実存主義2(と唯物史観)

実存主義といえば、このコラムで紹介したことがありますが私が司法試験受験の頃刑法と刑訴の基本書にさせていただいていた団藤重光氏の刑法理論(人格・行状責任論)がピタリ実存哲学的傾向とどこか似ていたのでなじみやすくこれを愛読して受験したので、今でもその基本書で身につけた精神・人の生き方で(三つ子の魂百まで?)物事を理解しています。
団藤重光に関するウイキペデイアの一部引用です。

“責任”
責任論において、小野がとる道義的責任論とその師である牧野英一がとる新派刑法理論に基づく性格責任論との争いを止揚することを企図して、道義的責任論を基礎としつつも、二次的に背後の行為者の人格形成責任を問う人格的責任論を提唱した
以上のように、団藤は、新派と旧派に分かれて大きく対立していた戦前の刑法理論を発展的に解消した上で継承し、戦後間もない刑法学の基礎を形成した。

個人的には、古来から「家貧しゅうして孝子あらわる」と言い、高杉晋作の辞世の句に望東尼が付けた「すみなすものは心なりけり」という心情でしたので、環境はどちらにも左右する筈・・主体的人格形成責任重視の団藤理論になびいて行ったのです。
ウイキペデイアの解説で思い出しましたが、大学で受けた刑法学の講義は戦前優勢だった新派理論(主観主義)の刑法学で、環境が全てとは言わないものの環境(生い立ち)重視理論でした。
統計的には、経済困窮(景気変動)と犯罪率に相関関係があるでしょうし、親が不良だと子供も不良になる?裕福な家庭の子は進学率が高く・貧困の連鎖があるのも事実でしょうが全て環境のセイにして個別事件を処罰しなくて良いわけではないし、個別事件では別に考えるべきことです。
環境重視の政治主張は今でもメデイア界では主流かな?
東大生に裕福家庭が多いとかのキャンペインが数年おきに行われ、格差社会の拡大や貧困連鎖に対する警鐘がしょっちゅう行われますし、この数年では、日本の是枝監督「万引き家族」や韓国「パラサイト半地下家族」を描く映画が相次いで国際賞を受賞しています。
「下部構造が上部構造を規定する」というスローガンを信じる人たちにとっては、スローガン化し、単純で訴求し易い・・政治主張し易いからでしょう。
こういう決まり切ったスローガン運動に対する批判が一般化してくると「下部構造が上部構造を規定する」という図式理解で批判するのは勉強不足だという再批判が行われているようです。
以下はhttps://ch.nicovideo.jp/great/blomaga/ar908008の部分引用です
かぼちゃ丸のブロマガ

マルクスとエンゲルスによる唯物史観批判、「下部構造が上部構造を規定する」という誤解


これをみれば、

こんなこと言ってる人がダメダメだということがよくわかるはずです。

まとめ
以上、唯物史観のよくある誤解について、簡単に説明をしてきました。現在、批判されがちなマルクス史観というものが多くの誤解に基づいていることが分かったんじゃないでしょうか。

また今回はあまり詳しく調べませんでしたが、マルクス史観の誤解の裏にはやはりソヴィエトの影響力が強いと思います。レーニン、スターリンをはじめとした歴代ソヴィエト主導者は、コミンテルンを通じて、誤ったマルクス史観を世の中に広めてしまった。

しかし、以上のことから「真のマルクス唯物史観は現代でも生きている」と言うのはやはり無理があると思います。実際、マルクス史観でもっとも肝心要の共産革命は西ヨーロッパでは起きてないわけですしね

というのですが、一般人の政治主張当否の場では仮に下部構造→上部構造の図式主張している左翼系運動家が、レーニンの主張をマルクスの主張と誤解している場合でも、誰の主張によるかを究明することにどれだけ意味があるでしょう。
この論者の意見では、マルクスは、経済批判で唯物史観発表以降徐々に修正しているのでそれはマルクスの意見ではないというようですが、そうであれば唯物史観は間違っていると反論する方の人が正しいのであって、唯物史観に対する批判者がマルクス理論を誤解していると逆批判される筋合いではないでしょう。
論点は、上部構造が下部構造に規定されている式の唯物史観主張が正しいかどうかであって、一般人には下部構造に規定されていると図式論がマルクスの意見か、レーニンの意見かなど関心がないでしょう。

自然人と法人2(実存主義)

現行民法制定の起草委員であった富井政章氏の現行民法典編纂過程に関する民法言論がネットに出ています。
ウイキペデイアによれば富井政章氏は以下の経歴です。

民法典論争では、フランス法を参考にしたボアソナードらの起草にかかる旧民法は、ドイツ法の研究が不十分であるとして穂積陳重らと共に延期派にくみし、断行派の梅謙次郎と対立したが、富井の貴族院での演説が大きく寄与したこともあって旧民法の施行は延期されるに至り[1]、梅、穂積と共に民法起草委員の3人のうちの一人に選出された。商法法典調査会の委員でもある。

著書発行は1922年ですが、自分が明治29年成立の民法典起草委員であったときの歴史証言になる論文です。
以下私権の享有主体に関する部分の引用です。
https://ja.wikisource.org/wiki/%E6%B0%91%E6%B3%95%E5%8E%9F%E8%AB%96

民法原論 第一巻総論
作者:富井政章
1922年
第3編 私権の主体[編集]
第1章 汎論
権利の主体たることを得る者は法律上人格を有する者即ち自然人及び法人の二とす。
何れも法律に依りで人格を有する者なるが故に法律上人と称すべき者なることは一なりといえども民法は便宜上世俗普通の慣例に従い人なる語を狭義に用ヰたり。即ち民法に所謂人とは法人に対し専ら自然人のみを指すものと解すべし。
権利の主体たることを得るを称して権利能力と謂う。
民法に所謂私権の享有とは即ちこれなり。権利能力は法人に対してその範囲に制限ある外何人といえどもこれを有するを原則とし身分,宗旨,姓,年齢等に依りで差別あることなし。即ち私法上においては各権利の主体たることを得るものとす。
而して権利の目的物たることを得す。
この公の秩序に関する原則にして何人といえどもその人格を放棄することを許さざるなり。彼の奴隷及び准死の制度の如きは既に歴史上の事迹に属し近世の立法例は特にこの原則を明示することを必要とせざるに至り。
但し私権を享有する程度には差別あり。或一定の身分を有すること又は受刑の結果等に因り特種の権利能力を失う場合なきに非ず然りといえどもこれ何れも特例にして人格を具有せざる一階級の者あることを認める趣旨に非さるなり。
権利能力に対するものを行為能力と謂う。
行為能力とは法律上の効果即ち権利の得喪を生ずべき行為を為す適格を謂う。行為能力に法律行為能力と不法行為能力の二種類あり。何れも意思の発動に外ならざるが故に権利能力と異なりで意思能力を具えさる者はこれを有せず。例えば嬰児又は喪失者の如し民法において無能力者とは法律行為能力を制限せられたる者を謂うなり。

人は権利の主体であり客体たるを得ず・・すなわち人身売買・・奴隷制禁止の思想です。
民法制定の沿革部分(引用しませんが)によれば、旧民法と新民法の違いは細かい解釈の変更ではなく総論を置き、重複を避けるなど体型整備が基本でドイツのパングステンシステムを採用した程度の変更であったことが分かります。
ボワソナード民法(旧民法)はもともとナポレオン法典・・近代市民法の原理を骨格にするもので、新民法(現行法も)近代法の精神等の内容面で大きな変更がなかったようです。
以上によると「私権の享有は出生に始まる」との大宣言(人種性別等によらず全面的平等理念)は、明治初年頃には日本社会の支配的意見だったことがわかります。
世襲というか設計図(今風に言えばDNA配列)が生まれる前から書かれている人生も辛いものでしょうが、実存哲学のように自分で切り開く自由も辛いものです。
「能力次第だから自由にしろ」と言われ、自由恋愛と言われても自分で相手や職場を探せる能力ある人は限られる・・環境のせいにする逃げ場がないのは、凡人にはつらいもので、精神疾患が増えます。
サルトルはこれを「自由の終身刑」とも主張しているようです。
楽直入氏の日経連載「私の履歴書」が今日で終わりましたが、楽焼きの伝統を承継する楽家の長男として生まれた(伝統承継の義務?)苦しみを経て成長していく過程に心打たれますが、それでも家業(生まれる前から書かれている設計図通り)生きるかは慣習・利権継承の問題であって法が強制するものではない・家の伝統を守らず別の道に進むかを決める決定権は本人にあります。
徳川期に大老の家柄に生まれた酒井抱一が栄光の武門を世襲する恩恵を受けるより、一介の絵師になったように、世襲制といってもリアルにみれば、世襲の恩恵より大きなチャンス(個人能力)があればその権利を拒否し枠外に踏み出すことが可能な社会でした。
世襲制といっても世襲する義務があるのではなく、相続権?を行使するかどうか自由のある社会でした。
たまたま安定成長時代に入ったので、よほどの才能がある人以外には将来が保証された相続を選ぶ人が多かった時代だったという程度のことでしょう。
大老というビッグネームを捨てた(跡取りではなかったので、ハードルが低かった)彼以外にも、西行に始まり、芭蕉、平賀源内その他武士・世襲の家禄)を捨てて、文化人になって行った人(山東京伝や滝沢馬琴など)が一杯います。
楽直入氏の生き方を読むとまさに実存者の行き方です。
苦しかったといえば、高名な彫刻家を父に持つ高村光太郎も「僕の前に道はない・・」と同じような苦しみを抱き続けたのでしょう。
高村光太郎氏も父の権威に反発しながらも、詩だけでなく結局?彫刻もやっています。
戦後思想界を風靡したサルトルの実存主義は、行動主義でもあったので・・共産革命や市民・学生運動に結びつく傾向があってソ連崩壊後輝きを失って行きますが、私にとっては青春の一コマ・・セピア色の残映です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC