日本教と天皇制(美しい日本)

殆どの国では異民族に占領されると占領軍と提携して国を売る人材があらわれて占領軍に良いように支配されてしまう・・その結果植民地に転落して行きました。
(中国清朝末期の買弁資本家その他の国では傀儡政権成立)
日本の場合、どんな苦境に陥っても兵は最後まで勇敢に戦うし、占領後に交渉相手になった官僚や政治家も一人として自己利益のために民族を売るような人物は出なかったので、米軍は付け入る隙がなくてどうにもならなかったのです。
戦後処理に関与した人を非難する人が多いですが、派手に反対ばかりしてれば良かったのではなく、柔良く剛を制すというように結局民族の独立を守るためにどちらが良いかと言う問題です。
今でも、アメメリカ批判ばかり強くなり過ぎると、アメリカが腰を引いてしまって日本が損することもありますから、何事も程々にしているのが一番利口ということです。
私は将来アメリカが信用を失って行くであろうということ・・過去にどんなに悪行を働いて来たか・・中韓両国に対して日本批判を裏で唆すのはアメリカ自身に帰って来るでしょう・・と言う意味で書いているだけで、そのこととこれを種にアメリカと大喧嘩すべきかとは全く別問題です。
アメリカに対して言い返すのではなく、中韓が言いつのるならば、戦争に至った経過と戦後のことや過去の西洋による植民地支配等の実態を粛々と紹介して行けば良いことです。
占領軍は日本を恒久的に4等国にしておくために、この崇高な日本の民族精神をぶっつぶし・日本民族の強固なアイデンティ破壊を目標としていたとすれば、戦後の国体護持論争は、日本民族の被植民地化・実質奴隷化を阻止し日本民族の尊厳・道義観を守り切るか否か・・国体の護持が出来るか否かこそが、民族精神の実質的興亡のかかった大変なせめぎ合いだったことになります。
米軍は各地の戦線でどんなに日本軍が劣勢になっても最後まで頑強に戦う日本兵の強さには驚き恐怖を感じていたことが知られています。
この強さ・団結心の秘密は神道にあると言う研究によって、占領後は神道の破壊を真っ先の目標にしていました。
神道の破壊こそは、日本支配の象徴として連合軍の第一の目標に上げられていて、占領後全ての指令に先立って真っ先に出されている重要さが分ります。
戦後レジームからの脱却を主張する第一次安倍政権時のスローガンが「美しい日本の復活」であったのはまさにこの本質を言い当てています。
国体護持者=軍国主義者ではなく、美しい日本列島・・ココに生きとし生けるものを愛する心・・絆・日本人の高い道義観を大切にする心を維持し、守って行くかどうかこそが戦後の争点であって、天皇制の維持はその象徴的結果でしかありません。
ただし占領軍との妥協の結果、天皇は人間宣言を発します。
それまでは現人神だったのですが、これにこだわっていると天皇制維持自体が難しくなったからでしょう。
日本人にとっては天皇は現人神であろうとなかろうと、日本人の心象徴として残れば良いことです。
天皇制維持の可否は、西洋的な(日本以外での)君主制か民主制・共和制かと言う政治体制選択の問題ではありません。
我が国の場合、国民統合の象徴・・即ち、日本教とも言うべき「自然を愛し、生きとし生けるもの全てを愛し、残酷なことは一切しない「和」の心」の象徴を一種の偶像として個人・天皇家に託しているのが天皇制ですから、心のありようの問題です。
天皇が権力で国民を強制的に支配しているのではなく、一家の神棚みたいなものです。
日本の天皇やこの精神(大御心)を実現するべき実行部門である政府・当局者は、古代から国民のためにあったので、国民を圧迫する人民の敵と言う対立軸で理解すべき世界中の君主や政府・当局者とは古代から成り立ちが違っています。
国体護持・天皇制維持の問題は権力構造・制度維持・制度改変という皮相の問題ではなく、日本人の心のよりどころ・・日本中の神社を破壊し、日本精神そのものを破壊する意図が露骨になってしまいます。
軍国主義の頂点としての天皇制の廃止論を掲げていた占領軍司令部が、直ぐにこれを撤回修正して、維持の方向へ方針変更せざるを得なくなったのは、こうした違いを理解したからです。
これを理解しない韓国大統領による天皇侮辱発言日本人の心の象徴に対する侮辱になって憤激を買います。
中国による人民と政府・戦犯を峻別する宣伝・・これに乗る我が国マスコミ・文化人の主張も日本人の一体感に反しているので効果がありません。

女性天皇論1

小泉政権当時から女性天皇制の是非が議論されていますが、(秋篠宮家に男子出生によって今は下火ですが、将来の課題として残っています)
「古代に女帝が一杯あったじゃあないか」
という女帝容認論に対して、天皇になるべき子が幼なすぎるその他(蘇我氏が擁立した推古帝の外、中大兄の皇子がなかなか即位せずに一旦母親に2カ目の践祚をして貰い・女帝を建てたりしました)複雑な政治駆け引き上の繋ぎ目的であって、女帝に皇族以外の夫がいてその子が皇統を継ぐようなことが予定されていなかったと反論されています。
現在の女帝容認論は、他に皇嗣になるべき皇族男子がいないことを前提にしているのですから、その結果は全く皇統に関係のない系列に皇位が移って行くことを前提にしているので、古代に女帝がいたこととは本質がまるで違っています。
皇統がどうあるべきか・・皇統が連続するとは男系のみを言うのか等の本質論を避けた議論をしていては議論がかみ合いません。
イギリス王室の例で見れば分るようにイギリスでは、現エリザベス女王の子が次期王位継承者ですから、・・即ち夫は王室外ですから、男系にこだわっていないことが分ります。
日本の女帝は(次期皇位継承者がいることを前提にして権力均衡を計るためも含めて)次期本格政権への繋ぎ(当然皇位継承すべき皇族男子がその他大勢いて)目的が中心であったことは相違ないでしょう。
本論に戻りますと、このように我が国古代の女帝は政権の繋ぎ=皇位を一時預かりしているに過ぎない性質から政治は抑制的になり、中国で経験している前回紹介したような垂簾政治のように強力な独裁・恐怖政治を生み出さなかったのです。
漢の呂后、唐の則天武后、清末の西太后その他垂簾政治は政権簒奪している負い目もあって却って強権、恐怖政治になり勝ちです。
日本の場合、負い目があれば遠慮勝ちになるのですが、中韓両民族では逆にいきり立つと言うか強がり・強行策に終始する傾向があるのは、古代から現在に至る大きな違いです。
国民の支持を前提にする社会であれば、開き直りのような強行策・弾圧強化政策は却って人民の支持を失いますので、このような政策選択はあり得ないことになります。
開き直りこそが最有効とする価値観が盤石になっているのは、古代から強権政治に領民が反抗するすべを全く持たなかった・・人民はすごく弱い・・強権政治・恐怖政治に徹することこそが、却って政権安定の基礎であったと言う実績・経験があるからでしょう。
中国地域では、古代から政権は我が国のように昔から人民の支持によるのではなく、権力獲得競争は武力の優る方が勝ち、その後の政権維持に関しては政権内の反対勢力に関心がありますが、人民に対しては支持よりは弾圧能力にかかっているという単純社会を予定しています。
中朝両国有史以来続いた専制政治制とは本質的にこう言うものでしょう。
現在では重火器の発達で重火器を保有し得ない人民の暴動などとるに足りない・・いくらあっても政権が倒れる心配がないと言うのが中共政府の考え方でしょう。
外国の介入・・人民への外国からの兵器補給さえなければ、今の時代どこの国でも暴動弾圧には困らない時代であることを以前から書いています・・シリア反政府運動が長引いているのはこのせいです。
民主化が進んで人民意志を無視出来ないのではなく、刀や槍しかない時代と違って人民と政府間の武器力格差がもの凄く広がっているので、今は逆に現在中国のように人権など問題にしないで開き直って徹底弾圧すれば何の心配もない時代が来ています。
(刀や槍しかない時代には人民は竹槍で向かっても数が圧倒していれば正規軍に太刀打ち出来たことを以前書きました)
今もチベット族、ウイグル族あるいは(異民族対策とは関係がない)法輪功その他に対する中国政府の対応方法を見ると、強権・弾圧政治こそが全てを解決すると言う政策を実行している国柄です。

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