円安期待論の誤り1

国の経済が危機状態あるいは低下傾向になったときに海外の評価が下がって円が下がるのですから、国力低下や危機を期待するなんてことは合理的に考えれば余程挽回する能力のある勇気のある人しか出来ない筈です。
政治家が本気にこれと言った挽回策もなしに、単に円安になる・・国力低下→評価が下がるのを期待しているとしたならば、日本のために働く政治家や学者とは言えません。
ただし、円相場が実力以上に急激に上がり過ぎているならば、実力に合わせた円相場に戻るべきだという意見は別にあり得ます。
例えば、10ポイント上がるのが適正なときに勢いで20〜30ポイントも上がってしまったときのことですが、論者の適正意見論が正しいならば、本当は放っておけば一定期間経過で適正なところに落ち着く筈です。
我が国の円相場で言えば、日本は上がり過ぎた円によって競争上不利になっても、まだまだ貿易黒字でしたから、実はまだ上がり過ぎではなかったことになります。
タマタマ東北大震災の結果、被災による輸出減と原燃料の大幅輸入増によって大幅赤字に転落してしまい、昨年末から円高の修正局面・・円安に振れ始めたのは、我が国にとって結果的に僥倖だったと言う意見を2013/02/25「原発事故と円安(天佑)1」以下で書きました。
要するに実力以上に相場が上がったり下がったりすれば、市場が修正して行く・・これが変動相場制の妙味です。
逆から言えば、政治が介入してどの辺が適正相場だと決めつけて、相場を上げ下げ出来るものではありません。
米将軍と揶揄された吉宗が苦労した所以です。
市場の結果を待たずに円安を期待する論者は、相撲で言えば関脇や小結から早く落っこちて幕尻になれば対戦相手が弱くなって楽だから早く落としてくれというファン(そんなファンがいるかな?)のようです。
こう言う政治家やこれを主張するエコノミストは、日本が弱くなるのを期待するのと同じですから、日本から出て行って敵性国家である韓国や中国の政治家になってもらうのが合理的です。
企業で言えば、危機バネを期待して自社株の大幅下落を期待する経営者や株主がいるでしょうか?と言う理屈を書いています。
円高で売れないと泣き言を言って円安期待している経済人に限って、逆にそうした根性も踏ん張り能力もない・・安きにつきたい人の方が多いので却って危険です。
日本の復興には、円安期待を唱える軟弱な企業人を相手にしないで、逆転バネを活かすに足る根性のある企業人が努力出来るように環境整備して行く政治・・規制緩和や国際競争し易い環境整備が求められています。
理屈はともかく国際収支の大幅赤字定着傾向によって円安になってしまったことは現実ですから、勤勉な日本人がこの円安で競争上有利になったチャンスに安住することなく、刻苦勉励して競争力を取り戻してくれることを期待してやみません。
円安は、世間が囃しているようなチャンス(好機)ではなく危機状態の現れである・・・しかし、危機こそチャンスであると肝に銘じて・・多くの日本人は頑張るでしょう。
私は仕事柄、絶対的な危機に陥った企業相談に乗るのを結構楽しみにしています。
従来的思考の延長で見れば危機そのものですが、この危機を私のような変わった判断基準で別の角度から見れば大きなチャンスが待っていることが多いものです。
このままで行けば倒産するしかない状態が目前に迫っていれば失敗して元々ですから、これまでやりたくても怖くて出来なかったような思い切った手を打っても損がありません。
これがピンチに陥った日産や日立その他多くの日本企業が劇的に復活出来た原理です。

