メデイアと学者の煽り3(日露戦争2)

ここで講和条約交渉で過大な要求を煽り、日比谷焼き討ち事件の大元になった帝大7博士は元々早期日露開戦を求める過激意見書を発表していました(東京朝日新聞に全文掲載されたのでまとまって残っているようですので、これを見ておきましょう。
講和条約反対論は時局演説や新聞での片言隻句の引用程度でしょうから、まとまった引用文献が見当たりませんが、街頭演説となればその過激発言ぶりはこの意見書から推して知るべきです。
意見書とはいうものの学者の論文とはとても言えない・・長いですが、そのレベルが分かる程度に一部引用して紹介しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8

七博士意見書(しちはくしいけんしょ)とは、日露戦争開戦直前の1903年(明治36年)6月10日付で当時の内閣総理大臣桂太郎・外務大臣小村壽太郎らに提出された意見書。

およそ天下のこと、一成一敗間髪を入れずよく機に乗ずれば、禍【わざわい】を転じて福となし、機を逸すれば幸い転じて禍となす。
外交のこととくに然りとなす。しかるに顧みて七八年来、極東における事実を察すれば往々にしてこの機を逸せるものあり。
遼東還付のさい、その不割譲の条件を留保せざりし?は、これ実に最必要の機を逸せるものにして、今日の満州問題を惹起する原因といわざるべからず。
のちドイツが膠州湾を租借するや、薄弱なる海軍力?をもって長日月を費やし、もって我が極東に臨む彼の艦隊や顧みて後継の軍力ありしにあらず。進んで依拠すべき地盤ありしにあらず。
渺々として万里に懸軍するの有様なりしをもってこの機に乗じ、掲ぐるに正義をもってし、臨むに実力をもってせば、たとえ彼裕大な欲望を有するも、何をもってかこの正義とこの強力に抵抗することを得んや。
当時もしドイツをして膠州湾に手を下すあたわずんば、露国もまた容易に旅順大連の租借を要求することあたわざりしや明らかなり。
然るに我邦逡巡なす所なく、遂に彼らをしてその欲望を逞しうするを得せしめたるは、実に浩嘆の至りにたえず。
機を逸するの結果また大ならずや。
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このときに当り空しく歳月を経過して、条約の不履行を不問にふし、若しくは姑息の政策により一時を彌縫せんとするがごとき終わらば、実に千載の機会を逸し、国家の生存を危うくするものとなすべからず。
噫、我邦既に一度遼東の還付に好機を逸し、再びこれを北清事件に逸す。
豈にさらにこの覆轍を踏んで失策を重ぬべけんや。既往は追うべからず。ただこれを東隅に失うも、これを桑楡に収むるの策を講ぜざるべからず。
特に注意を要すべきは、極東の形勢漸く危急迫り、既往の如く幾回も機会を逸するの余裕を存せず。
今日の機会を失えば、遂に日清韓をして再び頭を上ぐるの機なからしむるに至るべきこと是なり。
今日は実に是千載一遇の好機にして、しかも最後の好機たるを自覚せざるべからず。
この機を失いもって万世の患を遺すことあらば、現時の国民は何をもってかその祖宗に答え、また何をもってか後世子孫に対することを得ん。
