地方分権(地方エゴ)と利益誘導政治

アメリカの置き土産・・戦争中に見せた日本国民の団結心恐るべし・・国民の団結心破壊の試みの設計が昨日まで書いた自治制度の貫徹ですが、基礎にある同胞精神破壊の試みとして、国民宗教・神道の破壊政策を真っ先に行ない、民族の尊厳を破壊する(今で言う自虐史観の洗脳)教育政策の徹底でした。
中核から同胞精神を破壊するだけではなく、国民に対しては庶民の足下から崩して行く試みが共同体利益を無視した全体に及ぼす影響がどうなるかよりは先ずエゴ主張をすることが正しいとする奨励でしょう。
東大教授→マスコミを通じる上からの教育政策と庶民の我欲に訴える両面作戦です。
与那国島の基地騒動の始まりは、地元に10億円規模のお金が落ちると言う我欲に始まった誘致運動が、数億円しか基地取得費に払えないと決まってから迷走が始まった顛末です。
以下今日現在のウイキペデイアからの転載です。
「これら中国籍とされる軍艦や船舶の、沖縄近海への接近および日本の排他的経済水域内の通過など、傍若無人な問題行動が頻繁に起こっていることと平行し、与那国島では防空識別圏の見直しを訴えたり、与那国町町議会による 自衛隊の誘致議決 が行われる動きが起こる。
この与那国町の自衛隊誘致の声を受け、2010年北澤俊美防衛大臣がこの地域への自衛隊配備に関して、予算計上を表明する動きへとつながった。
2012年度予算では、新編する沿岸監視部隊の配置及び移動警戒隊の展開のために必要な用地取得などを実施するため、10億円が計上された[5]。現地ではこれを根拠に、借地代として10億円が現地に落ちると解釈されたが[5]、用地代として国が提示した額は1億5000万円であり金額を巡る思惑の違いによって交渉は暗礁に乗り上げた[5]。」
沖縄だけではなく日本中で日本民族のためになるかどうかではなく、自分の手に入れる「お金お金」の恥ずかしい社会にしてしまったのは、アメリカの占領政策・・遺産の大成功事例です。
これまで書いているように国策遂行には全て地元同意が必要な憲法制度になっている結果、政府としては何でも反対の地方に対して大義に訴えても解決出来ない結果、原発立地でも何でも利益誘導しかなくなってしまった・・その結果政治家は利益誘導出来る能力で再選が決まる悪循環になっていることも大きな原因です。
田中角栄的政治家があちこちに出来上がったのは、アメリカの遺産・・強固な地方分権制度が制度的裏付けだったのです。
戦前だとお国の役に立てば・・と言うのが基本であって(無償ではないのですが、保障額は次の問題であった)お金の多寡を正面テーマにするなんて恥ずかしいことでした。
いろんな付き合いを決めるのに、先に「お金がいくら?」と言うのではなく、相応の提案がされる前提で「喜んで参加します」と決めるものです。
与那国島ではお金だけが目当て・・「お金が少ないなら守ってくれなくても良い」と言う論争になっていたのですから不思議です。
(原発誘致であれ復興であれ何であれ・・石原氏が「結局は金目でしょ!」と言うのは正鵠を得ていたので、マスコミに批判されましたが・・マスコミは正しいこと言うと「失言」と批判する不思議な媒体です)
東大教授を頂点としマスコミに流布する自虐史観はネットの発達によって効力がはげ落ちつつありますが、庶民に行き渡ってしまった・・本来恥ずかしい筈のエゴ主張の風潮は簡単に修正出来ないと思われます。
生活保護の不正受給や乱診乱療問題に始まる便乗型権利主張が社会問題になって来たように、今やエゴ主張の弊害が庶民に行き渡っています・・庶民だけではなく部長クラスでも母親の世帯分離をして安い特養に入居させるなどの行為は日常茶飯事ですから、言わば身体中に毒が回ってしまったような状態です。

司法権の限界8(政治と場外乱闘2)

法制度外の超法規的テロに戻しますと、アラブ世界で吹き荒れるテロやゲリラは、欧米の何世紀にもわたる不当な圧迫に対する不満を根底にしていることが明らかです。
民族・階級別社会化がある場合、一見合法的選挙があっても実質的代表になっていない場合などで、合法的に弱者が圧迫されている場合があります。
