地球温暖化の影響2(気温上昇)

最近の事例で言えば、新潟コシヒカリの味が落ちて戦前頃まではとても稲作適地ではないと思われていた寒冷地の北海道で(品種改良の結果と思っていましたが・・)温暖化北上の結果?米が作れるようになった上に、北海道産のコシヒカリが新潟コシヒカリよりうまくなった?と言われていますが、この程度の変化は悪いことではありません。
同質のものが北海道でもつくれるならば広大な北海道で取れる方が合理的です。
1℃や2℃くらい上がってもタイやベトナム等の東南アジアでコメやフルーツが取れなくなるとは思えませんが・・農産物生産地の北上が進んで仮にその分置き去りにされる地域があっても、戦後農業従事者の比率が減る一方・・50年〜100年後にはもっと減っているでしょうから、失業者が増えるとか人類全体で食糧難に直結するとは限りません。
銘柄価値が下がりコメの単価が下がる新潟で言えば得意のコシヒカリの値段が仮に1割下がるとすれば大変でしょうが、次の得意商品を育てる努力が必要なのは当然のことです。
どんな商売でも同じヒット商品が十年続く方が珍しい時代ですから(今年に入ってスマホブームも収束し、次の芽を企業は探っています)で適応努力成功を前提にしない気象学者の意見がおかしいのです。
まして新潟県全体で農業所得に頼る比率が今よりも下がっていれば(他産業従事者が増えていれば)そのマイナス効果が低くなりますし、仮に現地求人が少なければ就職等で県外に出るように適応していくのが普通で・農業生産減少よりも、地域内外の他産業の動向(景気動向)の方が重要です。
農業内で見ても新潟の気候変化に合わせて別のトロピカルフルーツなどの作物栽培が可能になったりする適応力次第でもあります。
南太平洋の島嶼では産業がないから心配と言えますが、日本でも離島には近代産業がない結果、(魚が取れなくなったからではなく)若者世代から順次本州等に移転していく・・過疎化が進んでいます。
気温1℃程度の気温差がどこの国に立地するかの企業判断に与える影響は微々たるものでしょう。
地球規模の気候変化は民族の枠組みを超えての移動だから大変という点もあるでしょうが、現在でも気温変化に関係なく国際的に出稼ぎと称する下層労働人口移動の激しい時代です。
気候変動を理由にするよりは、より良い職場を求めて世界規模での労働人口の移動がどんどん進む時代(南欧や中東方面からドイツ等への移動・国際移動自由化がどの程度進むかについての予測が必要です)がきているので、100年単位で温度がちょっと変わる程では元々の人口移動傾向に対する寄与度は微々たるものではないでしょうか?
学者は過去のデータが得意ですが、過去数千年〜数万年単位では、農漁業の比重が高くひいては気候変動の影響が大きかったのですが、今や産業の主力が農漁業から遠く離れている現実・移動手段も高度化し冷暖房完備してきたので、暑いか寒いかよりはIT産業に象徴されるように職場のあるところに移動する時代です。
人口問題は気候変化よりも(今でも寒冷地〜乾燥地帯、湿潤地帯などいろんな気候向けにコマツなどのメーカーも工夫しています)産業構造の変化見通しの方が重要です。
1℃上昇の影響が個別地域変化でなく世界全体の食糧生産がどうなるかコソに興味ありますが、その辺については何十度も上がれば別ですが、百年で1℃や2℃上がるくらいならば、全体として植物系が増えるメリットの方が大きいのではないでしょうか?
こういう多角多層的見通しについて、専門外の気象学者が専門的意見であるかのように温度上昇の「リスク」について発言し産業構造のあり方に口出しし、特定産業・再生エネルギー業を補助金を出して優遇し、特定産業・火力発電を抑圧するのに精出すのは・越権性が激しすぎませんか?という疑問です。
