不安「感」の解消

巨額交付金が不安「感」だけに対する補償だとしても、不安「感」を言い立ててそれに対する補償金をもらった以上は、不安「感」解消策にこの資金の大半を用いるべきであって危機管理に一切役立てる必要がない・贅沢して使ってしまえば良いお金だと言うことにはなりません。
好きに使ってしまえば良い資金にしては(この外に原発立地特別措置法による税の投入もあります)貰っている金額が大きすぎませんかと言うことです。
迷惑料には、町工場の騒音や振動・臭気、日照被害や電波障害等々に対する解決金もありますが、こうした場合には日々侵害を受けていることに対する対価であって、将来高層ビルが倒壊して自分の家がつぶされることや工場の爆発事故による被害の前払いまで含んでいないことは明らかです。
原発立地には、こうした日々の具体的損害が皆無(不安感こそが日々の損害であるとも言えますが・・・具体的損害ではなく抽象的損害の部類でしょう)ですから、何らかの具体的損害と関係のない「不安」感だけに対する補償としてこんな巨額資金を払う必要があったのか疑問です。
この巨額資金交付が決まったのは、イザと言うとき・・すなわち放射能の飛散時の巨額損害・迷惑を念頭に置いた政治交渉の結果妥結した金額だったと言うべきでしょう。
不安とは何らかの身体的精神的財産的損害に対する予測を言うものでしょうが、「感」とは、まだその予測が具体的な形をとっていない場合・予備段階の心情を表すものと言えます。
この漠然とした「感」言う非合理な恐怖感は解消する方法がないと思う方がいるかも知れませんが、政治家は住民の不安を具体的に構想してこれに対する対策をしておくことは可能です。
古来「備えあれば憂いなし」と言うように危機管理対策を十全にしておいて、その擦り合わせ・住民への周知などをしておけば、国民はイザとなればこのようにすれば良いのだと言う安心感が生まれるものです。
爆発事故や交通事故に遭遇するのとは違い、原発立地による不安とは放射能汚染の不安に尽きるのですから、事故のその日に寸秒を争って逃げないと大変なことになるのではなく、(爆発現場敷地内にいれば大変ですが、)一般住民にとっては事故があってから逃げても遅くはありません。
数km以上離れた住民の場合には、放射能漏れが始まってから数ヶ月〜年単位の継続汚染が問題になるだけであって、数日や一週間で致命的な被害を受けるものではありません。
津波や地震被害のように誰かが行方不明になったり、足腰を骨折するなどの身体的障害を受け、あるいは家財道具・商売道具が流されてしまう訳でもないのですから、原発の不安とはイザとなれば住み慣れた生活を捨てて長期間避難しなければならない不利益に対する不安に帰するのです。
避難方法やその先の生活方法の準備さえ、事前に充実していれば家族もペットもみんな一緒に避難出来て、しかもある程度従来の生活水準を維持出来る・・一種の転地が強制されるだけの話です。
6月17〜18日に書く予定ですが、あらかじめ希望者には一定金額を配って住民がそのお金で遠くへ移転しておくのが究極の不安解消策になります。
転地は嫌なものだと言うのは、定住時代の過ぎ去った意識に凝り固まっているだけであって、実際にそういう意見を言う人自身の生活を見れば、親元から離れて進学・就職したり、より良い生活を求めてアパートからマンションへ、マンションから一戸建てへと次々と引っ越しをしているのが普通であって引っ越しををいやがってはいないのです。
今の時代転勤族の多さを見てもあるいは転勤がなくもと同一経済圏内でライフステージの変化にあわせて(家族構成の変化・マンション購入などで)次々と引っ越しする人が多いことから見ても相応の金銭的補償・転勤による栄転などであれば、引っ越しをいとわない人の方が人口の過半でしょう。
とすれば移転の混乱・不利益を極小化し、その不利益を補填する準備さえあれば・・その準備はお金次第ですから、お金である程度用意・・代替出来ることが多いのです。
上記のように希望者にだけ配るのですから嫌なら引っ越さなくても良いのですから、外野が田舎の人は転居をいやがる筈だと前もってとやかくいう必要がありません。
そこで一人当たり貰ったお金がいくらくらいあって、上記のような万全な準備をするに足りる額であったのかが問題です。

交付金の性質?

いわゆる電源3法(電源開発促進税法・特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)・発電用施設周辺地域整備法)の交付金の性質については、www.nuketext.org/yasui_koufukin.html「よくわかる原子力 – 電源三法交付金 地元への懐柔策」の記事によれば、以下の通りらしいです。

「交付金制度の制定は1974年。そのころ通産省(当時)資源エネルギー庁の委託で作られた立地促進のパンフレットには、次のように書かれていました。
 「原子力発電所のできる地元の人たちにとっては、他の工場立地などと比べると、地元に対する雇用効果が少ない等あまり直接的にメリットをもたらすものではありません。そこで電源立地によって得られた国民経済的利益を地元に還元しなければなりません。この趣旨でいわゆる電源三法が作られました(日本立地センター「原子力みんなの質問箱�)。」

経済的利益の還元・・即ち補償金のことでしょうが、何に対する補償金かと言うことです。
補償とは、何かの不利益に対する補填・補償ですが、原発が立地するだけでどのような不利益があるのかと言うことです。
第一原発に関しては敷地だけで90万坪もの買収ですから、巨額資金が地元に落ちていますし、その他漁業補償あるいは取り付け道路用地買収・港湾整備等による地元への資金投下はマイナス要素ではありません。
福島第一原発だけで常時6000人の従事者がいるとも言います。
科学者比率が高いとは言え、彼ら自身の食料や宿泊施設需要、彼らの仕事ができるように補助的事務員の雇用・清掃その他現場作業用労務の需要、関連企業の出張者(も頻繁です)に対する宿泊需要や食料供給関係者等々地元に及ぼす経済効果は計り知れないものがあります。
私の経験で言っても、平成の初め頃に茨城の東海村原子力研究所には千葉県弁護士会の司法修習担当副会長の時に修習生を引率して見学に行っています。
こうした需要もあります。
これらの需要に応じて各種建物ができれば地元には、固定資産税も潤沢に入ります。
双葉町の例ですが、http://www.freeml.com/ep.umzx/grid/Blog/node/BlogEntryFront/user_id/8444456/blog_id/13876の
「増設容認、金の魅力 神話の陰に—福島原発の推進側を見る」からの引用です。

「原発立地を促すための国の電源3法交付金、東電からは巨額の固定資産税などの税収……。原発関連の固定資産税収だけでもピークの83年度は約18億円。当時の歳入総額33億円の54%に達した。」

勿論6000人に及ぶ従業員の給与等に対する税金も住民税等として入ってきます。
大熊町の人口動態ですが、以下は上記同所からの引用です。
「徐々ににぎやかになった。出稼ぎもなくなったしな」。志賀の言葉を裏づけるように、原発での雇用が生まれ、町の人口は増加の一途をたどった。1965年に7629人だったが、国勢調査のたびに増え、2005年には1・5倍近い1万992人となった。」
とあります。
本当に生活にマイナスであれば・・大気汚染や臭気・煤煙・・振動等で苦しめられている場合、そんな場所で人口は増えない筈です。
原発施設の老朽化に連れて固定資産税も減少して行き、町の財政が苦しくなります。
これに連れて人口も減り始めた双葉町では、ついに新設を求めて誘致決議までしていたことを6月9日に紹介しましたが、原発による具体的被害がない・・不安感と言うことだけで巨額補償金を貰っていたことの証左でしょう。
上記のとおりで、立地することによる何の迷惑があるのか不明ですから、補償対象は具体的な損害に対するものではなく、原子力・・放射能漏れに対する強度の不安感(を言い立てているだけ・・本気で怖くはないから誘致決議をするのです)に対するものに過ぎないと言えます。

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