大人の付き合いを出来ない人(国)との付き合い方

個々人の場合、人口が1億以上もいますので、一人や二人断交状態でもお互い忘れてしまって終わりですが、国家や社会間ではそうはいきません。
言わば企業がクレーマーに取り付かれているような状態です。
何しろ隣の国は引っ越して行かないし日本も引っ越せないのですから、毎日目にしない訳に行かないし、忘れている訳にも行かないのが厄介だと言われています。
ただし、これも比喩的言い回し過ぎず、白村江(663年10月)の海戦以降日本は朝鮮半島と1000年以上もマトモな往来をしておらず(途中元寇の主力が朝鮮人であったことと秀吉の朝鮮征伐くらい)、江戸時代には儀礼的通信使の受入れ程度で終わらせていました・・これが日本の智恵です。
内陸国でその国を通らないとその国に行けないとか、その国の港湾や海峡を通らないと物流上すごく不便とかの関係があれば別ですが、韓国の場合、日本の対外交易上地理的に何の関係もありません。
アメリカに行くのも中国や東南アジアへ行くにも・物流コース的にも全く関係がありません。
中国の旧満州地域との交易には少し遠回りになるかもしれない程度のことでしょう。
だから韓国がまともな道義を守らない限り最低の挨拶程度で良いし、運悪く?広がってしまった韓国との貿易関係を徐々に縮小して行けば良いことです。
遣唐使の頃でも朝鮮半島コースは危険過ぎた(追いはぎ強盗系の跳梁するコースだったと言う意見もありますが、要は、白村江の海戦で知られるとおり、新羅と戦った後なので山東半島までの新羅の領海利用・・当時は島伝いの航海しか出来なかった・危険だったので、南路・サツマから南西諸島伝いに南下して風向きを待って西に向きを変えて・蘇州・揚州・明州などに上陸する・・現在の上海付近経由に切り替えてしまった歴史があります。
遣唐使再開まで40年近くかかったのは、白村江の海戦では、唐・新羅連合軍に敗れたのですが、その後新羅と唐が対立関係に入った政治力学変化・・唐と敵対関係になっている新羅支配下の朝鮮半島経由での航路再開が不能であったこと・・航路変更に伴う南西諸島の寄港地の準備・・、南路の場合船の大型化などの技術革新が必要であったからと言われています。
2012年頃に中国が反日運動の一環として対日レアアース禁輸しましたが、日本が技術力でこれに対応したのと同様に、日本は半島経由で島伝い航海が出来なくなった代わりに新航路開発やこれに見合った外洋航海用に船舶改良や航海術のレベルアップに成功したと言うことです。
国際政治的には、南西諸島航路・・寄港地の必要性に迫られた結果、当初支配下になかった(隼人族は簡単に従わなかったので討伐等の繰り返しで漸く服従して鹿児島地方が薩摩の国と言う国名を持つようになるのは、遣唐使再開後かなり後です)薩摩の国以南・・奄美諸島など南西諸島への大和朝廷の支配が広がって行った経緯でもあります。
台風等で難破する危険を冒し、遠回りしても、その方がトータル安全性が高かったからです。
この結果、日本は外洋航海術に習熟して行きますし、朝鮮半島は日本への交易・文化伝播ルートから外れてしまい、明治維新当時には、社会の発展段階が日本と比較して全く遅れてしまった・・頑迷な民族になってしまった原因の大きな要因です。
日本が明治以降已むなく朝鮮半島に関わらざる得なくなったのは、ロシアの南下政策の脅威にさらされていた所為ですが、今はその程度のために頑張る必要がなくなっていることをJanuary 12, 2017「文字文化普及4とピープル・民度1」に書きました。
大陸間弾道弾その他長距離砲の時代ですから、朝鮮半島から撃って来るかその奥のロシア領から撃って来るかの違いでは大差がありません。
ロシア艦隊や空軍が朝鮮半島に根拠地を持っているのと持たないのとでは、イザとなったときの脅威の差は大違いですが、昔ほどではないと言う意味です。
6月9日紹介した記事では、実際には日本企業等への就職者は数十人から100人あまりに一けた増えたに過ぎませんから、絶対数・・韓国学生数とのパーセントにすれば取るに足りない数字ですが、だからと言って無視出来る数字とは限りません。
どこの民族でも全員レベルが同じではなく、一足飛びに最先端に直ぐ適応出来る人と中程度に適応出来る人など、いろいろな能力の人が混在しているのが普通です。
国によってその比率が違うだけでしょう。
全体を万遍なく引き上げるのは難しくとも、それぞれの能力に応じて実力発揮して国全体が引き上げられて行くものです。
日本の明治維新のときもそうでした。
韓国人の日本企業就職組の配置は当面海外事業部勤務が中心のようですが、日本の企業マネジメントなどを身体で学び身につけて中には本社部門に抜擢されて頭角を現す人も出て来るでしょう。
日本企業にとってもどうせ有能な外国人が一定数必要ならば、いつ裏切られるかの心配は別として、韓国人の方がある程度気心が知れていて便利です。
(最後に裏切られて酷い目に遭うかもしれないとしてもそれまでの間、)企業は便利に利用し、韓国人も日本人に使われるのは口惜しいが日本企業から経営能力を働きながら盗み出す・・お互い利用しあう精神で付き合うのは冷厳な事実を自覚しながやるならば、お互いの利益です。
今のところ韓国の若者は国外脱出傾向が激しいので、この面だけ見れば優秀な順に国外流出してしまう亡国の危機に直面していると言えます。
しかし、将来的には前向き脱出組の何%かでも先進国企業に就職して実地に学んで、国内回帰して自国発展に尽くす人が出て来れば、・・もしかするとサムスンだけではなくいろんな国際企業が生まれて来る可能性があります。
マトモな企業が増えれば、そこで働く従業員の意識もマトモな道義心を持つようになりますので、マトモな企業が増えて行けば、徐々に韓国もマトモな国になって行く可能性もあります。
ただし、韓国中国の場合、宗族連帯意識が基礎であって民族意識は希薄ですから、一族の呼び寄せエネルギーにはなるでしょうが、愛国心に結びつくかは不明です。
愛国心の有無は別として、ロッテのように外国で成功すればよその国に進出するよりは縁故の多い故国に先ず進出し、そこに工場を建てたりするでしょうから、国の発展に資することは確かです。
華僑の多くが故郷に錦を飾るように、中国本土に投資するのと同じ効果が韓国にも出て来ます。
実際日本で成功している多くの在日の多く(今のところパチンコや金貸しなどの経験を生かした得意分野が限られている印象ですが・・)は韓国にも進出している様子です。
明日紹介しますが、韓国人の町金依存度が高いのですが、その多くは日系金融事業者と言われていますが、日系企業とは言ってもその中身は在日らしいのです。
http://japanese.joins.com/article/217/192217.html
日系貸金業者、韓国市場の占有率が56%
2014年11月04日10時20分[ⓒ 中央日報日本語版]
韓国に進出した日系貸金業者の貸付金額が韓国企業を凌駕したことが分かった。
以下の通り在日系は複雑資本支配をしている(サムスンなどの財閥支配構造の複雑さは有名です)ので、簡単には分りませんが、日系企業と言っても(日本人は高利貸し経営には慣れていないし)多くは在日系の祖国進出らしいのです。
http://japanese.joins.com/article/695/184695.html?servcode=300&sectcode=300&cloc=jp|article|related
2014年04月28日09時22分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
「ラッシュ・アンド・キャッシュ」で有名な韓国内最大の消費者金融会社APROファイナンシャルグループ(A&P)が、「日系」という肩書を完全にはずす案を検討している。27日、金融圏によれば今年2月イェジュ・イェナレ貯蓄銀行の買収優先交渉の対象者に選ばれて貯蓄銀行業界に進出することになったA&Pは、最近これに関して金融委員会に「新しい消費者金融会社を設立した後、この会社が貯蓄銀行を買収する形式を取りたい」と提案した。
