企業と政治(官僚政治)

ここで戦後政治の担い手を振り返ってみると、戦後20年くらいまでは地方名望家出身の地方政治家の国政進出(市議→県議→代議士)が多かったのですが、地方名望家の供給源が縮小したばかりではなく、高度成長による経済摩擦が常態化して来て、政治の中心が国際政治・国際経済にどのように対応すべきかというテーマになって来ると地方名望家出身では手に負えなくなったことが明らかです。
高度成長期以降海外貿易に携わる経済界が海外事情に詳しいことから、経済界と官僚機構が二人三脚で国際変動・交渉に立ち向かって来たので、地方名望家出身に代わって経済界から支援を受けた官僚出身者が政治家になる時代が続きました。
日米繊維交渉その他重要交渉が外務省を通じて行うのではなく当時の通産省が中心となって行って来たし、農産物解放交渉は農水省が行って来たことは記憶に新しい所です。
(外交官が外交のプロと言っても経済の実態を知らないと何をどのように交渉して良いか分りませんが、経済界は日頃つながりの深い通産省に・農業界は農水省に情報を上げていたし、戦闘機等の購入交渉は防衛庁へと、交渉実務が通産省や農水省に・防衛省とそれぞれの実務官庁に握られてしまいました)
高度成長期から昭和末まで官僚の能力が高そうに見えたのは、(官僚)政治に対する期待の高かった(悪く転ぶと自社に大きな不利益が及ぶ関係もあって)経済界が必死になって業界の最新情報や智恵を御注進に及んで特定の政治結果を出すことに一緒に協議して智恵を絞っていたことによります。
これに対応して自民党政治家も族議員化・・専門化していました。
我々弁護士や裁判官が多くの事件処理を通じて、各種業界関係者から取引その他の実情を教えてもらうのでその業界の実態を知悉するようになるのも同様です。
私達弁護が事件処理が少なくなってヒマだからと◯◯の処理方法と言う本ばかり読んでいても、実務能力がつく訳ではありません。
プラザ合意に始まるグローバル化以降、経済界が外国に拠点を設けるようになり、これに比例して政治への関心が自社の拠点のある国々へと分散されて行くと、その分国内への関心が低くなり、ひいては官僚へのお願いの頻度・情報注入量が減少して行くのは必然です。
海外拠点が増えるとこれに比例して国内政治の結果に死活的利害がなくなって来る・あるいは利害関係が希薄化するので特定政治勢力に対する必死の支え・・情報提供が少なくなり官僚と官僚出身政治家の情報源が枯渇して行きます。
海外展開が進めば進むほど、企業の関心が国内から海外に向きがちなので(仮に海外生産比率・従業員8〜9割に達した場合、経営者の関心比率もこれにほぼ比例するでしょう)官僚の政策立案能力が低下する一方なので、官僚が全盛期に握っていた権限が能力以上に大き過ぎることに対して国民の批判を受けるようになって行きます。
ここ20年ばかり官僚不信が極まっているのは(この頂点になったのが大蔵省解体に至る結末でしょう)この辺に原因がありそうです。
経済界が政治から距離を置くようになると、官僚への栄養補給が細って来たことによって、官僚の政策立案・遂行能力低下になったと思われます。

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