アメリカの産業・奴隷利用=粗放経済の破綻1

昨日紹介した日経新聞紙面では、60万人の雇用を誇るアマゾンが18年秋に最低賃金を時給15ドルに引き上げたことを紹介しています。
世界に誇る大手企業がその多くを最低賃金で雇っている現実こそ重要です。
Jul 9, 2016 12:00 amのブログで、「非正規雇用の多いアメリカ最大の大企業のウオールマートの店員の多くが,生活困窮者向けの1、25ドル分のフードスタンプを貰う列に並んでいることが問題になって日本でも報道されましたが、漫画みたいな社会です。」と紹介したことがあります。
サービス業でも日本はおもてなし文化度が高いので、能力レベルに応じた多様な高級職種がありますが、アメリカの場合飲食店といってもフードコート類似のマニュアル対応主流ですから、サービス業従事者の多くは最低賃金すれすれ職になっている点が大きな問題です。
(日本でもチェーン展開のコンビニや居酒屋、ファミレス、回転すしなどの従業員比率が上がる1方ですが・・変化が遅いのが取り柄です・スーパーが発達すると反作用でこだわり製品やデパ地下人気が高まるなど世の中の動きが一直線ではありません・・明治維新当時も洋画が入ると反作用で日本画への注目が起きるなど・・)
2月26〜7日に紹介した現地ルポで見たように英語を話せず文字すら読めないレベルの場合、サービス業はフードコートでも一応顧客対応ですので、(一定のコミュニケーション能力が必要)配送すら(宛名等の理解能力)できず草刈りなどの原始的職業しかありません。
ホームレスト関連するフードスタンプ受給者の激増問題もあり、この点については上記Jul 9, 2016 ブログで
「政府の最新データによると、2014年9月の登録者数は4650万人で、前年の4730万人から減少した」
と引用しています。
この登録は世帯単位であることから、1世帯三人とすれば人口の約3分の1がフードスタンプをもらっていることになるとも書いています。
フードスタンプをもらっていても帰る家のある人が多いでしょうが、ちょっと家賃が上がるとついていけないギリギリの人がこんなに多いことが推測されます。
この人たちの生活保障をどうするかのテーマに答えられないのが、ホームレス激増の背景でしょう。
日本のホームレスのイメージは無職者ですが、アメリカの場合有職者なのに住む家がない状態です。
こういう社会では失業率の統計は前年度との比較傾向が分かるものの、(無職で開き直っている人の割合が分かる程度?)目先困っている人の実態には迫れません。
月収3〜40万円の工員がレイオフされて、最低賃金の配達員などに転じた場合、失業者数は変わらないとしても、生活水準の劇的低下を知ることができません。
ところで昨日見た日中の賃金格差ですが、中国と日本の賃金格差が7〜8年前には10分の1前後の相場の記憶でしたから、短期間に約2〜3割上がったことがわかります。
この賃金上昇の結果、チャイナプラスワンの動きが出ているし、中国は低賃金を武器にした国内生産基地化の夢が破れそうになってきたので焦ってレベルアップに乗りだしたところ、やり方が強引すぎてアメリカの怒りを買っている構図です。
中国が近代産業導入後賃金水準アップに連れて国際競争力維持のために労働の質向上に必死なように、アメリカも奴隷利用による最低賃金による安値生産で始めたものの限界がきて、母国西欧諸国に追いつく・・産業革命の恩恵を受ける準備が始まると、労働の質アップが求められるようになったのです。
低レベル労働者のレベルアップは言うは安く、3〜40代以降の人に再教育してもその効果が知れています。
世代交代を待つしかないとすれば、30代後半以降の再教育不能人材の行き場に困ります。
こうなると低レベル・安いだけの労働者を失業させておけばいいのではなく、何らかの生活費支給が必要になる分、足手まといになってきます。
車産業のEV化も各産業分野のIT化でも同じですが、中高年・既存労働者にEVやIT関連作業に変更を強いる社内教育は年齢が行くほど無理があるので、適応可能な若手新人採用の方が企業にとっては合理的です。
社会の変化が3〜40年周期で起きる場合には、世代交代して入れ替わるので問題が少ないのですが、5〜10年で入れ替わる急激な変化の場合、まだ2〜30年働ける年齢で引退(失業)をしいられるので社会の軋轢が生じます。
先進国の高齢化社会到達までに要した期間と新興国の到達時間がまるで違うのがその象徴ですが、あとから追いつく方は近代産業導入以降ごく短期間で先端技術社会に追いつけるメリットの代わりに生身の人間の陳腐化が早すぎるのが難点です。
日本の場合江戸時代からの工芸技術の蓄積がある上に、産業構造の変化がいつも30年程度の周期で来たので、その間に変化に向けた技術修練を経る時間がある・・次の時代に向けた変化能力の高い人材が多く育っているので社会の分断が起きにくい安定社会になっています。
環境激変の時代に、次々と新たな技術に適応していける企業や人材が多くて今なお多くの製造業がしぶとく生き残れている所以でしょう。
訴訟手続きのIT化の取り組みも、パソコン普及開始後2〜30年経過後の今になってようやく始まろうとしていますが、それも明日から紙媒体を受け付けないというものではなくじっくり進める予定です。
そのうち私ら(昨年末同期会に行ってきましたが、同期の多くはすでに後期高齢者です)に続く次の世代が全員引退していなくなる約10年経過ころに全面施行になるのでしょう。
変化の早い時代にこれでは取り残されるといいますが、社会変化は早くとも30年周期が合理的であり、数百年も遅れすぎた後進国が無理に追いつこうとしているから(草花でいえば北国では春と夏が同時に来るように)変化が早い時代と言われているだけではないでしょうか?
先に進んだ方はゆったり構えて次に備えればいいのであって、焦る必要はありません。
新興国では平均寿命50歳前後の社会に近代工場がいきなり入ってきて生活水準が急激に上がり平均寿命が70前後への高齢化が急速に進む一方で、労働技術の陳腐化がほんの10年前後で進み取り残されるのでは、彼らはその後の長い人生をどうやって生きて良いかわかりません。
馬が高齢化して次の馬を買う代わりに車にするならば順次変化でスムースですが、馬や機械がまだ新しいうちにどんどん入れ替えるようなことを人間相手にしているのが韓国や中国政治ではないでしょうか?

