憲法改正3(特別多数と国民投票が必要か?1)

明治憲法は在野の憲法制定運動が奏功したかのように、自由民権運動が大きく教育されてきましたが、政府が憲法の必要性に目覚めて率先して取り組むようになったので、それに触発されて便乗意見が起きた面も否定できないでしょう。
もともと自由民権運動は、征韓論に破れて下野した板垣らによって始まったものであって、西南戦争まで連続する不平氏族の反乱を煽っていた不平勢力に過ぎません。
西南戦争でケリがついて、不平を言っても仕方がない社会になって沈静化していたのですが、昨日書いた通りいろんな法制度ができてくると、法と法の関係や上位規範の必要が出てきたところで、政府がこれに取り組むようになって内部で色んな意見が出ると早速これに飛びついた印象を受けます。
(私個人の偏った印象ですが?)
政府が先に憲法秩序の必要性を検討していて、政府内の大隈重信は早期制定論でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95によると自由民権運動は以下の通りです。

1873年(明治6年)、板垣退助は征韓論を主張するが、欧米視察から帰国した岩倉具視らの国際関係を配慮した慎重論に敗れ、新政府は分裂し、板垣は西郷隆盛・後藤象二郎・江藤新平・副島種臣らとともに下野した。(明治六年政変)
経緯 自由民権運動は三つの段階に分けることができる。第一段階は、1874年(明治7年)の民選議員の建白書提出から1877年(明治10年)の西南戦争ごろまで。第二段階は、西南戦争以後、1884・1885年(明治17・8年)ごろまでが、この運動の最盛期である。 第三段階は、条約改正問題を契機として、この条約改正に対する反対運動として、民党が起こしたいわゆる大同団結運動を中心と明治20年前後の運動である
[1私擬憲法
国会期成同盟では国約憲法論を掲げ、その前提として自ら憲法を作ろうと翌1881年(明治14年)までに私案を持ち寄ることを決議した。憲法を考えるグループも生まれ、1881年(明治14年)に交詢社は『私擬憲法案』を編纂・発行し、植木枝盛は私擬憲法『東洋大日本国国憲按』を起草した。1968年(昭和43年)に東京五日市町(現・あきる野市)の農家の土蔵から発見されて有名になった『五日市憲法』は地方における民権運動の高まりと思想的な深化を示している。
「参議・大隈重信は、政府内で国会の早期開設を唱えていたが、1881年(明治14年)に起こった明治十四年の政変で、参議・伊藤博文らによって罷免された。一方、政府は国会開設の必要性を認めるとともに当面の政府批判をかわすため、10年後の国会開設を約した「国会開設の勅諭」を出した。
注2 ただし板垣らの民撰議院設立建白書は当時それほどの先進性はなく、自らを追放に追い込んだ大久保利通ら非征韓派への批判が主体であり、政府における立法機関としての位置づけも不明確であった。むしろ板垣や江藤・後藤らが政権の中枢にあった時期に彼らが却下した宮島誠一郎の『立国憲義』などの方が先進性や体系性において優れており、現在では民撰議院設立建白書の意義をそれほど高く認めない説が有力である。稲田 2009などを参照。

上記の通り不平士族を支持基盤にしている結果でしょうが、国民悲願の不平等条約改正に対する反対運動が活動の中心であったなど、変化に対して何でも反対・国益などどうでもいいような動き・・今の革新系文化人思想家の先祖のようです。
秩父困民党事件(1884年明治17年)10月31日から11月9日)は不正士族・自由民権団が加担したので、過激になったと言われています。
(条約改正反対とは不思議ですが、これを実現するためには外圧・欧米の要求する近代化・法制度の導入→時代不適合の旧士族が困るので反対したのでしょうか?)
この3〜4年革新系がしきりに強調する近代法の法理とか、近代立憲主義とは、絶対君主制打倒によって生まれたばかりの革命政権では、いつまたちょっとした力関係の変化で「王政復古」するかも知れない過渡期にあって革命家がハリネズミのように緊張していた時代の思想です。
革命直後の「近代憲法」と違い、明治憲法の時でさえ、対外関係上君主が自発的に憲法を制定するしかない国際状況下にあって、もはや絶対王政が復活する余地がなかったし、憲法ができる前から天皇親政などできる能力がなかったので、親政の復活など誰も心配しなかったでしょう。
まして日本国憲法では、「現代民主主義国家」になって憲法の改正発議権が政府から国民の意見を代表する議会に移っているのに、国民が自分で選んだ議会の発議→決議に国民が抵抗するために国民の同意を要件にする必要があるという考え方自体非論理的です。
民主主義国家においては、国民代表の議会が憲法も決めるのが普通で、EU加入・離脱や国自体の合併のような最重要事項について議会の都合で自信がないときに国民投票をするのが合理的です。
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/issue/0584.pdf

諸外国における国民投票制度の概要 国立国会図書館 ISSUE BRIEF N
UMBER 584(2007. 4.26.)
スペインでは、憲法の全面改正ないし特定の条項の改正の場合にのみ国民投票が義務的要件とされ、そうでないときは一院の10分の1の議員の要求により国民投票が行われる(憲法第167、168条)。
スウェーデンでは、基本法2の改正には、国会(一院制)における、総選挙を挟む2回の議決を要するが、第1回の議決の後に3分の1の議員の要求があれば、その総選挙と同時に国民投票が行われる(統治法典第8章第15条)
フランスはこれらとは異なり、国会議員が提出した憲法改正案は国民投票を要するが、政府が提出した場合は、大統領がこれを両院合同会議に付託すれば、国民投票は行われない(憲法第89条)。これまでの事例では、国民投票より両院合同会議による憲法改正の方が多い。
主要国のうち、アメリカ、オランダ、カナダ、ドイツ、ベルギーでは、住民投票は別として、憲法改正の場合も含め国レベルでの国民投票の制度は、憲法上は規定されていない。
フィンランドでは、国民投票についての規定はあるが(憲法第53条)、憲法改正は国会選挙を挟む2回の国会(一院制)の議決で成立しうる(同第73条)。

上記の通り、日本国憲法を事実上主導した米国自体が、憲法改正は国民代表の議会で行なっている(周知の通り修正◯条という付加方式です)ので日本国憲法に限って事実上不可能なほど厳しい要件にしたのは、まさに憲法前文の「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」半永久的従属支配下におく思想の法的表現です。
国民投票をするならば、そもそも、3分の2の国会議決の必要がないでしょう。
国民投票をするのは、重要事項なので議会だけで決めてしまうのに自信がない時・たとえば49対51の僅差の時に「国民の声を聞いてみよう」という時に限るべきではないでしょうか?
そうとすれば、圧倒的多数の場合には不要な気がします。
国会議決を厳重にして即憲法改正にするか、スペインのように10分の1の提案で足りる代わりに国民投票するかどちらかにすべきでしょう。

組織内多数意見(勇気とは?)

ところで、近代法・・近代国家を前提にすることがスキな左翼家文化人では、政府批判をするには勇気がいる立派なことだと自己陶酔している傾向があります。
この価値観は近代国家に到達していない言論の不自由な中国やロシア等では当てはまるでしょうが、日本は現在国家であって近代国家ではありません。
アメリカ占領軍によって、政府の日本民族のためになる政策に反対することを義務づけられて来たマスコミ界では、日本政府の民族自立に向けた施策に反対することが、より強いアメリカの意に副うことだったのです。
ですから政権反対論は常に「国際孤立する」(アメリカの後ろ盾がある!)と言うのが、金科玉条的自己正当化の宣伝になります。
日本のマスコミ界や左翼運動家は権力に刃向かう勇気ある行動をして来たと言うよりは、実はもっと大きな権力の意向で動く習性しかなく、記者や編集委員あるいはマスコミで活躍する文化人や芸能人はその企業組織内の大勢にオモネて来ただけはないでしょうか?
根拠不明ですが、朝日新聞は戦時中軍国一色で最先端を走っていたと言う意見を読んだことがあります。
当初占領軍に刃向かっていてオキュウを据えられてから、占領軍の意向宣伝一色になったと言う流れです。
占領軍によるマスメデイア支配以来、知識人?メデイア界では日本民族に対するネガテイブキャンペインすることが確立された支配的立場になっていますから、社内やマスコミ界で反日色を出すのは少数派どころか多数派ですから、何の勇気もいらない関係です。
政府批判に熱心なマスコミその他集団は、社内や組織内権威に盲目的に従っている・・根性がない人の集まりではないでしょうか?
弁護士会でもそうですが、一定の方向性が決まっている組織では、組織の大方の方向の意見にあうような、より強硬な威勢のいい発言をするのは気楽なもので、逆に組織内世論や雰囲気と違うことを言うには大きな勇気がいります。
弁護士会で言えば一定の意見で固まっている委員会に出掛けて行って一人反対論をぶっても否決されるだけで意味がない・・先が分っているので惨めさを味わうだけですから、勇気以前に意見のあわない人は誰も出席しなくなるしその委員会委員になろうとしなくなる・・結果的に威勢のいい反日本民族主義論者ばかりが発言して全会一致での決議と言うか、特定秘密保護法反対で言えば、反対を前提にしたうえでいつ街頭運動するか・集会を開くか等の打ち合わせから始まっているのが普通です。
組織内での異端の意見を言うことがまさに勇気であって、社会から孤立している組織内では国・社会全体から言えば少数意見でも、組織内多数意見・・勇ましい意見が幅を利かします。
こういうことの繰り返しによる自己満足で、旧社会党は社会全体の支持を失って来たと思われます。
マスコミや左翼系文化人は目先の小さな政府権力に反抗しているように見えて、背後の(支配国)トラの威を借りて威張っているだけであって、本当の権力者に対して抵抗する能力・度胸があるかは別問題です。
マスコミやエコノミストによる増税実行論の大合唱で言えば、一見ときの安倍政権に真っ向から反対している・・反骨のように見えますが、実は財務官僚組織と言う実質的権力者の意向に沿うように運動をしているに過ぎません。
どんな政権も最長数年〜5年前後で入れ替わって行きますが、財務官僚ににらまれると補助金その他の箇所付けで長期的影響があるから、どの政治家もその意向にそって動きます。
(異次元緩和→円安政策・・増税反対論支持で安倍総理に気に入られていても、5〜6年先には総理をやっていないことは確かですし、若手中堅はもっと長くやりたいでしょう)
次期隠退予定以外の5〜6年以上先を見据える政治家の多くは、大方が財務省の振り付けどおり増税実行論でしたが、解散になると目先の選挙で落ちるのが怖いので(財務省の主張は民意に反していることを知っているので)イキナリ増税延期論に変更したのはこうした時間軸での判断です。
政治家やマスコミ(研究助成金で縛られている学者・マスコミ採用を期待する文化人エコノミスト)は民意や日本民族の長期的利益によって動くのはなく、長期的自己保身で動いていることになります。

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