世代間扶養説の誤り2

年金赤字の主たる原因は制度設計のミスですが、これを隠すために世代間扶養であるから、次世代の人数が減ったので苦しい、次世代の給与が少なくて納付金が少ないなどと今になって言い出しました。
世代間扶養説のまやかしについては9月12日にも書きましたのでその再論・続きです。
世代間扶養の具体的場面ををちょっと考えれば分りますが、成長が永遠に続き人口が永久に増え続けない限り無理な制度ですから、こんなことは最初から誰も本気で考えていなかった筈です。
年金制度開始当初の中高齢者は積み立てが少ないから次世代が負担するしかないという説明が多いのですが、加入したばかりで積み立ての少ない人に対する救済は税や生活保護で見るべきであって、加入者間の助け合いを基本とする年金で見るべきではありません。
年金保険は各人自助努力で積み立てた仲間だけでその結果を分かち合い受給するべきものです。
自分が積み立てても積み立てなくとも老後は貧しいから受給権があるというのでは、誰も年金を掛ける気持ちにならないでしょうから、貧しい人に対しては税や国債を原資とする社会保障でやるべきものです。
障害者は年金を1銭も掛けてなくとも障害年金をもらえる・・サラリーマン主婦も同様で、こうした社会保障的給付制度が多いのですが、こうした社会保障給付を年金に紛れ込ませていて(1銭も払わない人も受給出来る)年金が赤字だと言われてもまじめに掛けている人は納得出来ないでしょう。
こうした点が、本来の年金制度をダメにしているという意見を05/03/05「年金未納問題8(一般免除者)国民年金法 5」前後で書いたことがあります。
世代間扶養説は、障害者年金等と同様に年金保険の本質・掛け金を掛けた人同士の助け合いの本質に反しています。
世代間扶養説によれば、ある国で年金制度が始まった瞬間に、そのときの高齢者が積み立て始めると同時に次世代の積立金で十分な年金を受けられることになります。
年金制度未熟国では世間扶養しかない・・世界中でそんな思想がもしも妥当しているならば、中国でも韓国でもフィリッピンでもまだ年金制度が始まって年数が浅いので蓄積が薄く、高齢者が大変で自殺が多いと一報道されていますが、世代間扶養を主張する報道と矛盾していることになります。
世代間扶養説によれば加入後10日でも数ヶ月でも支給年齢が来れば、全額給付されることになるべきですから、その国で制度が始まったばかりかどうかは問題になりません。
始まったばかりはまだ一定期間(我が国で言えば25年)かけてないから、25年間掛けたことによる受給開始年齢が来ないと言うならば、25年かける期間に足りない中高年者は誰も掛け金を払う気持ちにならないからだと言います。
しかし、彼らも掛け金を払うような気持ちにさせるためには、その差額を(社会保障として)税で見るべきであって、開始当時の若者の掛け金で使ってしまうのでは、次世代加入者の積み立て金の使い込み・詐欺みたいなやり方です。
サラリーマンが集金の使い込みを隠すために次の集金を穴埋めに使う・・自転車操業みたいにやって行く予定が、売上減→集金額の減少で(年金の場合次世代加入者や納付金が減って来たので)やりくりがつかなくなって悪事露見という事件が多いのですが、似たようなことではないでしょうか?
ちなみにどこかの報道で読んだことがありますが、現在の積み立て金残高は、給付額の6年分程度しか残っていないとのことです。
25〜30年間年金を払い続ける予定とすれば、同期間分積立金が残っていないと計算が合いません。
差額20〜25年間分を長い間に少しずつ食いつぶして(集金員で言えば、使いこんで)来たことになります。
現役世代の給付金をそのまま年金給付に当てるならば、給付金額は現役世代次第ですから固定額を予め約束出来ない筈ですし、毎年の入金額をその翌年に全部配れば言い訳ですから、1銭も積み立てて来る必要がなかったことになります。
「毒食らわば皿まで・・」と言う言葉がありますが、世代間扶養説に悪のりして、この積立金があるから、これを財政赤字補填に使えば良いという説まで現れています。
元々年金積み立て・・積んで残しておく意味なのに、各掛け金納付者の積立金を障害者給付その他次々名目を付けてはつまみ食いして来た結果6年分しか残らなくなったものですから、これを25年分充つるまで再補充すべきです。
「6年分しか残ってないなら、世代間扶養ということにして全部使ってしまおう」という無責任な意見が堂々と出て来るのは、世代間扶養などと誤摩化しの意見が流布しているから誤解して出て来た意見です。
世代間扶養のつもりではなかったからこそ、何十年も積み立てて来たのに案に相違して次第に減って来たので(これまで書いているように設計ミスです)危機感を持って騒ぎ出したが、何十年も経過しているうちに僅か6年分しか積立て(蓄え)がなくなってしまったということです。
一生面倒見ますと言って給与天引きして財産管理していた人が無駄遣いした挙げ句に65歳になった人に対して「老後資金が僅か6年分しかありません・次世代に扶養してもらって下さい」と告白している状態が現状です。
世代間扶養とは各人の掛け金に関係なく次世代が負担したお金で見るということですから、掛け金に関係なく支払うと言い出したらそもそも社会全体で見るべきこと、即ち税で賄うのが筋になって来て個人の自由意思による積み立て方式である年金制度と矛盾してきます。

