モラール破壊9(法家の思想3)

アメリカの標榜する民主主義社会とは、極論すれば「多数でさえあれば,内容がでっち上げでも何でも決めて良い」「決めたらそれが正義」という社会です。
(実際には「そんな無茶はありません」と言うでしょうが、仮にそうなっても誰も文句言えないシステムであることを書いています・・)
憲法という歯止めがあると言う人がいるでしょうが、でっち上げデータに基づく法制定・裁判のリスクに対しては、憲法違反の問題にはなりません。
極東軍事裁判のように戦勝国が占領支配下で好き勝手な裁判システムを作り、裁判という形式さえ踏んでいればその認定は正義ということになります。
日本語で言えば茶番劇そのものです。
「制度を活かすも殺すも人次第」というのが我が国のコンセンサスですが、そこには「法手続きさえ履践していれば結果はどうでも正義だ」というあんちょこな正義の否定があります。
アメリカが好きな人選をして形式的な裁判手続きをしたというだけで何故正義になるのか日本人のほぼ誰一人納得していないのが現実でしょう。
内容の当否を問わずに・・手続きさえ尽くしていれば正義と言う英米法のデュープロセスオブローの思想は、世界の覇者になった英米が好きなようにルール・・国際標準や国際法廷を組織出来ることを前提にしたルールです。
会計/税制・子どもの奪い合いに関するハーグ条約その他の全ての分野でアメリカの主導する世界標準が幅を利かししています。
強者の自分の都合に合うように(内容の善悪を区別しないで)ルールを作りさえすれば、これを守らないのが悪であると言うのが・・英→米支配の世界ルールになっているのです。
これでは専制君主や独裁権力が恣意的に価値観を決めて支配しているのと同じで、強者支配の貫徹道具にしかなりません。
私が大学に入ってルール・オブ・ロー「法の支配」を教わったときには初めて聞く新しい観念でしたが、(今では高校生でも常識かも知れませんが・・)「手続きさえ整備されていれば内容はどうでも良い」となれば、古代中国の韓非子が唱えた法家の思想とどこが違うの?と言う疑問が出てきます。
韓非子の言う法の支配は制定内容が(当時は国民の意見を聞く時代ではないので)独裁者あるいは専制君主の意向次第ではあるものの、(その時代なりに正式な君主の命令・・日本で言えば詔勅や御法度になるのには、一定の手順が決まっていたでしょう)部下〜国民は予め決めた法のとおり盲目的に執行する・・法律・命令どおりかどうかで賞罰を決める思想である点は近代以降(英米主導)の法の支配と共通です。
法家の思想は、法(マニュアル)がなくて君主がその場その場で判断していると以前に言ったことと考えが変わることがあって周囲が混乱するから、予め法=マニュアル化しておけば周囲にとって行動基準が前もって分って、合理的と言うに過ぎません。
その代わり事前に決められたルールに従っていれば内容の当否を問わないし、逆にルール違反していれば内容が正当であっても処罰すべきだというのが韓非子の主張でした。
03/05/10「中国の法形式主義1(法家の思想)」のコラムで韓の昭侯がうたた寝したときに衣の係ではない冠の係が気を利かして衣を掛けたことで、却って処罰されたという故事を紹介しました。
もう一度紹介しておきましょう。

 誰加衣者(タレか衣を加フル者ゾ!)

   昔者、韓昭侯、酔而寝。典冠者見君之寒也。
   故加衣於君之上。
   覚寝而説、問左右曰、
  「誰加衣者。」
   左右対曰、
  「典冠。」
   君因兼罪典衣与典冠。
   其罪典衣、以為失其事也。
   其罪典冠、以為越其職也。
   非不悪寒也。
   以為、侵官之害、甚於寒

(括弧内は私の独自訓読です・・オモへラク、侵官の害(越権行為)、寒より甚だし)

紀元前3〜4百年前(韓昭侯・在位B.C.362-333の人です)から中国では命令・ルールの是非を論ぜずに、ともかく法を盲目的に守ることを良し・・守らない方を悪とする思想でやって来たのです。
所謂「悪法も法なり」というソクラテスの意見と同じです。
ソクラテスのこの言葉が日本で誰でも知っているほど何故有名になっているかと言うと,我が国では「悪法は法の効力を持ち得ない」という自然法的原理が行き渡っているから・奇異過ぎて理解不能な感じがするからちょっと読むと心に引っかかって忘れられないからです。

モラール破壊8(手続き的公正が万能か?)

大統領選挙の当落は資金力に比例すると言われていますが、議会多数派工作も同様です。
我が国でも法案提出は特定権益層の運動によることが原則・・このため既得権益保護後のための規制をなくすのが至難ですが、アメリカの場合、これに加えてロビー活動が重要です。
ロビー活動では間接的な利益誘導(実質賄賂供与の可能性が高いのですが・・)が仮に全くないとしても,ロビー活動を継続的に続けるには豊富な資金力が要りますので、ロビー活動の結果で議員が行動する仕組みのアメリカであれば、資金力が議会での議決に大きく作用していることは自明の理です。
民主主義国家且つ法治国家では剥き出しの強者の論理・武力によるのではなく、(清盛が鎧の上に僧衣をまとったように)民主主義というオブラートに包まれています。
法規範化されている結果、予測可能性がありますが、それだけならば古代に韓非子が唱えた法家の思想と同じです。
結果的に強者が支配権を握っていて、ほぼ好きなように法を制定出来る点では、専制君主制国家や独裁国家での法を利用した支配と同様です。
核拡散禁止条約のように強者にだけ都合の良い論理が世界でまかり通っているのがその代表例ですが、世界の覇者であるアメリカあるいはこれに同調する国々の都合どおりにいろんな国際ルールが決まっている例が殆どです。
(国際政治ではまだまだ剥き出しの武力比重が大きく、この現実に立脚して北朝鮮や中国は武力拡大に精出していますし、これに資金力・・ロビー活動の成果をプラスすれば鬼に金棒・・これにも中韓政府は巨額資金を投じています・・が付加されて支配的地位が決まって行きます)
「選出母体の支持獲得3と政治資金1」 December 3, 2012前後で紹介したように、アメリカの大統領選挙は資金力の差で決まると言われています。
中国では一般の企業活動では賄賂が必需品であるだけではなく、学校に入っても軍隊に入っても上官に苛められないように先ず賄賂、医療も賄賂、どこへ行っても賄賂次第の社会と言われています。
アメリカの推奨する民主主義政体と言っても、上記のとおり資金力の差で法制定権力が決まるのですが、これを賄賂と言わない・・寄付金等となって透明化されている面が大きいとしても・・結局は選出儀式の表現でしかありません。
アメリカではロビー活動が活発ですから、この結果大統領選挙だけではなく議員個々人の意見形成に対しても資金力のある組織が大きな影響を及ぼしています。
韓国や中国のようにここに目一杯金をかけている結果、慰安婦でも何でも、両国の架空主張に同調する議員が輩出するのです。
これを贈収賄活動とは言わないものの、賄賂と紙一重になります。
日本政府は正しいことは黙っていても分ってもらえる筈だと言う行動様式ですから、明からさまなロビー攻勢はみっともなくて出来ません・・・これが第二次世界大戦前に地道にロビー活動をした中国政府の思惑とアメリカのも思惑の一致によって日本がアメリカの標的になって行った基本的原因でした。
我々弁護士も良い仕事をすれば広告などしなくとも仕事が来る筈という意識で広告・宣伝費に何億もかけるのを恥ずかしく考える集団ですが、私など、まだ電話帳広告すら断っているほどで、1円の金もかけていません。
ビジネスロイヤーと言われる人種から見れば、「士」業にこだわる我々は時代遅れかな?
アメリカでは政治も医療(日本のような保険制度が機能していないので)もどの分野でも、全て金次第の国である点では、道義の基準がなくて金の力だけが生きて行く価値基準になる中国と本質が変わりません。
アメリカの信奉する民主主義ルールとは多数派支配ですが、多数派形成は強者(昔は武力で今は資金力の差)が有利に決まっている・結果的に資金力次第で決まる多数勢力によって「でっち上げでも何でも決めたら勝ち」というルールをチェックする方法がない点は中国と変わりません。
多数か否か以前の、我が国のように、人倫の道・・道義の確立の方が重要ではないでしょうか?
10対1でも100対1でも「人間の尊厳を踏みにじるような決議は許されない」という多数決以前の価値観の確立こそが重要です。
アメリカの価値観・・英米法の世界ではデュープロセスが最重視され、結果の妥当性があまり重視されません。
私は我妻民法学で勉強しましたが、いつも結果の具体的妥当性重視でした。
また我が国の実務でも法律論を一応戦わせますが、最後の決着は結果の妥当性重視ですから、裁判所から妥当な案を和解勧告されて、そこに至る理屈は別として弁護士同士では、「そうだな」ということで和解に応じるのが普通でした。
どうしても和解に応じないで判決にして下さいと言い切って結果的に勝てる場合もありますが、形式論理=欧米流論理で優っていても妥当性に欠ける結論になる場合には、信義則違反とか権利の濫用等で負けることもあるのが我が国の法理です。
連帯保証債務者の負担軽減の和解に関連して03/16/10「日本的正義」や201/23/05「民事法の融通無碍性(具体的妥当性 )民法120」あるいはそこで引用しているコラムで、欧米の理論と我が国の正義というようなテーマでこの辺の機微を書いたことがあります。

