カイロ宣言と米国朝鮮政策1(日本道義否定)

朝鮮半島の北半分がソ連圏に入ったので北の朝鮮人は、古代価値観を基本にして生きているソ連・ロシア民族支配をすんなり受け入れて安心したでしょうが、日々食うのに忙しい・・人口の90%以上を占める庶民にとって政治意見を言えないことや表現の自由の制限など日常何の不自由も感じないことを24〜25日に書いてきました。
表現の自由にこだわる芸術家でも普通の芸術活動である限り・同時代の緊迫した時代精神気分を表しているなどの評価を後世に受けるとしても、その程度のことで表現が規制されるとは考えにくく、99、99%の芸術家は政治などに関係なく、創作活動を自由にできてきたと思われます。
明治以降の漱石、島崎藤村の詩集などの文壇、日本画に表現の自由による制約を見る人は少ないでしょう。
江戸時代に世界に冠たる文化発達繚乱したのは、西洋近代の権力分立・人権思想の有無と関係なかったのです。
そもそも芸術家自体人口の1%もいないでしょう。
アメリカ占領下に入った南半分(現韓国)は、微温的な日本統治という緩衝装置がなくなり欧米価値観ストレートな政治文化の浸透に見舞われたことになります。
米国の中南米、南ベトナムその他各地支配・指導は、現地民族ごとの微妙な気持ちの汲み取り能力に欠けた・いわゆる投票箱民主主義・あんちょこな民主主義の押し付けが国情に合わない結果、多くの国で失敗の連続でした。
米国の対日戦争の大義として朝鮮民族の日本隷属からの解放を宣伝してきた米国としては、朝鮮占領政策では日本が進めていた以上の急速な近代化を目ざす必要に迫られていたことは、推測に難くありません。
朝鮮族の対日不満の源泉は旧特権階層の権益剥奪と教育の機会均等・四民平等・を徹底すれば国民大多数のストレス社会化が進みます。
自由競争社会化すればするほど、底辺層の方が富士の裾野のように最大多数になるのが原理です。
日本の場合文明開化によって新たな職域が量産され、失業した武士の多くを吸収しましたし、産業構造変化までひと世代程度の期間余裕があったので、紡績〜繊維から家電組み立てなどの構造変化も1世代以上の時間軸があり次世代がうまく適応できてきました。
新興国の場合工場設備丸ごと導入パターンですから、最新技術導入があんちょこな分に比例して産業構造・主役が変わって行く構造変化が5〜6年サイクルでくるので、日本に追いつくスピードは自慢でしょうが、それに比例してどんどん振り落とされ置いていかれる人が増えてストレス過多社会になって行きます。
ルーズベルト政権は対日開戦の大義名分として日本の朝鮮人民に対する過酷な植民地支配〜中国での南京虐殺などを国内外で大宣伝してきました。
対日開戦を奴隷状態にある悲惨な朝鮮人民解放戦と位置付けてきたのです。
フセインが大量破壊兵器を隠していると称してイラク侵攻を正当化したのと同じ手口です。
競争社会に対する不満を吸収する方向で米軍支配による「日本支配がひどかった」という反日宣伝が不満に火をつける形で、ガス抜きしていく効果を発揮していたと思われます。
アメリカの対日プロパガンダの公式記録がカイロ宣言に出ています。
1943年に出された連合国のカイロ宣言の一部・対朝鮮関連部分のみ紹介します。
カイロ宣言に関するウイキペデイアの記事からです。

対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ。
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

