政党の役割1(不要不急のインフラとは?)

昨年総選挙での希望の党の公約・「正規雇用を増やす」公約の意味を書いているうちに総選挙から1年以上たってしまいましたが、希望の党の公約に戻ります。
November 20, 2017「希望の党の公約等3(内部留保課税3)」の続きになります。
(この夏約1ヶ月間サーバーの不具合でこのブログが停止してしまって以来、新規意見書き込み意欲がまだ戻っていないので、過去の原稿先送り分の在庫整理がまだ続いています。)
希望の党公約に対する批判意見は公約が発表された総選挙真っ最中に基礎的原稿を書いていたのですが、総選挙最中に一方の党の批判を書くのはどうかな?と迷って、総選挙後に公表を始めたのですが、現在では希望の党が解体・分党してしまい、政治的影響力がなくなっているので今更批判する意味がなさそうに見えますが、希望の党の公約に限らず各種野党・もしかしたら日弁連などの批判勢力(憲法の原理や近代法の法理に反する」という抽象論で運動しているように見える?)一般に共通する問題ですから、古い原稿ですが連載残り分をここで発表しておくことにします。
次に
「家計に希望を・・・」の中に「不要不急のインフラ整備を徹底的に見直す」とありますが、こんな公約は公約のうちに入りません。
政府が不要なインフラ整備しないのは当たり前すぎることで、どの政党も無駄な公共工事をするとは言わないはずです。
何が不要で何を優先的に設備する必要があるかを決めるのが政治ですから、公約では、どの分野のインフラを優先整備すべきかの順位意見表明すべきでしょう。
何を優先して整備し何を後回しにするかを決めるのが政治ですから、公約で言うべきは優先順位です。
これのない公約は公約とは言えないでしょう。
韓国では政治思惑優先・経済音痴の文政権下で経済失速が鮮明ですが、11月1日の施政方針演説では「共に良い暮らしをしよう』という方向を示しただけで終わっているようです。
どうやって「良い暮らし」に持っていくかを示すべきが政治家の仕事です。
民主党政権時代に「コンクリから人へ」のフレーズで失敗した事業仕訳の焼き直しでしょうか?
議員定数削減による消費税増税反対と言い、

「満員電車ゼロ」実現など生活改革を進め、労働生産性を高める▽日本企業の事業再編を促すため、事業再編税制を強化▽電柱の地中化により、災害対策を強化するとともに、景観を改善

というのですが、これが「家計に希望を」の項目の中にごたごたとはいっていてゴチャゴチャです。
財政赤字対策・・・議員定数削減程度で巨大な財政赤字がどうなるものでもありません・民主党が政権を取る前にしきりに宣伝した埋蔵金論・・実際にはなくて事業仕分けに切り替えて目先をごまかしたことは周知の通りです・・の焼き直しです。
「ユリのミクス」による税収増を図ると言うのですが、肝心の百合ノミクスの内容がありません・希望・夢に委ねるという意味でしょうか?
こんなゆるい公約で実際の国家運営できるのでしょうか??
その他一々批判してもきりがないので紹介をこの辺で打ち切りますが、どうせ意味のあることを書けないが白紙提出というわけにいかないので、仕方なしに受験生が答案用紙に何か書いて出したような公約羅列の印象を受けますが、そもそも公約ってどこの政党でもそんな程度のものだったのでしょうか?
公約に関心を持ったきっかけは、」今回「排除の論理」がどうなっているのか気になって希望の党の公約をネット検索してみたのが初めてで、よその公約がどうなっているかまで見ていません。
抽象論ばかりで具体性がないと言う批判を意識したのか具体化するために?電線地中化・満員電車解消など書いていますが、こんな瑣末なことを書くのと具体化とは違います。
具体的に書く必要とは、数日前正規雇用化の意見で書いたように、企業が正規採用をいやがる法制度をどうするかの議論とセットで書くのが具体化です。
ユリノミクスで・・と意味不明な逃げ方をしないで、具体的な経済政策を書いてくださいというところです・・。
「希望」の党だから夢で良い・・具体性がなくて良いと言う開きなおりかもしれませんが、メデイアは小池フィーバーを煽るばかりで公約の矛盾・お粗末ぶりをなぜ批判しなかったのでしょうか?
党の公約などメデイアが報道しない限りほとんどの人が滅多に見ないのをいいことにしてメデイアはムードばかり煽っていたのですが、合流となると民進党員が党内多数になることが素人に直感できたことから、民進党の主張そのままの党になるのか?という素朴な疑問が湧き上がったところからその到達点で小池氏は「排除声明」を出さざるを得なくなった背景でしょう。
民進党や17年11月10〜11日に紹介した離党した都議の主張でも同じですが、透明性とか弱者への思いやりや女性の社会進出やlJGPT対応も必要ですが、分配中心の視点が目立つ・・国家をどうやって運営していくかという最も重要な主張(付け足し的に書いてありますが・・)がほとんどありません。
企業で言えば、新社長が従業員第一・経理の透明性というだけでは、新社長がどの分野で稼ごうとしているのか見えないのと同じです。
民主政治の前提として決定過程の透明化が必須ですし汚職をしないのも重要ですが、政党が政治過程を透明化し汚職摘発だけが主たる活動目的で本来の政治をどうするかの意見がないのでは困ります。
都民ファースト離党都議の主張を見ていて感じたのですが、都議の内一人二人くらいは都政トータルの議論には「私は当選したばかりでよくわかりませんので・・と言って一切関わらない代わりに、決定過程の透明性実現あるいは保育園問題だけに特化したり、電線地中化運動するのは一つの生き方ですが、党全体がそれしかないと言うのでは「政党」とは言えません。
電線地中化や保育所に特化して取り上げる個々の議員の発信は、一般に広く関心を持ってもらうための問題提起効果を狙う点で意味がありますが、政党として主張する以上は優先順位の主張であるべきです。
不良のいない社会や街路に花を絶やさないのも電線地中化も保育所が多くあるのも、高等教育無償化すべて結構なことですが、それらを全部実現するには、限られた予算や人材資源配分をどうするか・優先配分に行き着きます。
例えば、保育所問題は予算配分・資金ばかりではなく人材争奪・どこへ優先的に振り向けるべきかの優先順位の問題であることは明らかですが、電線地中化も資金の問題だけではなく新築ビル工事や道路工事などに振り向ける労働力が今逼迫していますが、これを電柱掘り起しなどに優先的に振りむけるのかなど多方面への目配りの結果の主張であるべきです。
一般常識からいえば、好景気でどんどん新規受注のある好況時には、保守点検部門の人材は維持管理に必要な程度にして利益に直結する前向き事業に人材をシフトする・・受注減の余力のあるときにこの種の保守的事業に人材をふり向けるのが合理的でしょう。今首都圏ではオリンピックに向けた諸工事が間に合わない建設労働者逼迫の緊急事態にあることは周知の通りです・・電線地中化に今人材を振り向けるには、この常識的セオリーをひっくり返すほどの合理性緊急性があるのかの説明が必須です。
4〜500人の代議士のうちで一人か二人の税理士出身者が都政がどうあるべきかよりも、会計のミスばかりに目を光らせるとか・・それでも良いのですが・・。
政治と役人の役割分業は、政治が基本方針を決めて役人はこれをミスなく実行することですが、細部の議論だけで基本方向を決められないのでは政治家はいりません。

