。

概要
2012年に発足、2013年に各社の統合が完了して「株式会社ジャパンディスプレイ」となり、2014年上場。
韓国・台湾勢との競争による液晶パネルの価格下落で、赤字が続いていた日本の各電機メーカーのディスプレイ事業のうち、スマホ向けに利益が見込める中小型液晶パネル事業のみを、日本政府系の投資ファンドである産業革新機構の主導で再編した会社である。これによって、中小型液晶パネルで世界シェア1位(2013年当時)の「日の丸液晶」パネルメーカーが誕生した。
沿革
設産業革新機構の主導で、ソニー・東芝・日立のディスプレイ部門が統合されて誕生し、2012年4月1日に事業活動を開始した[2]。
設立当初より赤字が続き、設立から5年となる2017年に構造改革が行われた。事実上の「国策企業」であるため、経営方針がトップダウン式に決定される競合他社とは違って全ての経営計画において経済産業省と産業革新機構の承認が必要という意思決定の遅さがあり、また解雇がそのままアベノミクスの失敗を想起させるため、シャープ以外の日本のディスプレイメーカーのうち、大半の人員と工場を丸抱えしているにもかかわらず、リストラができないという「負の遺産」があるとの危機意識が、2017年の時点で存在した[4]。
2018年9月25日、産業革新機構を改編して産業革新投資機構(INCJ)が発足したが、ジャパンディスプレイ以外にもルネサスエレクトロニクスの経営不振の会社への投資を強いられる産業革新投資機構の取締役陣と、経済産業省の対立が表面化し、2018年12月10日、産業革新投資機構の民間出身の取締役全員が辞職。辞職した元産業革新投資機構・社外取締役の星岳雄が「ゾンビ企業の救済機関」[21]と批判した革新機構は、ついに機能を停止した。同日、2014年の上場時の公募価格が900円で始まったジャパンディスプレイの株価が、ついに50円台となった[22]。
2019年4月11日、中国最大の投資ファンド嘉実基金管理(ハーベスト・ファンド・マネジメント)系の投資会社であるハーベスト・テック、台湾の電子部品メーカー宸鴻光電科技(TPK)、台湾の金融大手富邦金控(Fubon Financial Holding)グループの創始者である蔡一族(中国語版)による、投資ファンドの3社で構成される中台企業連合「Suwaコンソーシアム」はジャパンディスプレイに対して800億円の金融支援を行い、それまでの筆頭株主であった産業革新投資機構に代わり、議決権の49.8%を持つ筆頭株主になることでジャパンディスプレイと合意した[23][24]。

