特別検察官2(大統領・総理の犯罪)

昨日引用した宮家氏の解説を読むと、「米国の特別検察官」には、特別な権限や身分保障があるわけではなく、なんでもやれる多目的捜査官と違い、せいぜい特命事項だけしか担当しない専従捜査官という程度でしょうか?
そうとすれば、特命捜査官(検察官という翻訳自体どこかずれています・現在のモラー氏が検察官資格があるかすらあやしい感じがします)翻訳するのが本来だったでしょうが、「特別検察官」というメデイアの造語報道は、いかにも特別強力な権限があるかのようなメージを植え付けるもので、ピントがずれている(フェイク一種?)ように思われます。
私の勝手な思い込みとは思いますが、「特別検察官」と仰々しく報道されると、鬼平犯科帳の鬼平のように、既存の細かいルールを無視して、「正義のためにビシバシやって」くれそうなイメージ・・現在でいえばフィリッピンのドウテルテ大統領の言うように「手当たり次第射殺しても良い」というような特別権限を持つようなイメージを抱く人が多いのではないでしょうか?
実際には、司法長官が特定事項だけ切り込んでいく「専従組織・プロジェクトチームを作ってもよい」と言うだけのようですが、専従組織に抜擢された以上は成果を出すために頑張る・・やる気があるという期待感をいうのでしょうか?
昨日引用した朝日新聞の解説は「特別検察官とは」と言う制度解説のようでいて、実は制度について何の説明もなく過去の特別検察官の担当した過去の事例を説明するのみで、宮家氏の解説に比べれば解説能力の低さに驚きます。
大統領制の国民に「日本の総理大臣とは?」と言う解説記事で、議院内閣制と大統領制の違いを説明せずに、東條英機とか、小泉総理や福田赳夫の名前と彼らの実績紹介しているようなものです。
制度説明であれば制度の違いを説明した上で、大統領制のためにこう言う思い切ったことができたが、議院内閣制のためにこう言うことしかできなかったと言う違いのわかる事例、あるいは、議院内閣制だからこう言う抑制が効いて暴走しなかったなどと言う違いの事例を上げるべきです。
「特別検察官」に関する朝日の説明は「特別検察官が一般検察官とどこががどう違うか」の説明をしないでだらだらと事例を羅列しているような記事です。
朝日の得意とするイメージ報道と言うか、事実をきちっと解説できないムード記事が多いのがもの足りなくて昭和61年に私が朝日から日経新聞に乗り換えたと6月20日に書いた原因の一例です。
「特別検察官」と大統領権限から切り離されたかのようなイメージ報道されると、三権分立とは言え大統領権限が強すぎて検察の独立性が弱い点を考慮した補完性を考えた制度のようにイメージされますが、実は(政治影響力をどう見るか・弾劾決議に影響する政治上の判断が必要ですが・・)政権の存亡に切り込んでくればいつでも罷免できる点で、日本の普通の検察官ほどの地位保障すらありません。
その点で企業の第三者委員会は渦中にある企業幹部から選任されるものの、選任してしまえばその後罷免権が事実上ない点で第三者委員会よりも権限が弱いことがわかります。
政権の存亡に関わる点に及べば、(逮捕されて失職し刑務所に入るくらいならば、「特別検察官」を強引に罷免して世論の批判をうけても弾劾決議で負けて元々ですから、)法的には罷免してしまえる点で、結論としてはその直前・首の皮1枚のところで、「司法取引」が成立する余地があります。
ただし世論に押されて(与党の意向を受けて)弾劾を避けるために仕方なしに「特別検察官」を任命したのにこの捜査が進んで(政権に都合が悪くなったからと)解任強行したのでは、弾劾決議に(与党の多くが見放すので)直結するリスクが高まります。
過去の事例ではニクソンのウオーターゲート事件が世論の批判が厳しくなり弾劾決議の可能性も出てきたので「辞任と引き換えに訴追しない」暗黙の合意で終わっている・・実際には、辞任直後の次期大統領(ニクソン氏の副大統領のカーター氏昇格)がすぐに恩赦して終わっています。
特別検察官は最後の最後に「大統領辞任と引き換えに訴追しない取引・辞任に追い込めれば」大成功という制度設計のように見えます。
国民世論も、(不正を働いた大統領が刑務所にまで入らなくとも、)「政治責任を取るならばそれでいいか!」という大人の知恵でもあるでしょう。
この程度の落としどころを無視してトコトンやり抜くのが朝鮮族で、今回のパク大統領弾劾→刑事訴追→実刑判決のやり方です。
田中角栄氏に手錠をはめてしまった三木政権の日本も似たようなものですが・・。
たまたま上告審中に病死したので顕在化しませんでしたが・・・。
ウイキペデイアによると

1987年(昭和62年)7月29日 – ロッキード事件の控訴審判決。東京高等裁判所は一審判決を支持し、田中の控訴を棄却。田中側は即日上告
1993年(平成5年) 12月16日 – 慶應義塾大学病院にて75歳で死去。戒名は政覚院殿越山徳栄大居士。墓所は新潟県柏崎市(旧西山町)田中邸内。ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる

と言うのですから、上告審が長すぎる・・最高裁は病死を待ったのでしょうか?
私は当時から今になっても論理的説明できませんが、当時から「総理に対する訴追が必要な時でも一般人に対するのと違ったルールがあっても良いのでないか」と言う違和感を持っていて今も変わりません。
法の下の平等に反するのでルール化は無理でも、実際の運用で知恵をしぼる必要があるように思われます。
日本の総理や法務大臣には、アメリカのように検察官に対する政治的罷免権はありません。
内閣総理大臣は閣議決定を主導できるだけで法務大臣に個別に命令できませんし、法務大臣も検事総長に対して一般的指揮権発動はできても(自由党幹事長佐藤栄作氏に対する造船疑獄事件に関する犬養法相の指揮権発動は歴史に残る大事件ですし、政治的大事件に発展する覚悟が要ります)、個別検事に対する指揮権はありません。
個々の検事は検察官一体の原則によって検事総長の指揮命令下に入りますが、あくまで内部命令に過ぎず、個別事件処理に関しては独任官庁といって、検事の名で行った処理は内部権限制限に反していても、独立官庁権限を持っています。
しかも、日本の場合には、政治配慮によって警察検察が不当に立件しない場合には民間から告訴告発できて、告訴告発事件を検察が不起訴にしてしまえば、不満な方は検察審査会に審査請求できるしくみです。
検察審査会委員は選挙人名簿から選ばれる短期資格ですから、前もって誰がなるか不明・政治的圧力を受けたり癒着できない仕組みです。
検察審査会が起訴相当とした場合には、検察の動きが鈍い可能性があるので、(裁判所の選任ルールは弁護士会に推薦依頼があって刑事弁護に精通したその道のプロ)弁護士が検察官役になって事件処理〜公判維持する制度が完備しています。
もちろんこうした指定弁護士は裁判所が選任するので、政府が関与する余地が全くありません。
論理的にはこれで一貫していますが、アメリカのような司法取引成立のような・苟も一国の総理に関する事件では、事実究明をきっちりすることは重要としても、その先・・処罰まで必要かどうか・政治宣言効果・・失職程度でいいのではないでしょうか?
責任を取って辞任した後さらに追求するのは行きすぎのような気がしますが・・。
ただし田中氏は金脈事件の責任をとって辞任しても、隠然たる勢力を張って国政を事実上仕切っていた点が問題でしたが・・。
田中氏にすればトコトンの追及を避けるために辞任後も政治勢力維持に必死にならざるを得なかったと言えます・司法取引する仕組みがないからです。
落ち着かせるところで落ちつかせる知恵がないから、闇将軍といわれる状態が長く続き、国政が怨念の政治とも言われ長年ドロドロしてしまった原因です。
安保条約に関する統治行為理論や、選挙制の違憲問題でも最高裁判所が選挙無効まで判決しないで違憲状態宣言で終わらせているような、知恵がいるのではないでしょうか?

各団体の長(総理・内閣法3)

われわれ弁護士会のような組織でも会長が選出されることになっていますが、実態は世話役です。
(ここ20年ほどは行動力が求められるようになったので、ある程度のリーダーシップが求められるようになっていますが・・・。)
自治会や町内会長を見れば分るように本来は世話役に過ぎません。
「◯◯の長」とは、明治以降指揮命令する意味で使われて来た漢字の意味からすれば、会社を除く多くの組織での実体は違うので、国民は混乱します。
明治以来の運用と諸外国の物まねでムード的に社長に限らず、総理までが指揮権・能力が必要な印象になっていますが、縄文以来の気の遠くなるほど長い間の我が国の歴史から見れば、いきなり総理に軍隊の指揮者のような指導力を求めるのは無理があります。
合議を取りまとめる歴史を前提に我が国では明治維新の結果、憲法を造った時に大統領制を採用せずに議院内閣制を採用し、しかも総理は閣僚に対しては同輩の上席に過ぎない仕組みにしたのです。
(明治憲法では、天皇の大権を輔弼するだけの建前でしたから、維新以来の二官八省・・太政官制度は言うまでもなく、平安時代の朝廷での合議制度の歴史・・思想的にも一貫していました。
戦後の総理は単なる首班ではなくなったことが明らかですが、総理の指導力はそこまでに過ぎず、個別の閣僚・各省大臣に対する個別問題に関して指揮命令権はありません。
(意に反する閣僚の罷免権がありますが、実際に閣僚の造反に直面するときは内閣の危機状態に陥ったときですから、普通は政権が持ちません・・裏返せば政権が安泰の時には、閣僚は総理の指導力に従うことになるでしょう)
総理は国務大臣を罷免権で脅せるだけであって、閣僚は閣議決定に従う義務はありますが、担当省庁の個別問題について総理からの(閣議決定ではない)直接指揮を受ける関係ではありません。
行政権が総理にあるのではなく「内閣」にあることになっていますので、総理が行政を行うには閣議を経なければならないのです。
以下に憲法と内閣法を紹介しますが、内閣法8条によれば、総理は(各省大臣の担当職務行為について気に入らないことを)中止させることが出来ますが、具体的な内容指示は閣議で決めなければならないことが分ります。
内閣制度については、06/03/05「唯一神信仰と独裁2・・・・多神教の国と合議制2(内閣法1)」07/07/06「戦後の内閣制度13(憲法174)内閣法2」まで連載したことがありますので、関心のある方はそちらも参照して下さい。

  日本国憲法

第六十五条  行政権は、内閣に属する。
第六十六条  内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
○2  内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
○3  内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
第六十八条  内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
○2  内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。
 第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指 揮監督する。
第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一  法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二  外交関係を処理すること。
三  条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四  法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五  予算を作成して国会に提出すること。
六  この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
第七十四条  法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

  内閣法(昭和二十二年一月十六日法律第五号)

四条  内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。
○2  閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する。この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる。
第八条  内閣総理大臣は、行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる。

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