A&Pは、在日同胞3世のチェ・ユン会長(51)が2004年に売りに出てきたA&Oグループを買収して運営している会社だ。A&Oが日系だったため、日本の裁判所で日本企業を対象に売却が進められた。チェ会長は当時、日本にJ&Kキャピタルを設立した後、この会社名義でA&Oを買収した。現在J&Kキャピタルはチェ会長が100%持分を保有しているペーパーカンパニーだが、厳密には支配構造上のトップに位置している。A&Pが日系に分類されるのはこのためだ。」
以上のとおり、韓国の個人金融負債が限度を超えて来たと騒ぎになっていますが、日系企業による町金融支配になっているようです・・。
日本式思想・働き方・経営風土が身に付いている在日系は、土着?韓国人よりも経営能力が優秀ですから、ロッテのように韓国で大企業に発展して海外展開する企業が出て来るでしょう。
サムスン創業者その他成功している人の多くは元日本で教育を受けたなどの経歴を活かしています。

嫌韓感情と反日感情の背景1

日本企業にとってもどうせ外国人を採用するしかないとすれば、何やかやと言っても日本人にとって韓国人の方が欧米系・中国人に比べて何となく気質が通じる便利性があるからでしょう。
何と言っても4〜50年間一緒の国として仲良くやって来たし、戦後も韓国の成長を助けて来た親密な経験があります。
李承晩以来政治運営能力欠如を隠すために韓国歴代政府は頻りに反日運動し教育して来ましたが、日本統治時代にはうまくやって来たのが実態ですし、戦争中にも反日行動など一切せずに皇軍の一員として誠心誠意協力してくれた記憶でない訳ではありません。
ただし以下のとおり、日本に協力した方が得と言う損得勘定が優ったからでしょうが・・。
本日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AEからの引用です。
「1931年9月、満州事変が勃発すると、満州に居た多数の朝鮮人小作人は親日へと転化した。朝鮮半島でも「内鮮一体」が主張され、皇民化推進団体が結成された。三・一独立運動の首謀者の一人である崔麟も大東亜戦争開戦のときには親日家となっており、大東亜戦争を「聖戦」と讃え、日本の支援を積極的に行った。また、玄永燮(韓国語版)は朝鮮語を禁じるべきだと主張し、李東華(韓国語版)は朝鮮人にも日本人と同様に兵役の義務を与えるべきだと主張し、朝鮮神宮では「国威宣揚武運長久祈願祭」が挙行されるようになった。李覚鐘(韓国語版)は「私共は大日本帝国の臣民であります」「私共は互いに心を合わせて、天皇陛下に忠誠を尽くします」「私共は忍苦鍛錬して、立派な強い国民となります」と書かれた皇国臣民ノ誓詞を書いた。」
日本政府は李氏朝鮮時代から朝鮮人にも日本軍の幹部を養成する陸軍幼年学校や陸軍士官学校への入学を許可したので、李王垠や洪思翊など日本軍の将官に栄達した者も多かった。1937年に日中戦争が勃発すると、朝鮮人から志願兵の申し出が行われるようになり[14]、朝鮮人の朴春琴衆議院議員から「朝鮮人志願兵制度」の請願が出され、1938年からは朝鮮人にも兵卒の志願を許可する陸軍特別志願兵令が公布され[15]、軍人・軍属として戦地に赴いた者も存在した。」
満州事変後小作人が、親日性を示したのは新支配者である日本に率先協力したのは、満州族支配下だった小作人の地位脱却に有利だったからに過ぎないと言えます。
敗戦と同時に米軍の手先になり戦勝国気分で、暴れまわったのと同じ発想です。
実際に中国支配下で日本がしたと言われる悪事の殆どが、朝鮮人が日本人を騙って?現地人に威張り散らしたことに原因があったと言われるのは、この実態を表しています。
朝鮮人を日本支配道具に使おうとしていた米軍も朝鮮人の暴虐ぶりに手を焼いて方針変更したのと同じで、日本も満州に住み着いている朝鮮族を満州支配に使うには、却ってマイナス効果だったことが分ります。
敗戦後イキナリ反日に転じた事情は以下のとおりですが、戦時中の対日協力や戦後の行動を通観すれば、事大主義の人種特質を持つ民族であることは確かです。
上記ウイキペデイアの続きです。
