離婚の自由度1(貨幣経済)

奥さんが家計を切り盛りしている場合、建前は男上位でも(男の跡継ぎがいないと家禄は貰えない・・お家断絶です)女性が実際的力を握ることになります。
(現在でも大蔵省→財務省が事実上政権の中枢にあるのと同じで、家計を握る立場は強いのです。)
米中心経済では年一回の収入を一年間でうまく使わねばならないのですから、無計画に使う傾向のある男向きの仕事ではなく、大変な企画力が必要でした。
江戸時代までの農業社会では男女格差・男尊女卑思想と言っても上級武士だけに妥当する規範でしかなかったので、一般には男尊女卑は建前でしかなく家庭内の女性の実質的地位が高かったのは、女性が家計を握っていた結果です。
古くは05/28/03「男尊女卑の思想10(明治の思想と実際2)」前後や最近では04/10/10「妻の家庭内権力」以降にこの点を書いて来ましたが、今回は貨幣経済の進展との関連がテーマです。
アラブ諸国で女性の地位が今でも低いのは商業と言っても遊牧・行商が中心でしたから、これは男性の独占する仕事(店舗での販売ですと女性が中心になります)で貨幣収入が男性のものとなっていたからでしょう。
明治以降農業社会から商工鉱業社会へと舵が切られると、元農民の多くは(商人と言うよりは主として)都市労働者に変化します。
この場合、収入源は労働に対する対価・賃金ですから、外から貨幣で持ち帰るようになったのですが、これは概ね外に働きに出る夫の役割になるので夫の立場が強くなったのです。
家庭は子育てのためにある本質でしたから、子供を置いて外に出るとなれば男の役割でした・・この関係で女性の地位が下がってしまったことを、2010-9-3「(1)家庭外労働と男女格差、」以下で書きました。
貰った賃金を渡してしまえば、(江戸時代までの習慣で家計は女性がやるものと男は思っているからで、この点は諸外国とは違います)結局は奥さんの管理であることは江戸時代と同じでも、渡す回数(米売却金のように年1回ではありません)が違うし、給与をもらって家に帰る途中で自分で使うことも出来ます。
今でも月に一回の給料日やボーナス支給日に奥さんがニコニコして迎えてくれるのは、その名残です。
明治に入ってからの貨幣経済化・賃労働化の進行が、貨幣を持ち帰る男性の比較優位性が庶民にまで浸透して行き、男尊女卑社会を現実に作り出す原動力になったと言えるでしょう。
給与または日給が生活手段になってくるとその役割りをする男は、自宅でのサービスが悪いと帰り道で一杯飲んでしまったりパチンコして帰ることも可能になります。
縄文〜弥生時代の男が、狩りをしてもその場で大体食べてしまい、女性の待つ集落まで滅多に獲物を持ち帰らなかったのと似て來ます。
ただし・・04/10/10「酔っぱらいが手土産をぶら下げて帰る意味」で書いたように、実際には通い婚の一種で発情期だけ手土産として持って行く形態であったと私は思っていますが・・・。

家計管理(農耕社会から商工業社会へ)

都市住民2世の時代・・・自宅は先祖代々の家ではなく夫婦の努力で買い求めた家が殆どの現在では、家も金融商品や車などと同様に売却に抵抗感がなくなって来ます。
その上、江戸時代では隠居すると家禄や農業収入が息子に行くだけで退職金もなかったのに比べれば、まとまった退職金も手に入り現役時代に蓄えた貯蓄もそのまま子供に引き継がずに自由に使えます。
現役を退いた後にも自前の年金収入や貯蓄があるので、同居して子供夫婦に遠慮して暮らすくらいならば、身の回りが覚束なくなれば自宅を売ってしまって有料老人ホームに入る・・対価関係のはっきりしたサービスを受ける方がましだと言う高齢者が増えて来ただけの話でしょう。
いよいよ自分でやれなくなれば介護施設の世話になればいいので、身内は精々介護施設での不当行為がないかどうかの監視役としての役割にとどまります。
平安貴族・源氏物語に出てくる帝や戦国大名のように女性の屋敷や部屋(天皇の場合女御のいる殿舎)を渡り歩く通い婚あるいはその類似の場合には、男は居心地が良くないと自然に足が遠のく・・縁切りの危機・・子供の将来に影響する・王位継承権がなくなったりすることとなるので、女性の方はいつもにこやかに、迎え入れるしかないので女性の地位は低下して行きます。
しかし、これは限られた上流階級だけの話で、昔から大小名クラス未満の人は何人もの家庭を維持出来ませんから、これを社会の一般的形態であったと理解するのは間違いです。 
一夫一婦しか経済的に成り立たない庶民の場合、生活の場を一緒にするしかないので日常の生活費に関しては経済的にも一体にならざるを得ません。
サラリーで生活する都市労働者が大量発生する時代以前は、・・(日本に限らず)農耕社会では武士も農民もいわゆる家の収入しかなく男が外で金銭を稼いで持ち帰る仕組みではありませんから、自然と家政は女性が管理する仕組みになっていました。
大名家などは財政管理の役職(会社の経理部のように)があって男性の仕事ですが、数百石単位以下の場合そこまでの家臣を養えませんから結局は奥さんが切り盛りすることになります。
今でも八百屋、魚屋・個人的大工や電気工事などの零細商人の場合、奥さんが帳簿管理しているのと同じです。
江戸時代にも奥さんに小遣いをもらわないで妾宅を構えたり吉原や祇園に通えたのは、収支管理を他人に委ねている一定規模以上の武家か、大商人だけだったでしょう。

