人材と身分保障4(僻地・末端の重要性1)

裁判官の身分保障からセブンイレブン騒動に深入りしてしまいました。
任期満了しても容易に再任拒否出来ない日本の慣行を書いているうちに取締役会の権限のあり方論に逸れてしまいましたので、元々のテーマである裁判官の身分保障に戻ります。
再任拒否さえ難しい社会・・解雇も降格もしないで、地方末端の事業所や営業所長あるいは子会社に転籍させておけば大過ないだろうと言う扱いが日本社会では普通になっていましたが、こうした従来型価値観・運用に最近無理が出て来ました・・。
昨年だったか群馬の食品工場での異物混入が大事件になったように、今ではどんな末端でも変な人が一人でもいたら困る社会になっています。
ベネッセの情報大量漏洩事件も、たった一人の不心得者の仕業でした。
裁判所もカタ田舎での事件は全国的意味のない旧来型の遅れた事件しかないと言う意識でやってきました。
何%か分りませんが、外れの裁判官が、(多くは小規模裁判所に配属です)どこかで無茶な判決を出すとどうなるかが重要になってきました。
こうなって来ると能力的に問題があって、解雇しないで地方へ飛ばしておけば良いと言う運用では収まらなくなってきます。
話が飛びますが、身障者雇用の義務づけが盛んですが、昔は知恵遅れの人が下働きしていても客の方が大目に見てくれていたのですが、顧客に余裕がなくなったのか、(子供の声がうるさいと言う保育所設置反対運もその一つですが・・)要求水準が高まる一方ですからどこでも困っています。
農作業や植木屋の下働き程度の場合、親方が選定している下で大きな枝などをそろえたりするあらかたの掃除程度でをしていれば、最後のきちっとした掃除はプロが仕上げれば良いので片付けが下手でもまじめに働いている限り「よく働いているね」と褒められたものですが、半導体やクルマその他の部品になってくると、障碍者が作ったので少しくらい不出来があっても許容して下さいと言うのでは危険です。
プール監視員でも知恵遅れが見張っているのだから、少しくらい溺れている人を見落としても仕方ないとは言えません。
サービス業では、お皿がキレイに洗えてなくとも、口の聞き方が悪くても客に我慢しろとは言えません。
しょうがないなと思って「頑張りなよ!と笑顔で言っても、次には行きたくなくなるでしょう。
そこで一定率雇用義務違反で懲罰金?を納めても雇用しない方が安上がりと言う運用が増えます。
マイナンバー法の利用開始で一気に小規模市町村の運用能力に注目が集まっていますが、田舎だから能力が低くても良いとは言えない時代が来ています。
基礎的底上げのために平成の市町村合併が必要になっていたと思われます。
14日から熊本の連続地震には、被害者の方々には「気の毒・・」としか言いようがないですが、使えない公的施設の多さをみると普段から地震対策が甘かったのではないかと言う印象を拭えません。
空を飛ぶ飛行機は地震に関係なさそうですが、ターミナルビルの破損のせいですぐに使えなくなったのも素人的には意外でした。
道路や鉄道と違って途中の経路まで管理しなくていいのですから、空港設備くらいはきっちり管理しておいて欲しいと思いますが・・。
今の社会では、倒壊しなければ良いのではなく、「地震があっても利用継続出来る」かどうかが重要ですので、天井や照明器具などの備品設備をもっと耐震用に出来なかったのか不思議です。
※仕事から帰って中部大学教授武田邦彦先生の(虎ノ門ニュース)ユーチューブをみると政府・地震学のオーソリティーが、東海地震や東南海地震ばかり強調していて、熊本地域について0〜6%前後の確率発表していとこと、0%〜と言われた地域は安心してしまう教育効果があります。
こう言う報道を30年以上もして来た政府・学会の誘導責任がが大きな原因と分りました。
地元の防災意識が低過ぎるのではないかと言う印象の上記意見は訂正します。・・ここまで挿入です・・

上記によれば、地震がどこに起きるか今では全く分らないのが真実らしいですから、東海地方以外のどこの地域でも、いつ起きても良いような準備競争社会にすべきです。
「・・ここは地震がないから大丈夫」と言っているような市町村は企業進出競争に負けるようにすべきです。
病院や老人ホームも倒壊しないだけではなく設備そのものがそのまま使えるように固定しておくとか、電気や水が止まっても何日自給自足(医療継続)出来るかの基準で市場競争すべきです。
病院や老人ホームも倒壊しないだけではなく設備そのものがそのまま使えるように固定しておくとか、電気や水が止まっても何日間自給自足(医療継続)出来るかの基準で市場競争すべきです。
東北大震災もそうでしたがサプライチェーンが全国に散らばっているので、地方の地震でも多くの企業の操業が停止する時代です。
地震そのものは防げないとしても企業にとっては直截被害のなかった工場では、審dの6〜7などのランクの応じて何日間補給がなくとも生産出来るか,被災地の工場では何日で復旧出来るかが重要ですから、基盤インフラ管理の市町村もその後の初動体制等の対策をきちんとしていないと工場立地・誘致競争に負ける時代が来るでしょう。
電気ガス水道・県道や市道など項目別に震度6〜7でA市は数日で復旧出来るがB市は10日かかると指標化するようになれば,住民も個人的に何をどこまで準備すれば良いかなど準備目標になるし企業誘致競争の指標になるでしょう。

人材登用3(後継選定と取り消し1)

中国では、・・玄宗皇帝は安史の乱で避難している間に子供が即位して(天に何とかなしと言いますから、責任をとって退位させられたのでしょう・・)乱を平定したので、引退になってしまいました。
普通は日本のように自発的隠退がなく死亡後に後継が即位するので日本の上皇制度みたいなものがありませんが、その代わり子供が小さいときに皇帝が死亡して豪腕の皇后がいるときには皇太后の垂簾政治(我が国の場合、光明皇后の紫微中台のようなもの)が始まります。
これをやってみて思うように行かないと任期途中のクビ・・いわゆる「廃帝」「小帝」となるのですが、皇帝には任期がないので、正に現役の皇帝をどう言う法的根拠か知れませんが母親が息子・あるいは甥などの皇帝位を奪ってしまうやり方ですから・・一種のクーデターかな?
中宗を廃位しその弟の李旦(睿宗)にして更に自分が即位した則天武后あるいは、清朝末期の垂簾政治の西太后によって光緒帝が逮捕幽閉された戊戌の政変など悪妻の代表のように悪く言われますが、要は想定外に後継者が駄目だった・・眼鏡違いの場合に起きることです。
則天武后の場合自分が権力を奪取する手段だったかも知れませんが・・。
ちなみに中国で政権を揺るがす大事件はいつも皇太后の専横事件(前漢の高祖死亡後には呂氏の専横がありスンでのところで政権が呂氏に移るところまで行きました)ですが、日本では光明皇后の紫微中台の1件のみで終わってこの経験を活かして?上皇制度が出来ましたが、中国でこれが繰り返されるのは、皇帝が実力のあるうちに隠居して上皇になり後見をする院政制・社会すべての分野で「隠居」制度が発達しなかったことによるものです。
現共産政権で初めて任期制が出来ましたが、蒋介石も終身総統だったように記憶していますし、北朝鮮では今でも死亡まで権力者のママ・・隠居や任期制がありません。
中国では、上記のとおり偶然豪腕のママンが出たときに出来の悪い皇帝(前回までに書いたよう世襲の場合、親子の年齢差を如何ともし難い・・普通は経験豊富な側近の言うままになるかないことになります)を超法規的に?小帝とか廃帝とか言う途中失脚させて行き周辺の宦官を一掃するしかない・・皇太后が豪腕でないときには宦官等側近の操り人形になって行くしかない宿命です。
ところで後継については候補者と言う資格では実際の能力を見られないので、自分の元気なうちに試運転させて様子を見たいのが普通で合理的です。
サウジアラビアでは皇太子が実務を仕切っているような報道ですからサウジだけはなく元々イスラム諸国ではそうだったのかも知れません。
日本では源氏が子供をあちこちに派遣してそれぞれの地で勢力を扶植し実力を蓄えるやり方であったことを、09/18/04(2004年です)「源平争乱の意義4(平家の武士としての役割1・・・貴種であるだけ?)」前後で紹介したことがあります・・有名人では保元の乱で活躍した鎮西八郎為朝、平治の乱での悪源太義平などです。
(源氏各流が各地に独立して根をはったことが、(義仲の父が悪源太善平に打たれ、頼朝→義経、足利と新田など)源氏同士の争いが歴史上目立つ原因です。)
一旦次期社長として公表しあるいは現社長にするとある程度新社長・後継者に対する新たな取り巻き・支持者も増えていますので、一旦皇帝や社長にしてしまった場合・資格剥奪の難しさ・・秀吉による関白秀次の処刑も同じで体制弱体化のもとです。
ですから余程のことがないと途中で皇太子など公表した後継者を変更しない・・皇太子に冊立されると余程のことがない限り一応安泰になります。
セブンイレブンの騒動に戻りますと、交代決議反対論者も本音では現社長を社長の器として疑問を持っていても、混乱を防ぐために自発的退任を待つべきで強制的交代決議までするのはやめようと言う程度の反対者が何人かいたかも知れません。
そう言う人にとっては鈴木氏による一切の役職からの退陣表明は想定外だった可能性があります。
こうしてみると鈴木敏文氏としては全役員に対して自分をとるのか現社長をとるのかギリギリの選択を迫っていて負けたことになります。
話題を人材登用の難しさに戻しますと、ユニクロもそうでしたがいろんな企業で後継者と見込んでバトンタッチしたらうまく行かないで元社長が復帰する事例が一杯あります。
・・いずれも結果が出てからの更迭でしたが、今回のセブンイレブンの騒動は結果が出る前の解任騒動である点が異例でしたが・・将来に責任を持つ者としては先に手を打ちたいと言うことでしょうか?
同じ船に船頭が二人も要りませんので、意見があわずに子会社に飛ばされている人を除いて本社に残っている取締役は、一般的に気の利いたイエスマンが普通です。
・・大きな方向に反対しないで「その方向はすごく良いと思いますが、こう言うリスクがないか、念のため調査してみる必要があります」と言う程度の手堅い提案が得意です・・。
そつなく上司に合わせて出世して来た実績主義の人にとっては「失敗の実績が出ていないのに将来失敗すると言う見込みだけで解任するのはおかしい」と言う意見・・外部委員の意見が流布すると・・これがマスコミ界の主流でしょう・・こう言うタイプの人は大勢に従う結果になりがちです。
ただ今回は任期満了を待ったと言うのですから、そこがちょっとちがいます。
不正や大失敗がない限り任期満了→再任拒否出来ないのでは、前例のない分野にリスクをとって踏み出すべきトップの選任・解任方法としては逆に非合理・・と言う余地もあります。
これまでトヨタの奥田氏抜擢やフロントで奥田氏の弟を海外子会社から抜擢して本社社長にした例・・あるいは日航の再建での京セラ社長の抜擢、徳川将軍家での吉宗の抜擢などを見れば、総べて本体危機時の緊急登板です。
セブンイレブンの場合、最高益更新中の社長再任拒否らしいですから・・緊急性がない点が支持を集められなかったことになります。
鈴木氏とすれば経営者は4〜5年先どころか10年先を見なければならない・・今のうちに手を打つべきと言う危機感でしょうが、(昨日書いたように会長の影響力を保持したいために漸く慣れて来た現社長をコケにしているのではないかと言う疑念もあるし)実績主義に慣れた普通の人の理解を得るのは困難だったでしょう。

人材登用2(院政→会長)