今や露国は次第にその勢力を満州に扶植し、鉄道の貫通と城壁砲台の建設等により、漸くその基礎を堅くし、殊に海上においては盛んに艦隊の勢力を集注し、海に陸に強勢を陪蕩しもって我邦を威圧せんとすること最近の報告の証明するところなり。
ゆえに一日を遷延すれば、一日の危急を加う。
しかれども独り喜ぶ、刻下我が軍力は彼と比較してなお些少の勝算?あることを。
しかれども、この好望を継続し得べきは僅々一歳内外を出ざるべし(もしそれその軍機の詳細は多年の研究の結果これを熟知するも事機密に属するをもってここにこれを略す)。
この時に当りて等閑機を失わば、実にこれ千秋の患を遺すものと問わざるべからず。
今や露国は実に我と拮抗し得べき成算あるに非ず。
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彼れ地歩を満州に占むれば、次に朝鮮に臨むこと火をみるが如く朝鮮すでにその勢力に服すれば、次に臨まんとする所問わずして明らかなり。
ゆえに曰く。今日満州問題を解決せざれば朝鮮空しかるべく、朝鮮空しければ日本の防禦は得て望むべからず。我邦上下人士が今日において自らその地位を自覚し、姑息の策を捨てて根底的に満州問題を解決せざるべからざる所以まさにここに存す。
今や我邦なお成算あり。これ実に天の時を得たるものなり。しこうして、彼れなおいまだ確固たる根拠を極東に完成せず。
地の利全く我にあり。しこうして、四千有余万の同胞は皆密に露国の行為を憎む。これ豈人の和を得たるものに非ずや。
しかるに、この際決する所なくんば、これ天の時を失い地の利を棄て人の和に背くものにして、地下祖宗の遺稟を危うくし、万世子孫の幸福を喪うものといわざるを得ず。
あるいは曰く。外交の事は慎重を要す。英米の態度これを研究せざるべからず。独仏の意向これを探知せざるべからずと。
まことにその如し。しかれども諸国の態度は大体においてすでに明らかなり。独仏の我に左袒せざるは明亮にして、また露国のためにその戦列に加わわざるもまた瞭然たり。
なんとなれば日英同盟の結果として、露国とともに日本を敵とすることは同時に英国を敵とする決心を要するものにして、彼らは満州のためにこの決心をなさざるべければなり。
米国の如きはその目的満州の開放にあり。満州にして開放せらるればその地主権者の清国たると露国たるとを問わず単に通商上の利益を失わざるをもって足れりとす。ゆえに極東の安全清国の保全を目的とせる外交においてこの国を最後の侶伴となさんと欲するは自らの行動の自由を束縛するものに外ならず。ゆえに米国の決心を待ちて強硬の態度をとらんと欲するは適切の手段に非ず。
これを要するに、吾人はゆえなくして漫りに開戦を主張するものには非ず。また吾人の言議の的中して後世より預言者たるの名誉を得るはかえって国家のために嘆ずべしとするものなり。
噫、我邦人は千載の好機の失うべからざることを注意せざるべからず。
姑息の策に甘んじて曠日彌久するの弊は結局自屈の運命をまつものに外ならず。ゆえに曰く。今日の時機において最後の決心をもってこの大問題を解決せよと。

