中国軍に解放してほしい日本人がいるか? 1

中韓等による日本非難の言語の多くは、自分らが日頃したいと持っている悪行を日本がしたことにすり替える・真逆の意味が多いという理解が今の日本では普通になっているのではないでしょうか?
人民解放論は支配者による搾取構造を前提にして異民族領域への侵略→支配を合理化するものですが、日本は古代から中ソが世界支配を正当化する図式の前提たる搾取構造社会ではありません。
指導者とは何か事業をするときにこれをみんなで心を一つにするようにまとめていく能力のある人のことで私利私欲のために動く人ではありません。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者・・旗振り役・・巨石を移動させるために修羅というもので運ぶのが知られています。
石の上で力を合わせるために音頭を取る人がいますが、彼一人の力で巨石が動くのではありません・・このように各種事業は旗振り役が重要ですが、彼は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
この人のおかげで一つの事業を成し遂げられたと思う人が出るとうまく行くし、後世偉人として尊敬されます。
奈良の大仏の像立に成功できたのは、それまで朝廷権威による布教形態を無視して独自布教していたことで弾圧されていた・・・最後は行基の指導力を利用するために朝廷が僧としての最高位を授与していますが・・)行基の指導力だとして今だに尊崇されています。
その他、各分野で中興の祖となどと尊崇される人は、自己利益・豪邸を建てて名をなしたのではなく清廉潔白の権化みたいな人ばかりです。
ところで、民族利益とは何か?
異民族支配に成功することではありません。
搾取構造の最たるものは異民族支配でしょうが、我が国では縄文の昔からこういう不当な利益を目的に行動すること自体意味嫌われる社会です。
みんなで労力提供して稲作の為の灌漑施設を作り、ようやくコメを収穫できるようにした場合に、地域住民みんな利益享受できる共同体利益を増進することです。
卑近な例で言えば、日頃から住む自宅周辺や町を綺麗にして気持ちよく暮らすのもその例です。
千年単位で形成した文化その他を含めた幅広い総合的概念が民族利益というものでしょう。
地方旅行すると、郷土の偉人の顕彰碑や資料館があることが多いのでいつもよく見てくるのですが、地元共同利益アップにいかに貢献するかによって人徳が決まる社会ですし、この逆もあるので日本人では子々孫々に恥をかかせない生き方が基本価値観になっています。
また多くの事業業績は集団協力があってこそ実現できるので、総大将や代表者は集団を代表して栄誉を受けるに過ぎないと言う点も民族の常識化しているからです。
百の地元貢献・もたらした功績で代表者個人が百の対価を得たのでは、不当利得であり、尊敬されません。
その代表者の次順位幹部はまだ名を残せるでしょうが、そのまた下の中堅協力者の努力に報いるには結局は当時は顕彰するしかなかったのでしょう。
ため池を作る場合を考えると巨大な資金負担があり、完成と同時に地元に恩恵があるわけではないので褒美を払う資金が枯渇している点もある上に、ため池の効能は子々孫々が継続的に享受するものです。
ため池も灌漑設備も完成と同時に100%受益できるわけではないので対価も受益に応じて払うのが合理的ですが、当時今のようにストックオプション制度もなかったので、地域住民が将来に渡って受ける受益対価も将来の分割払い・・世襲的地位(将来の家禄が保証されても主家が滅びたらおしまい・ストックオプションと同じ)を付与するのが普通でした。
世襲した方は、地元民から祖先の功績を褒められ立派な人だったと尊敬されるので、自然に自分も先祖に恥じないような行動を心がけます。
名主、庄屋や豪族の地位は上記のように地元の役に立ってこそのものですから役立たずになれば、下剋上にあって地位を失っても仕方ないという社会意識が定着していったのでしょう。
その結果現世利益は名目的であり、名誉で受けるのが99%みたいな対価方式が日本社会で定着したのでしょう。
日本では今の企業経営も同じですが、成功に応じて上位者の給与がちょっと上がる程度(百の功績に対して2〜30くらいの報酬、残りは後世子孫への名誉)であって、功績以上の報酬=搾取率の低い社会です。
せっかく(渇水対策のため池を作り洪水対策の堤防を築いたり)事業に成功しても自分の功績以上に私腹を肥やすなどもってのほか(ある程度の対価は必要ですが)ゴーン氏のように対価以上のものを貪るような恥ずかしいことは社会が許しません。
もともと功績評価は地域の子々孫々にどのような福利を残したかが基準ですから、欲をかくと却って子孫が恥をかきます。
この価値観の違いが大きく出たのが発光ダイオード発明の特許に対する企業の報奨金が少なすぎると争うことになった訴訟でしょう。
日本社会は紙一重程度の技術差の人材がひしめいて、その技術集団意見のすり合わせ・協力・集団成果の上に物事の実現が図られる社会です。
例えば、・・ある商品売上増には営業課長一人の能力によるだけではなく部下の功績も無視できませんので、何かの実績をあげた代表選手だけがヒーロー化されますが、実は集合智の目印になったに過ぎないという考え方が基本です。
何かで表彰された時に約99%の人が皆様の協力を得て・・「おかげ様で・・」と謝辞を述べるのはこの価値観によります。
発光ダイオード訴訟についてhttps://ironna.jp/article/407が発明対価について論点整理してすっきり書いていますので明日引用します。

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