億単位や数千年単位で見れば、地球は寒冷期、温暖期の繰り返しが知られていますが、その原因はまだ不明(せいぜい憶測程度・隕石がぶつかってチリが地球を覆ったために氷河期が来たというような俗説が一般的ですが、専門家にはわかっているのかな?)ですし、その巨大な気候変動のリズムをちょっと化石燃料を燃やしたり減らす程度で変えられるのかの説明が全く(これも素人の私が知らないだけかも?)ありません。
「何かを食べている人にはこういう病気が多い」という程度であれば、そいう意見を言い、それに従う人がいてもいなくとも各人の勝手ですが、それを法で禁じたり摂取しなければならないと強制するようになると次元が別になります。
私のような疑問を持つ素人が多いからか?以下のとおり、過去のデータで温暖化と炭酸ガスの増加が連動しているとしても、温暖化したから炭酸ガスが増えたのかどちらが先かの検証が出来ていないという意見が出ています。
ある人がたまたま東京駅についたらお腹がすいたことが数回あったとしても、「東京駅ではなぜかお腹すく」という論理が成立しないのと同じで、どちらが「先だった」とわかってもその先の論理を解明しないとあまり意味のない論争をしている印象です。
というのはそもそも、明日紹介する論文?解説を読むと温暖化や冷却化の原因のほとんどは水蒸気の有無・量であって、炭酸ガスその他の指標は取るに足りない?ようです。
曇った夜は冷え込み(放射冷却)が少ないことを素人でも知っています・この論理で4〜50年ほど前には炭酸ガスが増えると曇りがちになる→直射日光がへって「地球が冷える」という危機感を煽っていたのです。
私は寒さに弱い体質なのでこの煽りには長年ビビっていましたので、もしも本当に温暖化すれば、「暖かくなっていいじゃないか!というのが本心ですが、今更180度真逆の「温暖化する」と言われると「?????」と不信感を持ってしまいます。
予言・・天気予報程度の予想や学問発表は自由ですが、この主張を直接の前提として法で特定産業を禁じたり、国民負担を強制するようになると学問の自由の範囲(原発訴訟の紹介でもこれに権威を認めすぎていることを批判して来ました)を超えてきます。
温暖化に関する予測では気象学者が専門家かもしれませんが、それでも数学のような確かさがなく、手探りでしない点は考古学的あるいは地震学〜火山学的予測同様に50歩100歩のイメージを持つ人方が多いのではないでしょうか?そもそも学問というものは、まだ分からないことが大多数でわかっていることの方が少ないという謙虚さが必要でしょう。
温度が年平均1℃上がれば(上がるとした場合の仮定・・太古から続く氷河期等の繰り返しとどう違うかも私には不明ですが)生態系がどうなるか?
人類移動の傾向はどうか?トータルどのくらい生産が増えるか減るかなどの総合予測に関しては、(気候変動で滅びる種がある代わり未知の種が増えるなど)植物学者や農学者や産業構造の変化・・人口移動などの総合判断です。
専門外の気象学者があらゆる分野の専門家であるかのような推測意見を学問として発表し、これを元に特定産業の抑圧を求める「政治に関与する」のは行き過ぎではないでしょうか。
原発訴訟に関する海渡氏の論文に対する感想の連載中ですが、そこでは、考古学者や地震学者の想像論でも単位発表している限り(そういう意見もあるのかと)害がないのですが、地震や火山学等を金科玉条にしてその学問で未解明=原発停止すべきというのは飛躍がありすぎるというスタンスで書いてきたとおりです。
いろんな学問は経済予測同様に「あてにならないのはあたり前」とした上で、いろんな意見は一応学問の発展に資するから育成しましょうという程度にすべきです。
いろんな意見があって面白いな!という程度、「その意見が気に入らなければそれまで」という気楽さ・・強制力がなく害がないから政治が口を出す必要もない・良い意見か悪い意見かは国民の受け入れ程度・・自由市場によって決まる・・学問の自由の基礎になっています。
子供が無茶言っても寛大に見ていられるのは、影響力が皆無だからです。

