クリスマス(信教からの自由とシビリアン)1

イブには,例年日頃書いているコラムと全く関係のないことを書く習慣でしたが,今年はキリスト教による西洋の民に対する内面支配とこれに対する自我の目覚め→抵抗・シビリアンの発生→フランス革命を書いている内にクリスマスが来てしまいましたので,今年はクリスマス特番でありながら延長的コラムになります。
近代的な法の支配が成立していない社会では,法の代わりに何か基準になる生活のルールが必要です。
集団がある限り動物界でも植物界でも暗黙のルールがあって,人間社会の場合最初に生まれるルールブックが民族ごとの(地場)宗教・習俗となります。
明文がなくとも民度レベルに応じた生活をすれば「動物界の掟」同様に社会レベルに応じた暗黙のルール・習俗が成立していてトラブルが起きても解決出来る訳ですが,組織・社会規模が大きくなったり,生活様式の違う部族が統合されて・・支配者が出来ると,生活に根ざしたボトムアップによる自然発生的ルール造りでは煩雑過ぎるので,(習俗の違う部族を含めた)広範な支配地域の統一性を持たせるための新たなルールが意識的に欲しくなります。
このルールの一体化のために日本のように八百万(やおよろず)方式で柔軟対応するか、(合議制ですので決定に時間がかかる・・漸次的変化社会になる)1神教で画一強制(革命的急激変化)するかで社会意識のあり方が大きく変わります。
数段階も進んだ文化を一気に取り入れる場合、(ドイツ啓蒙的君主制〜ロシアや中国の共産党独裁〜新興国に多い独裁政治)効率が良いでしょうが,その分内部はぎくしゃくする上に自民族の文化による政治ではない→共通土俵がない・話し合い解決不可能→強権支配になります。
外来文化至上主義者が権力を握ると強権・恐怖政治になり,野党になれば現実の社会を対象にしないので(非武装平和論や「少なくとも県外へ」など・・)現実に即した・マトモな議論になりません。
社会形態で見れば,商業系では画一ルール化の必要性が高いし,農業社会では画一性の必要性がそんなに高くないだけではなく、地域別気候に左右されるので画一化は無理だと言うテーマで西洋の単一気候や中国は商業系社会であったという推理で連載したことがあります。
(気候が少しずつズレている日本では、朝廷の配る暦通り農作業出来ないので神棚に棚上げされていたことも別の機会に書きました)
西洋中世社会の発達によって小単位の部族別習俗的地場宗教では間に合わなくなったので、海洋・商業系ルールである点で生活習慣が全く違うにも拘らず、規模が大きく普遍性を持っていたキリスト教を導入したものと思われます。
アルプス・ピレネー山脈を境界とする別世界・=習俗が違う(ただしフランスが一部地中海に面しているように大きな切れ目があります・・ガリア地域はローマ化が早くから進んでいたし、新旧の争いでもカトリック系が強固だった所以です。)点を我慢して?も導入するメリット(文化格差)の方が大きかったのでしょう。
ゲルマニア・ガリアの地は本来は農業牧畜社会ですが,日本と違って大平原→単純地形・単純気候風土であることが,海洋・商業系民族の1神教を受入れても何とかなっていた基礎でしょう。
西洋にも山があり海(漁業・日本のオランダ国名の語源?の海岸沿い民族の固有性など)がありますが、全体的に見て無視できる程度差であったことによります。
西欧ではスイスのウイリアムズ・テルの抵抗が有名ですし今でもEU非加盟ですが、アジアでも中東でもロシアでも山岳民族が中央政権に簡単に従わないのは,勇敢であるだけはなく生活習慣が大幅に違っている面を無視出来ません。
日本の場合東西南北に長く気候差があるコト,地形が複雑なのでちょっとの距離で一山越えればも習俗が違う上に山が海に迫っているので,海洋系と山岳系が同居(海彦・山彦の神話で象徴表現されています)しているので,大和朝廷も各地神々の統合と言うよりは和合を経て(各地神々を残しながら包摂して行く・・ヤオヨロズ方式)伊勢神宮になって行ったものと思われます。
それでも社会規模が大きくなって来た聖徳太子の頃には17条憲法が必要になっていたことが分りますが、多神教社会ですから「和をもって尊しとなす」などの精神規定を決める程度でした。
日本中世にはまだ権力基盤が弱くて具体的規制をするほどの法を制定するまでには至っていなかったと言う方向で法制史の本に書いてあったので、私もそのように理解して10年ほど前に「非理法権天の法理」を紹介しましたが,いま考えると権力の強弱によるよりは「日本は多神教社会であって,細かいことまで各地の神々に強制するのは無理があったし必要もなかった」からであると言う(私独自の)解釈も可能です。
「権力さえ強ければ何でも強制出来る」と言う専制支配の中国や欧米式思考法によれば、本に書いてあるとおりの結果になるでしょうが,(学問的ではなく私の独自思いつきですが)むしろ多様な思考を融和して決める・・ボトムアップ社会の特質から考え直す方が合理的かも知れません。
例えば(日本初めての成文法かな?)鎌倉幕府によって御成敗式目が制定されたと言っても(承久の変の後で)武家権力が強くなったからと言う解釈は,強制力の視点が強過ぎます。
https://kotobank.jp/wordによれば、御成敗式目の条文の害要は以下のとおりです。

〔1〕寺社関係―1、2条。
〔2〕幕府の組織、(イ)守護―3、4条、(ロ)地頭(じとう)―5、38条、(ハ)その他―37、39、40条。
〔3〕土地法、(イ)土地所有―7、8、36、43、47条、(ロ)所領支配―42、46条、(ハ)所領売買―48条。
〔4〕刑事法―9~17、32~34条。
〔5〕親族相続法―18~27条。
〔6〕訴訟手続―6、28~31、35、41、44、45、49~51条。

http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/の口語訳によれば

第1条:「神社を修理して祭りを大切にすること」
第2条:「寺や塔を修理して、僧侶(そうりょ)としてのつとめを行うこと」

などで、まだ基本精神の宣言でしかなかったのは、「権力基盤が弱かったから・・」と言うのが(欧米式思考による)以前紹介した日本法制史の一般的解釈ですが,日本社会は古代から権力が強ければどんなことでも強制出来る思考方式ではなかったうえに、当時の紛争は農地の帰属や水利権争いが中心であり,(一所懸命の熟語がこの頃出来ました)この解決に各地の長年の慣習・習俗を無視出来なかったコトが大きな原因でしょう。
この後で紹介するように御成敗式目は,幕府の設けた門注所(今で言う裁判機関)への訴えが増えて来たの基準造りの必要に迫られたことによりますが,(有名な十六夜日記は訴訟のために都から鎌倉に出掛けた女性の日記です)当時の民事訴訟テーマは,主として領地に関する争い(十六夜日記も当時長子単独相続制ではなかったことから起きた領地の相続あらそい)だったからです。
農地・農業・水利権・相続のあり方などは地域ごとの習俗習慣・数十年前に灌漑工事をしたときの取り決めなどを無視出来ませんので、地元の習慣ごとに決めて行った方が良いし、第2条の社寺の修理でも今のように建築基準まで細かく決めなくとも各地の財力と気候や地形に合わせて・・あるいは宗派ごとの自由な思考でやってくれと言う・・僧侶の勤め(労働法?)方もまじめに励みさえすれば良い、修行の仕方はお寺ごとに決める)現実を表しているように見えます。
まさに多神教世界の融通無碍な決め方であって、権力が弱かったからではないと解釈すべきです。
上記〔2〕以下条文を見ると具体的で思い切った条文になっているのに驚きますが,引用が長くなり過ぎるので残念ながら割愛しますが,関心のある方はご自分で引用先へアクセスして下さい・・面白いですよ!

クリスマス・イヴ(日々是好日)

今日は、年末の楽しみの1つになった・・クリスマスイヴです。
子供が育ち上がってからは大分楽しみ方が変わりましたが、この数年では高齢化して来たからか、日々ささやかなことを楽しく、有り難く感じるようになり、私が弁護士になるかならないかの頃に人気を博していた武者小路実篤の絵画+書?「日日是好日」等のイメージが身に付いてきました。
武者小路と言えば青春時期に「友情」などいろんな著書を読んだことをすっかり忘れていました・・もはや青春時代は茫茫たる過去になりました。
70歳を過ぎたころから、腰を屈める作業がきつくなったからか、庭いじりがおっくうになって来たように感じられ休日は周辺散歩・・美術館・博物館へ出掛けたり食事に出る回数が増えました。
その気になれば、東京には各種美術館、博物館があって、あちこちお勉強を兼ねた娯楽に出かける場所は、いくらでもありそうな感じです。
ここ1〜2年は京都などの遠隔地旅行よりも、都内と千葉県内・・近場の日帰り行楽中心になってきました。
昨年あたりまでは、東京地裁の裁判に行ったついでに、その日はその他の仕事は休み?にして、妻とともに国立劇場や歌舞伎座、日生劇場果ては、宝塚歌劇まで見て歩くことが多かったのですが、今年に入ってからは、日程の合う裁判がなかったことから、日弁連等に出掛けるついでに都内に住む娘と待ち合わせて近くのレストランで食事するくらいでした。
この数年体力が衰えたのか、美術鑑賞・・行動よりもレストランで食事を楽しむ時間の方が多くなった感じです。
東京地裁の場合、松本楼3階で食事したり、佐倉市の川村美術館の場合、ここ数年は美術鑑賞は二の次で、食事目的に出掛けてついでにお庭の散策などを楽しむようになっています。
成田山も年に一回行きますが、これも行きつけの店で天然ウナギを食べるのが主目的です。
食事中心・・そのついでに演劇や展覧会を楽しむようになって来ると、国立劇場(の場合には2階廊下にかかっている名画鑑賞する楽しみがありますが・・)や歌舞伎座の食事レベルが低いのが難点です。
元々の歌舞伎座は食堂形式で酷いものでしたので、建て替え後に期待していましたが新館になっても、新建材になった程度の違いしかなく、窓から見える景色はどこかのビルの裏側と言う感じでまるで戴けません。
日生劇場でも国立劇場でもどこでも、多くの人が長椅子でおにぎりをパクついているのを見ていつまでも戦後じゃあるまいし・・といつも思っていましたが、歌舞伎座はバブル経験後に折角建て替えながら戦後の延長の発想しかないのにがっかりしています。
日生劇場が出来たころの報道を記憶していますが、全面石張りの豪華な劇場が出来て日本にも、西洋的本格劇場が出来たと言うニュースでした。
ドチラが早かったかはっきり記憶していませんが、同じ頃に帝国劇場を取り壊していた・・丸い大きな鉄球をドーンドーンとぶっつけるやり方でしたので非常に印象強く残っています。
そのころは箱物を作るのがやっとで、国民も貧しく食事を楽しむことまで想定出来なかったでしょうが、国立劇場が出来たのは昭和40年代に入ってからですので、立派な食事場所が設定されていますが、役所内食堂の印象を拭えないのが難点です。
この点では上野の東京都美術館には最近奥まったところにちゃんとしたレストランが出来ているのが有り難いです。
高齢化すると量を食べられないからか、良い雰囲気で、良いものを食べたくなります。(おにぎりやサンドイッチを食べてくれと言うのでは困ります)
夏ころにブリヂストン美術館が閉館になると言うので家族で出掛けましたが、このときは東京駅を出たところにあるシックなレストランに入って楽しみました。
数週間前に三井本館内美術館の開館何周年?記念展に出掛けたときには、同三井本館と一体化した高層ビルのホテル内レストランの予約が取れなかったので、美術館内のレトロな軽食店で軽く食べて帰って来たので食事内容に物足りない思いをしたものの、レトロな雰囲気自体は気に入りました。
三井本館は立派な木材を使っているので、10年ほど前に奈良ホテルに連泊して食事をしたときの雰囲気を思い出しました。
奈良ホテルは良い木を使っているのが特徴ですし、レストランは庭園に面していて、雰囲気があって楽しいものです。
自宅が千葉駅に近いので、千葉→上野間が京成電車で40分前後、千葉→新日本橋間がJRで30数分で行ける・・新日本橋駅から三井本館・三越本店まで徒歩5〜6分で行けるので、時間的には自宅近くの散歩と大差ないのですが、やはり自宅周辺の散策の方が気楽です。
知らず知らずの間に日々体力の衰えが忍び寄り、これがいつの間にか行動価値観を変えて行くようです。
事務所は自宅から歩いて行ける距離にあるので、天気のよい休みの日には、家族でぶらぶらと歩いて出掛けます。
私の事務所の入っているビルにマニア向けの小さな映画館があって、イタリアやフランス、スペインなどを舞台にした映画が、しょっ中かかっているのでこれを見に行くのを楽しみにしています。
アメリカ映画と違って、ヨーロッパ映画は人間観察が深い・・味のある・コクのある映画が多いので、我が家の人気です。
映画館から数十メートルの場所に千葉市美術館があって、同じビルの11階のレストランがお気に入りで、映画の前後に昼食を取ってひとしきり楽しんでから余った時間で美術展を楽しんで帰るコースです。
千葉市美術館には東京のような国宝級の展示はありませんが、相応のレベルの作品展示があり、企画力があってわたし的に気に入っています。
家族で年会費を払っているので、ぶらっと何回入っても無料ですからその日の時間余裕次第で30分程度でも良いので、気楽です。
帰り道に、妻の気分次第デパートによったりして賑やかな駅前付近を通り抜ける頃には、日が暮れて、東京ほどではないにしても地元の経済力に応じた質素なイルミネーションで十分満足しています。
こんな具合に・・徒歩圏内で休みの一日が終わるのは、高齢化組に入った今の私にとっては、正に「日々是好日」です。
数日前に来春隠退すると言う先輩弁護士と食事をしましたが、海外や遠くには行きたくなくなったと話していました。
若いときには若いときの楽しみがあり、高齢者に高齢者の楽しみがあると言うことで、どちらが良いとも言えません。
春夏秋冬、朝〜昼〜宵〜晩、それぞれの楽しみ方がある・・宵のころ〜夕暮れは(秋に限らず春でも)格別の味わいがあって、日本では古来から歌に詠まれてきました。
23日天皇誕生日の休みを利用してデパ地下のにぎわいの中での買い物を楽しみ、我が家ではクリスマスイヴを済ませてしまう慣例にしています。
天皇誕生日がこの日になってから、既に27回目ですから、こちらも年をとる訳です。
そろそろ目一杯仕事をしなくとも良い年齢でここ数年余裕の人生になっていますが、今年も今日24日夕方4時から役所関係の会議が入ってしまいました。
私の方は、どうせ23日にクリスマスイヴを済ませる予定でしたので、24日は関係ないよと言うつもりで「良いか!」と言うことで受けたものです。
(日程調整した役所の人もそう言う気持ちかも知れません)
日本中でクリスマスイブを23日に行なう習慣が定着してしまうと数百年後には、「日本の天長節を西洋では一日遅れで祝っているのじゃないか?」「日本は一日早く日の出があるじゃないか?」「皇紀2000何百年とか言うから、キリストよりも古いし・・」とこんがらがって来るのでしょうか?
「日日是好日」に戻りますと、老年期を人生の「たそがれ」にするか、「黄金の夕暮れ」にするかは、本人次第です。
ちなみに「たそがれ」とは夕闇迫る頃合い・・薄暮に、視界がはっきりしないので「たそ?(誰か?)「彼は?」と言うだけのことであって、「枯れる」意味ではありませんが、高齢化=枯れるようなイメージを持たれる方が多いので、一般イメージに合わせて書いています。

クリスマス・イヴ

ことしもイヴになったので、日常世俗的意見からはなれた特別ブログです。
いつも書いていますが私はキリスト教徒でもないし、単なる日常のイベントとしての家族的行事の1つにして楽しみを増やして来ただけです。
キリスト教自体を悪くも善くも言うつもりはありませんが、この行事自体は我が国の冬至の行事を現在風にアレンジした楽しみとして我が国にも根付いているのは良いことです。
まして平成に入ってから、天皇誕生日と連続するのは、なお便利で目出たい運のよさと言うべきでしょう。
昨年あたりからイヴは、ウイークデーのために前日の天皇誕生日と合体して祝い・楽しむことにしています。
最近は午後3時ころからデパート地下での買い物をして、夕方からゆっくり楽しむようになったので、休日でないと困ります。
その内仕事を辞めればウイークデーでも何でも良いのですが、今のところ仕事を休んでまで・・とは行かないので、一日早く天皇誕生日のお祝いを兼ねて楽しんでおくことになります。
子宝と言う言葉がありますが、子供達の小さいころのクリスマスも良い思い出ですが、娘達が大人になってもやはり娘と買い物に行くのは楽しいものです。
これが年寄りだけで、華やかなデパ地下の買い物に行くようになるのでは、どこか侘しいような気がします。
よる年波に勝てないと言われるように、若いころのように目一杯おいしいものを食べる楽しみがなくなってきたのは少しばかり残念です。
とは言うもののまだ(あれも食べたいこれも食べたい・・)慾がありますが、実際には量を食べられなくなって来たのも自覚しているので、徐々に食べたい意欲が縮小して来ているので自然に適応して行けそうです。
高齢化は、こうして悟り(レベルの低い悟りですが・・)の境地に自然に変化して行くものなのでしょう。
若い人から見れば、「あれも出来ないこれも出来ない高齢者は可哀相だ」と思うでしょうが、実は日々体力・知力の衰えを自覚しながら生きているので、日々悟りの境地を切り開いて・・仏様に近づいているのが高齢者です。
出来ることがドンドン少なくなり、その都度体力の減退を悟っている内に、出来ることの方が少なくなって、最後は息を引き取るのが高齢化進行であって、言わば100%出来なくなる=100%の悟り・仏様に近づいていることになり・・有り難いことかも知れません。
自分が出来なくなったことを次々世代・・孫でなくとも他人の子供でも冷たい手で寒風の中を走り回っているの見るのが楽しみになって来るのが高齢者です。
自分の慾が細って行き、自分の若かったころの慾を代わって満たす存在、次世代に引き継いで行く精神になって行くのが高齢化の効能?といえるのでしょう。
とは言うものの、自分に関しては一定時間歩くと疲れ易くなったのを自覚する程度で、まだ出来ないことは殆どないと思っているのが現状ですから・・周りは言い難いだけでしょうが・・これが老害と言われるものかも知れません。
弁護士会では、若手弁護士の担当する委員会からは大分前から足を洗っていますし、それほど老害をまき散らしていないと思います。(まき散らすほど偉くない・・?)
自分で経営している事務所は、老害と思えば客が来なくなる・・市場チェックが働くので客が来る限りその評価によれば良いことで、出処進退を心配しなくとも良いのが有り難いことです。
ただ、味やセンスが悪いから客が来なくなるようなお店系とは違い、弁護士の場合は、弁護士能力低下に気がつかない客が来てくれるだけかも知れず、受任してミスが起きたら大変です。
この辺が資格に頼る業態の難点で、客が選んでくれるから客が来る限りいつまでもやっていて良いと言えない難点があります。
老害と言うのは言わば組織内に滞る弊害の問題ですが、個人の場合、老化に応じて飛んだり走ったりしないようにするのと同じで、自衛のために若手向きの仕事から徐々に手を引いて行くしかないのでしょう。
今年もいつものとおり賑やかなデパ地下での買い物を楽しみに午後から出かけましたが、近年牛肉は胃にもたれて困るようになったのですが、クリスマスは鶏肉中心ですから気楽です。
大混雑の中で多くの若者が買い物に並んでいる熱気に触れるのを楽しみに行くことになります。
今年はこれまで使っていたロウソクを近代的にしようと言うことで、LEDを利用した大型のロウソクみたいなものをネットで買い求めました。
ローソクの形になっていて炎が揺れるよう見える仕組みですが、内容はLEDなのでロウが垂れることもなく綺麗で、しかも長時間使えてオシャレです。
玄関ホールを暗くしておいてこれをおくと背後の壁に大きな炎の影がゆらゆらと映るので、クリスマス前から楽しんでいます。

クリスマス・イヴ(天皇誕生日)

今年もクリスマス・イヴになりました。
今年は24日夕方から東京地裁の事件が入っているので、24日夕方からのデパ地下での買い物の楽しみを享受出来ません。
そこで直前21〜23日の連休をクリスマス休暇になったつもりで先に楽しんでおくことにしました。
まして23日は天皇誕生日でもあります・・本来このための国民の祝日ですから、あわせて楽しむ?お祝いすることにしました。
日本ではキリスト教徒の宗教上の祭りではないことから、私にとって厳密に24日でなくとも何の支障もありません。
23日早めにデパ地下に行くとそれなりに客が多かったですが、例年の24日に比べると買うたびに並ぶ必要がなく、(品定めをして一巡してからイザ買おうとすると売り切れという心配もなく)落ち着いて買い物が出来て満足でした。
私も高齢化のせいで大量に食べる楽しみがなくなったので、準備等の過程を楽しむしかないようになっています。
デパ地下でみると、今年は小ぶりのケーキやオードブルが主流のようでした。
旅行や名所旧跡めぐりもそうですが、その道行きを楽しむのが日本文化の神髄ですからその延長と思えば良いことです。
街の造りも、西洋では道路は通過するための設備ですが、日本は昔から、歩きながら商家や塀の造りなどを眺めて楽しむ習慣です。
江戸時代から東海道53次の弥次喜多道中記や、広重の浮世絵などが版刷りで大量に売れて来た下地です。
伊勢神宮そのものよりも道中の楽しみを描いてヒットしているのです。
伊勢神宮も本殿自体は大した建物ではないのですが、参道を歩いて行くその道行きに価値があります。
各地のお祭りでも、約1年かけたお祭りの準備自体が楽しいというのも同じでしょう。
ココ⒉〜3週間のことですが、年齢の所為か風邪気味のせいか不明でしたが、かなり食欲というか胃の許容量・・消化能力が落ちて来たことを痛感するようになりました。
「見た目に若いだろう」という変な自己過信が身体の内部から異議申し立てを受けている感じです。
「年寄りの冷や水」と古来から言われていますが、私の場合、頑健なタイプではない御陰で身体が先に教えてくれるので、いつも年齢相応に生活スタイルを変えて来られてあり難いことです。
年齢相応に筋肉・スジが固くなっていることが(ホンの短時間でも庭先で草花の植えかえなどやっている直ぐに腰が痛くなって、しかも治るのに時間がかかる)よく分ります。
部分的に若者の真似をするとバランスが悪くて転んだり、つまづいたりいろんなリスクに直面しそうです。
駅に向かうときもスジが固くなっているから歩くスピードを落とした方が良いのかなと、早めに家を出て意識的に対応してみると直ぐにゆっくり歩くのが身に付いたのには驚きました。
秋の終わりころに都内青山で食事した後に娘の買い物のために麻布辺りのお店を探してやっと目当てのお店に着いたときに、歩いて疲れた感じがしたので、店の前に通りかかったバスに乗って新橋に出たことがあります。
高齢者優先席に取りあえず座って,「高齢者が来れば立てば良いか」と娘に言ったら、「お父さん立派な高齢者だよ!」と言われてしまい「そうか!」と自覚したばかりです。
自分では「年寄りではない」と無意識に思っていましたが、古稀を過ぎて年齢的・外形的にも立派な年寄りの仲間であることを自覚するようになりました。
以来、ちょっと歩いて疲れるということは、運動量のセーブ→エネルギー摂取量も少なくて良い筈・・食べるのも控え目にして胃に負担をかけないようにしていると、あっという間に胃がしぼんだらしく、(ココ数週間風邪気味になっているせいなのか原因不明ですが・・)食べたくとも多く食べられなくなりました。
身体がいろんな面での規模縮小を要求していたのに、気が付かなかっただけのようです。
今年からは、クリスマスのご馳走も(量を縮小し)準備を楽しみ、目で楽しむのを基本に変えました。
言わば今年末は高齢化仕様元年というところです。
私ごとはこのくらいにして天皇誕生日祝いとして一言書き添えます。
「戦時中から戦後廃墟からの復興〜平成と激動の80年間・・「価値観の変動する大変な時代を生きて来られたのだなあ!」という感慨・共感(私は80年も生きていませんが一部共感)がひとしおです。
お疲れさまでした。
我々庶民・下々は生きるための変化対応中心(・・無我夢中で対応していれば良かったの)ですが、陛下の場合は、食うのには困らない代わりに価値観の大変動にあわせるご苦労があったでしょう。
ご苦労を偲び、末永く御健康であらせられることを祈念する次第です。

クリスマス・イヴ

いろいろな政治・社会・文化問題について徒然なるままに書き連ねている内に今年もクリスマス・イブになりました。
慣例に従って今日は、世相から離れた話題になります。
今年は休日の並びが良くて22日(土)からの3連休でゆっくり出来ます。
子供の小さいころには季節を問わずに連休がありさえすれば、ほぼ毎回喜んで家族旅行に出掛けたものですが、今では3連休がある程度ではとこかへ旅行したいとは特に思わなくなってきました。
(ここ20年ほど夫婦だけでの旅行になった、・・子供の学校に縛られないことと、これまで充分に働いて来たこともあって、ウイークディに食い込んで旅行することに罪悪感を感じなくなったこともあります。)
当時(昭和50年代初頭に)はまだ土曜休日ではない時代でしたので、2連休があるだけで嬉しくて金曜日の夕方早めに仕事を終えて新幹線で京都まで行ったり、三河地方へ行ったりして連休さえあれば家族旅行していました。
年末年始や夏休み、ゴールデンウイークには1週間ほどまとめて九州・北海道・小笠原などの長距離旅行に当てていました。
(新造船・小笠原丸就航のニュースを見て、船に乗って小笠原に行ったのはまだ3人目の子供が生まれる数年前でした)
2〜3日の連休は、新幹線線沿線中心に(豊川・三河湾周辺での2泊旅行も何回かしましたし、延々と路線バスに乗って伊良湖岬まで行ってそこで2泊ほどして船で伊勢にわたるなど僻地もくまなく?)あちこちに行きました。
何回目に京都へ行ったときのことか思い出せませんが、(勤労感謝の日に関連する連休に)夕方3〜4時ころに事務所を出て京都につくと7時過ぎころで駅前に建設したばかりのセンチュリーホテルに泊まって明くる日には慌ただしく奈良へ向かったのも、よい思い出です。
(夕方に千葉を出るのでは、その日のうちに奈良まで行くのでは遅くなり過ぎるから京都で前泊しました)
法隆寺では塀の外で柿を売っていたので、隣の6角堂の縁に座って持って行った果物ナイフで柿をむいて子供達に「柿食えば・・」の俳句を教えながら食べさせたりしました。
このときはまだ3人目の子供が生まれる直前でしたから、幼児を抱えての旅行三昧だったことになります。
3人目の子供が生まれた後は、当時パンパースが出回り始めたこともあって、大きな紙袋に大量に詰めて上の子ら(小学生になっていたので)に持たせたりして種子島や屋久島方面に1週間単位で旅行したこともあります。
子育ての最中にいつも旅行ばかりで目が回るような忙しさだったと後になって妻に言われていますが、今になるとさすがにそう言う活力はありません。
何事もその場その場で目くじら立てずに10〜20年以上後にやんわりと言ってくれる懐の深い妻の気持ちは有り難いことです。
クリスマスは、結婚以来「自宅でゆっくり」と言うのが、始めっから我が家のパターンでした。
最近ではクリスマス特有の熱気の溢れるデパ地下で、自宅でのクリスマスパーティ用品を家族で買いそろえるのもまた楽しい行事です。
人混みはどうも・・という考えもありますが、大勢の人が集まる混雑そのものを楽しみたい気分が心の奥底にあるのでしょう。
人混みといえばこんな思いでもあります。
昭和54〜55年ころのことですが、静岡地裁で破産債権者集会があって、千葉地裁の裁判官や書記官と出掛けたことがあります。
私は家族を帯同していたので、債権者集会が終わった後に、日本平ホテルとかいう所に宿泊しました。
翌朝ホテルに隣接している遊園地に行ったところ、ウイークデイだったことから、まだ客が一人もいなくて、私の子供達が行くところに係員がついて来て、乗りたいと言うとその都度動かしてくれました。
貸し切りみたいな感じでしたが、あまり空いていると遊んだ気がしないものです。
今は正月よりもクリスマスの方が、子供達の幼いころを思い出し易い行事・状態です。
お正月行事よりはクリスマスの方が、子供向きの行事っぽいからでしょうか?
子育ては今考えると人生で一番大変で必死にやって来た・仕事も忙しい時期ですが、思い出・・「若いころの自分は二度と戻らない」ことの連想・・・・自分の若いころだけではなく子供の幼いころも二度と戻らない二重写しになるからか、今では一番懐かしい光景です。
そう言えば、今年は(今年もあと何日だなあと考えているヒマもなく)忙し過ぎたのでもありませんが、年末がいつの間にか来てしまった印象です。
ここ何十年かで生活様式が変わり正月・大晦日の持つ意味が、徐々に変わって来たからでしょうか。
忘年会の多くが、新年会に先送りされることも多くなってきました。
クリスマス前後の3連休が終わると、今年は数日働いて直ぐに正月休みに入るためにまとまった仕事の予定が入れられず残務整理っぽい時間になっているので、正月休みがその続きみたいな印象になっています。
       

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