能力があるがたまたま出遅れているような場合には助走エンジンとしての補助・・助走公的資金投入が合理的です。
スポーツ選手でも学問でも、伸びそうな若者にコーチをつければ将来がありますが、トップを極めた横綱や世界チャンピオンあるいは各界のトップ企業の力が落ちてきたからとコーチや経営者(の場合事業変更などの果断な決断力によって企業が蘇生する場合がありますが、事業変更しない前提で)を変えても99%うまくいかないでしょう。
長島やイチローが年齢で成績が落ちてきた場合、コーチを変えるより転身を図るのが普通です。
世界先端を走っていた日本の産業部門が、追いつかれ追い抜かれるようになってきて、民間企業が本体事業から切り離すしかないと判断している理由は、資金不足を理由にするのではありません。
日本の世界企業・あるいは日本の資本市場は世界一資金潤沢ですが、日本のディスプレイ業界はこれ以上資金を注ぎ込んでも見込みがないから、自己資金を別の成長分野につぎ込んだ方が良いという判断で切り離し・・リストラの判断になったものです。
一方でその買い手がない・民間投資家(ファンド)が買わないということは資本市場はこれ以上資金をつぎ込むのは意味がないという判断を示していたことになります。
市場判断をバカにして?民間に任せられないからと政府資金をつぎ込み、民間的思考に任せられないと官僚的思考で再建を目指すなどという発想自体今ドキの価値観からいえばドンキホーテ的です。
過去の栄光の遺物として博物館建設資金の投入ならば分かりますが、資本市場で相手にされない事業に国家資金を投入し、しかも運営に関しては官僚どころか政治家の介入その他国営事業のマイナス点ばかり強化していく・・いわば「市場原理に棹差し」て官僚や政治家の優秀性を証明するつもりだったのかもしれませんが、短期間に頓挫して(革新機構が機能不全に陥っていることは上記の通りです)満天下に、恥を晒しました。
世上(戦前の臣に代えて)「官」という場合、公僕精神不要?(明治初年の薩摩系巡邏「おいこら」が有名ですが)おいこら式の監督官庁イメージが強くなりいわゆる上から目線強調・・民より偉そうに振る舞える場合に使っているようです。
例えば民間企業への就職活動に出てくる面接担当者をメデイアはしきりに「面接官」と表現しますが、明治時代でも官ですらなかった民間企業の末端?一採用担当者を「面接官」と表現するようになったのは、就職希望者に対する圧倒的な優越性を表現するものとして定着してきたものでしょう。
100%公営でもなく民営でもない事業体が必要なことはわかりますが、あるいは民間が始めるをの待ってると先行国の草刈り場になってしまうので明治維新当時の国営の製鉄所や、鉄道などのように離陸するまで国策として一定の産業育成が必要な場合もあります。
老人ホームなどの資金補助や太陽光発電などへの補助金などもその1種でしょうが、民間事業の株を少し買うくらいならばまだマシですが、国が具体的に経営指針を定め、個別計画にまで口を出す仕組みになったのでは、明治の官営製鉄事業より市場原理無視度合いが過ぎるでしょう。
資本主義か共産主義かの単純2択ではなく国家的視点で新産業を育成するための資金注入が必要なことも事実でしょうが、(原子力発電等)それは産業育成への助成程度で止めるべきでその製品の国際競争力をどうやって発揮すべきかの具体的経営方針にまで口出しをするならば始めっから国営〜公営でやるべきです。

半官半民と第三セクター1

第三セクターに関する本日現在のウイキペデイアの解説です

国際的には、第三セクター(サードセクター)とは、NPO、市民団体その他の民間の非営利団体を示す。
※英語圏(特にイギリス)では、NPOや慈善団体など、公共サービスを提供する民間団体のことを指す。
第一セクターが公共目的のための国や地方自治体、すなわち「官」が担う部分
第二セクターが営利目的の私的団体(営利企業)、すなわち「私」が担う部分
第三セクターが公共目的のための市民レベル、すなわち「民」が担う部分
ちなみに、日本では第4セクターと表現することが多い。
日本は、国または地方公共団体(第一セクター)が民間企業(第二セクター)と共同出資により設立した法人を指すことが多い。 多くは設立が比較的容易で運営方式も自由な株式会社の形態を採る半官半民の中間的な形態。 また、第三セクターは法的に概念が規定されているわけではなく、株式会社・財団法人など、それぞれの法人形態に従った制度が適用される。

特質
宮木康夫による第三セクターの効用[要出典]
利益追求を目的とする手法ではなく、もっぱら公共的事業をコストミニマムに実行するための手法である。
株式会社形態である利点を活用することにより、第一セクターに係る収支改良(多くの場合赤字軽減)が可能となる。
施主(自治体)から付託された仕事(公共領域)を、もっとも効果的・効率的に実行するための、自主性をもったプロ集団である。

日本における第三セクターの現状
債務を抱え破綻する第三セクターが続出。東京都や大阪市の臨海開発関連の会社などがその代表格。また、2006年(平成18年)に表面化した北海道夕張市の財政破綻には観光開発を担う第三セクターの赤字も関係。