モラール破壊6(拝金主義2)

オキュパイウオール運動・格差社会が問題になって来たのは、ルールさえ守っていればいくら稼いでも良いし、いくら貧しくても仕方がない・・ルールに従っている限り何をしても良いと言う価値の支配するアメリカ国内ですら、社会のあり方に対する異議申し立てが起きて来たことを意味しています。
民主主義国家の多数派形成は資金力の差によるとすれば、多数派=資金力のあるものの意見で造ったルールで勝ち組になったからと言って、弱者圧迫の根拠にするのは「強い者は自分に都合の良いルールを造り何をしても良い」というのと同義反復でしかありません。
アメリカが金科玉条とする市場ルールその他各種ルール=法の支配自体は、そのときどきの強者の意向が色濃く反映されて制定されるものですから、強者(金持ち)の造ったルールさえ守っていれば何をしても良い・・いくら儲けても言いし、貧乏人は自己責任という論理はそもそもおかしなものです。
強者に都合が良いように造ったルールで競争すれば、強者はいよいよ有利になるし、弱者は窮乏化する一方・・格差が拡大する一方になるのは当然の結末になります。
この不満を解消するためにアメリカでは「アメリカンドリーム」が如何にも自由な競争社会の結果が招来する夢のように賞讃され、支配階級の意向を代弁するマスコミで大宣伝されて来ました。
しかしながら、出て来る実例はプレスリーやプロスポーツのスター選手のような、あるいはアップルのジョブズ氏のような、超人的天賦の才能に恵まれた人・・こう言う人は自由主義社会でなくとも、昔からどこの国でも出自にかかわらず大スターになれました。
我が国でも江戸時代の団十郎や雷電為右衛門などいくらもいますし、今の時代でも大相撲の朝青龍なども、モンゴルでは大スターになっています。
(アメリカに限った話ではありません)
我が国で言えば宝くじに当たる確率よりも低い事例を如何にも誰でも達成出来る・・目の前にあるかのようなすり替えで夢のある国であると(強者の意を受けた)マスコミが宣伝しているに過ぎません。
実際にはそんなことは滅多にないので不満が嵩じて来たのが、オキュパイウオール運動です。
我が国でも宝くじの高額当選者の確率の方が高い・・何しろ毎年ですから・・億万長者になれる人は毎年出ています。
こちらの方が、特殊才能が要らない分公平です。
国内では強者有利のルールを打ち破って出て来られるのは上記のとおり超人的能力を持ったごく稀な例しかありませんが、これを国際社会に及ぼした場合、欧米有利に造ったルールに従って参入して来た国がドイツと日本でした。
先進列強に都合の良いルールでも日独に負け始めると、直ぐにルールを変えるのがアメリカを中心とする先進列強でした。
(日本が欧米の造った植民地支配の構図に従って勝ち進むとルールを変え、戦後も貿易競争やスポーツその他日本が勝ち進むと直ぐにその分野でルール変更される繰り返しでした・・将来的には知財分野で日本が勝つようになると多分ルールが変わるでしょう)
専制君主制の国では、正義に反するか否かなど何も考えずに弱いものイジメでも何でも強い者に従っていれば良いという社会になっているのとアメリカ型の民主主義の本質・・議会を通過さえすればこれに従うのが正義(従わないのが犯罪)だと言うのでは、手続きが違うだけで、価値盲目としての本質が同じではないでしょうか?
専制君主や独裁権力が造ったルールと民主的手続きで造ったルールとの違いは何でしょうか?
民主的手続きを経てもルールによって到達した結果が不当であれば、専制君主や独裁権力の制定する恣意的ルールによる場合と何ら変わるところがありません。
多数が賛成するならいつも正義と言えるほど世界や社会は単純ではありません。
まして大統領選挙も議会多数派形成は、資金力の差で決まるとすれば、なおさらです。

