民族文化の有無3(宗族血縁組織)

韓国の血族支配の財閥が勢威を振るっているのを近代的企業統治精神?を基準に批判する論調が普通ですが、血族・宗族発展のエネルギーを無視した意見では的外れな意見だと思われます。
韓国の財閥組織形態は戦前日本の財閥をモデルにしたものですが、日本の場合、三井,三菱、住友その他財閥見ても分るように直ぐに血族支配から脱皮していたのですが、韓国の場合いつまでたっても客観組織に変貌出来ないのは意識が遅れていると言うよりは、中韓では宗族血縁重視・地域社会・「公」の意識が育っていないと言うか元々存在しない・・価値観が違う・・民族国家その他の地域社会・共同体意識のない社会?であることを直視する必要があります。
周回遅れをバカにしていても良いですが、もしかしたらグローバル化に最も適しているのが宗族血縁意識民族かも知れません。
地域社会・・面としての固まりでないと生きて行けない組織体行動原理の場合、進出先で面としての地域支配権獲得が必須・・ですが、ツタやカヅラのような生き方ですと行く先の支配者が誰でも良い・・どこでも隙間があれば入り込みそこで根をはれます。
これが、華僑が世界中へ進出を容易にして来た生活習慣と言うか価値観です。
その内に最先頭の社会になる可能性もあります・・蔓草はミミズのように途中で断ち切られてもその先で根おろして更に発展して行ける・・テロによる交通切断などに強い組織です。
いわゆるグローバリズムの基礎ですが、つる草のようにお互い絡み合ってぐちゃぐちゃに棲息する社会が後1世紀もすると普遍化し、「民族国家?そんなもの昔あったな!」と言う時代になるかも知れません。
本国を必要としない点ではユダヤ系と似ていますが、華僑の場合宗族間の強固な互助組織・意識が特徴でその地の支配者になる必要がない(大きな樹木にならず地を這い樹木(権力)に絡み付くだけのツタの特性で)点で政敵を作り難い点が有利です。
世界が資源や量に頼る時代に終わりを告げようとしていると言う意見で書いていますが・・アメリカの動きを見ると中国のバイタリティーに比べると未だに量で勝負する・・移民受け入れ(人口量)や資源に頼る習慣が抜けないような印象を受けます。
欧米の影響を受けているメデイアも如何に多くの移民を受入れて労働力=人口を増やすかの宣伝ばかりで一人当たりの豊かさ追及にはとんと関心がない印象です。
アメリカの復権と言っても結局はシェールオイル等の資源産業の復活でしかないことを大分前に書きました。
中国が省力化投資に邁進してどこまで日本に肉薄出来るか、人口の1〜2割でも近代化に成功すれば日本の人口の1〜2倍ですから、組織体の競争・・国対国では日本より国力が上になるでしょうが、残り8割の底辺層を抱えたままである分が不利です。
人口の巨大さ、国土の広さが不利になる時代です。
とは言え、「よそ者がそんなことで国がどうなるの?」と心配してやる必要張りありません。
異民族支配が多かった関係で、中国人(と言うよりもこの地域の諸民族)の心底の意識は「国なんかでどうでも良い・・自分・一族だけ成功して世界につる草のように伸びて行けば良い」ということでしょうから、そんなことは気にしない・・一人でも多くの成功者を出す方が先決と言うことでしょう。
成功する順にドンドン国を出て行き「カス」だけ残る・これが中国地域になりそうです。
天の原フリサケミレバ・・と故国をしのんだ阿倍仲麻呂のように「何が何でも故国に帰りたい」と言う心情は稀ではないでしょうか?
