行政府の裁量行為と第三者委員会2

政治は、手間ひまかかっても民意を丁寧に聞いて実践して行くべきものであって、強力・・一方的な指導力はいらないというのが、7月13日「民意に基づく政治1」から書いているこのシリーズでの私の意見ですが、ここでは企業や行政にも同じ原理が妥当するかの関心で書いています。
国家意思の判断は議会が行ない、行政部門は議会の決定を執行する機関であるから、さらに合議したり判断する必要がないかのようですが、実際には国会の議決だけではどうにもならず行政裁量の働く分野が膨大になって来たので、そこに民意反映のために審議会等の外部有識者の介在が要請されるようになっています。
三権分立の原理・・国家意思の決定=法制定は国会の権能であるとは言え、国会への提出法案の殆どが内閣提出法案・・行政政府=事務部門からのボトムアップ提案によるのが原則で、議員立法はホンの僅かしかない例外に属します。
しかも法の具体的運用については詳細を政省令や規則・通達に委ねることが多いのですが、この膨大な実務的法体系は行政府ですべて作成するものです。
行政実務を通じて経済、厚生(医療や社会保障や労働)・教育・法務その他全ての分野の不都合・・改正・改革の必要性がボトムアップで現場から上がって来ることによって、実情に通じた行政府が法案作成のイニシアチブをとるのは不合理とは言えません。
行政府の事務局が法案を作成するとしても、この過程で行政府の独善に陥らないようにすることと行政の相手方となる広範な利害関係者の存在・・利害配慮の必要性からも、法制審議会等で公平な視点に立つ部外者(有識者)の意見を聞く必要性が生じてきます。
具体的実践の場面では、箇所付けが重要な意味を持っていますが、これも行政内部の一存で決めていると不正・癒着の温床になり勝ちですので、幅広い意見を取り入れ、透明性を高める意味でも第三者委員会の活用が要請されます。
行政=執行機関であるから何も考えずに迅速に実行さえすれば良いのであって、その段階でさらに民意を聞く必要がないと言う、三権分立の基本原理だけで事足れりとする形式思考方式は間違っているか無理があると言えるでしょう。
実行部隊と言えども、法を迅速適用するだけという単純なものではなく、司々(結節点)で裁量権があって判断が必要になっています。
刑事で言えば仮に犯罪行為が認められても、起訴するかどうかは検察官による裁量・・起訴不起訴の裁量が認められています。
起訴便宜主義については、08/24/03起訴便宜主義1(刑事訴訟法4)以下で約10年前に連載しました)
民事でも同じで、多種多様な利害考量をして決めて行くので、我が国の裁判が長引くと言われる理由もここにあります。
欧米流の受け売りで裁判の迅速化がしょっ中要求されますが、日本と社会の基礎が違う点を無視している面があります。
企業の場合、7月20日に書いたとおり、元はオーナー企業から始まっている企業が大多数ですので、内部に独立した関係者・ステークホルダーが存在しない点は行政内部組織以上です。
ところで、省益というセクショナリズムが悪いもの・・迅速に改革が進まない理由としてマスコミ批判されていますが、社会の利害対立構造を行政内部に持ち込めるので、特定行政部門の暴走を防ぐメリットもあります。
法案が出来上がってから国会で改正するのは大変なエネルギーが必要ですから、法案作成段階で利害考量出来た方が効率がいいのです。
いくつかの省庁を統合して巨大官庁が生まれると、社会に厳然として存在する利害対立構造が上命下服構造の中に埋没してしまうリスクが生じます。
例えば、経産省と農水省が合併して巨大官庁になった場合、その官庁内の力関係でTPP推進が決まってしまえば、農民をバックにした反対運動が今のように強力にはなりせん。
原子力発電推進官庁と安全性チェック官庁が同じでは、効率がいいでしょうが、やはり問題です。
健全なセクショナリズムこそ求められます。
欧米や韓国の大幅方針変更の迅速(拙速政治)性に目を奪われて効率・・迅速性のみ主張するマスコミから見れば、省庁間の意見相違があって社会変革が遅くなってるのは省益政治が悪いと言う主張になっているのですが、健全な対立こそ必要ですから、拙速よりはじっくり聞いて練り上げて行くべきです。
利害調整は国会で議論すれば良いだろうというのは、具体的な利害調整の必要が法案作成過程・行政解釈・執行段階で生じている実態を無視した議論です。

行政府の裁量行為と第三者委員会1

雇われ社長でも一旦社長になるとオーナー社長が君臨していた過去の習慣(・・オーナー企業の場合、毎朝支店や工場ごとで行なわれるミーティングの上位機関的・・執行の意思伝達機関の位置づけ)を引き継ぐ傾向があるので、取締役会議がイエスマンばかりになり勝ちですから、近年社外取締役導入による議論の活性化・ブレーキ役・ガバナンスが期待されるようになりました。
社外取締役制度は、行政庁内部で一応出来上がった意見について、我々弁護士や学者・経済界代表等がいろんな審議会等委員となって、外部の意見を取り入れるようになったのと似ています。
そもそも会社であれ行政庁であれ、全て執行機関としては執行命令の貫徹の必要性から、上命下服の原理・体質が本質です。
執行機関の実務を担当する中で優秀なものを抜擢して順次課長〜部長〜局長〜重役に選任して行くシステムで内は、上命下服の原理・体質からして対等者間を前提にする自由な意見を戦わせることを期待することに矛盾があります。
我が国の戦国大名でさえ軍議が機能していたのは、上杉その他の戦国大名の例を見ても分るように、対等な地元諸豪族の支持・連合で成り立っている集合体であったからです。
徳川幕府の政治を見ても老中の合議が成り立ったのは、老中同士は対等な同輩関係にあったことによります。
10万石の大名と3〜6〜8万石の大名の格差があっても、戦場に出れば指揮命令関係になく、それぞれの配下軍団に対して独立の指揮命令をし,自分より格上の大名と功を競い合う関係です。
勿論上杉謙信傘下に馳せ参じた越後の諸豪族も大きな軍略には従いますが、それぞれの持ち場で戦闘するにはそれぞれの諸豪族の自由な裁量・命令でその配下が動くものです。
旧憲法下で総理が首班と言われ、同輩間の会議の主宰者程度での地位でしかなかったのと、徳川家老中筆頭とは本質が同じです。
(老中筆頭は気に入らない他の老中の罷免権がない点が、そこが新憲法下の総理とは本質的に違っていますが、成り立ち・歴史を書いています)
欧米その他世界標準に比べて、日本は政治の世界ではトップに指導力・・ぐいぐい引っ張って行く歴史がなくて指導力不足が言われ、企業社会や行政分野では逆に健全な議論不足が言われています。
ガリバー旅行記では、いろんな架空の国が書かれている中で、唯一日本だけが実在する国として記載されていますが、そこでは日本のことを西洋ではあり得ない・・逆さまの基準が通用する国として表現されているとおり、いろんな分野で世界標準と逆・・大幅に違っているのが古代からの日本列島の有りようです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC