三民主義・目的と手段の違い2

昨日、漢詩の1節を引いて紀元前の前漢初期から賄賂社会であったことを紹介しましたが、「漢民族の特性」と言えばそれでおしまいですが、何故こう言う民族性になったかの原因が重要です。
繰り返し書いていますが、秦の始皇帝以来専制支配体制が確立したこと・・と関係があるように思えます。
民の工夫努力・自由な発想よりも、上司の気に入るか否かが最重要社会・・権力者の気に触るといつクビが飛び、一族皆殺し・族滅の危機に遭うかもしれない社会が2000年も続いてきましたので、漢民族はいつもびくびくして目上のご機嫌を窺うしかない状態・・勢い上司・強いものに取り入ることが最大の行動基準社会になります。
派生的に取り入るべき派閥が出来、(漢時代に党錮の禁が始まり、各王朝で党派の争いがいつもあります)今でも上海閥やダンパあるいは太子党などの派閥がありますが、その下位集団として習近平や李克強の過去の勤務地別の派閥もあり複雑です)相手派閥を蹴落とすべく権謀術数工作も盛んになります。
中韓政治家が、国際社会でのロビー活動などでは、権謀術数の経験に乏しい、日本などはモノの数ではないと豪語して来た所以ですし、実際に中韓のロビー活動により、国連での日本非難決議に向けた下工作が横行しています。
国際機関やスポーツ組織にいつの間にか韓国系が浸透しているのがこれです。
中国の派閥とは、透明性の全くない私的集団・マフィア的人的つながりを言うものであって、政策研修・勉強会などしている政策集団の日本の派閥・・東京弁護士会の派閥でさえ勉強集団です)とは本質が違っていますので、日本の派閥をイメージする翻訳は意図的すり替えの疑いがあります。
石油閥などが報道されるので、利権集団的側面もあるように思う方が多いでしょうが、人脈形成の主目的がイキナリ失脚するリスクを減らし出世するためにある・・その結果として利権集団化しているに過ぎない・・手段と目的の関係が違っています。
専制や独裁の場合、出世あるいは牢獄に繋がれるかの基準が社会のために良いことをしているか正しいコトをしているかよりも自分の親分が主流派になれるかで決まる社会です。
政敵失脚させるためには表向き何かの失敗を取り上げられるのですが、取り上げられるかどうかの大もとの選別基準は政敵かどうかによります。
現在の腐敗撲滅運動を見れば分るように習近平周辺には及ばず政敵粛清目的で賄賂を取り締まっていると言われているのは正にこれで、政敵粛清が目的であって、汚職摘発はその手段になっている・・主目的がどこにあるかで大きな違いが生じる例です。
権謀術数は相手を蹴落とす目的であって、陰で讒言するのが基本的攻撃手段で正義の基準は不要ですがこれが長年有効だったのは、専制社会では1回勝負の社会だったからです。
政治抗争に勝てば相手一族皆殺しですから1回勝てば「勝負あり」になる・・どんな卑怯な手段でも何をしてでも勝つことが最重要基準で・・勝ってしまえば、相手を皆殺しに出来るので、後に道義的非難などあり得ない社会を前提にしています。
日本は縄文の時代から争いがあってもトコトンやらない社会ですから、卑怯な勝ち方をすると時間の経過でいつかは真実が出て来る・・数百年単位での評価・・手段が卑怯かだけはなく結果もやり過ぎかどうかを含めて批判される・・後で社会全体の批判を受けるのが怖い・・名誉重んじる社会がこうして出来上がっています。
讒言などするとあとでバレル・・陥れたとなると結果的に「損」と言う社会ですから、パク大統領の讒言外交には唖然としてしまったのです。
専制社会で負けた方が皆殺しされる制度で、負けた方はどんなに正しい意見であっても一族関係者が皆殺しに合うので何も言えない言うべき人が残らない仕組みです。
勝った方が抗争の歴史を書き換えて行く社会では、どんな非道な手段を弄しても勝つことが先決の社会になります。
アメリカ日本を戦争に引きずり込み原爆まで投下したのは、そう言う基準・・勝った方が歴史を塗り替えれば良いと言う方針があったことはそのご戦犯裁判や中韓を使っての「歴史修正主義者のレッテル貼り」に精出して来たことから見ても明らかです。
現在の中韓両国の経済活動を見ても、1回勝負のやり方は変わっていません・・。