地球温暖化の影響1(水位上昇)

気温変化を見ておきましょう。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/26-27.pdf

温暖化への疑問にお答えします!
・・・ここ100年程度の温度上昇は0.7度という大きさです・・・

2008年頃作成らしい今後のシュミレーションのグラフが続くのですがうまく取り込めませんので引用省略しますが、グラフによると(本当にそうなるかどうか分かりませんが)これによると2040年ころには、2000年比1℃ほど上がるようなグラフです。
グラフの見間違いがあるかも知れませんので正確性については上記引用先のグラフで確認して下さい。
https://www.env.go.jp/earth/ondanka/stop2008/08-09.pdfはいかにも大変なことになりそうな意見の文章ですが、具体的数字を見ると、以下の通りです。

世界平均海面水位は、21世紀末までに、環境の保全と経済の発展が地球規模で両立する社会(B1シナリオ)では0.18~0.38m、化石エネルギー源を重視しつつ高い経済成長を実現する社会(A1FIシナリオ)では0.26~0.59m、上昇すると予測されています

あちこちが水没すると(私の感想では大げさな扇動的に)言うのですが、最悪シナリオでも100年間で0.26~0.59mしか水位が上昇しないならば、素人的に考えてどうってことがないはずです。
例えば九十九里浜でいえば、波打ち際からマツ林のところまでは急勾配の砂浜が広がっていて、ざっと目にメートル単位の高低差があります。
砂浜がないところは(伊豆半島など)海辺まで岩山等が迫っているのが普通ですから、数十センチの水位上昇があってもその岬等にほとんど影響がないでしょう。
狭い入り江にへばりついた漁村が影響を受けるでしょうが、100年単位の間に小さな入り江から出漁する従事者が減って行く(もともと過疎化進行地域)ので影響を受ける人の比率は大幅に減るでしょう。
都会=多くは低地では数十センチでも大変かもしれませんが、その代わり土地評価(利用効率)が高いので、相応の堤防等のかさ上げコスト負担が可能です。
千葉市でいえば、京葉線千葉港駅から先の埋立地を20年ほどかけて俗称?「宅盤底上げ工事」を行っていて約2メートル(散歩がてら見ていただけで正確な数字は不明ですが)ほど嵩上げ工事をしていました・これが15〜20年ほど前に完成しています。ー
100年で30センチ前後の水位上昇でも津波等の場合の被害は大きい(素人にはわからないと言うのかな?)と言うことでしょうが、それにしても津波の時には、1〜2メートル程度の津波でも押し寄せる力で10数メートルの高さくらいまで遡上しますので、津波の高さが2倍違うと大変なエネルギー差ですが、元々の水位が数十センチ高いとどう言う意味があるか不明です。
100年も期間があればいわゆるゼロメートル地帯でも、道路舗装工事の都度、家やアパート等の建て替えの都度少し土盛りしたら済む程度のことです。
そもそそも江東区等のゼロメートル地帯が有名ですが、この100年間に甚大な水害被害があったでしょうか?
1℃の変化によって仮に少しの場所が水没しても、もともと身近なところでも千葉の関係する東京湾の水位は縄文海進と言われるように関宿の辺りまで海があったりその後干上がったりですし(「上野のお山」といっても当時は陸地部分という程度でしたし、不忍池は当時の海が閉じ込められたように見えます)日本海の水位も上がったり下がったりしていますし、この変動に合わせて人類や動物も植物も住環境を変えていくしかないし、そうしてきたことです。
房総から茨城方面では、見るからに元海底だったかと思えるような真っ平らな陸地が多くなっているのは寒冷化と言うよりは地盤隆起に(逆に北陸方面では地盤沈下の結果勧進帳で有名な安宅の関所跡を訪れると関所跡は海の見える崖の上に史跡としてあるのですが、タクシー運転手さんの説明では、これは後で作ったもので、「本当の関所はあの海のなかです」と教えられたことがあります・・数百メートル沖合の荒波になっているのに「桑田変じて滄海となる」とはこういうことか!と感慨を覚えたものですが)によるものでしょうが、こうした多様な変数の方が影響が大きいのです。
勧進帳の頃からまだ千年足らずですが、このような激しい変化に人々は黙って適応してきました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/110/5/110_5_650/_pdf