アメリカで言えば、選挙では修正が利かない・・金融資本による支配=格差拡大・・選挙に巨額コストがかかって結果的にそうなって行くことに対する不満が蓄積されています・・これがウオール街を占拠せよとか、トランプ旋風になっているのは健全な姿と思われます。
アメリカの場合、選挙でうっぷんを晴らすチャンスがあってガス抜きになり、結果としてガス抜きに留まらず民意回復力・格差拡大を止められれば、暴動を起こす必要がないことになります。
トランプさんは支離滅裂に過激な言い回しで国民のストレス発散のために煽動しているだけのように見えるので、政権をとっても結局はヒットラーのように煽動の繰り返しになるリスクがあります。
煽動政策はA標的に対するボコボコにして一段落すると次にもっと大きなB標的〜C~Dへと次々と大型化するしかないので、その内抵抗出来ない程度の外国にイチャモン(トランプ氏の選挙戦でのスタイルだとイチャモンにならないような無茶苦茶な理由で戦争を仕掛けて来るでしょう)つけては戦争を吹っかけるようになります。
金融資本家に対する敵意=ナチスのユダヤ人に対する敵意と同根ですが、煽動政治になるのが怖くて、(金融資本家のみならず)みんなが怯えているのかも知れません。
4月3日日経新聞23pの右下には、「アメリカの排日運動と日米関係」という題名でアメリカ国内の政争(共和党の分裂と汚職追及のとばっちりで排日移民法が成立)があってその妥協の産物として排日法案が可決され、一気に反日の方に燃え広がって行ったことが克明に研究している蓑原俊洋氏の著作が紹介されています。
実際に金融資本家を追放するとアメリカが持たないので、その矛盾ストレスのやり場に困ると対外スケープゴート探しに向かうのは日米開戦の原因あるいはナチスの経験でも明らかです。
金融資本家の跳梁跋扈を制禦するのが難しいのは分りますが、だからと言って短絡的にストレスの赴くままに煽動にのって選挙するアメリカの風潮は危険です。
金融資本家の跳梁跋扈を制禦するのが難しいのは分りますが、だからと言って短絡的にストレスの赴くままに煽動にのって選挙するのは危険です。
上記のように結果的・実質的不正があるかどうかによりますが、こうした不正がない民主国家において正々堂々の選挙で・・スポーツで言えば試合で負けた場合、政治決着するべきルールのない別の世界・・相撲やプロレス、ボクシングで言われる「場外乱闘」で意思を通すために、賄賂や強迫(民主国家におけるテロもその一種です)、買収で政治を歪めるのはルール違反で許されません。
「江戸のかたきを長崎で」と言うセリフがありますが、政治で負けたことを、別のルール・・野球の勝敗やカルタや決闘で最終的に決めようと言うのがおかしいことは誰でも分るでしょう。
政治で負けた方が、司法手続に持ち込むのは一見合法的装いですが、政治の世界で決まった勝敗を認めないで「別のルールでもう一度」と言う点では「どちらがバイオリンがうまいか賄賂競争はどちらが得意かで政治決定を変更するかどうかを決めよう」と言うのと大差ありません。
政治の勝敗の場合全国的勝敗・・特定主張する政党が1〜2選挙区で勝った程度では国家意思にはなりません。
共産党が勝っている場合もありますし(小選挙区はないのかな?)民主党も全投票の何10%前後の支持を受けています。
総合して多数派になれない場合負けたと評価されますが、司法の場に(裁判官の政治思想が)上記割合で分布しているとした場合を考えましょう。
全国各地に原発反対・安保法反対訴訟を出した場合、そのときの担当裁判官の政治信条次第で裁判出来るとすれば、民主党支持の裁判官だけでも何十%の勝訴率になりますし、国論が6対4の場合4割の勝訴率になります。
裁判が全て最高裁に行ってから初めて効力が出るならば政治信条の比率どおりに各地でいろんな判決や決定が出ても最後は国民多数の意見に国家意思が統一するので混乱しません。
仮処分決定のように上級審に行く前に効力が出てしまうと仮に数%の少数意見による決定でもその間は国家意思としての強制力があるので、最高裁で統一見解が出るまでにはあちこちで矛盾した決定(国家意思が精神分裂になった状態)が乱立してそれぞれが強制出来るので大混乱になります。
例えば福井地裁で続行決定を求めて認められた場合(福井も大津も積極的に続行を求める裁判が出ていません)大津地裁の禁止決定と並立した場合どちらに従うのか?
※諫早訴訟では菅総理が最高裁で負けそうだと分ると意図的に矛盾判決を確定させてしまう荒技を紹介しましたが、開門を求める裁判と開門禁止を求める双方の裁判が双方認められた矛盾状態で確定した結果、開門してもしなくともそれぞれに1日いくらの損害金を払えと言う矛盾状態で国はどちらに従ってもお金を払い続けるしかない変な状態ですが、これは意図的に国家意思を矛盾状態にした例です。

司法権の限界7(政治と場外乱闘1)

学問にはいろんな賛否の意見があるのが普通ですが、大規模地震や津波発生時期・規模に関しては科学者のうちで誰独り「俺は知っている」と言える学者がいないほど「誰も分らない」点に関しては自明の状態です。
上記のとおり誰も分らないことが明らかな状態でありながら、しかし、何かの基準を決めるしかない・・「分らないから何もしない」か「現状で出来るだけの備えをして前に進むか」は政治(国民意思)が決めることです。
科学界の英知を集めて一応の基準で前に進むと政治が決めた以上は、ある産業を進めるのに反対する人は、政治の世界で議論を尽くして議論の説得力によって多くの支持者を集める努力をすべきです。
安全保障政策で言えば、中国と組むかアメリカと組むのが良いかも科学的に決められないので、高度な政治判断で決めること・・選挙を経た政治の専権行為です。
これが砂川事件大法廷判決の意味するところです。
民主国家においては言論の自由・・自由で公平な選挙制度があるのですから、自由な政治の世界での論争に負けた以上は、次の選挙で勝つまでは潔くこれに従うのが民主主義のルールです。
(多数決に決まっているから議論がいらないのではなく、議論を尽くしておくと議論経過次第で少数意見の方が説得力があると次の選挙への効果があります・・逆に合理的意見を相手が少数だからと無視して裁決に走ると信用を失うので、安易な強行採決が出来ませんので、討論さえきちんとやれば、多数党の横暴を防げます。
日本の場合ひっきりなしに各種選挙がありますので、多数党が一度勝てば4年間安心と安閑としていられない仕組みです。
※アメリカや韓国の場合大統領が任期制であるだけでなく議会も日本のように解散がありません・・4年間そのままです
日々有権者の視線に曝される日本では合理的討論の影響力が大きいのですが、反対討論をきちんとしないで審議拒否や揚げ足取りばかりしていて強行採決に至った場合に「多数の横暴」と宣伝しても空虚な主張になります。
多数党が横暴かどうかは選挙民が議論の経過を見て判断することであって、少数党がマトモな審議をしないで揚げ足取りに終始しているような場合に「横暴と」言えば横暴になるものではありません。
政治の世界のルールに従った勝負で負けた場合でも国会の場できちんと議論することによって巻き返すチャンスがあるのですから、これをしないで、「国民の理解を得られていない」(国民に野党の意見が合理的だと言う宣伝をするのは野党の責務です・・これをしないで審議拒否ばかりでは理解を得られないの当たり前です・・)などと言う訳の分らない宣伝をして場外乱闘・正当な政治手続外の勝負(・・別のルール)に持ち込むのは民主主義社会のルール違反です。
テロや反政府運動が許容される場合があるのは,その社会では民主的運営がされていない・・本来の多数派が多数になれない・選挙制度の不正や賄賂や強迫など・・不正があって民意が素直に反映されない仕組みが、合法的に是正されないときに政治弱者による抗議としての意味があります。
ちなみに選挙区人口比を基準にして、人口比に大幅に反していることを理由に憲法違反と言う意見が普通ですが、人口比だけを単純比例した意見は、一見合理的なようで誰も反対していませんが、地域代表の要素を無視している点で如何にも皮相な印象です。
特定地域からの代表者を決める基準は得票数(独り1票)で決めるべきは論を俟ちませんが、ある地域と別の地域の代表者数を人口比で決めるべきかは本質のちがう問題です。
人権派やマスコミが、憲法論で負けそうになると次には「世界標準がどうの・・」 と国連の意見などを持ち出すのが大好きですが、人口比そのもので地域代表を選んでいる国がどこにあるかと言うデータに関しては一切報道していませんが、世界中で人口比で代表を選出している国がいくつあるでしょうか?
彼らの言い分によれば世界の決めごとも、すべからく人口の多い中国やインドの言い分どおりにしなければならなくなります・将来的にはそう言う目的で布石を打っているのかな?
最高裁の判断は2倍が許容範囲と言うのですが、中国は日本の2倍どころの人口比ではありません・・この種の理屈が行き着く先は、日本と中国の論争はいつも中国が正しいことになるのでしょうか?
選挙区区割りや代表者数は、選挙区の出来た歴史経緯や実情等を綜合して決めて行くべきことで、人口を機械的に割り振ってどんな歴史経緯や実情があろうとも2倍が限度と言う裁判所の形式的決め方は、(民族感情等を?踏まえた)高度な政治折衝で決めて行くべきことに裁判所が介入している越権の疑いがあります。
日本には地域別民族感情などないと言う意見が多いと思いますが、「民族」と言う言葉の意味は別として、会津の人は未だに長州に対する怨恨を抱いていると言われますし吉良の人は吉良上野介のファンだと言われます。
関東の人は逆賊であった平将門を英雄視しています。
東北の人にとっては藤原氏3代の栄華は地元の誇りでしょうし、戦国末期の伊達政宗も郷土の誇りですし甲州の人は武田信玄、越後の人は上杉、信州の人は真田幸村などなどい言い出したら切りがありません。
個人名を挙げなくとも、関西人と東北人、近畿、北陸や四国九州、山陰山陽では意識・文化・気質に大きな違いがあることを否定する人はいないでしょう。
選出代議士数の基準としては人口はかなり大きな要素であるとしても、地域性を無視し切れない点でこの塩梅は実は非常に難しい・・領土問題同様にナーバスな問題ですから、政治で決めて行くべきことにして憲法では決められずに先送りしたのです。
人口比で決めるのが正しいと簡単に言えるならば、憲法に簡単にその原則を書けた筈です。
「人口比2倍を超えるのは違憲」と言うすっきりした意見の先に、もしも人口の少ないある地域の代表がゼロになっても良いのかと言う議論が先にあるべきでしょう。
ゼロに出来ないと言う暗黙の意識・・人口数だけで決められないと言う国民意識を前提に、人口増加地域の定員を増やして来たのがこれまでの経過でした。
地域代表をゼロに出来ないが大きな地域性はある、日常行動範囲が広がり「細かな地域代表はいらない」道州制論に近い?政治合意が出来るならば、先に現行都道府県制度から変えて行く国民議論をしていくの政治の常道であって、裁判所がどうしろと言うのは越権です。
現在の合区論だとある県の定数をゼロに出来ないので、県をまたがった代表選出する仕組みにならざるを得ないのですが、議論の順序が逆・・地域の一体化が先行して対外共同行動が増えた結果、県などの合併があるのではなく、民意によらない裁判所が違憲と言って、強制しているからこうなるのです。
ちなみに私自身は何回も書いているように(千葉のようによそ者中心の土地に住んでいる関係からか?・このように地域性が大きな影響を持ちます。)細かな地域性を重視し過ぎるのはどうか?と言う意見ですが、「裁判所が議論を強制するのは逆でしょう」と書いているだけです
現憲法制定時にも、地域形成の歴史・実情を無視出来ないので、慎重に地域の実情に合わせて地域ごとの話し合いを経て決めるようにと言うことで、憲法では基準を決めずに選挙法に委ねたと見るべきです。
選挙法が学問上「実質的意味の憲法」と言われている基礎です。
日弁連の事例で言うと、会長選挙制度は総投票数の過半数をとっても単位会の3分の2以上で多数を取れないと、再投票する仕組みです。
現に宇都宮健児氏を選んだときに再投票再選挙になったことがあり、同じことを2回も3回繰り返すのでは終わりがないとから改正しようと言う動きになり、
改正案が1昨年から昨年にかけて検討されましたが、理事会にかける前に単位会の反対でつぶれました。
衆議院選挙無効訴訟に熱心な日弁連自体が、自分のことになると人口比で決めるのに大反対で議論にさえなっていない状態です。
アメリカの例で言えば、各州の選出議員数を人口比で簡単に増減出来るかと言うことですし、イギリスで言えば、ウエールズ・スコットランドその他地域別選出数を人口増減に比例して増減出来ているとは、想像すら出来ません。
多分アメリカやイギリスの裁判所が人口比で「上院や貴族院議員の数の増減を論じること自体が憲法違反になる」意識が自明なのでそう言う裁判すら存在しないと思われます。
私見によれば人口比を基礎にする選挙無効訴訟・・違憲状態判決こそは、民意無視を絵に描いたような机上の空論だと思いますが・・。

護憲運動3と愛国心2

憲法論に戻りますと、憲法の有効性は、日本国民のためになるように「修正」解釈すれば有効であるし、国民の利益に反する解釈すれば、憲法の存立意義がなくなり、異民族の制定した憲法として無効にする外ありません。
商品で言えば不具合が出たら改良すれば、商品寿命が延びますが、創業者の作ったものだから絶対に改良しないと言う「護憲・超保守」に徹すると、その商品寿命が短くなり、新商品開発の必要が出て来ます。
護憲勢力と言う熟語が本来意味するところは、憲法を時代の変化に対応させる・・有効化するために合理的解釈して、その存続を図るの(建物や遺跡が古くなれば補修するなど)に努力する勢力のことです。
ニッポンで護憲勢力と自称する勢力は、異民族支配のために作った不合理な憲法をそのまま押し通そうとする・・解釈の範囲が狭く柔軟性がない・有効期間の時間軸を短縮する方向に働く勢力ですから「護憲運動」の定義からズレています。
護憲と僭称する勢力は、日本民族維持の利益になるような修正解釈反対論=日本は非武装・・自衛のための軍備も持てないと主張していますので、結果的に国民主権の原理からして、憲法実質無効論を誘発するための勢力・・自主憲法推進論の範疇に入るべきです。
護憲勢力を僭称する立場は、早く憲法の寿命が来ること目的にしているように見えるので、その目標は反護憲勢力であるべきですが、逆に護憲派と僭称しているので、目くらまし・・ややこしくなっています。
新しい事象に対応することに何でも反対する超保守団体が革新系と僭称していたり、少数意見を通すために「市民の声を無視するな」と言う合唱も同じです。
小数意見を市民や国民の声と言うでしょうか・・ちょっと考えれば分りますが、民主国家においては国民の声とか市民の声と言う場合、選挙による民意・・多数意見を言うことになります。
文化人と言う自称もおかしな宣伝で、自分たち以外は野蛮人とでも言うことでしょうか?
前回から「護憲勢力は嫌らしい」と表現している所以です。
政治・外交評論家として活躍している元外交官「佐藤優氏」の解説を聞くとこんなに「イヤらしい・ひねくれた見方があるのか?」と言う意味で彼の意見が参考になりますが・・これを彷彿させる戦略です。
国際関係は狡猾な人の集まりでしょうから、佐藤氏のひねくれた?観察眼が役に立つ面があるでしょうから、一定の人気があるようですが、国内政治にこれを持ち込むと純朴な国民は簡単に惑わされてしまいます。
すなわち「民族の主権を守るための合理的解釈はイヤだ」しかし「国民主権の精神に合うように憲法を改正するのもイヤだ」アメリカの本心・日本の自衛権強化期待に反対するために「アメリカの作った憲法違反をアメリカに訴える」と言う意味の「護憲勢力」です。
これを「イヤらしい主張だ」と言わずに合理的に解釈するには、「憲法は異民族支配の道具で良い」「日本は永久に周辺国に隷従すべきだ」と言う立場と理解すれば一貫します。
先祖からの家を守るには、時代に適合した電気や暖房設備を入れたり五右衛門風呂をガス湯沸かし式風呂に変える・薪で炊いていたカマドから電気炊飯器に変える・・窓をサッシに変えたり・囲炉裏をストーブにしたりして、使い勝手よくしながら住み続けるのが本当に先祖の建てた家を大事にする姿勢です・・。
家が大切だからと言って、何の手入れもしないで「立派だけど寒くて使えないんだよね」と使わないで放置しておくのは、廃屋化を早める行為であって家を大事にしていることになりません。
右翼が伝統を強調する勢いで、全てにわたって、古来のママで修正をしない・・「女は男に従い家を守れ・・」とまでと言うと、却って日本の姿・・にっぽん民族の特徴・・外来文物を受入れて柔軟に変えて行くしなやかな能力が腐ってしまいます。
右翼も左翼も思想のあり方は同根で、実質硬直性が特徴で変化に対応出来ない点は同じです。
革新政党は実は「何でも反対」の超保守勢力を意味して来たのと同じで、彼らは逆の用語を「イヤらしく」利用する傾向があります。
日本人はアメリカに対する配慮から「異民族支配のための人道に反する憲法だから無効」と言い切れないのを悪用して「憲法を守れ」と言い張るのは、・・幕末に(神君の定めた)「祖法を守れ」と攘夷決行を幕府に迫ったのとおなじです。
当時・・幕末に幕府が攘夷決行して欧米諸国と正面から戦うと勝ち目がないのが明らかでした。
もしも幕府がマトモに「祖法」(憲法?)に従って戦えば、結果的に中国その他東南アジア諸国同様に・・日本が欧米の植民地になってしまうリスクがあって幕府が英仏蘭等の海軍と戦うことが出来なかったのを承知の上での無理強いだったでしょう。