日韓併合3→近代化促進不満2

以後不平士族系残党?は日露戦争時の講和条約に反対・もっとやれと煽り、戦後の日本独立に全面講和以外反対・安保条約反対などなど、要するに異民族による占領政治を終わらせ民族独立をすることに反対でした。
世界中全員一致で賛成しない限り日本は独立しない方が良いという論理に共感できる人がどれだけいるでしょうか?
日本の防衛についても世界中が賛成しない限り反対というのが日米安保条約反対の基本思想ですが、防衛というのは侵略して来る敵がいるから必要なのであって、その敵が賛成しない限り、どんな防衛構想も反対だなどの論理はあり得ません。
全面講和論〜日米安保反対論は、尖閣諸島で言えば、中国の同意ない限り海上保安庁の巡視船を出してはいけないという意見でしょうか?
戦後の革新系野党は中ソの核実験や公害には異議を唱えないし、文化大革命や恐るべき人権侵害には何も言ないどころか賞賛していました。
革新系野党は民主化のためと称して情報を原則公開すべきという主張を党是のようにしていましたが、もともと中国やロシアの都合の悪いことを隠す傾向があり、民主党政権下では尖閣諸島での中国の粗暴行為を国民に隠していました。
これに黙ってられない義憤に駆られた職員が映像を公開したので世界中が中国の危険性に気がついたのですが、これに対して民主党政権は公務員法違反で処罰しました。
戦前野党の基本体質を国内政治で言えば美濃部達吉の天皇機関説や、滝川事件等々厳しく議会で厳しく追及し世論を煽り、政府を困らせたのは大手メデイアであり、政友会等の政党でした。
戦後の野党は革新系と標榜していますが、実際の行動は社会変化に応じた法案の改正に何でも反対してきたのは、不平士族の血を引く彼らのDNAによるのではないでしょうか。
話題を朝鮮民族の近代化移行に対する不平不満に戻します。
日本国内の自発的近代化について行けない人が一定数いて彼らが不平分子になって行ったように、朝鮮民族の場合自発的に近代化しようという機運が育っていないのに、日本という外部からの押し付け改革であることから、落ちこぼれ組の不満が民族意識の高揚へと繋がりやすい構造でした。
自発的改革の場合、改革支持者の方が多いから国内改革できるのですが、外部の力を借りないとできない民族の場合、変化に取り残される不満分子の比率がより多くなります。
自分が競争に負けているのを認めるのは誰しも好まないので、勤め人でいえば上司の陰口をきく人がいるのです。
日本では陰口を利くものに碌な人がないという一般認識になっているので、不満を持つ自分方に何か悪い点があるのかな?と反省の方にエネルギーが向くのが普通です。
まして人前で他人の欠点を悪しザマに言うなど考えられない国柄できましたが、明治以降のメデイア系は人を批判すること自体が存在意義と心得ているらしく、ともかく根拠なく政権や主流的考えを如何に批判するかに知恵を絞っている感じです。
会議等では、議題にいつもケチをつけていつも何か苦言を呈する人がいますが・・。
日経新聞私の履歴書の先月か先々月?担当の人・・一橋大学名誉教授だった記憶です)の意見で、思わず膝を打ちたくなる記事がありました。
きっちり記憶していませんが、外部取締制度で人を得るのが難しい・・業界やその企業実務を勉強していない人が不勉強のまま何か意見を言わないと点数にならないと思うのか毎回何かと一般論を持ち出して議論を展開するのが一番困る・・業界あるいはその企業で実践済みの説明資料づくりに翻弄されて議論が次回以降に持ち越される事務方も徒労感ばかり残る・・外部識者の問題点を遠慮がちに書いていました。
以上は記憶に残る印象であって正確ではないので正確に知りたい方は先月だったと思うのですが「私の履歴書を直接お読みください。
話題を戻しますと、何かあるとまずマイナス点がないかの視点で現状把握に務める結果アラ探し的意見が目立つのでしょう。
日本の野党はメデイアに頼るところが大きいので、メデイアの受け売り的意見・・たまたま批判がヒットしても料理でいえば香辛料的役割しかないので、いつまでたっても料理の主役・政権党になれません
「保育園落ちた日本死ね!」という国民の声を?国会で紹介し、メデイアが大々的に取り上げてヒットしてもそれが政治家のすること仕事なの?という大方の反応でいかないでしょう。
保育園増加の必要性自体に反対論がなく政府も精力的に取り組んでいるので、必要とされているのはいかに効率よく各種利害との調整をどのように進めるかの具体論の提言です。
保育士不足(人出不足下で全体的な人材配置構想がどうあるべきか)や立地場所不足(新設しようとすると近隣住民の反対運動があって容易に新設できないなど)→基準緩和の要否などなどの具体的議論でしょう。
政治家は評論家でなく社会のニーズを取り入れて具体化する役割を担当しているのすから、どうやって対応すべきかの具体策を提示し、実行すべきです。
メデイアと二人三脚的・メデイア母体政党?政治運動している限り、その政党は永久に野党のままでしょう。
事前報道では選挙区で「香典を配った」という文言だけ目に入っていたのですが、・香典名目の買収?というイメージで表題だけで流していたのですが、経産省大臣の辞任で具体的報道を見ると、辞任に追い込まれた事件とは、葬儀に大臣自身出席予定だったが公務で行けなくなったので秘書が代わりに香典を届けたのが公職選挙法違反ということらしいです。
本人が出席しないのが違反とはいえ、選挙民に葬式もないのに配ったイメージとは全然違うし、しかも大臣は式後に実際に弔問しているとも書いていました。
形式的違反に相違ないとしても、国政を止めてまで先行議論しなければならない大事件でしょうか?
メデイア界の主流?は「安倍一強によるおごり」だという論調ですが、無冠の太夫・ひら議員時代のこのような経歴(が問題視されて居たのに強引登用したなら「奢り」評価をするのもあり得ますが)をこれを知らずに登用したことがなぜ長期政権の「おごり」と断定的評価につながるかも不明です。
最近のメデイア論調は安倍一強→「おごり」という構図に何でも当てはめれば終わりという傾向・・まともな論理立てする能力すらない=人材劣化しているのではないでしょうか?
話題を明治維新〜日本敗戦当時の朝鮮人の心境に戻します。
明治維新当時の朝鮮人や政府はこれまでの体制を良いものと信じていた人の方が多かったとすれば、開国・近代化に抵抗していたのに、言わば日本のお節介によって好まない近代化・競争社会に放り込まれたことになります。
この後で紹介しますが、李氏朝鮮時代・日清戦争前にも近代化反対農民運動として東学院という運動体が発生して(オカルト的?宗教から始まっている点は中国の太平天国の乱に似ています)朝鮮政府批判していたので、李氏朝鮮政府はこれを弾圧し指導者を捕らえて処刑しています。
これが日清戦争時になると後継者が現れて外夷排斥の民族運動ローガンとなって復活しています。
日本政府は後継指導者からの聞き取りで政府への不満だと弾圧されるので「外夷排斥」は弾圧を免れるための便宜的スローガンという説明に納得して当初危険視していなかったようです。(以上はうろ覚えなので後に引用して正確に紹介します)
一方朝鮮政府は、外夷排斥運動だとの説明を受け入れて容認し事実上後ろ盾になっていた印象です。
朝鮮民族では日本敗戦によって絶えざる進歩要求に応じないで良くなってホッとした人がかなりいたし、日本統治下で学校教育を受けて頭角を現した人がいれば没落する人もいて成功者に対してザマアミロ!という気持ちの人が多かったでしょう。
これが今に続く親日罪?親日資産没収という?法制につながる妬み精神です。
親日資産没収で本日現在検索すると以下の通りでました。
ウイキペデイア
親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法

2005年にウリ党の崔龍圭、民主労働党の魯會燦など与野党169人の議員が国会に提出し、12月8日に可決、同月29日に公布された。大統領直属の国家機関として親日反民族行為者財産調査委員会を設置し親日であった反民族行為者の財産を選定して国家に帰属することとしている。

その他省略
関心のある方は上記に入って読んでください。

日本文化否定3と日韓併合1

洋服で言えばセンスがあり、センス通りおしゃれができる経済力のある一握りの人にとっては制服廃止は朗報ですが、それ以外は(これが大多数)お仕着せの制服の方が能力差が出ないで気楽ですし、自由恋愛も同様で本人が決めないで結婚もお見合いでどんどん決まって行くと誰でも結婚できます。
朝鮮族の人たちは何も考えなくても良い古代専制支配体制下の最貧生活が気に入っていたのに、国家発展のために無理矢理に開国自由化に放り出されて精神がついていけないのが韓国民のように見えます。
この点では、日本敗戦後古代社会を引きずるソ連や中共の支配を受けて李氏朝鮮時代的古代社会意識に復帰した北朝鮮では物質的な豊かさがない代わりに、精神面では身の丈にあった幸福な印象を持つ・韓国でチュチェ(主体)思想が一定の支持を得られるようになっている所以でしょう。
北朝鮮は国際競争に大きく出遅れていますが、旧共産圏秩序に従うかぎり、内部で人民が古代的価値観で個々人の自由がなくとも・・結果的に経済発展せずにいくら貧しいままであろうとも介入を受けないので権力者にとって国内政治の自由がありました。
戦後関与したロシア民族も中国も古代価値観濃厚な社会でしたので、よその国に対する近代化圧力が少なかったのでしょう。
国力がないと大国の植民地にされる19世紀型弱肉強食の時代が終わったものの、ソ連崩壊後米国一強下で湾岸〜イラク戦争(フセイン氏が殺され)やリビア(カダフィ氏)の経験で、米国的価値観に従わないと侵略され民主化に応じない支配者が殺されてしまう時代に入りました。
イラクフセイン政権が、非民主的であったとしても民主化された?今の混乱状態と国民にとってどちら亜幸福かを比較すれば米国の余計な介入の酷さは明白です。
リビアだって同じです。
ソ連崩壊後中露による保護関係が希薄化してきた(北朝鮮の国際孤立化が進んだ)結果、米国介入の脅威を感じた結果、支配権→国民安寧を守るためには核武装しかないと思い定めたようです。
他国と比較して貧しく諸外国と見劣りしても国内混乱がない方が国民にとって重要ですし、自由化による国民の精神不安が少ない方が良い・余計な介入をしてくれるな!というのが北朝鮮の主張であり核武装化による介入阻止が、唯一の生き残り策と考えたのではないでしょうか。
明治維新当時の日中朝の社会意識の差を見ると、日本は鎌倉〜江戸時代を通じて徐々に実務的改良を繰り返してきた積み上げ社会→生活様式・思考の合理化があったのに対して、「04/10/05「不平等条約改正に対する日本政府と清朝の違い(漢承秦制の思想と社会の停滞)」以下で何回か紹介しましたが、朝鮮中国の場合社会構造が古代王朝性を理想としてきた結果、古代制度思想のまま停滞していた違いがありました。
この違いが西洋列強の進出影響を日本より早く受けながら、日本のように素早く受容し取り入れられなかった違いになった原因です。
日清戦争の結果、李氏朝鮮は、日本主導の開国に強制的に切り替わり、(それまで宗主国のお墨付きがいるという名目で開国〜近代化を拒んできた拒否の名分をなくした高宗が、ロシア公館へ逃げ込むなど抵抗を続けました。
今の韓国同様に?国際合意を事実上反古にする密書を連発しては抵抗していたところ、ロシア自体が手を引く事態になったので、世界的に信用を失い独立国としての当事者能力が疑問視されるようになりました。
以下の通り戦後体制を決めたヤルタ会談でも戦後独立を認めず、信託統治となる扱いになっていたことから、当時の朝鮮民族に対する国際理解が分かるでしょう。
ヤルタ階会談の取り決めに関するウイキペデイアの記事です

台湾と朝鮮半島について
台湾について、米ソ両国はカイロ会談で決定していた中華民国への返還を改めて確認した。また朝鮮半島は、当面の間連合国の信託統治とすることとし、第二次世界大戦後になって北緯38度線を境に暫定的に南側をアメリカ、北側をソ連へと分割占領にする事と決定した。しかし、米ソの対立が深刻になると、その代理戦争が朝鮮戦争となって勃発し、朝鮮半島は2018年に至る現在も、38度線を境に分断されている。

ソ連は占領後すぐに朝鮮から手を引いてしまったように、1900年頃にロシアが関わりを避けるようになった理由・私には今のところ知らないだけですが、イメージ的理解では「御し難い民族」と手を焼いたからではないでしょうか?
高宗が理不尽な要求をくりかえしたのでロシアが手を焼いたのか?
日露戦争の結果によるのか、日露戦争前だったかの時期すら詳細不明・・どういうことで手を引いたか不明です。
国際合意のもとに外交権を剥奪する(一人前の交渉・当事者能力がないので世界混乱を防ぐために被保護国化する必要があるという国際暗黙合意)ために日韓併合が国際的に推進されるようになりました。
日本としては日韓併合はリスク・負担が大き過ぎるという伊藤博文らの反対論が根強かった・・今で言えば、「北朝鮮を20年間預かって日本と同レベルのインフラ整備してやって一人前の国に教育してやれ」と言われたら国難的受け止め方になるのと同じです。
実務能力に長けた伊藤博文らの反対論が今になると正しかったと思われますが、当時ロシア南下政策の脅威が国際的(ロシアを除く西欧列強)になお大きかったこともあってやむなく引き受けるようになった流れと思われます。(この辺は私個人の造像です)
朝鮮民族はこうして西洋列強の支配下に入って急激な近代化圧力を受けることなく、アジア的意識に理解ある日本という緩衝文化を経て微温的近代化に進むチャンスを与えられたのです。
日本文化はもともと無理しない統治を基本にするものですから、これに従い朝鮮族の様子を見ながらの微温的改革でしたが、開国近代化に反対する事大党とのせめぎ合いで国論が纏まらなかった朝鮮民族にとっては、大きな衝撃だったでしょう。

ボイコットジャパン=日本文化否定2

朝鮮上層部は華夷秩序を万代不易の真理のごとく思い込んでいた(思い込んだら百年目という気質がありそう)ことから、その序列は韓国にとっては今も続く重要テーマと思われます。
何かというとあえて「日王明仁」とかわざわざ「日王裕仁」と翻訳し、個人名を肩書き表記後にして呼び付け表現につながっている歴史です。
肩書きと個人名の順序も意図的に無礼な表記です。
トランプ大統領、パク大統領、安倍総理あるいは田中社長とは言いますが、社長田中、部長森田と呼び付けにしないのが礼儀です。
自己紹介ではへりくだって「部長田中です」と言いますが・・韓国人は天皇を表示するときに限って名前を後にして呼び付けにする異常性です。
そもそも朝鮮族の信奉する華夷秩序・日本も含めて、天皇や皇帝に対して就任前の固有名詞・諱をわざわざ呼びません。
皇帝に限らず官位のある人には官位で呼ぶものであって、友人間でもいわゆる「諱」で呼びかけるのは失礼とされてきました。
まして上位者に対してオヤ!韓国では日本の天皇に対してだけ?ニュース等や発言であえて諱でしかも呼び付け表現すること自体が異例です。
朝鮮人は自国の過去の王族を諡号(例えば世宗など)で表現しているのであって一々実名で表現してはいないはずですが、日本の天皇に限って裕仁などとぶしつけに呼ぶのも、日本民族の象徴である天皇を小馬鹿にし日本人に不愉快な思いをさせたい意図がアリアリです。
日本は滅亡寸前の李氏朝鮮が「大韓帝国」と称しても「お前の国がなぜ大韓帝国だ」と文句を言わないできましたし、韓国が米国軍庇護の元にかろうじて国家の体裁を保っていた時にアメリカ並みの「大統領」と称してもそのま受け入れてきました・そういう称号は各国が勝手に決めるべき事項という意識です。

日王って何?日本人が知らない韓流呼称の始まりについて

日王って何?日本人が知らない韓流呼称の始まりについて
その朝鮮半島でも一瞬だが、皇帝を名乗った時期があった。1910年の日韓併合前に誕生した大韓帝国(1897年~1910年)の時代だ。しかし、13年ほどの大韓帝国の時代以外は王であったため天皇に対して、自分たちと同じ王扱いにするため日本国王と蔑む表記にして略して日王と呼んでいるのだ。
その朝鮮半島でも一瞬だが、皇帝を名乗った時期があった。1910年の日韓併合前に誕生した大韓帝国(1897年~1910年)の時代だ。しかし、13年ほどの大韓帝国の時代以外は王であったため天皇に対して、自分たちと同じ王扱いにするため日本国王と蔑む表記にして略して日王と呼んでいるのだ。
これが韓国建国当時から呼ばれていたのかと言えばそうではない。ジャーナリストの崔碩栄氏によれば、ソウルオリンピックが行われた1980年代後半までは天皇と表記され呼ばれていたのが、90年代に入ってから日王と呼ばれるようになり、今では、天皇がNGワード状態になっているという。

日本人から見れば、李氏朝鮮はどうでもいいようなことにこだわっていたように見えて、実はいわゆる華夷秩序を信奉しているからこそ「日王」と言い張り、華夷秩序では諱を呼び付けにすることほど非礼なことはないのに、これを天皇陛下の表記に限ってあえて諱を言い続けることで溜飲を下げている(いわゆる小児病的言動です)のでしょう。
華夷秩序外の(夷狄の日本?冊封されてさえいないので国王ですらない?)日本が皇帝を自称し、この国の音頭で対欧米共同歩調を取るなどとんでもない→清朝の専制支配体制こそ最高のものという自負あるいは必死のしがみつきかな?
日本最高権威は「日王」でしかないと言い張ることで朝鮮族の優位性?を保てるという自己満足・相手がどう思うかなど気にしないレベルになります。
この行動様式・精神世界を成り立たせるには、華夷秩序の尊崇こそが生命線です。
これが前パク政権が見せた中国詣でにつながる精神土壌です。
要するに鎖国を解いて文明開化に切り替えた日本が朝鮮に送った「一刻も早く開国し欧米文化を取り入れて近代化しましょう」という日本の提案には応じられない・「華夷秩序に対する裏切り者め!」という強固な意思表示だったのです。
ソ連崩壊後も北朝鮮だけが改革開放に切り替えないでいまだに世界孤立状態にあるのと同根でしょう。
李氏朝鮮が天皇表記の国書を飽くまで受け取れない・協議に応じられないという意固地な?交渉態度を変えないので、日本国内では無礼だと征韓論など盛り上がりましたが、この際戦争している場合ではないと日本が自重した結果、日本が朝鮮と共同歩調を取る国策は行き詰まり日本は逆に欧米と共同して(欧米をバックに)朝鮮政府に開国を迫る側に回りました。
その後江華島条約等を経て次第に日本の朝鮮半島における地歩が固まるようになり、朝鮮政府が清朝の保護を求めるようになったことから清朝軍閥が朝鮮半島に駐留する事態となり(大院君が中国本土に拉致抑留された事件を紹介しました)日清戦争〜日韓併合に至ります。
この辺の詳細は(June 20, 2013「日本対中朝対立の始まり2と根深さ」前後で)シリーズ連載しましたので、詳細はそのシリーズを参照してください。
文政権の標語・日本統治の残滓を除去し積弊の清算とは、日本統治の基本否定・・日本統治の基本特色は朝鮮族に限らず台湾や南洋諸島に至るまで学校制度を整備して人権のある「国民」教育して民度を底上げしたことですから、この全面否定=近代化教育否定論になります。
韓国・朝鮮民族以外の各地ではこの教育を受け入れて今も日本への感謝を忘れませんが、韓国に限ってなぜ過酷な植民地支配だったと虚偽を言いふらし恩知らずな?反日運動するかの解はここにあります。
彼らの精神レベルでは、人民は牛馬のごとく扱われる方が気楽なのでしょう。
奴隷労働の場合何も考えないで済むことを24日に書きましたが、・・・・自由とは意外にストレスが多いもので精神力の弱いものには耐え難い制度になります。

ボイコットジャパン=日本文化否定1

文政権は見事に日本を日韓紛争に引きずり込んで日本文化排斥運動の口実を手に入れ実行してみるとボイコットジャパン運動が異常に盛り上がり成功したものの、日本文化・その背後にある西洋的価値観に表層的にはどっぷり浸かってしまった国民が失業など現世の損失が大きすぎると納得しなくなっている・・不景気耐性が弱くなっているので困っているところです。
深層心理では古代社会回帰願望・・欧米価値観・その先駆け的輸入者になっている日本に対する感情的反発が強いので何かのきっかけで感情的に勢いよく反日感情が燃え上がるものの、具体的に経済低迷・失業が広がると別の顔(物欲?)が出るので、いつも極端から極端に揺れるのが韓国政治です。
この辺が近代思想・経済価値の恩恵を戦後70年以上受けたことのない北の人民との違いです。
貧困が極まれば貧困にたいする不満がなくなるし不自由が極まれば不自由など気にしなくなる・・これが原理です。
目がさめると過酷なな労働が待っていてなんでも口に入ればガツガツ食らいつくしかない・夜遅くまで働き詰めで何も考える暇もないし体力もない状態でようやく横になると眠り込んでしまう。
朝が来ると十分な睡眠時間が取れないまま叩き起こされてすぐ働く・・こういう状態に10年以上置かれると政治制度がどうのとか政府の誰それがどうのとかの批判など考える暇もない5分後の休憩や餌?が待ち遠しいだけのこれと言った不満のない幸せな?人生です。
飢えに苦しむ今の北朝鮮の政治に不満を抱く人民が出ない所以です。
https://toyokeizai.net/articles/-/284310

北朝鮮の「食糧不足」はどこまで深刻なのか
人口の4割、1100万人の食糧が十分でない
福田 恵介 : 東洋経済 記者 著者フォロー
2019/06/03 4:50