「日本のポツダム宣言受諾により、朝鮮半島の統治権は連合国側に移った。1945年9月2日、アメリカ戦艦ミズーリの甲板上で日本政府が公式にイギリスやアメリカ、中華民国やソ連をはじめとする連合国との間で降伏文書に調印した。1945年9月9日、降伏文書調印に伴い朝鮮総督府は解体され、京城の朝鮮総督府庁舎には日章旗に代わり星条旗が掲揚された。まもなく、アメリカ軍は降伏条件には定められていなかったが[25][26]日本政府および日本人の資産を没収した[27]。終戦後、朝鮮半島や日本に在住する朝鮮人は日本人と同じ敗戦国民にもかかわらず「自分達は戦勝国民だ」と主張し、日本人引揚者たちは検問でソ連兵や朝鮮人への女性や金品の供出を強要され、日本上陸後に15歳以上の女性は妊娠・性病検査や堕胎手術を受けた[28]。」
簡潔に書いていますが、引揚者の苦難・・婦女子に対する対する両白昼公然の強姦の結果「女性は妊娠・性病検査や堕胎手術を受けた」と簡潔に書かれていますが、何十万と言う人々が筆舌に尽くせない被害を受けたことは確かです。
このような甚大な人道に反する大被害を受けているにも関わらず、日本人は黙って韓国の成長を助けて来ました。
これに追い撃ちをかけるようにありもしない慰安婦騒動を起こしたので、さすがに堪忍袋の緒が切れたと言うところです。
我慢して黙っていた日本人も、戦後の朝鮮人の蛮行を言い出すようになったのです。
こう言う浅ましい民族が隣にいると知った上で、どこまで付き合うかの智恵の問題です。
政治リーダーが自己保身のために煽る政治の対立と個々人の親日気分(今韓国が苦しくなったから強い方にすり寄っているだけの民族性ですが・・)は別です・・これが実際には訪日数が増える一方になっている真の原因です。
韓国人にとっても政府の反日教育に関わらず「これは日本を強迫し何かをうまく脅し取るための手段に過ぎない」とみんな知っていて「そうだそうだ」と騒いでいるに過ぎない・手段でしかないので本心は親日?かも知れません。
本心とは何か?ですが、今は日本の方が成功しているから、日本とことを構えるの損だと言う考えになったことを本心だと言うのでしょうか?
政府は表向きイキナリペコペコ出来ないから強気で圧してもらうが、代わりに個々人としては「日本大好きポーズで当面の間行こう」程度のことを個々人の内面では親日感情が強いと言うのでしょうか?
日本統治時代に大事にしてもらったことも知っているし、敗戦で日本が弱れば強欲に何でも自分の物にしたり日本国内では戦勝国気分で暴れまくった経験を覚えている・・どんな酷いことをしても仕返しをして来ない・・こんな楽な相手はないでしょう。
この意味で・・気心の通じる日本の方が良いので、日系企業就職者数が圧倒的に多いことになります。
今までの経緯から、イザとなれば裏切ってもどうってことないと甘く見ているのかも知れません。
日本も韓国人の冷酷な性質を良く見極めた上で、嫌韓感情のような政治対立あるいは日韓融和が成り立ったとしても(慰安婦合意みたいなものが出来ても)表面に流されることなく、イザと言うときには何をされるか分らない相手と言う覚悟・・相互の実質的関係を良く見極めて冷静・冷厳な事実に基づいた付き合いをし協力関係を構築して行くしかありません。
再び韓国内で動乱が起きれば、あるいは日本が韓国より弱ったと見れば何をされるか分らない国であり民族性であると言う理解の上での行動が必要です。
・・韓国内に行く人や進出・付き合う企業はこの程度のことは覚悟の上で行っている・・自己責任と覚悟しておくしかないでしょう。
いろいろと考えて行くと日韓関係は、いわゆる近親憎悪みたいな関係・・親しければ相手のイヤなところが鼻について来るのは当たり前ですが、それを乗り越えて長い付き合いほど親しくして行くのが大人の智恵です。
長い付き合いだから喧嘩になる・・実際にしてしまうのでは、愚か者同士の生活スタイルとして笑われます。
一方が大人の対応を続けても相手が際限なく悪さを仕掛けて来る場合どうするかですが、出来れば相手にしないのが普通のやり方です。

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