クリスマス・イヴと天皇誕生日

クリスマス・イヴですので、普段書いている視野の狭いタワゴトを休憩しての特番です。
このコラムを書き始めた頃には子供が小さかった頃のことを中心に書いていましたが、今になると子供が小さかったのはおよそ3〜40年前のことになってきました。
今は(自分では若いつもりですが)老夫婦のクリスマスという雰囲気ですが、これも習慣化するとそれはそれで親世代が正月を祝っていたのと同じような行事感覚になってきました。
今年は天皇陛下が退位希望を表明されてから退位日程が具体化したこともあり、クリスマス・イブと連動している(と思うのは私だけか?)天皇誕生日がどうなるかが関心事項になってきます。
私の場合交際よりは家庭第一でやってきたので、クリスマスも夕方から自分で子供らと準備して家庭で楽しむパターンですから、24日がウイークデイだったりすると困ります。
そこで、我が家では平成天皇の誕生日が23日だったことから、クリスマスパーテイ?を23日に合わせてやってしまう便宜的パターンが続いています。
私の場合にはキリスト教徒でもないのに、ただ軽薄に世相に影響を受けているだけですので、これでいいという発想でやってきました。
平成になったばかりの頃には、(私自身働き盛りであったこともあって?)年末の忙しい時に連休があるのでは仕事が間に合わないとこぼしていたものでしたが、3〜4年して慣れて来ると仕事の段取りもその前提で決まっていくし、早くから年末モードになって楽できるメリットの方が大きくなりました。
・・一方で自分自身が高齢化してあまり働きたくなくなった個人的事情も大きいでしょうか?
他方で休みが続くことで平成天皇誕生日がクリスマスにそれほど縁のなかった古風な?家庭にも広く普及するきっかけになって、年末商戦に大きな影響を与えていたことがわかります。
これが将来天皇誕生日がなくなるとどうなるか?
2019年の24日が、ウイークデイになるかどうかまで見てませんが、長期的には一大変化です。
私のような連動形式の家庭が多くなっているでしょうから、(実際に毎年のように23日にデパ地下に行っていますが、大変な盛り上がりでした)1週間以上に及ぶ年末商戦に大きな影響が起きそうです。
私個人の関心だけでは政治と無関係ですが、商売人の関心になると政治も動きます。
何らかの形で、歳末の風物詩になっているこの流れ(消費動向)を維持する試み(祝祭日化)が動き出す可能性があります。
ちなみに私個人でいえば、今後サンデー毎日のイメージ・・まだ健康なので仕事を続けるとしても、いつ休もうと勝手なので・・遅く出勤し早く帰ろうと・「もうトシなので今日は早く帰る」といえば済むことです。
個人的には、23日が休日かどうか近年中にほぼ関係がなくなるので、やはり今日もクリスマスにかこつけて天下国家のための意見を書いていることになります。
「雀百まで踊り忘れず」といいますが・・。
ところで12月22日に40年来の知り合いが訪ねてきて仕事の話が終わってから、個人的な話題になったところ、その人は定年後ある大手企業に拾われて?69歳まで働いていたということでした。
その人は、よほど有能で頼りにされていたからでしょうが、我々自由業というか経営者の場合には周りに迷惑をかけないように自分で決めるしかないので引き際が肝要です。
ただし大きな企業経営と違い、弁護士の場合大方が個人事業・人任せの仕事でなく自分でやるしかないので、高齢化に伴い能力が落ちれば市場の判断・・顧客が来なくなるので、市場淘汰されて行く点が便利・社会にそれほどの迷惑をかけないメリットがあります。
とは言え時代の動きに(法令改正の動きが早いので)ついて行けないで、ミスをすると顧客に迷惑をかける点では同じですから晩節を汚さないように気をつける必要があります。
実は気をつける能力不足が原因ですから気をつけても無理があります。
「転ばぬ先の杖」の教訓をどう活かすかが問われます。
企業も時代遅れの経営者が居座っていると市場淘汰される点は同じですが、組織全体では新陳代謝が進んでいて間接的効果になるのでマイナス効果が出にくく、長期を要する点で傷が深くなります。
多角経営している大企業では、ある事業部門の業績が悪くなっても他部門の利益で補填されるので安定性が高い反面、危機対応が緩慢になるマイナス面があります。
最近「事業の選択集中」がよく言われている所以です。