モラール破壊5(拝金主義1)

我が国では強者のアメリカによる不当な圧迫を70年以上(宣戦布告せざるを得ないように巧妙に仕向けらた圧迫から計算すれば90年くらいになるでしょう)に渡って受けているにもかかわらず、国民の道義心は微動だにしません。
我が国では縄文以来のなが〜い長い歴史を知っているので「不正・不当なものは、いつか神に罰せられる」と信じているから仕返しなどしなくとも良いし、自分もそのような悪どいことをしなければ損だという発想にならないからです。
一所懸命の熟語があるように、我が国では一カ所に半永久的に住み続ける思想ですので、郷土を愛し、ひいては公徳心も強くなる・・不正なことをして短期間で逃げることを予定していない・・いつかはバレルからアコギなことは出来ないと言う思想の民族です。
縄文の昔から定着性の高い民族であることが、子孫に先祖の恥を残さない・モラールの高い民族を形成して来たことを、2012/12/09「信義を守る世界7(名誉の重要性1)」前後のコラムで書いたことがあります。
テロなどで仕返しをしないだけではなく、回りがいくら悪かろうと自分はその仲間にならないという信念で大方の人は(物事には例外がありますが、犯罪率の低さ町の綺麗さが証明しています)生きて来たのですが、漸くこの我慢の結果が報われるような時代が巡ってき始めた印象です。
しかし悪人で鳴らして来た人はそれだけのことがある、米英の歴史を見ればその狡猾さは半端ではありませんから、彼らも旧悪が暴かれそうになるのに対して必死ですから、うっかりすると返り討ちに合って、また百年単位で隷従を余儀なくされるのかも知れません。
リスクが大きいので、米英批判の動きはここは慎重にする必要があるでしょう。
ところで道義の衰退した民族の特徴は、守銭奴的傾向・・何事も金次第と言う点で共通していると言えるでしょうか?
中国では金儲けにさえなれば、アカチャンの飲むミルクに毒になることが分っていてもその材料を混ぜるほどの道義なき社会犯罪多発社会になってしまっているのは、強者の論理をそのまま適用して来た論理帰結・・理の当然です。
(「バカ」の語源について、06/23/03「裁判所は独立しているか?3(馬と鹿の区別)」のコラムで詳しく書きましたが、秦の始皇帝死後権勢を振るった宦官の趙高が、権勢を示して皇帝に恥をかかせるために子どもじみたことをした故事が有名です。
趙高が皇帝が群臣居並ぶ前で「馬でございます」と鹿を献上したので、「バカな・・鹿であろうが」と皇帝が居並ぶ群臣に問いかけると、殆どの高官が「そのとおりです」(趙高が間違っています)と答えられなかった・・皇帝に合わせて本当の意見を述べたものは処罰されてしまった(敵をあぶり出した)という故事によると言い伝えられています。
紀元前数百年前から権力者の意向に反して真実を言えば,文字どおりにクビが飛ぶような社会が続いて来ました。
中国では紀元前から何千年も専制君主制で来ましたし、共産党政権になっても言論の自由のない独裁政治のママですから、思想表現の自由のない社会=自分の利益になれば嘘で塗り固めた主張をする・生き方が生活の知恵になる点では同じママです。
専制君主制の続いた国では、正義の基準は日本人が考えるような「正しいか否か」ではなく権力者・強いものの意向に合うかどうかしかない状態で来ました。
2000年以上にわたって、正義感がなくなっているので、権力者の意向に関係ないときには、(金さえあれば権力に取り入ることも可能ですから)「金儲けになるかどうか」が重要な基準になっている点は、アメリカ同様です。
アメリカでは金儲けをするには市場経済という名分のルールがあるものの、結果的に資金を持っているものが勝者の社会・資本主義社会である点は、中国現在社会と全く同じです。
むしろ中国と違ってルールによってお金持ちになるのが正当化されている分、市場経済の勝ち組になって何が悪い?と言う態度で、金儲けをするのに遠慮がなく、その結果成功すれば桁外れの豪奢な生活をするにも何の悪びれるところもありません。
(中国のように賄賂で私腹を肥やしたのではなく)「自由競争の結果だから・・」というお墨付きを得ているからです。
国際政治で言えば極東軍事裁判以降の政治・・でっち上げでも何でも公正な?多数決の手続きや裁判手続きあるいは国際会議・条約締結手続きを踏んでいるから、これが正しい・・今更文句言う方が不公正だと決め付けているのと同じです。

強者の論理4とモラール破壊5

国内で国民を権力で圧迫していると国民道義心が頽廃することを専制君主制の国の例として2013/05/27「言論規制とモラール破壊1」まで連載してきましたが、同じように強権で対外圧迫をしていると自国国民も内部で道徳律が分裂し腐敗して来ます。
・・親が家庭内で子どもにいくら立派な道徳をたれていても、一歩外に出たら弱いものイジメやヤクザをやっているのでは、子どもの教育に良くない・・子は親の背中を見て育つ・・と言う日本人の智恵をアメリカは知らないようです。
国内でいくら人権だ、民主主義だと御託を並べていても、一歩外に出れば不正のやり放題では、国民の正義感が混乱して内部から道徳退廃による崩壊が始まります。
日本は「イジメられてもじっと黙って耐えていれば、歴史が懲罰を下す」という我が国古来の価値観で生きていれば良いのです。
わが国では、「嘘は泥棒の始まり」と言いますが、これが中国地域では紀元前から2千数百年以上も続いているとすれば、道義が廃れて内部から腐って崩壊・自壊して行くしかありません。
アメリカは中国とは違い国内だけは民主国家・人権尊重を標榜して、外の世界に対しては武力を裏付けにしたマスコミ支配を武器にして事実上の専制君主のように、自分の都合だけの虚偽の事実をでっち上げては世界中に強制しています。
アメリカ国内では、個々人の道徳が乱れて犯罪多発社会になっている外に個々人の内心も不安になり薬物に頼る人が増え、(精神疾患増加も半端ではありません)銃乱射事件が増える一方です。
これは世界最大の軍事力を背景にしたマスコミ支配を良いことにした不当なルール・虚偽の押し付け、内外二重基準による道徳律の矛盾・分裂によるものではないでしょうか?
国内的には法治国家=法の基準が励行されていますが、対外的には正義に反したルール・・強者の論理の押し付け=本来の法の支配の精神に反した行動を臆面もなく実行しています。
我が国に対する虚偽宣伝による圧迫だけではなく、誰でも知っている大きなもので言えば、正義のない戦争と言われたベトナム戦争でアメリカ国民の心は大きな傷を受けました。
その後も大量破壊兵器があると言う口実でイラクのフセイン大統領を攻め殺すなど不正義な戦争の事例は枚挙にイトマがありません。
世界ニュースにならないのであまり知られていませんが、中南米諸国に対し、陰に陽に介入を続けて中南米諸国を長年苦しめてきました。
明からさまな侵略戦争・介入以外にも強い立場を利用した不正義行為はおびただしいものがありますから、アメリカ人に良心と言うものがあれば、心に傷を受けない人間がいる方が不思議です。
アメリカや欧米主導の身勝手な国際ルールはいくらでもありますが、例えば、核拡散禁止のルールほど強者の身勝手な論理構造を証明している事例はないと言って良いでしょう。
対外的に強者の論理で不正義の強要・・嘘を強制している以上は、アメリカ人にとっては無意識でしょうが、内部での道徳律分裂・・道徳崩壊が始まります。
家庭内で「正しいことをしましょう」「弱者に優しく」と子どもに教えながら、家の外で・・部下や弱者に対して不正を強要しているような国では、知らぬ間に道徳が乱れるのと同じで、国内だけ自由主義・人権尊重と言いながら、対外的に圧政を強制していると国内道徳観も分裂して来ます。
対外的に強者の論理を押し付けて正義を無視して(内外二重基準ですから、表向き法秩序重視が叫ばれる点では正面から法秩序無視/不存在に近い中国とは違いますが・・)いて,国民がこの影響で道徳分裂(精神疾患増)・腐敗社会になって来る点では、国内的に言論の自由のない専制君主制の長かった中韓とどっこいどっこいではないでしょうか?
中国の場合、アメリカのような内外2重基準ではない点で単純に(収賄によろうと毒入りミルク製造であろうとも)金儲けだけに精出せば良いので、精神病になり難い健全性?があります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。