マインドコントロール1(人口ボーナス論の誤り1

政府や学者(マスコミ)は現在の不都合・・バブル崩壊後の経済停滞の原因を何もかも少子化に求めて、そこに責任を押し付けて責任転嫁すれば済むと考えているのでしょうか?
誰が考え出したのかこうした考えはここ約20年間マスコミのマインドコントロールによって、何らの検証もないままに少子化が諸悪の根源的考え方が普遍的になっています。
政権が変わっても「少子化を何とかしなくては・・」と言う考えに疑問をもつ人が滅多にいなくなり・・仮にいても「そんなことに税を使うのはおかしいのではないか」と発言できる勇気のある政治家はいない状態です。
最近流行の人口ボーナスやオーナス論は、少子化マイナス論の延長・応用編ですが、これもおかしな議論です。
人口さえあれば成長出来るならば、ずっと昔から巨大な人口を抱える中国やインドでは成長していた筈です・・。
歴史的にみると大き過ぎる人口は社会の重荷になることの方が多かったでしょう。
大分前に書きましたが、地球温暖化(この議論自体インチキだというのが私の年来の意見ですが・・仮に正しいとしてもの話です)や資源問題も原発廃止問題(節電のお願い)も人口が半分〜3分の1になれば簡単に解決します。
技術革新等で(新興国で言えば急激に最新技術が導入されるとその国にとっては急激な技術革新があったのと同じ結果になります・・)労働需要が急激に伸びた場合、それまでの余剰労働力(先進国に比べた大幅な低賃金労働力)が伸びシロになるに過ぎません。
急激な技術革新(即ち現状の高賃金での新たな雇用創出)の期待出来ない先進国や停滞している国(従来のインドや中国/インドネシア等の外、現在でもアフリカ諸国)で余剰労働力・失業者や無業者候補を次々と出産して大量に抱え込んでいても何の意味もありません。
人口ボーナス論によれば不景気になれば人口を増やせば良いことになります。
第二次世界大戦の遠因は明治初期からの人口増政策のツケが回って満州進出で解決を図らざるを得なかった事によると11/12/06「人口政策と第2次大戦9(棄民政策・・満州進出)1(「おしん」の社会的背景2)」前後で書きましたが、人口ボーナス論が正しければ、昭和恐慌による過剰人口を放置して国内で困窮していれば景気が上向いたことになります。
(確かに戦争にはならなかったでしょうが・・・過剰人口・大量失業者を抱えてさえいれば景気が良くなったとは思えません。)
景気回復はあらたな需要・技術革新によって生じるのであって、人口増加政策が景気対策に何の意味もないのは事実に照らして明らかです。
欧州危機の震源地であるギリシャやスペインだって失業者が一杯いる・・すなわち人口ボーナス(余剰労働力)があっても、経済成長出来ている訳ではありません。
労働者を吸収出来る産業装置の有無にかかわらない人口ボーナス論が正しければ、失業者が一杯いる国・失業者が増えれば増えるほど・経済危機国になると同時に、みんな高成長・好景気国でなければならなくなる論理矛盾が生じます。
雇用需要があるのに人口が足りないとその制約で成長が阻害されますが、経済停滞・失業増の時期に人口増加論を何故するのか疑問です。
ドンドン売れているのに在庫が足りずに売れ損なうのは困りますが、現在の出産増奨励策は売れなくなって在庫が溜まる一方(経済停滞状態)のときに、以前ドンドン売れたときの成功体験を思い出して増産産さえすれば売れると増産を命じているようなものです。
経済停滞(売れ行き不振)の原因が少子化(在庫不足)にあるのではなく、停滞している(売れない)から出産=生産抑制・少子化は正しい選択です。
マスコミは自己が吹聴するまちがった論理を基礎的思考方法として国民をマインドコントロールすることによって自己の意見を前提事実化してしまう傾向があり、マスコミ迎合のいろんな学者が無批判にこれを前提にした議論を始めます。
前提化されてしまった思考経路自体に反論したり疑問を呈するとそれだけで「変わり者」としてレッテルを貼られる(自由な言論が封殺される)し、マスコミでは相手されない・・干されてしまう雰囲気です。
今では殆どの学者が人口ボーナス・オーナス論を前提にいろんな論説を書いています。
中国の人口ボーナス期が2010年に終わったからもう駄目だなどと論じる人が多くいます。
しかし、中国経済停滞の始まりは民度のレベルが今の到達した人件費程度しかないならば停滞するでしょうし、もう少し高度な技術を身につけられればもう少し成長するというのが正確で、人口次第ではありません。
(現在中国は急速に伸びた子供の学力が40点程度に達したようなもので今後更に、60〜70点と上がって行く能力がなければ一定の段階で足踏みになります)
彼らの使いこなせる機械レベル・・能力の限界に遭遇したときに停滞するのであって、人口減が停滞の原因ではありません。