多くの企業では「ひ弱な?新社長を後見する」ために会長制度を設けているのですが、世襲ではない大手企業の場合、イエスマンばかり引き立ててその筆頭を指名するから必要な制度になっている疑いがあります。
大手企業の会長制度は、自分がいつまでも影響力を保持したいと言う私心がある場合が多い・・このためにイエスマンを後継にする傾向がある点では、原則として悪しき制度です。
セブンイレブンの人事騒動では、鈴木会長が「この7年間の新機軸は皆自分の発案によるもので現社長の発案によるものは何もない」と主張しているようですが、それが真実としても自分がまだ陣頭指揮したいならば隠退しないで、社長をやっていればよかったことです。
世襲でない以上は親子のような年齢差はないので実力を見極めて選任したのでしょうから、隠退した以上は任せてみればよかったでしょう。
社長の器か否かを多数決で決めるべきでないにしても、鈴木会長の言い分にもおかしな点があるので世間一般に受入れられないような印象が残るのかも知れません。
そのうち、大手企業で社長が会長になること自体が、「品性が疑われる」社会常識になっていくでしょう。
大手企業の雇われ社長は本来終身ではない・辞めるべき任期があるのに、任期以降も影響力を残すためにイエスマンを後継指名するのは任期制の潜脱です。
プーチンがイエスマン・・メドベージェフ氏を1期だけ大統領にして任期制を潜脱したことがありますが、それに似たようなことを会長制は制度化したものです。
世襲を前提とする時代の院政や信長、家康の隠居の場合、折角確保した政権を盤石にしたい・・息子の地位を早く確立しておきたいと言う(世襲が公理のような時代・環境・・ 現在でも個人的零細企業では)合理的意図によります。
歴史家は院政を悪く言うのが普通ですが、世襲制の場合本来任期がなく終身ですが自分が元気なうちに次世代に少しでも経験を積ませておきたいから早めに隠退するのは、後継育成策として合理性があるのでイチガイに批判出来ません。
終身制の場合に子供に早めに地位を譲るオヤは、元々余裕を持って存続出来る権力を子供のために自発的に自分の権限を狭めて任期を短くするものです。
どちらかと言えば権力の盤石なときに今のうちに子供に譲っておくと言うスタンスですから、自分の権力を少しでも引き延ばそうとする現在の会長のいじましさとは逆です。
江戸時代の隠居制度・世襲制の利点を書いたことがありますが、息子が後を継ぐ前提で早めに隠居して息子に早くお城勤めの経験をさせてやりたい親心です。
合理主義の信長だって権力最盛期に家督を信忠に譲って経験させようとしていますし、秀吉が関白職を秀次に譲り、家康が秀忠に将軍職を譲ったのも関ヶ原で勝った後の最盛期です。
吉宗以降も徳川将軍家では、将軍を隠退した「大御所」制度が行われていました。
最近では何年か前に大王製紙の後継者の大失敗や昨年あたりの大塚家具の父娘の大騒動(武田信玄のように息子の方が成功する場合)があります。
千葉県の政治家の例で言えば、(国会乱闘で勇名を馳せた)浜コー(浜田幸一衆議院元予算委員長?)であれ皆自分の元気なうちに地盤を早めに継がせたいのが親心であり合理的です。
ちなみに浜コーの場合後継に成功しています。
成功している場合歴史に残るほど有名にならないだけです。
権力者が自分の元気で余力のあるうちに後継者育成に心がけるのは(院政を敷くことが目的になって来た保元平治の頃になると本末転倒・・保元の乱は崇徳上皇が院政を敷けない仕組みにされたことに恨みを持ったことが天皇家内の争いの原因でした・・こうして「院政=悪」と言う図式が出来上がっているのですが本来は子供が一人前になるまで面倒みる親心が悪いことではありません)必要なことであって、悪しき因習と言うモノではありません。
今は院政の代わりにどこでも、会長と言う役職がありますが天皇家同様に世襲を前提とする個人企業の場合一定の合理性があります。
私の3〜40年来の創業者・依頼者(・・中小企業)も高齢化して多くはまだ自分の威光の届くうちにと言うことで、60代後半ころから70台に掛けて息子を社長にして自分が会長になっているのが普通です。
社長をやらせてみるとオヤの目に叶わないことが多く、元社長から時々相談を受けることがありますが、息子は一人しかいないので他人に変える訳にも行かないと言う愚痴で終わるのが普通です。
折角創業して一応の企業に育て上げたのに会社が駄目になってしまうくらいなら他人(何十年来の信用出来る社員)に委ねたいと言う元社長も中にはいますが・・本心かどうか不明なので糟糠の妻の意見はどうかなどと聞いていますが・・。
息子をクビにする・・その後の息子夫婦の生活をどうするかなどの詰めをしていないと話がややこしくなるからです。
息子に任せていると仮に5〜10年先に倒産必至と言う場合にその前に転職させておいて普通の職人・・他所で食えるようにしてやる方が良いかと言う選択肢がありますが、そこまでの覚悟がない親が普通です。
本来子供を育てている途中でその子が経営者に向いているかどうかが20台になる前に分る筈ですから、早めに見切りを付けて後を継がせない・・能力相応の勤め人にしておくのがオヤの務めです。
社長にしておいて50台になってからやめさせるのでは、子供もその後の人生をどうしてよいか分らないで困るでしょう。
大塚家具もセブンイレブンもその意味で高齢者の方が負けて、隠退する方が落ち着きが良いことが確かです。

人材登用(社長の器2)

ところで、社長業はやらせてみないと分らないと言う世間常識は社長お気に入りの候補(多くはイエスマンです)を側近から選ぶことを前提にしているから「やらせてみないと実践能力が分らない」のであって、トヨタの奥田碩氏はフィリッピンかどこかの子会社に飛ばされていた人材と言うことでしたし、その弟で松坂屋と阪急の合併会社の「何とかフロント」の社長・・最近日経新聞「私の履歴書」が出ていましたが、本流から外れて海外などの子会社で実績を挙げて来た候補者を選定すれば試運転が要りません。
幕府で言えば紀伊徳川家から選んだ吉宗のような事例です。
その前も綱吉が館林城主、その次が甲府城主など経営の実績を元にいわゆる親政を布いています。
親から子への直系相続の場合、年齢差が大きく経験がないので海千山千の長老に囲まれると「良きに計らえ」となって結局人形になってしまいます。
藤原氏の地位が確固たるモノにになって行くのは藤原4兄弟〜北家南家等の競り合いがあって勢力伸長したモノですし、道長の場合も兄弟間の競り合いを最後に制した・・戦国時代の最後を飾った家康のようなものでその後直系世襲になると凋落して行きます。
徳川幕府も吉宗以降は直系相続にせずに傍系相続にしてどこかの藩政で成功している藩主を次期将軍につけるようなステムにしておけばよかった気がします。
その後の直系将軍は名ばかりで、マトモな政治が出来ない・・藩政経験のある松平定信などに実権が移って行ったのは仕方のないことです。
幕末最後の将軍(一橋)慶喜は直系ではない=成人していたし頭が切れたにしても、幕閣で家柄(御三卿の一橋家に養子に入りました)を背景に発言力があっただけ、小さな藩すらも経営したことがない・・実戦・・実務経験がなかったのが弱点でした。
ちなみに水戸徳川家で観念論が幅を利かしていたのは、参勤交代が許されず江戸に常駐する特殊な縛り(江戸定府義務→毎日登城しなければならない旗本同様の身分)があったから、国許での経営実務経験がないこと(平安時代の遥任の官のような立場)によるのかも知れません。
戦国大名のママの島津その他大名家では、家臣団も先祖伝来の自分の領地と直結したままですから、お城から帰れば農業をやる半農半士・・大身の場合自分の領地経営がありましたが、幕府旗本は房総半島の領地へ生涯に1〜2度行くか行かないか・・自分で領地経営したこともないのが普通で御家人同様の実質給料取り・・平家の公達みたいでした。
これが幕末・・国家緊急事態に足腰の弱った旗本が活躍出来なかった原因ですし、明治維新は下級武士・・生活に根ざしていた武士階級が担った原因でした。
慶喜の政治力に戻しますと、実践能力の裏付けがないところで発言力の後ろ盾である将軍職・権威喪失=大政奉還してみるとたちまち小御所会議で、してやられてあっという間に(大政奉還から小御所会議までの期間はホンのわずかでした)朝敵に追いやられてしまいました。
今回のセブンイレブンの再任拒否騒動を見ると、自分が元気なうちに後継者を天皇に早く着けて自分が上皇になって後見・睨みを利かせる・・自分が元気である以上次世代がまだ若く未熟・・結果的に上皇が権勢を振るった時代に戻ったような印象です。
ただし、セブンイレブンは元は内需型企業で国内で大成功してるだけであって、トヨタのような世界展開企業ではありませんでした。
・消費系は、元々内需型で満足していたので、海外展開を始めるようになって年数が浅く、元気印を海外子会社で武者修行させておくような余裕のある組織になっていないからかも知れません。
ただ、海外子会社から呼び戻すようなことは、危急存亡時限定であって、日常的業務としてはカリスマ経営者=船頭は2人要らないので普通の業績順調企業の場合、後継者としてイエスマンを指名するのが普通です。
そうである以上は、やらせてみると創造力に乏しいのは当然であって、鈴木氏の現社長への不満は、無い物ねだりの可能性あります。
まだ自分が現役のうちに隠退して影響力を行使するのは、世襲制の場合には概ね次期後継者が(親子の年齢差は大きい)若いので創業乱世を生き抜いて来たオヤの目から見て頼りない状態だからです。
オヤとしては自分が周囲に文句を言わせない力のあるうちに未熟な息子に実践経験させて試運転させてやりたいと言う親心から出ていることが多く・・それなりに合理性があります。
院政の先駆事例と思われる光明皇后の紫微中台(今で言う大宮御所ですが、後の院宣のような「紫微令」を発したことで光明子は前天皇ではないけれども事実上院政(院宣)の始まりではないか(今まで読んだ限りではそう言う意見が見つかりませんが・・)と私は思っています。
光明皇后が夫の聖武天皇の尻を叩いて事実上朝廷を牛耳っていたすごいやり手であったことは争いのないところですが、娘の孝謙天皇だったかがあまり頼りないから、目を光らせるために紫微中台を創設していたと見るべきでしょう。
少年事件で見ると、子供がしっかりしないからオヤが良い歳になった息子に一々小言を言う・・子供がうっとうしくなるのと似ています。
目を光らせていた光明皇后死亡後には、孝謙女帝は皇統を断絶させるかと言う日本史上空前絶後の大事件・・弓削の道鏡による天皇位簒奪未遂事件・・宇佐八幡の神託事件を起こしていますので、やはり元々しっかりしていなかったのでしょう。

人材と身分保障4(社長の器1)

千葉県は高度成長中だったので、流れに遅れないと言うスタンスでもお互いに何とかなっていましたが・・。
新興国ではみんなが北国の春みたいに、一斉に先進国モデル導入ですので早く始めた方が勝ち見たいところがありますが、先頭集団の日本の場合だれかの真似をして1ヶ月でも早く始めれば良いと言う社会ではありません。
誰もが賛同するような事業進出では他社よりせいぜい半年くらい早く出店・出荷する程度の違いしかなく、長期的には経営が左前になります。
人材登用の基準に戻りますと、政治決定には国民の協力が必要なために構成員の納得・・根回しが必要ですが、新規事業に乗り出すか否か・・その決断を誰に任せるかになると社員の協力がいると言う意味は薄れて、顧客の心・社会のニーズをイチ速くつかめるかの方が優先ですから、社内のみんなが認める反対のない手堅い事業が良い訳ではありません。
組織のトップには、町内会や各種業界団体など団体自体現状維持的組織の場合には構成員の気持ちを読む程度・・敵のいない円満な人がいいでしょうが、新規挑戦の必要な競争の激烈な個別企業にとっては社外・・世間のニーズをより早く・・設備投資の時間差を考えると数年先に読む力が重要になります。
社内の誰もが気が付かない先を見る目が常人より優れている人が必要であり、組織構成員の心を読むのが中心の人材・・社内コンセンサス重視で出世して来た人材・・社内の誰もが認めるようなことしか提案しない人が企業トップではジリ貧です。
鈴木氏の新規事業判断がいつもあたって来たから今度も重視すべきと言うのではなく・元々新規挑戦は外れる確率もありますが、それでも前に進む・やるしかないのが企業です。
・・海のモノとも山のモノとも分らないリスク決断(将来企業を引っ張って行くリーダーを決めるのは「やらしてみないと分からない」と言う意味では、新規事業決断と同じです。
内部構成員のコンセンサス重視で成功して来た有識者・・リスクを取れる人の採用判断の是非を失敗しないことを信条にうまく(イエスマン?)生き残って来た人間(元警視総監等)が集まって多数決で決める事自体が馬鹿げていませんか?
内実は新聞報道しか分らないのですが、鈴木氏の意見・「現社長は社長の器ではない」と言う意見が否定されたのは彼の社内でのカリスマ性否定・・あなたの言うことは聞いてられないと言う意思表示ですから、彼が退任するのは潔いし、正しいことでしょう。
結局は鈴木敏文氏退任の後で、(彼が君臨していることによって自己流を発揮出来なかった場合もありますので)現社長がどう言うリーダーシップを発揮出来るかにかかっているでしょう。
解任(再任拒否)理由に挙げている鈴木氏の見立て・今の社長は(イエスマン?で)創造性がなくて将来を任せられないと言うのは彼の意見であって真偽は分りません。
ところで、セブンイレブンでは社長候補ではなく社長にしてしまっていたので、解任ではなく任期満了まで待って再任をやめようと言う提案らしいですから、任期中の解任・・中国で行なわれて来た皇帝を廃帝にするのとは意味が違い、一応ルールを守っています。
この辺マスコミが頻りに「解任」と言う大見出しにしているのは、一定の方向へ世論誘導したい意図が感じられます。
ところで昨日の新聞によると15人の取締役中2人が棄権で7人が賛成6人が反対で過半数取れず否決されたと言うのですが、任期満了の場合放っておけば社長でなくなるので、逆に鈴木氏以外の誰かの提案した再任提案が過半数取れたかどうかだと思いますが、不思議な解説です。
任期満了だったと言う解説が間違いだったのかと思って7日の朝刊3pを読み直してみるとやはり任期満了と書いてあって、ただ、「交代案の提案」と書いてあります。
交代案否決=事実上任期満了のとき再任同意だから続投と言う流れなのでしょうか?
でも交代反対が15人中6人しかいないならば、任期満了時に再任決議は出来ないのではないかと思いますが・・。
元々交代案を出す必要がなかった・・任期満了時の再任案に反対すればよかったことになりますが、鈴木氏としては技巧を弄してまで持論を通したくないと言う潔さ・・15人中反対が6人もいるのでは、カリスマ経営者としてはやってられないと言うことでしょうか?
本来試運転であれば社長候補で様子見をすればよかったのですが、企業には皇太子のような制度がないので試運転をさせたいと言う意図で本来社長候補であったのを社長にして、自分が会長になっていた点がややこしくなっているようです。
本気で後を任せられるかを見るテスト期間のつもりだったと言うのが鈴木氏の思いでしょうか?
この辺の評価が、陋習にこだわっている古い体質が出て来たと言う評価になる・・外部識者と言う流行の器・・指名委員会と言うモノが合理的で素晴らしいかどうかの分かれ目のように思えます。

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