政党と弁護士会・学者の違い3

革命の成果によって憲法が制定されることが多い歴史を見ても分るように憲法内容をどうするかこそは、多くの政治運動の中でも優れて政治的要素が高い・・最も尖鋭な政治そのもの・中核行為です。
憲法・・国家の基本がどうあるべきかの尖鋭な(多くは血塗られた革命の結果生まれています)政治運動ですが・・、これを憲法遵守義務から導き出して弁護士会の目的の範囲内・高裁判例を引いて、弁護士の思想信条を侵害する政治運動ではないと言う主張は「現行憲法が改正されるまでは現憲法を守るべき」と言う遵守論と議論をすり替えているように思われます。
非常識なすり替えをそのまま言い張る体質を見ると、北朝鮮や中国が何かあると自己の非を棚に上げて「全て日本が悪い」と言い張るのと似て、専制支配の思想体質の延長で見れば理解可能です。
権力を持つ者が「馬を鹿」と言い張っても廻りが「違います」と言えない社会・権力さえ握れば「黒を白」と言い張れる歴史経験が強固で、その思想影響下にある場合、民主国家においても外部の影響力を遮断出来る組織内では、こう言う無茶な主張を言い切って持続可能です。
すなわち、日弁連や単位弁護士会は政府から独立性があって、外部世論による修正余地がない・・独立性担保がある点で「唯我独尊」的になり易い制度的欠陥を持っています。
内部的には専制支配でないものの、外部批判を一切受け付けない・・国民支持を直截必要としていない・・専制君主以上の権限があります。
絶対君主でが王権神授説を必要としたように、権力と言うものは何らかの正統性担保が必要です。
共産党一党独裁とりわけ、スタ−リン独裁の正統性のために、下部組織から順次の意見持ち上げ組織であるから一党独裁は民主的制度であると言う言い訳が一般化していました。
・・私の司法試験受験時に選択した政治学では、当時その道のオーソリテイーの基本書で勉強しましたが、「独裁は民主主義の一方式である」と政治学原論で習った記憶です。
そのころには「北朝鮮は地上の楽園」とマスコミで賞讃されていたことを考えると昭和30年代半ばの頃に政治学の権威者になった人ですから当時の学会では共産主義礼賛のまっただ中だったからでしょうか?
「地上の楽園」検索で出た本日現在のウイキペデイアの記事です。
帰還事業・・1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航し[2]、数度の中断を含みながら1984年まで続いた。
「在日朝鮮人の間では、朝鮮戦争による荒廃からの復興が進まず、また政情不安を理由に、韓国への帰国を不安視する一方で、社会主義体制のもとで千里馬運動により急速な復興を実現したとされていた北朝鮮への憧れもあった。当時、北朝鮮と韓国の体制間競争は北朝鮮が優位に立っており[注 1]、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」「衣食住の心配がない」と宣伝し、それに呼応した日本の進歩的文化人・革新政党・革新団体が繰り返し北朝鮮の経済発展の様子を伝え、在日朝鮮人に帰国の決意を促した[6]。特に北朝鮮を訪問して礼賛した寺尾五郎の『38度線の北』は、帰国希望者に大きな影響を与えたといわれる」
「吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左右を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。
“ 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ」
話題がそれましたが、昭和3〜40年代には委員会方式が民主的運営方式として賞讃された時代で、ソ連崩壊後の今でもこれが続いている印象です。
弁護士会の会内民主主義も、全て下部委員会からの持ち上がりで機関決定を経ていることは確かです。
ソ連が崩壊した現在これが・・委員会審議による持ち上がりでさえあれば民主主義組織と言えるのかの検証が必要でしょう。
April 9, 2015「,弁護士大増員の影響」(弁護士会費負担の脅威)1November 1, 2015「弁護士会委員会の運動体化1」October 19, 2015「サイレントマジョリティ10(会内合意のあり方3)」等々で書いて来ましたがその再論または続編でもあります。
下部組織・委員会から意見が持ち上がる形式のソ連型民主主義制度は、実際には内部が硬直してスタ−リン独裁・逆らいそうな気配があれば直ぐに粛清されたりシベリア送りになっていたように、物事は形式ではなく実質です。
中国の現在政治も共産党内部は形式的には民主的に持ち上がるようになっていても、実際には権力掌握者の動向をしっかり見定めてその御先棒担ぎをするような意見しか出せない・執行部に楯突くような意見を言えない・・全員一致しかない集会です。
異論を言うどころか反対姿勢を匂わせようものなら、早速汚職容疑や反党分子として引っ張られてしまうでしょう。
一旦支配者が決まるとこの体制が崩壊するまで専制支配者の鼻息をうかがうしかない・・まさに古代から続いて来た専制支配体制を委員会組織に置き換えたに過ぎません。
委員会形式は専制支配の言い換え組織・・ソ連崩壊後・いまでは委員会組織・・機関決定さえあれば民主的決定と言えないことは世界の常識でしょう。
私が好き勝手にいろんなことを個人的に自由に書いていることから分るように、弁護士会内部がそう言う状態でないのは確かですが、それと組織内で公式な意見交換が自由闊達に行なわれているかは別問題です。
政治論について本当に充分な議論が会内で出来ているかは別問題である上に、活発な議論が行なわれていてもその結果をどうするかは別問題です。
会内で活発な議論が出来たとしてもソモソモ政治的意見で集まった団体ではない上に強制加入の本質からすると・議論の結果に納得出来ない少数意見を、どうするかは別問題です。
例えばある同好会がテニスや旅行目的で集めた資金を多数で決めれば特定政治家への寄付に使って良いかということです。
会内民主主義システムとしては弁護士会の場合直截選挙もありますし、ソ連や共産党組織とそっくり同じではありませんが・・ここでは委員会組織さえ経由すれば民主的手続を尽くしたと言うまやかし・・形骸化について書いています。
さらに内部民主化さえあれば、独り善がりで良いのか、外部チェック・・選挙による支持率上下による外部評価を受け付けなくても良いかも大問題です。
レストランでも衣料品でも皆同じですが、従業員株主全員の民主的同意さえあれば、消費者の好まない商品を提供した場合・・誰も買わないので結果が出ます企業内全員一致で新商品を開発して売り出しても、社会に受入れられなければ失敗であることは同じです。

政党と弁護士会・学者の違い2

日本国民の人権・平和を守るための国防がどうあるべきかが議論になっているときに、現行憲法が唯一正しいと言うべきか、もうちょっと変えた方が良いかの議論はまさに政治論であることは論を俟ちません。
その他の憲法条項改正の可否も同様です。
死刑廃止運動も似たような弁護士であれば当然と言う論法で、日弁連は会員の意思を個別具体的に聞く必要を認めません。
以下はhttps://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1992/1992_21.htmlからの引用です。
「国家秘密法に反対する日弁連の昭和62年総会決議の無効確認と日弁連運動の差止等を求める一部会員からの提訴につき、本日、東京高等裁判所第5民事部(川上正俊裁判長)は、日弁連側全面勝訴の判決を言渡しました。
この判決は、本件日弁連決議と日弁連運動が構成員である会員個人の権利を侵害するものではないという理由で、原告である一部会員たちの請求を全部棄却した本年1月30日付の一審判決を基本的に維持しています。
今回の判決は、その上で、次の点を積極的に認定・判断しました。
1 弁護士会の活動は、「目的を逸脱した行為に出ることはできないものであり、公法人であることをも考えると、特に特定の政治的な主義、主張や目的に出たり、中立性、公正を損なうような活動をすることは許されない」
2 しかし、「弁護士に課せられた」弁護士法1条の「使命が重大で、弁護士個人の活動のみによって実現するには自ずから限界があり、特に法律制度の改善のごときは個々の弁護士の力に期待することは困難である…ことを考え合わせると、被控訴人が、弁護士の右使命を達成するために、基本的人権の擁護、社会正義の実現の見地から、法律制度の改善(創設、改廃等)について、会としての意見を明らかにし、それに沿った活動をすることも」、目的の「範囲内のものと解するのが相当である。」
3 本件総会決議は、「本件法律案が構成要件の明確性を欠き、国民の言論、表現の自由を侵害し、知る権利をはじめとする国民の基本的人権を侵害するものであるなど、専ら法理論上の見地から理由を明示して、法案を国会に提出することに反対する旨の意見を表明したものであることは決議の内容に照し明らかであり、これが特定の政治上の主義、主張や目的のためになされたとか、それが団体としての中立性などを損なうものであると認めるに足りる証拠は見当たらない。」
日弁連としては、今回の判決が、十分な会内合意に基づく日弁連活動の実状とそれに関する日弁連側の主張を全面的に認めて、正しい事実を認定し、これに正当な法的評価を加えたことを高く評価するものです。
日弁連としては、今後とも、「基本的人権の擁護、社会正義実現」のために、ひろく国民の皆さまとともに、いっそう、弁護士会活動を発展させていく決意です。 1992年(平成4年)12月21日  日本弁護士連合会 会長 阿部三郎
上記のとおり弁護士会の目的の範囲内と言うのですが・・・。
テーマを政治活動経費に使った分の会費徴収が違法と言う争いにしているからそう言う結論になったのかも知れませんが、強制加入による脱退の自由がない点を無視または軽視した判断と思われます。
この判決書き事態の検索が出来ない・・探せないので、日弁連の要約しか分りませんが、どこかで読んだ記憶では、弁護士自治の重要性に鑑みよほどの逸脱がない限り裁判所は介入しないと言う趣旨を書いてあった記憶・・根拠を探せません。
この高裁判決以降弁護士会の政治運動は一種の治外法権みたいな結果になっていますが、この判例は以下の通り(いつも書くように個人的思いつきですが・・)おかしいと思います。
弁護士の政治運動は国民の一人として自由ですが、ここでは、弁護士会としての政治運動の許容範囲を書いています。
弁護士は強制加入団体のために、弁護士会で特定政治会派のための政治運動すると反対会派を支持する弁護士個人の思想信条に抵触する・・イヤなら脱退すれれば良いと言うわけに行かない・・強制加入団体の特質をどう考えているかの疑問です。
左翼系がよく持ち出す例では学校で国歌斉唱するのは、「歌いたくない児童に対する思想信条の侵害」だと言う意見ですが、左翼系が多数を占める弁護士会では逆に少数派派の信条など全く無視で良いのかと言う議論です。
今朝ユーチューブで聞いた長島議員の民進党脱退の記者会見を聞いていると似たような意見を述べていました・・曰く民進党は政府攻撃には人権人権と言うが自分の敵対者に対する(表現の自由と言ったかどうか忘れましたが、)人権など全く気にしない体質だという趣旨のクダリです。
個々人の政治信条に関係なく弁護士会が特定政治意見を発表したり政治運動するのは、会内少数者の意見無視・思想信条侵害で行き過ぎではないかと言う争いにこの判例がきちんと答えているのでしょうか?
実務を通じて知った問題点・法の不備を訴えるのは実務家集団として必要な職責です・・消費者問題ではこの種の弁護士会の前向き提言が多く、実務上も多く採用されていることからも・・前向き提言する職務性は十分理解出来ます。
その場合でも弁護士会は問題提起どまりであるべきであり、その解決策についてA案B案C案等が入り乱れ政党間の対立法案になったばあい、新法案や規制強化の方法については国民の信託を受けた政治の分野で決めていくべきであって、組織として特定案の立場で反対・推進運動までする必要がないし、許されないのでないかと考えられます。
日弁連要約によれば高裁は「法律制度の改善は・・」と書いていますが、上記のとおりの前向き提言の役割はまだ妥当するとしても新法制定反対や既存法改正反対運動・・要は反対運動が「改善運動になる」というのは、飛躍がある・似ているようでいて少しズレていませんか?
実務家として現状の不備に気が付くことが多いのは分りますが、現状の法令が唯一無比で改善の余地がない・・あるいは改善策には多種多様なモノがありますがどの改善策が一番良い・・その他は反対と何故分るのでしょうか?
どのように改善すべきかは、(専門的見地から審議会委員になり、あるいは、参考人として専門的見地から意見を述べるのは自由)これら専門家の意見を前提にして最後は政治で決めるべきことです。
憲法擁護義務があるから改正反対運動は当然の行動だと言う意見がありますが、なぜ=で繋がるのか分らない人が多いと思いますが・・その主運動家から言えば分らないのはアタマが悪いから・・と言うのでしょうが?
その論理で言えば、「公務員は法律を守るべきである→業界等の情報から既存法令が不都合になった部分があっても改正に反対するべきである」から改正しようとして法案準備するのは法令遵守義務違反であるとでも言うのでしょうか?
何か新しいことを始めようとすると大方の場合、既存法令に抵触することが多いので新法令が必要ですが、既存法令遵守義務があることから、「新法令制定に反対することは全て正しいし、政治運動でも何でもない」となり、国会議員も憲法遵守義務があるから、改正論に先ずは反対すべきとなるのでしょうか?
「何でも反対しろとは言っていない」とすれば、その取捨選択行為をどう言う基準で行なうのか?この選択こそがまさに政治活動ではないでしょうか?
憲法遵守義務から憲法改正反対に結びつく・ならば、既存法令の改廃には、国民は法を守る義務があるから先ず反対すべきである・・社会変化拒否思想ですが・・まさに旧社会党が新しいことには「何でも反対して来た」思想的根源がよく分ります。
以上のとおり、法律家である以上憲法を守る義務がある=憲法改正に反対するのは、自動的に出て来る?活動であり、許された政治運動だと言う説明は詭弁そのものではないでしょうか?

政党と弁護士会・学者の違い1

成田空港・高速道路反対運動で飛行機や高速道路を利用しないのに庶民は被害だけ受けるとか、公害反対運動では金持ちは遠くの安全な住宅街で安穏と暮らしているとか・・・・弁護士になったばかりの頃に頻りに参加勧誘を受けて来たことを何回も書いてきました。
ところが、彼らの説明とは違い、モータリゼーションの進化、一般人の飛行機利用が活発化する時代を見越した政府の方が(空港開設や高速道などは数十年前から候補地選定〜用地買収など準備しないと間に合いません)先見の明があったことが分ります。
西洋19世紀型二項対立社会を前提に意識の低い庶民を指導する「前衛」と自称していた人たちの方が、保守党よりも数世紀後れの「後衛」だったことが次々と分って来ました。
西欧近代の革命理念は言うまでもなくアンシャン・レジーム・絶対王政否定の抵抗・・社会を近代化しようとする入り口のスローガンであって、近代社会そのものですらありません。
革命だけ起こせば、社会底辺までの近代意識が完成するものではなく、牢固たる慣習や意識払拭の戦いのためのスローガンが必要です。
リンカーンの奴隷解放宣言だけで直ぐに黒人奴隷が解放されみんな自由平等になったのではないアメリカの現実を見ても分るでしょう。
何十回も書いていますが、日本は国民との血族意識が強固で圧迫隷従の関係がない・社会の基礎が違うのですから、西欧革命前のアンシャン・レジームの存在を前提にこれをぶちこわす意識の高い前衛?であると自分で名乗っても、日本にはそう言う過酷な制度が元々ないのですから・・何を言ってるの!となってしまうわけです。
敗戦後占領軍政の先棒を担ぐ人・・ありもしない架空の搾取構造が日本にもあったかのように捏造する歴史家やカムイ伝のように史実に基づかない酷い搾取支配があったかのような捏造系文化人?が多く出て、この延長で慰安婦捏造物語が出来たと思われます。
ノンフィクション?を書いた吉田氏は文芸作品である以上創作して何が悪いか?と言うような意見だったと言われていますが、・・4〜5年前にアメリカで格差が問題になると直ぐに日本でも格差反対運動が起きるなど・・日本と欧米では元々国情・歴史が違うのを無視して欧米で起きた先端的騒ぎを持ち込む人がいますが、日本人には空疎な響きしかありません・・。
革新系政治運動家と言い、人権活動家・文化人と称する人たちは「後衛」と言うよりは、結果的に何でも反対し社会対立煽りたい人のグル−プじゃないかの評価が定着して来ました。
近代法の原理とはい言うものの上記のとおり破壊すべきアンシャン・レジームの残滓があって、その除去・戦いのための戦闘モード制度設計・・発展途上向けであり、信頼関係の確立した安定社会向けではありません。
命がけの抵抗・大革命の結果、人民のための政府を目的に樹立されたとは言っても、気を抜けば直ぐに先祖帰りする・・政府は信用出来ないから三権分立で相互監視すべきとか政府は信用出来ないから人権保護のための令状主義・・そう言う不信を基礎にしたシステムです。
いわゆる西欧近代法の法理とは、命がけで反抗しなければならなかったほど王権(西欧の多くは異民族支配で支配者と庶民は体格からシテ違います)に苦しめられて来た民族が命がけで抵抗して勝ち取った特殊な歴史を前提にした発展途上の制度です。
命がけで勝ちとった以上は「近代法の法理を守れ」とか「憲法を守れ」と言うのは、せっかく抵抗に成功して王の支配権を奪ったもののなお基盤が危うく(フランス革命は帝政〜王制〜共和制などの揺り戻しの繰り返しでした)・猜疑心ばかりで構築されているのは歴史の当然です。
日本のように古代から温和に上下共に相互信頼関係でやって来た社会で猜疑心を煽り分裂させようとするのは無理があります。
ただ、怠惰な人にとっては西欧の歴史が素晴らしく「相互猜疑心のある社会ほど良いものはない」と学校教育で受けたお題目を唱えていると自分で考える必要がなくて楽だし、素朴に人を信じる人には「お前こんなことも知らないのか!と偉そうに言えるし・・と言うことで何でも新しいことに反対しているのかも知れません。
日本の前衛・進歩的文化人?活動家は、数世紀前に漸く「民を大事にしろ」と革命を起こしたに過ぎない程度の社会を有り難がっているのですが、にっぽんでは古代からそんな過酷支配がなかったのですが、現実を見る目がないのでその違いが分らないのでしょう。
そこで、欧米の革命運動家を気取って自分クニでも政府のすることに何でも反対することが進んだ行動だと誤解しているようですが、猜疑心で凝り固まり抵抗ほど素晴らしいならば、中国〜北朝鮮〜ロシア程度の社会に行って、庶民のために政府権力と戦ってこそ本当の人権活動家と言えるでしょう。
ところで政党の場合、国民に選択権があるので、日本より数千年レベル遅れた社会モデル・搾取構造を基本にして反対ばかりしていても、どこのクニのな話をしているの?となって支持が減る一方です。
ところが大学や弁護士会は、学問の自由や自治が保障されて来た結果、世間から遊離した馬鹿な主張を繰り返していてもどこからも是正されません。
政党支持率の変遷・・学校秀才や学者の言うとおりの主張する政党の支持率低下を見れば、学校教育が数世紀後れの社会を基準にしていて社会実態に合っていないので、普通の判断力のある子供→20〜50年経過した有権者に受入れられていないことが分ります。 
世の中にはメデイアを通じて洗脳される人もいる・・誤解がはびこっているので念のために書きますと、法律家は現憲法を守って行動すべきですが、憲法規定が社会にとって有害・・不都合な事態が起きれば、これを改正する必要があれば提言することが職務違反ではありません。
憲法擁護義務があるから改正反対の運動は、政治活動にあたらないから弁護士会は会員の思想信条に関わらず会費拠出など(強制)出来ると言う詭弁が流布しています。
こう言う詭弁がまかり通っていることを見ると、この程度の詭弁に簡単に騙される人が多いと言うことでしょうか?
あるいは詭弁に気が付いているが、弁護士自治があって外部から文句が言われないから無理を承知で言い張っていると言うことでしょうか?
北朝鮮や中韓が何かあると何でも「日本の責任だ」と強弁するのに辟易している人が多いともいますが、正義・マトモな会話の通じない集団と世間から思れているのでしょうか?
弁護士は法運用の先端にいる以上いろんな不都合に早く気が付くものですから、いろんな法令に不都合があれば率先して改正提言することこそ職務上要請されていますし、公務員も法令遵守義務があっても実務をしているので取引内容の変化に合わせて新たな規制などを研究するのが普通です。
憲法や法令遵守義務と現行法令改廃に反対する義務は=ではありません。
日弁連や単位界が会員から集めた資金を憲法改正反対運動に使って良いかが議論になると、弁護士であれば憲法を守る義務がある→憲法改正反対運動は政治活動でない・憲法遵守義務から憲法改正反対義務が要請されているかのような珍妙な議論がまかり通っています。
あるいは平和憲法を守るのは人権擁護を職責とする弁護士の義務だと言う人もいます。
義務行為であるから政治運動ではないかのような主張です。

非武装平和論の利益帰属主体は?1

社会党が方針転換するには党内に異論があったでしょうが、この時点で社会党内ですら自主防衛権否定論は少数説になっていたことになり、社会党内でさえ異端の少数説が憲法学者の世界では多数説として生き残っていることが分ります。
このように憲法学者は社会党でさえ支持しない国内で浮き上がった主張を維持する存在になっていたにも拘らず、集団自衛権に憲法学者の多数が反対していることを以て、「国民多数の反対を無視して強行した」とすり替えてマスコミが宣伝しているのですから不思議な論理です。
元々彼ら憲法学者の多くは、(憲法を字義どおり・・制定者の真意をそのまま守るために?・・解釈合憲の便法を認めず)社会党が認めた自主防衛権さえ反対しているのですから、集団自衛権にも反対するに決まっていますので、彼らが反対声明を出しても本来何ら新しいことではありません。
こう言う勢力が国内でマスコミの応援を受けて実態以上に声が大きかったことが、日本に対しては何をしても構わないと言う周辺国の侮りを受け、竹島に対して毅然とした態度を取らないことが尖閣諸島に対する領土要求を誘発し、反撃の心配がないことから気楽な反日批判を誘発して来たのです。
中ソをバックにして日米安保条約を根底から否定して来た反米左翼・文化人が、アメリカの非人道的占領政治を一切糾弾しないばかりか、アメリカ軍による制定憲法に対する護憲勢力化しているのは一見矛盾です。
彼らはアメリカ支配を拒否しているだけであって、中ソによる日本支配を期待していたとすれば、日本が異民族支配に不満を持たず無防備無抵抗主義・・弱体なままのが方が便利です。
このためにインド独立に関しては、ガンジーの無抵抗運動の結果独立出来たかのようなマスコミ宣伝や教育されて来ましたが、実態は違います。
独立の戦いが続いていてその終盤に無抵抗の運動も参加したに過ぎません・・欧米系マスコミは独立運動に負けたと言いたくないのでガンジーを大げさに報道しているだけでインドではそんな意識はありません。
黙っているだけでどん欲な欧米諸国が植民地を手放す訳がないことは、(ベトナム戦争で有名ですが・・ビルマ、インドネシア、アルジェリアその他全て独立戦争または内乱的動乱状態を経て独立出来たのが)歴史事実です。
ソ連が東欧諸国を人道的配慮だけで独立させたとでも言うのでしょうか?
ハンガリー動乱やチェコやポーランドの事件など戦車で蹂躙して来たことを歴史から抹殺してしまい、なかったことにするのでしょうか?
話を戻しますと、「無抵抗主義・弱い者は何をされても仕方がない」と言う教育が戦後70年もやられて来たので、世代が入れ替わって民族の誇りを失ってしまった筈と周辺国は安心したのでしょうか?
まだ無理があると思っても、彼らに協力的な民主党政権時の内にやるしかないと言う判断もあったでしょう。
骨抜き教育の必要性は、ソ連が崩壊してロシアになり主役が中国に変わっても、根本方針は変わりません。
民主党政権には社会党政治家であったときの反米・非武装論者が、民主党員に衣替えして多く流れ込んでいることから、イキナリ対米冷却化路線に進んだことから、周辺国が(日本内部の呼応勢力?の有力化に)俄然勢いついたのです。
ロシアが北方海域での軍事活動を活発化させると同時に列島を周回する軍用機の威嚇行為が繰り返されるようになり、韓国では大統領自ら竹島上陸・・天皇に対する国家元首の発言としてはあるまじき暴言を吐いた上で、ひいては壱岐対馬侵攻作戦すら取りざたされるようになりましたし、これに呼応して中国は、尖閣諸島への侵犯行為を激化させて行きました。
領海侵犯して来た不法中国人を検挙した海保の果敢な行為に対して民主党政権は、侵犯行為のビデオを公開しないで、根拠なく釈放を命じてしまいました。
さすがにノーテンキな日本国民も日本列島を取り巻く三方からの一斉侵略・威嚇行為が露骨になったことで、日本世論が騒然として来ました。
旧社会党の非武装平和論・・何をされても抵抗しない?政策を踏襲するかのような民主党政権・・何をされても検挙すらしないと言う基本的政策にノーを突きつけた国民意識が、当時自民党総裁選挙でマスコミから、泡沫候補扱いされていた安倍政権誕生の原動力になったと言うべきでしょう。
日本国民は無抵抗主義を放棄して断固違法行為に対抗する意思表示をしたことになります。
日本民族は西欧の民族主義が始まるずっと前の古代から・・白村江の海戦敗北以降日本列島を上げての列島防衛意識の高まり・・戦う前提として国家体制の再構築(大化の改新)に邁進し、防人制度・・東国人中心に編成されていた・その地域まで協力していて破綻しないで、機能していたこと・中世での蒙古襲来時の団結力・秀吉の切支丹禁令もカソリックの侵略体質に危険を感じたことが原因があった・・・幕末ペリー来航時の庶民に至るまでの国防意識の高まり・などなど、民族防衛意識は世界一高い民族性です。
平和なときが続けば、幕府ご家人が朝湯を楽しんだりして骨抜き状態に見えましたが、幕末に「太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船のシャレ)たった四はいで夜も寝られず」(上喜撰・・当時の高級茶の名称・・カフェインの作用で眠れないのに引っ掛けた傑作です)と歌われたことから知られるように、イザとなれば、すぐに民族防衛DNAが覚醒し復活する体質です。
戦後70年にわたって占領軍によって強制されて来た民族の骨抜き政策・教育効果が、表面のメッキ程度に留まっていた・・日本民族のDNAは損なわれていなかったのです。

マスコミと学者の役割3(報道タイミング)

報道のタイミングに関して言えば、5月24日朝刊21pには、ページの広告部分を除いて半分以上を使ってAIIBに関して、「加速する中国の新興国援助」と大きな見出しで書いたうえで、サブタイトルには「日本はインフラ卒業を」と言う大見出しです。
内容を読むと

中国の後進国への援助は問題がない訳ではないと一応書きながら、中国による新興国援助の加速を紹介した上で、「日本の支援が、アジア各地で産業発展に大きく寄与したこと」を(仕方なしに)評価するものの、「財政再建が課題の今日限られた予算の有効活用の必要からビッグドナーからスマートドナーへの転換が求められる」と言う黒崎外の論文要旨を引用した上で、インフラ投資の重要性は揺るがないが全てではないと書いて(インフラにこだわる必要がないと暗示した上で)、インフラ投資は中国に任せて、人材育成技術供与、裾野産業育成などの分野で日本の経験活かすことは日本独自の貢献となりうる。
AIIBとの補完や連携を視野に入れつつ「日本はインフラ投資をあえて卒業」・・すべきだ

と言う論旨です。
今後日本産業のあり方は、消費材製造から手を引いて鉄道輸出等のインフラ分野やいわゆるBtoBで生き残って行く・・産業発展を図るしかない時代が来ていることは、大方のコンセンサスと思われます。
これに関する何の意見も書かないで、単純に今後はインフラ投資は中国に委ねて日本はインフラ投資から卒業して行くべきだと言うのですが、日本の産業構造がどうなるべきかの展望を一切書いていません。
財政赤字とさえ言えば、錦の御旗のような意見も聞き飽きていますが、赤字だからこそインフラ輸出で稼ぐしかない筈ですが、海外インフラ投資・輸出をやめることと赤字解消にどう言う関係があるのかも分りません・・(防災訓練要員年間何人受け入れて研修してやるなどの)人材育成の協力や技術移転ばかりでどうやって食べて行くのかの)展望を書いていませんが、兎も角中国主導のAIIBに協力すべきと言う結論が先にある印象のバラマキです。
5月30日のコラムで書きますが、中韓両国が反日連携行動・竹島上陸や反日暴動直前には、日本に更なる技術移転を求めるのではなく「技術移転すべき」だと高圧的姿勢に要求していましたが、日本が応じないので慰安婦騒動や反日暴動で強迫してみた結果、日本に逃げられて裏目に出たので、これの焼き直し・代弁をも含んだ行為でしょうか?
好意で虎の子の技術移転をしてやるにしても、人材育成や草の根の教育制度協力(年間◯人と言う研修生受入れ)等の無償協力は、財政余力があってこそ成り立つものであって、基幹産業をやめてしまって、どうやってその原資を作るかの展望がありません。
23日夕刊報道のアジア島嶼国支援は防災協力資金ですし、これまでも日本は防災訓練や医療協力その他いろんな分野で無償訓練を引き受けてきました。
カンボジア法制度の構築や教育制度協力などもいろいろやって来ています。
ボランテイアがアフリカ等で活躍出来ているのは、豊かな日本があってこそ、(時々戻って来ては資金を募るなどのバックアップがあって)成り立っていることを無視してはなりません。
上記24日朝刊のインフラ卒業論の報道をタイミング的に見れば、直前の23日朝刊には「アジアの未来」の国際会議で安倍総理が13兆円のアジアインフラへの拠出表明が出て、あっと驚いたかと思うと、同日夕刊では福島で開催中の自然災害会議で550億円のアジア島嶼国への拠出発表が相次いだので、AIIBの存在意義が霞んだ印象が強まりました。
直後にその翌朝・・しかも日曜朝刊にぶっつけた論文?です。
AJJBが世界からかき集める予定の資本金が1000億ドル=約12兆円に過ぎないのですから、日本一国の投資資金13兆円拠出表明のインパクトの大きさが分ります。
同じ資金規模なら中国のように露骨な支配意志を示さない日本の資金・格段に緻密で環境に優しい日本による技術援助協力の方が有り難いのが普通の国です。
この報道が相次いでAIIBの存在意義がカスンでしまった直後に、いきなり内容もないまま・兎も角今後インフラ投資は中国に任せて日本はもうやめよう・・AIIBには(黙って)協力した方が良いと言う印象を強調した大見出しだったことになります。
ちょっと見ると、週刊誌的で、見出しだけどぎつくて殆ど内容のない報道です。
(学者名なのにマトモな論理構成するヒマもなく)あわててこんなムードだけ強調の記事を論文形式(論文らしい緻密な分析もなく)で大きな紙面で出す意図は何でしょうか?
如何に慌てて書かせたか・・舞台裏が透けて見えるようなやっつけ論文ですが、こんな注文に応じて内容のない論文を一晩で書かされる教授様も大変です・・マスコミの注文どおりにいろんな意見を繋ぎあわせて意見を書く人に学問の自由が必要でしょうか。
25日日経朝刊4pには、今度は中国人エコノミスト謝国忠氏による今後中国は5%成長をするので、「22年にも米国を追い越すに決まっている・・日本はAIIBに協力しておいた方が良いと言う論説・・これも根拠がないので論文と言うより願望にしか見えませんが・・)が出ました。
業種別データが何年も前から、大幅マイナスになっていることを2015/05/15「中国のバブル崩壊18(中国関連報道の変化)」前後で連載して来きましたし、23日にも中国の過剰生産の鉄鋼製品がアメリカに流れてアメリカが困っていることを紹介しました。
がこれらを前提にすれば、政府発表とは違って、本当の成長率がマイナスになっていると見るのが普通でしょうが、これには全く触れずに、今後も5%成長する根拠は「中国人は商売が上手だから・・」と言うだけです。
最初のころは、AIIBに乗り遅れたのは政権の大失策と強調していましたが、AIIBのいかさまぶりがネットで批判されると正面からの議論をやめて、(AIIB参加が正しいならば正しい論拠を正面から書けば良いのに)今度は正面からの政権批判や参加の有意義性の主張をやめて、上記のようなじんわりとしたムード造りに転換したように見えます。
この中国の大躍進・中国がアメリカを追い越すと言う賞讃記事の隣には、日本の財政赤字は大変だと言う「日本駄目論」の記事が並んでいます。
上記のように切れ目のないマスコミの中韓傾斜ぶり・・国民への日本は如何に駄目な国かの刷り込み・イメージ刷り込み記事の連続には驚くばかりですが、これを紹介していると切れ目なく続いていて終わりがないので、この辺で終わりますが、マスコミは、AIIBに日本を参加させたい・・中国のなりふり構わない裏からの?要請に必死になって応じている様子です。
朝鮮総連のように立場のはっきりしている場合は分りますが、中立であるべきマスコミが、中韓の要請に何故必死に呼応するのか不思議です。

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