貨幣経済化と高齢者の地位上昇

  

9月23〜24日の隠居制度の続きですが、現行条文(民法自体は明治の法律ですが戦後の条文改正)では隠居制度がなくなって、死ぬまで自分の財産は自分で管理・処分(・・住んでいる家や預金は死ぬまで自分たち夫婦のもので息子が口出し出来ません・・)出来るので、親の立場は経済的には格段に強くなりました。
農業の場合、名義だけお父さんのままでも毎年のフローの農業収入自体は実際には息子夫婦が牛耳るようになるのが普通ですから、親の地立場が強くなったのは、隠居制度の廃止だけではなく、老後の生活手段の中心が家産・家業のウエートが下がり過去にためた預貯金・貨幣価値の把握になったことによるでしょう。
農業に限らず、自営業の場合、隠居と言うよりは経営権の交代をするのが普通ですので、取締役として一定の給与を確保しておかない限り親夫婦が無収入となる点は同じです。
結局は消費目的の貨幣だけを潤沢に持っている方が、老後は有利になると言えます。
今は貯蓄はほどほどでも年金制度が充実して来ているので、自宅のある老夫婦は年金だけでゆとりのある生活が出来、子供世代に経済的に頼る必要がありません。
老親の介護をしなければならない子供世代の負担緩和ばかり強調されていて、介護の社会化は彼等の介護負担を緩和するためのように思われていますが、親世代からすれば「今の子供は当てにならないから・・」と言うのが普通です。
当てにならないのではなく、当てにしないで生きる方が自立出来て有利だからです。
戦後民法改正で上記の通り親の経済的立場は強化されましたが、最後に面倒見てもらうようになると(妻に看てもらえるお父さんは最後まで幸せですが妻の方は)弱い立場になる点は変わりません。
子供夫婦に世話されると悲惨なことになるリスクが高いので、もしかしたら親世代が現役引退後も自宅売却処分の自由や年金・・自分のお金を持ったことによって金で解決する方が得だと言う視点・・親世代が最後までフリーハンドを保てるように介護の社会化が始まったものかも知れません。
釣った魚に餌をやらないと言いますが、サービスはすべからくその都度お金・対価を払う方が大事にされるものです。
2010-4-27−1「妻のサービス1」以降でサービス業者のサービスと家庭サービスの比較を書きましたが、(最近では2010-9-19「家庭サービスと外注」にその続きを書きました)対価関係が直截的であればある程サービスが良くなるのはどの分野でも同じです。
どこかで書いたと思いますが、1年分前払い、10年分前払い・・あるいは一生分前払いをしても、有り難く思ってくれるのはそのときだけです。
一生分の食費以上の何千万円もこの家を建てるときに出してやっているから、ただで連れて行けと言うよりは、食事や映画、旅行に行く都度ポケットからお金を出してやった方が大事にされるのは当然です。

文化は高齢者が創る

それに、どうせ同じ500万人でも300万人でも失業しているならば、若者を働かせて高齢者が遊んでいる方が合理的です。
と言うよりは、社会に一定量の正規雇用しか受け皿がないならば若者を正規雇用ではたらかせて技術を身につけさせて、高齢者を早期定年制で退職させて非正規雇用に入れ替わる方が社会の将来のためにも合理的です。
将来中国と我が国との人件費が均衡して来た場合、輸出産業が復活するには技術力を維持してく必要があります。
新しい機械と古い機械がある場合、性能の悪い古い機械を使って新鋭機械を温存していて、錆び付かせるのは愚の骨頂です。
現在若者の失業者やフリーター等の数が仮に2〜300万人で定年前後の労働力人口が仮に年100万人とすれば、定年年齢を徐々に2〜3年分引き下げて徐々に若者の正規雇用を増やして入れ替えて行けば良いのです。
一家で考えれば、高齢のお父さんが店で働いていて30代の息子が遊んでいるよりは、息子を店に出してお父さんが遊んでいる方が合理的・・将来の展望が明るいのは当然です。
若者が遊んで失業していると社会が暗いですが、高齢者に暇ができると文化が発達します。
若者が遊んでいても大した文化が生まれませんが、高齢者に暇があってこそ、文化の奥行きが出ることを最近どこかで書きました。
元気なうちに店の経営権を息子に譲る以上は、親夫婦はなにがしかの生活費を息子から出してもらうのは当然・・社会全体で言えば若者が就職出来るように早期引退して職場を譲った以上は、譲ってくれた高齢者の年金資金を若者が払うのは当然となります。
現在は、この逆ばり政策で高齢者の定年を早くするどころか逆に延長して自分でいつまでも職場にしがみつき、若者の職場を奪っている時代ですから、職のない次世代に年金納付を求めていたのでは年金制度が破綻するのは当然です。
(店を譲らないで頑張っている親が売上を全部自分のものにしている外に、息子に対して「お前はもう30代になったのだから・・・」と生活費を要求しているようなもので図々しいと言えます。
店や職場を譲るまでは親世代・高齢者が、息子世代から生活費・年金受領を辞退すべきは当然です。
高齢者の引退時期を先送りしてその分年金受給開始を遅らせるよりは、逆に引退を早くするように誘導して次世代に仕事と収入を早く譲り、その代わり彼らに十分な年金資金を払わせる・・・早く引退した分早くから年金を受けられるようにした方が社会が健全です。

早期引退と年金赤字解消

2010-9-28「高齢者引退と年金」以来デフレ論にそれてしまいましたので、年金赤字の問題に戻しますと必要労働力量が一定とすれば、仮に定年時労働者が100万人の場合定年を1年延長すると100万人分の労働力過剰がおきます。
この過剰分が新卒・新規参入者の就職難に直結します。
一定どころか、ここ数十年は海外進出企業の増加(例えば今年の例で言えば、日産が大衆車マーチ生産を全量タイに移管しました)で国内必要労働力量は減少して行く一方です。
ある報道によれば、リーマンショック以降この秋までの約2年間で製造業の海外進出による雇用減少分が11%あまりとのことですから、定年延長がなくとも若者の就職機会がここ2年で11%も減少しているのです。
この状態のところに、定年延長あるいは高齢者雇用が進むと若者の職場は両側から攻められることになります。
国内必要労働力の減少に合わせて新規参入労働力=人口を減らせて行けば整合しますが、(人口減少政策が必要と言うのが私の基本的立場でこれまで繰り返し書いています)これには30年単位の長期ビジョンが必要ですので、1〜2年単位の不況による職場減少対策や5年前後の短期政策には間に合いません。
そこで、短期的な当面のつじつま合わせとすれば、中高年齢層の早期退場によって、景気変動に合わせて調節するのが合理的です。
従来どおり60歳で引退しているだけでは、上記のように海外進出の加速による国内職場減少分を若者が引き受けるしかないのですから、むしろ職場減少分に合わせて58→57歳と逆に定年を前倒しして行って、高齢者が若者に職場を譲ってくれないと若者の就職するチャンス・場が足りない時代です。
レストランでも美術館でもどこでもそうですが、後がつかえているときには早めに出て行って(回転を早く)もらわなければならないのに、逆にゆっくりしていくように誘導していたのでは、入口で入場者が滞留してしまいます。
若年層の失業率の引き上げ・・職場への入場制限していると、その間、時間つぶしに本を立ち読みしたりパチンコをしているようなもので若者のモラトリアムと言われる現状・フリーターや非正規雇用の増加に繋がっているのです。
思い切って定年を55歳に戻せば、5年分の雇用・・仮に年100万人の労働者としても500万人の労働力不足が起きて失業問題あるいは若者の非正規雇用問題が解決します。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。