目先の受注量を競うために採算割れの無茶な受注あるいは自国技術で出来そうもない無謀な受注競争を仕掛け、怒濤の勢いで規模拡大をする・・購買力誇示のために続く訳もない爆買いで札ビラを誇示する・・みな同じです。
目先にこだわるのは、一時的に相手を失脚・倒産させれば、永久に自分が支配出来る社会が2000年も続いたことにより、先ず受注競争に勝って競争相手を潰してしまえば、後は独占企業としてスキなように契約変更も出来ると言う思想によります。
中韓の一時的な反日攻勢が効を奏さずジリ貧になって来たのは、閉鎖された専制社会とは異なり国際社会ではロビー活動で如何に噓八百を言って勝っても、毎回相手を奴隷化することが出来ない・・精々一時的に多数派形成し、ありもしない慰安婦決議慰安婦像を建てたり南京虐殺を世界遺産に登録する程度がやっとですから、長期的には真実・正義を主張している方が勢力を回復して行きます。
時間をかければ中韓の噓がバレて信用をなくして行く・・時間の経過でグランデール市のように「慰安婦像があるだけ韓国にとって惨め・恥の歴史」を世界に残して行くことになるでしょう。
勿論この像建設を推進した市議などもその内恥をかいて行くと思います。
一時的にアフリカやオーストラリアなどを資金力や資源その他の爆買いで捩じ伏せていても、こう言うやり方は先が続かない・・一過性でしかないので、その間にこのときとばかりに目一杯威張ってしまうことも愚かで浅ましい限りです。
一過性の爆買いや投資が減少すれば威張られた方は直ちに愛想を尽かしますので、中国が投資して来たアジア(ベトナムやミャンマー・カンボジアなど)アフリカ諸国では、元々親切な日本に足下を掘り崩されつつあるのがその例です。
権謀術数で言えば、日米戦争の始まりは、(その前から非白人国家日本を壊滅させるアメリカの基本政策があってのことですが・・)蒋介石夫人宋美齢がルーズベルトに対する工作が成功して蒋介石軍の応援を始めたことが日本を敗北に追いつめた切っ掛けです。
ですから、一度で大損害の生じる戦争に関しては、権謀術数の重要性は変わりません。

中華(光復)思想3(目的と手段の違い1)

ここで孫文と中華思想の関係を見ておきましょう。
孫文の事績・・http://www.jacar.go.jp/modernjapan/p06.htmlからの一部引用です。
「1905年には、これまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集して、東京にて中国同盟会が結成され、孫文は総理となり、革命運動をさらに推進することとなります。」
清朝打倒運動団体には、以上のとおりの3名称の団体がありこれが合体して(町村合併に多いあんちょこな言い方をすれば3団体の文字合わせ?)「中華」+復興思想に結実して行った経過が分ります。
上記共通の復興名称は国名にふさわしくないから消えていったものと推測されますが、復興を願う心情は自明のこととして掲げなくなった可能性もあります。
今でも韓国.台湾(中華民国政府)では「光復節」が大々的に行なわれていますので、中韓民族にとっては今でも「光復」が最大テーマであることがわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki
「光復節(こうふくせつ)は、大韓民国および台湾の祝日。
8月15日。大韓民国の祝日で、朝鮮半島が日本による統治から解放されたとされる日。光復節 (韓国)を参照。」
日韓併合前の日清露3国のヘゲモニー争いの間でどちらに付くかで右往左往していて殆ど自立性のなかった朝鮮の状態をとりもどすのが何故「光復」なのかという突っ込みを入れたくなる人が多いでしょう。
2013/09/08/韓国民の行動様式19(恩を仇で返す国1)のコラム以下で、高宗政府に対するクーデター未遂事件の黒幕として当時政界の大物(王族重鎮です)「大院君」でさえ駐留していた清朝の軍閥・・袁世凱に拘束され中国に連行されてしまう状態・・文字どおり清朝の直接軍事支配下にあったことを紹介したことがあります・・文字どおり清朝による直接の軍事支配下にあったのが李氏朝鮮です。
今のチベットやウイグル自治区の少数民族弾圧の厳しさが世界ニュースになっていますが、自治区と言っても警察から軍事に至るまで、直接支配を受けている今の状態よりももっと厳しい状態を(当時は国際批判など全くありませんので・・)想像すれば、当時の清朝による朝鮮族支配の苛酷さがわかるでしょう。