以上によれば特別な制度設計がなく、民間向けのいろんな組織に自治体や政府機関等が出資している場合を言うようです。
上記特質に関する意見は、コスト削減機能を書いていますが、それ以上のことがないようです。
40年以上前に児童登下校の安全のために横断歩道で旗を振る緑のおばさんや、清掃給食など現場系の人が地方公務員で年功で給与アップしていく・年収7〜800万が普通と報道があって、この批判を受けて現場系労務の下請け化が始まったような記憶です。
下請け化が普及すると今度は市町村が給食センターヤ市営プールを経営する必要がないのでないかということから、第三セクター化が進んだように見えます。
役人的発想が有効なのは、江戸時代の三大改革と言われるものを含めて質素倹約くらいでしょう。
企業活動が人件費削減を中心の発想・・おやつを減らすなどのマイナス思考..質素倹約の発想のみで成功するはずがありません。
ただし、あらゆる産業はコストダウンに向けた改良によって、コンピューター部品や自動車部品の最小化、軽量化競争、電池等の持続生の長期化などの工夫によって発展したきたのですからはコストダウンのための試行錯誤・・研究開発は重要で、今産業界の寵児半導体製造だって競争力の源泉はいかにして安く微細化できるかの競争です。
コストダウンと冗費節約とは方向性が違います。
第三セクターの破綻例は枚挙にいとまがないほどですが、観光客誘致系で言えば、観光客減少に対してコスト削減のみ・・高賃金の公務員から非正規のバイト中心の民間運営に切り替えれば開始当初はいくらか赤字削減できるでしょうが、数年後にはまた赤字が始まります。
GEやIBMの例を見ればわかるように企業は事業内容を絶えず組み替えて行く必要があり、これがリストラクチャリングの本質であり人減らしではありません。
日本の第三セクターや半官半民と言われる事業は、事業内容を(政府が決めて)固定してコスト削減中心ですからもともと無理があるようです。
半官半民とは言う場合でも多くは国や公共団体に決めた枠内での共同事業的なことが多いのですが、官民あげてという報道がある場合、どちらかというと「官が主導権を握る」という意味アイがより強そうです。
そもそも官が主導権を握るということは政府ではなく、臣たる役人が主導権を握る意味です。
政府主導という意味を官主導と表現するところが、政府における政治家と官(役人)の関係をうまく表現しています。
第三セクターとは別に平成10年台半ばから始まった自治体の指定管理制度の運用をみると、法的には自治体役人が選定するのではなく選定委員という在野から選任された有識者会議で決めて行くのですが、審査基準の策定が役人内部会議で決まっていて(あるいは基準策定自体が、別の第三者委員会でおこなわれているのか?)その基準に合致するかどうかの審査でしかない仕組みです。
管理の委託ですから、事業内容を決める権利がないのは論理的言えば言えますが・・・。
応募に対する審査基準は障害者雇用基準に合致しているか、市民雇用を守る視点が何点とか公平運用しているか地域連携に努力しているか、市民の意向調査をきちんとしているか、市民対応に問題かないかなどなどで、反対する特別な理由がないのですが、あまりにも当たり前すぎる印象です。
これとは別ですが、ある審議会委員の公募委員枠あって、公募者から数名選任するための面接を担当局長と私の2名がペアで2年に一回やってきましたが、それぞれの目的に合わせて審査基準があってその項目別に点数をつける仕組みで個人的裁量の余地がほとんどない・合理的に考えぬかれていますが、これらを考えるのは公務員・事務局側のお膳立て・面接・採点者はマシーンの代用です。

臣民とは2

正月特別コラムを終了して今日から12月29日まで書いたシリーズの続きに戻ります。
欧米では支配、被支配の階層隔絶が大きいので、経済面で見ても日本と違い格差が拡大する一方のようです。
日本の臣民は臣と民は相互互換性のある関係なので明治13年の旧刑法で国の民=「国民」という用語が採用されたものと思われます。
明治15年施行の旧刑法で法条文に「国民」という単語が取り入れられましたが明治憲法が発布された時に、憲法では臣民としたのでこれに合わせて旧刑法も「臣民」と改称したはずと思いますが、明治40年の現行刑法は以下の通り「国民」として記載していますが、これは明治40年施行時は臣民となっていたが敗戦後現行憲法に合わせて国民と変えた可能性があるでしょう。

明治四十年法律第四十五号
刑法
刑法別冊ノ通之ヲ定ム
此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
明治十三年第三十六号布告刑法ハ此法律施行ノ日ヨリ之ヲ廃止ス
(国民の国外犯)
第三条 この法律は、日本国外において次に掲げる罪を犯した日本国民に適用する。