成長率信奉の誤り

プラザ合意以降度重なる国際協調・協議の結果、我が国はこれ以上の海外需要には海外工場進出で対応することになったのです。
我が国では・・労働需要の拡大が止まったどころか、日経新聞1月10日朝刊記載のようにこれまでの約10年だけでも700万人(日経記載の・・建設・製造業以外の銀行証券保険その他各種事務系などでも正規雇用は大幅に減っていますので、700万ではきかないでしょう)も減少しているのですから、労働力供給の適正化・縮小を図るのは待ったなしの段階に来ていました。
人口減縮小の必要性を封印・・タブーとしたまま議論して来た過去・現在の人口政策では、供給過剰になった若者の就職難・入口での滞留が進むばかりです。
労働者供給過剰は労働者全般に不利ですが、実際には既得権のある既就職者には大して不利に作用せずに、(前年採用し過ぎた分を解雇せずに次年度採用を抑制するのが普通です)新規参入者・・若者や新規参入を始める女性に不利に作用します。
平成のバブル崩壊以降失われた10年とか20年と言われますが、元々国際経済・政治上の関係で、際限のない国内生産増=輸出増=黒字蓄積(赤字・失業の輸出)が限界に来ていて、今後は海外工場進出しかない・・国内生産は良くても現状維持・・高原状態で行くしかないと決まった以上は、成長が鈍化するのは言わば目的達成・・政策転換の成功状態と評価すべきであって、これを失望し、成長率の鈍化をいかにも国の破滅のように宣伝するマスコミの論調は誤りです。
「日本はもう駄目だ駄目だ」と言う悲観論(マスコミが宣伝しているだけですが・・・)が多いのは、成長率が無限に上がることを前提にした誤った議論に過ぎません。
成長率と言うものは何時か鈍化するのはどんな分野でも同じで、(勉強であれスポーツであれ初めは勢いが良くても一定のレベルに達すれば上達が鈍化し何時か停止〜下降に移る)すべてに共通する原理です。
高原状態に至ればその後は飽くなき収入増を求めて徹夜・残業をしなくとも豊かな生活を享受すれば良いことです。
我々弁護士個人で見ても、あるいは野球のイチローの場合も同じですが、最初はすごい勢いで打率や安打数・収入が伸びますが、後は高原状態で隠退まで行けば良いのです。
際限なく前年比ヒット数が伸びたり収入が伸びる必要がないばかりか・・原理的に無理です・・・そういうことに最後までこだわる弁護士や医師、野球選手がいたとしたら、人の生き方としても問題です。
ただし、株式投資の基準・・配当よりも値上がりを楽しみにする人(短期売買で儲けを求めるプロ)向けには、高原状態か否かではなく成長性に関心を持つのは当然です。
本来の株式制度から言っても短期のさや抜きを求めるためだけに参加するのは邪道であって、投資家でなく投機屋と言われます・・不動産屋でも土地転がしは卑しまれるのが普通です。
このような病理現象的存在に過ぎない(値上がり期待だけの)特殊プロ向けの基準はあくまで特殊向けに過ぎないのに、この投機屋基準の受け売りでマスコミが国民一般に対して「もう日本は駄目だ」と宣伝するのは間違いです。
確かに一定水準に達した日本経済の上昇率は新興国より低い・・安定成長ですが、これこそが、諸外国世界中の国民の憧れる経済状態に外なりません。
個人の生き方で見ても寝ないで働く急激な出世競争中よりはその結果得た高い地位・・高原状態の安定した中高年を夢見て若い時にしゃにむに努力しているのではないでしょうか?
成長率の絶えざる上昇は可能なことなことか、そもそも必要かの議論が先になければなりません。
前提を誤った宣伝の結果、何も(事実を)知らない筈の15歳以上子供まで連合の調査の結果、今の日本が良くなるのは後30年後などとアンケートに答えているようですが、これはもろにマスコミの受け売りでしかないことが明らかです。
殆どのサラリーマンがマスコミの宣伝そのままに「今の閉塞感がどうの、若者が元気ない」などと言いますが、殆どの人は自分の目を持っていないのです。
ムードを刷り込むマスコミの責任は重大です。
マスコミは先ず事実を伝えることが責務であって、その上での判断は読者に委ねるのを基本とすべきです。
意見を書くならば、ムードでごまかすのではなく、具体的な事実に基づくきっちりした意見として書くべきでしょう。

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