清朝による過酷支配があったからか?李氏朝鮮による人民支配も過酷を極めていました。
日本支配前に戻る=一般人(ヤンパン支配下の人口は約95%)にとって、文字もまともに読めない奴隷のようなヤンパン支配下の状態に戻るのが何故「光復」か?となります。
1説には、日本によってヤンパン制度が廃止されて平等に教育されてしまったことを恨む旧支配層が元に戻るのを歓迎しているだけともわれますが・・。
パク大統領・・ひいてはこれを支持する韓国人の心情が中国・・元〜明〜清朝と続く従属時代の復活を望むのをいぶかしく思う日本人が多かったのですが、彼らの心情はヤンパン支配復活への郷愁と日本の風下に立つよりも清朝やモンゴル支配下で、日本よりも席次が上だった(勝手に思っているだけですが・・)と言う序列復活の方が嬉しいのです。
上記のとおりとすれば、今後中国の時代が来ると読んで逸早く馳せ参じて、より良い席次を獲得期待に傾いた気持ちが分ります。
中国革命運動家の心情に戻りますと、冒頭紹介の団体名から見ると、孫文ら革命運動家の希望は現在の不名誉・屈辱的な現状打破を求めるスローガンとして過去の(あったかどうか不明の)栄華の復活を主張していた諸団体が革命運動の母体であったことが分ります。
フランス革命などでは過去(アンシャンレジーム)を断罪し、新しい時代の到来を主張する組織を革新系と言うものですが、中国の場合、清朝打倒を言うもののめざすべき心情は「栄華の復活」だったことになります。
中国古代からの王朝崩壊・「易姓革命」が流砂のような民衆の無目的暴動によって起きて来たのに比べれば、「王朝打倒」の目的意識のある運動である点では一歩進んでいましたが、政権打倒するのが目的であって、「光復」が主目的では、新たな近代社会作り出すと言う・・西欧的意味での革新運動家ではありません。
清朝はモンゴルのような世界帝国になったことはない・・大英帝国やアメリカ合衆国を支配下に置いたことがない・・地球規模で言えば、単なる地域大国でしかなかったのですから、欧米諸国相手に取り返すべき栄華はありません・・。
復興すべき栄光・栄華があるとすれば、普通の民族にあるべき主権回復と地域大国の復活しか論理上あり得ないでしょう。
これの表現が、(清朝の版図を少し広げたアジア支配を任せて欲しいと言う)習近平の「太平洋2分論」ではないでしょうか?
栄華の復活がテーマの運動体では、後ろ向き・・新しい国づくりにはなりません。
栄華復活のためには国内政治・産業発展が必要ですが、主目的が生活水準アップにあるのと栄華復活が主目的でその手段として生活水準も引き上げた方が良いと言う程度の意識では格段にちがいが出ます。
しかも栄華の復興運動とは、実は「格下と見なしていた日本」に負けたコトに対する鬱憤が真のモチベーション・エネルギーであったとすれば、元々前向きに始めた運動ではありません。
国民のための政府よりは、日本のハナをアカしたいと言う思い(心情は文字上・あるいは公式にはでません)で運動を始めたのであれば、出来上がった政府も近代的要請である・・国民重視のマトモな政権になる訳がありません。
孫文はいわゆる(農地の分配を含む)三民主義を提唱していてこれを継承した蒋介石が北伐を開始すると当初はこれを歓迎する庶民の支持を受けて破竹の勢いで成功させましたが、一定の支配権樹立後すぐに腐敗してしまう点は歴代中国王朝と同じです。
戦後米軍から膨大な物資や武器援助を受けながら中共に負けてしまったのは主として」「政権腐敗」にあったと言われています。
孫文が世界の制度を勉強してきれいごとの三民主義を発表するのは良いですが、イザ具体的実施となると政治・実務能力が必要です。
専制支配下で来た結果、近代官僚機構も何もないところで、軍事支配してから実際にどうやって農民から土地を取り上げて分配するか分らなかった可能性があります。
この種の仕事を始めると余程清廉な行為をする社会訓練がないと、手心を加える袖の下が横行し勝ちですから大変です。
ましてや中国地域は、古代から有名な賄賂社会ですからすぐに賄賂まみれになってしまいます。
9月19日に王昭君の故事で紹介した漢詩にも、賄賂次第の習慣が描写されていますので、もう一度引用しておきましょう。
 「生乏黃金枉圖畫,死留青冢使人嗟。」
(生ずれば黄金に乏しく枉げて図画せられ、死しては青冢をトドメて人をして嘆かしむ」私流の読み見下し文です)
ちなみに「枉・まげて」とは日本の刑法で言うところの「枉法収賄罪」の「枉法」の「枉・おう」と同じ用法です。
刑法が平成7年に口語に改正されて「加重収賄」罪に変更されましたが、それまでの文語体のときには「枉法収賄」罪と言う熟語になっていたのは、この用例の1つでした。
文語体のときには刑の重さを基準にするのではなく、「法をまげて」運用したから刑が重くなると言う内容による違いを表していました。
賄賂をもらうだけでも単純賄賂罪ですが、その結果実際に不正なことしたときには「枉法」収賄になり結果的に刑が重くなります。
上記漢詩には画工が賄賂をもらわないから実物よりキレイに書かなかっただけではなく、積極的に汚く書いた意味が込められています。
刑法
加重収賄及び事後収賄)
第百九十七条の三  公務員が前二条の罪を犯し、よって不正な行為をし、又は相当の行為をしなかったときは、一年以上の有期懲役に処する。
2  公務員が、その職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、若しくはその要求若しくは約束をし、又は第三者にこれを供与させ、若しくはその供与の要求若しくは約束をしたときも、前項と同様とする。
3  公務員であった者が、その在職中に請託を受けて職務上不正な行為をしたこと又は相当の行為をしなかったことに関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。

屈辱と中華(光復)思想2

中華思想・・自己が世界の中心であると言う思想自体は、世界中でどこにもある夜郎自大思想で、中国地域の漢民族特有の自意識ではありません。
個人で言えば赤ちゃんは無限大の能力を持っている自信・これが現実の限界に遭遇して徐々にしぼんで行くのが大人になることであると言うのが心理学の説明です。
青年が天下国家を簡単に論じるのは、その発展途上と言えます。
たとえばhttp://matome.naver.jp/odai/
「赤ちゃんの“万能感”を理解しよう。
乳幼児には「自分は何でもできる」という“万能感”を持っています。
しかし、パパママのように何かをしたいと思っても、思うように手足は動いてくれません。
そのことが泣いたりわめいたりといた事にもつながっているので、まずは、そうした赤ちゃんの「万能感」を前提にすれば、心を落ち着かせて赤ちゃんの観察ができそうですね。」
こう言う乳児的意味の中華思想の萌芽は古くは詩経に出て来るらしい・・古くからあることを自慢しているようですが、文字化していなくともどこにでもある赤ちゃんの万能感ですから、中国特有の思想・・自慢するようなことではありません。
「オラがムラは1番」と言う原始的幼児的自意識はどこの民族・地方にもあり、大人になっても自慢し続けるのは素朴で微笑ましい面がありますが、ちょっと気恥ずかしいことです。
ここで関心を持っているのは心理学で言うところの赤ちゃんの万能感に当たる「中華」の単語使用例がいつから始まったか?です。
れっきとした成人大人が乳幼児的単語を公式用語・・「中華」民国として使用するようになった背景が気になります。
19日に書いたように、現在の中国地域で興亡した王朝の歴史から見て、「中華」の栄光・栄華の歴史自体が存在しないのですから、復活すべき「中華」の意味自体が、全く不明です。
習近平が「中華の栄光・栄華復活」と言い出したのは、対外的こけ脅しをすればするほど国民の実際生活とのギャップが大きくなって来たこととの関係が窺われます。
統計数字を誤摩化してGDP世界2位・・日本を追い越したと言い出してすぐに日本を軍事威嚇を始めたのですが、国内で自慢すればするほど実際生活とのギャップ・・政治不満が高まります。
GDP数字では却って生活実態と合わないことから不満が広がるので「栄華」の復活と言うスローガンで抽象化すると共に民族感情に訴える策に出たものと思われます。
