社会保障とその限界1

コスト負担したくない国民のために、需要全部賄えるように補助金を無制限に増やせば良いのでしょうか?
その負担が国家予算に占める比率が微々たる場合・・大川や海に捨てるゴミが少しのときには気になりませんが大規模になると公害になったように、負担額が国家予算の半分を超えて来ると可哀相だけの基準では済まなくなってきます。
個別分野の積み上げではなく、個人負担の分野をどこまで政府が面倒見るべきかの総予算に対する比率・・総枠に関する議論が必要です。
そう言う意識的な議論がないまでも事実上予算総枠の縛りが起きて需要・要望を満たせないのは仕方のないことです。
予算の制約上需要に応じた施設全部作れない・・需要の10分の1〜2しか作れないと待機が生じるのは当然ですし、待機比率が高いときには、理想的設備ではなくともある程度レベル落としても数を多くした方が良いかも政策判断の範囲です。
市場原理に基づく代金を払う有料ホームの場合、必然的に設備やサービス内容が高度化するし、これに比例して従事者のレベルアップが要求される→給与アップするので、人手不足になりません。
量を供給するためにレベルを落とせば、介護関係者の待遇が下がる→応募者が減って不足する関係です。
予算上総枠としていろんな要求に対する優先順位がいるように人材配分としての優先順位も必要です。
介護士の給与を大学教授や宇宙飛行士よりも高くすればドット集まるでしょうが、上記は極端な例としても、現実世界には微妙な待遇差で無数の職種が存在していて市場原理で微妙に決まっているのですが、計画経済的にどの職種より介護士や保育士が時給10円高くても良いかなど決めて行くのは無理があります。
利用者がコストを負担出来ない以上市場原理で決められないのは仕方がないことですが、中央が決めた点数で決める制度設計である限り人材供給がスムースに行かないのは仕方のないことです。
ソ連は経済原理無視の結果遂に崩壊しましたが・・中国の経済原理に反した国家介入の限界が来ていて近日中に大破綻するだろうと意見が普通ですが、「お金に色がない」といいますが、赤字の原因が社会保障分野ならば経済原理に反した支出しても構わない・・永続出来るものではありません。
使い道が何で(高邁な理想に基づくからと言って)あれ、収入以上の支払が永続することはありません。
日本でも国鉄の赤字拡大その他幾多の事例を見れば、市場原理を無視した国家運営にはいつかは無理が出ることが明らかです。
日本の財政赤字の元凶は歯止めのない社会保障負担拡大ですが、社会保障は赤字に決まっているからコストを無視しても良いという発想に安住しているといつか国家=民族が破綻してしまいます。
生活保護で以前書いたことがありますが、増額しろ、可哀相だと言う感情論の合唱ばかりではなく平均的生活水準の何割まで保障するかと言う国民合意が先決・必要です。
この議論がなくて生活保護基準を上げて行くばかりで最低賃金よりも高くなって来たら今度は最低賃金の方が低いのはおかしいと言う主張ですが、お互い引き上げ競争ばかりしていると国際競争が成り立ちません。
生活保護・社会保障は実働している国家総収入の限界があり、実働者の賃金は国際競争可能な範囲に決まっている・・一時的に引き上げても中期的に輸出産業がやって行けなくなり,輸入が増えて失業が増えます・・のを無視した議論です。
日本に限らずアメリカでも世界中の民主党系政党の主張は「社会保障は手厚い方が良いに決まっている」と言う姿勢・・総枠無視ですが、これではいくら消費税を上げても歯止めのないことになります。
最近奨学金の返還義務をなくせと言う主張が多くなっていますが、これは前途有為の人材が教育を受けられない弊害除去・・救済を予定せずに「授業についていけない子供でも」人並みに進学出来ないと「可哀想」と言う発想によっていることが分かります。
(育英資金・・普通の能力のある子供=普通に就職出来る子の場合、普通払って行ける返済額ですが・・免除原則にしろと言うことは、払えない前提→授業について行けない子にも奨学金を要求ししかも返済免除しろと言うの?)