長すぎるので途中割愛しましたが、(関心のある方は冒頭の引用先に入って全文お読みください)これが学者の論文と言えるものでしょうか?
単なる政治アジテート・檄文にすぎません。
南原繁氏の論文・ナチスや日本の全体主義批判を内務省がチェックしたものの純粋な論文であって、政治アジテート性がないので発禁処分等の問題にしなかったことを紹介したことがありますが、その時も書きましたがひどく難解な論文です。
この部分をもう一度引用しておきましょう。
https://kotobank.jp/word/国家と宗教-65224

「国家と宗教」南原繁著。 1942年刊。「ヨーロッパ精神史の研究」という副題がついているとおり,ギリシア思想から始って危機神学にいたるまでのヨーロッパの思想や理念を論じたものであって,きわめて高い学問的価値をもつものとされている。だが本書の意義はいま一つ別のところにある。これは実は国家神道を背景とした当時の祭政一致思想や超国家主義に対して抗議し,対決しようとしたものである。これが発売禁止とならなかったのは,アカデミックな著作であったためといわれている。

戦前どころか戦時中にナチスや日本の全体主義批判を公にしても、純粋な学問の自由は十分尊重されていたことがわかります。

メデイアと学者の煽り2(日露戦争1)

3月27日まで見てきたように、日本で史上言論弾圧事件と言われている大部分(ほぼ100%)は少なくとも野党やメデイアの集中砲火で政権が辞職に追い込まれ、その結果天皇機関説を教えること自体が犯罪になってしまい、その後は野党が処罰しろと騒がなくとも治安当局が検挙するようになっていたのですから、それを政府による「弾圧」というのは自己矛盾的主張ではないでしょうか?
戦前は軍部・右翼が怖くてメデイアは迎合するしかなかったという言い訳もありそうですが、日露講和条約反対の日比谷焼打事件の例を書きましたが、軍部が怖くて迎合するしかなかったというのは言い訳に過ぎません。
むしろ軍部内の跳ねっ返り・ 「勇ましいことを言えば格好いい」という程度の浅薄な軍部内少数意見をメデイや野党が引き受けてあたかも正しいかのように世論を煽っては軍部内の慎重穏健派を蹴落としていく役割を果たしてきた・存在を示してきたと見るべきでしょう。
メデイア界の主張を通すための箔づけに最近では国連調査官報告や憲法学者連盟声明を利用しているように、当時は「帝大学者意見書」を発表しては、世論誘導に励んでいた点では今のやり方の先駆けパターンです。
以下日露戦争前後における「エセ学問見解」?やメデイアの動きと客観事実を紹介しますが、無責任報道が昔から「学問の自由」「報道の自由」を錦の御旗にしていかに蔓延っていたかが分かります。
24日「政党の終焉」で見たように軍部よりも政友会総裁の方が軍部を煽る過激主張していました。
日本国内報道過熱が先行して中韓の反日運動が過熱したのと同じ構図で、外野の軍部を利用しすぎたのです。
日露戦争開戦と講和時におけるメデイアによる跳ね返り学者利用による民衆に対する煽りの激しさは、以下に紹介する通り半端ではありません。
日露開戦の是非や講和の損得などの機微について前提事実を詳しく知らない庶民や右翼が、焼き討ちするまで盛りあがるには、盛り上がるにたる一方的な(国民を煽る)情報を流布して反政府運動を盛り上げるメデイアやエセ学問的意見や政治家の後押しがあったからです。
日露講和条約の理解には客観情勢の理解が必須ですし、この読者にとっては多くの方がある程度知っていると思いますが、キッチりした時系列を確認しながらお読みいただく方が良いので煩雑で長くなりますが、何回かに分けて引用して行きます。
今日から先ず客観的時系列解説記事を紹介し、それを前提として当時学者の言う「学問の自由」とは何であったか・学問研究と関係のない政治意見・アジテートを「学問の自由」と主張したことで、かえって学問の重要性を貶める効果を果たしていったのではないかの視点で7博士の意見とその評価を紹介します。
ポーツマス条約に関するウイキペデイアによれば、日露戦争と日露講和条約の概要(長くなるので一部引用)は以下の通りです。

1905年3月、日本軍はロシア軍を破って奉天(現在の瀋陽)を占領したものの、継戦能力はすでに限界を超え、特に長期間の専門的教育を必要とする上に、常に部隊の先頭に欠かせない尉官クラスの士官の損害が甚大で払底しつつある他、武器・弾薬の調達の目途も立たなくなっていた。一方のロシアでは同年1月の血の日曜日事件などにみられる国内情勢の混乱とロシア第一革命の広がり、さらにロシア軍の相次ぐ敗北とそれに伴う弱体化、日本の強大化に対する列強の怖れなどもあって、日露講和を求める国際世論が強まっていた[1]。
1905年5月27日から28日にかけての日本海海戦での完全勝利は、日本にとって講和への絶好の機会となった。
5月31日、小村寿太郎外務大臣は、高平小五郎駐米公使[注釈 1]にあてて訓電を発し、中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に「直接かつ全然一己の発意により」日露両国間の講和を斡旋するよう求め、命を受けた高平は翌日「中立の友誼的斡旋」を大統領に申し入れた[2]。
ルーズベルト大統領は日露開戦の当初から、アメリカは日本を支持するとロシアに警告し、「日本はアメリカのために戦っている」と公言しており、また全米ユダヤ人協会会長で銀行家のヤコブ・シフと鉄道王のエドワード・ハリマンが先頭に立って日本の国債を買い支えるなど、アメリカは満洲、蒙古、シベリア、沿海州、朝鮮への権益介入のために日本を支援していた[3]。
中国の門戸開放を願うアメリカとしては、日本とロシアのいずれかが圧倒的な勝利を収めて満州を独占することは避けなければならなかったのであり、このアメリカの立場と、国内の革命運動抑圧のため戦争終結を望むロシア、戦力の限界点を超えて勝利を確実にしたい日本のそれぞれの希望が一致したのである
・・1905年6月9日、日露両国に対し、講和交渉の開催を正式に提案した。この提案を受諾したのは、日本が提案のあった翌日の6月10日、ロシアが6月12日であった[2]。なお、ルーズベルトは交渉を有利に進めるために日本は樺太(サハリン)に軍を派遣して同地を占領すべきだと意見を示唆している[2][注釈 3]。
・・・・ウィッテは、ポーツマス到着以来まるで戦勝国の代表のように振る舞い、ロシアは必ずしも講和を欲しておらず、いつでも戦争をつづける準備があるという姿勢をくずさなかった
すべての戦力においてロシアより劣勢であった日本は、開戦当初より、戦争の期間を約1年に想定し、先制攻撃をおこなって戦況が優勢なうちに講和に持ち込もうとしていた[12]。開戦後、日本軍が連戦連勝をつづけてきたのはむしろ奇跡的ともいえたが、3月の奉天会戦の勝利以後は武器・弾薬の補給も途絶えた。
そのため、日本軍は決してロシア軍に対し決戦を挑むことなく、ひたすら講和の機会をうかがった[注釈 5]。5月末の日本海海戦でロシアバルチック艦隊を撃滅したことは、その絶好の機会だったのである[12]。
すでに日本はこの戦争に約180万の将兵を動員し、死傷者は約20万人、戦費は約20億円に達していた。満州軍総参謀長の児玉源太郎は、1年間の戦争継続を想定した場合、さらに25万人の兵と15億円の戦費を要するとして、続行は不可能と結論づけていた[12]。とくに専門的教育に年月を要する下級将校クラスが勇敢に前線を率いて戦死した結果、既にその補充は容易でなくなっていた[11]。一方、ロシアは、海軍は失ったもののシベリア鉄道を利用して陸軍を増強することが可能であり、新たに増援部隊が加わって、日本軍を圧倒する兵力を集めつつあった
首席特命全権大使に選ばれた小村は、こうした複雑な事情をすべて知悉したうえで会議に臨んだ。
児玉源太郎は、日本が講和条件として掲げた対露要求12条のなかに賠償金の一条があることを知り、「桂の馬鹿が償金をとる気になっている」と語ったという[16]。日露開戦前に小村外相に「七博士意見書」を提出した七博士の代表格として知られる戸水寛人は、講和の最低条件として「償金30億円、樺太・カムチャッカ半島・沿海州全部の割譲」を主張し、新聞もまた戸水博士の主張を挙げるなどして国民の期待感を煽り、国民もまた戦勝気分に浮かれていた。

上記のとおり講和条約反対の日比谷焼き討ち事件はメデイアの期待に応える無知(実態無視)な学者のアジテート・扇動によって始まったものです。

メデイアと学者の煽り1(思想の自由市場論のまやかし)

放送権を寡占しているメデイア界が放送の偏り批判を受けると、「日本の公平性規制がおかしい」として言論自由度ランクキングを下げる運動を世界規模で展開し、ついに国連特別調査官任命・・対日調査にこぎつけてメデイア界の要望通りの調査報告をしてもらい「虎の威を借りて」政府批判をしておきながら、政府がこれに応じて参入自由化とセットで放送に公平性を求めずに自由にさせようとすると大反対するとはおかしな業界です。
勘ぐれば、寡占のままで「言論の自由侵害だ、なんの批判も許さない.規制するな」と言ってれば、寡占業界では好きな方向へ世論を誘導できます。
ネット業界も自由参入になるといろんな意見が出回りやすくなるので本当の「言論の自由市場」になってしまうと「自分達の偏った意見は淘汰されるので困る」という本音が出てきたのではないでしょうか?
憲法学者の決まり文句である「思想の自由市場論」は特定思想傾向のメデイアが寡占している市場を前提にしていた「まやかし論」であったことが昨日紹介した日経新聞の論調で暴露された印象です。
表現の自由の問題が遅れて問題になってきたのが、16年アメリカ大統領選でのトランプ氏のメデイアに対するフェイク攻撃です。
アメリカも思想の自由市場とはいうものの、実際には大手メデイアの寡占市場です。
3社を4社〜8社に増やしても談合的に同一方向(業界基準?)に向けた報道ばかりするようになれば同じことです。
自由市場化するにはだれでも指折り数えられるような有名大手企業を少しばかり参入させる(1〜2社増やす)のではなく、業界標準的思想傾向に関与しない無限?の参入を期待できるネット業界へ電波利用を解禁する発想は画期的なことです。
寡占市場であるメデイア界に特定政治勢力が牢固たる勢力を張ってしまい、一定レンジ内の意見しか報道されていなかった問題点を暴いたのがネット通信の発達でした。
自由な表現が広がれば、その分名誉毀損的意見やワイセツ、業務妨害的あるいは米大統領選挙で問題になっている選挙妨害など多様なマイナス利用が増えるでしょうが、それはそれで別の救済や抑止手段等を工夫して行けばいいことであって、まずは自由な発言発表の場が増えた点を前向きに・公共電波利用権付与を含めて前向きに捉えるべきです。
有用な技術が出てくるとその弊害ばかり強調する意見がメデイアで主流になりがち・・・これが何でも反対の野党を育てている原因です。
新たなものを利用するには新技術に応じた規制がセットであるべきです・・高速道路を認めると歩行者が危険でないかと言う時には歩行禁止にすれば良いように(従来価値観では人が歩けない道路ってあるの?となりますが・・・。)新しいことには新しい発想が必要です。
頭の硬い集団では、表現の自由に対する規制を絶対悪視する傾向により、新しい規制に何でも反対したがる傾向があります。
車=危険→車禁止のおかしさは誰でもわかるでしょうが、空軍基地や原発・パソコン・防犯カメラ・GPSその他全て新らしいものはダメの発想でいいのでしょうか?
軍隊=戦争をイメージしてしまい、軍備反対という短絡思考も似ています。
ドローンであれ軍備も飛行機や車も各種工場も安全に向けた工夫をこらしながら発展させていくべきです。
車の便益性は言うまでもないことですが、一方で生命等への危険性は皆無ではありませんが不断の努力により、今では我が国の交通事故年間死者数が5000人以下になっています。
工場等も有益であるけれども労災事故や公害〜騒音等の被害もありますが、これも公害防除技術の発達や安全管理の徹底等により、我が国では一定程度まで克服されて来ました。
原発も同様で安全運転に向けた工夫の余地がないかの議論が必須ですが「まず反対ありき」では建設的議論になりません。
結果的にいろんな分野で既得権益を守ることにエネルギーを使う集団になってきたのでしょう
・・・ひいては思想の自由市場参加者を制限して一定方向の思想のスクリーニングを受けた人しか表現できないようにしておけば(メデイアの主張に反する変な?意見が出ないので)自分亜たちの都合の良い件ばかり報道できるグループから見れば、言論規制の必要がないのは当然です。