投資家から見れば、儲かる部門だけにした方が利益が鋭角的に出る・投資リターン率が高まるメリットがあります。
その代わり、儲けガシラの事業が数年〜4〜5年して陰りが出てくるので、そのサイクルに対応して新たな目玉事業を育てておかない限り企業が即倒産リスクに晒されていきます。
スマホだって、これに頼っている(部品業界)と一定の普及率達成で成長鈍化の危機に直面しています。
投資家は先よ読みして売り抜けて次に儲けそうな芽のある企業へ投資先を変えていけばいいのですが、企業は新規事業部門を立ち上げるには、研究開発成果がすぐに出る訳ではないし、設備や人材さらには得意先をそう簡単に入れ変えていけません。
自前の研究開発では間に合わないので、事業買収と売却戦略が必須になってきました。
内部留保問題のアピールもこれに関連しますが、投資家にはリターン(いわばゼロ金利)のない資金保有を目の敵にしたい立場ですが、企業は次々旧事業部門を切り離しては新規研究開発投資に忙しいので、そのための(従来型の日々の決済資金必要性とは別に)機動的対応に必要な資金準備が昔よりも必要になっています。
大手企業のM&Aだけのトレンドではありません。
ラーメン屋や居酒屋でも現状維持の場合には、日々必要な具材の仕入れ代金や人件費等の資金保有で足りたのが、出店加速段階になると新店舗展開用の資金・・時間が惜しい場合に同業他社店舗をまとめて買収して模様替えするなどの資金が、日常的決済資金のほかに必要になります。
今では、昔個人でやっていた薬局やラーメン屋・居酒屋に至るまで成長企業はこの種の高速展開が普通です。
ニーズの変化が早いので、1店舗でシコシコ稼いだお金が貯まるのを約10年待ってから一つ一つ順次出店ではなく新業態高速多数展開で短期間に儲けてしまう必要がある・・・。
新業態アイデアを競合に真似(自由ですから)される前に、果実を素早く取ってしまう必要がでてきたのです。
新事業の高速拡大時代が来ると従来型・数十年前に比べて売り上げ規模に比べて手元流動性が高まる傾向があるのは当然です。
短期利益回収目的の投資家にとっては、M&Aに失敗・新規事業取り込み失敗企業の株を売ればいいので損はないとは言うものの、現価は将来の見込みで逆算して決まる面があるので数年先の儲かる事業の芽がないと今から下がり始めます。
投資家も目先の投資計画も含めて判断するしかないので、投資家の態度は企業はどのような目的で合理的保有しているかの説明能力に帰するのでしょうか?
その結果によって株価が市場で決まっていくのですから、こうした専門家のチェックを度外して、選挙中に(素人の)メデイアが単純合計して「増えている」と宣伝するのは何らかの政治的バイアス(いわゆるシャープパワーの影響?による総選挙誘導)が疑われます。
キャンペインを張るならば、なぜ内部留保が増えるようになったか投資家の意見はどうかの分析してからでしょう。

貧困連鎖論批判4(天皇の無答責)

貧困連鎖論で危機を煽る論調は、ここ数年はやりの格差拡大論の亜流と思われますが、貧困層の素質の連鎖を問題にしない立場で・・解決のために高校授業料無償化、課外補習授業費の補助金制度創設などの経済支援中心論です。
能力差→経済格差修正には補助金補填で辻褄が合いますが、貧困連鎖論→貧困層の・・東大合格者・司法試験合格者比率の低さを問題にし始めても、補助金ではどうにもならないのは目に見えているので結果的に、・・資格試験の結果・・不足点数の補填を始めるとどうなるかと言うことです。
貧困層からの東大等1流大学合格者が少ないと言う結果論から始める議論によれば、その解決のために一定割合だけ貧困層から=バカでも東大に入れろ・医師・弁護士・・社長にしろ、1級建築士・税理士や執行役員にしろと言うことになり兼ねません。
そんなバカなことまでは言わないでしょうが・・身障者一定比率雇用強制など末端労働から始まっています・・結果平等論は突き詰めればそうなります。
クオーター制の結果は、彼ら能力不足による間違いがあっても、責任のないシステムにしないと一貫しませんので、各種制度の信用性が崩壊します。
東芝の社外役員制度は日本で最先端システムだったらしいですが、全く機能していなかったことで,笑い物になりました。
一般的な君主の無答責制度は、(歴史上のことではなく、今でも例えば、天皇・皇族は無答責です)地位の取得が能力によらず世襲による以上は、正当な世襲権利者か否かが要点であって、能力を基礎にしていないのですから・能力担保がないことを前提にしています。
王位継承戦争や跡目争いは全て正当な継承者か否かが争点であって、統治能力があるかどうかが争点になりません。
ただし、現在の選挙で前知事から支持を受けているかどうかが問題になるのは前知事の政策継承・前知事の支持母体の支持を受けていることを主張していることになります。
天皇・皇族の無答責については、実定法的根拠をどう見るかの説が分かれるようですが、兎も角結論として、天皇は無答責である点については、争いがないと思われます。
学説は制定憲法を基準にして議論しているようですが、私は法学者ではないので、直感で言えば、処罰は古来から、(イギリスでは裁判所をKingsベンチ、クインズベンチと言うように)君主の行なうものですから、臣下の国民が君主を処罰するのは観念的に成立し得ない・・処罰するのは天皇制廃止・・革命しかないと思います。
グールグルで調べるとhttp://www.fujitv.co.jp/takeshi/takeshi/column/koshitsu/koshitsu99.html
に、この辺の解説を書いてありますので、関心のある方は上記をお読み下さい。
各種選別が合理的基準によるか貧困層に不利に働いていないかについて、なおきめ細かく見て行く必要・・議論の余地あるとしても、その点を論じないで・・制度に合理性がある限り採用得点が低いならば、細かくスライスされている資格社会に合格しないのは仕方のないことです。
私の感じでは、家庭教育の必要性・・胎教に類する幼児期の家庭教育環境の整備が重要な感じがします。
この考えは、公費補助の拡充など保育所に追いやる政策とは逆の政策の重要性です。
むしろ3〜4歳児までは外で働かなくても良いように補助金を出す政策が求められます。
キャリアー断絶のマイナスに対する政策については、別に考えて行く必要がありますが・・。
貧困連鎖を断つための公教育費の無償化推進論は、お金がないから塾に行けないことが原因で東大に行けないのかどうかの実証的研究をしてから議論すべきであって、塾にさえ行ければ東大に行けたと言う人は滅多にいないと思われます。
もしもお金があって、塾に行きさえすれば合格するならば、塾の定員=東大の合格枠・・東大の定員を何十万人に増やさないと物理的に無理があります。
私のころ(昭和30年台半ば)と違って、大学・高校の進学率が飛躍的に上がっていることからも分るように、貧富差による進学率差はもっと意味が少なくなっている筈です。
社会の補充制度が整っていて、現在では(偏差値基準による)能力主義社会化がもっと進んでいますから、収入の高い人=現在価値社会の成功者ですから、一定の高学歴や優秀な才能を持っている場合が殆どです・・(能力がないのに高収入を得ているとしたらその方がおかしい・・糾弾すべき対象でしょう・・)その子世代が原則として(現在の貨幣価値基準で言えば)優秀な比率が高くなるのは当然です。
親が貧乏なら勉強する機会が少ないかと言えば、ある程度関係があることもあるでしょうが、私のころと違って、貧しいために新聞配達したり、どこかで働いていて勉強する暇がないと言う子供は滅多に見かけません。
今では、東大等一流大学に行く能力があるのに高校へも行けないほど貧しい子供と言うのは直感で言えば1万人に一人もいないのではないでしょうか。

クリスマス・イヴ(天皇誕生日)

今年もクリスマス・イヴになりました。
今年は24日夕方から東京地裁の事件が入っているので、24日夕方からのデパ地下での買い物の楽しみを享受出来ません。
そこで直前21〜23日の連休をクリスマス休暇になったつもりで先に楽しんでおくことにしました。
まして23日は天皇誕生日でもあります・・本来このための国民の祝日ですから、あわせて楽しむ?お祝いすることにしました。
日本ではキリスト教徒の宗教上の祭りではないことから、私にとって厳密に24日でなくとも何の支障もありません。
23日早めにデパ地下に行くとそれなりに客が多かったですが、例年の24日に比べると買うたびに並ぶ必要がなく、(品定めをして一巡してからイザ買おうとすると売り切れという心配もなく)落ち着いて買い物が出来て満足でした。
私も高齢化のせいで大量に食べる楽しみがなくなったので、準備等の過程を楽しむしかないようになっています。
デパ地下でみると、今年は小ぶりのケーキやオードブルが主流のようでした。
旅行や名所旧跡めぐりもそうですが、その道行きを楽しむのが日本文化の神髄ですからその延長と思えば良いことです。
街の造りも、西洋では道路は通過するための設備ですが、日本は昔から、歩きながら商家や塀の造りなどを眺めて楽しむ習慣です。
江戸時代から東海道53次の弥次喜多道中記や、広重の浮世絵などが版刷りで大量に売れて来た下地です。
伊勢神宮そのものよりも道中の楽しみを描いてヒットしているのです。
伊勢神宮も本殿自体は大した建物ではないのですが、参道を歩いて行くその道行きに価値があります。
各地のお祭りでも、約1年かけたお祭りの準備自体が楽しいというのも同じでしょう。
ココ⒉〜3週間のことですが、年齢の所為か風邪気味のせいか不明でしたが、かなり食欲というか胃の許容量・・消化能力が落ちて来たことを痛感するようになりました。
「見た目に若いだろう」という変な自己過信が身体の内部から異議申し立てを受けている感じです。
「年寄りの冷や水」と古来から言われていますが、私の場合、頑健なタイプではない御陰で身体が先に教えてくれるので、いつも年齢相応に生活スタイルを変えて来られてあり難いことです。
年齢相応に筋肉・スジが固くなっていることが(ホンの短時間でも庭先で草花の植えかえなどやっている直ぐに腰が痛くなって、しかも治るのに時間がかかる)よく分ります。
部分的に若者の真似をするとバランスが悪くて転んだり、つまづいたりいろんなリスクに直面しそうです。
駅に向かうときもスジが固くなっているから歩くスピードを落とした方が良いのかなと、早めに家を出て意識的に対応してみると直ぐにゆっくり歩くのが身に付いたのには驚きました。
秋の終わりころに都内青山で食事した後に娘の買い物のために麻布辺りのお店を探してやっと目当てのお店に着いたときに、歩いて疲れた感じがしたので、店の前に通りかかったバスに乗って新橋に出たことがあります。
高齢者優先席に取りあえず座って,「高齢者が来れば立てば良いか」と娘に言ったら、「お父さん立派な高齢者だよ!」と言われてしまい「そうか!」と自覚したばかりです。
自分では「年寄りではない」と無意識に思っていましたが、古稀を過ぎて年齢的・外形的にも立派な年寄りの仲間であることを自覚するようになりました。
以来、ちょっと歩いて疲れるということは、運動量のセーブ→エネルギー摂取量も少なくて良い筈・・食べるのも控え目にして胃に負担をかけないようにしていると、あっという間に胃がしぼんだらしく、(ココ数週間風邪気味になっているせいなのか原因不明ですが・・)食べたくとも多く食べられなくなりました。
身体がいろんな面での規模縮小を要求していたのに、気が付かなかっただけのようです。
今年からは、クリスマスのご馳走も(量を縮小し)準備を楽しみ、目で楽しむのを基本に変えました。
言わば今年末は高齢化仕様元年というところです。
私ごとはこのくらいにして天皇誕生日祝いとして一言書き添えます。
「戦時中から戦後廃墟からの復興〜平成と激動の80年間・・「価値観の変動する大変な時代を生きて来られたのだなあ!」という感慨・共感(私は80年も生きていませんが一部共感)がひとしおです。
お疲れさまでした。
我々庶民・下々は生きるための変化対応中心(・・無我夢中で対応していれば良かったの)ですが、陛下の場合は、食うのには困らない代わりに価値観の大変動にあわせるご苦労があったでしょう。
ご苦労を偲び、末永く御健康であらせられることを祈念する次第です。

マッカーサーの功罪(天皇制の維持)2

城主が責任を取って腹を切るのは日本人にとって、潔い行為ですが、戦犯・・犯罪人呼ばわりされて囚人服を着せられての処刑は必要以上に日本人が辱めを受けたという感情を刺激しました。
アメリカにすれば、犯罪行為を設定しないと処刑理由がないので犯罪人にしたかったのでしょうが、日本からすれば、こんな汚名を着せられること自体(高位高官のものが泥棒のような囚人服を着せられて処刑されたこと自体が大きな侮辱です)が言語同断の武士道に反しした行為となります。
赤穂浪士の言い分の1つに内匠頭の官職のママで切腹したのに、下郎並みに庭先で切腹させられたことが恨みの1つにされていたように思います。
この理不尽な処刑を受けいるしか野蛮なアメリカによる日本民族に対する苛烈な支配を免れ手段がなかったとすれば仕方がないことですが、年数の経過で敗戦の余燼が冷めれば、なおさら犠牲に成り代わってくれた人に対して鄭重にお祭りしたくなるのが当然です。
マッカーサーの評価に戻りますと、彼の評価はルーズベルトの戦争政策・・国内宣伝と彼が赴任後に一定の報復処理が終わってから気が付いて修正した・・修正出来る限度で実施した政策とを分けて考える必要があります。
マッカーサーは現場責任者でしかなく、本国の指令を勝手に変えられないので、その限度での評価をする必要があります。
彼は赴任直後に直ぐに天皇制維持の必要性・・日本人の心の象徴であると理解し、本国の理解を求めて努力してついにこれを成功させています。
(日本の官僚や国民はしたたかに彼の抱き込に成功したとも言えます)
彼は背の高い自分と天皇と並んだ写真を発表して日本国民の自尊心を多いに傷つけた場面ばかり報道されています。
この写真は日本人にとってはインパクトが強過ぎるので、今後数百〜千年以上にわたって(蒙古軍襲来時の残虐性は未だに語り継がれます)民族の尊厳を踏みにじられた負の歴史の象徴として残って行くことでしょう。
天皇と並んだ写真発表は、天皇制維持に舵を切った彼にとって、本国・アメリカ政府を納得させる高等戦術だった可能性がありますので、必ずしも日本人に敗北感を植え付ける目的ばかりだったとは言えません。
この写真を種に批判することも可能ですが、それよりは、天皇制を残した功績こそを日本民族は評価すべきです。
話が変わりますが、現憲法は占領軍に押し付けられたという批判が大きいのですが・・占領期には日本は隷属していて憲法に限らず全ての法令はGHQの(事実上の)同意がなければ施行出来ない状態でしたから、大本の憲法自体が占領軍・・背後の米政府の承認なしに改正出来なかったこと・・押し付けられた憲法であることは議論の余地がありません。
サンフランシスコ講和条約を日本は無効宣言出来ると書いたのと同様です。
ココで重要な論点は、サンフランシスコ講和条約の無効を宣言した方が良いかの判断が必要なのと同様に憲法の内容が日本国民に納得出来るものであったか否かでしょう。
派手に抵抗するばかりが能ではないことを中国の岳飛の例を上げて、9年前の08/25/04「幕末の政治模様2(井伊大老と安政の大獄)」で書いたことがあります。
最近では、2013-10-29「アメリカの神道敵視政策7(日本人奴隷化3)」以降にも書いてきました。
日本の官僚・政治家・・ひいては庶民にいたるまで心を一にして(堪え難きを耐えて)マッカーサーと対決して決裂する道を選ばずに、柔軟に日本精神を導入し、残すことに腐心してきました。
我が国始まって以来・・あるいは少なくとも摂関政治以降の歴史を虚心に見ると、象徴天皇制はまさに実態に即していますし、天皇制を象徴として残せたのは交渉に当った政治家や官僚の大成功と言うべきでしょう。
せいぜい譲ったのは、天皇の人間宣言くらいですから、何らの実害もなかったことになります。
(天皇も病気し、寿命が来れば死亡することをみんな知っていますし、誰も本当の神様と思ってはいなかった・・精々比喩的表現でしかないのを知っていますから、人間宣言は実態に合わせただけです)
明治憲法での天皇制の方が勇み足と言うか、藤原氏が実権を握って以来天皇には実権がないのに(明治維新後も実態は同じでした)これをあるかのごとく強調し過ぎていた面で不正確でした。
実態を研究していた憲法学では有名な(美濃部達吉の)天皇機関説・・これが軍部に批判される前には通説でした・・出て来ていたのですが、これを軍部が否定していたことがアメリカによる天皇責任論の原因です。
贔屓の引き倒しと言う言葉がありますが、何が後でマイナスに作用するか知れません。
まさか軍部が後で天皇戦犯責任論の根拠とされ、後に戦犯として絞首刑になる危険を招く意図があったとは思えませんが・・・。

マッカーサーの功罪(天皇制の維持)1

日本人の万物を慈しみ誠実な精神は崇高であって、そもそもこの精神を潰す必要がないとマッカーサーは理解したらしく直ぐに占領政策を軌道修正しました。
初期の神道指令等(アメリカ本国=ルーズベルトの意向そのままだったでしょうから)対神道弾圧政策はかなり厳しいものでしたが、徐々に神道弾圧・規制が緩んで行きます。
進駐した大量の米兵(最大で43万人+軍属)が実地に日本人の善良な国民性に接したことによって、米兵の裾野から日本人理解が進んだことによる影響大きかったと思われます。
本当は米国本土でもそんなことくらいは分っていたのですが、異人種の「日本をやっつけろ!」という強烈な人種差別思想・・政治の力で、そうした意見は押しつぶされて、如何に日本が悪いことをしているかと言う意見・プロパガンダばかりが幅を利かしていたのです。
マスメデイアというのは、一定方向に向かうと世論迎合・それ一色になる傾向があるので怖いものです。
マッカーサーに対する毀誉褒貶は一杯ありますが、彼は占領軍司令官として赴任した以上、日本侵略軍代表としての役割を果たしたことは相違ないので、その限りで日本人が酷い目にあった張本人として日本人から批判を受けるのは当然です。
また彼自身の個人的報復感情によって、敵将であるマレーのトラと言われた山下奉文大将を根拠のない理由で無理矢理に処刑しています。
降伏した将軍を処刑するのは国際法違反ですし、まして軍服の着用すらも許さず惨めな囚人服を着せて出廷させて辱めを与えて(銃殺ではなく)絞首刑にしたのは、単なる殺人罪でしかありませんから、こうした面で批判を受けるのは当然です。
しかし、彼は厚木基地に降り立ってから短期間で日本に軍政を布く布告の発令予定を撤回しているように、(そのときのやり取りでも決して日本人を奴隷化するつもりはないと彼は言い訳していますので、語るにオチルと言うかアメリカでは日本を奴隷化することは既定路線だったのでしょう)それなりに正義感・・真実を見る目が正しかったように思えます。
彼は軍人として日本が宣伝していた「鬼畜米英」の逆バージョンでアメリカ政治家・マスコミによる対日プロパガンダを信じていた・あるいは(個人的報復感情に溺れて)信じようとしていたのはある程度仕方がないことです。
如何に日本人が残虐非道であるかの宣伝に正直に洗脳されてその気(彼はフィリッピンを追われた個人的報復感情が中心だったでしょうから、不純であった点はルーズベルトと同罪ですが、・・)になって、日本に赴任していたこと自体、彼の責任ばかりとは言い切れません。
マッカーサーその他アメリカ関係者の強烈な報復感情を満足させるには、一定限度の高官が民族の代表として犠牲になって宥める必要があった・・結果的に極東軍事裁判が日本に有利に働いた側面も無視出来ません。
言わば、当時日本全体で誰かが犠牲にならなければ収拾がつかない国際状況であったことは否めません。
日本全体で暗黙の合意として、天皇に責任が及ばないようにするという暗黙の了解で、已むなく極東軍事裁判を受け入れたと思われます。
米軍は天皇責任を問わない約束を守ったのに今更軍事裁判が酷いと言われると、逆に日本の方がルール違反と思っているかも知れません。
日本側としては天皇に戦争責任が及ばないようにする・・無茶な抵抗をして日本民族総奴隷化されてしまうリスクを回避するために,アメリカの理不尽な要求もある程度満足させる必要があったことは確かです。
アメリカとしてはその引き換えに生け贄を出したのだから仕方がないだろうという気持ちなのでしょう。
しかし、強盗に命とお金支払約束とどちらを選ぶかと言われて,命惜しさに一定金額を払う約束をしても、後でこの約束は無効・違法を言えるのと同じです。
この取引は、占領下の脅迫によるものですから、2013-11-3「日米平和条約の不存在」に書いたように、日本はいつでも無効宣言出来る法的地位にありますから日本が実質的なルール違反していることにはなりません。
日本は無効宣言まではしないまでも、天皇や民族が奴隷化される代わりに犠牲になった首脳部の人たちに(この意味では祖国を守るために特攻機で散って行った若者に対するのと同じです)尊崇の念を抱き篤く弔いたいのは当然です。
城明け渡しに際して城兵全部の生命保障と引き換えに腹を切った城主を弔うのは、古来当然のことでした。
占領政策のテーマに戻しますと、軍事裁判→処刑強行によってアメリカ側の報復感情がある程度満足したからでしょうか?
その後は、ある程度公平に日本を見るようになったと思われます。

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