「わが民族は大したものだ」宣伝するのは国威発揚の一種ですから(本当は大したことがないとすれば噓の上塗り?で却ってギャップが広がり)何の解決にもなりません。
政治の本筋で言えば、「自分たちは未だ〇〇の水準に追いついていないのでさらに頑張りましょう」という方が合理的ですがあまりにも早くから無理して虚偽統計で威張り過ぎたので後に引けなくなったのです。
企業が業績不振を隠蔽するために一時のつもりで粉飾に手を染めると実態との誤差が広がるばかりで収拾のつかない事態に陥るのと同じです。
ソ連がこの繰り返し・・・軍事力強化や人工衛星打ち上げ競争やオリンピック選手強化など・国威発揚でごまかしていたのですが遂に崩壊しました。
ソモソモ「中華」民国・人民共和国と言う国名を称するようになったのは、西欧列強に侵蝕された国民のフラストレーション・・反作用として生まれて来た言わば惨めな精神状態を補償する言語でしかありません。
中華思想とは、栄華の復活を夢見る・・栄光の歴史ではなく惨めな現実の裏返し表現です。
いつから「中華」と言う語が使われるようになったかの関心で、清朝崩壊後中華民国を名乗るようになった孫文を見ておきます。
孫文は日本に亡命していて日本で食客生活していたものですが、日本人は優しいので日本を頼って清朝支配下から逃げて来た多くの革命運動家に「自信を持ちなさいよ、元々立派な国なんだから・・」と励まし続けたであろうことは容易に想像されます。
スイス亡命中で元気のないレーニンに対して「アジア人も自信を持つべきだ」と勇気づけてロマノフ王朝打倒をけしかけた?日本人明石元二郎が知られています。
以下は小説による以上は一定の潤色があるでしょうが、そのつもりでお読み下さい。
日本はその頃帝政ロシアが最大の脅威でしたから西欧でもいろんな画策をしていました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E
「明石の著した『落花流水』や司馬遼太郎が執筆した小説『坂の上の雲』においては、次のような粗筋がベースになっており、明石の工作は成功したものとして描かれ、著名な外国人(日本人から見て)が登場している。」
「明治37年(1904年)、明石はジュネーヴにあったレーニン自宅で会談し、レーニンが率いる社会主義運動に日本政府が資金援助することを申し出た。レーニンは、当初これは祖国を裏切る行為であると言って拒否したが、明石は「タタール人の君がタタールを支配しているロシア人の大首長であるロマノフを倒すのに日本の力を借りたからといって何が裏切りなのだ」といって説き伏せ、レーニンをロシアに送り込むことに成功した。その他にも内務大臣プレーヴェの暗殺、血の日曜日事件、戦艦ポチョムキンの叛乱等に関与した。これらの明石の工作が、後のロシア革命の成功へと繋がっていく。後にレーニンは次のように語っている。「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と。
※レーニンは中央アジア系の出自を持っているとのうろ覚えの記憶ですので、ウイキペデイアで履歴を見ると以下のとおりです。「・・曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった」
清朝から逃げて来た日本亡命中の多くの若者・・不安の中で生きている以上は時には自信をなくすこともあったでしょう・・こうした場合、優しい日本人の勇気づけに触発されて「そうだ我々も自信を持つべきだ」となって「中華」を使い始めたのかも知れません。

フラストレーション度2と中華の栄光復活1

話題を北方領土回復に戻しますと、日本は軍事力で押しきるのは国是としてありえないので交渉しかあり得ません。
戻ってくるとすれば日本がロシアを追いつめたからではなく欧米が追いつめたので中国に頼ったものの大した協力をしてくれないので困っているロシアに日本が手を差し伸べる関係が必要です。
友好・信頼関係を安倍政権が時間を掛けて形成しておいたこと・・その方向になったので解決しそうになって来たことになります。
力づくの解決が正しくないと言う道義基準の社会では、長期的視点での友好関係樹立・・要は外交能力が重要です。
中国はまだそこのところが分らない・・直截要求するしかない・・・幼児ギャング世代レベルの社会と言うところでしょうか?