地学雑誌JournalofGeography110(5)650-664 2001
房総半島九十九里浜平野の海浜堆積物から求めた過去6000年間の相対的海水準変動と地震隆起
増田富士雄*藤原治**酒井哲弥*荒谷忠
・・・海浜堆積物の年代は含まれる貝殻などの14C年代値から,分布高度は測量から決めることができる。
この相対的海水準変動を求める新しい方法は堆積物を利用するので,その標高が,すなわち過去の海面高度が正確に決まるという利点がある。ここではこの新しい方法を千葉県九十九里浜平野の真亀川流域で採取された海浜堆積物に適用して,過去6000年間の相対的海水準変動を高精度で復元した成果を示し,その結果から,この地域では1回に40~120cmも急激に隆起した出来事が少なくとも4回はあったことを述べる
・・・・・
2)地盤の隆起時期と隆起量
九十九里浜平野で認められた300年以内,おそらくはもっと短時間に相対的水準が40cmから1.2mも下るという現象は,変化の規模と速度から考えるとユースタシーの変動ではなく,また,堆積相が変わっていないことから考えると堆積物供給量の変動に由来するものではない。
それはテクトニックな地盤隆起が原因と考えられる。こうした考えの背景には,九十九里浜平野が,関東造盆地動の東側の隆起帯,あるいは下末吉期以降の地盤変動としての鹿島一房総隆起帯の一部に位置づけられる(貝塚,1974)ことがある。
・・・・・・・地点01/02問(現在~250年前)での約40cmの隆起は,歴史記録が残っている期間に発生している。この期問,南関東で知られている大きな地殻変動を伴った地震は,1703年の元禄(関東)地震と1923年の大正地震である。どちらの地震でも隆起は房総半島では南部に限られ,九十九里浜平野が隆起した証拠はないとされる(松田ほ
か,1974;宍倉・宮内,2000)。40cmの変動量は解析法からして有意なので,今後,ほかの地震による起の可能性をも含めて検討したい。
・・・・・・以下椿海(現在の干潟)の淡水化現象と隆起の関係を書いていますが省略します。

上記の通り氷河期(温度が下がって)で干上がったのではなく、私が景色を見ての直感通り地盤隆起が原因であることを示す専門家の論文があることがわかりましたが、根拠を示すために検索して初めて専門家の論文があるのを知っただけですが、こんな程度は地元の景色を見ていれば誰でも分かっていることでしょう。
素人の直感力をバカにしてはいけません。

原油相場上昇と再稼働の必要性?(代替エネルギーの現状)1

15年以降の国際収支・・14年4兆円弱の経常収支黒字から15年にはひと桁違いの16兆5000億円の黒字復活は、この危急存亡の直前に14年夏ころからの原油相場下落を起爆剤にして急速に救われたことになります。
福島原発事故も、首都を巻き込んでもおかしくないほどの大事故に発展する事故でしたが、(これを見込んでドイツは大使館の臨時移転をしました)吉田所長らの決死の奮闘により首の皮一枚で大惨事を免れ、経済面で見れば日本も恒常的赤字国転落か?瀬戸際で助かった天佑でした。
(個々人は一人残らず、電力節約に努めましたし、供給側では省エネ技術革新に取り組み、被災工場やプライチエーンの必死の復旧努力により一日も早い生産再開・これが一方で輸出激減を抑え、石炭火力の復旧による原油輸入を一滴でも減らす努力・文字通り不眠不休で日夜励みました)
単に天佑を祈っていたのではなく、国民一丸となって頑張ったことに対する神の恩寵です。
https://eneken.ieej.or.jp/data/5474.pdfによると発電電力→消費量は以下の通りです。
震災以後3カ年の火力発電投入燃料推移
計量分析ユニット需給分析・予測グループ 研究員吉岡 孝之

電気事業者の発電電力量2は2010年度比で震災直後の2011年度に7%減、2012
年度に10%減、2013年度も10%減となった。
・・・・節電努力等の継続もありさらに大幅に増加することはなかった。

二度にわたる蒙古襲来時と同じで、天佑を待っていて天佑があったのではなく、供給側も消費側も国民一人残らず持ち場持ち場で国のために必死になって持ち応えているうちに
「神の嘉するところとなって」
原油情勢が好転したものです。
14年の原油相場下落によって日本は一息つけましたが、1昨年から原油相場の反騰により風向きが変わってきました。
http://www.meti.go.jp/statistics/toppage/report/bunseki/pdf/h18/h4a0606j5.pdf
【我が国の原油輸入と対中東貿易】