アメリカの自治体11(草の根民主主義の妥当領域4)

特定目的自治体や、数十人から数百人程度の規模ではなにかの問題が起きた時に文字通り昼の仕事が終わってから集まる・・昔からのムラ社会で行なわれてきた・・昼の農作業が終わってから集まる寄り合い程度で済む規模です。
私の所属する町内会のようなイメージ運営です。
アメリカの自治体の半数が千人以下というのですから、大方が寄り合い的会合で間に合っている印象です。
これならば日本は古代からずうっと行ってきました。
これが大阪市や横浜市、千葉市のような規模になっている場合に昼間勤務先で目一杯仕事をしてから、仕事帰りに立ち寄って数時間の議論で何を責任を持って決められるのでしょうか?
私の住む自治会では20年程前京成電鉄の線路を隔てて2つの自治会に別れました。
人口が増えると身近なテーマ解決に無理が出て来たからでしょう。
ロサンジェルスやサン・フランシスコのような大都会でも従来型議員活動で間に合っているのは自治体の権限が小さな自治体結成運動で始まったから・・そのままだからではないでしょうか?
アメリアカの自治体は、結成の目的がもともと身近な問題解決のためだったから、規模が大きくなっても身近なテーマに限定されたままだからではないでしょうか?
ただし、大きく育ったと言っても21日に紹介したとおりサンフランシスコ市でせいぜい人口80万ですから千葉市よりも人口が少ないのです。

https://www.city.chiba.jp/sogoseisaku/sogoseisaku/kikaku/tokei/top.html千葉市の人口

 平成30年11月1日現在
・人口977,828人
・世帯数435,113世帯

日本の自治体の場合、もともと一族の命運を決める古代氏族社会からはじまり、これが灌漑と生活手段の発展に応じて共同作業の必要性の拡大や外敵防御その他集落単位〜連合等々の必要性で血縁から面としての生活共同体に発展して来た歴史があります。
関係の広がりに応じて必要に応じて全能の権限を目的別に制限・・権限をより上位の連合体に移譲して来たものですから、規模が大きくなればその分、移譲された権限が大きくなるのが原則です。
ただ、移譲によって失っていく関係ですから、移譲されていない分野では権限が残っています。
明治政府以降法的権限が剥奪されていますが、事実上の権限として古来からの集落共同体・氏子共同体などの結束がいまだに強固に残っています。
大都会における擬似氏子共同体が町内会とか団地の自治会でしょうか?
アメリカではもともと地域社会の裏付けもなく、広大な地域を人為的にテリトリーを決めただけでこれを裏づける歴史的関係・移譲して来た歴史がない状態です。
この結果、逆に州政府から与えられた範囲しか自治体に権限がない・与えられた権能がはっきりしているのに対して、日本とアメリカとでは原則と例外の違いがあるように思えます。
その結果新たに生じた未知の事柄については移譲していないのだから、まだ原始共同体に権限が残っていて・・例えば原発廃棄物〜放射能汚染物質埋設地の立地是非などについては、市長さえ同意すればいいのではなく地元自治会の反応を無視できません。
これらに対応するには文字通り草の根の議論が必要で、しかも新たに起きてくる分野は高度ですから議論レベルも高度になって行きます・・。
マイナンバー法一つとっても、個人情報が漏れたらどうするというスローガンだけではなく、情報機器のどの部分についてどのようなことが起きたらどのようなことが起きて情報漏れがどのように広がる可能性があるかなど具体的な理解が必要です。
安保であれ原発再稼働あれ、ゴミ焼却設備であれ、単に反対というだけでは国民が納得しない時代です。
焼却炉新設ではゴミの収集がどの程度増えているのか、環境がどうなるか、焼却設備の性能であれ、まともに議論するには全て高度な知識が必須です。
このために小さ町村では対応しきれなくなっているので合併による事務部門の高度化が促進されています。
17年10月9日の日経新聞「私の履歴書」では、日本国内での株式の営業経験が全く通じなかったという経験談が書かれています。
日本では個人相手営業だったがアメリカに行くと機関投資家相手なので、例えば、原油が何%上がるとこの企業の業績に何%損が出るなどという緻密な情報を勉強していかないと質問に応えられないので苦しんだ例が書いてありました。
市議とか市長といっても何をやっているかによって要求されるレベルが違ってきます。
もしも日本ではアメリカよりも自治権限が桁違いに高く幅広いとすれば、いろんな分野について市議、県議も市職員も十分な予習学習や訓練を欠かせません。

アメリカの自治体10(草の根民主主義の妥当領域3)

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col517.htmlによれば、サンフランシスコ市議は十一人しかいないようです。
町内会のように防犯灯をどこにつける廃止するか、ゴミ回収場所の新設程度のテーマの場合、ボランテイアなので、「今日は仕事が遅くなっていけないのでよろしく」程度の挨拶ですむのでしょう。
「市民の代表として市議同士が議論をして市民が傍聴するだけの日本と違い、この方式だと市議同士の議論というより市議と住民との対話集会のようで、住民意見開陳が終わると開陳されたその場の意見を参考に即座に出席市議が評決するので市議同士の密室の議論もないと解説されています。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlの続きですが、

「多様な役職者が選挙で選ばれる一方、市議の数自体は少なくなる。アメリカの市議会は通常5、6人、大都市でも10人前後である(表3参照)日本の市議会が「議員が話し合う」機関なのに対してアメリカの市議会が「市民の話を聞く場」であることと関係している。参加市民とのやりとりを通じて物事を決めていくのであれば、市議はある意味で裁判官のような役割を果たし、何十人もの議員は必要でなくなる。」

いわば、体操やフィギアスケートなどの採点者のような雰囲気ですから、市議が5〜10人もいれば十分・・何十人もいらないという原理らしいです。
日本の公聴会は型式的進行ですが、アメリカの住民自治というのはこうした直接的な意見表明で行われている・・まさに草の根の対話で物ごとが進んで行くらしいのには驚きます。
裁判でも有名な陪審制度の基礎がここにあります。
政治であれ裁判であれ、「内心の意向を汲み取るのではなく、はっきり言ってくれたらそれを参考に結論を出す」と言う単純な社会構造です。
上記論文を読んでいると我が国の町内会運営よりも直接的なイメージです。
私のいる自治会の場合、ゴミステーションをどこにするかとか防犯灯設置または廃止についての議論でさえ利害関係者一人も出てきません・・。
出て来ないで「悪いようにはしないだろうと言う」お任せ方式で不利だったら後で不満を言う方法です。
ですから、町内会役員や市議は後で不満が起きないように意見を聞いて歩くサービスが要請されていてこれをしないで独断でやってしまうとあとで恨まれます。
二者択一の選択しかない場合、一方当事者の意に反した結果になるのは当然ですがその時には、意に沿うように努力したが他の役員や市議におし切られたとかの言い訳が必要ですから(これを繰り返すと今後投票しないと言われます)その前提として自分の意見を聞きにも来なかったと言うのは最悪になります。
日本では会議に出てこない人や発言しないひとの意見を重視する社会ですから、市議・県議に限らず上に立つ人はすべからず御用聞きみたいになるゆえんです。
これが日本のボトムアップ・忖度政治の原型ですし、市議等が市民の意向を聞いて歩くために忙しく動く必要のある原因です。
例によってアメリカはこうだ・・・「夕方から議会を開け、議員定数を減らせ、議員はボランテイアにしろ」という乱暴な意見がトキおりメデイアを賑わせますが、日本では自治レベルが高く議会で論じるべき自治権の範囲が違うし、これに比例して議論レベルがアメリカとは違う・自治体といっても数十人規模の自治体数十万人規模の自治体と一緒にする無理な意見です。
このあとで紹介しますが、アメリカでは数十人規模の自治体などがかなり多くを占めていますし、単純目的だけ(自前の警察がほしいとか「蚊の駆除」や学校をつくるなど)の自治体もいっぱいあります。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.htmlによれば以下の通りです。

「日本には人口1000人を割る自治体はほとんどないが、アメリカの自治体の半数は1000人以下である[12]。人口数十人、数人というところもまれではなく、1997年の調査では、全米19,373の市(Municipal Government)のうち905、の町(Township)のうちが人口99人以下である[13]。そうした小自治体を紹介した貴重な資料にデニス・キッチン『我らの最も小さい町々』[14]がある。自治体研究の必読書とも言える同書からそうしたマイクロ自治体の事例をいくつか紹介してみよう。」
*ノース・カロライナ州のデルビューは人口16人の町。1925年に設立されて以来「3家族以上の家があったことがなく、これからもないだろう」と言うのはバン・デリンジャー町長だ。彼の祖父とその2人の弟がここで養鶏場を経営していたが、野犬がニワトリを食べてしまうという問題があった。州法は野犬を撃つことを禁じていた。そこで彼らは独自自治体を結成し、野犬刈りができるようにした。「野犬を撃つ権利だけを規定した憲章をもつ自治体を結成した」ということだ[15]。
*ネブラスカ州モノウィは人口8人の村。だが、1990年の国勢調査の結果が6人と出た。各戸に調査表も回り、国勢調査局からの電話確認も入った。なのに結果は人口6人。政府調査の信頼性なさの好例とされ、全国に流布された[17]。
*ユタ州オーファーは1906年設立の町。かつて銀鉱山の町としてさかえたが、廃坑後衰え、現在人口22人となった。「この町には常に(馬車型の)消防車はあったが、それを置いておく消防署の建物がなかったので、車がすぐ老朽化してしまっていた」と言うのは現町長のウォールト・シューバート。「それで最新の消防車を買った時、今度こそはと消防署兼市役所の建物をたてた。町の商店、団体、住民が寄付をしてくれた」。何かNPOの運営を語るかのような口調である[20]。
*小さい町では町長がボランティアですべてをこなす。人口30人のニューメキシコ州グレンヴィルで町長をつとめるミグニョン・サエドリスが言う。「男たちが日中仕事に出ている間、(女の)ルースと私があとを引き受ける。消防車を運転し、ブルドーザーを動かし、救急隊を組織する。サラリーはなく、すべてボランティアだ。時々、夫の郵便配達の代わりもする。200キロを車で走り35の家に止まり全行程5時間かかる。」[21]
*テキサス州マスタングは、現在人口27人の町。ダンスクラブ経営者のマック・アルヘニーの主導で1969年につくられた町だ。ハイウェイ沿いのこ地域は、野生の馬が生息する草原地帯だった。アルヘニーはここに450シートのカントリーウェスタン・ダンスクラブをつくる計画をたてた。州の土地規制を回避するにはそこを自治体化する必要があったという。しかし、テキサス州政府は200人以上の住民がいなければ自治体結成の要件は満たさないと言ってきた。そこでアルヘニーは急きょトレーラーハウス場をつくり、臨時住人を集めた。見事200人以上の住民が確保し、自治体を結成。クラブもオープンすることができた[22]。

アメリカの自治9(草の根民主主義の妥当領域2)

http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

市議はボランティア
「ちなみに、カリフォルニアの政府法では、市長・市議の給料を表1のように規定している[32]。月数万円程度の名目的報酬である。これでは生活できないから、当然、市長・市議は基本的にボランティア活動である。昼は自分の仕事をもっており、夜になると市議会や各種会合に出てくる。市民集会型の市議会では市民も仕事の終わった夜でないと困るわけだが、市議にとってもそれは同じである。
日本でボランティアというと、福祉ボランティアや災害ボランティアなどをイメージするが、アメリカのボランティアはまず市長、市議レベルからはじまっているということである。」
表3 カリフォルニアの市長・市議の給料
出典: California Government Code Section 36516
人口35,000人以下の市     月$300以下
人口35,000-50,000人の市    月$400以下
人口50,000-75,000人の市    月$500以下
人口75,000-150,000人の市     月$600以下
人口150,000-250,000人の市    月$800以下
人口250,000人以上の市    月$1,000以下

小さな自治体・/三万五千人以下の自治体ではわずかに300ドル以下・・3万円あまりです。
25万人以上のサンフランシスコやロスアンジェルスのような大自治体でも市長の月収が月1000ドル以下(今の相場では約11〜12万円)の報酬では本業が別にないと生活ができません。
アメリカの地方自治体政治家は、我々弁護士がただみたいな低い報酬で審議会委員など公職に従事しているようなイメージです。
逆からいえば、州法で決まった範囲は狭く町内会程度の自治しかない・・・その程度の仕事で有給と言うだけでも恵まれているのかもしれません。
このコラムで関心のある自治権の範囲ですが、そもそも自分の本業を切りあげて夕方集会場所に駆けつける住民集会のような市議会で、短時間に住民の意見を聞いてその場で聞いたことを前提に議論して決めていく・・こんな単純なことで可能な政治は身近なテーマに限られるでしょう。
この面からも自治に委ねられているレベルの低さが知られます。
例えば原発の再稼働に関して安全性や原発なしの電力需要にどうするかの議論をデータも見ないで夕方ちょっと集まって意見を聞く程度・ムードだけで賛否の議論しても意味がないことが明らかです。
もともと、数人や数十人規模の自治体を基礎に始まったこの仕組みが、未だに大規模自治体でもそのまま利用されていること自体が時代錯誤的印象です。http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。
「市民運動にとっては絶好の動員の場だ。同一団体のメンバーと思われる人たちが次々立って同じような主張を繰り返す。・・」
と報告されていますが、ここに病理現象が顔を出しています。
このような動員力次第になる結果、実際の国民の支持・民意以上の政治力を発揮して来たことがわかります。
これに加えてメデイア支配によるかさ上げ効果もあり、これがいわゆるリベラルに対する世界的反感が湧き起きて来た基礎原因です。
仕事を終えてから集まるタウンミーテング的仕組みは、いかにも草の根の民主主義の実践っぽいですが、これではホンの数十人しか意見を言えないし、党派的対立のあるテーマでは動員された党派的意見の人が列を作って発言を続けると一方的意見の繰り返しばかりで時間が終わり建設的な議論が出来ません。
芸能人やアルバム等のネット投票では、韓国系のマシーンを使った大量の「いいね」投票が席巻して意味をなさなくなって久しいですが、この種の住民集会も同じです。
ここで報告されているサンフランシスコの人口は以下の通り80万人です。
80万人中、(あちこちで何回か開催されるとしても)1回あたり数十人の参加者の意見を参考に決めるのって、これが「草の根の民主主義」と手放しで賛美できるのでしょうか?

17年10月9日現在のウィキペデイアによると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の主な都市人口の順位

順位    都市          州           人口
1     ニューヨーク     ニューヨーク州      8,175,133
2     ロサンゼルス     カリフォルニア州     3,792,621
3     シカゴ        イリノイ州        2,695,598
4     ヒューストン     テキサス州        2,099,451
5     フィラデルフィア   ペンシルベニア州     1,526,006
6    フェニックス     アリゾナ州         1,445,632
7    サンアントニオ    テキサス州         1,327,407
8    サンディエゴ     カリフォルニア州      1,307,402
9    ダラス        テキサス州         1,197,816
10    サンノゼ      カリフォルニア州      945,942
11    ジャクソンビル    フロリダ州         821,784
12    インディアナポリス [注 1] インディアナ州      820,445
13    サンフランシスコ   カリフォルニア州      805,235
121   グレンデール     カリフォルニア州      191,719

11月20日に紹介したサンフランシスコ市の議会のようすを写した写真を見ると、市議会というか、住民集会の運営説明と写真を見れば、質問や意見表明したい市民が列をなしていて(一人3分以内と決まっているようです)次々と続く質問や意見表明を聞き続けます。
この意見表明は自治体住民に限定されず誰でもよくて、しかも党派的主張もゆるされるようで次から次へと同じ主張を入れ代わりたち代わり繰り返すこともあるようです。
これが終わると最後に5人前後の当日参加した市議で評決する・・この評決のための議論も市民が見守る中で行われる仕組みです。
ボランテアが原則ですから市議が仮に10人 以上いるような大きな市では、市議が全員出席でもない・都合のつく市議が出席するようなイメージです。

アメリカの自治体8(草の根民主主義の妥当領域1)

http://www5d.biglobe.ne.jp/~okabe/ronbun/jichius.html引用の続きです。

岡部一明 (『東邦学誌』第30巻第1号、2001年6月)

アメリカの市議会のようす。壇上に少数の市議。会場は市民が詰め掛け、発言もできる。 (カリフォルニア州バークレー市)アメリカの自治体(Local Government)には通常の市や町以外に特別区がある。
有名なのは日本の教育委員会にあたる学校区だが、その他水道区、大気汚染監視区、潅漑区、高速地下鉄区、蚊駆除区、○○商店街街灯管理区、あらゆる種類の特別区がある。これらは必ずしも、市や町の下部組織ではなく、それらの連合した広域自治体という訳でもない。独自の自立した自治体であり、その首長が公選される場合も多い。区域が通常自治体とまったく無関係に線引きされている場合も珍しくない。
自治体は領域をもった全員加盟制のNPOである」という認識を、調査を進めるうち筆者はもつようになった。

日本で考えると土地区画整理組合や消防組合・水利組合やNPOあるいは町内会のようなものが自治体になっている印象です。
上記写真を見ると日本でよく知られたバークレイ市でさえもちょっとした公民館程度のホールで5人前後の市議が舞台のような演壇に机を置いて並んで座っています。
上記引用続きです
以下の写真は引用連載中の論文に掲載されているサンフランシスコ市の市議会風景です。

市議会は住民集会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パブリック・コメントは多様な問題についての意見を聞くことができるので有用だ。」とトム・アミアノ市議の立法秘書ブラッドフォード・ベンソンが聞き取り調査に答えて言う。サンフランシス市で1ヶ月に1回行われる地域での市議会に参加した時のこと[27]。議長も兼ねるアミアノ市議は革新派で、市民運動の活動家たちといっしょに市議会にのぞむことが多い。会場には多くの市民が押しかけ、壇上の11人の市議に向かって次々に発言している。
「市の政治は、経済的に力のある人たち左右されがちだ。こうした形で一般市民が参加できることでカウンターバランスになる。」
とベンソン秘書。
こうした議会での市民の自由な発言を「パブリック・コメント」という。現在、日本でも行政の個々の施策に意見書を提出する「パブリック・コメント制度」がはじまっているが、その語の起源はこうしたアメリカの市議会などで行われている市民の自由な発言だ。
サンフランシスコ市議会は通常、毎月曜の午後、支庁舎内の会議場で開かれるが、月に一回は地域で出張市議会を行う。この時は、市民の集まれる夜に設定された。ケーブルTVの中継カメラがいくつかすえられ、講堂の中央に発言を求める市民が長い列をつくる。順番整理のためリストに名前を書き込むこともあるが、待ち列の一番後ろにつくだけでもいい。資格審査などは一切ない。サンフランシスコ住民でなくともよい。外国人でも発言できる。各議題に付き1人1回3分程度の発言が認められる。発言者が多い場合1分以内などと制限されることもある。
この日は地域での市議会だったが、市議会堂で行われる通常の議会も同様だ。通常5人程度の市議が壇上に座り、「客席」には多数の市民が詰めて次々に立って発言する。市議の重要な役割の一つは市民の発言をじっくり聞くことだ。最終的には市議の多数決がものごとを決定するが、それも公開の場で住民監視のもとで行われる。
議会は通常、市民が来れる夜開かれ、紛糾する問題があれば市民発言が真夜中まで続く。市民運動にとっては絶好の動員の場だ。同一団体のメンバーと思われる人たちが次々立って同じような主張を繰り返す。「エイズはビールスで起こるのではない」というよくわからない主張をする宗教グループの人も何人か居た。」

引用は明日も続きます。

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