結果的に自分たちの気に入った表現の自由が守れる・・・参入制限方向へ意見が偏るようにように見えます。
ロシアによる米大統領選挙選挙英国の離脱国民投票への介入、直近フランス大統領選その他への介入疑惑が盛んですが、(我が国では中韓系細胞のメデイアへの浸透疑惑)参入制限があって5〜6社程度の企業相手ならば、長期間かけた外国勢力の浸透工作が容易になります。
参入障壁を低くして超大手だけでなく一定規模の企業が次々と参入してくると、工作すべき相手が拡散する分に比例して浸透工作が難しくなります。
この角度から考えても参入拡大が必要です。
「思想の自由市場」と言うからには参加を否定するのではなく、参入障壁が下がるのに従って必然的に増えてくるマナー違反に必要な規制をタブー視しないことが重要ではないでしょうか?
一定仲良しクラブ的な運営・・気に入らない意見の参入規制をしたままで「思想の自由市場」とはおこがましい限りです。
大学自治会を極左集団が牛耳ってしまっても、その排除方法がないのですが一般学生や社会が無視すればいいことで大した実害がありませんが、電波を寡占している大手メデイアが(実情無視で)一方的傾向の主張を垂れ流すのは実害が大きすぎます。
何が偏頗放送かを誰がどうやって判定するかの問題を解決する方法が今の所ないので、中立や公正報道の義務強化よりは、参入の自由化によって、思想の自由市場化によって淘汰を待つ方が合理的です。
電波割当制では有限どころか希少すぎて超大手しか参入できない難点がありましたが、インフラ整備と利用の2階立て構想は素人の私から見ても非常に魅力のあるアイデアと言うべきです。
NTTの通信設備インフラ部門と利用を切り離したことで一定の資本力があれば携帯やネット通信に参入できるようになったのと同様で電波希少性の隘路も、一定料金を払えば巨大設備を対等料金で利用できるようになれば参入障壁がぐっと低くなります。
いわばクルマを買わなくともタクシー等を利用できるようにすれば、購入し自分で保管維持できる人以外の利用できます。
鉄道施設を自前で持つ人だけが鉄道輸送できるのではなく、一般企業が貨物運送を利用出来れば公平です。
電波利用者・参加者が増えれば、報道の多様化効果が高まりまさに言論が市場化します。
公共工事の談合が禁止されているのは市場価格が歪められるからですが、思想の自由市場?の場合、あえて談合しなくとも慰安婦騒動でいえば「朝日がやっているのに負けられない」とばかりに一見独自意見のようなそぶりで競合他社がどっと追随報道に走ったので日本中が強制連行論一色になった原因でした。
思想表現は談合しなくとも、発表されるとそれを見てからの後追いでも瞬時の遅れを取り戻せるので、実質的な(一発入札の公共工事と違い)談合効果があります。
慰安婦騒動による朝日の検証委員会意見は朝日新聞の主張を引用する記事を調査したがほとんどない・・少ないので、朝日新聞の責任は低いかのような意見でした。
大事件スクープがあると、スクープで先を越された他社が単なるスクープの引用だけでは負けてしまうので、追っかけて深堀・独自取材を装うのが普通・朝日の引用意見ばかり書かないのは当たり前のことですから、こういう論理で朝日新聞の責任が少ないという意見の不自然さ(朝日新聞が選んだ委員ですから当然ですが・・)をそのころに書きました。
言論市場に4〜5社程度しか参加がないと、あえて談合しなくとも一定思想方向の人材を揃えておけば他社との競争と言っても「より早いか、よりセンセーショナルなキャッチコピー術に優れているか」の競争・・一定方向へ意見が向かうに決まっています。
これでは違った方向の意見が出てきません。
大学自治会が4〜50年前から政治偏向が激しくなりすぎたので、今では自治会がある政治意見を発表しても全学生の意見を代表する意見とは誰も思わなくなっていますが、これはこれで放っておいても誰もがそう思って無視できるので社会に悪影響を与えません。
しかしメデイアは庶民に一定方向の誤った情報を植え付けて、行動を煽る傾向があるので、放置できない影響力があります。
どうせ煽り合いならば、自由にさせていろんな意見から国民が自分で決めた方が合理的ですが、日本では報道できるものが寡占状態にあるのが問題です。

アメリカの対日政策2(国内対立の煽り2)

今も進歩的?文化人はグローバル化適応反対・新自由主義反対・非正規雇用反対などなど新しい制度や社会の仕組みに対する反対ばかりしています。
欧米の「社会は発展するもの」と言う進歩史観で言えば、世界の新しい流れや新しい挑戦に反対ばかりさせて日本が時代の潮流に適応するのに数十年〜1年でも遅れれば遅れるほどアメリカにとって好都合と言う思想に従っていたのが進歩的?野党や文化人の基本です。
私は経済学に詳しくないし、労働条件がどうあるべきかも詳しく知りませんので、いずれが正しいかの視点で書いているのではありません。
ここでは、革新系=超保守は新しいことを政府が始めようとすると全て反対と言う立場で始め、これをマスコミが礼賛・応援することが多いことを書いています。
何でも反対意見を述べても良いのですが、「じゃあどうすれば良い」かの前向き意見が全くないまま、兎も角新しい事態に適応するのに反対と言う不思議な意見集団でした。
非武装平和論が日本だけが一人よがりで実行しても平和を守れないように、グローバル経済化・・・企業の海外立地の動き・・非正規雇用化の動きに適応することを日本だけが反対してもどうなる訳でもありません。
法人税減税論も、消費税をあげて(個人負担させて)法人税を下げるのはおかしいと言う論法ばかりですが、国際競争があるので、国内事情ばかり言っていても世界企業が逃げ出すばかりでどうにもなりません。
上記批判は、国内で言えば企業誘致のために一定期間固定資産税の減免をすることが多いのですが、これを個人から税をとっていて企業優遇するのはおかしいと言う論理を国際版で主張していることになります。
政策効果は、雇用創出その他複合的に見るべきで、目先固定資産税を減免しても総合的に地域経済にプラスの効果が大きいからどこの国でも企業誘致に必死になるのですから、企業優遇けしからんと言う1面的な形式論で議論していても始まりません。
消費税の個人負担の問題は基本的には法人と労働者の所得分配率の問題ですし、別に解決の道や議論があり得るのですが、話題がそこには行かず庶民は大変だと言うばかりです。
例えば、税率だけで考えても生活保護所帯が苦しいならば、消費税率アップ効果ととほぼ同率だけ支給率アップする運動をすれば済むことです。
低所得層に対しても非課税所帯に対しては一定率の補助金交付したり、納税者に対しては、所得階層別消費単位の統計に従って一定率の減税すれば済むでしょう。
商品別の軽減税率をやると、マスコミだけ消費税免除要求など不公平ですし、食品でも加工品の分類その他複雑過ぎてコスト増になって日本の社会発展にマイナスです。
ただし、私が今この時点で消費税を上げた方が良いかどうかの意見をここで書いているのではありません。
ただし、私は企業優遇批判に応じるために増減税中立・法人税を下げる代わりに同額の法人に対する補助金や減税等を削減するやり方には反対しています。
これでは法人の税負担が同じでは何のために法人税の減税を主張しているのか不明になります。
こんなことをしていると、却って研究等政策促進等のメリハリ効果をなくすだけで終わり、日本企業の発展・国際競争力が阻害されてしまいます。
何をやるにも、日本がもたついて漸く解決してみると社会制度が複雑になって効率の悪い方に行くのは、アメリカや中韓等競争相手にとっては好都合な展開です。
日本の国際競争力阻害こそが中韓や米国の利益ですから、庶民の味方と言う非効率化に向けた文化人の主張が実現するのは願ってもないことです。
新自由主義が正しいかどうかは別として、世界の潮流に棹さしていると、世界企業は企業立地や労働条件の合理化された地域へ逃げ出してしまいます。
非正規化の流れは以前少し書きましたが、社会ステムがデジタル化やマニュアル化して来ると短時間小刻み業務・・引き継ぎの簡易性・・が可能になって、長時間継続勤務の必要性が薄れて短時間交代勤務が可能になったことが大きいと思われます。
これを良い方に導けば労働時間短縮やワークシェアリングに繋がり、男女均等勤務に繋げられます。

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