世界的な需要の拡大を背景として、ここ数年間、原油価格は高騰を続けている。
昨年後半、米国で発生した大型ハリケーンの影響もあり、さらなる上昇となった原油価格は、今年に入って一時的に落ち着きをみせたものの、産油国の政情不安などから再び上昇の兆しを強めている。
15年末には約 32 ドル/バレルであったWTI原油先物価格(期近物)は、16年末には約 43 ドル/バレル、17年末には約 59 ドル/バレルに達し、18年4月には 70ドル/バレルを超える値を付けるにいたった(第II-3-8図)。
消費する原油のほとんど全てを輸入に頼る我が国にとって、原油価格の高騰は看過できない問題であり、今後もその動向には引き続き注視が必要である。
原油の輸入金額が増加している最大の要因は輸入単価が上昇しているためである。
国際市場での価格の高騰を受けて、日本への輸入単価も15年末の約 30 ドル/バレル
から17年末には 60 ドル/バレル近くにまで上昇している(第II-3-10図)。実際、原油の輸入金額の伸びを要因分解すると、16年半ば以降、前年同月比で二桁以上の伸びを示しているが、輸入数量の寄与分は小さく、ほとんどが輸入単価上昇による寄与であることがわかる(第II-3-11図)。原油の輸入金額は、我が国の貿易収支に匹敵する水準まで増加しており、黒字額を大きく押し下げる要因となっている(第II-3-12図)。
中東からの輸入金額の総計をみると、17年には約9兆7,000億円と10年間で3倍程度にまで拡大している。輸入金額の8割以上は原油で占められており、原油以外の鉱物資源の輸入金額も増加しているものの、原油の輸入金額の伸び幅が大きく、輸入金額に占める割合は上昇傾向にある(第II-3-15図)。

以上文中引用の各図省略

上記の通り、原油相場の持ち直しにより、昨年では、原油輸入額だけで日本の貿易収支黒字に匹敵する数字に戻っている・原発事故直後と似た関係に戻っています。
脱原発に踏み切るための代替電力の研究開発進捗を総合的に見るには、原油相場が重要です。
代替エネルギー予定増加が予定の半分しか進んでいなくとも、原油が半値になれば、原油依存度が2割上がっても痛みをある程度吸収できますが、逆に相場が2倍になると原油依存度を半分に減らさないとやっていけない計算です。
たまたま、14年からの原油相場半値前後への下落と石炭火力増加によって、日本経済は首の皮一枚でつながっていたに過ぎませんから、原油相場が持ち直してきた以上代替エネルギーがどうなったかは重要です。
海渡氏が今まで何とかなったというだけの根拠で即時全面停止を求めているとすれば、(そんな無責任主張とは思われませんが・・)困ります。
ちなみにコスト関係は21日に紹介した通りですが、再生エネルギーの場合、立地環境が限定される上に安定供給ができないのでその面でも難があります。
もしもこれまで綱渡り運営で何とかなってきたからそのツナ渡りを今後もやれば良いと言うならば、おかしなな意見ですが、余裕電力がなくて大きな事故が起きたらどうするか?一定の安全保障のためには一定の余裕がいるのではないか?国家運営として許されることなのかの詰めた議論が見当たりません。
事故直後の原発事故による電力不足の急場を凌げたのはもともと安定供給用に余剰電力を確保していた石油火力発電があったから休止中の(余剰・最大ピーク用の温存設備)石油火力を一斉稼働できた・・だから直後には原油輸入が106%も伸びたことによります。
ただ、フル稼働状態でいつまでも続くわけがありません・・急場は不眠不休で働けますが、いつかまとまった休憩が必要なように発電設備も交代用の設備を使い切って何年も(小刻み回収・・騙しだまし使い続けるわけにはいきません。
石炭火力は機動的運用になじまないのでもともとほぼ100%稼働状態で、しかも被災した石炭火力があったので、すぐには石炭輸入増にはなりませんでしたが、被災後2〜3年で石油火力よりもコストの安い石炭火力の復旧が終わり新増設も進んでいるようです。
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/shoene_shinene/sho_ene/karyoku/pdf/h29_01_04_00.pdf

我が国の電源構成の推移
総発電電力量

 
2030年度

出典:資源エネルギー庁 総合エネルギー統計等 11

ぜかグラフ画像の転写がうまくいきませんので、総発電量の数字だけ転記すると以下の通りで、石油ショック時に「ほぼ100輸入に頼る日本経済はおしまいか」と大騒ぎになった石油ショック時と同様に国を挙げて省エネに邁進している実態が見えます。

10年→11408億kwh

13年→10584億kwh

15年→10181億kwh

電源構成比の変化は以下の通りです。

      電源種別    原子力        石油     石炭     LNG    再生

10年      → 25%            10%    26%    29%   10%

13年         → 0                17%    31%    41%   11%

15年(足元)     → 0                12%    22%    40%   15%

 

 

国債相場1(金利上昇)

株式や円通貨と違い国債には満期があるので政府はいくら売り浴びせがあっても満期が来るまで支払う義務がありませんので、期中の売り浴びせは、売る方が自分の手持ち債券評価を下げてしまうだけで満期前には政府が困ることがありません。
とは言え、債券相場下落=金利上昇ですから、政府は次回からの借換債発行コストが上がって困ります。
普通に考えれば自分の保有債券の売り浴びせは自分が損するので出来ないのですが、空売りという手法があるのでこれが可能になっています。
大量売り浴びせ・一種の仕手相場形成が成功すれば、大もうけ出来ますので、December 1, 2011「ポンド防衛1」のシリーズで紹介したジョージ・ソロス氏が、1992年にポンドを売り浴びせて何百億単位で儲けたような事態が可能になっています。
こうした空売りが成功するにはその下地・・実体経済能力と国債・為替相場が大幅に乖離している(その気配が充満しているときの発火点になる)ことが必須で、実態と大きな乖離がないときに仕掛けても(燻って終わりで)失敗するだけです。
ポンド防衛に関してこの問題をシリーズとして書き掛けでしたが、また機会があれば元に戻るつもりです。
空売りが出来るようになったので、中央銀行による実勢相場把握力の鈍化あるいは意図的なお遊び・・高め誘導などが過ぎると市場の反撃・・空売りなどによる是正を受ける仕組みになっているので、この後で書きますが今ではどこの中央銀行でも実勢追認が主流でしょう。
金利上昇の下地があるかどうかは、国内にどの程度の金あまりがあるか・資金の不足度合いに国債の実質金利がかかっているので、資金不足度=長期的国際収支のプラスマイナスの状況次第となります。
我が国の国債や市場金利が世界一低いのは経済力・・黒字度が世界一であるからであり、中国が儲かっているように見えても高金利を維持するしかないのは実際には資金導入の必要な国・・資金不足国であることを表しています。
どこの国でも長期的に国際収支マイナスが続けば、国内資金が徐々に逼迫して来る・・対外債権が減少して純債務国に転落しひいては外国から借りなければ貿易決済が出来なくなって来ます。
日銀・中央銀行が政策金利をいくら引き下げたくとも、需給に応じた金利にしないと外国勢が貸してくれません。
為替相場は企業の大合唱その他の圧力で介入すれば数日程度は円高を冷やすことが出来ますが、金利は長期取引(銀行間取引は別ですが、企業の資金調達では短期でも借りる以上は数ヶ月間など一定の期間があります)のために、日銀がどうすることも出来ない・・実勢相場での取引しか出来ないのが実情です。
すなわち為替相場とは違い国債金利相場は政府が勝手に決め切れない・・国際金融情勢にマトモに連動しているので、その乖離が発生し難いのでこれを突いての空売りで大もうけしようとすることはあり得ないことになります。
国債残高が多くなって来ると少しでも金利が上がると大変なことになるというマスコミでの論調が多いのですが、残高が大きくなると金利が上がるのではなく金利は資金需給による・・すなわち長期的国際収支バランス(対外債務の多寡)によることです。
財政赤字かどうかは、国内資金調達を税収によるか国債によるかの給源問題に過ぎず、日本国が立ち行かなくなるかどうかは国際収支の問題であることを2012/04/28「税と国債の違い1」以下で書いています。
国際収支黒字継続している限り、国債発行残高がいくらであろうとも関係がありません。
一家の収入総額の範囲内で生活している限り、息子や娘から生活費として強制的に徴収するか同額を息子や娘から借りたことにするかの違いによって破綻するか否かが決まるものではありません。
一家(息子や娘を含めた同居人)の総収入が一家の総生活費を上まわっているか否か(収支バランス)こそが重要です。
借金していても収入の範囲内ならば払えるし、借金ではなく預金の取り崩しであっても収入を越えた生活をしているとその内払えなくなります。
国家で言えば国際収支の範囲内で生活をするかどうかが重要であって、生活レベルを収入よりも高くし過ぎると、対外的に払えなくなるのは当たり前です。
ですから一定の生活水準を維持する資金の出所・・財政赤字の額よりは、現状が国際収支を悪化させるほど贅沢しているかどうか・・そのデータ提示こそが合理的な議論の叩き台に必要です。

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