国際機関から食糧不足に陥っているとの報告がなされた、北朝鮮の厳しい内部事情が話題になっている。
北朝鮮は1990年代後半、相次ぐ自然災害と社会主義圏の崩壊で自国の貿易構造が崩壊。その結果、物資不足に陥り、30万人とも300万人とも言われる餓死者が発生した。「食糧不足」という発表に、北朝鮮自ら「苦難の行軍」と呼ぶほどの経済危機を思い浮かべることは、それほど不思議ではない。
人口の約4割が十分な食糧を得ていない
食糧不足を指摘したのは、国連機関である世界食糧計画(WFP)と国連食糧農業機関(FAO)だ。WFPは平壌に事務所を置き、定期的に農業の状況と援助物資などのモニタリングを行っている。
そのWFPが今年3~4月にかけて北朝鮮国内を調査した結果、北朝鮮の農業生産が過去10年で最低となり、人口2520万人のうち約4割に当たる1100万人程度が十分な食糧を得ていないと発表した。現状は餓死者が発生するほどの状況ではないとしながらも、「数カ月後には飢餓が訪れる恐れがあり、状況は非常に深刻だ」と指摘した。ここでの農業生産の中身は、コメやとうもろこし、大豆、じゃがいもなどを指す。

餓死スレスレ人口が1100万人もいると言うのですから国政不満を議論s似ている余裕ある人はいないから、ロケットを飛ばして遊んでられるのです。
韓国ももっと徹底した日帝残滓除去・積弊清算運動を貫徹し日本文化の影響を削ぎ切って北朝鮮並みの長期の貧窮・飢餓生活に慣れさせてからの日本ボイコット運動でないと、日本ひいては背後の西側諸国価値観との遮断を急ぐのは時期尚早・無理があるでしょう。
現状は文政権による経済破壊政策が効果を表して、零細事業者の廃業増加(結局は収入源潰し)生産性低下による国渣収支の悪化、工場海外逃避→新卒就職難の発生、失業増加による不満マグマ蓄積→これを利用した反日ボイコット運動の成功と繋がっているのですが、反日ボイコット運動の大成功の大元は経済政策大失敗にある点が彼の(失政が大きいほど不満が貯まる仕組みー反日扇動成功と裏腹の関係)弱点です。
国民の現状不満が反日感情蓄積エネルギー源ですから、排日運動でさらに廃業が続出すると国民不満の矛先が政権に向きを変えるリスクが高まります。
文政権としては反日機運最高潮のうちに日韓対立を収束させないと大変な事態が待っています。
だからこそ日本メデイアは、反日不買運動で日本が大被害を受けているという報道に必死なのでしょうか?
前朴政権も国民の深層にある古代社会復帰願望を無視できず米国軽視(米軍の軍事統制権の韓国への移転を求めるなど)〜中国重視政策に邁進していましたが、西側諸国全欠席の中で韓国大統領だけ中国軍事パレード参加・・習近平の主張する中国の栄光復活・華夷秩序に属する象徴的役割を果たしたことによって、米国の逆鱗に触れてしまいました。
国際経済に組み込まれて発展してきた経済界の不安を反映してやむなく軌道修正して、日韓慰安婦不可逆合意,サード配備、日韓情報共有協定調印など一連の踏み絵をふまされたのですが、これが国民の根強い西洋価値観離れの願望を踏みにじった点で国民の逆鱗に触れて、敢え無く刑務所入りとなりました。
文政権は朴前大統領の米国陣営復帰の上記各施策糾弾の国民運動によって成立した経緯があって、成立直後から北朝鮮融和・裏側になる北朝鮮批判勢力潰し・その象徴的標的として日本批判を朴政権以上に繰り替えすようになった流れです。
韓国が古代意識社会に戻るのに日本文化が何故邪魔なのか?を、ここで横道ですが簡略におさらいしておきましょう。
明治維新以降の日本と韓国の関係は征韓論から習うのが普通です。
日本が「欧米列強の圧力対抗のために日朝そろって開国し早期の近代化に努め友邦協力して欧米による植民地の餌食にならないように頑張ろう」という日本の国書に対して清朝の冊封下にある日本の国王が天皇と名乗るとは何事か?
という、日本からいえばイチャモン外交に徹したことから、いわゆる征韓論に発展したものでした。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC