仮処分制度と領域設定3(主張立証責任1)

仮処分は、本案訴訟のように重厚な審理(証人尋問などの手続がありません・・)をせずに早く決める必要があるのは、給与の仮払い等金銭支払などでは理解可能ですし、迅速性の必要からすぐに効力が出るようにする意味があります。
喩えば、養育料や離婚紛争時の生活費を「仮に払え」としないと4〜5年裁判の決着がつくまで払わなくて良いとなると,裁判後で4〜5年分まとめて払ってもらっても子供の養育・成長について、取り返しのつかない結果になります。
このように金銭支払の仮処分は貰う方が弱い立場でしかも長期間・・数年も裁判の決着がつくのを待っていられない緊急性もあります。
原発のような国家的規模の設備運営について本裁判をせずに効力が出る・・「仮り」に・・と安直に決める緊急性があるかどうかの判断が重要ですが、これが裁判官の裁量でどちらでも出来る現行システムに問題がないかの議論が必要でしょう。
原発事故が起きると大被害が出るから「仮に」決める必要があるとも言えるし、また1000年に一回の大地震災害がいつ来るか分らないから一日も早く停止する必要があるとも言えるし、逆にいつか分らないのだから本裁判をする期間を待てないほど急ぐ必要がないとも言えます。
一般的考え方・・日本中の海岸付近のその他の居住区域が危険だからと言ってすぐに立ち退くようなことをしていませんし、学校や鉄道・橋梁などの耐震補強について、時間がかかっても順にやって行けば良い・・緊急性があるから補修を済まさない限り使っては行けないと言う運用ではなかったと思います。
緊急停止を命じる必要性の判断です。
一旦停止を命ずる「仮の」処分が出ると小さな裁判所では、事実上別の裁判長による判断が出るまでには数年〜5〜6年もかかる仕組みですから、原発関連企業や労働者はその間どこかへ移転したり再就職するしないし、地域経済はどうなるかなど利益衡量すべき事柄が山積しています。
普通の産業の場合,食堂でもホテルでも5年も営業停止していると・・しかも待っていれば必ず裁判が逆転出来て再稼働出来る保障もないし顧客・労働者・仕入れ先流失など産業基盤喪失で廃業の危機に見舞われます。
福島原発事故では、私に言わせれば不要な広い範囲の居住禁止・・避難命令が出たので、今になって「元に戻っても良い」と言われても戻る人が少なくなって困っています。
日本中どこかの過疎地で仮処分申請が際限なく出て来ると(反原発派は今回の仮処分に勢いを得て全国全原発に対する一斉申請を仕掛けるでしょう)いつどこで新たな仮処分が出るか分らない・・仮に100件のうち一件でも出る可能性があるとなれば、業界や地元に経済にとっても予想不能な巨大リスクになります。
言わば合法的ゲリラ社会になります。
下請けや納入業者だって、いつ断られる分らないのでは不安ですから別の仕事があれば受注したくないでしょう。
これを受けて仮処分決定の翌日には、電力関連の株価が急落しました。
原発事故の可能性によるリスクよりは、仮処分リスクの方が大きいと言う市場の反応です。
事故が近いうちにあれば電力会社にとって、致命的損害ですから稼働停止仮処分は本来株価上昇になる筈です・・。
すなわち(民意と言えるかどうかは見方によるしょうが)市場判断は、本案訴訟を待てないほど事故の危機が切迫しているとは見ていない・不要な仮処分をしたと見ていると言うことです。
昭和4〜50年代の川鉄公害訴訟などに参加勧誘されて来たときの例を書いてきましたが、仮に一件でも高炉停止の仮処分が認められたらその企業にとっては死活問題ですから、日本の製鉄業界はリスク回避のために海外に逃げる選択をしていたと思われます。
製鉄でうまく行けばその他の重要産業・・業界も次々と標的にされて同じ運命に見舞われていた筈ですから、合法的ゲリラ・仮処分を仕掛けるメリット・・反日勢力にとっては日本産業を足下から崩壊させるための重要なツールであったことが分ります。
ソモソモ交通事故の発生リスクであれ、何であれ、100%の安全性など証明出来ないのは普通ですから、規制委員会の議論では、「はっきりしない」と言うだけで、停止を命じるとすれば不遜です。
・・この論理で言えば、言い過ぎかも知れませんが「クルマ使用も事故発生の確率が皆無とは証明出来ない・・自宅内の階段も転ぶ危険がないとは言えない」となって、ありとあらゆる事柄が停止対象や損害賠償責任の対象になって行きます。
日本国内では、医療行為もミスの可能性がある以上は禁止すべき・・子供を生むことすら危険性があるとなりますから、その内「お前が生きていること自体がリスク」と認定される時代が来るのか?となって、リスク責任を負わない国へ逃げ出すしかありません。
損害が起きてからの賠償ならば、それを賠償と言うか国家補償・保険と言うかは別として「みんなで負担しましょう」と言う事自体、合理的です。
東北地震被害も人災だと誰かを責めるのではなく、(反原発派が原発をスケープゴートにしているキライがあります)起きた悲惨な結果をみんなで分かち合うことは良いことです。
以前予防接種や学校事故に関して賠償責任と言うと先生が萎縮するし、医師等に過失がなければワクチンで大きな障害を負っても何の補償もないのでは可哀相だから、余程の重過失ない限りみんなで分担する補償に切りかえるべき・・誰が悪いと無理に認定をする必要がない補償に切り替えるべきだと書いたことがあります。
訴訟社会は誰かを悪者にするしかない、社会分裂向けのシステムです。

自己主張と大人の文化(草食系)

日本では、津波・原発事故に限らず何かの事故が発生しても背後にいる同胞を守る意識が強烈ですから、自己保身のために先に逃げ出すような職業人は、末端に至るまで多分殆どいない筈です。
一人一人は弱い存在ですが、何かの組織構成員となると俄然人が変わったようになって
職業意識の鬼となって身命を賭して頑張る意識があります。
特別な組織ではなくともデパート店員でも地下鉄でも職業人である以上は、何かが起これば乗客や客を先に逃がすなどの意識が強くなるようです。
消防署員でなくとも一般職の公務員でも今回の津波では、自分の危険を顧みずに必死に頑張っています。
この点は若者が草食系化しても変わらないので、この意識がある限りイザとなれば強い国民であることは古代から将来にかけても変わらないでしょう。
江戸時代300年近く太平の世が続いていても、イザとなれば勇猛果敢な戦闘力を示して長州では幕末の四国連合艦隊の租借地確保を阻止しています。
長州藩は四国戦争で完敗しますが、高杉晋作らの決死の交渉によって英仏を中心とする四国連合艦隊が租借地確保を阻止されたのは、イザとなれば死を恐れない勇猛な精神力と我が国の過去の勇猛果敢な事績が考慮されたことは想像に難くありません。
そこが香港割譲を余儀なくされた中国との歴史の違いです。
草食系化とは弱体化のことと誤解されている向きがありますが、そうではなく、むやみに粗野な行動をしない・・日本人がスマート化した意味に捉えるべきでしょう。
生活水準の向上・スマート化に関連して弁護士業界を取り巻く状況・・我が国が進んで行くであろう社会の変遷を少し紹介しておきます。
我々の弁護士業界は合格者激増政策・・参入増による危機を迎えていることについては、ご承知のとおりですが、これは我が国社会の高度な特質を誤って米英その他全世界の進行方向と同視したことに原因があると私は考えています。
我が国以外の世界全部では、生活水準が上がって来るとアメリカ並みの訴訟社会になるというのが知識人の一般的意見です。
しかし、わが国の場合、逆に敗戦後の混乱時を除けば治安が良くなる・・お互い謙譲の美徳の社会で気配りその他社会のソフト化が進む一方です。
生活水準が上がると権利主張が高まるのではなく、明からさまな権利主張を控えるようになるのが我が国文化人・上級生活者の心得です。
日本の知識人は自分の目で現実で社会を見る能力がなく、西洋の歴史を真似して御託宣を述べているキライがあって誤るのです。
我が国では「金持ち喧嘩せず」の精神で、大きな声で自己主張をがなり立てるのは、みっともないとする文化があり、何かあると少しでも損しないように大きな声でがなり立てるのは・・昔から最底辺層のすることです。
力が強くなれば大きな声で要求するようになるのは未成熟なギャングエイジ・世代から若者世代がすることで、大人のとるべき行動ではありません。
日本語で「おとなしい」と文字を打つと「大人しい」と変換されるのは、大人は騒がない・・わが国の常識があるからでしょう。
大人の方がギャングエイジ=児童、あるいは中学・高校生よりも社会的な力が大きいことは常識で争いがないことでしょうから、自分の力(社会的力を含めて)を頼って乱暴に主張することは、本当の力のある人の行動ではないことを意味しています。
この文化に従って日本国民は生活水準が向上して力を持つと、これに比例して大人しくなり、上品になる傾向が次世代の若者に出たのが、ソフト化・草食系でしょう。

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