学校に行くのをいやがっている子供をせめて高校・大学くらいは・・と言うオヤの願望・・自分のお金を出すのは勝手ですが、税で負担する必要があるかは別の議論であるべきです。
可哀想論になって来ると返済能力のない人に貸す・・「借りたら返す」と言う経済、道徳原理無視の主張になり易く、結果的に対価を負担しないことがあたかも当然の権利…いろんな分野でコスト負担忌避の風潮を煽るようになると税収をいくら上げても追い付きません。
コスト負担しない人が増える一方になるとまじめに働いて税を納める人の意欲を殺ぐマイナス・・(まじめに税を納める気持ちが失せる・・海外資金逃避増加)モラルハザードを誘発します。
商人が代金を払う客の望むものを売るのが結果的に正しい・・お金を出す人の意見が重要です。
お金を出さない評論家がこの商品が良いと言っても、飽くまで予測でしかなく実際の売れるかを決めるのは顧客です。
税の使い道を決めるのは原則として納税者の意見によるべきであって、・・納税者も人権・環境その他いろんな正論に耳を傾けるべきですが、これをどの程度重視するかを最後に決めるのはお金を出す人の意見であるべきです。
コスト負担しない・・お金を出さない人の意見が幅を利かして・・納税者の意見を無視し過ぎるのは邪道です。
財政赤字の問題点は消費税率の問題ではなく、社会保障負担・・個人が負担すべき対価をどこまで社会が負担すべきかの総枠設定こそが重要です。
この議論抜きで際限なく補助を増やして行くべきと言う意見・・「保育所落ちた日本死ね!と言う民進党のアッピールは、保育所予算と他予算とのバランス調整の必要性を無視した無責任政党の極み・・違和感を感じた人が多いのではないでしょうか?

アメリカ優位性喪失1(移民モデルの将来性)

19世紀末から20世紀に入ってからのアメリカ優位性・・大量生産モデルの基礎になっていた鉄鉱石や石炭、石油あるいは畜産、食糧生産などの資源は主として量産系(牛肉やトウモロコシ、小麦など食料品もうまいものではなく量で勝負する系統)対応資源です。
唯一足りなかったのが人口でしたから奴隷を入れたり移民を入れたりして補って来たのがアメリカモデル・・人口的にも量で勝負する発想です。
モノ不足時代・・上記資源の価値は飢餓に直面する最低生活品としての価値がありますが、豊かな社会になると量に頼る経済は先がありません。
衣類でも食糧でも家具、アクセサリーや居住空間・楽器でも普及すればより良い物が欲しくなります。
アメリカでは、やっとシェ−ルガス,サンドオイル採掘が軌道に乗って、サウジに頼らなくても良いと安心していますが、これは植民地を失って戦後耐乏生活を強いられたイギリスが北海油田で一時期息をついて喜んだのと同じ・・従来モデルの補充でしかありません。
大量系資源である原油・ガスの国内採掘活発化でサウジと張り合おうとしているのは、中国と張り合うために移民を入れて人海戦術・低賃金化競争して来た延長です。
日本のように国民を大切にして資質を高めて商品を高度化するなど別の視点がないと将来がないと言うか、これに気が付かないうちに差を付けてしまうチャンスです。
製品高度化には底辺層の底上げが必須ですが、(中学3年になっても掛け算の分らない子を分るようにするのは、出来る子に高校レベルの因数分解を理解させるより難しい)それには膨大なコストがかかります。
現住国民の少数精鋭化・・コストをかけてレベルアップ努力が必要なときに底辺層導入によるお荷物(出来ない問題児をクラスに抱え込むのは独りでも少ない方が良い・・先生の大きな負担です)を抱え込む必要がありません。
まして補助金をつけて(現地での事前教育資金を補助するなど)まで介護人材など呼び込む必要がありません。
日本で保育士や介護要員が不足しているかのようにマスコミが宣伝しますが、実際には人間の不足ではない・・不足しているように見えるのは予算配分し切れない資金不足に過ぎません。
予算さえ付ければ、いくらでも施設は作れるでしょうし、介護士の待遇改善(仮に給与60万円と)すればいくらでも人が集まるでしょう。
介護士や保育所不足は全てに優先して全国家予算をもってしても人件費に足りない絶対的不足でなく、大学や高校〜医療費・・図書館、公園維持,道路・警察などなど税の使い道はいろいろある中で保育所・介護関係にはこれだけしか配分出来ないと言う政策選択の結果です。
サービスを受けるには、必要な対価を払うのが経済原理と言うか,何事もギブアンドテイクが人の道です。
ペイする商売であれば需要に応じてすぐに供給が増えます・・・・ラーメン屋・居酒屋でも牛丼屋でもスーパーも民間パートも顧客が何ヶ月も前から予約しないと買えない・サービスを得られないようなことはありません。
国民がもしも介護や保育サ−ビスを受けるに必要なコスト負担するならば、需要に応じた供給があって待機問題が起きません。
介護士も市場原理に負けない給与を払えば他産業に行かないで介護士になる人がいくらでも出て来ます。
こんなに不足しているのに何故給与が上がらないか・・施設が増えないかと言えば、介護や保育所設置に市場原理が働いていないからです。
巨大補助金がないと運営が成り立っていない・・新増設や給与資金が補助金次第となれば、予算の限界で供給が決まり需要で決まるものではありません。
100の需要があっても30の予算しかなければ30しか供給されないし、市場給与水準が100であっても支給基準・・保険点数が70に決まっていれば、業者はそれ以上貰えない・・ひいては介護士にそれ以上払えません。
保育所待機児童や、特養の何年待ちが生じるのは、利用者がラーメン屋に払うようなコストに応じた支払をしていない・・不足分を政府予算に頼っているからです。
公営住宅が抽選になるのは、コストより安いアパートに入りたいからです。
従来手厚い介護を他人に頼めるのは、松下幸之助のような成功者だけでしたが、これを適正コスト負担できない全国民に及ぼそうとしていることに経済論理上無理があります。
・・かと言ってお金のない人は我慢して下さい、家族だけで見て下さいと放っておけない・・要は国民が対価支払以上のサービスを求めていることが介護士不足の元凶です。
1000円が妥当な昼食を500円で食べさせろ・・差額は政府補助でやれとなれば、補助金が出る限度に供給が制限され、需要に応じた供給が成立しません。
需要全部賄えるように補助金を増やせば良いかと言う議論ですが、その負担が国家予算に占める比率が微々たる場合・・大川や海に捨てるゴミが少しのときには気になりませんが大規模になると公害になったように、負担額が国家予算の半分を超えて来ると可哀相だけの基準では済まなくなってきます。
経済原理に反するサービス・・自己負担以上のサービス・社会保障を求めるところに、介護士不足や待機児童等の過熱化・・特養の何年待ちが起きることが分ります。
人手不足の問題ではありません。

少子化の効果

また話がそれましたが、大量生産化が始まったばかりの新興国社会・高成長社会では労働需要が中底辺労働中心なので健康でまじめに働く意欲さえあれば良いので子育て・・到達目標モデルは簡単でした。
低成長・静的社会・・別の側面から言えば成熟社会への適応には、ガムシャラに働いて物やサ−ビスをより多く提供すれば良いのではなく、消費者としても量を得れば満足する社会ではなくなっています。
より良い労働者=賢い消費者でもあるのですから、双方の側面で繊細な素質が問われるので、誰でも簡単に適応出来ないのは当然です。
親にとっては生まれて来る子供の適応能力がよく分らないので、さしあたりリスク回避のために少子化して行くのが一番の基本的な智恵です。
道に迷ったり、行く末・様子がよく分らないときに先ずは身を縮めて防衛体制に入るのが動物の本能ですが、子育てに関してもこの先がよく分らないならば、量産から少子化へと体制縮小するのが正しい選択です。
少数精鋭という熟語があり、果物に摘果があるように供給を絞った方が品質が上がる傾向があることも経験上知られています。
少子化に絞った結果がどうなったでしょうか?
一般家庭の現状を見ると、現在の中高年層は自宅を取得し、戦後荒廃した社会インフラの復興負担をし、親世代の介護などの面倒を見て来て、今度は更にいつまでも独立出来ないで親の家に寄生している次世代の面倒まで見ている人が圧倒的に多いのが実情です。
税で徴収して再分配するだけでは足りずに、親世代からの贈与を奨励する政策(相続時精算課税制度など)が続いていることも、これまで何回かこのコラムで紹介してきました。
現在の年金問題は今の中高齢者が年金を納めなかったことに原因があるのではなく、この世代はみんなまじめに納めて自分たちの親世代の年金負担して来ました。
それなのに次世代の納付率が下がっていることと、一人当たり稼ぎが低くて納付金が低すぎることが現在の年金と言うよりも、将来の年金制度の持続性にかげりをもたらしているのです。
彼らの納付金が少なければ彼らがその限度しか年金を受給出来なくなるのは理の当然です。
生保でも何でも掛け金を多く掛けて来た方が保障が大きいのが原則で、その逆に少ない掛け金であれば年金受給額が少なくなるのは当然です。
今の受給世代の半分しか掛け金を払えないのに同額を保障しなければならないと思っている方が頭がおかしいと言わざるを得ません。
次世代が損しているどころか6〜70世代は親の面倒も見たし、子供世代に充分お金を掛けて自分が育ったころの何倍も子育てに手間ひま掛けたのに次世代がその恩返しを出来なくなった・・次世代に甲斐性がなくなったことがすべての基本です。
本来ならば人数が少なく育って我々世代の2〜3倍の良い思いをしてきた以上は、一人当たり2〜3倍くらいリターンする・・納付額が多くなってこそ整合します。
ところが、我々世代よりも一人当たり納付金が少なくなっているのでは、次世代が受けた投資に見合ったリターンをしていないことになります。
2〜3倍の投資を受けて育った以上は、2〜3倍の収益を上げねば論理的ではないのですが、我々敗戦後に食うや食わずで育った世代に比べて何倍も投資・教育されているのに、逆に我々の何分の1しか収入を上げられない人が圧倒的多数になったことが・年金赤字の原因であり、先行き見通しを暗くしているのです。
その原因として次世代は能力が低い・根性がないと一概には言えませんが、(世界情勢・環境変化による面が大きいので・・)いずれにせよ成人した後も親の世話になっている次世代が圧倒的に多いのが現実です。
個々人の家庭で親世代に世話になっている次世代が多い(いつまでも親のスネをかじっている)状況が、社会一般に及んで来たのが年金問題ではないでしょうか?
年金やその他社会保障問題の多くは次世代がマトモに納めるべきものを納めていない・・納められなくなっていることに直接の原因があります。
あれやこれや世代対立を煽るマスコミ報道が多いので、6月14日に紹介したようにこれを鵜呑みをして、公の場で若手学者が「次世代は損ばかりしてるのだから・・」と言う発想で発言したのには、私も驚きましたが、これほどマスコミの威力が大きいことが分ります。
間違ったことでもマスコミが結論だけを繰り返せば、殆どの国民はその結論が正しいと思い込む傾向があるので、一定方向へ誘導しようとする偏ったマスコミの報道姿勢は危険です。
マスコミは中立と称して自分たちの都合の良い立場・・あるいは政府の意を受けてをそれとなく宣伝を繰り返して国民をマインドコントロールするのはズル過ぎます。
このあまりにもひどい現実がネット・ユーチューブの発達で意見発表機会の独占が破られて是正されつつあるのは喜ばしいことです。
マスコミは、中立などという仮面を取り払って「当社はこの立場で・・」「政府官僚の意見の代弁で・・」など自分の立場を明らかにして報道すべきです。

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