外国人労働者2とインフラ負担

私は外国人観光客は膨大なインフラを無償利用し、安い交通費、公衆便所・公的施設など無償で利用して行くばかりで却って損だという「観光立国」に反対の意見を何回も書いていますが、観光客には入国税を課してこれらの負担金を徴収するならば反対しません。
例えば観光客誘致用に地元政府が(税金や市債で)100億円かけて大規模な施設を作ったとした場合、その前で土産物を売る店や飲食店を外国人が開店して儲けている場合を想定すれば、100億円の分担をしている地元民からすれば納得出来ないことが直ぐに分ります。
マラソンや花火大会その他は地域の楽しみとしての意味があるが、地域経済とては実際は持ち出しではないかと言う観光立国反対論を何回も書いて来ました。
最近では、November 3, 2011「ギリシャ危機と観光亡国4」October 31, 観光2011「国際競争力低下7と観光亡国1」などで書いています。
新興国が近代産業に参入して来た(所謂グローバル化)以降には正当な労働対価が新興国相場に引き寄せられるので賃金が下がる一方となります。
先進国だけが近代産業化の恩恵を受けて来た時代には高賃金も適正な対価だったでしょうが、新興国の台頭によって適正賃金が下落して行くと日本を含めた先進国が高賃金を前提に到達していた文化的な生活が出来ない人が増えてきます。
新興国との競争によって賃金相場が下がったならば、連動して貧しくなれば良いと言って放置出来ないのが政治です。
これまでの膨大な蓄積があるので、その取り崩しによってソフトランデイングしようとしているのが現在先進国社会の姿です。
イギリスが戦後「ゆりかごから墓場まで」という有名な標語で社会保障して来たのは、ドイツやアメリカの台頭によって(戦後は植民地も殆ど失ったこともあって)イギリスが過去の栄光に寄りかかった高賃金に堪えれなくなったことによるものですから、今の日本がここ20年ばかり置かれている状況と似ています。
この結果イギリスは次第に国際収支の赤字が広がって、ポンド防衛が戦後世界経済の大きなテーマになり続けて来たのです。
ビートルズが出現したころのイギリスの風景としては、仕事がなく所在なげな若者が街路にたむろする光景ばかり報道されていたものでした。
その後、所謂サッチャーリズムで漸く長い低迷を脱して息を吹き返しましたが・・・これも金融に偏っているようで、(アメリカも同様)その咎めが出て世界経済を揺るがすようになっています。
日本も諸外国との賃金格差差額分を社会保障資金で賄い続けていると、行く行くは戦後のイギリス同様に国際収支赤字になるリスクがあることは10月6日に書いたとおりです。
社会保障の資金が、過去の蓄積による以上は過去の蓄積に関与して来た民族国家の構成員だけに保障する方が合理的・・外国人労働者問題はこの段階で区別すべきだと考えます。
適正な賃金は内外平等とし、社会保障は別とすることは許されるでしょう。
社会保障部分を殺ぎ落として賃金が新興国・後進国と同じ対価になれば、能力以上の高額賃金を求めて、出稼ぎに来る単純労働向け外国人はいなくなります。
民族の混在は決していい結果を生まないことは歴史が証明しているところです。
例えば中国深圳での工場労働者の月給が約2〜3万円であるとすれば、(これが正しい数字とすれば)国際的な人権問題となれば日本国内の賃金も同じであるべきで、これでは現在日本で一般的な文化的な生活が出来ない分は社会保障分野の問題です。
現在は社会保障分まで賃金に含ませて2〜30万円以上も払っているので外国人が出稼ぎに来るメリットがあることになり・・この差額分を企業・国民が払わされていることになります。
外国人出稼ぎ労働者には差額分の保障がなく中国で働くのと同じ給与水準しか払ってくれないとなれば、日本にわざわざ出稼ぎに来ても旨味がなくなるでしょう。
社会保障分まで給与名目で払うから外国人労働者が世界中の先進国に溢れ、文化摩擦を起こしているのです。
過去の蓄積利用で一定の保障をする理は企業社会にも通用する原理で、儲けの蓄積のある会社とない会社では赤字になったときの対応が違う・・ストレートに整理解雇あるいは労働条件の低下になるか少しの赤字は企業が補填しながら様子を見るかなど対応が違って来ます。
その差は過去の蓄積によるのであって過去の蓄積に貢献したか否かによることですから、企業間格差をなくすことは出来ません。
南欧危機・・EU内の格差は、まさに過去の蓄積の格差によるところが大きいのです。
過去の蓄積に何ら貢献をしていない他所から来たばかりの人(外国人)にまで、過去の蓄積を取り崩してあるいは対外負債を増やして彼らの働き以上の社会保障をするのは不合理です。

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