このあとでEUや韓国などの関係を書いて行きますが、中国はちょっとでも不利なことがあるとすぐ目に見える仕返しをする(・・フィリッピンに対するバナナ輸入妨害・・税関でサボタージュされてみな腐って返品されるなどいくらでもあります)即物的対応が目立ちます。
王者の栄華とはそう言うことをしなくとも、周辺から尊敬されることを言うものです。
何回も書いてきましたが,日本のように順次社会構造が変わって来た社会と違い、中国2000年(最近4000年の歴史と約2倍ガケで言い始めましたが、秦の始皇帝以来で言えば約2000年が正しいところです)の歴史と言っても、その間全く発展性がなく、同じ制度の繰り返しでやって来たので古代意識のままに留まっているから、幼児的発想しか出来ない原因です。
習近平は古代?の「中華の栄光・栄華を戻りたい」と主張していますから、古代意識がこの地域人民の社会レベルに合っているのでしょう。
ちなみに中華の栄光・栄華とは何かの定義すら分っていません。
やっていることから逆算すると「栄光」「栄華」とは、道義による名誉ある地位を目指すことではなさそうです。
日本領海での違法漁船操業・・言わば泥棒行為や、武力による支配地域拡張=強盗・海賊行為?をすることが「栄光・栄華の復活」であるかのような振る舞いです。
次に「中華の」意味ですが、そもそも過去の最大版図は清王朝が獲得したものであって、満州(女真)族・異民族支配の「栄光」「栄華」であって漢民族の栄光・栄華ではありません。
清朝が南沙諸島海域を武力支配したこともない・・元々大陸国家であって海洋国家ではないのですが・・この点を措くとしても、「中華」の定義自体が何を意味しているのか分りません。
世界帝国を樹立したモンゴル王朝・元もモンゴル族に漢民族が服従していた歴史です。
異民族に支配された成果?を自分の成果に出来るならば「日本の栄光・栄華復活」と言えば、アメリカ合衆国も俺のものとなります。
仮に漢民族限定の栄光・栄華の復活と言うならば、漢民族の語源?の漢王朝で言えば、次々と王族女性を匈奴に貢ぎ物に差し出していた惨めな「栄光・栄華?」のことではないでしょうか?
蘇武・李陵の故事・・有名な漢詩もあります・・に明らかなように英雄視される武帝のときでさえ、有能な将軍李陵や蘇武が何十年も捕虜生活していたことが知られています。
如何に歴史を捏造しようとも、王昭君の故事にも明らかなとおりです・・支配している方が何故王族女性を差し出す義務があったのでしょうか?
中国贔屓の文化人は朝貢の歴史を強調しますが、それは外交儀礼の一方法でしかなく、しかもこれまで漢民族が異民族に支配されたときの方がうまく行っているのです。
朝貢貿易が支配を表すならば、物産を持って行くのとは本質・レベルの違う女性を差し出さざるを得なくなっていた漢民族と匈奴の関係はどうなるの?と言うべきです。
神に仕える皇族未婚女性の斎宮制度、日本古代に地方豪族から朝廷に差し出される「采女」制度〜戦国時代では、武田信玄と諏訪御前の関係でも分るように、女性を差し出すのは戦に負けた方がすることです。
漢民族が王族女性を差し出すこと・屈辱的協定によって、漸く匈奴との和解で来たのが歴史事実です。
王照君は李白の詩によって我が国でも有名です。

    漢家秦地月,流影照明妃。
    一上玉關道,天涯去不歸。
    漢月還從東海出,明妃西嫁無來日。
    燕支長寒雪作花,蛾眉憔悴沒胡沙。
    生乏黃金枉圖畫,死留青冢使人嗟。

話題が飛びますが、上記の書き出しを見ると、阿倍仲麻呂の「あまの原、フリサケミレバ春日なる三笠のヤマにイデシ月かも・・」(百人一首に採用されているので多くの人が知っているとおりです)と同じ着想です。
李白と阿倍仲麻呂はほぼ同時代人ですし、親交があったので(日本へ帰る船が難破したときいて李白の阿倍仲麻呂に対する追悼の詩が残されています)どちらがこの着想を先に書いたものか分りません。
阿倍仲麻呂の上記和歌は日本へ帰る送別の宴で王維らの前で日本語で歌ったと言うのが通説らしいです。
王昭君に戻ると、女性を代々差し出サザルを得なかった事実が、真実の歴史は漢族の方が懐柔のためあるいは実質的に服従していたことを表している・・安全を図るために要求されれば、女性を差し出すしかない・・体面を繕うために人民を犠牲にする今の中共政権の原型を見ることが出来ます。
その後の2000年間も万里の長城を築き続けたことから分るように、防衛の歴史です。
漢民族が北方騎馬民族に勝ち進んだ例がないのです。
現在の東北地方(満州)や内モンゴル自治区は、漢族が異民族に支配された結果一体領土になっているに過ぎません。
北方民族には文字歴史がないのを良いことにして漢民族が勝手な歴史を作って来た可能性があります。
文字のある日本でさえ、今やなかった慰安婦や南京虐殺が真実の歴史であるかのように大宣伝されています。

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