とは言えまだ民族?国家が幅を利かす時代ですから、国家として世界の指導的地位を得るのは重要です・・そのためには最後に重要なのは世界に通用する独自文化が生まれている民族かどうかに掛かるでしょう。
他所の文化のパクリや単に遅れてダサイ・粗暴なだけの独自性では相手にされません。
独自文化発進力もなく他所の名画や彫刻を金の力で買い集めるだけのロシアやアメリカに先があるの?と言う疑問です。
3〜4ヶ月ほど前にプライスコレクションで知られるプライス氏が日経新聞に「私の履歴書」を書いていましたが、彼は財力と鑑識眼によって若冲その他の日本絵画のコレクションしたのは個人の業績としては立派ですが、ここのテーマは、自民族の文化は?と言う疑問です。
大原美術館など見ると自己満足自慢のためではなく、洋行出来ない美術学徒が日本にいながら西欧の最新潮流に触れられるようにと言う心意気で出来たことが分ります。
ブリヂストン美術館に行ってみると、専門家ではなく「一般のサラリーマンが仕事帰りや休憩時間にちょっと立ち寄って芸術に触れられるようにしたい」と言うみんなのための美術館創設を目指したことも分ります。
日本人の多くは自己満足のためにあるいは自慢するためにコレクションしたのではありません。
古くは弘法大師その他の留学僧は唐の先進分物を持ち帰り、自国普及に努力しましたし、誰とも分らないほど多くの人の努力で漢文をそのまま日本語に読み下す技術が考案されてみんながそのまま漢文を読める社会にしてしまいました。
明治維新時にも洋行帰りが西洋知識を独占せずに直ぐに大量に翻訳して国民への西洋知識の普及に努めましたし、対応日本語のない場合多くの新造語も作りました。
プライス氏の集めた若冲のコレクションがアメリカ人の美術レベルに何ほどか影響を与えることがあったのでしょうか?
あるいは、幕末からアメリカのコレクターが、金に飽かして(両替の不正があったこともあります)日本美術品が多量に多数コレクトされて今は、メトロポリタン美術館に収蔵されていますが、アメリカ人の創造力に何か影響を与えたのか不明です。
23日まで、日経新聞最終ページにイギリス貴族の館・カントリーハウスの連載をしていましたが、エエカテリーナ2世同様に個人的蒐集・自慢の域を出ないレベルを表しています・・イギリスは世界の覇者になって経済力にあかして世界中から文物を集めても、先進文化を参考にして自国文化を発展させるほどの文化土壌がなかったからでしょう。
我が国は幕末から明治開国後「洋画」「洋楽」を学びましたが、遠近法や新しい絵の具などが入れば直ぐにこれを応用出来る下地があってのこと・・飽くまで日本画、日本音楽を棄てていません。
料理も西洋の良いところを取り入れても和食自体発展するばかりです。
和魂洋才・・こうした外国文化の受容方式は遣唐使の昔から変わりません。
東博(東京国立博物館)にある法隆寺館の仏像群や東洋館にある北魏時代等の仏教伝来初期の石像群を見ると、日頃我々が知っている仏像と表情がまるで違うのに驚きます。
漢詩が入っても万葉に代表される我が国古来からの「歌詠みの心」を基礎にしてこれを受容し取り入れて来たことが分りますし、政治制度的に律令制を受入れても直ぐにわが国風に変えて来ました。
洋画がいくら立派だと解説されても日本人が自己資金で買うのは殆ど日本画でしょう。
東山魁夷が洋画を志したときに親から洋画では食べて行けないから「日本画に」と言われたと言われますが、実業家の親は学校教育でいくら洋画を褒めようとも、国民の心は違う・・・需要者の気持ちを良く知っていたのです。
日本発で今や世界を風靡し始めたアニメも、他所からの借り物ではなく、鳥獣戯画の昔から動物を擬人化して遊ぶ日本古来からの風俗が源流です。
アメリカが大きな顔を出来たのは資源があるからダと言う意見・・最近ではJuly 2, 2016,「欧米と日本の対応1(EU→大規模化)」で書きました。
産業革命以降20世紀までは、資源の時代・・戦争も資源を巡るものであったと言えます。
世界の覇者になったアメリカも資源に基礎を置くので、独自文化らしきものがなく、ジーンズやハンバーガー、コーラくらいしか残せない印象です。
そこで現在アート創造に必死ですが、私のようなド素人から見ればどれも思いつき的域を出ない・・素人にはあまり魅力を感じないのが難点です。

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