例えば明治40年以降続いている現行刑法の3条は現在のネット検索では上記引用したように本日現在の条文しか出ないので、戦後改正されて「国民」という用語になったのか、40年現行法制定当時も「国民」であったのかを知ることができません。
これが戦前どうだったかを見るには、昭和8年版六法全書がたまたま我が家にあるので刑法を開いて見ると、3条の文章が文語体であるほかは「国民」という単語が「帝国臣民に之を適用ス」となっているほか全語同じです。
(漢文調が口語体に変わったのは平成になってからです)
これによれば、もしかしたら明治40年制定当時から明治憲法に合わせていたように思われますが、そうとすれば旧刑法も、明治憲法制定に合わせてほぼ同時に国民を臣民と変更していた可能性がありますが、旧刑法については、制定当時の条文しかネットに出ないので明治憲法制定によってどうなったかの変化が今の所私には不明です。
ところで、国民という概念が明治13年の旧刑法記載だけで、一般に知られていなかったのかといえば、日露講和条約反対の日比谷焼打事件の集会名は国民集会といったようですし、暴徒押しかけ先対象になっていた新聞社名が「国民新聞」と言うようですから、当時在野で「国民」という表現がすでに利用されていたようです。
国民という単語は日本国憲法制定時に創作された単語ではなくずっと前からあったようです。
もともと明治憲法で創作した?臣民という用語の方が我が国古来からの用例から見て無理があったように直感します。
敗戦→新憲法制定の必要性から、国民意識に合わせて是正されたと見るべきでしょう。
私のド素人的語感からいえば、現状のイメージでは「臣」とは支配者あるいは誰かの手足となって働く支配者側の人間であり、「民」とは権力との対で言えば領民・・権力集団の外側にいて支配される側の総称でしょう。
領民の中から権力機構内にいて権力者と主従関係にある状態の人、現在風にいえば従業員の内労働組合に入らない管理職が古代ではオミであり、天皇家直属の大豪族トップを「おおオミ・大臣」中小の豪族を中臣、小臣と言うのではないでしょうか?
江戸時代でいえば大名?小名、旗本、御家人であり、天皇家の朝臣は、江戸時代の直参旗本クラス?御家人や小者までいろいろですが、このように領民中権力機構内の人の中で権力に近いものが臣の系列であり、権力に関係ない支配されていた人を「民」というのではないでしょうか?
権力機構外の民の中にも経営者と従業員がいますが、それらはまとめて民ですし、民間の従業員を臣とは言いません。
今で言えば民間であり政治家で言えば野党です。
身分制がなくなり、今では国家直属の官僚・臣も自治体吏員・公務員も全員「民」であり民間人の子弟が官僚になり官僚が退官すると民間に戻る関係です。
政治家も与党の時はトップの総理大臣以下の各省大臣/政務官などのいわゆる高官ですし、野党になれば官職・戦後用語では公職を辞して在野に出るものの民心の支持次第でいつでも与党に入れ代われる仕組みです。
この点は明治体制下でも一君万民思想で四民平等にした結果天皇家・皇族以外は平等になった点は現在と同じですから、(戦前国会でも与野党の別があり政権交代がありました)臣民と2種類に分ける必要がなかった・・国民と簡明な単語ひとつで良かったことになります。
今でも「官民共同プロジェクト」とか、「官民あげて」「半官半民」というような表現をメデイアが好みますが、国営か民営かの基準をあえて戦前の「臣民」をちょっとお化粧直ししただけの「官民」という古い表現を使っている意識・現状が問題です。
政府の全く関与しない純粋民営ばかりでは、公益上必須のインフラを担当する企業がなくなると困るので、河川や港湾や空港新設や管理、教育や水道供給などは、早くから公営で行うのがどこの国でも普通でした。
これらも市場競争導入による効率化のために民営方式を何割かを導入する中間的経営が必要とされるようになり、これを半官半民とか官民共同の事業と言うようになっているのですが、公益的事業であることから、半官半民とか官民協働という必要があるかの疑問です。
「臣」同様に死語化すべき「官」の用語を今も何故使いたがるかの疑問です。
半官半民的共同事業体を表現する新たな造語能力が欠如しているのか?能力不足というより支配勢力には、今でも「臣民意識」を維持したい願望があるから時代即応の造語を作りたくないままになっているのではないでしょうか?
一時外来語借用の第三セクター大はやりでしたが、税を使う以上は役人の考える合理的目標や、公的な役割を無視できないという思想で事細かに官の立場で監督するために大方の第三セクターは火の車・税の無駄使いに終わっている印象です。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。