民度と政体(人権活動家の役割)1

少数者の人権救済のために努力し・・個別救済を続けて徐々に社会意識が向上して大きな制度発達に繋げるのは意義があります。
しこしこと積み上げて行く程度では満足出来ずに、功名心に駆られるのか?その地域のレベルに応じて機能している組織を非難して、伝統的組織破壊を目指して運動するグル−プもあります。
成果が出れば華々しいのですが、デモや騒乱で政権を取ったグループには社会運営能力がないので、社会混乱が始まり、結果的に何十万〜百万単位の難民・不幸を作り出してしまうことが多いのが現実です。
隣の新しいビルの方が格好良いからといって、自分が最新式ビルを建てる能力もないのに「こんな古いビルを壊してしまえ」と壊してもその先が続きません。
解体業者は素人よりはビルの構造に詳しいかも知れませんが、ビルを新築するのは無理があると言えるでしょう。
国民の苦難など全く気にしないで、旧組織を壊してしまうことに自己満足している集団は、結果的に社会秩序破壊に熱心なテロ集団と大差ないと思われます。
日本の場合、民主党が政権担当経験がない・・運営能力欠如で大混乱になる前に、自民党に政権交代したので助かりましたが・・。
エジプトやタイの場合、軍事政権化して漸く落ち着いている状態です・・軍事政権ならば「悪」と決めつける方がおかしいのです。
日本の歴史で言えば、折角戦国社会を統一した信長や秀吉、徳川政権の時代に、仮に民主化の進んだ国があった場合、これを軍事政権だからと外国勢力が介入して、元の戦国時代に戻して良い訳がないでしょう。
世界では日本の戦国時代以前程度の段階の国が一杯あるのです。
戦国時代まで行かない・・蘇我氏と物部氏の争い程度の段階の国の場合却って先進国の制度を強制・移植するのが簡単です。
その国の実情・・民度に応じた政体が必要なのです。
最近の例では、ミャンマーのスーチー氏の政権担当能力が今後試されます。
スーチー氏の人脈は運動家中心で実務経験がないので、彼らの論功に頼り切ると大変です。
政敵だった意見有力者取り込み(取り込みと言うと聞こえが悪いですが、協力関係)に成功しない限り、うまく行かないでしょう。
人権活動家は、人権尊重と言うだけで具体的政治経験がないので、政権を倒した場合にマトモな運営が出来ずに、混乱が待っているのが普通です。
日本のように官僚機構が完備していても民主党政権では、大混乱になりました。
「官僚の振り付けどおり動いているだけで政治家の役割は大したことがない」とマスコミで言われていましたが、実際に民主党が政権を運営して見ると要所での判断が効かない・・政治家の役割の大きさを痛感させられたものです。
人権活動家は地道な国内政治改革による積み上げによる改善ではマドロッコしいので、(国連ではこう言っていると・・)国内政治活動を有利に運ぶために?外部勢力を頼む傾向があります。
その分現実遊離・・もしも成功すれば画期的と言えば言えますが、結果的に国内政治の実態を無視することになってしまうので、彼らの運動がうまく行くとこれに比例して、社会混乱要因になってしまうことが多いのです。
自分は良いことをしているつもりで良い気になっていますが、どちらかと言えば、個と全体の区別がつかない・・大小の区別がつかない困った人たちの集まりではないでしょうか?
人道支援と称して大量に食糧支援を続ければ、その地域の食糧連鎖を破壊してしまいちょっとした気候変動があると都度飢饉が発生し易くなります。
本当の人権活動は食糧不足ならば、その土地で耕地を作り出す地道な支援等であって、簡単なことではありませんが、実際に個人でやっている人が結構います。
人権活動家の行動はパフォーマンス中心で、既成秩序をぶちこわしてその結果どうなっても構わないように見える点では、アラブの大義さえ叫んでいれば後はどうでも良いようなテロリストと結果的に大差がないと思う人が増えて行くと思いますが・・・。
自由平等博愛・人道主義の本家・・シリアに余計なおせっかいをして大量難民発生を作り出した元凶の地パリで、対抗テロが頻発するようになったのは、正にこの本質を衝いているように見えます。

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